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初めての外科手術

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久々に《308SW》の写真を撮りました。筑波大学附属病院の駐車場にて

今日、「右手関節部皮下腫瘍摘出術」という、右手首にできた脂肪腫(良性)を除去する手術を受けました。
数年前から気になっていた脂肪腫ですが、痛くも何ともなかったのでそのままにしていました。最近、別の件で形成外科に通っているので、ついでに取ってもらいました。
簡単な手術かと思っていましたが、神経が脂肪腫に絡まっていたようで、結構時間がかかりました。切除した脂肪腫は僕の親指くらいの大きさでした。血で真っ赤だったので、今朝食べた辛子明太子を連想しました。

村上春樹訳『プレイバック』を読みました。

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今日、レイモンド・チャンドラーの『プレイバック』(58、村上春樹訳)を読み終えました。
この作品は、私立探偵フィリップ・マーロウを主人公とする7冊の長編小説の7番目にあたります。また、この作品はマーロウのあの名言ばかりが取り沙汰され、作品としての評価は一般的に低いとされています。
この作品には突っ込みどころが多いと思いますが、久々にマーロウと再会でき、他の6作品も再読してみようと思いました。
ところで、村上春樹によるフィリップ・マーロウ・シリーズの翻訳はこれが6冊目で、残すは『湖の中の女』(The Lady in the Lake、清水俊二訳『湖中の女』)だけです。出来るだけ早く読めることを期待しています。

【感想】
◆マーロウとベティー・メイフィールドのあの有名な会話は以下のように訳されています。
マーロウ「これほど厳しい心を持った人が、どうしてこれほど優しくなれるのかしら?」
ベティー「厳しい心を持たずに生きのびてはいけない。優しくなれないようなら、生きるに値しない」(P279-280)
この会話だけを取り上げれば、マーロウの言葉はかっこいい決め台詞だと思いますが、この会話は前後の文脈からすると少し浮いているように感じます。
◆ヘンリー・クラレンドンのエピソードは不要だし、全体的に冗長な印象は否めません。
◆マーロウは二人の女性と性的な関係を結びますが、マーロウってこんなに簡単に女性と寝るんだっけ? と思いました。
この作品のラストに登場するリンダ・ローリング(『ロング・グッドバイ』の登場人物)への思いを断ち切るためだったのでしょうか? だとしたら、ハードボイルドなマーロウも普通の男っぽくていいなと思います。

美味しいワインをいただきました。

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今日、友人から赤ワインをいただきました。とても甘いワイン、ということでしたが、飲みやすい美味しいワインでした。
糖尿病治療中なので禁酒していましたが、我慢できずに飲んでしまいました。

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『図説 仏像巡礼辞典』を購入しました。

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聖林寺の十一面観音立像がカバー写真に使われています。


今日、久野健編『図説 仏像巡礼辞典 新訂版』(86、01新訂)を購入しました。
この本の構成は以下のようになっています。

機(像の見方
 1 仏像の種類とその姿
  (1)如来(2)菩薩(3)天部(4)明王(5)羅漢(6)その他
 2 坐法・印相と荘厳
  (1)坐方(2)如来の服制と名称(3)印相(4)持物(5)光背(6)台坐(7)天蓋
 3 仏像の技法と石仏
  (1)金銅仏の技法(2)脱乾漆造の技法(3)木心乾漆造の技法
  (4)塑造の技法(5)木彫の技法・一木造(6)木彫の技法・寄木造(7)石仏の流れ

供(像巡礼
 1 近畿地方
 2 中国地方
 3 四国地方
 4 九州地方
 5 中部地方
 6 関東地方
 7 東北・北海道地方

庭のワビスケツバキが咲きました。

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今日、庭のワビスケツバキ「有楽」(太郎冠者とも言う)が咲いていました。寒さのせいか、ちょっとシワシワになっていました。でも、せっかく咲いてくれたので撮影しました。(フジフイルムX-E1/35mm F1.4)

『佐藤佐太郎歌集』を読みました。

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昨夜、『佐藤佐太郎歌集』(佐藤志満編、1991)を読み終えました。
この歌集については、巻末の「あとがき」を抜粋、引用したいと思います。
 佐藤佐太郎の作歌は、18歳の少年のときから没する半年前の77歳まで丁度60年間に及んでいる。その間の歌数は13冊の歌集として公にしたものが6,620首であり、その他雑誌等に発表しても歌集には載せていないものが約1,500首あるから、生涯に凡そ八千余首の短歌を作ったことになる。一万数千首に及ぶ斎藤茂吉の作歌と比べると少なく、厳選主義であった佐藤の行き方がこういうところにも現れている。
 これらの歌は、それぞれ編年順に歌集に収められているが、第二歌集『軽風』(作歌の順では第一歌集)から第十歌集『開冬』までの作品は『佐藤佐太郎全歌集』(昭和52年、講談社刊)に集約され、その後は、第十一歌集『天眼』、第十二歌集『星宿』、第十三歌集『黄月』となっている。
 (中略)
 本集はこれらを参考としながら、一首一首について新たに吟味選出し、最終歌集『黄月』の代表作も加えて、佐藤佐太郎選集の決定版を目指したものである。
 佐太郎は斎藤茂吉門下に育ち、短歌の正統を歩みつつこの器を満たすべき新しさをつねに求めつづけた処女歌集『歩道』が昭和15年の秋に刊行されたとき、茂吉はねんごろな序文を寄せて「佐藤君の歌は取りも直さず根岸短歌会の一新風として登場したといふことになる」と言ったが、この「新風」を作歌60年の間推し進めて、その成果がそれぞれの歌集となり、今この選集に凝縮されている。斬新を求めつづけて佐太郎はおそろしく寡黙であったし、自身に厳しく、当然周囲にも厳しく作歌に当たった。歌人にとって作品が全てだということを名実共に実行したのである。それゆえこれらの作品の一首一首に佇立するように読んでいただけたらありがたいと切に願うものである。

以下、一読して気になった歌を引用します。

「軽風」(大正15年~昭和8年)
夜の床に心をどらしてものごとを虚構する我は年経てやまず
虎杖(いたどり)の萌ゆるを見ればこの山に一日(ひとひ)照りたる日は傾きぬ

「歩道」(昭和8~15年)
道のべに高桑の葉はみづみづしひとたび摘みしのちの若き葉
かりそめの事なりしかど眠りたる女(をみな)に照りし月おもひ出づ
曇(くもり)より光もれ来るひとときや部屋にゐる吾あらはになりぬ
夕茜みつつ来りて土手のうへの枳殻(からたち)の枝やさしかりけり
霧のむた暗くなりたる湖に蝶ひとつとぶ沖にむかひて

雨やみし大川にはやち吹きながら向ひの岸に虹たちにけり
電車にて酒店加六(かろく)に行きしかどそれより後は泥のごとしも
ゆきずりに暗き空地を見て佇(た)ちぬ低くふく風ここを過ぎゆく
目覚めたるわれの心にきざすもの器につける塵(ちり)のごとしも
寝ぐるしき夜なりしかどものの音しばらく絶えて暁(あかつき)になる

をりをりの吾が幸(さいはひ)よかなしみをともに交へて来りけらずや
夢にくる悦楽すらや現実に在る程度にてやがて目覚むる
ひとときの心虚しくわが窓は酸漿色(ほほづきいろ)に日暮れかかりぬ
わたくしの心みだれて生けるもの死にたるもののけぢめさへなし
さいはひも憂(うれひ)もなべて新しく迎ふるときは厳しかるらし

暑き日の午後のちまたは風たえて塔のごとくに公孫樹(いちやう)たちたり
ひとときの心と思(も)へど耐へがたく虚しくなれば身じろぎもせず

「しろたへ」(昭和15~18年)
曼珠沙華むらがり咲ける花みれば盛(さかり)すぎしは紫のいろ
わが内にきざせるものをめぐり来し季(とき)の心と謂(い)はば安けむ
むし暑き曇り空にて椎の木の下を来(き)ぬれば花の香ぞする
山葵田(わさびだ)をやしなふ水は一谷(ひとたに)にさわがしきまで音ぞきこゆる
をさな子は驚きやすく吾がをればわれに走りて縋(すが)る時あり

白椿あふるるばかり豊かにて朝まだきより花あきらけし
かへり来て水をのみゐし幼子は風ふく外にまた出で行けり
私のそそぐ涙もある時は浄(きよ)き炎のごとくあらむぞ
幼子のもてあそべるは山茶花のはなびらにしてかすかの香(か)あり

「立房(たちぶさ)」(昭和20~21年)
風はかく清くも吹くかものなべて虚しき跡にわれは立てれば
胃のいたみ鎮(しづま)りゐたるさ夜なかに青柿の実の土に落つる音
頭髪(かみのけ)があたたかきかな幼子は外の秋日(あきび)にあそび来しかば
つつましき心をたもち居らんときいづる言葉も浄くしあらん
わがこころ?椈(らふ)のごとしと夜半(よは)をれば轟々(がうがう)として遠き風あり

しづかなる若葉のひまに立房(たちぶさ)の橡(とち)の花さきて心つつまし
しろがねの如き光をたたへたる朝の麦畑(むぎはた)にいでて来にけり
朝あけてまだしづかなる空が見ゆ木々の青葉のうへの朱雲(あけぐも)
虎杖(いたどり)のふとく萌ゆるはこころよし石狩川の曇る川岸
しみとほる雲の紫ゆふぐれの湖(うみ)をおほひて一時(ひととき)こほし

花すぎし蓮のしげりよさえざえとしたる緑は心いたきまで
とほどほに息づくごとき星みえてうるほふ夜の窓をとざしぬ
夜ふけて再びみれば厳かの形象(かたち)のままに星かたむきぬ
心充(み)ちし日々といはなくに蓼(たで)の茎あかざの茎のうつくしき時

