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佐藤賢一『ハンニバル戦争』を読みました。

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今日、佐藤賢一の『ハンニバル戦争』(2016)を読み終えました。
この作品について、帯に書かれた解説を引用します。
古代地中海の覇権をかけた壮大な物語が、今、幕を開ける――。
時は紀元前三世紀。広大な版図を誇ったローマ帝国の歴史の中で、史上最大の敵とされた男がいた。カルタゴの雷神・バルにあやかりつけられた名はハンニバル。わかる、わかる、全てがわかる。戦を究めた稀代の猛将軍・ハンニバルが、復讐の名の下に立ち上がり、今、アルプスを越えた。予測不可能な強敵を前に、ローマも名家生まれの主人公・スキピオは、愛する家族と祖国を守りぬくことができるのか?
『カエサルを撃て』『剣闘士スパルタクス』に続く「ローマ三部作」、堂々完結。

【感想等】
◆ポエニ戦争(第1次:前264-前241、第2次:前219-前201、第3次:前149-前146)は、共和政ローマとカルタゴとの間で争われた地中海の覇権をめぐる戦いです。この戦争を考える時まっ先に思い浮かぶのは、カルタゴの将軍ハンニバル(前247-183頃)と彼が指揮したカンナエ(カンネー)の戦い(前216)だと思います。
◆この作品の主人公はローマの将軍スキピオ(前236-183頃)です。彼は7万のローマ兵が包囲殲滅されたカンナエの戦いから命からがら生還し、やがてザマの戦い(前202)でハンニバルに勝利します。
スキピオはハンニバルに復讐するため、兵法書や歴史書を徹底的に研究しますが、最終的に彼が確信したのは「ハンニバルに勝つには、ハンニバルに学ぶことだ。そうしてハンニバルになることだ」(P228)ということでした。スキピオはカンナエの戦いにおけるハンニバルの戦法を徹底的に研究し、その後のカルタゴとの戦いの中でそれを実践していきます。そして、ハンニバルとの最終決戦、ザマの戦いを迎えます。
◆スキピオはザマの戦いにおいてカルタゴ軍を包囲殲滅し、ローマは地中海の覇権を確立します。しかし、スキピオはザマの戦いにおける包囲殲滅が、カンナエの戦いほどでなかったことから、自分はハンニバルにはなれなかったと述懐します。カンナエの戦いといい、ザマの戦いといい、敵の包囲の中に追い詰められた兵士たちの絶望と苦しみはいかばかりかと想像されます。
◆スキピオは「スキピオ・アフリカヌス」と尊称され、その後のローマで重要な地位を占めますが、やがて失脚し不遇のうちに死を迎えまます。一方のハンニバルもやがて自死に追い込まれてしまいます。二人の英雄の人生におけるピークは第2次ポエニ戦争(ハンニバル戦争)だったのですね。

【参考】第二次ポエニ戦争
 第二次ポエニ戦争は、共和政ローマとカルタゴとの間で紀元前219年から紀元前201年にかけて戦われた戦争。ローマ、カルタゴ間の戦争はカルタゴの住民であるフェニキア人のローマ側の呼称からポエニ戦争と総称されるが、この戦争は全3回のポエニ戦争の2回目にあたる。またこの戦争において、カルタゴ側の将軍ハンニバル・バルカはイタリア半島の大部分を侵略し、多大な損害と恐怖をローマ側に残したため、この戦争はハンニバル戦争とも称される。(Wikipediaより)

『ビートルズを聴こう』を購入しました。

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先日、里中哲彦・遠山修司『ビートルズを聴こう 公式録音全213曲完全ガイド』(2015)を購入しました。来月、ポール・マッカートニーの東京ドーム公演に行くので、その準備のためです。
この本の内容について、ブックカバー裏面の解説と「はじめに」(一部)を引用します。
 ビートルズが残してくれた公式録音は213曲しかない。ただ、そのインパクトは広大無辺と言っていい。本書は、奇蹟のような楽曲の数々をより深く楽しむための案内書である。時代背景やメンバーの心象風景、レコーディング事情や使用楽器、そして歌詞の内容など、多方面からアプローチ。時代を超え、時代を作ったサウンドはいかに生み出されたのか。(ブックカバー裏面の解説)

 英国北部の港町、リヴァプール出身の4人の若者がレコード・デビューしたのは、1962年10月5日のことだった。
 彼らは「ザ・ビートルズ」と名乗り、メンバーのうち、
リンゴ・スターは22歳、ジョン・レノンは21歳、ポール・マッカートニーは20歳、ジョージ・ハリスンはまだ19歳だった。グループの解散宣言をしたときも、メンバーは全員まだ20代だった。
 このわずか7年半の活動期間のうちに、ビートルズは「かっこいい」の基準をすっかり変えてしまった。もちろんそれは、容姿やしぐさ笑顔やユーモアのセンスの要素も大きかったわけだが、彼らの楽曲こそが「かっこいい」との印象を強烈に与えたのだった。
(中略)
 公式録音曲は213曲。これが、わたしたちの手もとに残された。オリジナル・アルバム13枚。それに2枚の『パスト・マスターズ』を加えれば、213曲すべてを聴くことができる。
(中略)
 なお、アルバムは、「録音順」ではなく、「発売順」に並べてある。また、ビートルズの「初期」は1963年~64年(『プリーズ・プリーズ・ミー』『ウィズ・ザ・ビートルズ』『ア・ハード・デイズ・ナイト』『ビートルズ・フォー・セール』のころ)、「中期」は65年~67年(『ヘルプ』『ラバー・ソウル』『リヴォルヴァー』『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』『マジカル・ミステリー・ツアー』のころ)、「後期」は68年~70年(『ザ・ビートルズ(ホワイト・アルバム)』『イエロー・サブマリン』『アビイ・ロード』『レット・イット・ビー』のころ)と区切っている。
 213の公式発表曲のうち、144曲(およそ8割)が「レノン=マッカートニー」の名義になっているが、どちらかが単独でつくった場合も含め、「二人のクレジットにしよう」という本人たちによる取り決めがあったからである。(「はじめに」より)

