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稲畑汀子『汀子句集』を読みました。

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先日、金子兜太編『現代の俳人101』(04)を読み、稲畑汀子の句に出会いました。好きな句が多かったので、すぐに彼女の句集を購入しました。『汀子句集』(76)と『汀子第二句集』(85)、『汀子第三句集』(89)の3冊です。
実は彼女の句との出会いは今回が初めてではなく、長谷川櫂編著『現代俳句の鑑賞101』(01)で出会っていました。読んでいたことを先ほど確認しました。

以下、彼女の第一句集『汀子句集』を一読し、気になった句を引用します。

◆昭和26年以前~29年
 今日何も彼もなにもかも春らしく
 灯せる船夕焼ける空と海
 月を恋ひ海を恋ひ又人を恋ひ
 をだまき草咲いてゐる筈なほも行く
 くもの巣をはらへば裏へ抜ける道

 派手と知りつゝもセーター赤が好き
 しづけさに吾ある時の落葉かな
 今はまだ旅の心に落葉踏む
 今日ここに逢ひし想ひ出紅葉濃し
 春著着て身の置きどころなき如く

 スケートの約束出来て別れけり
 雲動いても動いても冬の雲
 オーバーに今日の吾が身を包みけり
 わが影の消えて生れて春の雲
 花冷えの言葉となつて現はれし

 塀低く牡丹の庭をかくさざる
 景変りつゝ菜の花のつづきけり
 姫しやがを持つ反対のみ手を引く
 胸に挿す薔薇の香りはわが香り
 とらへたる柳絮を風に戻しけり

 山荘にある楽しさの昼寝かな
 ミサの鐘きゝつゝ石蕗の磴登る
 日向ぼこ旅にあること忘れつつ
 寺の庭どこまでが庭石蕗の花
 玻璃越しに見られてゐるも春著かな

 炭つぐにさうこまごまと云ふはいや
 香水をつけぬ誰にも逢はぬ日も
 黴の香にやうやく慣れし坊泊り

◆昭和30年~39年
 迷信は嫌ひ爪切る春の夜
 城崎に来て春少しあともどり
 目移りがして選びたる薔薇黄色
 旅暑し土佐も讃岐も同じほど
 布団干す雲の行方を追ひ乍ら

 訪はずとも椿の頃の南宗寺
 海の色失はれ行く日短
 考への乏しきときの昼寝かな
 ダリヤ見し目の華やかに見返しぬ
 一本の紅葉に染まりゆくわれか

 この道のつゞく限りの花菜畑
 咲いてなほ目立たぬ花よ金魚草
 青芝に吾子の小さきかげ走り
 訪ね来し人にもすゝめ昼寝かな

◆昭和40年~49年
 わがくらし平凡なれど師走かな
 悲しみの雪の朝となりにけり
 遠目には雑草もなく芝青む
 梅雨の磴あり石仏に至る道
 山百合と気づかぬままに見上げゐし

 薔薇咲けばどの部屋も花ある生活
 運転の次第に涼し山へ急
 サングラスかけて視界の落着きぬ
 一日の海辺に日焼けたる吾等
 おしやれとはさり気なきものセーターに

 行き過ぎて気附かぬ花よ油点草
 庭芝の遠目ながらの下萌えて
 春愁に似て旅を恋ふ心かな
 春雷にはじまる山の雨荒るる
 何か咲く庭が楽しくあたゝかく

 そのうちに霧もはれさうほととぎす
 出ればついいらぬ買物春の街
 せめて髪短かく梅雨をさつぱりと
 榠樝の実らしそのあたりなる香り ※榠樝=カリン
 居る筈の蜻蛉のなき空の色

 金雀枝を咲かせて花壇あるくらし ※金雀枝=エニシダ
 雑草の育つ早さに負けず引く
 人々に朝よりかつと晴れて夏
 零余子飯炊けさうなほど手に溢れ ※零余子=ムカゴ
 中宮寺訪ふをあきらめ日短

 海近く住み潮の香に夏近し
 紺と白わが好む色夏来たる
 体まだ慣れぬ暑さの急なりし
 寒ければ寒さに対す心もて
 凌霄の花に沈まぬ蜂なりし ※凌霄花=リョウショウカ(のうぜんかずら)

 木犀の匂はぬ朝となりにけり
 寒くなる迄の寒さの身にこたへ
 ストーブの音ほど部屋のぬくもらず
 高原の薊はまぎれ易き色 ※薊=アザミ
 春寒し心を閉ざしゐる時は

 群れ咲きて匂ふ水仙ほとりかな
 藤匂ふ風に吹かれて旅楽し
 豆飯といふあたゝかきおもてなし
 水音の記憶の宿に昼寝して
 蝦夷に咲くマーガレットは野の花よ

 刈りし芝梅雨に又伸び放題に
 

【参考】
稲畑汀子(いなはた・ていこ)
 1931年、横浜に生まれる。小学生の頃から、祖父高浜虚子・父高浜年尾に俳句を学ぶ。1935年、鎌倉から芦屋に転居。1956年、稲畑順三と結婚、二男一女の母となる。1977年「ホトトギス」雑詠選者に。同年、父の死去により主宰を継承。翌年、夫と死別。1982年より朝日俳壇選者に、1994年―96年、NHK俳壇の講師・選者となる。
 1987年、日本伝統俳句協会を設立し、会長に就任。2000年、虚子記念文学館を芦屋に開館、理事長に就任する。
 句集に『汀子句集』『障子明り』『さゆらぎ』など。その他の著書に『舞ひやまざるは』『俳句に親しむ』『俳句入門』『自然と語りあうやさしい俳句』『俳句十二か月』など。
(『汀子句集』巻末の「著者略歴」より)

稲畑汀子『汀子第二句集』を読みました。

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今日、稲畑汀子の『汀子第二句集』(85)を読み終えました。
以下、一読して気になった句を引用します。


◆昭和50年
 聞き慣れし声あらたまる初電話
 遠くよりみもざの花と見つゝ来て
 たんぽゝの絮となりまだ飛ばぬさま
 旅なごり花も名残りの雨ならん
 旅慣れし宿に気まゝの朝寝して

 装へば梅雨も楽しき傘の色
 雑草の育つ早さに五月雨るる

◆昭和51年
 平凡を大切に生き去年今年
 春を待つ心は育ちゆくものよ
 風少しあり梅の香を運ぶほど
 川下りしつゝの景の落椿
 旅といふ心の自由春灯

 一日は降られるつもり花の旅
 雨上ること蝶を見て雲を見て
 十薬の匂ひに慣れて島の道 ※十薬=ジュウヤク(どくだみ)
 どこを見ていゝか鵜舟を待つ闇は
 立秋と聞けば心も添ふ如く

 穴惑バツクミラーに動きをり ※穴惑=アナマドヒ
 ともかくも道に出られし草虱 ※草虱=クサジラミ
 短日の思ひ違ひといふ一事

◆昭和52年
 何時雪になりしや夜半の音絶えて
 心急く着馴れぬ春著着るときは
 日脚伸ぶどこかゆるみし心あり
 芝を焼く火の走るまゝ消ゆるまゝ
 春らしく装ふ心やうやくに

 紫雲英田も見慣れしものとなる旅に ※紫雲英=ゲンゲ(れんげそう)
 雪洞も落花も忘れられしもの ※雪洞=セットウ(ぼんぼり)
 旅愁とも旅疲れともリラ冷えに
 吾にあらばふるさとはここ苗代茱萸  ※苗代茱萸=ナワシログミ
 野に咲けば雛芥子は野に似合ふ色

 気附かざることオリーブの花の香も
 一山の椎の花より匂ふ風
 緑蔭に時間忘れてゐたきとき
 記憶とははかなけれども夏の蝶
 夏野行く濡るゝほかなき山雨来し

 野の雨は音なく至る夏薊
 汗をふく土の匂いひの残りし手
 旅二日共に日焼けて居りしこと
 庭師来て括り直してくれし萩
 雨晴れて露けき道の残りをり

 みちのくの林檎の景に覚めて汽車
 捥ぐときの柚子の香りでありしかな
 恙なる身のこれよりを思ふ冬
 ひと時を無為にありたし石蕗の花

◆昭和53年
 君がため春著よそほふ心あり
 臘梅の香の一歩づゝありそめし
 薄氷にきらめき失せし水面かな
 明るさの春光といひ難けれど
 午後よりの二つの用事日脚伸ぶ

 明日旅へ飛騨の春まだ浅からむ
 歩くべし花の盛りといふものは
 花人となりて華やぐ旅の日も ※花人=ハナビト(桜人)
 野の草に醜草はなし犬ふぐり
 散ればすぐ花の記憶の遠ざかる