「帰潮」(昭和22~25年)
係恋(けいれん)に似たるこころよ夕雲は見つつあゆめば白くなりゆく
胸にふく嵐のごとくかくありて怒のために罪を重ぬる
潮(しほ)のごと騒ぐこころよ火をいれぬ火鉢によりて一時(ひととき)をれば
近き音遠きおと空をわたりくるこの丘にしてわがいこふ時
夕映(ゆふばえ)のおごそかなりしわが部屋の襖をあけて妻がのぞきぬ

地(つち)の上ものみな軽くただよはん風とおもひて夜半(よは)にさめ居り
くもり空とりとめもなく輝きてわがからだしきりに重き感じす
大根の散りがたの花おぼろにて飛行機の音とほく聞こゆる
あぢさゐの藍のつゆけき花ありぬぬばたまの夜あかねさす昼
雲間よりかりそめに光来るごとくためらひながら生きてゐる吾

あからさまに言ひがたきことさまざまにありて孤独をかつて満(みた)しし
極楽寺の石のきざはしのぼるとき右も左も晩春の麦
貧困にしてかくのごとあり経れば妻にいきどほる事さへもなし
新橋にいでて焼酎をときに飲む貧困なれば度たびならず
街上のしづかに寒き夜の靄(もや)われはまづしき酒徒(しゆと)にてあゆむ

霜どけのうへに午前のひかり満ち鶏はみなひとみ鋭(するど)し
空間のなみだつごとき気配して起きゐたる六月二十六日の夜
桃の木はいのりの如く葉を垂れて輝く庭にみゆる折ふし
秋分の日の電車にて床(ゆか)にさす光もともに運ばれて行く
体内の器官によりてきざすもの悲哀の如く不安のごとく

「地表」(昭和26~30年)
夜ふけし家に帰ればわが庭の芙蓉は明日(あす)の花ひらきそむ
高層のひろき窓々冬雲のはれし昼にて空の香をもつ
反射光の低くただよふ如くにて真下に海を見つつ過ぎゆく
宵々の露しげくしてやはらかき無花果(いちじく)の実に沁(し)みとほるらん

「群丘」(昭和31~36年)
対岸の火力発電所瓦斯(がす)タンク赤色緑色等の静寂
大工等の憩(いこひ)の声がきこえをりみな地方より出で来しものぞ
島にある分教場の楝(あふち)の木花おぼろにてしきりに落つる
ことごとく山のなだりは蘇鉄の木風にすがしくその葉輝く
夕凪のなほ暮れがたき日のひかり仏桑華の赤き花を照らせり

ゆくりなくわがをとめごの掌を見たり大きくなりし掌
あかあかと竜飛の海におつる日をおきざりにする如く帰り来(く)
クレソンの青も落葉も池のうち水の音せぬ水源地にて
みづからのいびき聞きつつ睡るなり漸く知りしかかる安けさ

「冬木」(昭和37~40年)
よもすがらひすがら海は音たえて白く凍りぬ知床の海
知床の白き海よりてりかへす光のなかにしばし憩ひき
冬の日といへど一日(ひとひ)は長からん刈田に降りていこふ鴉ら
夕立の雨はれしかば天草の海のおもてより直(す)ぐに虹たつ
天草の福連木越(ふくれぎごえ)は八月のゆふくらがりに早稲の香ぞする

ただよへる雲の境がけぢめなくにごりて暑き午後となりたり
飛行する夜空にみれば地上にてあげし花火のちひさく開く
湖岸(うみぎし)のひろき畑に甘藍の霜やけて赤き葉を見つつゆく
餅のかび百合の根などのはつかなる黄色もたのし大寒(たいかん)の日々
白鳥はからだおもければとびたつと水の上かける如くはばたく

憂(うれひ)なくわが日々はあれ紅梅の花すぎてよりふたたび冬木
湧きあがる渦(うづ)のしづかさ湧きしづむ渦のさわだちこもごもに見ゆ
遠くより示威行進のこゑきこゆ個々の声なきどよめきとして

「形影」(昭和41~44年)
満潮(みちしほ)になりし浜より帰りくる風を負ひ枸杞(くこ)の芽をつみながら
あたたかき冬至の一日(ひとひ)くるるころ浜辺にいでて入日を送る
病院の第五階にてわが窓はおほつごもりの夜空にひたる
ひき潮のときゆゑ石蓴(あをさ)あらはれて静かなる寒(かん)の浜に出で来し
石南(しやくなげ)の群落ありてさみだれの雨のしづくの花にとどまる

むらがれる浜昼顔の淡紅(たんこう)に海の夕日のおよぶかがやき
大角豆畑(ささげばた)むらさき淡くさく花は朝のまにして早くちるらし
木々深きゆゑにものの音徹(とほ)るなり鳴く鳥もなくあらき沢音
したたかに降りたる雨を境とし今年の萩も終りてゐたり
きれぎれに吾の心によみがへるうつしみの悔(くい)消えがたくして

すさまじきものとかつては思ひしか独笑(ひとりわらひ)をみづからゆるす
とりかへしつかぬ時間を負ふ一人(ひとり)ミルクのなかの苺をつぶす
風わたる紀三井(きみゐ)の寺の樟(くす)若葉すがしき下にわれら憩ひき
牡丹照る長谷寺に来てさいはひの一日(ひとひ)に集ふおもひこそすれ
やや遠き光となりて見ゆる湖(うみ)六十年のこころを照らせ

さはやかに心あらんとからうじて善につながる一日(ひとひ)をおくる

「開冬」(昭和45~49年)
六尺の牀(とこ)によこたへて悔を積むための一生(ひとよ)のごとくにおもふ
花にある水のあかるさ水にある花のあかるさともにゆらぎて
枝おほふしだれ桜のうちに立つ降る雨の音うとくなりつつ
雲のゐる佐渡のあたりは寂しけれ弥彦の山にのぼりて見れば
山茶花はゆふべの雲にしろたへの花まぎれんとして咲きゐたり

茫々と菜の花すぎん渚路(なぎさみち)いづこに見ても黄は映りよし
白鳥のこゑ雁のこゑ靄(もや)ふかき沼にところをへだててきこゆ
還らざりし鴨濠(ほり)にをり小さなるこの鳥に何の楽しみありや
童女にもときに重厚のかたちありわれに向ひてもの言はず立つ
夏の日に昼の霧たつ北の海老いてむさぼらず島より帰る

昼ゆゑに鳥のこゑなき山のみち八月二日萩すでに咲く
直線の白の聚合(しゆうがふ)は雨雲のしたにとほく見ゆ白樺の山
居を移し心移ればまのあたり新年来る鼎々(ていてい)として
草焼きし跡のゆゑもなき静かさやその灰黒く土かたくして
たとふればめぐる轆轤(ろくろ)をふむごとく目覚めて夢のつづきを思ふ

移り来し家に今年の花を待つ百苞の辛夷(こぶし)日々光あり
草木(さうもく)に雌雄があるといふことのわづらはしさよ何故となく
鳥海の山遠く稲田穂を鋪(し)けばかがやく海のごとき夕映
黄の花のとろろ葵さく残暑の日門をとざして家ごもりけり
天は老い地は荒れたりといふ言葉おもひ出づるは何のはずみか

悔多きわれの項(かうべ)を撫づるものありとおもひて夜半(よは)にさめゐき
窓外に辛夷のつぼみ立つころとなりて衰へしわが日々寒し
ひるすぎの雷(らい)ふるふとき能満寺虚空蔵の桜しばしば散らん
足よわくなりて歩めばゆく春の道に散りたる樟(くす)の葉は鳴る
木のうれに寄りて咲くゆゑ遠けれど散りたる藤のむらさきすがし

海風か川風か吹くとどろきを銚子のまちに一日(ひとひ)聞きけり
やうやくに老いつつ思ふわれの得し肯定は論理のたすけを待たず
国交が成りて思ひいづることばあり「蒼海何ぞ曾(かつ)て地脈を断たん」
朝夕に逡巡して味ひの長からんわが残年のうちの一年
椿など覆ふ岬みち葉をもれてまれに燈台の焱(ひばな)かがやく

「天眼」(昭和50~53年)
霧の日にさいれんの鳴る銚子にてその音きこえ午睡したりき
あらかじめ暑き一日は朝蟬のこゑ荘厳に迫り来るらし
灯の暗き昼のホテルに憩ひゐる一時あづけの荷物のごとく
忘れたる夢中の詩句を惜しみつつ一つの生(せい)をさめて喜ぶ
わが顔に夜空の星のごときもの老人斑を悲しまず見よ

青天となりし午(ひる)すぎ無花果をくひて残暑の香をなつかしむ
病みながら痛むところの身に無きを相対的によろこびとせん
いくばくかわが足つよく坂をゆく一年すぎし秋分の天
海光を呼吸したりし山茶花の老木花さく大島に来つ
むらさきのジャカランダ咲く木の下に二年たよりし杖つきて立つ

白梅(はくばい)にまじる紅梅(こうばい)遠くにてさだかならざる色の楽しさ
空はれし一日(ひとひ)辛夷(こぶし)の明るきははなびらゆれて風をよろこぶ
時はいま楽しといひて蛇崩の柿の花落つるところを通る
立葵(たちあふひ)さくころとなりゆきずりの路傍などにも健かにさく
ゆく道に柿の葉の散るころとなり今日の朱の葉をけふ拾ひもつ

晩秋の蛇崩坂のうへの空しづけさはその青空にあり
わが生に定数ありといつよりかおもひ折々の喜怒に動かず
午睡の夢さめて一時間道あゆみ充実したる半日終る
帰り路の坂をあゆめば夕つ日は連翹(れんげう)の黄の花群にあり
蛇崩の道の桜はさきそめてけふ往路より帰路花多し