次に、目次を引用します。
 はじめに
1 PLEASE PLEASE ME
2 WITH THE BEATLES
3 A HARD DAY'S NIGHT
4 BEATLES FOR SALE
5 HELP!
6 RUBBER SOUL
7 REVOLVER
8 SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND
9 MAGICAL MYSTERY TOUR
10 THE BEATLES(THE WHITE ALBUM)
11 YELLOW SUBMARINE
12 ABBEY ROAD
13 LET IT BE
14 PAST MASTERS VOLUME ONE
15 PAST MASTERS VOLUME TWO
 あとがき――「私の好きな曲」対談

『荷風俳句集』を読みました。

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今日、加藤郁乎編『荷風俳句集』(2013)を読み終えました。この本は、永井荷風の俳句や狂歌、小唄、端唄、琴歌、清元、漢詩、俳句にかかわる随筆を編纂したもので、以下のような構成になっています。
 ◆自選 荷風百句
 ◆俳句
 ◆狂歌
 ◆小唄他
 ◆漢詩
 ◆随筆
 ◆写真と俳句

以下、一読して気になった俳句を引用します。

 まだ咲かぬ梅をながめて一人かな
 葡萄酒の色にさきけりさくら艸(さう)
 紅梅に雪のふる日や茶のけいこ
 傘さゝぬ人のゆきゝや春の雨
 物干に富士やをがまむ北斎忌

 散りて後悟るすがたや芥子(けし)の花
 わが儘にのびて花さく薊(あざみ)かな
 涼風(すずかぜ)を腹一ぱいの仁王かな
 住みあきし我家ながらも青簾(あをすだれ)
 柚の香や秋もふけ行く夜の膳

 秋風や鮎焼く塩のこげ加減
 昼月(ひるづき)や木(こ)ずゑに残る柿一ツ
 よみさしの小本(こほん)ふせたる炬燵哉
 雪になる小降りの雨や暮の鐘
 落残る赤き木(き)の実や霜柱

 下駄買うて箪笥の上や年の暮
 後(うしろ)向く女の帯に螢飛ぶ
 思ひ出でゝ恋しき時は夏書(げがき)かな
 冬の夜を酒屋(バア)に夜ふかす人の声
 萩咲くや敷石長き寺の門

 寺に添(そう)て曲れば萩の小道哉
 椎の実の栗にまじりて拾はれし
 風鈴や庭のあかりは隣から
 牡丹散つて再び竹の小庭(こには)かな
 芋の葉に花を添へたり秋海棠(しうかいだう)

 恙なく君鎌倉に在り初鰹
 稲妻に臍(へそ)もかくさぬ女かな
 木犀の香(か)を待つ宵の月見かな
 もてあます西瓜一つやひとり者
 用もなく銭もなき身の師走かな

 青刀魚(さんま)焼く烟(けむり)や路地のつゆ時雨
 雀鳴くやまづしき門の藪椿
 風の日や芥かみ屑散るさくら
 窓際に移すつくゑや風薫る
 鬼灯(ほほづき)やさらでも憎き片ゑくぼ

 葛餅にむかしをおもふ彼岸かな
 ひとり居も馴れゝば楽しかぶら汁
 粥を煮てしのぐ寒さや夜半(よは)の鐘
 香(かう)焚くや物煮し後の古火鉢
 捨てし世も時には恋し初桜

 羊羹の高きを買はむ年の暮
 藤の花さく縁側に昼寐かな
 名月や観音堂の鬼瓦

『オートバイの旅』Ⅵを読みました。

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今夜、『オートバイの旅』困鯑匹濬えました。
この本はツーリングマガジン『OUTRIDER(アウトライダー)』2017.2月号(Vol.82)の特別付録で、創刊30周年記念として、過去のツーリング紀行傑作選を収録しています。
僕は『掘戮ら読み始めたので、これで4冊読んだことになります。筆者はそれぞれに個性的で、旅心をかき立てられました。また、バイクで旅することの意味や人生について考える、貴重な体験となりました。

以下、この本のコンテンツを示します。
ふたりで旅をするということ 神奈川・箱根~静岡・伊豆(熊谷達也)
女のやすらぎ 神奈川・鎌倉~江ノ島(守田二草)
アンチェイン デイズ 磐梯~越後~信州(菅生雅文)
潮騒のユートピア 若狭~丹後~但馬(石山和男)
被災地からの伝言 岩手・岩泉町~宮古市~大槌町(斎藤 純)
冬、宗谷――まだ知らぬ景色へ 北海道・道北(柴田雅人)
夜桜随想 神奈川・横浜~東京(山田深夜)

SEALの「トラベルミニショルダーバッグ」

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先日、SEALの「トラベルミニショルダーバッグ」を購入しました。
革の部分がオレンジの同じバッグを持っていますが、以前から気になっていたので、バーゲン(25パーセントオフ)をきっかけに購入しました。

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『井月句集』を読みました。

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今日、井上井月(いのうえ せいげつ)の句集『井月句集』(復本一郎編、2012)を読み終えました。
以下、井月についてWikipediaから引用します。
 文政5年(1822年)?~明治20年2月16日(1887年3月10日)。日本の19世紀中期から末期の俳人。本名は一説に井上克三(いのうえかつぞう)。別号に柳の家井月。「北越漁人」と号した。信州伊那谷を中心に活動し、放浪と漂泊を主題とした俳句を詠み続けた。その作品は、後世の芥川龍之介や種田山頭火をはじめ、つげ義春などに影響を与えた。
この句集は「発句篇」「俳論篇」「参考篇」で構成されていますが、「発句篇」を一読して気になった句を引用します。