 手に逃げぬ螢となりて光りをり
 楊梅の実の落ち腐つ道の色 ※楊梅=ヨウバイ(やまもも)
 とゞめてはならぬ色とし夕焼ける
 踊下駄先づ買ふことに阿波の旅
 旅の目を旅の心を置く紅葉

◆昭和54年
 咲いてすぐ踏まるゝものに犬ふぐり
 散る花の散るを見頃の山寺に
 旅慣れて少し朝寐をすることも
 匂ひ来し確かに朴の花の風
 柳絮とも草の絮とも山路なる ※柳絮=リュウジョ

 華やぎの中の落着き沙羅の花
 袋掛終へし林檎の街に着く
 山宿の灯をうるませて霧深し
 どちらかと云へば麦茶の有難く
 雲の峰立つに崩るゝこと早し

 爽涼の風とは心別にあり
 爽やかに健康戻る日はいつに
 秋晴も雨もかかはりなく病める
 秋深みゆく日を追はずあるまゝに
 過ぎし日をたゝみて心秋深し

 心まで時雨るゝことのなかりけり
 時雨過ぐ心の経過なきまゝに

◆昭和55年

 絶えしかと見えしが美男蔓の芽 ※美男蔓=ビナンカズラ
 落椿とはとつぜんに華やげる
 日照雨してそばへして山ほととぎす
 木天蓼とわかる近さを遠ざかる ※木天蓼=マタタビ
 病人に一人の時間水中花

 追山笠へ寐過ごせぬ旅それもよく
 夕焼のさめてさめざる心かな
 病院のくらしに馴れて夜の秋
 夫病むはこんな残暑の頃よりと
 病窓をなぐさめくるゝ盆の月

 病室の窓の四角の星月夜
 桐一葉夫病みてより久しかり
 踊もて手向く心のあるときは
 夜空今星を語りて星祭
 露けしや夫の柩を飾る花

 心なほ喪にあり霧の山路ゆく
 色見せてよりの存在烏瓜
 白は供華赤は書斎に秋薔薇
 朝寒の心の張りを持ちて旅
 星月夜心を栞り来し旅ぞ

 旅に会ふ雪が心をあたゝむる
 看取りより解かれし冬を淋しめり
 誰彼の心にふれて冬ぬくし
 初雪に逢ひもし遠く来し旅ぞ
 一辨をだに欠かさざる石蕗明り

 生きてゆくもののさだめに萩枯れて
 短日の旅を惜しみてゐし目覚め
 忘れゆく日はまだ遠し年惜む
 車窓より湖の寒さのなつかしく

◆昭和56年
 虎落笛きく旅寝こそなつかしく ※虎落笛=モガリブエ
 空といふ自由鶴舞ひ止まざるは
 鶴の朝はじまつてまだ暗かりし
 寐つきよし東風強き夜を旅馴れて
 遠景の野に失ひし鼓草 ※鼓草=ツヅミグサ(たんぽぽ)

 夕牡丹緋色たたまずありしかな
 道迷ふことも旅路よ芥子の花
 蠓をのがるるすべとならざりし ※蠓=
 河鹿聞く今宵の旅寝思ひつゝ
 山気吸ひ朴の香深くわが胸に

 雲海の今水色を置く夕べ
 着いてまだ何も見ざるもリラ月夜
 踊の輪さらりと抜けて戻る宿
 去つてゆく夏をとどめて水の景
 睡蓮のねむりにつきし影を置く

 よべ花火せしを語りてをりし庭
 彼かくす芒の丈とならざりし
 芒野の印象消えず室生寺へ
 かさと音ふり返らせて降る木の実
 草虱そこに道なき道ありて

 人恋へば燃ゆる紅葉の色散らす
 落葉踏む音の心を乱さざる
 おもかげの永久に消えざる石蕗の花
 旅に逢ふ雪にさすらふ心あり
 忘れゐし寒さといふはとつぜんに

◆昭和57年
 悴かむ手控へ目なりし握手かな
 話すとき旅は自由よ春の宵
 雪吊の雪を語らず残りをり
 黄は光る色一面の金鳳華
 この庭の歳月茂る木々に見し

 ここに又旅路のありて合歓の花
 野馬追の熱気にいつか馴れてをり
 盆近し故人の話少し出て
 娘と旅へせめて名残りの阿波踊
 阿波に来てわれも踊娘夜を徹し

 蜻蛉と分つ空あり雲迅し
 どこまでもついて行きたく風の盆
 黒がどの色よりも見え風の盆
 形見ともなく置くベンチ露に濡れ
 虫の音をとらへし耳と心かな

 忙しさもくらしのリズム秋深し
 又逢へて芒に心寄せる旅
 秋の潮遥かに置きて砂丘行く
 風紋を見し目に仰ぐ鰯雲
 星空の降らせし露の芝を歩す

 榠樝熟れ近き忌日の香と知りぬ ※榠樝=カリン
 又別れゆくを語らず旅の空
 零余子飯宿のもてなし尽くるなく ※零余子=ムカゴ
 オリオンのかたむき消えぬ冬の朝
 朝風呂に馴れ湯ざめとてなかりけり

◆昭和58年
 単純をわが身上に去年今年
 囀に旅の期待のはじまれる ※囀り=サエズリ
 よべ春の月を宿してゐし湖に
 花見頃人出鎮むる雨吉と
 旅二日薫風に刻経ち易し

 暑さにも馴れ忙しさに変りなく
 高原の夕べの長し月見草
 睡りたしかく涼風に包まれて
 凌霄の咲きつぐ庭に倦むことも ※凌霄=リョウショウ(のうぜんかずら)
 いざなへる芒と聞けば旅心

 朝露をこぼし剪る供華五六本
 逆光の白萩として葉がちなる
 存在とならざることも秋の雲
 天高しシヤガールの絵の青よりも
 ロートレツク見し目を解きて菊日和

 雲迅し時雨こぼすも日こぼすも

稲畑汀子『汀子第三句集』を読みました。

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今日、稲畑汀子の『汀子第三句集』(89)を読み終えました。
以下、一読して気になった句を引用します。


◆昭和59年
 東京は雪と聞きつゝ伊豆の湯に
 萬燈の火色を戀うて寒からず
 萬葉の古都の寒さもなつかしく
 薄氷を消す日が波をきらめかす
 下萌ゆる氣配のやがて見せる色

 桐咲いて旅路に偲ぶ人のあり
 卯の花のつゞく限りの旅路なる
 梅雨を待つ心も少しあることを
 合歡植ゑてわが家に馴染みそめし花
 晴れしこと喜びしのち暑きこと

 鉾のこと話す仕草も京の人
 砂漠にも命のありて秋の蝶
 語り盡くせざる紅葉を語りたく
 山重ね紅葉重ねて旅路あり
 酉の市見て拔けるゆくも旅ひと日

 綿蟲の飛ぶも秩父の日和かな
 重さうに垂れ輕さうに枯尾花
 なほ旅の日を餘しゐて師走かな
 初雪にわが足跡を重ね來し

◆昭和60年
 旅戀ふも家居心に去年今年
 春寒きことおぎなへる心あり
 花束として野を離れ來し菫
 鬼怒川に加はり來る雪解あり
 瓣寄せて牡丹に夕日失せてをり

 齟齬ありしゆゑの早發ち別れ霜
 溫泉の匂ふとて花椎の匂ふとて
 散らぬゆゑ花アカシヤの白汚す
 餘花を戀ひ山氣を戀うてゆくところ
 梅雨近き雲の去來の始まりし

 朴の香をときにさへぎる山氣あり
 遠きゆゑ色の存在桐の花
 南風や海面へときに日をこぼす
 咲くときのはぢらひはなし女王花
 雲の峰吸ひ込まれゆく機影あり

 一匹の蚊に占められし書齋かな
 白南風の庭に置かれて白き椅子
 津輕辯涼しく聞いて分らなく
 晝寐には慣れてはならぬ旅の待つ
 夜の帷霧のとばりの湖となる

 澄む水に映る十字架雨が消す
 邯鄲をとらへし耳に放さざる
 近づけば色分れ来し花野かな
 秋天の高さを計る雲のなく
 紅葉にも早き吉野を訪ふことも

 冬近き木々まだ色を盡さざる
 鵙鳴ける高さが視野を引き上げし

◆昭和61年
 書初の筆の力の餘りけり
 片づかぬ机邊親しみ去年今年
 寒に咲く薔薇に預けし書齋かな
 お山燒果てしばかりの闇匂ふ
 蝶の白蝶の黄心迷ふ日に

 すみれ摘み野の消息の運ばれし
 落日の都會に伸びてゐし日脚
 春潮に眞珠筏のある目覺め
 朝寐してとり戻したる力あり
 花よりも花の人出の魁し

 頰白の庭の一劃手を入れず
 花明り花暗がりの山路來し
 一山の花の散り込む谷と聞く
 牡丹の色を明かさぬ蕾かな
 祇王寺を訪ふ心染め若楓

 郭公の森見えて來し阿蘇起伏
 阿蘇の野を濡らす夏霧迫り來し
 蜘蛛の圍の拔け道又も不用意に
 太陽に似合ふ色著て旅は夏
 螢の水邊を戀ふも旅心

 眠りたる葉に合歡の花覺めてをり
 なほ奧に瀧あり徑の絶えし岬
 昨日須磨今日は舞子の蟬時雨
 結願の秋霖いとはざりし旅
 よきしらせとは秋風の中に來る

 白山を見せぬ霧見て峠越え
 父在さばとて爽やかに處すことも

◆昭和62年
 白魚の命の透けて水動く
 教會をめぐりぬ東風の強き町
 旅歸り先づ春塵の机拭く
 ヴアチカンのミモザの花を見し旅愁
 香を問はむ榠樝の花と聞きしゆゑ ※榠樝=カリン