六十九の老残(らうざん)として世にありとかつておもはぬ実感ひとつ
晴れし日の何事もなく暮れゆくを老い衰へてわれは感謝す
道のべの日々花多き山吹もつつじも旧知わが声を待つ
くさぐさの花晩春の日々すぎてむらさき光ある藤のさく
七十年生きて来しかばわが顔のさびて当然に愁ただよふ

わが死後の記念のために意識して幼子の項(かうべ)なづることあり
もてあそぶ余齢のためにわが歩み憂へず待たず蛇崩をゆく
いのちあるあひだ人には遊びありたとへば今日は氷河を歩む
今年また立葵さくころとなり同じ花同じところに開く
足弱きことを歎くは病みながら痛まぬ幸(さち)をときに忘るる

人を畏れ黙坐しをれば夕暮のたちまち至る秋の日の午後
山茶花の咲くべくなりてなつかしむ今年の花は去年を知らず
いさぎよく黄葉(もみぢ)かがやく銀杏(いちやう)の木わが肌骨(きこつ)醒め傍をゆく
年に似る日もありしかどうつし身のやうやく老いて年日に似たり
旧恨も新愁もなきおいびととして冬庭にひかりを浴ぶる

「星宿」(昭和54~57年)
身の老いしわれのごとくに柳立つ冬の日またく葉無きにあらず
いたるところ浜大根の白き花渚に波のごとく吹かるる
おひおひに夕暮れてくらくなる渚浜待宵(まつよひ)の黄は星に似る
日の光まぶしき坂を歩めれど真夏のごとき寂しさはなし
今年また柘榴(ざくろ)花さき道のべの目を射るごとき朱(あけ)をわが見る

老境の常とおもひて暁の曇る静かさにひたりゐたりき
みづみづしき運命みえて咲きそむる今年の百日紅(ひやくじつこう)のくれなゐ
台風を境に木々の衰ふるとき菊などの咲く花つよし
沈丁華さき風なきにおのづから遠き香かよふ頃となりたり
蛇崩のいづこゆきても繁紅の海棠(かいだう)の花さくころとなる

ゆくりなき遭遇などを人の世の味はひと知るわれ老いてより
われの眼は昏(くら)きに馴れて吹く風に窓にしきりに動く楤(たら)の葉
すみれにも返花(かへりばな)さくかすけさを顧みて過ぎし冷夏をいたむ
睡りしか否かを知らず明けし夜を疑はずして衰へてゆく
杖をつく人いくたりか道に逢ふわれに似てこころよき対象ならず

無為の日の変化のひとつ柿の木に蟬強く鳴くところを通る
風わたる空をへだてて石鎚のいただき赤し朝日を受くる
ひとところ蛇崩道(じやくづれみち)に音のなき祭礼のごと菊の花さく
昨日葉の散りつくしたる銀杏の木知りつつ語る人無くあゆむ
あさあさの雲あたらしき光あり太平洋の晴るる冬の日

落月(らくげつ)のいまだ落ちざる空のごと静かに人をあらしめたまへ
窓外に来る尾長鳥二つゐて咲ける辛夷の花をついばむ
わが庭の蕊(しべ)によごれぬ純白の花さく百合を人に語らず
椅子あれば菊芋といふ雑草の咲けるほとりにしばらく憩ふ
家いでて蛇崩道に一時間われのひたれる黄菊の天

朝の日に花あきらけき道をゆく老いしわが目をしばし憂へず
暗きよりめざめてをれば空わたる鐘の音(おと)朝の寒気を救ふ

「黄月(くわうげつ)」(昭和58~61年)
時のまの心なごまん珈琲にそそぐクリームのひろがるあひだ
道を行くひまに曇りて風いづるなど春の日の心さわがし
いつ見ても花日にしぼむおしろいの路傍いづこにも咲くころとなる
風のふくとき空深き音のする樟(くす)の若葉をたたずみて聞く
椅子に来て憩ふあひだに時移りおしろいばなのくれなゐのたつ

風の日は殊更(ことさら)おほき柿落葉美しく散るところを歩む
よく晴れし初冬山茶花輝きて黄のしべけぶる短き時間
葉をもるる夕日の光近づきて金木犀の散る花となる
坂道を掃くごとく射す西日あり長きわが影ふみて帰り来
よもすがら月あきらけき夜なりしがしづかに明けて朝を迎ふる

満天星(どうだん)のもみぢうつくしき年の暮老人(おいびと)なれば日を惜しむなし
冬の日にさく寒椿蛇崩川支流の道にその花あかし
中空の無数の星の光にも盛衰交替のとき常にあり

庭のロウバイとツバキ

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庭のロウバイ(蝋梅)とワビスケツバキ「有楽」(「太郎冠者」とも)が咲いています。

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ロウバイ

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ワビスケツバキ「有楽」

『漱石俳句集』を読みました。

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今日、坪内稔典編『漱石俳句集』(90)を読み終えました。この句集について、ブックカバーの解説文を引用します。
 漱石は親友子規の感化で俳句をつくり生涯におよそ2600句を残した。明治28~32年はとりわけ熱心に作句にはげんだ時期で、子規は、この頃の漱石の俳句を評して意匠が斬新で句法もまた自在だと言っている。全作品から848句を選び脚注を付した。

以下、一読して気になった句を引用します。

 雀来て障子にうごく花の影
 わが恋は闇夜に似たる月夜かな
 柿の葉や一つ一つに月の影
 通夜僧の経の絶間やきりぎりす
 何事ぞ手向(たむけ)し花に狂ふ蝶

 今日よりは誰に見立(みたて)ん秋の月
 鳴くならば満月になけほととぎす
 病む人の巨燵(こたつ)離れて雪見かな
 何となう死(しに)来た世の惜まるる
 弦音(つるおと)にほたりと落る椿かな

 菜の花の中に小川のうねりかな
 見上ぐれば城屹(きつ)として秋の空
 土筆(つくしんぼ)人なき舟の流れけり
 卯の花や盆に奉捨(ほうしや)をのせて出る
 罌粟(けし)の花さやうに散るは慮外なり
 
 凩(こがらし)や真赤になつて仁王尊
 達磨忌や達磨に似たる顔は誰
 芭蕉忌や茶の花折つて奉る
 本堂は十八間の寒さ哉
 初冬や竹切る山の鉈(なた)の音

 東西南北より吹雪哉
 埋火(うずみび)や南京茶碗塩煎餅(しおせんべ)
 口切(くちきり)や南天の実の赤き頃
 曼珠沙花(まんじゆしやげ)あつけらかんと道の端
 はらはらとせう事なしに萩の露

 行く年や膝と膝とをつき合せ
 御立ちやるか御立ちやれ新酒菊の花
 秋の雲ただむらむらと別れかな
 うかうかと我門過る月夜かな
 うつむいて膝にだきつく寒(さむさ)哉

 半鐘とならんで高き冬木哉
 雪霽(はれ)たり竹婆娑々々(ばさばさ)と跳返る
 花に暮れて由(よし)ある人にはぐれけり
 日は永し三十三間堂長し
 氷る戸を得たりや応と明け放し

 梅咲て奈良の朝こそ恋しけれ
 霞む日や巡礼親子二人なり
 つくばいに散る山茶花の氷りけり
 奈良の春十二神将剥げ尽せり
 護摩壇に金鈴響く春の雨

 陽炎(かげろう)に蟹の泡ふく干潟かな
 物言はで腹ふくれたる河豚(ふくと)かな
 海見えて行けども行けども菜畑哉
 登りたる凌雲閣の霞かな
 窓低し菜の花明り夕曇り

 吹井戸(ふきいど)やぼこりぼこりと真桑瓜
 紅白の蓮擂鉢(すりばち)に開きけり
 反橋(そりはし)の小さく見ゆる芙蓉哉
 ひやひやと雲が来る也温泉(ゆ)の二階
 月東(つきひがし)君は今頃寐てゐるか

 行秋(ゆくあき)を踏張てゐる仁王哉
 影法師月に並んで静かなり
 日あたりや熟柿(じゆくし)の如き心地あり
 落ちさまに蝱(あぶ)を伏せたる椿哉
 朧夜(おぼろよ)や顔に似合ぬ恋もあらん

 木瓜咲くや漱石拙(せつ)を守るべく
 菫ほどな小さき人に生れたし
 前垂の赤きに包む土筆かな
 菜の花の中へ大きな入日かな
 麦を刈るあとを頻(しき)りに燕かな

 落ちて来て露になるげな天の川
 冷やかな鐘をつきけり円覚寺
 仏性(ぶつしよう)は白き桔梗にこそあらめ
 旅にして申訳なく暮るる年
 兀(ごつ)として鳥居立ちけり冬木立

 神かけて祈る恋なし宇佐の春
 払へども払へどもわが袖の雪
 煩悩の朧(おぼろ)に似たる夜もありき
 灯(ひ)もつけず雨戸も引かず梅の花
 相逢ふて語らで過ぎぬ梅の下

 野菊一輪手帳の中に挟みけり
 路岐(みちわかれ)して何(いず)れか是(ぜ)なるわれもかう
 新しき畳に寐たり宵の春
 空狭き都に住むや神無月
 三階に独り寐に行く寒かな

 霧黄なる市(まち)に動くや影法師
 明月や杉に更(ふ)けたる東大寺
 釣鐘のうなるばかりに野分(のわき)かな
 飯蛸(いいだこ)の一かたまりや皿の藍
 南天に寸の重みや春の雪

 そそのかす女の眉や春浅し
 朝寒(あささむ)や自ら炊(かし)ぐ飯二合
 生きて仰ぐ空の高さよ赤蜻蛉
 一山や秋色々の竹の色
 力なや痩せたるわれに秋の粥

 裏座敷林に近き百舌の声
 風に聞け何れか先に散る木の葉
 迎火(むかえび)を焚いて誰待つ絽(ろ)の羽織
 腸(はらわた)に春滴(したた)るや粥の味
 冷かな足と思ひぬ病んでより