 東風(こち)吹くや子供のもちし風車
 春雨や心のまゝのひぢ枕
 春の野や酢みそにあはぬ草の無(なし)
 遣(や)り過(すぎ)し糸のたるみや凧(いかのぼり)
 手に汗を握りこぶしや鷄合(とりあはせ)

 雛祭り蝶よ花よとかしづかれ
 雛に供ふ色香めでたし草の餅
 恋猫の又してもなく月夜かな
 行雁に後(おく)れて立や安旅籠(やすはたご)
 雁がねに忘れぬ空や越の浦

 その声の月に隠るゝ蛙(かはづ)かな
 呼び捨にならぬ蚕の機嫌かな
 表から裏から梅の匂ひかな
 誰(た)が門(かど)ややみに匂ひの梅しろし
 梅が香や栞(しほり)して置く湖月抄

 梅が香をやらじと結ぶ垣根かな
 翌日(あす)しらぬ身の楽しみや花に酒
 咲き急ぐ花や散日の無きやうに
 旅人の我も数なり花ざかり
 まだ咲(さか)ぬ花を噂やきのふけふ

 宵ながら提灯借て花心
 願うても又なき花の旅路かな
 そねまるゝほど艶(えん)もなし山ざくら
 花は葉にもたれ合うてや玉椿
 兎(と)もすれば汗の浮く日や木瓜(ぼけ)の花

 菜の花に遠く見ゆるや山の雪
 羽二重のたもと土産や蕗の薹(ふきのたう)
 時めくや菜めし田楽山椒みそ
 春の気のゆるみをしめる鼓(つづみ)かな
 出た雲のやくにも立たぬ暑さかな

 涼しさの真たゞ中や浮見堂(うきみだう)
 気の合うて道はかどるや雲の峰
 白雨(ゆふだち)の限(かぎり)や虹の美しき
 陰る雲照くもそよぐ青田かな
 ひとつ星など指(ゆびさ)して門(かど)すゞみ

 楠に付(つい)て廻るや夏座舗
 うるさしと猫の居ぬ間を昼寝かな
 浴衣地によき朝顔の絞りかな
 夏痩やとる筆さへも仮名まじり
 山の端(は)の月や鵜舟(うぶね)の片明り

 もてなしにみさごのすしやきのふけふ
 時鳥(ほととぎす)酒だ四の五の言はさぬぞ
 姿鏡(すがたみ)にうつる牡丹の盛りかな
 秋立や声に力を入れる蟬
 塗り下駄に妹(いも)が素足や今朝の秋

 新蕎麦や夜寒(よさむ)の客を呼びにやる
 鶏頭やおのれひとりの秋ならず
 姿鏡(すがたみ)に映る楓(かへで)の夕日かな
 鬼灯(ほほづき)を上手にならす靨(ゑくぼ)かな
 笠を荷にする旅空や秋の冷(ひえ)

 何云はん言の葉もなき寒さかな
 時雨(しぐる)るや馬に宿貸す下隣(したどなり)
 兎角して初雪消(けす)な料理人
 しめやかに神楽の笛や月冴(さゆ)る
 酒好きの取持顔(とりもちがほ)や蛭子講(えびすこう)

 下戸の座の笑ひ小さし蛭子講
 薬喰(くすりぐひ)相客のぞく戸口かな
 埋火(うづみび)や何を願ひの独りごと
 迷惑の日も家礼(かれい)とや煤払(すすはらひ)
 冬の蠅牛に取りつく意地もなし

 茶の花や見つけし時は盛りすぎ
 冬牡丹切(きる)の折(をる)のゝ沙汰でなし
 菊の香を偸(ぬすむ)や石蕗(つは)の咲いそぎ
 雪に寝た南天起す柄杓(ひしやく)かな
 目出度さも人任せなり旅の春

 なすとなくするともなしに三ヶ日
 犬ころの雪ふみ分てはつ日かげ

村上春樹『騎士団長殺し』が届きました。

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今日、予約しておいた村上春樹の新刊『騎士団長殺し』(2017.2.25)が自宅に届きました。一昨日からテレビやラジオでこの本発売のニュースに接していたので、とても待ち遠しく思っていました。
この作品は、「第1部 顕れるイデア編」と「第2部 遷ろうメタファー編」の2冊本です。『騎士団長殺し』というタイトルはユニークですが、モーツァルトのオペラ“ドン・ジョヴァンニ”(1787)の主人公ドン・ジョヴァンニは、夜這いを仕掛けた娘に抵抗され、その父親である騎士団長を殺します。この作品とオペラ“ドン・ジョヴァンニ”の関連はわかりませんが、自宅に“ドン・ジョヴァンニ”のCDがあったので、久々に聴いてみようと思います。

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LAMY万年筆《studio》

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LAMYの万年筆《studio ステュディオ/マットブラック》を購入しました。昨年末に購入したLAMY《safari》がとても書きやすいので、少しだけ上のレベルのものをと思い、これにしました。

『1冊でわかる滋賀の仏像』を購入しました。

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先日、白洲正子『十一面観音巡礼』(75)を読み、向源寺(滋賀県長浜市)の十一面観音立像に強く心を惹かれました。で、近いうちに見仏に行こうと思い、『1冊でわかる滋賀の仏像 文化財鑑賞ハンドブック』(企画・編集/滋賀県教育委員会事務局文化財保護課/2015)を購入しました。

