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『現代の歌人140』を読みました。〈2〉

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昭和/戦後
◆久々湊盈子
 もみしだかれて狂うほかなし三月の疾風(はやて)にしなう白き木の花
 咲きあふれ天になみうつさくらばな満ちたることはかくもさびしき
 風の声熄(や)みたる夜明けわらわらと森はおのれの息にて動く
 感情線乱れておればつくづくと素直ならざる酉年生まれ
 遠い未来に必ず訣れのあることを疑わずされど日々に思わず

 女の骨は鬆が入りやすく心には魔が入りやすく五十となりぬ
 香りたつ「八海山」のあらばしり暖簾の外は春の雨です
 長く長くひとつ火種を秘めきたり消さず絶やさず劫火となさず
 ほどほどに惚けねば老いには辛すぎるこの世の春に名残り雪降る

◆日高堯子
 からすうりのレースの花がしゆつとひらき こんなにしづか地上の時間
 蚕豆のくぼみのやうな姉として疲労(つかれ)のふかき弟おもふ
 この春はちぢむ乳房のをかしくもかろき心となりて梅見る
 白藤のなだれ落ちたる無人駅駅舎のほとりに父が待ちをり

◆沖ななも
 トルソーの凹凸なれば乳のふくらみ臍(ほぞ)のくぼみにさす冬の光(かげ)
 北浦和 南浦和 西浦和 東浦和 武蔵浦和 中浦和と無冠の浦和
 生まれたし生まれたしとて生まれこしわれにあらずや生きん生くべし

◆河野裕子
 捨てばちになりてしまへず 眸(め)のしづかな耳のよい木がわが庭にあり
 阿保らしくかなしいことなり形よき左の乳房を切ることになる
 寒いのは淋しいからだと午前二時風呂に蓋して亀のやうなり
 美しく齢を取りたいと言ふ人をアホかと思ひ寝るまへも思ふ
 病むまへの身体が欲しい 雨あがりの土の匂ひしてゐた女のからだ

◆安田純生
 明王となりて怒らば胸あかむ夜ふけ起き出で詫状を書く
 見抜かれぬほどに抑へし怒りなり夜空あふぎて風花を食ふ
 けふは君と来ざれど冬の森の径(みち)記憶のなかの夕立に濡る
 君とわれ餡パン食ひつつ過去をいひこのあかときの晩年めける
 焼香の順をかしきと人毎にいひしをとこの葬式けふは

 まだ人のかたちをせるよ夜の駅の大き鏡の前よぎりゆく

◆永田和宏
 なんにしてもあなたを置いて死ぬわけにいかないと言う塵取りを持ちて
 平然と振る舞うほかはあらざるをその平然をひとは悲しむ
 がんばっていたねなんて不意に言うからたまごごはんに落ちているなみだ

◆秋山佐和子
 別れぎは夫が触れにし我が乳房夜の電車にみづみづとせり

◆佐伯裕子
 父と母の若き写真にわれも居りエリア・カザンを観に行きしかな
 ここにまた生まれてこようこころまで吹かれて髪が頬を打つ春

◆道浦母都子
 淋しさは壊してしまえ生牡蠣に檸檬をしぼるその力もて
 信仰のようにすっくと立ちつくす桐のむらさき紀の空にあり
 ふり仰ぐ六甲山脈悠久の肩を光らせ鉈のごと冴ゆ
 無に至る死後を思えば肩やわし千年杉の椅子に凭れて

◆花山多佳子
 つぎつぎに「おじやましました」と言ふ声の聞こえて息子もゐなくなりたり

◆池田はるみ
 死ぬ母に死んだらあかんと言はなんだ氷雨が降ればしんしん思ふ
 茶碗三つ並べて置くよ幸福は夕暮れに来てしづかに坐る

◆大下一真
 人生とう旅の中なる旅先に柿の実あかき村一つ過ぐ
 なるようになりてかくありなるようになりてゆくなりこの世というは

◆三井 修
 傷付きし人を論理で励まして淋しもよ帰路の寒月の照り

◆桑原正紀
 冬欅すがしく聳(た)てり思想とは骨格にして鎧ふものにあらず
 いま我は生(よ)のどのあたり とある日の日暮里に見し脚のなき虹
 春の雪降る日曜日妻ときてさよりの細きかがやきを買ふ
 摘みきたる桔梗いちりん手向くれば墓碑のおもてのかすか明るむ

◆阿木津 英
 子を産まぬこと選び来つおのづからわが為すべきをなすがごとくに

◆田宮朋子
 捨て鉢に咲くひとむらの龍胆のひんやり燃えて草むらは秋
 先つ世は楠なりし弥勒像とほき記憶に鳥が棲みゐむ

◆永井陽子
 カーテンのむかうに見ゆる夕雲を位牌にも見せたくて夏の日
 今はもうかの樟のみが記憶する喪服のわたし二十歳のわたし
 この夕餉ひとりにあればこころして蛸のサラダといふものを喰ふ
 錠剤の切れゆくままにわたくしの夢も解かれてさむき朝なる
 拝啓あなたはこの春ボナールを見ましたか 病棟に書くはがき一枚

◆藤原龍一郎
 テレビには古きマカロニ・ウエスタンああ、あの頃は楽しかったね

◆武下奈々子
 白蓮の終りの花のいぎたなさ頑張らなくていいこともある
 いま少し咲きてこの世の陽を浴びむさざんくわの緋にけさ銀の霜
 食べられるうちに食べておけと言ふ父よボルネオはもう雨季ですか
 ほたるなすほのかに見ゆる庭の奥どくだみの白き花が咲きおり

◆今野寿美
 子はみんな溺愛すべし馬鈴薯は花を見るべし面取りすべし
 マーラーの「復活」第五楽章のピアニッシモのやうな朝明け

◆柳 宣宏
 食ひ終へて食ひ飽かぬとぞわが母のわれを憎しむ目に力あり
 幼子のたくらむごとき表情を母はするなりまだまだ死なぬ

◆松平盟子
 桃の皮しんねりめくり曲線のなぞりのうちに四十代果てし
 ラ・フランスも心もまこと痛みやすし放っておかれて黄色に歪む

◆内藤 明
 生まれ来む君を待ちつつ鶏鳴(あかとき)の霧降る街に蹲りをり

◆栗木京子
 夕暮れの声にとりどりの重さありわが独り笑ひゆるやかに沈む
 藍深き秋の琉歌は唄ひけりいもうとは兄の守護神なりと
 風景に横縞あはく引かれゐるごときすずしさ 秋がもう来る
 雨降りの仔犬のやうな人が好き、なのに男はなぜ勝ちたがる
 九月来て昼の畳に寝ころべばわがふとももの息づきはじむ

 この寺を出ようとおもふ 黄昏の京(みやこ)を訪へば彌勒ささやく
 大空を、木の葉を、シャツを、足首をぎゆッと絞りたし夕立ののち

◆久我田鶴子
 学校のぐるりにさくら咲きみちて鬱々とせるものをやしなふ
 大きなる桃の実を手に笑ひをりまるごとひとついただくつもり
 わたくしをいでざる思惟に疲れつつ最上階に海を見に行く
 ひとつ火をまもりてかがむせつなさはこんなに大人の線香花火

◆中津昌子
 鯖街道抜けて登美子に会ひにゆく空にあふれる山鳥の声
 梵天のあなうらうつくししらしらとさざんくわのはな踏んできたれば

◆小島ゆかり
 青日傘さして白昼(まひる)の苑にゐし女あやめとなりて出で来ず
 部屋中を片づけ終へてふかぶかと坐るさびしさ われが残りぬ

◆水原紫苑
 雨光るゆふやみにしてはしりゆく恋とは羽毛ながき鳥かも
 朝川を渉(わた)るつめたさ沁み入れば秋草の名のわが名咲(ひら)きぬ
 投げ果てしこころを拾ふ春の谷かやのさいゐん裸身にいます
 岩燕見つむる心ひるがへりきみのまことのわれになしてよ
 序破急はなべてに在るも交合の序破急こそは根源ならめ

◆米川千嘉子
 香の高き薔薇の名ケアレス・ラブといふ 二つくらゐは誰にもあらむ
 機械われ一度ぶるんとはたらいて産んだ子十七歳(じふしち) 凹(へこ)んでゐるよ

◆谷岡亜紀
 火を吐ける煙突の群れ黒々とコンビナートいま逆光の中
 ボブ・マーリィ店に流れて日が落ちて次の戦争までの年月
 停電の大通りゆく人の群れ 風に吹かれて 雨にぬれても
 ピアノバーの曲は「この世の終りまで」その日私はおまえを抱いて

◆小塩卓哉
 ゴンドラが水面(みなも)をすべる優しさで君の心の扉を開く
 恋愛にためらいというルビふりて二人夕陽の中にさまよう
 手の平に収まる石を選ぶべし向こう岸まで届け心も
 我の知らぬところに燃えていし炎気づかせて後君は去りたり
 秋の日にもう冬の日をみつけているわれと道辺に揺れるすすき穂

◆大辻隆弘
 つまりつらい旅の終りだ 西日さす部屋にほのかに浮ぶ夕椅子

◆大塚寅彦
 魚の眼にわれは異形のものなるを しづかなるひるの水槽に寄る

◆林 和清
 坂はすべてこの世の境(さかひ)つぎつぎと椿が落ちてころがつてゆく

◆穂村 弘
 いつかみたうなぎ屋の甕のたれなどを、永遠的なものの例として
 ハロー 夜。ハロー 静かな霜柱。ハロー カップヌードルの海老たち。
 水準器。あの中に入れられる水はすごいね、水の運命として
 このシャツを着ているときはなぜだろういつでも向かい風の気がする

◆俵 万智
 生きるとは手をのばすこと幼子(おさなご)の指がプーさんの鼻をつかめり
 ろうそくの炎初めて見せやれば「ほう」と原始の声をあげたり
 みどりごと散歩をすれば人が木が光が話しかけてくるなり
 揺れながら前へ進まず子育てはおまえがくれた木馬の時間
 連休に来る遊園地 子を持てば典型を生きることの増えゆく

◆東 直子
 「そら豆って」いいかけたままそのまんまさよならしたの さよならしたの
 アナ・タガ・スキ・ダ アナ・タガ・スキ・ダ ムネ・サケ・ル 夏のロビンソン
 電話口でおっ、て言って前みたいにおっ、て言って言って言ってよ

◆真中朋久
 おほぞらの見えぬ雲雀を捜しつつ光のなかにとりのこされし
 泡ばかり噴きこぼれゐるグラスへと唇よせながらまなこあげたり
 そのひとはふるへる手もて酒瓶を傾けてゐつ手を添へられて

◆紀野 恵
 定形的内容を蔵せる定形外水色封筒積めば崩れつ

◆辰巳泰子
 細りゆく乳房をそつとわしづかみ 眠つていまふ 眠つてしまへ
 恋愛はけざやかなればそらへ投げさいごの花はみづから手折る
 このさきの桜並木を浴びる日にどうか孤独でありませんやうに

◆前田康子
 乳房がふわりと浮ける感じしてブランコに立つ 妻なり昼も

◆江戸 雪
 いらだちをなだめてばかりの二十代立ちくらみして空も揺れたり
 きらり月 君はもうすぐここに来てわれの時計をゆっくりはずす

◆吉川宏志
 肩車した子を影で確かめて馬酔木の咲ける坂を降りゆく
 子を産みし日まで怒りはさかのぼりあなたはなにもしなかったと言う
 われに無き器官を痛みひるがおのように女は傷みやすきぞ
 古(いにしえ)と同じ速度にのぼる月檳榔(びんろう)の葉に光沢(つや)を与えつ
 新しい絵を知るような逢いありて眉がしずかな人とおもいいき

 てのひらは雨に濡れてもいいところ窓から出せば雷(らい)がかがやく
 おなじ絵を時をたがえて見ていたりあなたが言った絵の隅のの青
 秋の雲「ふわ」と数えることにする 一ふわ二ふわ三ふわの雲

◆大口玲子
 房総へ花摘みにゆきそののちにつきとばさるるやうに別れき
 人生に付箋をはさむやうに逢ひまた次に逢ふまでの草の葉

◆梅内美華子
 ひと泣きしてたっぷりとまた食べに来るきつねうどん あなたも食べていますか
 雨が来る 腕に蛇口を取り付けしつげ義春の雨が来るなり
 百合ひらき卵巣ひらき雷雲の湧くを見ているおみなのからだ
 房総の春のひかりを髪に挿し海からあがりしように歩めり
 普賢といふ白梅散つて春の闇 三日月の目に象わらふなり

◆松村正直
 待つように言ったら待ってくれたろう二十分でも二十年でも
 特急に胸のあたりを通過されながらあなたの言葉を待った

◆大松達知
 a pen が the pen になる瞬間に愛が生まれる さういふことさ
 誤植あり。中野駅徒歩十二年。それでいいかもしれないけれど

◆横山未来子
 冬の水押す櫂おもし目を上げて離るべき岸われにあるなり
 やさしさを示し合ふことしかできぬ世ならむ壁に夕陽至りつ
 あふむけに運ばれてゆくあかるさの瞼の外に遠き雲あり
 日向なる髪あたたかし遠ければ方位つかめぬ鳥のこゑする