 蝶去つてまた蹲踞(うずくま)る小猫かな
 厳かに松明(まつ)振り行くや星月夜
 連翹(れんぎよう)の奥や碁を打つ石の音


『オートバイの旅』ⅢⅣⅤを読みました。

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1986年、ツーリングマガジン『OUTRIDER(アウトライダー)』が創刊され、今年で創刊30周年を迎えました。『OUTRIDER』ではこれまでの傑作紀行を集め、『オートバイの旅』として文庫化、付録としています。
鍬賢垢亮親睛討楼焚爾猟未蠅任后

【掘
屈せざる風景 富士・箱根(田中昭二)
遙かなる乗鞍、蝉しぐれ奥飛騨 長野・乗鞍~岐阜・奥飛騨(小林夕里子)
夏、こんこん 秋田・美郷町~鳥海山(野岸泰之)
旅のまほろば 奈良・飛鳥~法隆寺(秋元庄三郎)
わくわく房総、なぎさの絵日記 千葉・南房総(守田二草)
夏、宗谷――振り返ればそこに 北海道・道北(菅生雅文)
関東の北、東北の南 福島・檜枝岐~裏磐梯~山形・米沢(熊谷達也)

【検
さいかい 福島・須賀川~北海道・足寄(山田深夜)
阿蘇、揺るぎなき聖地 大分・別府~熊本・阿蘇(西野鉄兵)
ここにいること 岐阜・飛騨金山~下呂温泉(田中昭二)
湯めぐり随想 栃木・霧降高原~長野~山梨(熊谷達也)
その旅に、乾杯 山梨・甲府~北杜(福山理子)
迸(ほとばし)る南紀、五月を走る 和歌山・湯浅~三重・尾鷲(石山和男)

【后
音の棲む島、食の島 沖縄・那覇~備瀬(石山和男)
ノスタルジア――鉄道駅を訪ねて 秩父鉄道~わたらせ渓谷鐵道(藤原かんいち)
伊勢湾回帰線〈導かれた再会〉 三重・伊勢~四日市(櫻井伸樹)
あるいは、行きずりという名の旅 鳥海山(秋田・山形)(田中昭二)
奥鬼怒湯沢噴泉塔奮戦記 栃木県日光市・奥鬼怒(菅生雅文)
静岡おでん探訪 静岡・焼津~静岡(松本よしえ)
ときめきの旅へ 福島・磐梯~会津(斎藤 純)

【感想】
屈せざる風景 富士・箱根
 バイクに乗る時、たいていの人は事故のリスクを考えたり、死への恐れを意識したりします。ですから、いきおいテンションが高くなり、その時の思いを文章にすると、少し気どったり、センチメンタルになったりするのだと思います。この「屈せざる風景」はそんな気どりやセンチメンタルさが多く見られますが、僕はそんなところがけっこう好きです。
 以下、気になった文章をいくつか引用しようと思います。
 世の中の、どす黒い奔流に押し流され、気がつけば、ひとりぽつんと置き去りにされている。ここ十年くらい、緊張感も対立関係もない、出来レースのようなものの中で走らされている気がしてならない。すべてがひとつの意味や価値の中で記号化され、瞬く間に消費される。そこには人間的な葛藤や迷いなど、入る隙間もない。
 息苦しく、身動きできずに屈み込んでいると、自分の身体が揮発していくような感覚に襲われることがよくある。醜く老いていくことにはさして抵抗はないが、この揮発していくというのには、どうにも抵抗を感じてしまう。旅に出たくなるのはこういう時だ。
 自分の身体を確認すること、それには、緊張感と対立関係の中にわが身を投じる、ぼくはそうすることで、身体を取り戻し、揮発せずに、なんとか生き延びることができる。この緊張感と対立関係をつくるために、ぼくはバイクに乗る。まず、身体を剥き出しにする。そしてバイクという乗りもの自体が持っている、閉塞と解放という対立関係の間に揺れる。この感覚こそが、他の乗りものでは得られない、バイクだけに与えられた特権的なものであると思う。

 ぼくの心の耳に、ボブ・マーレーの「ナチュラル・ミスティック」がゆっくりと力強くフェードインしてくる。エッジの効いたリズムと脈動のようなベースが、身体を揺さぶり、その気持ちいいヴァイブレーションは、埋み火のようになった欲望を、再び燃え上がらせてくれる。だから、ぼくは旅の途中で何度も立ち止まり、息をする。

 いい歳をして、いつまでも昔のことを・・・・。そんな声が聞こえてくるが、ぼくにとってはかけがえのない思い出だ。明るくなければいけない、強くなければいけない、勝たなければいけない、そんなことだけで語られる人生なんか送りたくはない。暗かったり、弱かったり、負けたり、そんな人生だっていいじゃないか。愚かだと言われ、負け犬の烙印を押されようが、ぼくは夜中に別れた女に電話をかけてしまうような、そんな自分の劣情を、今際の際(いまわのきわ)まで引きずっていきたいと思う。過去の傷を消しゴムで消して、なかったことにしてしまうような生き方だけはしたくなかった。

遙かなる乗鞍、蝉しぐれ奥飛騨 長野・乗鞍~岐阜・奥飛騨
 1987年9月、一人で木曽・高山・長岡方面をツーリングしました。この文章を読み、その時のことが蘇ってきました。 http://blogs.yahoo.co.jp/kazukazu560506i/51915228.html

夏、こんこん 秋田・美郷町
 鳥海山の北麓に広がる仁賀保(にかほ)高原のことを初めて知りました。ぜひ訪れたいと思いました。仁賀保高原について、秋田県にかほ市のホームページから引用します。
 仁賀保高原は鳥海山の北麓に広がる標高約500mの丘陵地帯です。広々とした牧草地、その鮮やかな緑に点在する大小の湖沼、湿原そして四季折々に草花が咲きその中をたわむれるジャージー牛の姿は、牧歌的風景を満喫させてくれます。高原からは、眼下に広がる日本海、遠くに男鹿半島が望まれ、ふり返れば奥羽の山並みと秀麗鳥海山が目の前に見られ、360度のパノラマが楽しめます。
 高原には、土田牧場があり牧場内で造られた乳製品や肉製品などが販売されています。また、展望施設「ひばり荘」もあり、サイクリングロード、キャンプ場などもあり、仁賀保高原の魅力を満喫できます。近年では、風力発電の風車が15基以上立ち並び、高原の風景にマッチしてドライブコースとしても人気があります。

夏、宗谷――振り返ればそこに 北海道・道北
 北海道へは車で3回、飛行機で1回行きました。行くたびに「次はバイクで」なんて思っていましたが、いつの間にか、最後の北海道行から20年近く経ってしまいました。この文章を読み、北海道へ行きたいと思いました。北海道は、筆者のように人生について考える、格好の場所のような気がします。

関東の北、東北の南 福島・檜枝岐~裏磐梯~山形・米沢
 かつて、栃木・福島県境の林道は何度も走ったので懐かしく読みました。筆者が入った木賊(とくさ)温泉の河原に湧く露天風呂、僕も入りました。バイクに乗りたい気持が強くなってきました。
 http://blogs.yahoo.co.jp/kazukazu560506i/51921228.html
 http://blogs.yahoo.co.jp/kazukazu560506i/51925987.html

さいかい 福島・須賀川~北海道・足寄
 雨の高速道路を疾走するハーレー・ダビッドソン。「俺」は3歳下の友人ギトクと再会するため、東北道を北上しています。須賀川でのこと、横須賀でのこと。「俺」の脳裏にギトクとの思い出が次々に浮かんできます。八戸からフェリーに乗り、北海道へ。そして、足寄でギトクとの6年ぶりの再会を果たします。
 一編の短編小説を読んだようです。少しカッコウつけ過ぎって感じましたが、筆者が自身の人生に真摯に向き合う姿には共感を覚えました。それと、このエッセイがハーレーの宣伝のために書かれていたとしたら、それは成功だと思います。僕もハーレーに乗ってみたいと思いましたから。
 このエッセイの筆者、山田深夜(やまだしんや)について、文末のプロフィールに「1961年、福島県生まれの小説家」とあります。

ここにいること 岐阜・飛騨金山~下呂温泉
 筆者は悪性リンパ腫に冒され、その闘病生活は半年以上に及んだそうです。これは彼の闘病後初のツーリング記録です。同じく闘病中の僕ですが、出来るだけ早くツーリングに出たいと切に思いました。
 以下、気になった文章を引用しようと思います。
 治療中は、本を読む気にも、音楽を聴く気にもなれなかった。なす術なくベッドに横たわって、ただ時間をやり過ごす。そんな時、何故か、ふと地図を見たいなと思い、次の入院の時に持ってきた。ベッドの背を起こし、日本地図を広げ、ぼんやりと眺める。地図は何も語らないが、記憶の扉をそっと開けてくれる。旅の思い出、仕事の思い出、女との思い出、そんな断片が浮かんでは消えてゆく。そして地図はぼくの背中を黙って押す。もうひとつの場所は、無限にあるんだ、と。空調の行き届いた快適な病室から釈放されたら、思う存分、風に吹かれてみようと思った。