この本の内容について、巻頭の「はじめに」を引用します。
 滋賀県は、全国第4位の国宝・重要文化財保有県です。かつて近江国と呼ばれた本県は、日本列島の中央部に位置し、早くから交通の要衝として開かれ、人と物資の交流が盛んに行われました。7世紀には近江大津宮が営まれ、16世紀には織田信長が安土城を築くなど、たびたび日本史の表舞台にも登場し、多くの文化遺産が生み出されてきました。また、最澄が開いた比叡山の仏教文化による強い影響を受けて、豊かな「神と仏の美」がつむぎだされ花開いた地でもあります。
 そのため県内には建造物、美術工芸品、無形文化財、民俗文化財、史跡名勝天然記念物など、あらゆる分野の文化財が質量ともに豊富に伝えられています。それらは県域に広く分布し、今なお地域の暮らしや風土と深く結びついて大切に守り伝えられていることが特徴です。とりわけ、美術工芸品については、1000年以上にわたって仏像や仏画、仏具などの工芸品、さらには経典や古文書など豊かな内容の文化財が伝えられており、「千年の美」と呼ぶべき県民の誇りとするところです。
 近年は京都や奈良の文化財を対象にした仏教美術のガイドブック類が刊行されており、滋賀県でも「千年の美」を県民みずからが学び、発信していくための手引書の登場が待ち望まれていました。
 本書は、滋賀県に所在する神と仏の美について、それらが生み出され、守られてきた背景を概説するとともに、主として県内に伝わる文化財をモデルに、具体的な仏教美術の見方を解説し、鑑賞の基礎知識としていただけるよう構成したものです
 読者のみなさんは本書を片手に滋賀県の神社や寺院、博物館などを訪れ、各地に伝わる神と仏の美を鑑賞していただくとともに、ぜひともみずからが千年の美の「つたえびと」となって、近江の文化財の魅力を滋賀の内外に発信していただく際の一助としていただければ幸いです。
     滋賀県教育委員会

◆目次(抄)
第1章 滋賀の仏像の歴史
 1 仏像の誕生と仏教の伝播
 2 日本への仏教の伝来
 3 近江国での寺院の建立
 4 比叡山と天台仏教
 5 浄土教ブームで阿弥陀仏造立
 6 写実的な新時代の造形
 7 禅宗が武家へ、浄土真宗が庶民へ
 8 危機を迎えた仏像と保護の取り組み
第2章 種類別 滋賀のさまざまな仏像
 ◇如来
 ◇菩薩
 ◇明王
 ◇天部
 ◇高僧
 ◇神像
第3章 仏像のある寺院をめぐる
 1大津・高島エリア
 2湖南・甲賀エリア
 3湖東・東近江エリア
 4湖北エリア

◆目次(抄)では省きましたが、本書には「千年の美 名品ギャラリー」という記事があり、「石山寺縁起絵巻」「洞照寺阿弥陀如来坐像」「向源寺十一面観音立像」が取り上げられています。
 向源寺の十一面観音立像の記事では、関連する文学作品として井上靖の『星と祭』を取り上げています。以下、その部分を引用します。
 新聞の連載小説を、昭和46年に単行本化。琵琶湖上のボート事故で子を亡くした2人の父親が、湖の死者を見守っているという観音像の巡礼を始める。作中、滋賀県各地の十一面観音像について魅力的に紹介され、湖国観音巡りのブームをまきおこした。向源寺像については「大きな王冠をつけ」ているとか、「仏像というより古代エジプトの女帝」のようであるなどの独特な表現が目を引く。
※井上靖は好きな作家だし、この作品は読んでいなかったので、さっそく購入しようとしました。しかし、角川文庫は絶版のようで、中古品が2,500円以上しました。で、初めて電子版(Kindle版)を購入しました。

村上春樹『騎士団長殺し』を読みました。

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今日、村上春樹の長編小説『騎士団長殺し』(2017)を読み終えました。
以下、一読した感想等を書こうと思います。

◆ストーリー
 妻からの突然の別れ話に戸惑い、「私」は家を出ます。赤いプジョー205ハッチバックに乗り、東京→東北(日本海側)→北海道→東北(太平洋側)と、放浪の旅を続けることになります。やがて、私は友人の計らいで彼の父で有名な日本画家・雨田具彦の小田原の山の上のコテージに住むことになります。
 私はその家の屋根裏で雨田具彦の日本画『騎士団長殺し』を偶然発見します。そして、それが契機となり、私は不可思議な世界へと導かれていきます。

◆過去の作品との類似性
 この作品は、これまでの村上作品、たとえば『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(85)や『ダンス・ダンス・ダンス』(88)、『ねじまき鳥クロニクル』(94・95)、『1Q84』(09・10)などを彷彿とさせます。
 ある出来事を契機に主人公が現実世界から非現実的な世界へと導かれてゆくことや、登場人物の設定には多くの類似性があります。音楽や料理、酒、車、セックスなどの記述は作品にリアリティを与え、洞窟や井戸、石室(穴)を通過させることによって、私たち読者を非現実的な世界へと導いているのです。新しさは感じませんでしたが、逆に懐かしさを覚えつつ読むことができました。

◆オペラ『ドン・ジョバンニ』
 この作品は、モーツァルトのオペラ『ドン・ジョバンニ』が大きなモチーフになっています。雨田具彦の日本画『騎士団長殺し』は、かつて彼がウィーン留学中に連座したナチ高官暗殺未遂事件を、『ドン・ジョバンニ』の騎士団長殺しのシーンを借りて描いています。
 この作品中に登場する「イデア」や「メタファー」は、『騎士団長殺し』に描かれた〈騎士団長〉や〈顔なが〉の姿となって登場します。初めて〈騎士団長〉が登場した時、少しばかり怖さを感じましたが、やがてその不在や消滅に淋しさを感じるようになりました。けっこう愛すべきキャラクターだと思います。