◆斉藤斎藤
 リトルリーグのエースのように振りかぶって外角高めに妻子を捨てる
 泣いてるとなんだかよくわからないけどいっしょに泣いてくれたこいびと

◆永田 紅
 人はみな馴れぬ齢を生きているユリカモメ飛ぶまるき曇天
 対岸をつまづきながらゆく君の遠い片手に触りたかった
 プールには雨降りながら雨にのみ体は濡れてゆくここちする
 ああそうか日照雨(そばえ)のように日々はあるつねに誰かが誰かを好きで
 話さねば 白衣のままで追いかける時間が君を遠ざけるまえに

 どこへ向けて歩いていてもああ君は引き返そうとは言わなかったね
 思いきることと思いを切ることの立葵までそばにいさせて
 試験管のアルミの蓋をぶちまけて じゃん・ばるじゃんと洗う週末
 あいまいに遠のきしゆえ君の部屋をまだあるもののようにも思う
 背景に川が流れて学生時代を夢のようだと言うのだろうか

 年収の話など聞けり年収を羨むわけではないが遠いな
 忙しきほうが時間のあるほうをさびしくさせて葉を毟らしむ
 うつくしき胸鎖乳突筋をもて人はいくどか振り返りたり
 俺という言葉うれしく聞きいたり食事のときに一度言いける


永田紅歌集『ぼんやりしているうちに』を読みました。

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今日、永田紅の第三歌集『ぼんやりしているうちに』(07)を読み終えました。
この歌集には、2001年から07年にかけて、彼女の25歳から31歳までの作品が収められています。

以下、一読して気になった歌を引用します。

機2001~04年)
 寝ころべばトタンの屋根にたくさんの穴ありにけり白く輝く
 泳ぎつきしテトラポッドはあたたかくつねにきれいに乾けるところ
 湾内に長く伸びいる防潮堤高きより見てしずかなる午後
 相応に齢をとりたし自意識を捨てるためではなく隠すため
 この町の君にまつわる場所たちを園丁のように見まわるだろう

 袋から出すときタオルあたたかく湿りて海はうしろのほうよ
 山腹に〈法〉の火やがて弱まりぬちらちらとして夜は来にけり
 日溜まりを撮らむとせしが切りとりし景色のなかにあの光はなし
 何かを自分で決めたことなどあっただろうか雷雲を追いかけている高速道路
 ひらいしん、そを指さして嵐立つ中を歩みしことも無かりき

 あの夏のつづきのように鳴く蟬よ言いたきことは言ってよいこと
 春先の我らはつねに新しきあそびを考え 楽しかったね
 気持ちには形なければ時々の庭に咲きいし花を充(あ)てたり
 太き葱きざめばすべる切り口の中のゼリーが昔から不思議
 老けたよな。お互い秋の来るたびに丸かりし頬のことなど思う

 秋の陽にけやきの枝はあかるくて君と歩いてばかりいたころ
 清らかなことのごとくに歩きたりあの晩秋の六駅分を
 理解していたよ銀杏の金色がボンネットを埋(うず)めるころ気づきけり
 笑ったりしながらお湯の沸くまでを火の傍らに立ちてありたり
 買いしまま打ち上げざりし花火ありビニール袋の口をひねりて

 レシートが袋の中に残りおり捨てがたき日付ゆえまた戻したり
 どうしても眠い午後にはフラスコにねむりねずみを押し込みましょう
 昼顔の咲けるフェンスがつづきおり道いくたびか線路をまたぐ
 このごろは徹夜がつらい楠の花の匂いの窓開け放す
 あいまいに遠のきしゆえ君の部屋をまだあるもののようにも思う

 想い出は羊のように群れなして道を塞いで動きてゆきぬ
 空ひろく晴れたる下(もと)の猿ヶ辻きみに日照雨を教えしあたり
 なくなってしまえば何がどこにどうあったかさえもおぼろになりて
 背景に川が流れて学生時代を夢のようだと言うのだろうか
 やみくもに好きでありしをゴム草履ぺたぺた身軽に歩きてゆきぬ

 この初夏の目の端に朱色足らざると思えば柘榴伐られていたり
 あの夏のこととして思う日もあらむ車線変えつつまぶしがる眼を
 揺れながら深泥池(みぞろがいけ)の浮き島のように取り残されていたりき
 大文字こんなとこから見えたのか、大は斜めに意外な近さ
 百万遍交差点には花屋二軒信号待ちに見るチューリップ

 触れずおく傷よリトマス試験紙も素手で持ってはいけないものよ
 午後おそき時間に〈喫茶ほくと〉にてジャワカレーキーマカレーなど騒ぎおり

供2004~07年)
 実業に就きたる君の日常に鳥は飛んではこないのだろう
 椅子にもたれ椅子を回せる数秒のあらば 思えよあの夏のわれら
 忙しきほうが時間のあるほうをさびしくさせて葉を毟らしむ
 われはただ謙虚たらむとありしのみに何も出来ぬと見なされにけり
 立葵咲き始めたり夏までにいかなる展望のひらけるならむ

 君の婚 鹿に餌やる表情を知り得しことをもてよしとせむ
 われはわが時を生き継ぐしかないよ夏至の日に咲くしろい木の花
 夏の川もっとも君に近かりし時を境にその後はありぬ
 昼顔のフェンスに凭れているうちにみんなとっくに社会に出でつ
 二十代遠のくことを対岸の犬の散歩のごとくかなしむ

 近道の門は夜には閉まりたり閉ざされてその傍の木を知る
 時間だけはたっぷりありて富士山の見ゆる窓まで日にいくたびも
 生きている奇跡など誰も思わざる暖かき日の芝生の素足
 俯瞰図として親しみし町がある循環器内科五階の窓辺
 届かざる過去かなわざる能力というべきものを人に認めて

 東京の一年が過ぎぬ眠ってばかりいてまだあまり東京を知らず
 断片をつなぎあわせて在る君になぜこれほどにこだわりにけむ
 天井にゆらめく水の反照をみな人てんでに眺めていたり
 野球場外野で草をむしろうよ土鳩が鳴けばわれらも眠し
 やれやれ、と僕は思った。ぼんやりと村上春樹の文体に寄る

 ことさらに拘泥もせず悲観せず強がりもせずにいることの大切
 思い出を反芻するとき子牛第四胃酵素の名も浮かびたり
 まぶしさの中に消失することもあり得べし手の届かぬ人は
 嫌いではなかったはずよポプラの葉きらきら仕事のあいまに見つつ
 うつくしき胸鎖乳突筋をもて人はいくどか振り返りたり

 瞑るとき、瞠るとき目は無防備にこころ晒しぬ白衣のうちより
 ポケットに手を入れしままそれ以上立ち入ることもなく微笑めり
 晩酌をおぼえしわれはキリン淡麗グリーンラベルが一本で足りない
 羊男は耳を揺らして泣くだろうはたはた耳は悲しむだろう
 将来の怖れと過去への回顧など煮詰めていてもしようがないな

 アウグスト・ディール去年の秋を占め同じ映画を五度見にゆけり
 鉄柵を乗り越えてよき年齢は過ぎしか ぐるりと迂回しにゆく

『久々湊盈子歌集』を読みました。

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昨夜、『久々湊盈子(くくみなとえいこ)歌集』(99)を読み終えました。『現代の歌人140』(09)に収録された、彼女の「もみしだかれて狂うほかなし三月の疾風にしなう白き木の花」という歌を読み、この方はただ者じゃないと思い、古書店でこの歌集を購入しました。思った通り、ただ者ではありませんでした。
以下、一読して気になった歌を引用します。なお、この歌集は次のような内容になっています。
◆第二歌集「黒鍵」(全篇)
◆第一歌集「熱く神話を」(抄)
◆第三歌集「家族」(抄)
◆第四歌集「射干」(抄)
◆歌論
 ・ひかがみの肉――森岡貞香論
 ・無私の明るさ――山本かね子論
 ・わが歌のリズム
◆エッセイ
 ・父と釣りの話
 ・茂吉の長崎
 ・二月の鷹・三橋鷹女
 ・江戸川の堤で
 ・風
 ・食膳には旬の食材
 ・はじめて読んだ歌集『未青年』
◆解説
 ・ハンサム・ウーマンの歌 栗木京子
 ・過剰な果実 小島ゆかり
 ・風の一族 樋口 覚


◆第二歌集「黒鍵」(全篇)より
 日常へ帰りゆくべく日ぐるまの巨き頭(こうべ)を見つつ曲れり
 野を分けて過ぎゆく風よ追いすがり溺るるほどに恋いてはおらぬ
 自恣つよきわれのひと生(よ)に俘虜となす男ひとりを先立て歩む
 磯にあそぶ二人子と君われの生(よ)に得たりしものはきらめきて見ゆ
 陽に透けてゆらぐ藻があり伊豆戸田(へた)のつめたき磯にひと日をあそぶ

 世すぎ拙なき男に添いきし日月を思いつつ午後に毛布ふみあらう
 獅子瓦売る店もあり倉敷の家並くまなく秋の日に照る
 てっぺんまで枯れてしまいし赤松が立たされている森の憂鬱
 反照のごとありしかな青年に恋われていたるかの日のわれは
 こころざし勁くあるべし秋天を群はぐれたる雁がよぎりぬ

 君の名のわが名となりて長ければ鶏血石の院を誂う
 ひめやかな心おどりに取りいだし冬に入る日の壁におくドガ
 死ぬることまだ美しき理わりと思いいし日の白きさざんか
 地に落ちて冷えしずもれる侘助の厚き花弁は手触れずにおく
 黒胡椒(ブラツクペツパー) 象嵌 琺瑯 水仙(ナルキツソス) わがきさらぎの好ましきかな

 れもん一顆ころがし遊ぶいま立ちて為すべきことを胸にはかりつ
 万緑の眩(くる)める中にて言いし嘘わかれて長くわれを縛する
 走りいでて追えど届かぬと知りてよりはや幾春を過ぎてしまいし
 素足にて踏みたる畳の冷たさを言いつつ腕に抱きとられし
 強いられて告ぐるにあらね春の野は小さな嘘も美しくする

 やぶ椿の一枝乞いきてきさらぎのわが生まれ日の卓を飾りぬ
 死後のわれ剖(ひら)かれたれば身に凝る脂肪のごとき我執あるべし
 寒ゆるぶ雨なり茶房のうちらよりみどりの魚となりて見ている
 春はやき芹ゆでている指さきの青きにおいもともに愛せよ
 抱きあうこのまぢかさにありながら見知らぬかたへ戦(そよ)ぎだす胸

 背後から抱きしめらるる昼ふけのおだまき草の細き花茎
 心がわりも戯れごとのように言い君を去る日のあるいは明日
 角を曲れば凌霄花(のうぜんかずら)の溢れいし記憶にあえるはずの空白
 夜半わたる遠雷に覚めていておとめのごとく恋われているよ
 ありったけのグラスを磨く水無月をやりすごすすべ他には知らず

 逢いたしと不意にもいぬ栗の木の花のにおいはいくばく淫ら
 夏帽子ひとつが欲しと町に来て今年はじめのつばくろに会う
 身を鎧うにただ一枚の膚(はだえ)にてわずかに魂をとどめおくなり
 告解のすべなきわが手に咲きあまる五月のバラは深きくれない
 するすると森の背後にうかびでて月は不徳の顔をとりつつ

 古代の人もふれし土かと屈むれば雨をふくみて土はにおえり
 バーボンの匂いしていし口づけの記憶はかえる葉桜の下
 境涯を嘆くにあらず花蓼を抜きて一人の歩みをかえす
 夕さりにわれは呼ばれて立ちあがる秋の彼岸の無聊のはたて
 零れやすきこころふさぐと唇を寄せくる人のわれにまだある

 荒天にかぎりなくとぶ雲みえて闌(た)けりの春はいらだちやまず
 貝の身のあかきにレモン搾りつつ春磯へこころ寄せゆくしばし
 ひとりにて海への電車に揺られゆく君に抗うゆえもなけれど
 偽りをたやすく言いて帰りくる風ある午後のこの身がるさは
 山容の片かげるなか著莪さきて母逝かしめし記憶あたらし

 遠き家の犬また鳴きだして眠られぬ春はこころもひりひり傷む

【自撰歌集】
◆第一歌集「熱く神話を」(抄)より
 血のいろにマニキュアひかる爪ながき未婚の冬は鋭(と)いまなこ持つ
 酒に灼く胸持つ君を知りてより母に告げ得ぬ暗き恋する
 太陽があかるすぎるのかもしれず口づけのときひらめく殺意
 桃ひらく春日のなかに君といて別離のための愛を誓えり
 抱かれて傷つけられしくちびるよ物食むごとに君をおもえり

 やさしみて花の季(き)を過ぐしっとりと濡れてつやめく髪梳きながら
 君よりはかなしみ多きおきふしに雨季すぎてかおるくちなしの花
 まわしゆくパラソルひとつの午後なりき葬列すぎてはげしき怠惰
 そらんじるあなたのことばふりあおぐ天空よりきてわれを縛する
 与えらるる愛待つごとくくれないのさるすべり豊かに咲きつぐ晩夏