 膝折りてかがめば我もチユーリツプ
 野に放つ心集めて紫雲英摘む ※紫雲英=ゲンゲ(れんげそう)
 卯の花に雨なき旅路なりしこと
 上空の風の強さに夏燕
 端居して聞ゆる會話聞く會話

 淡き色には心濃し夏衣
 一日の命とて沙羅奢りなく
 若き日を栞る岳麓月見草
 雨太し萬色を重ねたる
 新涼を運び日照雨をこぼす雲 ※日照雨=ソバエ

 踊り拔き阿波の旅寐の深かりし
 邯鄲の波長に耳の合ひし場所
 明日香路の踏み迷ふなく曼珠沙華

白洲正子『十一面観音巡礼』を購入しました。

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表紙の写真は、聖林寺の十一面観音立像です。

先日、白洲正子(1910-1998)のエッセイ『十一面観音巡礼 愛蔵版』(2010)を購入しました。
8月末に奈良の聖林寺を訪れ、十一面観音立像を拝観しました。この仏像について書かれた本を探し、この本に出会いました。この本は1975年刊行の初版を底本として、写真版を再製版し、当時取材撮影された別の写真版や新たに製作した地図を加えて、再編集した新装版です。著者の生誕100年を記念して編集しています。

この本の章立ては以下のようになっています。今回は聖林寺の十一面観音立像について書かれた章についてだけ、言及したいと思います。
◆聖林寺から観音寺へ
◆こもりく 泊瀬
◆幻の寺
◆木津川にそって
◆若狭のお水送り
◆奈良のお水取
◆水神の里
◆秋篠のあたり
◆登美の小河
◆竜田の川上
◆姨捨山の月
◆市の聖
◆清水の流れ
◆白山比の幻像
◆湖北の旅
◆熊野詣
◆あとがき

◆◆聖林寺から観音寺へ
 この章で著者は、奈良県の聖林寺と京都府の観音寺を訪れ、それぞれの十一面観音立像を拝観しました。僕も8月末に二つの寺を訪問したので、とても身近に感じながら読むことができました。以下、気になった文章を引用し、感想などを書きたいと思います。

 案内を乞うと、年とったお坊さまが出て来られた。十一面観音を拝観したいというと、黙って本堂の方へ連れて行って下さる。本堂といっても、ふつうの座敷を直したもので、暗闇の中に、大きな白いお地蔵さんが座っていた。「これが本尊だから、お参り下さい」といわれ、拝んでいる間に、お坊さまは雨戸をあけて下さった。さしこんで来るほのかな光の中に、浮び出た観音の姿を私は忘れることが出来ない。それは今この世に生れ出たという感じに、ゆらめきながら現れたのであった。その後、何回も見ているのに、あの感動は二度と味えない。世の中にこんな美しいものがあるのかと、私はただ茫然とみとれていた。(P7-9)

※聖林寺の本尊は元禄時代に造られた丈六の大石仏「子安延命地蔵菩薩」です。本堂に入った時、十一面観音立像ばかりが気になって殆ど拝観しませんでした。本堂に安置されていると思っていた十一面観音立像が見当たらなくて焦っていたからですが、申し訳ありませんでした。次回はちゃんと拝観させていただきます。
十一面観音立像は本堂を出て、コンクリートの階段を登った先の観音堂に安置されていました。他に誰もいなかったので、ゆっくり拝観させていただきました。美しく、気高いその姿を見て出会えたことに心から感謝しました。


 新築のお堂の中で眺める十一面観音は、いくらか以前とは違って見えた。明るい自然光のもとで、全身が拝める利点はあったが、裸にされて、面映ゆそうな感じがする。前には気がつかなかった落剥が目立つのも、あながち年月のせいではないだろう。いくら鑑賞が先に立つ現代でも、信仰の対象として造られたものは、やはりそういう環境において見るべきである。またそうでなくては、正しい意味の鑑賞も出来ないのではないか。(P13)

※「信仰の対象として作られたものは、やはりそういう環境において見るべきである。」という文章に共感しました。
東寺の立体曼荼羅や三十三間堂の多数の千手観音、東大寺の諸仏等は、古びた堂宇にあるからこそ、その美しさや歴史が見る者にストレートに伝わってくるように思います。
ただ、著者が上の引用文に続く文章で「だが、そういう利点だか欠点だかを超越して、なおこの十一面観音は気高く、美しい。」と述べていることにも共感しました。その仏像に一対一で向き合うことが大切なんだと思います。


 二度目にお目にかかる観音様は、聖林寺を見てすぐなのに美しかった。似ていると思うから、比較したくなるので、まったく別の彫刻として見れば、やはり天平のすぐれた特徴をそなえている。後補が大分あるので、損をしていられるが、仏像ばかりでなく、絵画でも陶器でも、虫眼鏡で観察するようなことに、私はあきあきしている。そういうことは専門家に任せて、ただ全体が美しければそれでいい。その望みを観音様は充分に叶えて下さった。そして、私は幸福であった。しいていうなら、それがこの度の巡礼の目的といえるかも知れない。(P21)


※「似ていると思うから、比較したくなるので、まったく別の彫刻として見れば、やはり天平のすぐれた特徴をそなえている。」という部分にハッとしました。
観音寺の十一面観音立像を見せていただいた時、前日に見た聖林寺の十一面観音立像と比べ、批評家然とした自分がいました。この文章を読み、そんな自分をとても恥ずかしく思いました。これからの見仏は、比べるのではなく、それぞれの仏像と一対一で向き合うことを第一に考えたいと思います。

※※今月末、法隆寺と室生寺、長谷寺、海龍王寺、法華寺に行く予定です。法隆寺以外は有名な十一面観音が安置されています。この本を読んだからではありませんが、偶然こうなりました。


【参考】
白洲正子(しらす・まさこ)
 1910年東京生まれ。幼い頃より能を学ぶ。14歳で米国留学し、28年帰国、女性として初めて能舞台に立つ。29年白洲次郎(1902-85)と結婚。43年、初の著書『お能』を刊行。以降、古典文学、工芸、骨董、自然などについて随筆を執筆。『能面』『かくれ里』(ともに読売文学賞受賞)『近江山河抄』『十一面観音巡礼』『西行』など著書多数。1998年没。(ブックカバーより)

『虚子五句集』(上)を読みました。

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今日、高浜虚子の代表的句集5つを収めた岩波文庫『虚子五句集』(96)上下2冊が揃いました。新品がなかったので中古品を購入しましたが、上下ともとても良い状態です。
以下に5つの句集を列記しましたが、それぞれの句集は俳句雑誌『ホトトギス』の500号記念、550号記念、600号記念、650号記念として、虚子が自選して出版したものです。ただし、『七百五十句』は虚子の死後、長男の高浜年尾と次女の星野立子が選んで出版しています。
なお、句集名=ほぼ収録句数になっていますが、合計すると3,050句+αになります。
以下、一読して気になった句を引用しようと思いますが、3,000句以上あり一気には読めないので、読み終えたらこの記事をアップしようと思います。
 ◇五百句(1937)
 ◇五百五十句(43)
 ◇六百句(46)
 ◇六百五十句(55)
 ◇七百五十句(64)


◆五百句(1937)
 海に入りて生れかはらう朧月
 大根の花紫野大徳寺
 人病むやひたと来て鳴く壁の蝉
 盗んだる案山子(かがし)の笠に雨急なり
 元朝の氷すてたり手水鉢(ちょうずばち)