◆飲酒運転について
 以前の村上作品では登場人物がしばしば飲酒運転をしていました。しかし、著者もそれが反社会的行為だということに気づいたのか、あるいはどこからか注意を受けたのか、この作品には飲酒運転を自ら戒めるシーンが4か所もありました。登場人物が飲酒運転をしたのは一度だけで、それについても言い訳をしています。
 免色は月の明かりの下で、艶やかな銀色のジャガーに乗り込んで帰って行った。開けた窓から私に軽く手を振り、私も手を振った。エンジン音が坂道の下に消えてしまった後で、彼がウィスキーをグラスに一杯飲んでいたことを思い出したが(二杯目は結局口をつけられていなかった)、顔色にまったく変化はなかったし、しゃべり方や態度も水を飲んだのと変わりなかった。アルコールに強い体質なのだろう。それに長い距離を運転するわけではない。もともと住民しか利用しない道路だし、こんな時刻には対向車も、歩いている人もまずいない。(第1部P231-232)

「ウィスキーをありがとう」と私は礼を言った。まだ五時前だったが、空はずいぶん暗くなっていた。日ごとに夜が長くなっていく季節だった。
本当は一緒に飲みたいところだが、なにしろ運転があるものでね」と彼は言った。「そのうちに二人でゆっくり腰を据えて飲もう」(第1部P340)

 雨田は白ワインのグラスを注文し、私はペリエ(引用者注:南仏産のスパークリング・ナチュラルミネラルウォーター。要するに、ただの炭酸水)を頼んだ。
これから運転して小田原まで帰らなくちゃならないからね」と私は言った。「ずいぶん遠い道のりだ」(第2部P89)

「おたくにウィスキーはありますか?」
「シングル・モルトが瓶に半分くらいあります」と私は言った。
「厚かましいお願いですが、それをいただけませんか? オンザロックで」
「もちろんいいですよ。ただ免色さんは車を運転してこられたし……」
タクシーを呼びます」と彼は言った。「私も飲酒運転で免許証を失いたくはありませんから」(第2部P137)

 私は彼にウィスキーを勧めようかと思ったが、思い直してやめた。今夜はたぶん素面(しらふ)でいた方がよさそうだ。これからまた車を運転することだってあるかもしれない。(第2部P253)

◆ブルース・スプリングスティーンの“ザ・リヴァー”について
 私はブルース・スプリングスティーンの『ザ・リヴァー』をターンテーブルに載せた。ソファに横になり、目を閉じてその音楽にしばし耳を澄ませていた。一枚目のレコードのA面を聞き終え、レコードを裏返してB面を聴いた。ブルース・スプリングスティーンの『ザ・リヴァー』はそういう風にして聴くべき音楽なのだと、私はあらためて思った。A面の「インディペンデンス・デイ」が終わったら両手でレコードを持ってひっくり返し、B面の冒頭に注意深く針を落とす。そして「ハングリー・ハート」が流れ出す。もしそういうことができないようなら、『ザ・リヴァー』というアルバムの価値はいったいどこにあるだろう? ごく個人的な意見を言わせてもらえるなら、それはCDで続けざまに聴くアルバムではない。『ラバー・ソウル』だって『ペット・サウンズ』だって同じことだ。優れた音楽を聴くには、聴くべき様式というものがある。聴くべき姿勢というものがある。
 いずれにせよ、そのアルバムにおけるEストリート・バンドの演奏はほとんど完璧だった。バンドが歌手を鼓舞し、歌手はバンドをインスパイアしていた。(第2部P428-429)

 “The River”は、ブルース・スプリングスティーンが1980年に発表した2枚組アルバムです。僕の大好きなアルバムだし、収録曲の‘Hungry Heart’はスプリングスティーンの数多い楽曲中でも大好きな曲の一つです。僕はこの作品をLPレコードで聴いたことがなかったので、「私」のように座り心地の良いソファーにすわってじっくり聴くのもいいかなと思いました。‘Independence Day’の余韻を感じながらレコードのB面をセットする。そして、‘Hungry Heart’に針を置く。
 でも、このアルバムは(僕がいつもしているように)車を運転しながら聴くのもいいと思います。このアルバムを聴いていると、1,000km先くらい平気で行けそうな気がします。

◆免色(めんしき)という登場人物。当初の予想に反してけっこうまともな人物でした。スコット・フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』に登場するジェイ・ギャツビーを思い起こさせます。

◆モーツァルトのオペラ“ドン・ジョヴァンニ”のDVDを購入しました。ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団/ヘルベルト・グラーフ演出による、1954年ザルツブルク音楽祭で上演された作品です。

佐藤賢一『ハンニバル戦争』を読みました。

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今日、佐藤賢一の『ハンニバル戦争』(2016)を読み終えました。
この作品について、帯に書かれた解説を引用します。
古代地中海の覇権をかけた壮大な物語が、今、幕を開ける――。
時は紀元前三世紀。広大な版図を誇ったローマ帝国の歴史の中で、史上最大の敵とされた男がいた。カルタゴの雷神・バルにあやかりつけられた名はハンニバル。わかる、わかる、全てがわかる。戦を究めた稀代の猛将軍・ハンニバルが、復讐の名の下に立ち上がり、今、アルプスを越えた。予測不可能な強敵を前に、ローマも名家生まれの主人公・スキピオは、愛する家族と祖国を守りぬくことができるのか?
『カエサルを撃て』『剣闘士スパルタクス』に続く「ローマ三部作」、堂々完結。