 海の中しおからいキス 立ちあがり君はたちまち気化しゆきたり
 春たけてやわやわと我をつつみくる日常という怠惰なけもの
 やすやすと唇(くち)吸われいて目の中をさくら散るなりおのれ散るなり
 明日こそ発たんかわが日常の草むらに捨てられし斧赤錆びたれば
 この深き絶望をみよひまわりは高く枯れたる夢のなきがら

 手花火の果てし闇なり三十を過ぎてしまいし女の晩夏
 スバル座の過ぎゆく真下ひとつぶの個体となりてかじかみている
 曇天の菜のはなよりも色褪せて人を追いたる若き日もあり
 れんぎょうの黄のしたたりが眼裏にありて午睡のみだらなる夢
 いまだわが手に縋りくる子らといて不遜な母は満たされがたき

 性愛はさびしき行為いっさんにいのちの森を駆けぬくごとき
 まなじりも裂けよと見つめたるのちに訣れきにしか 蟬なきしきる
 もみしだかれて狂うほかなし三月の疾風(はやて)にしなう白き木の花
 さんさんと光りはあふれひまわりの孤立無援といういさぎよさ
 生涯をかけて忘れ果てんとす陽を追う花の無数の失意

 咲きあふれ天になみうつさくらばな満ちたることはかくもさびしき

◆第三歌集「家族」(抄)より
 今日われは鬱の日なればみなぎれる冬大根を下げて歩めり
 フェミニズムの正しさゆえの空しさが手を汚さないやつにわかるか
 ど阿呆に見えているやも尿(しと)臭きちちの布団を陽に干すわれは
 音のせぬ鎖をひきてきしわれがバラの絵柄のスカーフを買う
 駅頭に出会いてマフラー巻きやればいたく素直にほそき娘(こ)の頸

 寒がりのわたくしのため肩を抱きだまってしばらく歩いてください
 捨てどころなければ負いてゆかんとす意地にて得たるひとつ結論
 海鳴りを聴きに行こうかそのあとで泣くほどやわな女じゃないから
 思い断つは苦しけれどもこの坂をひとつ越ゆるは苦しけれども
 病む姑を置きざり出ずる病棟にオレンジ色の常夜灯みゆ

 きみをいまも閉じ込めている頑なな自由思想というまぼろしが
 賜りし聖護院大根に刃をいれてなにやら可笑しき円みを割りぬ
 寒卵のちからある黄身盛りあがりたあいなきことに足らえりいまは
 感情線のかく乱るるは淫蕩のゆえにして冬をきみと隠(こも)れる
 新聞の棋譜切り抜きて老人が寝にゆけば「嫁」のひと日が終わる

 なかなかに復路は険し頂(いただ)きをきわめしのちの女男(めお)のゆくたて
 寿福寺の草ほととぎす雨に濡れ虚子が墓石も雑草(あらくさ)のなか
 憂きことのひとつふたつはありながらさしあたり小さき傘に寄り合う
 伊勢えびの生きたるままに届きしを殺す相談遠巻きにする
 その死まで共に住むべき老人が朝からテレビをがんがん鳴らす

 遠き雷にこころせかれつついましばし腫れしははの足をさすりぬ
 ただならぬわが日常に咲きいでて去年とかわらぬ草ほととぎす
 われのもつ束縛さえも嫉ましと非婚の友が酔いて言いだす
 とるにたらぬ女の嘆きと侮りて出でゆく夫をしみじみ憎む
 五日ほど留守預けたる娘が立ち居おとなだちいてひそかに驚く

 結婚は長丁場ゆえいたずらに愛の有無など問うたりはせぬ
 恋猫の語りとだえてこんなにもふかい静かな夜でありしよ

◆第四歌集「射干」(抄)より
 おおよそは見え渡りたる人生のいま越ゆるべき堰の苦しさ
 ねじ伏せておきし悔しさ嚙みしめし歯のすきまより酔えばこぼるる
 女にも賞味期限がありまして五十を前にすこし複雑
 辛口の酒に添えたる氷頭(ひず)なます寒夜なれども気分上々
 頭骨にひびくうれしさ氷頭なますあわびかずのこ子持ちの昆布

 感情線乱れておればつくづくと素直ならざる酉年生まれ
 京湯葉の舌ざわりよし水無月の木屋町に来て酒くむうれし
 千年の思惟はいかにか頬に手をあてたる半跏の弥勒の愁い
 よき顔の帝釈天を見もあかず東寺に梅雨の雨過ぐるまで
 栴檀のむらさき揺れて昨日より今日なおさびし半跏の弥勒

 曇天に供花(くげ)ひとつかね下げてゆく肥前長崎寺町通り
 植木職の庭に紛れて咲きしかば侘助真盛りなれども独り
 ありていに言えば中年踏み迷う余地もなけれど春泥の路地
 遠い未来に必ず訣れがあることを疑わずされど日々に思わず
 夕凪の海を見ている来年の今日を約せぬ女男(めお)であれども

 女の骨は鬆(す)が入りやすく心には魔が入りやすく五十となりぬ
 射干(しやが)は鷹女の花ぞと言いてふりむけばふいに間近く君の胸ある
 かくも長き時間を肩に積もらせて救世(くぜ)観音は猫背におわす
 やわらかな空気を貯めているような春のキャベツをざくざく刻む
 嫁(とつ)がするさみしさも知らず若く死にし母と思えばなおまたさみし



久々湊盈子(くくみなとえいこ)
 昭和20年(1945)2月10日上海に生れる。小学校6年までを広島県三原市に、以後は22歳まで名古屋市近郊に住む。十代より短歌に親しみ、昭和37年(1962)「心の花」に入会。昭和38年(1963)11月名古屋、翌39年(1964)東京で開かれた現代短歌シンポジウムに参加、大いに刺激を受ける。しかし、両親が1年の間に相次いで急逝するなど生活環境の変化により作歌を中断。勤めていた船会社を辞めて上京する。
 結婚して埼玉県岩槻市(現さいたま市岩槻区)に住んでいた昭和51年(1976)頃、やはり自己表現の思いやみがたく約10年のブランクを経て「個性」に入会。加藤克巳に師事、現在にいたる。また平成4年(1992)6月には流山、川口、松戸の歌会の仲間と歌誌「合歓」を創刊。年2回の発行ながら順調に継続中。
 歌集に『熱く神話を』(82)、『黒鍵』(86)、『家族』(90)、『射干』(96)、『あらばしり』(00)、『紅雨』(04)、『鬼龍子』(07)、『風羅集』(12)がある。(『久々湊盈子歌集』裏表紙より、一部改編)

歌集『東直子集』を読みました。

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今日、歌集『東直子集』(03)を読み終えました。
この歌集は概ね以下のような内容になっています。
 ◆短歌
  ・第一歌集「春原さんのリコーダー」(96)
  ・第二歌集「青卵」(01)抄
  ・「青卵」以後
 ◆散文
  ・かたち
  ・モノローグのめぐりに
  ・草かんむりの日々に
 ◆東直子論
  ・ナオコ・ゴー・ラウンド(藤原龍一郎)

以下、一読して気になった歌を引用します。

◆第一歌集「春原さんのリコーダー」より
 ひやしんす条約交わししゃがむ野辺あかむらさきの空になるまで
 たった一つの希(ねが)いを容(い)れた胸蒼くかたかたと飲むアーモンド・オ・レ
 思い出を汚してもいい きつくきつく編んだみつあみゆうやけのドア
 おばやんの笑った顔に光る銀 闘鶏神社に熊蟬が鳴く
 切れかけの蛍光灯のまばたきの蕎麦屋しんかん真夏真夜中

 台風が近づいている ささくれの指をガラスにおしあててみる
 「そら豆って」いいかけたままそのまんまさよならしたの さよならしたの
 おとがいを窪みに乗せて目を開く さて丁寧に問いつめられる
 九州のかおりほのかな眉上げて「ずいぶん迷ってたどりついたよ」
 陸にあがったくらげ見つけにゆくように出かけていった心かえらず

 違うのよ ふゆぞら色のセーターににわかにできる毛玉のような
 後悔が残るくらいがちょうどいい春あわゆきのほかほかきえる
 転居先不明の判を見つめつつ春原さんの吹くリコーダー
 夜が明けてやはり淋しい春の野をふたり歩いてゆくはずでした
 雪が降ると誰かささやく昼下がりコリーの鼻の長さひとしお

 ほほほほと花がほころぶ頃のこと思い浮かべてしまう如月
 まっすぐに霜の柱がのびている夜にことりと動いたこころ
 三月の娘の胸に取りついたインフルエンザは感情的で
 永遠と虚数ほどよくまじり会うスパイス入りの紅茶のぬくみ
 ゆびさきに桃の花などぬりこんである人物に会いにゆきます

 春風はいつも強くて強すぎてなんもかんもがめちゃくちゃになる
 車体ごとゆらりと傾ぐわたしたち大事にしているものみな違う
 夕やけの色の野花のお茶を飲む 許す許さぬやがては一期
 初夏(はつなつ)の光の降りる背中あり恋遠ざけて草木を植える
 夏至ならば出かけませんかゆらゆらとしんとうれしい夜の散歩に

 長い間好きだった人の破れ傘しみじみ見つめしんみり楽し
 いつまでもですます調で語り合うわたしたちにも夏ふりそそぐ
 よい人とよい街にゆきよい花を育ててしんしん泣いたりしてね
 冬の間ゆっくりさめてゆくために海へゆこうと思っています
 真昼間の熱あきらかに残る夜にうなづきながら受けるくちづけ

 尾をたてて笑う小犬に囲まれる帰ろう帰ろうどこへ帰ろう
 じゅっと燃える線香花火の火の玉の落ちる速度で眠りましたよ
 ん、と言ったきりの沈黙そのあとは気持ちよさそに笑うばかりで
 西の空にすいこまれてゆく友人が残していったさめない微熱
 少し遅れてきた人の汗ひくまでのちんちろりんな時間が好きよ

 いたのって言われてしまう悲しさをでんぐりがえししながら思う
 「…び、びわが食べたい」六月は二十二日のまちがい電話
 いつぞやは うつむきながら笑いつつはにかみながら梨を分けたね
 多武峰(とうのみね)におられる神よ紅のZに乗りて下山されたし
 おもかげを顎に残している人ときれいに積まれた石道をゆく

 らんたんを下げて夜道をゆくようなはじめて踏みゆく道のたのしさ
 さよならはさようならばとこちらから太い綱切る気迫にも似る
 信じない 靴をそろえて待つことも靴を乱して踏み込むことも
 のんびりとふえてゆくのが愛ならばシャーレの蓋は少しずらして
 卵黄のゆるゆる流れてゆくようにあなたの恋ははじまっている

 予感といううすいふくらみ唇をぬらしてアプリコットをかじる
 「九月まで」言いかけ口をつぐむ君 祭りのような日々のさなかに
 一度だけ「好き」と思った一度だけ「死ね」と思った 非常階段
 その人はプラットホームの向こうで笑う 白いタオルのようなうそつき
 膝がしら四つ並べた峠にて はるかはるかに岬出る船

 言いわけはもっと上手にするものよ(せいたかあわだち草を焼きつつ)
 冬近し 朱色の月も浮かんでてほんとほんのり呆けていたい
 鈴の音の激しい夜に一つずつ解かれ私はあいまいになる

◆第二歌集「青卵」抄より
 椅子の背のもように風がしみてゆく海をうつせばつめたきまぶた
 洋梨にナイフを刺せば抱擁の名残りのように芯あたたかし
 肉親が集いて青い魚を食む ひからびてゆく百合を背にして
 まだ眠りたかったような顔をしてじゃあもう帰る、かえるねと云う
 手紙たくさん書くさびしさを愛と呼ぶつがいのナイフ水に沈めて

 ひまわりの擬態を一晩したままであなたをここに待っていました
 「久しぶり」と言うときはみなまぶしそう終わったことをぽつりと語る
 アナ・タガ・スキ・ダ アナ・タガ・スキ・ダ ムネ・サケ・ル 夏のロビンソン
 電話口でおっ、て言って前みたいにおっ、て言って言って言ってよ
 一折のくず餅下げて会いにゆく そうですねえと答えるために

 今そばに居るひとが好き水が産む水のようだわわたしたちって
 靴下はさびしいかたち片方がなくなりそうなさびしいかたち
 ただいきているだけでいい?こんなにも空があおくて水がしずかで
 帰らうねもう帰らうね海に降る雨を見ながらずつと見ながら
 また眠れなくてあなたを嚙みました かたいやさしいあおい夜です

 喧嘩喧嘩セックス喧嘩それだけど好きだったんだこのボロい椅子
 海に魚ねむりて遠い声をきく〈わたしの鈴を探してください〉
 ああもう、どっちでもいいって思ってた黒いスウェットむぞうさに着て
 遠くから来る自転車をさがしてた 春の陽、瞳、まぶしい、どなた
 とうすみのとぶ庭にいるわたくしにあなたは赤い質問をする

 うすい塩味の生き物とけてゆく雪ふる夜のふたりの胸に

◆「青卵」以後より
 寡黙なる人のくちびるやわらかし左手で脱ぐ黒いくつした
 だいじょうぶ、と無責任に言っているわたしを恨んでいいよ、あめゆき
 ここで泣いた。思いだした。生きていた。小さな黒い虫になっていた。