 間道の藤多き辺(へ)へ出でたりし
 雨に濡れ日に乾きたる幟(のぼり)かな
 遠山(とおやま)に日の当りたる枯野かな
 美しき人や蚕飼(こがい)の玉襷(たまだすき)
 山寺の宝物見るや花の雨

 或時は谷深く折る夏花(げばな)かな
 鎌とげば藜(あかざ)悲しむけしきかな
 行水の女にほれる烏かな
 村の名も法隆寺なり麦を蒔く
 芳草や黒き烏も濃紫(こむらさき)

 寂(せき)として残る土階や花茨(はないばら)
 門額の大字に点(とも)す蝸牛(かぎゅう)かな
 主客閑話ででむし竹を上るなり
 桐一葉(きりひとは)日当りながら落ちにけり
 秋扇(しゅうせん)や淋しき顔の賢夫人

 老(おい)の?茲に紅潮(くれないさ)すや濁り酒
 秋空を二つに断てり椎大樹
 煮ゆる時蕪汁(かぶらじる)とぞ匂ひける
 酒旗(しゅき)高し高野の麓鮎の里
 葛水(くずみず)にかきもち添へて出されけり

 新涼の驚き貌(がお)に来りけり
 三世(さんぜ)の仏(ぶつ)皆座にあれば寒からず
 春風や闘志いだきて丘に立つ
 灯取虫(ひとりむし)燭を離れて主客あり
 葡萄の種吐き出して事を決しけり

 烏飛んでそこに通草(あけび)のありにけり
 これよりは恋や事業や水温む
 麦笛や四十の恋の合図吹く
 秋の灯に照らし出す仏皆観世音
 天日のうつりて暗し蝌蚪(かと)の水 ※蝌蚪=おたまじゃくし

 風鈴に大きな月のかかりけり
 ばばばかと書かれし壁の干菜(ほしな)かな
 白牡丹(はくぼたん)といふといへども紅(こう)ほのか
 かりに著(き)る女の羽織玉子酒
 古椿ここだく落ちて齢(よわい)かな

 古蚊帳の月おもしろく寝まりけり
 橋裏を皆打仰ぐ涼舟(すずみぶね)
 棚ふくべ現れ出でぬ初嵐
 踏青や古き石階あるばかり
 一片の落花見送る静(しずか)かな

 旅笠に落ちつづきたる木(こ)の実かな
 流れ行く大根の葉の早さかな
 寒き風人待ち来る煖炉かな
 虻落ちてもがけば丁字(ちょうじ)香るなり
 眼つむれば若き我あり春の宵

 這入(はい)りたる虻にふくるる花擬宝珠(はなぎぼし)
 炎天の空美しや高野山
 蜘蛛打つて暫(しばらく)心静まらず
 もの言ひて露けき夜と覚えたり
 蕗の薹の舌を逃げゆくにがさかな

 われの星燃えてをるなり星月夜
 酒うすしせめては燗(かん)を熱うせよ
 花の雨降りこめられて謡(うたい)かな
 凍蝶(いてちょう)の己(おの)が魂追うて飛ぶ
 酌婦来る灯取虫より汚きが

 玉虫の光残して飛びにけり
 観音は近づきやすし除夜詣


◆五百五十句(43)
 鴨の中の一つの鴨を見てゐたり
 我心春潮にありいざ行かむ
 眉目(みめ)よしといふにあらねど紺浴衣
 必ずしも鯊(はぜ)を釣らんとにはあらず
 客ありて梅の軒端(のきば)の茶の煙

 かりそめの情は仇(あだ)よ春寒し
 折り折りて尚(なお)花多き宮椿
 たとふれば独楽(こま)のはぢける如くなり
 花の如く月の如くにもてなさん
 玉虫の光を引きて飛びにけり

 此谷を一人守れる案山子(かがし)かな
 落花生喰ひつゝ読むや罪と罰
 行年(ゆくとし)や歴史の中に今我あり
 春闌(たけなわ)暑しといふは勿体なし
 喜びにつけ憂きにつけ髪洗ふ

 棟並(な)めて早稲田大学秋の空
 面やつれしてかつかつと夜食かな
 焚火(たきび)そだてながら心は人を追ふ
 掃きしあと落葉を急ぐ大樹かな
 石はうる人をさげすみ寒鴉(かんがらす)

 たとふればすみ田の春のゆきしごと
 物の芽にふりそゝぐ日をうち仰ぎ
 春寒(はるさむ)もいつまでつゞく梅椿
 黄いろなる真赤なるこの木瓜(ぼけ)の雨
 道々の余花を眺めてみちのくへ

 余花に逢ふ再び逢ひし人のごと
 秋風やうかとしてゐし一大事
 悴(かじか)める手にさし上げぬ火酒の杯
 水仙に春待つ心定まりぬ
 桜餅籠無造作に新しき

 春宵(しゅんしょう)の此一刻を惜むべし
 花の宿ならざるはなき都かな
 吾も亦(また)紅(くれない)なりとついと出(い)で
 秋風や相逢はざるも亦よろし
 名をへくそかづらとぞいふ花盛り

 吾も老いぬ汝(なれ)も老いけり大根馬(だいこうま)
 よろよろと棹がのぼりて柿挟む
 雲なきに時雨を落す空が好き
 立ち昇る炊煙の上に帰り花
 おでんやを立ち出でしより低唱す

 時雨(しぐ)るゝを仰げる人の眉目かな
 大仏に到りつきたる時雨かな
 鼕々(とうとう)と昇り来りし初日から
 懐手(ふところで)して人込みにもまれをり
 美しく耕しありぬ冬菜畑(ふゆなはた)

 冬日濃しなべて生きとし生けるもの
 伏して思ふ朧々(おぼろおぼろ)の昔かな


◆六百句(46)
 大仏に袈裟掛にある冬日かな
 苞(つと)割れば笑みこぼれたり寒牡丹
 過ぎて行く日を惜みつつ春を待つ
 之を斯(か)く龍の玉とぞ人は呼ぶ
 雛納め雛のあられも色褪せて

 破れ傘(やれがさ)を笑ひさしをり春の雨
 経の声和し高まりつ花の寺
 春泥に映りすぎたる小提灯
 神前に花あり帽をとり進む
 散る花を悼む心も慌(あわただ)し

 窓外の風塵春の行かんとす
 石段を登り漁村の寺涼し
 牛も馬も人も橋下に野の夕立(ゆだち)
 燕(つばくろ)やヨツトクラブの窓の外
 昼寝覚め又大陸の旅つづく

 襖みなはづして鴨居縦横に
 夕闇の迷ひ来にけり吊荵(つりしのぶ)
 静(しずか)に居団扇の風もたまに好(よ)し
 夫婦(めおと)らし酸漿市(ほおずきいち)の戻りらし
 よく化粧(けわ)ひよく著(き)こなして日傘さし

 示寂(じじゃく)すといふ言葉あり朴散華(ほおさんげ)
 霧濃(こゆ)し姫向日葵のそよぎをり
 ほととぎす鳴きすぐ宿の軒端かな
 襷(たすき)とりながら案内(あない)や避暑の宿
 自転車に跨がり蝉の木を見上げ

 百姓の木蔭に休む残暑かな
 秋の山首をうしろに仰ぎけり
 鰯雲日和(ひより)いよいよ定まりぬ
 大寺の戸樋(とひ)を仰ぎぬ秋の雨
 本堂の柱に避くる西日かな

 見失ひ又見失ふ秋の蝶
 新聞をほどけば月の芒(すすき)かな
 菊其他キヤラメルも亦供へあり
 機織虫(はたおり)の鳴き響きつつ飛びにけり ※機織虫=キリギリスの異称
 大木の見上ぐるたびに落葉かな

 噂過ぐ時雨のすぐる如くにも
 簪(かんざし)の耳掻(みみかき)ほどの草の花
 そのあたりほのとぬくしや寒牡丹
 海の日に少し焦げたる冬椿
 連翹(れんぎょう)の一枝円を描きたり

 春惜むベンチがあれば腰おろし
 ぼうたんに風あり虻を寄らしめず
 在りし日の如くに集ひ余花の庵(いお)
 やす扇ばりばり開きあふぎけり
 蝶あわてとびまどひをり草刈女(くさかりめ)

 今日の興泰山木の花にあり
 炎天や額の筋の怒(いか)りつつ
 用ゆれば古籐椅子も用を為す
 向日葵を画布一杯に描きけり
 何事も人に従ひ老涼し

 秋灯の下に額を集めけり
 苔の道辷(すべ)りしあとや墓まゐり
 悲しさはいつも酒気ある夜学の師
 足さすり手さすり寝(い)ぬる夜寒かな
 道のべの延命地蔵古稀の春