【感想等】
◆ポエニ戦争(第1次:前264-前241、第2次:前219-前201、第3次:前149-前146)は、共和政ローマとカルタゴとの間で争われた地中海の覇権をめぐる戦いです。この戦争を考える時まっ先に思い浮かぶのは、カルタゴの将軍ハンニバル(前247-183頃)と彼が指揮したカンナエ(カンネー)の戦い(前216)だと思います。
◆この作品の主人公はローマの将軍スキピオ(前236-183頃)です。彼は7万のローマ兵が包囲殲滅されたカンナエの戦いから命からがら生還し、やがてザマの戦い(前202)でハンニバルに勝利します。
スキピオはハンニバルに復讐するため、兵法書や歴史書を徹底的に研究しますが、最終的に彼が確信したのは「ハンニバルに勝つには、ハンニバルに学ぶことだ。そうしてハンニバルになることだ」(P228)ということでした。スキピオはカンナエの戦いにおけるハンニバルの戦法を徹底的に研究し、その後のカルタゴとの戦いの中でそれを実践していきます。そして、ハンニバルとの最終決戦、ザマの戦いを迎えます。
◆スキピオはザマの戦いにおいてカルタゴ軍を包囲殲滅し、ローマは地中海の覇権を確立します。しかし、スキピオはザマの戦いにおける包囲殲滅が、カンナエの戦いほどでなかったことから、自分はハンニバルにはなれなかったと述懐します。カンナエの戦いといい、ザマの戦いといい、敵の包囲の中に追い詰められた兵士たちの絶望と苦しみはいかばかりかと想像されます。
◆スキピオは「スキピオ・アフリカヌス」と尊称され、その後のローマで重要な地位を占めますが、やがて失脚し不遇のうちに死を迎えまます。一方のハンニバルもやがて自死に追い込まれてしまいます。二人の英雄の人生におけるピークは第2次ポエニ戦争(ハンニバル戦争)だったのですね。

【参考】第二次ポエニ戦争
 第二次ポエニ戦争は、共和政ローマとカルタゴとの間で紀元前219年から紀元前201年にかけて戦われた戦争。ローマ、カルタゴ間の戦争はカルタゴの住民であるフェニキア人のローマ側の呼称からポエニ戦争と総称されるが、この戦争は全3回のポエニ戦争の2回目にあたる。またこの戦争において、カルタゴ側の将軍ハンニバル・バルカはイタリア半島の大部分を侵略し、多大な損害と恐怖をローマ側に残したため、この戦争はハンニバル戦争とも称される。(Wikipediaより)

『ビートルズを聴こう』を購入しました。

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先日、里中哲彦・遠山修司『ビートルズを聴こう 公式録音全213曲完全ガイド』(2015)を購入しました。来月、ポール・マッカートニーの東京ドーム公演に行くので、その準備のためです。
この本の内容について、ブックカバー裏面の解説と「はじめに」(一部)を引用します。
 ビートルズが残してくれた公式録音は213曲しかない。ただ、そのインパクトは広大無辺と言っていい。本書は、奇蹟のような楽曲の数々をより深く楽しむための案内書である。時代背景やメンバーの心象風景、レコーディング事情や使用楽器、そして歌詞の内容など、多方面からアプローチ。時代を超え、時代を作ったサウンドはいかに生み出されたのか。(ブックカバー裏面の解説)

 英国北部の港町、リヴァプール出身の4人の若者がレコード・デビューしたのは、1962年10月5日のことだった。
 彼らは「ザ・ビートルズ」と名乗り、メンバーのうち、
リンゴ・スターは22歳、ジョン・レノンは21歳、ポール・マッカートニーは20歳、ジョージ・ハリスンはまだ19歳だった。グループの解散宣言をしたときも、メンバーは全員まだ20代だった。
 このわずか7年半の活動期間のうちに、ビートルズは「かっこいい」の基準をすっかり変えてしまった。もちろんそれは、容姿やしぐさ笑顔やユーモアのセンスの要素も大きかったわけだが、彼らの楽曲こそが「かっこいい」との印象を強烈に与えたのだった。
(中略)
 公式録音曲は213曲。これが、わたしたちの手もとに残された。オリジナル・アルバム13枚。それに2枚の『パスト・マスターズ』を加えれば、213曲すべてを聴くことができる。
(中略)
 なお、アルバムは、「録音順」ではなく、「発売順」に並べてある。また、ビートルズの「初期」は1963年~64年(『プリーズ・プリーズ・ミー』『ウィズ・ザ・ビートルズ』『ア・ハード・デイズ・ナイト』『ビートルズ・フォー・セール』のころ)、「中期」は65年~67年(『ヘルプ』『ラバー・ソウル』『リヴォルヴァー』『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』『マジカル・ミステリー・ツアー』のころ)、「後期」は68年~70年(『ザ・ビートルズ(ホワイト・アルバム)』『イエロー・サブマリン』『アビイ・ロード』『レット・イット・ビー』のころ)と区切っている。
 213の公式発表曲のうち、144曲(およそ8割)が「レノン=マッカートニー」の名義になっているが、どちらかが単独でつくった場合も含め、「二人のクレジットにしよう」という本人たちによる取り決めがあったからである。(「はじめに」より)

次に、目次を引用します。
 はじめに
1 PLEASE PLEASE ME
2 WITH THE BEATLES
3 A HARD DAY'S NIGHT
4 BEATLES FOR SALE
5 HELP!
6 RUBBER SOUL
7 REVOLVER
8 SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND
9 MAGICAL MYSTERY TOUR
10 THE BEATLES(THE WHITE ALBUM)
11 YELLOW SUBMARINE
12 ABBEY ROAD
13 LET IT BE
14 PAST MASTERS VOLUME ONE
15 PAST MASTERS VOLUME TWO
 あとがき――「私の好きな曲」対談

読売新聞「村上春樹さんインタビュー」

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今朝の読売新聞に「村上春樹さんインタビュー」という記事が掲載されていました。
作者の作品への思いを理解する上で貴重な資料なので、その(ほぼ)全文を引用しようと思います。

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村上春樹さんインタビュー「人が人を信じる力」

 新作『騎士団長殺し』(新潮社)を発表した作家の村上春樹さんが、久々にインタビューに応じた。喪失感に苛まれる主人公が暗い穴を抜け、ついに獲得する「信じる力」。それは大震災から再起へ向かう東北の被災地を旅する中で、おのずと湧き上がった前向きな思いだったという。(編集委員 尾崎真理子)