「SEAL」のショルダーバッグが届きました。

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トラベルミニショルダーバッグ~休日や旅行先でも重宝する、使い易いサイズのショルダーバッグ。パスポートやロングウォレット等もゆったりと入る大きさでサブバッグとしても大活躍します。網ポケットやペンホルダーなど、多彩な収納で荷物の小分けにも便利です。ファスナーポケットはメイン収納、サブ収納も含めて6つ搭載しており、防犯性にも長けています。シンプルなフォルムでスタイルを選ばすに使用でき、表面のタイヤチューブが水や汚れからバッグを守ります。このトラベルミニショルダーバッグは、一個辺り約840gのCO2が削減されます。(「SEAL」HPより)

先日《猫島人》さんから、「SEAL(シール)」というバッグのブランドを紹介していただきました。タイヤチューブを使ったユニークなバッグだったので、さっそくネットで調べてみました。で、とても使いやすそうなショルダーバッグがあったので注文し、今日自宅に届きました。
◆購入したショルダーバッグの製品名は「トラベルミニショルダーバッグ」といい、ファスナーポケットがメイン収納、サブ収納も含めて6つもあり、とても使い勝手がよさそうです。財布やスマホ、文庫本、コンデジなどを入れ、普段使いや旅行などに役立てようと思います。
 ただ、一点だけ気になることがあります。ゴムの臭いです。そのうち消えるのでしょうか? それとも、慣れれば平気になるって感じでしょうか?
◆「SEAL」について(「SEAL」HPより)
 リサイクル(廃棄物の商品化)をコンセプトとしたブランドです。耐久性に優れた「大型車用廃タイヤチューブ」をメイン素材として使用し、バッグやショルダーバッグ、メッセンジャーバッグ、小物を開発しております。
 タイヤチューブはリサイクル材の為、一点一点微妙に表情が異なる世界で一つの製品です。モノにこだわりがある人、他の人とはちょっと違うモノを持ちたいと思う人、そんな人達の為のブランドです

久々湊盈子歌集『風羅集』を読みました。

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今日、久々湊盈子(くくみなとえいこ)の第八歌集『風羅集』(12)を読み終えました。
第七歌集『鬼龍子』(07)以後、2007年の夏から2012年春までの作品の中から選び、ほぼ制作順に収められています。彼女の62歳から67歳のときの作品です。

以下、一読して気になった歌を引用します。


 今昔をいまさら言うな一日を咲ききって底紅の木槿が閉じる
 言うべくもなきさみしさに拾いあぐ一日花の白花むくげ
 まだ明けぬ梅雨を嘆けば忍冬(すいかずら)、くちなし、素馨(そけい)しるく匂える
 聞かぬふり見ぬふりすれば居心地のよきところなり猫が欠伸す
 眦(まなじり)にぽちりと朱を入れ宵山の匂うばかりの少女となりぬ

 あの子が欲し、とひとりずつ取られて夏の宵嫌われっ子のわれのみ残る
 女にも一分(いちぶん)ありと言いたげに紫桔梗がぱっちりと咲く
 昨日の敵は今日も敵にて慇懃に「ごきげんよう」と言いて別れ来
 フェミニズムってこんなことだっけ朝のみの女性専用車両が走る
 右に左に日差し移りて蛇行する新京成に寝て覚めて寝る

 吊革につかまる少女の臍ピアスわが目の前におのれ主張す
 形状記憶の枕にのこるわたくしの頭のかたち少々いびつ
 青年ダビデの裸像にひとすじ差すひかり愛してると誰にも言いしことなし
 猫でいることも悪くはないぜと目を細めシロ、三毛、トラが冬の日だまり
 男も歌も毒がなければつまらない意地はって珈琲はブラックで飲む

 囚われの王妃のごとく背のびして冬バラいちりん垣内に咲く
 六十三回めの誕生日きてつつがなくきさらぎ十日の梅が咲(わら)いぬ
 時間が見せてくれるものあり傲岸な男の背にも老いが積もりて
 朝戸繰りて声をあげたり雪というはかく簡明に心おどらす
 身のうちに癌を育てている人と真向えり暖かな冬のカフェテラス

 缶ビール一本買って乗る「のぞみ」曇りの今日はあってなき富士
 濁声(だみごえ)に鳴かねば品(しな)よく姿よき尾長の群れが町よぎりゆく
 花終えてしんと無骨な梅の木を夜更けて生絹(すずし)の雨が包めり
 木には木の思想がありて絶対の孤独を愛すメタセコイアは
 妻という字は毒に似ているさえざえとヤマトリカブト甕にあふれて

 とりわきて今年重たげに花持ちし真椿の瞋恚(しんい)に近寄るなゆめ
 葉ごもりに八重の椿はふたつみつ墓苑しずかに春雨となる
 日常茶飯事なにより大切とどきたる竹の子はともかく茹でねばならぬ
 昨日から出てゆかぬ憤りがさざなみのように寄せては胃の腑を噛むよ
 五月きて他人の庭に見てあるくクレマチス良し牡丹なお佳し

 一期の恋という切なさに緑濃き庭にすっくと海芋(カラー)がひらく
 夏のくる速度しだいに早まりて五月取り出す鍔広帽子
 わが庭に来て三年目ようやくに目が覚めたるよとヤマボウシ咲く
 もう疾うに時効となりし愛恋の記憶のごときブナの切株


 不機嫌な猫が重たき目をあけて耳を立てれば秋となるなり
 じじ、と鳴き仰のけに足掻く落蝉に間なく来るべし無という時間
 笊に盛るおぼろどうふの不定形かたちなきことほのあたたかし
 恋しさと背中合わせの人嫌い郁子(むべ)は熟れても口を開かざる
 去年死んだ人の数だけ咲くという雨の墓苑の白玉椿

 散りぬるをわが世たれそと思う間に八重の椿も落ちつくしたり
 咲く花は散る花にしてさざんかの風のままなる落花狼藉
 わびすけは微熱ある花ぽっとりとまたひとつ落ち墓苑あかるし
 桜餅は葉ごと食むべし一人寝のなみだのように鹹(しおはゆ)き葉を
 天人唐草いかなるはずみに蔑されてイヌノフグリと呼ばれて青む

 芍薬の十本ほどが立ちそよぎ猫のひたいも五月となりぬ
 定家かずらの垣の内より洩れてくる素謡(すうたい)を聞く傘かたむけて
 何気なく蹴りたる小石また蹴りて郵便局までともにゆくなり
 濁声の尾長、くぐもり鳴く土鳩夏ふけ午睡のわれを覗くは
 明日行かん海のため夜更けペディキュアの匂いさせいき眠りそびれて

 足早にすぎし一夏の形見とし手に巻く慶州(キョンジュ)の紫の石
 身体という容れものを借りているたましいひとつ たましい老いるな
 合歓の木に冬の雨ふりさびしさは黙っていたって時が連れくる
 山茱萸を素焼きの甕に投げ入れて明るむ三和土(たたき)あすから弥生
 春だ春だと囃すごとくにミモザの黄、山茱萸の黄、金雀枝(えにしだ)の黄(きい)

 ダンスはうまく踊れないからラフロイグの重たい香りをオンザロックで
 ユリノキにみどりの花の開くころとりだすピケの鍔広帽子
 人に言わず過ぎきし恥も座をつなぎ笑い話にする齢となる
 界隈に明治の空気残りいて本郷菊坂なつの日盛り
 桃売りの軽トラがいちにち停まりいし日陰に桃のにおい残れる


 ゆきあいの空となりたり虫干しの結城紬を風が抜けゆく
 新しき老眼鏡にてカマドウマの触角などもつくづくと見る
 すさまじき月夜となりて露出する悪事、劣情、妬心そのほか
 片足を蹴上げし蔵王権現の憤怒の形まなこを去らず
 マーラーは今日の気分に重たくて大沢悠里で外環をゆく

 北風に乗りくるセシウム西風に乗りくる黄砂 渺々たり春
 震度4くらいではもう驚かず夏がけ引き寄せ寝返りを打つ

『春日真木子歌集』を読みました。

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今日、『春日真木子歌集』(97)を読み終えました。
この歌集は概ね以下のような内容になっています。
 ◆歌集
  ・「野菜涅槃図」(95、全篇)
  ・「北国断片」(72、抄)
  ・「火中蓮」(79、抄)
  ・「あまくれなゐ」(  、抄)
  ・「空の花花」(抄)(87)
  ・「はじめに光ありき」(抄)(91)
 ◆歌論
 ◆解説

以下、一読して気になった歌を引用します。

◆第六歌集「野菜涅槃図」(全篇)より
 冬虹の孤はふかきかな夫在らぬ空間ふいにあらはとなれり
 たましひは虹の彩なしのぼりゐむ冷ゆる大地にわれは身を置く
 虹消えてふたたびひろき空のもとありありとわれのうしなひしもの
 あかるくてくらき供華(くうげ)の花明りこよひも花を死とよみたがふ
 洗ひ髪肩にさらさら亡きひとのぬき足さし足素通りゆけり

 生きゐし日の名前に冠するソフト帽「故(こ)」の文字すこし崩して書かな
 さよならの数々いひて歩みいづ春泥ふかき肺腑を揺りて
 紅(こう)ほのか梅ににじめる今朝の雪帷子雪(かたびらゆき)とぞ亡きひとにいふ
 とらへどころなき寂しさに口噤み菜の花ばたけに爪たちてゐる
 水底に敷ける黄枯葉朱(あけ)枯葉いまだ葉先のとがる濡れいろ

 果無(はてなし)の山脈(やまなみ)尽くる金輪際かすかにひかり夕澄みてゐる
 一足ごとに汗垂り峰を越えしとふ櫂のごとくに腕(かひな)振りけむ
 友禅を裁ちたる鋏打ちならし夫の白髪切り揃へたり
 大晦日看護(みとり)の暇の二時間をひりひり奔る北斎展へ
 大根をめぐりて青菜 茄子 西瓜 介護あかるく野菜涅槃図

 聖き夜のポインセチアの緋を食む家猫の舌寒くありけむ
 爪木崎 越前岬 黒岩郷 刹那のひかり水仙のよぶ
 ひともとの梅のさかりの長ければ向うの藁屋を浮き立たせけり
 遠き眼に遊びてながき眼差しやモアイ石像さながらの夫
 大輪の菊のうなじの廃(すた)るるを克明に映す硝子戸のあり

 一歩また一歩離(さか)れば呼ばふこゑ白き光のなかのわが富士
 十六夜の月わたりゐむひそまりに耳ひらくなり山の茸(くさびら)
 あたたかき思ひは崩る牡丹をはなるる花びら残るはなびら
 花のなきながき花柄のゆれやまぬチューリップ畑に空虚みてをり
 励まして夕風のなか吹かるるは蓼のくれなゐ夫の痩脛

 ニーチェ風に押し黙りたるいちにんに朱の夕日のしばしうつろふ
 まろまろと月添ひにけり柿若葉百の葉ゆれて白色白光(びやくしきびやくくわう)
 ひとつの枝の揺れ定まらず返り咲くあぢさゐの毬いろ二藍(ふたあゐ)に
 掌より掌へわたりて猫の体熱がつかのま夫婦を繋ぎてゐたり
 うながされ振り返りたる夕窓にひらききらざる紺の侘助

 みんなみの朱欒売るこゑ立春の四温の町を賽の目にせり
 ながきながき尾長の叫びにまた昏るるせつぱつまりてぬく息もなし
 もうなにもなし得ずなりて花籠のちひさき花を挿しかへてゐつ
 風に濡れ光に濡れて重たかりわが身ひとつのここに在ること

◆第一歌集「北国断片」(抄)より
 妻なりし過去もつ肢体に新しき浴衣を存分に絡ませて歩む
 児の成長に関わりて生きよと云われし夜牛蒡の粗きささがきを造る
 咽喉赤くはらしたるまま冬に向う土甕の中に甘酒をかもして
 花の種子をマッチ箱に貯め春を待つ病みあとの子のうぶ毛が白し
 麦の畝、芍薬の芽、絵の具皿跳び超え来り猫の腹ぬくし

 目に見えぬ敵いつも多く過しいて閃めかす赤き舌をも持てり
 首ながき真紅のガーベラ下げもちて妬まぬ時の歩みはかろし
 淡き雪散らして過ぐる風妊れぬわが哀しみも清く伝えよ

◆第二歌集「火中蓮」(抄)より
 未生なる子を匿まふやさくら木のひかりの縁(ふち)にわれは疼けり
 にくしんの男(を)のみどりごの眩しきを仄か誤謬のごとく受けとむ
 乳といふ血よりも濃きを吸ふ口の今宵すこしく花明りせり
 ひと匙の粥をふふめるみどりごと今朝にんげんのかなしみ頒つ
 たましひよりやはらかく来てわれの背に重みましゆく汗のみどりご

 てのひらの縁(ふち)より皿の辷りゆきふゆのまひるを眩しくしたり
 さくらさくら藍に妖しき発色の皿にわが身の炎こぞれり
 なびくともひるがへるとも天涯にただいつぽんの欅は立てり
 冬皿にほとりと梅の核(たね)を吐く小さき命は唐突にくる
 フラスコの気泡ふつふつ浄らにてひとりあそびの胎児のつぶやき