伊勢湾回帰線〈導かれた再会〉 三重・伊勢~四日市
 『アウトライダー』の編集会議で「伊勢神宮」を取り上げることが決まると、筆者は即座に自分が行くと申し出ます。それは、幼い頃に別れた父親との三十数年ぶりの再会を果たそうと思ったからです。父親との再会シーン、うるっとしてしまいました。
 以下、バイク旅についての筆者の持論を引用します。
 人はなぜ旅をするのか。自分の知らない場所に訪れ、風景を堪能し、そこに住む人々と触れ合い、地の物をいただき、新しい見聞を深めていく。つまるところそれが「楽しい」から人々は旅をするのだろう。それはバイクで行くツーリングも同じことだ。
 しかし車やバス、電車の旅と明確にバイク旅が違うのは、囲われているかどうか、ということ。これによる身体的リスクは非常に大きく、雨、風、寒さ、暑さといった気候と全身で向き合わないといけないもちろんバイクは体がむき出しだから転倒したら大事故につながってしまう。だからライダーは常に周囲に気を配り、危機に対応しようとする。(中略)
 峠を抜けた先に広がる絶景を見たとき。美しい弧を描いたコーナーをうまく抜けられたとき。冷たい雨に濡れそぼりトンネルで排気ガスの温もりをありがたいと感じたとき……。常に閉鎖された空間の中にいる移動と、移り変わるその場その場の空気に触れている移動とでは、感受性が大きく異なるのだ。
 バイクの運転は人間の本能を呼び起こし、最高感度の感受性で旅先の人、食、景色と出会うわけだから、車や電車の旅以上に感動の度合いが高い。だからバイクの旅は楽しい、それが最終的な僕の持論だ。

あるいは、行きずりという名の旅 鳥海山(秋田・山形)
 第郡「夏、こんこん 秋田・美郷町~鳥海山」を読んでから、鳥海山に行きたい気持ちが高じています。ですから、このエッセイには鳥海山のガイド的な内容を期待していました。しかし、それは全く裏切られました。代わりに、バイク乗りの永遠のテーマ「なぜバイクで旅に出るのか?」について、考えさせられる内容でした。
 以下、気になった文章を引用しようと思います。
 広げられた地図と記憶の地図が、ぼくを誘う。この時の天気、季節、気分などで「場所」が、とりあえず決まる。地図を広げる理由は、バイクに乗り始めた時から四十年経っても変わらない。それは「逃走」だ。ずっと同じ「場所」にいたら、息苦しくもなるし、埒も開かなくなる。こんな時は、気分を変え身体に風を送ってやる。埒に頼らず走ってみる。逃げることは卑怯だと、多くの人は言うかもしれないが、気にすることはない。逃げるが勝ち、という局面は意外に多い。それに明日は決定しているわけではない。拘束する「意味」から、ひと時離れてみるのは、気持ちいい行動だ。「逃走」の旅は、バイクに限る。空間が付いて回る乗りものや、面倒な手続きが必要な旅は、どうしても「脱日常」の強度が弱くなり、空間が移動する感覚から逃れられない。たとえ「場所」に着いても、逃げてきたという気持ちにならない。だが、バイクだと空間を移動する感覚が強くなり「場所」に立った時、逃げてきたという充実感を味わうことができる。それがたとえ瞬間のものであってもかまわない。

奥鬼怒湯沢噴泉塔奮戦記 栃木県日光市・奥鬼怒
 へなちょこ探検隊による秘湯探検記。最後の「仕事も遊びも本気でやるから楽しいんだよね、めでたしめでたし。」という言葉、好きです。

ときめきの旅へ 福島・磐梯~会津
 磐梯吾妻スカイライン、諸橋近代美術館、鶴ヶ城、さざえ堂、b Prese(ビープレゼ)、布引高原。
 筆者が訪ねたこれら全てを訪ねたいと思いました。僕の中の「旅心」が激しくかき立てられました。特に、布引(ぬのびき)高原は風力発電の風車が33基も立っているそうで、その雄大な風景の中に立ってみたいと強く思いました。春になったら真っ先に行ってみようと思います。

国井律子『さぬきうどんサイクリング』

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今日、注文しておいた国井律子の『さぬきうどんサイクリング 国井律子が3泊4日でさぬきうどんを食べ漕ぎ!』(09)が届きました。
3月に香川県の善通寺市に行く予定なので、ガイドブックのつもりで購入しました。

以下がこの本のコンテンツです。
1日目 発心の日
池上製麺所/マルタニ製麺/中西うどん/菓子工房 ルーヴ/馬渕手打製麺所/ジョージ ナカシマ記念館/うどん本陣 山田家本店
2日目 修行の日
さか枝/松下製麺所/特別名勝 栗林公園/上原屋本店/上原製麺所/日の出製麺所/本格手打うどん おか泉/うちわの港ミュージアム/丸亀市猪熊弦一郎現代美術館&カフェテストMIMOCA
3日目 菩提の日
総本山 善通寺&熊岡菓子店/宮川製麺所/釜あげうどん 長田in香の香/山下うどん/宮武うどん店/金刀比羅宮/中野うどん学校/金陵の郷/こんぴら おがわうどん
4日目 涅槃の日
うどん喫茶 スタート/道の駅 滝宮・綾川町うどん会館/田村/池内うどん店/山越うどん/香南楽湯/名もないうどん屋
スペシャル対談「麺通団団長 田尾和俊×クニイリツコ」

【感想】
◆「うどんに正解はない」
 1日目、彼女は5軒のうどん店を訪ねました。麺やダシ、店の雰囲気、客層等、バラエティに富んだ店々で、「どこのうどんがオススメ?」なんて聞かれても、悩んでしまうそうです。結局、あるうどん店のご主人が言っていたように「うどんに正解はない」ので、香川県に行って、食べて、自分好みのうどんを見つけて! だそうです。
 僕自身、あまりうどんを食べないので、どんなうどんが好みなのかわかりません。香川に行ったら何杯か食べてみて、自分の好みをみつけたいと思います。

◆「セルフ」というスタイル
 2日目、彼女は6軒のうどん店を訪ねました。いくら自転車を漕いでカロリーを消費したとしても、小さな体でそんなに食べて大丈夫? って思いました。
 さぬきうどんの店のスタイルは、通常「セルフ」「一般店」「製麺所」の3つに分類されるそうです。「セルフ」店では、客が自分で「うどんを湯がく」「ダシをかける」「薬味をかける」ので、とても不安ですが、試してみようと思います。前に並んだ方のまねをすれば大丈夫でしょう。

◆善通寺と金刀比羅宮
 3日目、彼女はうどん店を5軒訪ね、善通寺と金刀比羅宮(こんぴらさん)にも行きました。僕も善通寺と金刀比羅宮に行こうと思っているので、とても参考になりました。でも、金刀比羅宮は本宮まで785段の石段を登ります。彼女は平気って言ってるけど、ちょっと心配です。

◆うどんアイス
 4日目、彼女が訪ねたうどん店は5軒です。喫茶店のモーニングにうどんが付いていたり、うどんアイスがあったり、香川県ってすごいと思います。

『荷風俳句集』を読みました。

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今日、加藤郁乎編『荷風俳句集』(2013)を読み終えました。この本は、永井荷風の俳句や狂歌、小唄、端唄、琴歌、清元、漢詩、俳句にかかわる随筆を編纂したもので、以下のような構成になっています。
 ◆自選 荷風百句
 ◆俳句
 ◆狂歌
 ◆小唄他
 ◆漢詩
 ◆随筆
 ◆写真と俳句

以下、一読して気になった俳句を引用します。

 まだ咲かぬ梅をながめて一人かな
 葡萄酒の色にさきけりさくら艸(さう)
 紅梅に雪のふる日や茶のけいこ
 傘さゝぬ人のゆきゝや春の雨
 物干に富士やをがまむ北斎忌

 散りて後悟るすがたや芥子(けし)の花
 わが儘にのびて花さく薊(あざみ)かな
 涼風(すずかぜ)を腹一ぱいの仁王かな
 住みあきし我家ながらも青簾(あをすだれ)
 柚の香や秋もふけ行く夜の膳

 秋風や鮎焼く塩のこげ加減
 昼月(ひるづき)や木(こ)ずゑに残る柿一ツ
 よみさしの小本(こほん)ふせたる炬燵哉
 雪になる小降りの雨や暮の鐘
 落残る赤き木(き)の実や霜柱

 下駄買うて箪笥の上や年の暮
 後(うしろ)向く女の帯に螢飛ぶ
 思ひ出でゝ恋しき時は夏書(げがき)かな
 冬の夜を酒屋(バア)に夜ふかす人の声
 萩咲くや敷石長き寺の門

 寺に添(そう)て曲れば萩の小道哉
 椎の実の栗にまじりて拾はれし
 風鈴や庭のあかりは隣から
 牡丹散つて再び竹の小庭(こには)かな
 芋の葉に花を添へたり秋海棠(しうかいだう)

 恙なく君鎌倉に在り初鰹
 稲妻に臍(へそ)もかくさぬ女かな
 木犀の香(か)を待つ宵の月見かな
 もてあます西瓜一つやひとり者
 用もなく銭もなき身の師走かな

 青刀魚(さんま)焼く烟(けむり)や路地のつゆ時雨
 雀鳴くやまづしき門の藪椿
 風の日や芥かみ屑散るさくら
 窓際に移すつくゑや風薫る
 鬼灯(ほほづき)やさらでも憎き片ゑくぼ

 葛餅にむかしをおもふ彼岸かな
 ひとり居も馴れゝば楽しかぶら汁
 粥を煮てしのぐ寒さや夜半(よは)の鐘
 香(かう)焚くや物煮し後の古火鉢
 捨てし世も時には恋し初桜

 羊羹の高きを買はむ年の暮
 藤の花さく縁側に昼寐かな
 名月や観音堂の鬼瓦

『芥川竜之介俳句集』を読みました。

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今日、加藤郁乎編『芥川竜之介俳句集』(2010)を読み終えました。
この俳句集は「俳句」及び「連句・川柳」という構成になっています。