 僕にはまだ伸びしろがある
 ――『1Q84』に続く大長編は原稿用紙2000枚以上。第1、第2部で130万部に達した。
 「長編小説は」ツイッターやフェイスブックなど、言葉を切り売りするSNSの対極にある。短い言説が消費される時代だからこそ、読み始めたらやめられない長い物語を書きたかった。しかも重層的で深みのある物語を。頭から8回は書き直し、自己革新も続けている。革新の源泉は三つ。第一に肉体的なトレーニング。昨年末もフルマラソンを完走した。次に翻訳で文章を鍛える。そしていろんな音楽を聴く。自分の古い作品は読み返したことがない」
 ――もう一つの新刊『翻訳(ほとんど)全仕事』(中央公論新社)によると、36年で翻訳は70余作。こちらも驚異的な量だ。
 「チャンドラーからは比喩を、カーヴァーには巧さを学んだ。彼らの作品に到達するのが遠い目標。僕にはまだ伸びしろがあると思う。新作には『グレート・ギャツビー』へのオマージュも込めた」
 ――その新作の主人公は36歳の画家。2000年代のある時期、神奈川県小田原の山中での出来事だ。家主の日本画家が描いた『騎士団長殺し』という絵を主人公が見つけると、画面から抜け出たような身長60センチほどの騎士団長が現れ、「イデア」を語る。
 「最初に浮かんだのは奇妙な感触をもつこの本の題名と、冒頭の文章だけ。書き始めれば、先導するウサギを見失わないよう毎日、夢中で進む。上田秋成の『春雨物語』が出てくるのは、父の葬儀で世話になった住職の京都の寺に、秋成の墓があると聞いて訪れた縁から。物語の容れ物として力を保つのが古典で、引用しない手はない」

 被災地で見た再生の始まり
 ――『羊をめぐる冒険』や『ねじまき鳥クロニクル』と同様、主人公は突然、妻から別れを切り出される。不可解な難題を背負って不思議な人物らと出遭い、地底をさまよった後、日常を取り戻す。ところが今回、「穴」を抜けた主人公の前向きな再生に驚いた。
 「幼い子を〈恩寵のひとつのかたち〉として育てようと、自然に受け入れる。人が人を信じる力。これは以前の結末には出てこなかった。僕の小説に家族の営みが登場したのも初めて。第3部があるか、まだ自分にもわからないが」
 ――変化の理由には、何があったのだろう。
 「一昨年、福島の郡山で作家の古川日出男君が運営するセミナーに参加した。その時一人で車を運転してまわり、いわきまで海岸沿いをずっと、福島第一原発のあたりも、できるだけ近くまで行き、自分の目で見てきた経験が大きかった。まだ傷跡は残っているけれど、失われたままではなく、被災地では再生が始まり、新しいものへつながろうとしていた。今の日本人のサイキ(精神性)を描くには、災害がもたらした大きな傷を、そこに重ねていくことになるだろうな、と思った。ジレンマを抱えながらも主人公は新しい家庭を作るだろう、と。年齢的な責任感も僕にあったかもしれない」

 善き物語は力を与える
 ――支援金を募る「CREA〈するめ基金〉熊本」の活動にも熱心だ。村上さんの存在感は大きい。不確かな現実への向き合い方を、作品に探す読者も世界中にいる。新作にはナチスのオーストリア併合に際した暗殺計画も出てくるが、〈正しい人殺し〉などあるのか。
 「僕にもわからない。歴史のとらえ方は非常に難しい。昔、アルジェリアの独立戦争を描いた映画『アルジェの戦い』で、フランス兵に爆薬を仕掛けたのは反植民地運動の英雄的行為と喝采されたのに、今ならテロだ。歴史とは国にとっての集団的記憶であり、戦後生まれだから僕に責任がないとは思わない。物語の形で問い続ける」
 ――米大統領が伝統ある言論機関をフェイクニュースと呼び、小説より奇なる事件が連日起きている。
 「インターネットの出現で、マスメディアが支配的だった言説はもっとデモクラティックになると期待した。しかし結果は逆だった。日本もバブルが弾けて阪神大震災、サリン事件が起き、景気が低迷し、東日本大震災、原発事故……。国家や経済のシステムはもっと洗練されると考えたが、そうはならなかった。それでも、善き物語は人にある種の力を与えると信じている」
 ――善き物語の力とは。
 「物語を読んで、すぐに何か変わったとわかるものじゃない。ただ、声明には声明、SNSにはSNSしか返ってこないが、物語を読んだ人の中でそれぞれ一段階を経て返ってくるものは、実に多様だ。僕はその多様な力を大切にしたい」

 現代の不安と結びつく
 村上さんの物語は、ネット社会に生きる現代人の不安と、深く結びついている。
 月が二つ空に浮かぶ『1Q84』に描かれた世界の不確かさは、8年後の今、いっそう現実味を増している。とすると、『騎士団長殺し』という不穏な物語も、何かの反映、予見なのか。
 〈書くことは、ちょうど、目覚めながら夢見るようなもの〉であり、奇想天外な物語は作家自身の意図を超えて表れることが、今回のインタビューで、より理解された。背景にある多大な努力も。
 だからこそ、時代の集合的無意識の層まで潜り込み、世界の人々に届く大長編を生み出せるのだろう。(尾)

my 見仏記19~海龍王寺

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3月24日(金)から4泊5日の日程で香川県と奈良県、滋賀県に行ってきました。そのうち、26日(日)~28日(火)の3日間、奈良県と滋賀県のお寺を訪ねましたが、見仏した主な仏像は以下の通りです。