 大仏の境内梅に遠会釈(とおえしゃく)
 家々の軒端の梅を見つつ行く
 長谷寺に法鼓(ほうこ)轟く彼岸かな
 砂浜を斯(か)く行く防風摘みながら
 紅梅に薄紅梅の色重(いろがさ)ね

 今日ここの花の盛りを記憶せよ
 沈丁(じんちょう)の香の石階に佇みぬ
 法外の朝寝もするやよくも降る
 一蝶の舞ひ現れて雨あがる
 手にうけて開け見て落花なかりけり

 行き過ぎて顧みすれば花しどみ
 脇息に手を置き春を惜みけり
 君とわれ惜春の情なしとせず
 生きてゐるしるしに新茶おくるとか
 温泉(ゆ)の客の皆夕立を眺めをり

 秋風や顧みずして相別る
 よべの月よかりしけふの残暑かな
 過ちは過ちとして爽やかに
 夕立(ゆだち)来て右往左往や仲の町
 いつの間に壁にかかりし帚草(ははきぐさ)

 天高し雲行く方(かた)に我も行く
 椿の葉最も揺れて小鳥居る
 不思議やな汝(な)れが踊れば吾が泣く
 君を送り紅葉がくれに逍遥す
 話しつつ行き過ぎ戻る梅の門

 ただ中にある思ひなり冬日和
 人を見る目細く日向ぼこりかな
 開帳の時は今なり南無阿弥陀
 駒繋(つな)ぐごと自転車を梅が下
 犬ふぐり星のまたたく如くなり

 一時(ひととき)を庭の桜にすごさばや
 落椿(おちつばき)道の真中に走り出し
 春風や離れの縁の小座蒲団
 もてなしの心を花に語らしめ
 蒼海の色尚(なお)存す目刺かな

 昨日今日客あり今日は牡丹剪る
 兎も角も落着き居(お)れば暑からず
 何某(なにがし)の院のあととや花菖蒲
 辛辣の質(さが)にて好む唐辛子
 此頃はほぼ其頃の萩と月

 虹立ちて忽(たちま)ち君の在る如し
 その辺を一廻りしてただ寒し
 榾(ほだ)の火の大旆(たいはい)のごとはためきぬ
 鶏(とり)にやる田芹(たぜり)摘みにと来し我ぞ
 雪深く心はづみて唯歩く

 春雷や傘を借りたる野路の家
 兵燹(へいせん)を逃れて山の月の庵(いお)
 提灯を借りて帰りぬ蛍狩
 大根を鷲づかみにし五六本
 炬燵出ずもてなす心ありながら

セイコーのオートマチック

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今日、セイコーのオートマチック《SARB033》を買いました。
文字盤に「3」「6」「9」のアラビア数字はありませんが、ロレックス《エクスプローラーI》と雰囲気が似ています。かつて《エクスプローラーI》を持っていましたが、久々に「黒い文字盤とステンレス・スチールのベルト」のオートマチックが欲しくなり、この時計を選びました。
これで、僕の持ちたかった時計はだいたい揃いました。これからは、これらをその時の気分や状況に合わせ、大事に使っていきたいと思います。

【参考】現在使用中(※オートマチック)
HAMILTON
 ※カーキフィールドオート(黒)
 ※カーキフィールドオート(シルバー)
 ※ジャズマスタービューマチック
 ※ジャズマスターオートクロノ
 ・ベンチュラ(クォーツ)
SEIKO
 ※オートマチック《SARB033》
 ・ダイバーズウォッチ《プロスペックス》(キネティック:自動巻発電クォーツ)
ORIENT
 ※オリエントスタークラシック
LIP
 ・ヒマラヤ(クォーツ)
CASIO
 ・G-SHOCK《GW-M5610R-1JF》(タフソーラー電波時計)

【参考】ベルト交換
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ハミルトン・カーキフィールドオート(シルバー)と、リップ・ヒマラヤ(クォーツ)のベルトを茶系→黒にしました。どちらもこの方が腕にしっくりなじむ気がします。

《308SW》は楽しい

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ノーマル・モード

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スポーツ・モード

NEW《308SW》はとても楽しいクルマです。今日はその一端を紹介します。
ノーマル・モードからスポーツ・モードに切り替えると、エンジンの回転数が上がり、エンジン音も大きくなります。そして、パネル表示が白から赤に変わります。上の写真では赤があまり強調されていませんが、実際は「真っ赤」です。闘牛の牛ではありませんが、思わず興奮し、アクセルを踏み過ぎてしまいます。

『虚子五句集』(下)を読みました。

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◆六百五十句
 覆(おおい)とり互に見(まみ)ゆ寒牡丹
 我行けば枝一つ下り寒鴉
 草餅の重の風呂敷紺木綿
 金堂の扉を叩く木(こ)の芽風
 藤の雨漸(ようや)く上り薄暑かな

 河骨(こうほね)の花に添ひ浮くいもりかな
 鍬置いて薄暑の畦に膝を抱き
 早苗饗(さなぶり)のいつもの主婦の姉かぶり
 梅雨晴の夕茜(ゆうあかね)してすぐ消えし
 己れ刺(とげ)あること知りて花さうび

 取敢(とりあえ)ず世話女房の胡瓜もみ
 人の世も斯(か)く美しと虹の立つ
 慈雨到る絶えて久しき戸樋(とひ)奏で
 立秋や時なし大根また播(ま)かん
 一塊の雲ありいよゝ天高し

 山里の盆の月夜の明るさよ
 夜半(よわ)過ぎて障子の月の明るさよ
 秋風や静かに動く萩芒(すすき)
 秋時雨かくて寒さのまさり行く
 百丈の断崖を見ず野菊見る

 爽やかに衆僧読経の声起り
 秋雨や旅の一日(ひとひ)を傘借りて
 柿赤く旅情漸く濃ゆきかな
 瓶(へい)青し白玉椿挿(さし)はさむ
 わが懐(おも)ひ落葉の音も乱すなよ

 父恋ふる我を包みて露時雨
 渓谷の少し開けて稲架(はざ)ありぬ
 厚布団薄布団旅続けけり
 手伝ひの来しより漬菜(つけな)あわたゞし
 一つ啼き枝を踏み替へ寒鴉

 お茶うけの雛のあられに貝杓子(かいじゃくし
 身に入(し)みて身の上話花火の夜
 三味(しゃみ)置きて語る花火の宵なりし
 蟬取の網過ぎてゆく塀の外
 秋草をたゞ挿し賤(いや)しからざりし

 虹渡り来(く)と言ひし人虹は消え
 鬼灯(ほおずき)の赤らみもして主(あるじ)ぶり
 夕立や隣りの竿の干衣(ほしごろも)
 新米や百万石を一握り
 何事も野分(のわき)一過の心かな

 人々に更に紫菀(しおん)に名残あり
 椿艶(つばきえん)これに対して老ひとり
 夏の雲徐々に動くや大玻璃戸(おおはりど)
 二三日朝寝昼寝や旅がへり
 能衣装うちかけしごと庭紅葉

 旅にあることも忘れて朝寝かな
 紫蘭咲き満つ毎年の今日のこと
 万緑の万物の中大仏
 濃く淹れし緑茶を所望梅雨(つゆ)眠し
 日蔽(ひおおい)が出来て暗さと静かさと

 人生は陳腐なるかな走馬燈
 笹鳴(ささなき)が初音となりし頃のこと
 よき部屋の深き廂(ひさし)や萩の花
 朝寝もし炬燵寝もして松の内
 一点の黄色は目白赤椿

 春雨の音滋(しげ)き中今我あり
 葉ごもりに引つかゝりつゝ椿落つ
 林なす潮の岬の崖椿(がけつばき)
 年を経て再び那智の滝に来し
 春惜む命惜むに異らず

 蝸牛(ででむし)の移り行く間の一仕事
 緑に腰して夏山に対しけり
 待ちたりし赤朝顔の今朝咲きし
 鎌倉や牡丹(ぼうたん)の根に蟹遊ぶ
 御仏(みほとけ)と相合傘の時雨かな

 彼一語我一語秋深みかも
 干鯊(ほしはぜ)を食積(くいつみ)の昆布巻(こぶまき)にせん
 其他の事皆目知らず老の春
 蓄へは軒下にある炭二俵
 熱燗に泣きをる上戸(じょうご)ほつておけ

 おでんやの娘愚かに美しき


◆七百五十句
 ゆらぎ見ゆ百の椿が三百に
 いぬふぐり空を仰げば雲も無し
 落椿土に達するとき赤し
 諸事は措(お)き牡丹に心うつしけり
 新緑の瑞泉寺とやいざ行かん