以下、一読して気になった俳句を引用します。

 湯上りの庭下駄軽(かろ)し夏の月
 藁屋根に百合の花咲く小家かな
 葡萄嚙んで秋風の歌を作らばや
 雲遠し穂麦にまぢる芥子の花
 御仏に奉らむ紫藤花六尺

 凧三角、四角、六角、空、硝子
 山になづむ春や日かげの忍冬(すひかづら)
 雲か山か日にかすみけり琵琶の滝
 花火より遠き人ありと思ひけり
 鴨東(あふとう)の妓がTAXI駆る花の山

 山椒魚動かで水の春寒き
 凩(こがらし)や目刺(めざし)に残る海の色
 枕頭(ちんとう)やアンナ・カレニナ芥子の花
 麦秋や麦にかくるる草莓(くさいちご) 
 罪深き女よな菖蒲湯や出でし

 脚立して刈りこむ黄楊(つげ)や春の風
 海なるや長谷は菜の花花大根(はなだいこ)
 短夜や泰山木の花落つる
 頓服の新薬白し今朝の秋
 松二本芒一むら曼珠沙華

 君琴弾け我は落花に肘枕
 花薊(はなあざみ)おのれも我鬼に似たるよな
 埋火(うづみび)の仄(ほのか)に赤しわが心
 大風(おほかぜ)の障子閉(とざ)しぬ桜餅
 よべの風藺田(ゐた)にしるしや朝雲

 主人拙(せつ)を守る十年つくね藷(いも)
 藤咲くや日もうらうらと奈良の町
 蠟梅(らふばい)や枝疎(まばら)なる時雨空
 抜き残す赤蕪いくつ余寒哉
 古草にうす日たゆたふ土筆かな

 鯉が来たそれ井月(せいげつ)を呼びにやれ
 野茨にからまる萩の盛りかな
 井月の瓢(ひさご)は何処へ暮(くれ)の秋
 襟巻のまゝ召したまへ蜆(しじみ)汁
 風吹くや人無き路の麻の丈

 夕立の来べき空なり蓮の花
 酒赤し、甘藷畑、草紅葉
 井月ぢや酒もて参れ鮎の鮨
 静かさに堪へず散りけり夏椿
 萱草(くわんざう)も咲いたばつてん別れかな

 旅立つや真桑も甘か月もよか
 つるぎ葉に花のおさるるあやめかな
 星月夜(ほしづくよ)山なみ低うなりにけり
 雨に暮るる軒端の糸瓜(へちま)ありやなし
 鉄線の花咲き入るや窓の穴

 幾秋を古盃や酒のいろ
 ぬかるみにともしび映る夜寒かな
 行秋(ゆくあき)の呉須(ごす)の湯のみや酒のいろ
 冴え返る夜半(よは)の海べを思ひけり
 臘梅(らふばい)や雪打ち透かす枝の丈

 松かげに鶏(とり)はらばへる暑さかな
 栴檀の実の明るさよ冬のそら
 かひもなき眠り薬や夜半の冬
 切支丹坂を下り来る寒さ哉
 迎火(むかへび)の宙歩みゆく竜之介

『オートバイの旅』Ⅵを読みました。

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今夜、『オートバイの旅』困鯑匹濬えました。
この本はツーリングマガジン『OUTRIDER(アウトライダー)』2017.2月号(Vol.82)の特別付録で、創刊30周年記念として、過去のツーリング紀行傑作選を収録しています。
僕は『掘戮ら読み始めたので、これで4冊読んだことになります。筆者はそれぞれに個性的で、旅心をかき立てられました。また、バイクで旅することの意味や人生について考える、貴重な体験となりました。

以下、この本のコンテンツを示します。
ふたりで旅をするということ 神奈川・箱根~静岡・伊豆(熊谷達也)
女のやすらぎ 神奈川・鎌倉~江ノ島(守田二草)
アンチェイン デイズ 磐梯~越後~信州(菅生雅文)
潮騒のユートピア 若狭~丹後~但馬(石山和男)
被災地からの伝言 岩手・岩泉町~宮古市~大槌町(斎藤 純)
冬、宗谷――まだ知らぬ景色へ 北海道・道北(柴田雅人)
夜桜随想 神奈川・横浜~東京(山田深夜)

SEALの「トラベルミニショルダーバッグ」

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先日、SEALの「トラベルミニショルダーバッグ」を購入しました。
革の部分がオレンジの同じバッグを持っていますが、以前から気になっていたので、バーゲン(25パーセントオフ)をきっかけに購入しました。

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『井月句集』を読みました。

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今日、井上井月(いのうえ せいげつ)の句集『井月句集』(復本一郎編、2012)を読み終えました。
以下、井月についてWikipediaから引用します。
 文政5年(1822年)?~明治20年2月16日(1887年3月10日)。日本の19世紀中期から末期の俳人。本名は一説に井上克三(いのうえかつぞう)。別号に柳の家井月。「北越漁人」と号した。信州伊那谷を中心に活動し、放浪と漂泊を主題とした俳句を詠み続けた。その作品は、後世の芥川龍之介や種田山頭火をはじめ、つげ義春などに影響を与えた。
この句集は「発句篇」「俳論篇」「参考篇」で構成されていますが、「発句篇」を一読して気になった句を引用します。

 東風(こち)吹くや子供のもちし風車
 春雨や心のまゝのひぢ枕
 春の野や酢みそにあはぬ草の無(なし)
 遣(や)り過(すぎ)し糸のたるみや凧(いかのぼり)
 手に汗を握りこぶしや鷄合(とりあはせ)

 雛祭り蝶よ花よとかしづかれ
 雛に供ふ色香めでたし草の餅
 恋猫の又してもなく月夜かな
 行雁に後(おく)れて立や安旅籠(やすはたご)
 雁がねに忘れぬ空や越の浦

 その声の月に隠るゝ蛙(かはづ)かな
 呼び捨にならぬ蚕の機嫌かな
 表から裏から梅の匂ひかな
 誰(た)が門(かど)ややみに匂ひの梅しろし
 梅が香や栞(しほり)して置く湖月抄

 梅が香をやらじと結ぶ垣根かな
 翌日(あす)しらぬ身の楽しみや花に酒
 咲き急ぐ花や散日の無きやうに
 旅人の我も数なり花ざかり
 まだ咲(さか)ぬ花を噂やきのふけふ

 宵ながら提灯借て花心
 願うても又なき花の旅路かな
 そねまるゝほど艶(えん)もなし山ざくら
 花は葉にもたれ合うてや玉椿
 兎(と)もすれば汗の浮く日や木瓜(ぼけ)の花

 菜の花に遠く見ゆるや山の雪
 羽二重のたもと土産や蕗の薹(ふきのたう)
 時めくや菜めし田楽山椒みそ
 春の気のゆるみをしめる鼓(つづみ)かな
 出た雲のやくにも立たぬ暑さかな

 涼しさの真たゞ中や浮見堂(うきみだう)
 気の合うて道はかどるや雲の峰
 白雨(ゆふだち)の限(かぎり)や虹の美しき
 陰る雲照くもそよぐ青田かな
 ひとつ星など指(ゆびさ)して門(かど)すゞみ

 楠に付(つい)て廻るや夏座舗
 うるさしと猫の居ぬ間を昼寝かな
 浴衣地によき朝顔の絞りかな
 夏痩やとる筆さへも仮名まじり
 山の端(は)の月や鵜舟(うぶね)の片明り

 もてなしにみさごのすしやきのふけふ
 時鳥(ほととぎす)酒だ四の五の言はさぬぞ
 姿鏡(すがたみ)にうつる牡丹の盛りかな
 秋立や声に力を入れる蟬
 塗り下駄に妹(いも)が素足や今朝の秋

 新蕎麦や夜寒(よさむ)の客を呼びにやる
 鶏頭やおのれひとりの秋ならず
 姿鏡(すがたみ)に映る楓(かへで)の夕日かな
 鬼灯(ほほづき)を上手にならす靨(ゑくぼ)かな
 笠を荷にする旅空や秋の冷(ひえ)

 何云はん言の葉もなき寒さかな
 時雨(しぐる)るや馬に宿貸す下隣(したどなり)
 兎角して初雪消(けす)な料理人
 しめやかに神楽の笛や月冴(さゆ)る
 酒好きの取持顔(とりもちがほ)や蛭子講(えびすこう)

 下戸の座の笑ひ小さし蛭子講
 薬喰(くすりぐひ)相客のぞく戸口かな
 埋火(うづみび)や何を願ひの独りごと
 迷惑の日も家礼(かれい)とや煤払(すすはらひ)
 冬の蠅牛に取りつく意地もなし

 茶の花や見つけし時は盛りすぎ
 冬牡丹切(きる)の折(をる)のゝ沙汰でなし
 菊の香を偸(ぬすむ)や石蕗(つは)の咲いそぎ
 雪に寝た南天起す柄杓(ひしやく)かな
 目出度さも人任せなり旅の春

 なすとなくするともなしに三ヶ日
 犬ころの雪ふみ分てはつ日かげ


白洲正子『十一面観音巡礼』を読みました。

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昨年、白洲正子のエッセイ『十一面観音巡礼 愛蔵版』(2010)(1975年刊行の初版を底本として、写真版を再製版し、当時取材撮影された別の写真版や新たに製作した地図を加えて、再編集した新装版。著者の生誕100年を記念して編集。)を購入しましたが、その時は聖林寺の十一面観音について書かれた部分しか読みませんでした。
文庫本の方が読みやすいので、今回オリジナルの文庫版『十一面観音巡礼』(75)を購入しました。気になった十一面観音について、以下に感想等を書こうと思います。