 陽の匂ふ白壁に来て伸びあがる己れの影に審かれてをり

◆第三歌集「あまくれなゐ」(抄)より
 沙羅の花こぼるる白のひろがりに離合のこころしばし忘れむ
 身を分けて椿は咲かすくれなゐを逆映しつつ沼面に見合ふ
 倖せを還しては得る鮮烈か ふるへつつルドンの罌粟を抱けり
 傘ふかく擦れちがひたるのちおもふ仏の唇(くち)も朱かりしかな
 わが凜(さむ)きてのひらのなか黒盌(くろわん)にしろがね曳きて星ながれ入る

 空渡る身のあくがれは鶴首の壺の咽喉(のみど)に罅を入らしむ

◆第四歌集「空の花花」(抄)より
 いつしかに父を追ひゐて辿り来し滝ありて滝のひかりに対ふ
 樹木となり石となりゆく母が身を触れ得るかぎりてのひらに撫づ
 紅梅の枝のあまねくしんとして天より享けむくれなゐを待つ
 死を告ぐるこゑのうしろの蟬しぐれ受話器おきたるのちひろがれり
 雨はれし入江に舞へる鳶の輪の全円閉づるまでを仰げり

 昆虫図鑑ひらかれしままの日ざかりを短くなきて木を移る蟬
 とりとめもなき日の路地にさるすべり薄き夕日をはみいで咲けり
 ふかき雪かいくぐりこし屈折に林檎樹のひくき枝は波うつ
 冬のひかりしろくながれてリトグラフの疾駆の馬を逸らせてゐつ
 火の匂ひ 水の匂ひのなき家にガストン・バシュラールわれは恋ふなり

◆第五歌集「はじめに光ありき」(抄)より
 一歩踏み一歩をなづみ限りなしザボンの内側のやうな一日
 〈己(おのれ)〉とふ象形文字のほぐれつつ蛇となりたりわれはいづくへ
 天上の風すずしきをまとふにや李朝水滴の桃愛らしも
 一打せば思ひ余れるくれなゐの露滴々とこぼす紅萩
 今年まだ夕焼を見ず路地のうへ高枝さびしき白さるすべり

 気負へるも抗せざりけり蚕豆の莢をかぶれるやうなまひるま
 玉のごとき息吐きにけむ暁の繁みに雉の澄めるひとこゑ
 牛の眸(め)の朴なる潤みにむかひゐてしばらくわれは草いろとなる
 楽の音につれてたゆたふ少女らを彩(いろ)かろやかにピアノは映す
 ドビュッシーを聴けと云ひゐて逝きたまふ音盤の渦ほどけやまざり

 過ぎしもの絶えにしものを問ひながら吾(あ)と同年の木の橋渡る
 いなびかり生簀に溢れ一斉に烏賊曼陀羅となりてまぶしも



春日真木子(かすがまきこ、1926年生まれ)
 歌人。歌誌『水甕』代表。尾上柴舟系の歌誌の親睦団体「柴舟会」会長。
 鹿児島県鹿児島市生まれ。父は歌人・松田常憲。千代田女子専門学校(のちの武蔵野大学)に入学するも戦争のために中退。三井鉱山の人事部に勤務する。
 父の指導で短歌を始め、1955年に歌誌『水甕』に参加。1958年から1972年まで札幌市や苫小牧市に在住。1975年より編集委員、のち発行人、2003年代表。1957年、水甕新人賞受賞。1973年、水甕賞受賞。1980年、歌集『火中蓮』で第7回日本歌人クラブ賞受賞。1991年、歌集『はじめに光ありき』で第13回ミューズ女流文学賞受賞。2005年、『竹酔日』で第41回短歌研究賞受賞。2016年、『水の夢』で第7回日本歌人クラブ大賞受賞。娘の春日いづみ(1949年生まれ)も歌人。

小島なお『乱反射』を読みました。

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小島なおの第一歌集『乱反射』(07)を読みました。
この歌集について、「あとがき」から一部引用します。
 わたしの初めての歌集です。
 十七歳から二十歳までの作品二七四首を収めました。歌のこともこれからの自分のこともわからなくて、とても不安ですが、十代の自分の心を歌集として残しておきたいと思いました。それは、孤独や不安というよりも、むしろ、自分が生きている世界のぼんやりとしたあたたかさや、同じ時間を生きているものたちの不思議な親しさ、懐かしさといったらいいでしょうか。言葉ではうまくいえませんが、今はそういうものが大切に思われます。

以下、一読して気になった歌を引用します。


 東京の空にぎんいろ飛行船 十七歳の夏が近づく
 中間試験の自習時間の窓の外流れる雲あり流れぬ雲あり
 講堂の渡り廊下に藤棚のこもれび揺れて午後がはじっまる
 黒髪を後ろで一つに束ねたるうなじのごとし今日の三日月
 霧雨のあたたかく降る夜ふけてわたしの体かぐわしくなる

 制服のわれの頭上に白雲は吹きあがりおり渋谷の空を
 特急の電車ぐわんとすぎるとき頭の中でワニが口開(あ)く
 公園の電灯強き土の上花火のあとを甲虫這う
 ベランダに風呂桶置いてめだか飼い知らないうちにいなくなった夏
 講堂よりオルガンの音もれるとき秋はゆたかな深呼吸する

 黄金虫あきのひかりをつややかな背中にあつめ草にしずみぬ
 ぼんやりと季節濃くなり傘がいるようないらないような雨の日
 建物の隙間に見える夜の空わたしのからだ垂直に飛ぶ
 みずたまりに近づくたびに携帯電話(けいたい)のストラップの鈴ひびいていたり
 木の枝をテニスラケットで揺らしては雫を落とす体育のあと

 カーテンを通して入る十月の陽は風景を遠くしてゆく
 西日強く君の首すじ照らすころ青山通り歩いて帰る
 やきそばを二人で食べた十月の上野公園ひるの三日月
 飲食店のうらを通れば紺色のセーターに沁みるけむりのにおい
 まひるまの熱をゆらりと残しつつ秋のゆうべは水の気配す

 木もわれも影ながくながく伸びるとき 細いまつげが映える夕焼け
 なつかしい場所のようなる図書館へサマセット・モーム借りにゆく夕
 みあげれば空いちめんのうろこ雲 秋は巨大な魚となりぬ
 金木犀のにおいを浴びてのぼりゆく坂の上にははるかなる君
 鏡には十八歳のわれがいてわれは自分の脚ばかり見る

 思い出はいつでも同じ風景でうさぎ小屋にはキャベツの匂い
 おはじきをなめる子供は無表情 硝子の味はすごくさびしい


 暗闇に椅子置かれあり一脚の椅子であるという自意識もちて
 夏空へ黙って階段のぼりゆく逆光まぶしくきみが見えない
 つつじの花見ればなつかし 陽のにおい われは重たきカメラとなりぬ
 水鳥園閉まった柵からのぞきみる昼より美しい夜の白鳥
 パイナップル食べ終えた後のまぶしさよまあるい皿に五月のひかり

 書きかけてやめた手紙を想うとき切手の中の砂丘をあるく
 ねがえりをうつたび耳は柔らかしとおくに聞こえる合唱の声
 観覧車の向こうの夕焼けみつめている君の髪を吹く七月の風
 さみしくて貝のような息をして 瞼に君を閉じ込めてしまおう
 右足で左足を砂に埋めている。まだ少しさむい海にきている。

 夏の曲口ずさみながら思い出す同じ映画を三度見た夏
 はち植えの観葉植物かかえつつ深く眠れる地下鉄の人
 空色のジーンズはいてとおり過ぐゆきやなぎの花群れ咲くそばを
 言いかけたことばやっぱり言わなくていい、どしゃぶりの音がしている
 最終の電車は不思議な匂いしてたとえば梅雨どきすぎた紫陽花


 鮮やかな黄色日差しを照りかえしそれゆえ孤独 ゆらりひまわり
 ひとりみた夕焼けきれいすぎたから今日はメールを見ないで眠る
 髪の毛をしきり気にするきみの背の高くて向こうの空が見えない
 『ノルウェイの森』読み終えていま家にいるのがわたしだけでよかった
 十代にもどることはもうできないがもどらなくていい 濃い夏の影

 地下鉄に眠る少女の黒髪に陽のにおいして八月終わる
 うつぶせにねむればきみの夢をみる夢でもきみはとおくをみてる
 後頭部を午後のひかりに照らされて温水プールにひとり泳げり
 もうあまり会わなくなったきみの傘も濡らしてますか今日の夕立
 季節すぐ移り変わって冷蔵庫ひらけば深い静寂がある

 坂道をのぼる間の沈黙に相手を深く想う夕暮れ
 大学の廊下ひとりで歩きつつ自意識が強くなってゆきたり
 吐く息が白いかどうか確かめているうちにきみをまた思い出す
 椿の葉陽を照りかえし照りかえしあまりに遠し死ぬということ
 カン・ビンのごみを抱えてみあげれば今宵の月は船のようです

 また爪の半月ほどの後悔をしてゆくだろうきっと明日も
 予定のない日曜の朝はけだるくて日差しの溜まるソファーにすわる
 ぶらんこのゆれいるような春くれば窓という窓きらきらとする
 タクシーの車体をぐんぐん流れてく五月の空と雲とその影
 陽炎のようにあじさい揺らめいて今日の夕日はゆっくり沈む

 思い出す人あることの幸せは外側だけが減りゆく靴底
 まだ知らぬ世界があってただ今はわれのからだに夏満ち満ちる
 合唱の声とおくから聞こえつつ百葉箱に降る夏の雨
 金木犀雨にぬれいてやわらかし何度も何度も見たこの景色
 ほしいものがありすぎて少しあきらめて落ちてる柿の数を数える

 樹の影もわたしの影もながくなり小さなことで泣けてくる秋
 すっぽりとタートルネックを着たわれはきみに気づかぬふりをしている
 たくさんの人がたくさんのお願いをしている真上 大きなる月
 この部屋に差しこむ冬陽くらくらといるはずの猫みつからない午後
 お互いをまだ少ししか知らなくてきみとわたしを照らす太陽

 変わりゆくいまを愛せばブラウスの袖から袖へ抜けるなつかぜ
 低音でゆっくり話すきみの声アルペジオのように夏が昏れゆく
 ゆらゆらとくらげふえゆくこの夏もビニール傘はなくなっている
 関東に台風近づく朝八時友とふたりで黙ってあるく



小島なお
 1986年東京都生まれ。93年から94年まで父親の仕事の都合でアメリカに住む。歌人である母親(小島ゆかり)の手伝いをしていて、短歌に興味を持ち、日経歌壇に投稿をはじめる。2004年、第50回角川短歌賞を受賞。(後付け「著者略歴」より)

久々湊盈子歌集『鬼龍子』を読みました。

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今日、久々湊盈子(くくみなとえいこ)の第七歌集『鬼龍子』(07)を読み終えました。
タイトルの「鬼龍子」(きりゅうし)について、「あとがき」の一部を引用します。
 鬼龍子をはじめてみたのはもう二十年近く前のこと。茨城への小旅行の帰りに立ち寄った水戸の弘道館の一隅であった。庭には蠟梅が咲いていたから、早春のまだ寒い日であったと記憶する。ガラスのケースの中になんとも妙な一対の動物が前足を揃えたかたちで置かれていた。説明書きが付いていたかもしれないが、その動物の置物が、というより「鬼龍子」という名前がわたしはとても気に入って帰ってから早速にに調べてみた。広辞苑によると「中国・朝鮮建築の降棟(くだりむね)に立てた、龍の子を模した瓦製の怪獣。走獣」とある。
(中略)
 御茶ノ水駅から歩いて数分のところに湯島聖堂がある。夫の実家が神田明神のすぐ近くにあったからわたしにとっては馴染みの深い界隈なのだが、その聖堂の大成殿、緑青のふた銅版屋根の流れ屋根の四隅に鬼龍子は鎮座していたのだった。斯文会から出ている図版によると、「形態は狛犬に似た姿で、顔は猫科の動物に似ており、牙を剥き、腹には鱗があり蛇腹・龍腹」となっている。これは想像上の霊獣で、孔子のような聖人の徳に感じて現れるのだという。この鬼龍子の面構えのよさ、特に湯島聖堂のそれは肩を怒らせて今にも飛び掛からんばかりに見え、孤立とか孤高といった風情がなんとも忘れがたくていつかは歌集のタイトルになってもらおう、と執着してきた。

以下、一読して気になった歌を引用します。

 渡来種の大きザクロがざっくりと口開けており嬉しくもなし
 フルボディのワイン揺らしているうちにかけがえのなき若さも失せつ
 ひと生(よ)思えば不覚いくたびイイギリの真っ赤な房が秋の日に照る
 もう戻ることなき若さ背後から蹴りあぐるごと百舌が高鳴く
 死を誘うほどの快楽(けらく)にまだ遇わず櫨の紅葉は芯から赤い

 雨後の垣根にさざんか白しふるさとに七人家族でありしよ昔
 秋深み立ちなおりゆくつわぶきの折目ただしき緑を好む
 関東に住まいするまで知らざりし榠樝(かりん)という実のいびつな黄色
 世を拗ねてごつごつ肩を怒らせる依怙地な榠樝に鋭刃(とば)を入れたり
 一茎の白菊にもおよばぬこころざししぐれて天下は秋となるらし