 梅雨晴間(つゆはれま)絶えて久しき友来(きた)る
 温泉(ゆ)に入りて唯何となく日永(ひなが)かな
 朝寝して今朝が最も幸福な
 秋風の伊丹古町今通る
 千鳥飛べば我あるものと思ふべし

 無駄な日と思ふ日もあり冬籠
 短夜(みじかよ)や夢も現(うつつ)も同じこと
 郭公も唯の鳥ぞと聞き馴れし
 世に四五歩常に遅れて老の春
 とはいへど涙もろしや老の春

 傲岸と人見るまゝに老の春
 惜春の心もありて人を訪れ(と)ふ
 朝顔の二葉より又はじまりし
 端居(はしい)してげに長かりし旅路かな
 けふの月よからんと云ひ別れけり

 何もせで一日ありぬ爽やかに
 縁に腰そのまゝ日向ぼこりかな
 書き留めて即(すなわ)ち忘れ老の春
 歩み去る年を追ふかに庭散歩
 眠れねばいろいろの智慧夜半(よわ)の冬

 年老いし椿大樹の花の数
 窓外に椿ある故淋しからず
 天草の島山高し夏の海
 夏の蝶日かげ日なたと飛びにけり
 襟首を流るゝ汗や天瓜粉(てんかふん)

 わが庵(いお)の椿に鵯(ひよ)の来る日課
 真つ赤なる障子の隙の庭椿
 彼一語我一語新茶淹れながら
 蠅叩手に持ち我に大志なし
 不精にて年賀を略す他意あらず

 君が来し門椿咲きつゞきをり
 離々として鬱々として春の草
 朝顔を一輪挿に二輪かな
 咲き満ちてこれより椿汚なけれ
 夏蝶の高く上りぬ大仏(おおぼとけ)

 添水(そうず)鳴る故人を憶(おも)ひつゞけをり
 古(いにしえ)を恋ひ泣く老や屠蘇の酔(よい)
 梅あるが故に客も来鶲(ひたき)も来
 此椿花多かりし思ひ出で


村上春樹『羊をめぐる冒険』を読みました。(再)

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今回、新たにオリジナル・カバー版の文庫本を購入しました。新しいのできれいだし、文字が大きく読みやすいのがいいです。


今日、村上春樹の『羊をめぐる冒険』(82)を読み終えました。この作品は、『風の歌を聴け』(79)、『1973年のピンボール』(80)に続く、彼の長編第3作で、内容的には『ダンス・ダンス・ダンス』(88)に繋がっています。
内容について、ブックカバー裏表紙の解説を引用します。
 あなたのことは今でも好きよ、という言葉を残して妻が出て行った。その後広告コピーの仕事を通して、耳専門のモデルをしている21歳の女性がガール・フレンドとなった。北海道に渡ったらしい〈鼠〉の手紙から、ある日羊をめぐる冒険行が始まる。(上巻)
 美しい耳の彼女と共に、星形の斑紋を背中に持っているという一頭の羊と〈鼠〉の行方を追って、北海道奥地の牧場にたどり着いた僕を、恐ろしい事実が待ち受けていた。1982年秋、僕たちの旅は終わる。すべてを失った僕の、ラスト・アドベンチャー。(下巻)

◆タイトル通り、羊がたくさん登場します。背中に星形の斑紋のある羊、羊博士、羊男。
ブルックス・ブラザーズのトレードマークも羊なので、この作品にはとても親近感を感じます。
◆現実と非現実の垣根がなく、いつの間にか、非現実的な物語に引き込まれていきます。これは、現実の世界で音楽や料理、酒などが具体的の描かれているのもその一因かと思います。具体的に描かれた現実世界に羊男や(既に死んでいる)鼠が登場してもなんの違和感もありませんでした。
◆魔力的なほど完璧な形をした一組の耳を持つ、校正係兼耳専門のモデル兼コールガールのガールフレンドが、突然物語から消えてしまいます。
彼女は『ダンス・ダンス・ダンス』で、キキという名前で再登場しますが、羊男の予言通り、僕は二度と彼女に会うことはできません。彼女のファンの僕としてはとても残念です。

チュードル《プリンス・オイスターデイト》

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オリジナルのブレスではなく、黒革のベルトがついていましたが、最近お気に入りで他の時計にも使用しているベルトに替えました。これならスーツだけじゃなく、カジュアルにも似合うと思います。

昨日、チュードルの《プリンス・オイスターデイト》を購入しました。1970年代に製造された、アンティークに分類される、自動巻腕時計です。つくば市の機械式腕時計専門店〈doppeL〉のHPで見つけ、現物確認後、即購入しました。
僕はクラシックな雰囲気(たたずまい)の時計が好きで、《オリエントスター・クラシック》などを持っていますが、本当のクラシック時計が欲しくなり、この時計を手に入れました。

この《プリンス・オイスターデイト》について、〈doppeL〉のHPから抜粋して引用します。
◆ブレスがありませんが・・ラージケースの『Ref.9080/0』になります。
◆オリジナルのコンディションで~やや文字盤に経年変化がありますが、状態は良いと思います。
 (OH済みですので精度も充分。)
◆ケースの痩せも少なく~しっかり仕上げてありますので、ケースエッジも立っています。
◆針夜光、インデックス夜光の欠落もなく~良いヤケ感で雰囲気◎。
 (普段使いしたいですね。)
◆価格も~手の出しやすい価格帯ですので、アンティーク入門モデルとしても最適な1本です。

村上春樹『象の消滅 短篇選集1980-1991』を読みました。

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ペーパーバック風の装丁が気に入っています。ただし、紙質はペーパーバックよりずっといいです。

今日、村上春樹の『象の消滅 短篇選集1980-1991』(2005)を読み終えました。
この短編集について、著者による巻頭の「アメリカで『象の消滅』が出版された頃」から一部を引用します。
 この『象の消滅』という本は、アメリカのクノップフ社から1993年に発行された僕の短編小説集“The Elephant Vanishes”の日本語版である。ラインナップも、収録順序も英語版をそのまま踏襲している。もちろん英語から日本語に翻訳されているわけではなく、原則として僕が日本語で書いたかたちのまま――つまりオリジナル・テキストのまま――収録されている。僕の短編小説群はこれまでのところ外国では、原則的にアジアで一部地域とロシアを別にして、この“The Elephant Vanishes”という共通パッケージングで出版されている。そうしないと短編小説の場合、個々の作品の管理がとても面倒なことになってしまうからだ。また英国の劇作家サイモンマックバーニーによって、この中の作品をいくつか組み合わせたかたちで舞台化され(タイトルは“The Elephant Vanishes”)、日本人の役者によって世界各地で公演され、高く評価されることになった。そういういくつかの点で、僕の作家としての履歴にとって、この作品集=セレクションの持つ意味は決して小さなものではない。

【収録作品】( )は収録短編集
ねじまき鳥と火曜日の女たち(『パン屋再襲撃』1986)
 今作品は、やがて『ねじまき鳥クロニクル』(第1・2部94、第3部95)へと発展します。

パン屋再襲撃(『パン屋再襲撃』)
 「ねじまき鳥と火曜日の女たち」に登場した「僕」と妻の、その1、2年前の話。二人はレミントンのオートマティック式の散弾銃でマクドナルドを襲撃し、ビッグマック30個を奪います。
 この作品は映像化したらおもしろいと思います。かつてのパン屋襲撃と今回のマクドナルド襲撃を描きながら、ところどころに「僕」の飢餓感を象徴する海底火山とその真上に浮かぶ小さなボートのイメージを挿入します。とてもシュールな作品になるでしょう。
 ところで、この作品中の空腹に関する表現がおもしろかったので、引用しておきます。
・「オズの魔法使い」にでてくる竜巻のように巨大な空腹感
・空から見たシナイ半島のごとき茫漠とした我々の空腹

カンガルー通信(『中国行きのスロウ・ボート』1983)
 こんな通信をもらったら、大抵の人はビビってしまうでしょう。どう考えたって、このデパートの苦情係は異常です。

四月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて(『カンガルー日和』1983)
 作品のタイトルはおもしろいけど、こんな妄想を現実にされたら怖いでしょう。

眠り(『TVピープル』1990)
 主婦の「私」は、眠れなくなってもう17日目になります。そんな「私」の日常が一人称で語られていきますが、ラストが近づくと、読者を恐怖と狂気が包みます。この作品も映像化したらおもしろいと思います。