幻の寺
 法華寺の十一面観音の写真はこれまでに何度も見ましたが、魅力的だと思ったことは一度もありませんでした。しかし、以下の文章を読み、実物を自分の目で見たいという思いが強くなりました。
 久しぶりにお目にかかる十一面観音は、やはりすばらしい彫刻であった。観光が盛んになって以来、方々で写真に接するが、どれもこれも気に入らない。太りすぎて、寸づまり写るからである。しまいには、それがほんとうのような気がして来て、写真の力というのは恐ろしいものだと思う。
「皆さんそう仰しゃいます。実物をごらんになって、びっくりなさいます」
 と尼さんもいわれるがしょせんレンズは肉眼とは違う。発達すればする程、よけいなものまで写してしまうに違いない。たしかにこの観音は太り肉ではあるが、ほのかな光の元で見る時は、嫋々(じょうじょう)とした感じで、右手の親指でそっと天衣の裾をつまみ、やや腰をひねって歩み出そうとする気配は、水の上を逍遥するといった風情である。
 近江の石道寺(いしどうじ)の十一面さんも、右足の親指をちょっとそらせており、それが大変媚かしく見えると、私は前に書いたことがあるが、気がついてみると、この観音も爪先をそらせている。それだけのことで、全体の調子に動きを与え、遍歴することによって衆生を救うという、観音の本願が表現されている。蓮の巻葉の光背は後補と聞くが、やや凝りすぎのきらいがある。写真にとるとよけいうるさい。肉眼で見たような写真がないかと思って、入江泰吉氏にうかがってみると、この観音さまはお厨子の中に入っている為、撮影するのがむつかしく、ライトを使うとどうしても強く写ってしまうというお話であった。まともに見るのも憚られるように造られたものを、写真にとるのがそもそも無理な注文なので、巧く行かないのは当り前のことかも知れない。(P46-47)

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法華寺十一面観音菩薩立像。木造、素地、100.0cm。法華寺の創建当初の本尊はいつの頃にか失われ、現在この十一面観音に変わっている。眼や唇以外には彩色をしない。平安初期に流行した檀像(だんぞう)様彫刻の典型的遺品の一つである。(写真は、なら旅ネット〈奈良県観光公式サイト〉より。解説文は山川出版社『図説 仏像巡礼辞典』より)


水神の里
 2013年6月、初めて室生寺を訪ねました。その時は狭い山地に造られた伽藍配置にばかり興味が行き、仏像については金堂の釈迦如来立像と弥勒堂の釈迦如来坐像を意識したくらいでした。
 昨年夏、聖林寺の十一面観音立像を見て以来、同じように優れた十一面観音に出会いたいという思いが強くなりました。室生寺金堂の十一面観音菩薩立像をもう一度しっかり見たいと思います。

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室生寺金堂十一面観音菩薩立像。木造、彩色、195.2cm。金堂にならぶ5躯のうちでは、かなり古様な像であるが、本尊の釈迦如来(9世紀末頃)よりも体躯の量感を減じ、両頬をふくらませるなど、その作風は異なっており、別の系統の仏師により、やや下った頃に制作されたと考えられる。(写真はJR東海キャンペーンポスター、解説文は山川出版社『図説 仏像巡礼辞典』より)


湖北の旅
 著者は滋賀県北東部(湖北地方)に位置する長浜市の渡岸寺(向源寺)を訪ね、その十一面観音について以下のように述べています。十一面観音について、また見仏について、いろいろと勉強になります。
 お堂へ入ると、丈高い観音様が、むき出しのまま立っていられた。野菜や果物は供えてあるが、その他の装飾は一切ない。信仰のある村では、とかく本尊を飾りたてたり、金ピカに塗りたがるものだが、そういうことをするには観音様が美しすぎたのであろう。湖水の上を渡るそよ風のように、優しく、なよやかなその姿は、今まで多くの人々に讃えられ、私も何度か書いたことがある。が、一年以上も十一面観音ばかり拝んで廻っている間に、私はまた新しい魅力を覚えるようになった。正直いって、私が見た中には、きれいに整っているだけで、生気のない観音様が何体かあった。頭上の十一面だけとっても、申しわけのようにのっけているものは少くない。そういうものは省いたので、取材した中の十分の一も書けなかった。昔、亀井勝一郎氏は、信仰と鑑賞の問題について論じられ、信仰のないものが仏像を美術品のように扱うのは間違っているといわれた。それは確かに正論である。が、昔の人のような心を持てといわれても、私達には無理なので、鑑賞する以外に仏へ近づく道はない。多くの仏像を見、信仰の姿に接している間に、私は次第にそう思うようになった。見ることによって受ける感動が、仏を感得する喜びと、そんなに違う筈はない。いや、違ってはならないのだ、と信ずるに至った。それにつけても、昔の仏師が、一つの仏を造るのに、どれほど骨身をけずったか、それは仏教の儀軌や教典に精通することとは、まったくまったく別の行為であったように思う。

 今もいったように、渡岸寺の観音のことは度々書いているので、ここにくり返すつもりはない。それは近江だけでなく、日本の中でもすぐれた仏像の一つであろう。特に頭上の十一面には、細心の工夫が凝らされているが、十一面観音である以上、そこに重きが置かれたのは当り前なことである。にも関わらず、多くの場合、単なる飾物か、宝冠のように扱っているのは、彫刻するのがよほど困難であったに違いない。十一面というのは、慈悲相、瞋怒(しんど)相、白牙上出相が各三面、それに暴悪大笑相を一面加え、その上に仏果を現す如来相を頂くのがふつうの形であるが、それは十一面観音が経て来た歴史を語っているともいえよう。印度の十一荒神に源を発するこの観音は、血の中を流れるもろもろの悪を滅して、菩薩の位に至ったのである。仏教の方では、完成したものとして信仰されているが、私のような門外漢には、仏果を志求しつづけている菩薩は、まだ人間の悩みから完全に脱してはいず、それ故に親しみ深い仏のように思われる。十一面のうち、瞋面、牙出面、暴悪大笑面が、七つもあるのに対して、慈悲相が三面しかないのは、そういうことを現しているのではなかろうか。
 渡岸寺の観音の作者が、どちらと云えば、悪の表現の方に重きをおいたのは、注意していいことである。ふつうなら一列に並べておく瞋面と、牙出面を、一つずつ耳の後まで下げ、美しい顔の横から、邪悪の相をのぞかせているばかりか、一番恐ろしい暴悪大笑面を、頭の真後につけている。見ようによっては、後姿の方が動きがあって美しく、前と後と両面から拝めるようになっているのが、ほかの仏像とはちがう。暴悪大笑面は、悪を笑って仏道に向わしめる方便ということだが、とてもそんな有がたいものとは思えない。この薄気味わるい笑いは、あきらかに悪魔の相であり、一つしかないのも、同じく一つしかない如来相と対応しているように見える。大きさも同じであり、同じように心をこめて彫ってある。してみると、十一面観音は、いわば天地の中間にあって、衆生を済度する菩薩なのであろうか。そんなことはわかり切っているが、私が感動するのは、そういうことを無言で表現した作者の独創力にある。平安初期の仏師は、後世の職業的な仏師とはちがって、仏像を造ることが修行であり、信仰の証しでもあった。この観音が生き生きとしているのは、作者が誰にも、何にも頼らず、自分の眼で見たものを彫刻したからで、悪魔の笑いも、瞋恚(しんい)の心も、彼自身が体験したものであったに違いない。(P266-268)

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渡岸寺(向源寺)十一面観音立像・暴悪大笑面。木造、素地、177.3cm。わが国屈指の観音像である。檜の一木造。宝髻(ほうけい)に乾漆を使用した美しく気品のある顔立ち、軽く腰をひねる肉取り豊かな体躯など、均衡のとれた安定感のある像容を保つ。頭上の化仏(けぶつ)は大きく、とくに真面両側に化仏をつけることや、耳朶(じだ)に大きな耳璫(じとう)をつける点などは、他の像にみられない特色である。両手や化仏の一部、頭部正面の阿弥陀如来像などは後補、9世紀に伝えられた新様ともみられる。平安時代初期(写真は本書P269より。解説文は山川出版社『図説 仏像巡礼辞典』より)

村上春樹『騎士団長殺し』が届きました。

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今日、予約しておいた村上春樹の新刊『騎士団長殺し』(2017.2.25)が自宅に届きました。一昨日からテレビやラジオでこの本発売のニュースに接していたので、とても待ち遠しく思っていました。
この作品は、「第1部 顕れるイデア編」と「第2部 遷ろうメタファー編」の2冊本です。『騎士団長殺し』というタイトルはユニークですが、モーツァルトのオペラ“ドン・ジョヴァンニ”(1787)の主人公ドン・ジョヴァンニは、夜這いを仕掛けた娘に抵抗され、その父親である騎士団長を殺すそうです。この作品とオペラ“ドン・ジョヴァンニ”の関連はわかりませんが、自宅に“ドン・ジョヴァンニ”のCDがあったので、久々に聴いてみようと思います。

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LAMY万年筆《studio》

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LAMYの万年筆《studio ステュディオ/マットブラック》を購入しました。昨年末に購入したLAMY《safari》がとても書きやすいので、少しだけ上のレベルのものをと思い、これにしました。

『1冊でわかる滋賀の仏像』を購入しました。

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先日、白洲正子『十一面観音巡礼』(75)を読み、向源寺(滋賀県長浜市)の十一面観音立像に強く心を惹かれました。で、近いうちに見仏に行こうと思い、『1冊でわかる滋賀の仏像 文化財鑑賞ハンドブック』(企画・編集/滋賀県教育委員会事務局文化財保護課/2015)を購入しました。