 書きさしてすすまぬ手紙 ひい、ふう、み、垣のさざんか初花ひらく
 四国三郎見下ろして立つわが友の墓辺の草も紅葉せるころ
 ふたごころなしとは言わず渋柿に焼酎かけてしっかりくるむ
 眠り来よ眠り来よとぞ待つうちは眠り来ず八手を打つ雨の音
 手びねりの志野碗に盛る赤かぶら天地いっせいに冬となる夜

 ワトソン博士が緻密にメモせし物語風邪熱の子をひと日慰む
 寒風の辻に立ちいる自販機に熱きスープあり蠱惑(こわく)の小豆汁粉あり
 遠方に地震(ない)ありし日や公園のオカリナ日暮れてまだ聞こえくる
 泥田より片足を抜きながきながき思索に入りぬ冬の青鷺
 憂鬱とすらすら書けし頃過ぎて老いというユウウツに入りゆくなり

 否定語ばかり並べてた頃かぎりあるひと生(よ)のうちの青き十年
 「狂ってますね」慇懃に言い裏ぶたを開けられてゆくわが古時計
 いずれ一壺に納まるいのち目を細め鮟肝などをほれぼれと食う
 昔から温湯温燗(ぬるゆぬるかん)きらいにて手組みの帯締めきしきし結ぶ
 山茶花の花の遅さは情の濃さほつりほつりと葉陰にともる

 たとえようもなき悲哀が向こうからやってきてがんじがらめなり 雪の朝なり
 くれないの芍薬の芽の直情を三月の気ままな風がなぶれる
 二十万の戦没死者の碑を前に想像力がまだ追いつかぬ
 かんたんにわかってはいけない暗闇を出ずるなく自決を選びしこころ
 琉球ガラスの濃藍に残る気泡にも閉じ込められし時間が見ゆる

 風景は遠くより風を運びきてわれを揺さぶる 若夏(うりずん)という
 紅を地に捨てやまぬ山茶花の長き花季すこし疎まし
 気丈な友の気丈なメール目に痛し「膵臓に転移す」いと簡潔に
 息子の家、娘の家というがあり家族にて家族にあらざる距離に
 びび、びび、と真夜のメールに新しき命来たりぬ「母子とも健康」

 知力身力おとろえやすき夏ふけの軒に下がりて糸瓜ふとぶと
 言葉には言葉の匂いとりわけて人を恋しと書く夏の夜は
 のうぜんかずら朱くなだれて夏の日の記憶の中ゆく母のパラソル
 へきえきと夏をおりしが紫の花序あたらしき葛が咲きだす
 言い難きことは言わねばならぬこと積乱雲がみるみる育つ

 雨にふとり陽に太りして苦瓜の下がるは夏のまなこに嬉し
 鳩尾のぞよよぞよよとする気配ややにおさまり還暦となる
 濃紫の花菖蒲咲く泥の田を好みて生い立つわけもあるべし
 判断につまりしときは阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみやくさんぼだい)と三度唱えよ
 まかりでて最後の向上申すべくつくつく法師殻を脱ぎたり

 さびしさに理由などなしつわぶきに足長蜂がまつわるばかり
 ご法度となりし焚火をしてみたし煙は美女が好きよと言いて
 うちそともなき干物となりて浜風に真蛸千枚ひるがえる昼
 「また明日」少女が手を振るさざんかの小道にたしかに明日は来るか
 列島まるごと冷え緊まる夜ひしひしと迫るは寒気のみにてあらず

 ランゲルハンス島衰えし彼奴に愛こめて未必の故意なる旨酒贈る
 時間をつぶすという贅沢をせりひさびさに日比谷公園噴水のまえ
 落葉松を見にゆく約束そのままに死んでしまいし薄情なやつ
 死にゆくはみな他者にして悔やみ文このごろうまくなりたり さびし
 平盆に伊右衛門、みかん、クラッカーきょうは不貞寝と決めし枕辺

 ささくれが痛くてならず人間は指一本で不幸になれる
 心変わりなどせぬから去(い)ねと一言主神社の樟に諭されてくる
 槻の木の秀枝(ほつえ)がしだいに力得て空を掴めば春が来るなり
 望むなら食われてやらん鬼龍子の長き孤独にまた会いに来つ
 郁子(むべ)、木通(あけび)、苦瓜、糸瓜、蔓ばかり伸びて今年の梅雨長っ尻

 ほんとうに愛していればアイシテルなんて言わないつわぶきの花
 セルロイドの風車ほしくて泣きし日よ風吹く春の村の祭りに
 花言葉は「気立てのいい娘(こ)」という桃が開きそめたり苑の陽だまり
 ちいよちいよ恋の季節の鳥ふたつこんもり八重の椿の葉かげ
 叶うならキリン飼いたしわれに見えぬ明日を眺めて鳴かず動ぜず

 いつわりのなき勢いに伸びあがる入道雲の真白きちから
 月桃(げつとう)もデイゴも終りしんとせるどの細道も海へゆくみち
 人忘れ愁い忘れて碧瑠璃の海にひとつぶの身を浮かべたり
 苧麻(ちよま)白地経緯絣(たてよこかすり)八重山の夏陽に晒す布やわらかし
 老いというやっかいなもの近くなり夏くればみんなみの海を恋おしむ

小島なお歌集『サリンジャーは死んでしまった』を読みました。

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今日、小島なおの第二歌集『サリンジャーは死んでしまった』(11)を読み終えました。
この歌集について、「あとがき」の一部を引用します。
 本集は、第一歌集『乱反射』に続く、わたしの第二歌集です。
 20歳から24歳まで、2007年から2011年までの作品、307首を収めました。第一歌集から第二歌集刊行までの四年のあいだに、さまざまな出来事がありました。大学を卒業し就職したこと、恋に悩んだこと、祖父が認知症になり介護ホームに入ったこと。とくに祖父が介護ホームに入ったことは、わたしのなかでとても大きな悲しい出来事でした。「死」というものについてかんがえるきっかけになりました。
 タイトルの『サリンジャーは死んでしまった』は、冒頭の一首からとりました。今年の三月に大きな災害が起き、いまだに多くの困難をかかえている方々のことを思うと、「死」という言葉を使うことは、たいへん無神経な行為のように感じられ、最後まで躊躇いたしました。しかしながら、青春小説の歴史に名を残したサリンジャーの死と、学生という青春時代を過ぎたわたしの人生の区切りという意味を込めて、このタイトルにしました。

以下、一読して気になった歌を引用します。

 春風のなかの鳩らが呟けりサリンジャーは死んでしまった
 太陽を迎える準備はできてる菜の花畑に仁王立ちする 
 雨に降られるように音楽きいている目を瞑っても開いても夏
 目も耳も入り口であり出口なる 空もわたしも仰向けの夏
 記念写真の眼差しとおき祖父の顔山茶花の道過ぎつつ思う

 サンダルで水溜まりの上またぐとき昨日の夜の遠雷をきく
 飛翔する鳥のこころはあたらしき画用紙を買うわたしのこころ
 審判のコールが蟬の鳴き声で聞こえないまま試合が終わる
 角ばって入り組んでいて機械めくものは美し電車や工場
 青春と呼ばれる日々はいつのまにか終わってしまい川沿いをゆく

 今日の昼昨日の夜に食べたもの思い出せない祖父の夕暮れ
 街路樹の濡れて明るい冬の夜こんなに楽しくこんなにひとり
 曲がり角きみの来ている気配して曲がりてみればつつじ咲く道
 憂鬱な私は瞼に鳥を飼うもうすぐ春の副都心線
 悲しみをすこし含んだ春が来る祖母のエプロンにある花畑

 母とふたり桜の下を歩みゆく父の癖など話しつつゆく
 歩きつつ祖母の呼吸を聞いておりヒルガオの咲く浜までの道
 きみはきみの領域を持ち日曜の草に座れば背に差すひかり
 ついついとボート漕ぎおり選択を迫られし日の夜の夢にて
 憂鬱な今宵湯船に浸かりつつ足の指だけ並ぶ湯のうえ

 祖父に似る人を何度も見かけたりなんと寂しき帽子のかたち
 横断歩道わたればふいに縞しまの孤独おしよせ靴が脱げたり
 きみとの恋終わりプールに泳ぎおり十メートル地点で悲しみがくる
 出会ったときのきみとは違うきみである八百回にわたる夕焼け
 きみに言う最後のことば結局は思いつかずに頷くばかり

 大根と豚肉の煮物食べており泣きたいときはゆっくりと食む
 マンホールはかの夏に続く通路だと思えばいますぐ降りていこうか
 制服のひるがえる夏われはきみの愛する人であっただろうか
 いままでの罪の数など数えつつプラム食べれば濡れている舌
 夏の雨過ぎる間にきみを憎みふたたび愛す眩しき浪費

 満員の電車に潰され吐き出されほんとうにもう疲れてしまった
 抑えがたき八月の朝の悲しみを家中の抽斗にしまえり
 夕雲よいまこんなにもこの野原美しいのにわれのみが居る
 家族四人気球に乗りし夏の日をときどき誰かが話し始める
 胸のうち緑繁れる庭ありて寂しさに水を撒いたりもする

 なにからも逃げ出したいと嘆きつつあしたの服はもう決めてある
 わが猫の丸く眠れるさま見ると傲慢な思いこみあげてくる
 あかあかと東京タワーの点る夜クロネコヤマトの荷物届けり
 われは空われは陽炎われは川夜ごとの夢に溺るるわれは
 なんとなく社会人めくとりあえずお疲れ様ですとあいさつをして

 突然に麒麟を見たくなる朝もわれは会社に行かねばならぬ
 台風や稲妻や虹を待つこころどれも豊かで孤独なこころ
 もうきみに愛されることなくなりて芝生の青に寝転んでいる
 いつからか雲を数える癖がつき鰯雲ならぜんぶでひとつ
 二回目の『ノルウェイの森』読み終えていままでで一番きみを想えり

 忘れないことは悪くはないだろう真夏が似合うあなたであった
 雲見ればわがうちに雲生まれたりその雲がいまきみに会いにゆく
 森にきて夕立を待つこころとは初めてきみに逢いし日のこころ
 芹雑炊の芹の苦さで会社へと向かう気持ちを整えている
 眠っても眠ってもまだ足りなくてからだは大き巻貝である

 青麦の香のきみの背を唐突に蹴りたしのちに強く抱きたし
 すぐ人に頼るいもうと六月の開かれた窓のように在りたり
 パソコンで業務フロー図描いているわが胸のうちの枝のぐにゃぐにゃ
 悲しみをどうしようもなく持て余し遠い嵐に髪は騒立つ

久々湊盈子歌集『紅雨』を読みました。

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今夜、久々湊盈子の第六歌集『紅雨』(04)を読み終えました。



以下、一読して気になった歌を引用します。


 コスモスに来ている風を目に追えばこころはしばし凪ぐがごとしも
 生きながら溺るるという仕合せもきっとあるらむ満天の星
 酢に浸(ひ)でて氷頭(ひず)は食うべしかの冬のかの雪の夜を思いながらに
 腐りかけがもっとも匂うカリンの実出窓に忘れ春となりたり
 われに遠き前衛論また戦後論開き過ぎたる木蓮が散る

 身勝手な言い分ふんふん聞いてやる所詮はひとの夫たるおとこ
 待針というは良き言葉にて待針を打つごと明日を待ちし日もあり
 誰か来てわれの背を押せいちにちのはて着膨れてブランコに乗る
  
  

  
  
  
  
  

  
  
  
  
  

  
  
  
  
  

  
  
  
  
  


  
  
  
  
  

  
  
  
  
  

  
  
  
  
  

  
  
  
  
  

  
  
  
  
  

  
  
  
  
  

  
  
  
  
  

  
  
  
  
  

  
  
  
  
  

  
  
  
  
  

《308CC》にドライブレコーダーを付けました。

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今日、プジョー柏で《308CC》にドライブレコーダーを付けました。
先週の日曜日、《208アリュール》にドライブレコーダーを付けましたが、《308CC》には付けないつもりでした。でも、《308CC》を運転中に万が一事故に遭ったら後悔しそうなので、急きょ付けることにしました。

オリエントスター・クラシックを買いました。

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今日、オートマチックの腕時計〈オリエントスター・クラシック〉を買いました。
最近のマイブームは、クラシックな雰囲気(たたずまい)+皮のベルトで、先日はLIPの〈ヒマラヤ〉(クオーツ)を買いました。次は、〈ヒマラヤ〉のオートマチックを手に入れようと思っていましたが、猫島人さんに〈オリエントスター・クラシック〉を紹介していただき、考えが変わりました。この時計は、この価格帯のオートマチックでは僕の好みにピッタリです。
この時計には「パワーリザーブインジケーター」が付いており、ゼンマイの巻上げ残量を知ることができます(最大40時間)。僕はこのインジケーターは機能的には不要だと思いましたが、デザイン的にはこの時計を個性的にしているので、ありかなって思います。

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〈オリエントスター・クラシック〉は、右のLIP〈ヒマラヤ〉よりも少し大きめです。 