ローマ帝国の崩壊・一八八一年のインディアン蜂起・ヒットラーのポーランド侵入・そして強風世界(『パン屋再襲撃』)
 「僕」はいつものように日曜日の午後に一週間分の日記をつけていました。すると、いつの間にか激しい風が吹き荒れていました。そんな様子を、「僕」は「ローマ帝国の崩壊」になぞらえます。
ちょっとしたことにでも名前をつけると、そのことをずっと忘れないでいられるかも、と思いました。

レーダーホーゼン(『回転木馬のデッド・ヒート』1985)
 妻の女友だちの母親が夫を捨てた原因は、半ズボン(正確にはレーダーホーゼン)にあるという話。

納屋を焼く(『蛍・納屋を焼く・その他の短編』1984)
 時々納屋を焼くという、「僕」の女友達の恋人は『ダンス・ダンス・ダンス』(88)の五反田君の原型のような気がします。

緑色の獣(『レキシントンの幽霊』1996)
 緑色の獣は椎の木の化身? だとしたら、「私」は何と残酷なことをしたんだろう。

ファミリー・アフェア(『パン屋再襲撃』)
 やれやれ、って感じ。

(『カンガルー日和』)
 これもやれやれ、って感じ。僕もハンバーグ・ ステーキが食べたくなりました。

TVピープル(『TVピープル』)
 TVピープルっていったい何者? この作品も『ねじまき鳥クロニクル』(第1・2部94、第3部95)につながっているような気がします。ガルシア・マルケスの『百年の孤独』を注文しました。

中国行きのスロウ・ボート(『中国行きのスロウ・ボート』)
 「僕」が出会った3人の中国人とのエピソードが語られます。大学2年の夏休み、僕は友人と神津島に行きましたが、そこで香港から来ていた2人の中国人と知り合いました。この作品を読み、久々にその当時のことを思い出しました。

踊る小人(『蛍・納屋を焼く・その他の短編』)
 美しい彼女がゾンビ(?)へと変化する場面がおぞましいけど、ジョージ・オーウェルの『一九八四年』っぽい世界観がおもしろい。

午後の最後の芝生(『中国行きのスロウ・ボート』)
 「僕」の芝刈り、というよりは仕事へのこだわりに共感を覚えます。芝刈りの依頼主である中年の女も「僕」の仕事ぶりを評価し、今ではそこにいない彼女の娘の部屋に案内します。

沈黙(『レキシントンの幽霊』)
 この作品に登場する青木のような人物は他の村上作品にも登場したような気がします。

象の消滅(『パン屋再襲撃』)
 像の消滅は不思議ですが、「僕」が編集者の女性と寝なかったのはもっと不思議です。他の村上作品では主人公はかなりの高い確率で知り合ったばかりの女性と寝ていますから。

《5回目》沖縄に行って来ました。

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11月23日(水)から26日(土)まで、3泊4日の日程で沖縄に行って来ました。
今回は以下のような所を訪ねましたが、とても充実した旅になりました。

◆首里城公園、中城(なかぐすく)城跡、勝連(かつれん)城跡、今帰仁(なきじん)城跡
◆糸数アブチラガマ、ひめゆり平和祈念資料館
◆沖繩工芸村(琉球ガラス工房)、ハートロック(古宇利島)、美ら海水族館、国際通り
◆御菓子御殿恩納店、カフェこくう(今帰仁村)

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勝連城跡

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美ら海水族館

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国際通り

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首里城公園

「SEAL」のスマートキーケース

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先日、「SEAL」のスマートキーケースを購入しました。表面はタイヤチューブ製で、内装は皮を使用しています。皮の色はレッド、オレンジ、ペールブルーの3色がありますが、僕はペールブルーを選びました。

my 見仏記18~東京国立博物館(再)

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今日、上野恩賜公園内にある東京国立博物館で「特別展 平安の秘仏――滋賀櫟野寺の大観音とみほとけたち」を見ました。秘仏《十一面観音菩薩坐像》をはじめ、滋賀県櫟野寺(らくやじ)の仏像20体が展示されていました。
8月に奈良県聖林寺の《十一面観音立像》に出会って以来、十一面観音に心惹かれるようになりました。10月末には室生寺や長谷寺、法華寺、海龍王寺等(いずれも奈良県)を訪ね、それぞれのお寺の十一面観音を見る予定でしたが、家の都合で直前にキャンセルせざるをえませんでした。そんな時、この特別展の開催を知り、ぜひ見ようと思っていました。しかし、延び延びになり、今日になってしまいました。櫟野寺の《十一面観音菩薩坐像》は秘仏で、本来特別拝観日以外は見られません。しかも、現在櫟野寺では本堂及び文化財収蔵庫(宝物殿)の改修中で、平成30年10月まで公開しないとのこと。今回、上野で見られたのはとてもラッキーでした。

◆特別展
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櫟野寺十一面観音菩薩坐像(特別展図録を複写)

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 本尊の十一面観音菩薩坐像は、大きな厨子の扉の奥に秘仏としてまつられています。像高が312cmに及ぶ巨像ですが、頭と体を一本の木から彫り出す一木造です。頬が張ってやや角張り、目尻を吊上げた細く厳しい目、太い鼻、厚い唇といった威厳に満ちた表情をしています。厨子の中ではよくみえませんが、頭上には仏面と菩薩面が十一個ついています。腹部の二本の線や、広々とした脚部とそこに配される整然とした衣の襞(ひだ)は、研究者のあいだで「天台薬師」と呼ばれる、最澄が彫ったという薬師如来像にならった像にみられる特徴です。(特別展図録P15)

〈重要文化財〉十一面観音菩薩坐像
 木造・漆箔・彩色/像高312.0/平安時代 10世紀
 櫟野寺の本尊。髪際(はっさい)高一丈六尺の、重要文化財に指定された像のなかで日本最大の十一面観音菩薩坐像です。平安時代後期、洛中を中心に藤原摂関家や天皇、上皇の発願によって巨像が多数造られましたが、この像はそれをさかのぼる時期に都から少し離れた甲賀(こうか)につくられたことが注目されます。巨像をつくるには人手と資金が必要で、それを供給する力がこの地に注がれたことがわかります。
 頭上に十一面を戴きます。その内訳は頂上に仏面、髻(もとどり)の周囲に菩薩面3、瞋怒(しんぬ)面3、牙上出(げじょうしゅつ)面3、大笑(だいしょう)面1で、正面中央には化仏(けぶつ)立像を付します。菩薩面は丸顔で伏し目、鼻梁が太く唇の厚い容貌が、瞋怒面以下は目が丸々と大きく、引き締まった肉付きに10世紀の特徴が顕著です。
 本面は頬の肉付きが豊かな下膨れの顔で、眉は稜(りょう)を立てて弓状に孤を描きます。眼球の膨らみが強いので目が鋭く見えます。鼻と口の間が狭く、かたちの良い唇もたっぷり肉が付いています。容貌は端正で、頭上の菩薩面に比べて洗練されています。からだは上体の丈が長く、均整がとれています。条じょうはく)や裙(くん)に刻まれた衣文(えもん)は鎬(しのぎ)立っていますが浅く、そして平行に整えられています。(同P79)

◆常設展
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曹源寺(神奈川県)十二神将立像。東京国立博物館では「撮影禁止」マークがなければ撮影可能です。ただし、フラッシュ撮影は不可。

特別展を見たあと、常設展の仏像を見ました。こちらにも十一面観音が2体展示されていました。奈良県子嶋寺の十一面観音菩薩立像(平安時代・9世紀)と同當麻寺の十一面観音菩薩立像(平安時代・11世紀)です。子嶋寺の十一面観音は木造ですが、薬師寺東院堂の聖観音(東京国立博物館にレプリカ展示)を連想するくらい、いい表情だったと思います。

◆グッズ・土産
・図録「特別展 平安の秘仏――滋賀・櫟野寺の大観音とみほとけたち」
・絵ハガキ

初めての蕎麦猪口

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今日、上野公園内の東京国立博物館で櫟野寺(らくやじ)の《十一面観音菩薩坐像》を見た後、公園内で開催されていた「佐賀・長崎観光物産展」を覗いてみました。
会場のテントに入り、それぞれの県の特産品を見てまわった後、有田焼のお店で蕎麦猪口(蛸唐草)を買いました。最近、蕎麦猪口に興味を持ち始めていましたが、まあ衝動買いです。佐賀県武雄市の中島陶芸の製作です。

初めてのLAMY万年筆

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今日、注文しておいたLAMY(ラミー)の万年筆《サファリ・スケルトン》(極細字、カートリッジ・コンバーター両用式)が届きました。
さっそく、一緒に注文したブルーブラックのカートリッジを使い、試し書きをしてみました。デザインが気に入って購入しましたが、まあまあ書きやすいし、ずっと使えそうな気がします。