この本の内容について、巻頭の「はじめに」を引用します。
 滋賀県は、全国第4位の国宝・重要文化財保有県です。かつて近江国と呼ばれた本県は、日本列島の中央部に位置し、早くから交通の要衝として開かれ、人と物資の交流が盛んに行われました。7世紀には近江大津宮が営まれ、16世紀には織田信長が安土城を築くなど、たびたび日本史の表舞台にも登場し、多くの文化遺産が生み出されてきました。また、最澄が開いた比叡山の仏教文化による強い影響を受けて、豊かな「神と仏の美」がつむぎだされ花開いた地でもあります。
 そのため県内には建造物、美術工芸品、無形文化財、民俗文化財、史跡名勝天然記念物など、あらゆる分野の文化財が質量ともに豊富に伝えられています。それらは県域に広く分布し、今なお地域の暮らしや風土と深く結びついて大切に守り伝えられていることが特徴です。とりわけ、美術工芸品については、1000年以上にわたって仏像や仏画、仏具などの工芸品、さらには経典や古文書など豊かな内容の文化財が伝えられており、「千年の美」と呼ぶべき県民の誇りとするところです。
 近年は京都や奈良の文化財を対象にした仏教美術のガイドブック類が刊行されており、滋賀県でも「千年の美」を県民みずからが学び、発信していくための手引書の登場が待ち望まれていました。
 本書は、滋賀県に所在する神と仏の美について、それらが生み出され、守られてきた背景を概説するとともに、主として県内に伝わる文化財をモデルに、具体的な仏教美術の見方を解説し、鑑賞の基礎知識としていただけるよう構成したものです
 読者のみなさんは本書を片手に滋賀県の神社や寺院、博物館などを訪れ、各地に伝わる神と仏の美を鑑賞していただくとともに、ぜひともみずからが千年の美の「つたえびと」となって、近江の文化財の魅力を滋賀の内外に発信していただく際の一助としていただければ幸いです。
     滋賀県教育委員会

◆目次(抄)
第1章 滋賀の仏像の歴史
 1 仏像の誕生と仏教の伝播
 2 日本への仏教の伝来
 3 近江国での寺院の建立
 4 比叡山と天台仏教
 5 浄土教ブームで阿弥陀仏造立
 6 写実的な新時代の造形
 7 禅宗が武家へ、浄土真宗が庶民へ
 8 危機を迎えた仏像と保護の取り組み
第2章 種類別 滋賀のさまざまな仏像
 ◇如来
 ◇菩薩
 ◇明王
 ◇天部
 ◇高僧
 ◇神像
第3章 仏像のある寺院をめぐる
 1大津・高島エリア
 2湖南・甲賀エリア
 3湖東・東近江エリア
 4湖北エリア

◆目次(抄)では省きましたが、本書には「千年の美 名品ギャラリー」という記事があり、「石山寺縁起絵巻」「洞照寺阿弥陀如来坐像」「向源寺十一面観音立像」が取り上げられています。
 向源寺の十一面観音立像の記事では、関連する文学作品として井上靖の『星と祭』を取り上げています。以下、その部分を引用します。
 新聞の連載小説を、昭和46年に単行本化。琵琶湖上のボート事故で子を亡くした2人の父親が、湖の死者を見守っているという観音像の巡礼を始める。作中、滋賀県各地の十一面観音像について魅力的に紹介され、湖国観音巡りのブームをまきおこした。向源寺像については「大きな王冠をつけ」ているとか、「仏像というより古代エジプトの女帝」のようであるなどの独特な表現が目を引く。
※井上靖は好きな作家だし、この作品は読んでいなかったので、さっそく購入しようとしました。しかし、角川文庫は絶版のようで、中古品が2,500円以上しました。で、初めて電子版(Kindle版)を購入しました。

村上春樹『騎士団長殺し』を読みました。

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今日、村上春樹の長編小説『騎士団長殺し』(2017)を読み終えました。
以下、一読した感想等を書こうと思います。

◆ストーリー
 妻からの突然の別れ話に戸惑い、「私」は家を出ます。赤いプジョー205ハッチバックに乗り、東京→東北(日本海側)→北海道→東北(太平洋側)と、放浪の旅を続けることになります。やがて、私は友人の計らいで彼の父で有名な日本画家・雨田具彦の小田原の山の上のコテージに住むことになります。
 私はその家の屋根裏で雨田具彦の日本画『騎士団長殺し』を偶然発見します。そして、それが契機となり、私は不可思議な世界へと導かれていきます。

◆過去の作品との類似性
 この作品は、これまでの村上作品、たとえば『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(85)や『ダンス・ダンス・ダンス』(88)、『ねじまき鳥クロニクル』(94・95)、『1Q84』(09・10)などを彷彿とさせます。
 ある出来事を契機に主人公が現実世界から非現実的な世界へと導かれてゆくことや、登場人物の設定には多くの類似性があります。音楽や料理、酒、車、セックスなどの記述は作品にリアリティを与え、洞窟や井戸、石室(穴)を通過させることによって、私たち読者を非現実的な世界へと導いているのです。新しさは感じませんでしたが、逆に懐かしさを覚えつつ読むことができました。

◆オペラ『ドン・ジョバンニ』
 この作品は、モーツァルトのオペラ『ドン・ジョバンニ』が大きなモチーフになっています。雨田具彦の日本画『騎士団長殺し』は、かつて彼がウィーン留学中に連座したナチ高官暗殺未遂事件を、『ドン・ジョバンニ』の騎士団長殺しのシーンを借りて描いています。
 この作品中に登場する「イデア」や「メタファー」は、『騎士団長殺し』に描かれた〈騎士団長〉や〈顔なが〉の姿となって登場します。初めて〈騎士団長〉が登場した時、少しばかり怖さを感じましたが、やがてその不在や消滅に淋しさを感じるようになりました。けっこう愛すべきキャラクターだと思います。

◆飲酒運転について
 以前の村上作品では登場人物がしばしば飲酒運転をしていました。しかし、著者もそれが反社会的行為だということに気づいたのか、あるいはどこからか注意を受けたのか、この作品には飲酒運転を自ら戒めるシーンが4か所もありました。登場人物が飲酒運転をしたのは一度だけで、それについても言い訳をしています。
 免色は月の明かりの下で、艶やかな銀色のジャガーに乗り込んで帰って行った。開けた窓から私に軽く手を振り、私も手を振った。エンジン音が坂道の下に消えてしまった後で、彼がウィスキーをグラスに一杯飲んでいたことを思い出したが(二杯目は結局口をつけられていなかった)、顔色にまったく変化はなかったし、しゃべり方や態度も水を飲んだのと変わりなかった。アルコールに強い体質なのだろう。それに長い距離を運転するわけではない。もともと住民しか利用しない道路だし、こんな時刻には対向車も、歩いている人もまずいない。(第1部P231-232)

「ウィスキーをありがとう」と私は礼を言った。まだ五時前だったが、空はずいぶん暗くなっていた。日ごとに夜が長くなっていく季節だった。
本当は一緒に飲みたいところだが、なにしろ運転があるものでね」と彼は言った。「そのうちに二人でゆっくり腰を据えて飲もう」(第1部P340)

 雨田は白ワインのグラスを注文し、私はペリエ(引用者注:南仏産のスパークリング・ナチュラルミネラルウォーター。要するに、ただの炭酸水)を頼んだ。
これから運転して小田原まで帰らなくちゃならないからね」と私は言った。「ずいぶん遠い道のりだ」(第2部P89)

「おたくにウィスキーはありますか?」
「シングル・モルトが瓶に半分くらいあります」と私は言った。
「厚かましいお願いですが、それをいただけませんか? オンザロックで」
「もちろんいいですよ。ただ免色さんは車を運転してこられたし……」
タクシーを呼びます」と彼は言った。「私も飲酒運転で免許証を失いたくはありませんから」(第2部P137)

 私は彼にウィスキーを勧めようかと思ったが、思い直してやめた。今夜はたぶん素面(しらふ)でいた方がよさそうだ。これからまた車を運転することだってあるかもしれない。(第2部P253)

◆ブルース・スプリングスティーンの“ザ・リヴァー”について
 私はブルース・スプリングスティーンの『ザ・リヴァー』をターンテーブルに載せた。ソファに横になり、目を閉じてその音楽にしばし耳を澄ませていた。一枚目のレコードのA面を聞き終え、レコードを裏返してB面を聴いた。ブルース・スプリングスティーンの『ザ・リヴァー』はそういう風にして聴くべき音楽なのだと、私はあらためて思った。A面の「インディペンデンス・デイ」が終わったら両手でレコードを持ってひっくり返し、B面の冒頭に注意深く針を落とす。そして「ハングリー・ハート」が流れ出す。もしそういうことができないようなら、『ザ・リヴァー』というアルバムの価値はいったいどこにあるだろう? ごく個人的な意見を言わせてもらえるなら、それはCDで続けざまに聴くアルバムではない。『ラバー・ソウル』だって『ペット・サウンズ』だって同じことだ。優れた音楽を聴くには、聴くべき様式というものがある。聴くべき姿勢というものがある。
 いずれにせよ、そのアルバムにおけるEストリート・バンドの演奏はほとんど完璧だった。バンドが歌手を鼓舞し、歌手はバンドをインスパイアしていた。(第2部P428-429)

 “The River”は、ブルース・スプリングスティーンが1980年に発表した2枚組アルバムです。僕の大好きなアルバムだし、収録曲の‘Hungry Heart’はスプリングスティーンの数多い楽曲中でも大好きな曲の一つです。僕はこの作品をLPレコードで聴いたことがなかったので、「私」のように座り心地の良いソファーにすわってじっくり聴くのもいいかなと思いました。‘Independence Day’の余韻を感じながらレコードのB面をセットする。そして、‘Hungry Heart’に針を置く。
 でも、このアルバムは(僕がいつもしているように)車を運転しながら聴くのもいいと思います。このアルバムを聴いていると、1,000km先くらい平気で行けそうな気がします。

◆免色(めんしき)という登場人物。当初の予想に反してけっこうまともな人物でした。スコット・フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』に登場するジェイ・ギャツビーを思い起こさせます。

◆モーツァルトのオペラ“ドン・ジョヴァンニ”のDVDを購入しました。ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団/ヘルベルト・グラーフ演出による、1954年ザルツブルク音楽祭で上演された作品です。
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