久々湊盈子歌集『紅雨』を読みました。

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今夜、久々湊盈子の第六歌集『紅雨』(04)を読み終えました。
「あとがき」によれば、前集『あらばしり』(00)以来、ほぼ4年間の作品から400首余りを選び、おおむね制作順に収めたとのこと。また、集名「紅雨」については、以下のように述べています。
 集名とした「紅雨」とは、春、花にそそぐ雨のことであり、またあかい花の散るさまを雨にたとえて言う語でもあるという。向後にまたどんな困難が待ち受けていることか、神ならぬ身に知りようもないことだが、ともかく大過なく迎えた50代の終りを期して、せめてこの華やぎのある言葉を冠して一冊の歌集を送り出したいと思う。

以下、一読して気になった歌を引用します。


 コスモスに来ている風を目に追えばこころはしばし凪ぐがごとしも
 生きながら溺るるという仕合せもきっとあるらむ満天の星
 酢に浸(ひ)でて氷頭(ひず)は食うべしかの冬のかの雪の夜を思いながらに
 腐りかけがもっとも匂うカリンの実出窓に忘れ春となりたり
 われに遠き前衛論また戦後論開き過ぎたる木蓮が散る

 身勝手な言い分ふんふん聞いてやる所詮はひとの夫たるおとこ
 待針というは良き言葉にて待針を打つごと明日を待ちし日もあり
 誰か来てわれの背を押せいちにちのはて着膨れてブランコに乗る
 うずら豆虎豆花豆ひよこ豆さびしい夜は豆を炊くなり
 カウカウと頭をめぐらせて白鳥は妻呼び子を呼びまた頸を折る

 白川筋のちいさな宿に籠り寝て身のほど知らずの夢を見たきよ
 慰められて癒ゆるくらいの傷でなし利根大堰に夕日見にゆく
 江戸つむぎ浜ちりめんに京お召広げてたましいの虫干しをせむ
 敗色濃き大戦末期に吾(あ)を生みし母を思えばなんのこれしき
 隧道の向こうは春の雨明るそこまで行かむ今日はそこまで

 丹田に力をこめよ笑っても泣いても必ず来るものは来る
 声に鳴く山鳩聞けば境涯を嘆くな、まいて人を憎むな
 したり顔に善を説くならここに来て手を汚してみよとまでは言わぬが
 人の死を待つなどもってのほかにしてもってのほかを今日はするなり
 あたたかきココア飲まむとうつむきてそのまま泣けり一分の間

 これ以上これ以下もなき一身を献上に巻き風に出でゆく
 白内障の手術を決めぬはらいそに迷わずひとり行き着くように
 ほどほどに惚けねば老いには辛すぎるこの世の春に名残り雪降る
 背伸びして待つこともなし歳月はわれに棲みいし鬼も消したり
 嫌いではなけれど好きでもない花のアマリリス図太き茎に咲きたり

 夢ひと夜、ふた夜はならず茨城の磯打つ波を枕(ま)きて眠らむ
 安らがぬわれを丸ごと押し込めて「天地無用」と大書しておく
 退屈な猫の、退屈な犬の、退屈な退屈な老人の大あくび
 他意なくて生(お)いでしものを今生の敵(かたき)のごと藪枯らしの若蔓を抜く
 目には青葉したたるごとくこの世には思案のほかの夢もあるべし

 時間(とき)という抗いがたき観念を得たるより人は老いてゆくらむ
 絶対の愛など誓いしこともなし世紀越えただ垂直に夏の雨降る
 日に当てし布団引き寄せ新涼の夜のなつかしさ母恋いに似て
 二日三日(みか)われに来ていし鬱の気の去(い)ぬるかぱちりと白梅が咲く
 ゲルベゾルテの匂いまといて持ち重る義父の背広を陽に裏返す

 疲れはいつもまぶたにたまりラング・ド・シャ夜更けに立ってひそひそと食む
 この春はもう帰らぬと葦の間に水禽がうすき脂曳きゆく


 火のごとき自我もてあまし沙羅の木がひと日咲かせて捨つる白花
 言の葉の薄き刃(やいば)に君を裂き創(きず)の甘さを舐めたきものを
 甘藍を剥がす手つきにたましいを覆えるものを脱がされてゆく
 まっすぐにもの言うゆえに疎まれて陽に透けながら紅蜀葵咲く
 つづまりは他人事にて旨き酒のみながら聞く誤爆のニュース

 孤独を友に大道の辻に老いたりきギリヤーク尼ヶ崎なる弊衣蓬髪
 秋の日となりていたりき天窓の隙よりますぐに光はおちて
 夕闇にダチュラの花のほのあかり天使の楽をたれか聴きいる
 丹の椿、白の椿も葉がくれに一所不在の風を遊ばす
 寝ながらに夜々思うことおおかたは公言できぬ あなたもそうか

 さびしい女はふとる夜更けの赤ワイン、ブルーチーズを少しかじって
 一切衆生悉有仏性、かの夏に逝きたるものは帰ることなし
 無頼の夏を越えしひまわり一刀に刈り伏せて鬱を晴らす日もある
 忘れぬと言いて別れしかの夏のわれの若さや百舌が高鳴く
 幾代のルサンチマンを晴らしたるおとこの髭にも霜降るころか

 荒砥(あらと)のごとき今日のこころよ草トカゲ尾を切りてわれも逃げらるるなら
 四苦六情(しくりくじよう)ありて愉しき人生のひと日けぶらう柳の若芽
 柿若葉目にしむ候、と書きさして癌病む叔父へ継ぐ言葉無き
 大き傘に庇われゆけりおみなとは男次第と思わせながら
 冬の夜は読むべくアンナ・カレニナのスカートの襞の深き絶望

 刺刀(さすが)ひとふり秘むるにあらね臘梅の匂いまさりて今日鬼房忌
 気の逸る若鳥ならん立春を待ちがてにして発ちてゆきたり
 冷蔵庫の最上段の奥というエアポケットが日常にある
 六塵の楽欲(ぎようよく)ありてしばしばも夢にひとりの男と暮らす
 六輝(ろつき)たしかめ出で来し旅にキンポウゲ・花茄子・ゲンゲ・礼文シオガマ

 ウスユキソウはエーデルワイスの仲間にて小さく白くいじましき花
 さいはてのこの切り岸に生まれしも運否天賦(うんぷてんぷ)とウミネコが鳴く
 台詞(せりふ)わすれて立ちすくむ夢に書割の黄色の月が消え残りたり
 傍観的意見を言うなわしわしと吾を叱りて熊蝉のこえ
 「年」という単位にあらずと癌を病む友の夫が低く言いたり

 すずしろと呼べばつめたきおとめごの腓(こむら)のごときを秋の陽に干す
 黒出目金、琉金、蘭鋳、頂点眼、無残なる美をひとは創りき
 郁子(むべ)熟れて金輪際の口開かぬ覚悟のほども秋の日のなか
 ムーンフェイスの友とちいさく手を振って駅に別れき さよなら、またね
 生きて見る夢のにがさに酔いどれて上野の山の落花狼藉

 四十年の大切の友死にゆきてしみじみ紅雨の夜の「わかれうた」
 花冷えや恋の敵(かたき)の友の訃の届く今宵の酒熱くせよ
 傘うちにおのれ守りて歩みゆく春の墨堤泪橋まで
 常ならぬ声音に鳴きてででぽっぽででぽっぽお前も妻亡くせしや
 どのような生き方なればうなづきて死を待ちうるや風が目にしむ

 とことわの非在となりしわが友よヘブンリーブルーさわに咲きたり
 悔ゆること誰にもあるを鯉のぼり風なき昼の懶惰落魄
 舌代はこごみ、たかんな、山のうど春に欠かせぬ素魚(しろうお)もある
 バイソングラス一本立ちいるズブロッカとろりと氷温に飲むが好きなり
 うすももの花首ふたつみつ投げて若き椿の名は太郎冠者

 一心に咲きて散れれば忘れかね今年七つのぼうたんの紅
 音盤はダミアの唄声 梅雨じめり気遠き昼の栗の紐花
 おとめにて君に遇い得しさきわいは白詰め草の花満てるころ
 多情にてひとより悲しみ多ければ藍の単衣(ひとえ)は衿詰めて着る
 雨はらむ雲たれこめてしばしばも波乱というは西より来たる

小島ゆかり歌集『ヘブライ暦』を読みました。

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昨日、小島ゆかり(1956-)の歌集『ヘブライ暦』(96)を読み終えました。この歌集は、『月光公園』(92)に続く彼女の第三歌集で、1991年冬から94年秋までの三年間の作品の中から278首をほぼ編年順に収めてあります。

以下、一読して気になった歌を引用します。

 われさへや飛ぶことあらん屋上の春まつぴるまひかりは狂気
 だれかいまわれを宥(ゆる)せし 白雲がひとつしづかに真上に来たり
 屋上に眼のみ残してゆふぐれのものみなあかき地上に降りぬ
 春、ことに無用の物らなつかしきたとへば耳付花瓶(みみつきくわびん)の耳など 
 プールよりもどりて眠る子らのうへ未(ひつじ)の刻のひつじ雲をり

 喫泉を吸はんと口をすぼめつつふとうらがへるわれならずやも
 曼珠沙華そよげる央(なか)に喫泉を吸ひたるのちの唇(くち)濡れてあり
 問ひつめて確かめ合ひしことなくてわれらにいまだ踏まぬ雪ある
 伸びすぎし桔梗のやうな男かな夫よと呼べど呼べど汚(けが)れぬ
 渓(たに)なして窓の外(と)暗し夜の音はふかきより来てふかきへ過ぎぬ

 わが肩に触るる触れざるゆふぐれの手があり少し泣きたい今は
 子に兆す小鳥の恐怖のやうなもの抱きしむる刹那せつなにおもふ
 アタッシュケースをつね携ふるその人はアタッシュケースに棲むにあらずや
 朝ひらく便箋は菊のしろさにてうつすらとまづわが影を置く
 夫を恋ふこころを言はば飯を食ふセーターを着るそのさま見たし

 雨となる午後へしづかに傾きて手紙書き了ふ ああもう雨だ
 おもひきり泣きたるのちはまさをなる空中を無人自転車が行く
 空港の高窓青しこだまして声はもつともやはらかき音
 あさあけのダラス空港うす陽さし大平面の天と地は見ゆ
 子らの瞳(め)がさびしく燃ゆる雪の夜は雪よりあをいランプを灯す

 雪の朝グレイス・チャーチの鐘きこゆひとたばの水仙をわれはおもひし
 あたらしき冬の冷(ひえ)あるテーブルに朝のチーズを切り分けてをり
 冷蔵庫に五ポンドの肉を蔵(しま)ひをへしづかなりふとわれも蔵はる
 山鳩のこゑに似るとふ日本語よほーほろほーほろ愛(かな)し日本語
 途方もなき空の広さよ少しづつわれは変はつてゆくかもしれぬ

 ストームののちの夕映えはるかなる鮮紅は原始時間のごとし
 サマータイムのながきまひるを草に寝て梅雨のつゆけき国を忘れつ
 いつか樹になるはずもなきわたくしとポストとひるの雨に濡れをり
 栗鼠の尾がみなやせてゐる風の日はわかるよ少しおまへのことが
 草生、夜のにほひに充ちて感官のみなかみに濃き夏時間あり

 月しろく無人プールを照らす夜半この世の面(おもて)かすか揺れゐん
 言はぬが花、言はぬが花とはな散りてちちははに枇杷いろのゆふぐれ
 蟬のこゑ白紙(しらかみ)に沁む夏の果 をんなはまぶたより老いはじむ
 パンだねをこねつつ力漲るはきのふにあらぬけふのわたくし
 雷雲の影しのびよる草の上ふいに大きくリス立ち上がる

 転調の兆しはつかにゴムの葉をあかるき冬の陽がすべりをり
 ボブのテノールやはらかければアメリカを少し愛して今日がはじまる
 椿見ぬ春はさみしき うすくうすく紅(べに)さし死ののちも日本人
 天窓にはるの雲ひとつとどまりぬ或るしづかなる力のごとく
 モトメヨ、サレドアタヘラレザルかなしみにみづみづと雪の窓を灯せり

 生活のきりぎしに朝陽夕陽差しうしろに立てる夫は草の香
 死を囲むやうにランプの火を囲みヘブライ暦(れき)は秋にはじまる
 かならず日本に死なずともよし絵葉書のランプに今宵わが火を入れぬ
 夜の窓に雨しのびより混沌の実りのやうな無花果にほふ
 シンバルのひびき消えたる校庭に歳月は金の砂嚙むごとし


『田中ひろみの勝手に仏像ランキング』を購入しました。

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月末に奈良へ「見仏」に行く予定なので、気分を盛り上げようと思い、『田中ひろみの勝手に仏像ランキング』(10)を購入しました。
以下、この本の主なコンテンツです。
第1章 顔
 ◇イケメン・ベスト3
 ◇美人・ベスト3
 ◇童顔・ベスト3
 ◇枯れ具合・ベスト3
 ◇アフロ・ベスト3
 ◇頭部だけ・ベスト3
 ◇ヘアスタイル・ベスト3
 ◇目が特徴的・ベスト3
 ◇顔の部分が特徴的・ベスト3
第2章 体
 ◇ポーズが独特・ベスト3
 ◇手が千本・ベスト3
 ◇手が長い・ベスト3
 ◇裸地蔵・ベスト3
 ◇でかい仏像・ベスト3
第3章 表情
 ◇微笑み・ベスト3
 ◇偉そう・ベスト3
 ◇色っぽい・ベスト3
 ◇怖い顔・ベスト3
第4章 それ以外
 ◇なぜ?と思った仏像・ベスト3
 ◇鉈彫り・ベスト3
 ◇お腹から顔を出す仏像・ベスト3
 ◇眺める姿がすてき・ベスト3