沖縄に行って来ました。(2)

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私は沖縄の城跡が好きです。いずれも小高い丘の上にあり、建物が復元された首里城以外は石垣が残るだけですが、その石積みは美しく、城跡から望む海の風景は雄大です。
今回は首里城と中城城、勝連城、今帰仁城を訪ねましたが、座喜味城に行けなかったのが心残りです。

首里城公園
 首里城(しゅりじょう、スイグスク)は、沖縄県那覇市首里にあり、かつて海外貿易の拠点であった那覇港を見下ろす丘陵地にあったグスク(御城)の城趾である。
 琉球王朝の王城で、沖縄県内最大規模の城であった。戦前は正殿などが旧国宝に指定されていたが、1945年(昭和20年)の沖縄戦と戦後の琉球大学建設により完全に破壊され、わずかに城壁や建物の基礎などの一部が残っている。1980年代前半の琉球大学の西原町への移転にともない、本格的な復元は1980年代末から行われ、1992年(平成4年)に、正殿などが旧来の遺構を埋め戻す形で復元された。1993年(平成5年)に放送されたNHK大河ドラマ「琉球の風」の舞台になった。1999年(平成11年)には都市景観100選を受賞。その後2000年(平成12年)12月、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録されたが、登録は「首里城跡(しゅりじょうあと)」であり、復元された建物や城壁は世界遺産ではない。
 周辺には同じく世界遺産に登録された玉陵、園比屋武御嶽石門のほか、第二尚氏の菩提寺である円覚寺(えんかくじ)跡、国学孔子廟跡、舟遊びの行われた池である龍潭、弁財天堂(べざいてんどう、天女橋)などの文化財がある。(Wikipediaより)

守礼門をくぐり正殿(せいでん)をめざしますが、途中には多くの門があり、守礼門から歓会門、瑞泉門、漏刻門、広福門、奉神門を経て正殿に到ります。

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守礼門

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広福門

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正殿

中城城(なかぐすくじょう)跡
 中城城は、沖縄県中頭郡北中城村・中城村に存在した日本の城。15世紀の琉球王国・尚泰久王代、護佐丸のグスク(城)として知られる。城壁の増築により現在みられる規模になったと考えられるが、築城の時期は不明。
 中城城は当時貿易港であった屋宜港から2キロメートルほど離れた標高約160メートルの丘陵上にあり、中城村の北西から南側に伸びていく丘陵の東崖縁を天然の要害とし、グスクの中で最も遺構がよく残っていることで知られている。石垣の上に立つと西に東シナ海、東に中城湾(太平洋)、さらには洋上の島々まで見渡せる。(Wikipediaより)

私がいちばん心惹かれるのが中城城です。石積みが美しく、アーチ形の門には技術力の高さを感じます。また、石垣の上から望む太平洋は雄大で、吹く風も心地よく感じます。

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勝連城(かつれんぐすく/かつれんじょう)跡
 勝連城は、沖縄県うるま市にあったグスク(御城)の城趾である。阿麻和利の城として知られている。
城は勝連半島の南の付け根部にある丘陵に位置する。南城(ヘーグシク)、中間の内、北城(ニシグシク)で構成されている。北城は石垣で仕切られた一から三の郭が階段状に連なり、一の郭が最も高く標高約100mの丘陵上にある。
 13世紀-14世紀に茂知附按司により築城されたという。この城の最後の城主が阿麻和利である。阿麻和利はクーデターを起こしてこの地方の按司となり、琉球の統一を目論んだが1458年に琉球王府によって滅ぼされた。
 城内からは中国、元代の陶磁器(染付)が出土しており、『おもろさうし』からも当時の繁栄をみることができる。民俗学者の柳田国男は、勝連が当時の文化の中心であったことは大和(やまと)の鎌倉のごとしと『おもろそうし』にあるように、浦添・首里・那覇を中心とした浦添文化に対して、系統上異なる勝連文化と言うべきものがあったのではないか、と推測した。
 城壁の石は道路工事の石材などとして持ち去られてきたが、現在は復元工事により往時の姿を取り戻しつつある。(Wikipediaより)

今回、勝連城を初めて訪ねました。下から眺めると、どこか外国のお城のようで、とても興味が湧きました。
登るのはたいへんでした。かなりの急坂で、雨が降ったらすべって転びそうです。でも、城跡の頂上からの眺めはとても素晴らしいと思いました。

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今帰仁城(なきじんぐすく/なきじんじょう)跡
 今帰仁城(別名:北山城(ほくざんじょう、ほくざんぐすく))は、沖縄県国頭郡今帰仁村に位置する城跡である。14世紀、琉球王国成立以前に存在した北山の国王・北山王の居城であった。国の史跡に指定されている。
 城内からは中国や東南アジアなどの陶磁器が多く出土し、往時の繁栄をうかがわせる。北山は尚巴志に1416年(応永23年・永楽14年。1422年(応永29年・永楽20年)説もある)に滅ぼされるが、北山が滅ぼされた後も旧北山統治の要所として引き続き使用され、北山監守が派遣された。1609年の薩摩藩による琉球侵略の際には、その攻撃の第一目標となった。
 現在も石垣などの遺構の整備が進み、今帰仁城跡として1972年(昭和47年)5月15日に国の史跡に今帰仁城跡として指定される。門から城の中心部へと向かう階段(戦後に造られたもの)の左右にはカンヒザクラの並木があり、毎年1月末-2月始めに開花する。本部町の八重岳などと並び、桜の名所として知られている(日本トランスオーシャン航空作成の壁掛けカレンダーの1月は最近数年間この桜景色が写真を飾っている)。城内には志慶真乙樽歌碑や山北今帰仁城監守来歴碑記などの碑もある。(Wikipediaより)

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狆詛瓩任靴腓Δ、城内の休憩スペースにいました。ここにいれば客からエサがもらえるんでしょう。

沖縄に行ってきました。(3)

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ハートロック
タクシーの運転手さんに「この辺でおもしろそうなところがあったら行ってください。」と言ったら、ここに案内してくれました。嵐のCMで有名になった岩だそうです。どう見たらハート型に見えるのか、よくわかりませんでしたが、多くの観光客が(中には外国の方も)いました。
ハートロックがある古宇利(こうり)島に行くには、古宇利大橋(全長1,960m)を渡ります。この橋は通行無料の一般道路としては日本最長だそうです。橋の両側に海が広がります。絶景です。

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沖縄工芸村(琉球ガラス工房)
恩納村の《沖縄工芸村》という工房で琉球ガラスの手作り体験をしました。ほとんど職人の方の手助けで作りましたが、焼けたガラスに息を吹き込み、それがふくらむ感覚を味わえたのはとてもよかったと思います。

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私が作ったグラス


美ら海水族館
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ジンベエザメの水槽はいつものように観光客で混雑していました。

沖縄に行ってきました。(4)

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御菓子御殿 恩納店
お土産と昼食のために立ち寄りました。お土産は〈紅いもタルト〉と〈塩胡麻ちんすこう〉。食事は海が見える展望レストラン《美ら海》で〈タコライス〉を食べました。

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初めて〈タコライス〉を食べました。食べるのに夢中になってしまい、写真を撮るのを忘れていました。食べかけの写真ですが、こんな感じの料理です。

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食後に〈紅いもロール〉を食べました。前方は東シナ海。


カフェこくう
運転手さんに「海が見える、小洒落た」食事処をリクエストしたら、今帰仁(なきじん)村にある《カフェこくう》に案内してくれました。まったく「海が見える、小洒落た」カフェでした。とてもいい感じで、くつろげました。

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丘の上の《カフェこくう》から太平洋を見下ろす。(HPより)

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野菜中心のランチ・プレート


ホテルから伊江島を望む。
ホテルは新しく、部屋は清潔感があり、ベランダからの眺めはとても素敵でした。

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オリエント《スリースター・カバン》

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先日、オリエントの自動巻機械時計《スリースター・カバン》を購入しました。デザインと色、時間の表示方法がユニークだったので、衝動買いしてしまいました。
発売当時のメーカー希望小売価格は16,800円(消費税込み)で、色はブルーとグリーン、ブラック、レッド、パープルだったようです。すでにほとんどのショップでは売り切れていたので、レッドかパープルしか選択肢はありませんでした。

以下、ファースト・インプレッションです。
・デザインや時間の表示方法がユニークなところは気に入っていますが、慣れないせいか、時間が読み取りにくいです。
・本当はブルーかグリーン、ブラックが欲しかったのですが、ジャパンカラーと思えば赤白も悪くない気がします。
・どうしてカバン(鞄)なのかわかりません。
・総じて言うと、まあまあ気に入ってます。
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