【感想】
◆気になる「ベスト3」
 ◇イケメン・ベスト3
  …觴疆携場菫紛飢Ω邱饂崙押
  阿修羅像(興福寺国宝館)
  B臚〕荳疏扮濱寺多宝塔)
 ◇美人・ベスト3
  ゝ半妖稽像(浄瑠璃寺本堂)
  伎芸天立像(秋篠寺本堂)
  十一面観音菩薩立像(向源寺)
 ◇微笑み・ベスト3
  (郢半跏像(中宮寺本堂)
  ⊆甓犹安坐碧[柑眛押
  L關嬖郢半跏像(宝冠弥勒)(広隆寺霊宝殿)
 ◇偉そう・ベスト3
  ー甓倏〕荳疏奮満寺本堂)
  ¬師如来立像(神護寺金堂)
  G^嬶愆儔司郢Ш疏焚寺本堂)
 ◇色っぽい・ベスト3
  ’^嬶愆儔司郢Ш疏平声榮押
  如意輪観音菩薩坐像(観心寺金堂)
  G^嬶愆儔司郢Ш疏扮狆觧儔仔押
 ◇怖い顔・ベスト3
  ∥膰疑稾晴ξ像(秋篠寺大元堂)
  ⇒面儔士像(大安寺讃仰殿)
  H伽淪綢臂(新薬師寺本堂)

◆この本はさまざまな観点から仏像を紹介しているのがいいし、同じ観点で比較するという仏像の見方を示しています。また、それぞれの仏像についての解説も平易で読みやすく書かれています。

国井律子『クニイの素』を読みました。

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今日、国井律子『クニイの素 Love Bike, Love Life.』(08)を読みました。
ホンダ《CRF250L》のショップへの入荷予定が9月1日なので、バイク関係の本を読んで気分を盛り上げようと、この本を手に取りました。あと二週間ちょっとの我慢です。

以下、この本の主なコンテンツです。
1 ヨーロッパ・イタリアの旅で出会った人々
 「国境の町で、グラーッツェ」(アプリリア・スカラベオ250GT&マラグーティ・ドラコン50NKD)
2 運動嫌いの私がはまった新たな趣味、トレッキング
 「あの娘に会いに、山へ行こう。」(ヤマハ・セロー250)
3 クニイ流のクルマ選びと愛車遍歴
 「わたしはジャガーの似合うオバサンに、なれるだろうか?」(ホンダCB750F)
4 お気に入りは、道幅狭くダートが残る犢麁鮫瓩任后
 「愛と冒険の3ケタ国道」(カワサキER-6n)
◇オートバイでディスカバー・ジャパン!
 〈沖縄編〉「青い空と海のあいだで、わたしの三線はおばあの音色を奏でた。」(ビューエルXB12S)
 〈伊豆大島編〉「いちばん旧い爛肇皀瀬銑瓩函椿とアシタバの島へ行く。」(ホンダXR50&スズキGS50)
5 マイフェイバリットフード瑩伸
 「バイクの旅なら、スシ食いねェ!」(トライアンフ・スクランブラー)
6 今の生活に欠かせない趣味サーフィン
 「オートバイと波乗りと私は、つながっている。」(BMW F650GS)
7 日本の旅の醍醐味はオンセンだ!
 「温泉にまつわるエトセトラ」(モトグッツィ・ブレヴァV750)
8 私の原点、そしてよき相棒
 「アイ・ラブ・マイ・スポーツスター!」(ハーレーダビッドソン・スポーツスターXL1200S)

【感想】
◆やっぱりバイクはいいですね。まずは病気をしっかり治してからですが、昔みたいにツーリングに出かけようと思います。
◆伊豆大島に行こうと思います。もちろん、椿の季節に!
◆ハーレーダビッドソンにも乗ってみたくなりました。

久々湊盈子歌集『あらばしり』を読みました。

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今夜、久々湊盈子の第五歌集『あらばしり』(00)を読み終えました。
1996年春から2000年秋までの400首をほぼ制作順に収めたそうです。タイトルの「あらばしり」について、「あとがき」の一部を引用します。
 「あらばしり」というのは「新走り」と書き、その年収穫した新米で造った酒のことである。「にいしぼり」ともいう。勢いのある語感が好きなのだが、これはまた「荒走り」であって、激しい風雨を受けながら航行することでもある。日本酒が好きで、ドライブが好きで、雑駁な日常をせわしなく走りまわっている今の私にはこれしかない、という集名といえようか。

以下、一読して気になった歌を引用します。

 行く春のほそき雨脚かたくなな羊歯の巻芽をほぐさむと降る
 一億のなかの一人の心さえ見えがたくして春の浮雲
 誤字欠け字差し替えるようにはいかぬまま迎うるものを銀婚という
 閻王にいつか抜かるる舌なれど春の野草の香味よろこぶ
 死の無常、生の無残と問い返し問い返しつつ雨の芍薬

 蘇民将来祀りて守る家族にも歳月という弛みがきざす
 遠い記憶の明智の駅は夏草の匂いと君の背後の雲と
 時空のはざまに失せず帰れよトルコからのコレクトコールふいに途切れて
 たっぷりと八重に咲きたる寒椿思い倦みたる風情に落つる
 いつしらず終電にひとり残りおる九十八とはそんな思いか

 朝靄を蹴たててたちゆく羽根のおと鴨は鴨なる生をいそしみ
 極まりていのちのきわに見むものを美しかれと誰も思えど
 野付半島ゆきどまりにて旅の鶴すなどりいたり二羽また三羽
 妙心寺派肥前長崎禅林寺住職巨漢の読経ふとぶと
 しゃんしゃんと熊蟬が啼く関東に住まいしてより聞かぬ声にて

 壁のぼる凌霄花〈のうぜんかずら〉の褪せ花や惚けず生きることもさびしえ
 一面にただ鰯雲わたくしは穂すすきとして風に靡くばかりぞ
 いつの日か言うてやるべき切札のひとつやふたつ用意してある
 言葉探りて夜を覚めてあり深甕の水の乏しさのぞく思いに
 五、六個の実を唐突にぶらさげて所在なさげにカリン突っ立つ

 ビリー・ジョエル今日の気分に添うてきて湾岸道路は夕映えのなか
 追伸(おつて)には戦場ヶ原の落葉松の降る頃合いを報らせよと書く
 朱を刷ける白椿ほとりと落ちていて死の意味をふいに思い知るなり
 恨みもて恨みをはらすことなかれずるりと烏賊の腸(わた)を引き抜く
 夕闇は裾濃(すそご)にせまり臘梅の貴(あて)なる黄(きい)を包まんとせり

 鳥の腔に宿りてわれのもとに来し万両が今年の実を下げており
 伊達締めは博多の小幅亡き母が使い古りたるこの柔かさ
 リベラルな弁護士なりしが老いはてて嫁の小言に反論もせぬ
 老い深む背を励まして歩まする山茶花の散る路地の角まで
 五更の空に残る星見ゆ臭いたつ濯ぎものして開けたる窓に

 いのちより重きものなしされどされど机上に三日読みさしの本
 ひとつらの鴉族が帰りゆく空の赤ければ異変というも待たるる
 イイギリの実がこんなにも赤いのは何ゆえ極月の無風の空に
 帳尻がいつかは合うと気休めを言われつつ枡酒の塩をねぶりぬ
 人ひとり朽ちはつるまでまつぶさに見届けんかな冬あかね濃し

 終わりたる友情なれど植えくれし万年青は今年もつぶら実を抱く
 さざんかの饒舌、びわの緘黙と日々の歩みに冬深みゆく
 人間が何をしたのか猫族というは毛皮を着し猜疑心
 香りたつ「八海山」のあらばしり暖簾の外は春の雨です
 蕗の薹、こごみ、たらんぼ、春の野に嬉しきものを目に得つつゆく

 惻隠の情もこれまで花持たぬ沙羅の木ことしは伐ってしまおう
 火を焚くは快楽に似て歌反古もきみの手紙も燃やしてしまう
 一話完結、とはなかなかならず老人の明日の下着をたたみおくなり
 老人を他人に預けて来し旅のうしろめたさも春潮を浴ぶ
 なんじゃもんじゃも散りはててけりおみなには心がわりというすべがある

 マジョリカの傘立て買いて据えたれば愉しかるらん雨降り十日
 チェンバロを弾く人のあり卯の花の垣根の内に春は畢んぬ
 おみなごを一人もちたる倖せに今日届きたる春のブラウス
 けだるさを形にすれば庭隅に素っ首あまた下げたる曼陀羅華(ダチユラ)
 よき嫁の役にも飽きてアクセルを踏み込む外環夏空のした

 山形の「桜羽前」ははんなりと囲炉裏うれしき山の湯宿は
 うっすらと婚姻色の鮎の腹つつきながらに奈良「花巴」
 山菜の肴(あて)も終わりておつもりは土佐の高知の「玉ノ井」とする
 処暑過ぎてにわかに寒き夏の夜の両津甚句は目を閉じて聞く
 沸点を過ぎてしまえば哀しみも薄るるものを コスモスに風

 佐渡の古刹に咲きいし赤きさるすべり旅の記憶は人恋うに似て
 酉年生まれ今年は波乱含みにて投機厳禁、別離の暗示
 わが父も酉年生まれの粗忽者五十半ばでうかうか死にき
 ふたりなき人であれども諍えば夜道のかなたとこなたを歩く
 ひとつのみ花をあげよと言わるれば臘梅二月の陽に透きとおる

 土佐みずき通条花(きぶし)まんさく黄の花を掲げて春はまっすぐに来る
 そこにごろんと椿が落ちている真昼 お前ひとりが淋しいんじゃない
 健やかなおとめ来て吾子を拉致せりと天の高処に雲雀が啼くよ
 生き急ぐわが愚かさを言われつつ春まひるまのクリームソーダ
 ヴァージニア・ウルフも知らず咲き闌けて雨しずくせり八重の桜は

 この子叱りてこの子泣かせて育てしが娶ると言えり母を泣かせり
 海紅豆破滅のごとき朱に咲きて唐寺の夏を盛りておりぬ
 愚陀仏庵こんなに狭く孤独なる天才ふたり何を語りし
 われのほかは大きな乳房伊予なまり聞きつつ道後の湯にしずみたり
 菩提樹の念珠、血珊瑚、なかんずく宇和の夕景旅に得たるは

 秋うれし零余子(むかご)の飯に添えられて香にたつ菊の膾〈なます〉いただく
 角を曲がれば幟はためく内子座の甍が秋の陽に濡れていき
 大樟は裾濃に暮れて善通寺境内に灯明の数増してゆく
 ショートステイより寡黙となりて戻りきし老いにまいらす茶粥一椀
 陰鬱な緩徐楽章隣りたる男の寝息と聴くバルトーク

 烏賊のわたずるりと引きて何事もなせると思う十指が黝し
 いずくにかまだわれを待つ人ありとたわけた夢が女にはある
 「無理するな若くはないぞ」と言われおり医者でなければ許しはせぬが
 物陰の万両の実も食みつくし雪降る今日はひよどりも来ぬ
 自らの羽根もて紡ぎやるほどに愛せし記憶もなしと言わねど

 長く長くひとつ火種を秘めきたり消さず絶やさず劫火となさず
 耳順の夫に百寿の父あり当歳の孫あり今年の菜の花ざかり
 あわれ世にはばかるいのち百歳というはよそ目にめでたかれども
 

ようこそ

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Welcome to my photo diary


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今日、ホンダ《CRF250L》が納車されました。(8月25日、自宅にて)

日々の仕事と生活に忙殺され、時間があっという間に過ぎていきます。いつも先のことばかり考えて「いま」を大切にしていないような気がします。日常の出来事を出会った人やモノの写真で記録し、一日一日に異なった意味をもたせていきたいと思います。(2006年5月22日)‥‥‥と言って始めたブログですが、最近は好きな小説や短歌、俳句のことが中心になっています。

左のINDEXか、下の「最新の画像」から中にお入りください。

ホンダ《CRF250L》が納車されました。

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今日、ホンダ《CRF250L》が納車されました。発注したのが6月下旬でしたから、約2ヶ月待ったことになります。プジョー《208アリュール》の3ヶ月待ちに比べれば短かったと思いますが、とても待ち遠しく感じていました。ですから、本来なら「やっと来た」となるのでしょうが、今日は「とうとう来た」という気持ちの方が強いかなと思います。

さっそく自宅の庭を走ってみました。庭といっても、田舎の、それも農家の庭なので、舗装された部分もあれば、藪の中のデコボコもあります。ですからけっこうな練習になるんです。
で、《CRF250L》に初めて乗った感想ですが、このバイクは最初から僕の体になじんでいて、今後のツーリングがとても楽しみになりました。しかし、藪の中のデコボコで転倒しそうになり、体力のなさとバランス感覚が鈍っていることを痛感しました。現在、病気治療中で両足の感覚が鈍化しているので、とっさの危険回避には自信が持てません。もっと自宅の庭で練習してから外へ出て行くべきだと思います。
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