【3/26(日)】
◆海龍王寺(十一面観音菩薩立像)※春季特別公開(3/23-4/7、5/1-9)
◆法華寺(十一面観音菩薩立像)※春季特別開扉(3/20-4/7)
◆西大寺(本堂:釈迦如来立像・文殊菩薩騎獅像及び四侍者像・弥勒菩薩坐像、愛染堂:興正菩薩叡尊坐像、四王堂:十一面観音菩薩立像)
【3/27(月)】
◆室生寺(金堂:釈迦如来立像・十一面観音菩薩立像、弥勒堂:釈迦如来坐像)※金堂特別拝観(3/11-4/16)
◆長谷寺(十一面観世音菩薩立像)※春季特別拝観(3/18-6/30)
◆聖林寺(十一面観音菩薩立像)
◆東大寺(法華堂:不空羂索観音菩薩像、戒壇堂:四天王立像)
◆興福寺(阿修羅像)※阿修羅―天平乾漆群像展―(3/15-6/18、9/15-11/19)
【3/28(火)】
◆渡岸寺観音堂(向源寺)(十一面観音菩薩立像)


※「大和路秀麗 八十八面観音巡礼」というリーフレットには、「あらゆる方角を向いて我々を厄災から救ってくださる十一面観音様を八体巡ると、八十八面のお顔を拝することとなり、『子供の十三歳・女性の三十三歳・男性の四十二歳』の厄年の合計八十八歳と同数になることで、人生における全ての厄災から救われるとして、信仰を集めています」と書かれています。8体の十一面観音が所蔵されているのは西大寺及び法華寺、海龍王寺、大安寺、法輪寺、聖林寺、長谷寺、室生寺です。今回、大安寺と法輪寺には行かなかったので、いつか訪ねたいと思います。

※国宝指定の十一面観音は全国で7体のみで、奈良県の法華寺・聖林寺・室生寺及び京都府の観音寺・六波羅蜜寺、大阪府の道明寺、滋賀県の渡岸寺観音堂(向源寺)に所蔵されています。今回訪ねた法華寺・聖林寺・室生寺・渡岸寺観音堂に昨年訪ねた観音寺を加えると、これで国宝指定の十一面観音を5体見たことになります。




今回、海龍王寺の春季特別公開日程(3/23-4/7、5/1-9)と僕の旅行日程が合ったので、初めて「十一面観音菩薩立像」を拝観することができました。像高94cmの小さな観音様ですが、保存状態が良く、とても美しいと思いました。

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海龍王寺山門

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海龍王寺本堂

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十一面観音菩薩立像(海龍王寺HPより。以下の解説も)
 当寺の本尊で、光明皇后が自ら刻まれた十一面観音像をもとに、鎌倉時代に慶派の仏師により造立されました。檜材で金泥が施され、条帛・天衣を掛け、裳・腰布をつけており、頭に天冠台・冠帯・左右垂飾、身は頸飾り・垂飾・瓔珞、手には臂釧・腕釧をつけています。衣の部分の彩色は朱・丹・緑青・群青など諸色の地に唐草・格子に十字などの諸文様を切金で表したもので、縁取りや区画の境界線に二重の切金線が多用されています。頭飾および装身具は精緻を極め、すべて銅製鍍金で透彫りを多用し、垂飾には諸色のガラス小玉と瓔珞片を綴ったものを用いています。 像は精巧入念な作で、頭・体のプロポーション、頭部の自然な俯きに優しい手の動き、腰のひねりに巧みに応ずる右足の遊ばせ方など彫刻としての基本的なデッサンは確かなものがあり、衣の文様表現では彩色より切金が主座を占め、頭飾装身具では、透彫りの技巧の細かな点に注目できます

増上寺に行って来ました。

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今日、「御忌(ぎょき)」という浄土宗元祖法然上人の忌日法要に参加するため、東京都港区の増上寺に行ってきました。地元のお寺の世話人をしているという義務感と、増上寺という大寺を見たいという好奇心と、半々の気持ちでの参加です。
以下、増上寺の境内や「御忌」の様子を撮影してみました。(富士フイルムX-E1+XF10-24mmF4)

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大殿(本堂)。背後に東京タワーが聳えています。
 増上寺は、浄土宗の七大本山の一つです。
 酉誉聖聰(ゆうよしょうそう)上人によって、江戸貝塚(現在の千代田区平河町付近)の地に、浄土宗正統根本念仏道場として創建されました。その後、1470(文明2)年には勅願所に任ぜられるなど、増上寺は、関東における浄土宗教学の殿堂として宗門の発展に寄与してきました。17世紀中頃の増上寺は、広大な寺有地に120以上の堂宇、100軒を越える学寮が甍ぶきの屋根を並べる、とても大きな寺でした。当時は、3000人以上の学僧のお念仏が、全山に鳴り響いていたと言われています。
 苦難の明治期と戦災を乗り越えた増上寺は、昭和49(1974)年に悲願の大殿再建を果たします。それ以後も、次々と諸堂宇を完成させています。
 宗祖法然上人八百年御忌をお迎えするにあたって、平成21(2009)年には圓光大師堂と学寮を、平成22(2010)年には、安国殿を建立しました。長い年月をかけて、境内諸堂宇が整い、復興が成った今こそ、増上寺は、法然上人の教えを弘め、念仏の根本道場として僧侶の育成に努めたいと考えています。(増上寺HPより、一部改編)

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大殿(本堂)。ここで「御忌」法要が行われました。

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舞楽(ぶがく)。期間中毎日正午過ぎ、大殿前舞台において、80年の歴史と伝統を誇る大本山増上寺雅楽会会員による優雅な舞楽が奉納されます。(増上寺パンフレットより)

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練(ねり)行列。大法要の始まる30分前、江戸三大名鐘の一つに数えられる大梵鐘が鳴り響き、これを合図に大門からスタートします。行列は、先進―山旗―唱導師旗―木遣―寺侍―巡検―随喜寺院―吉水講―百味講―稚児―会行事―式衆―会奉行―侍者―唱導師―大傘―伴僧―法類随喜寺院―巡検―稚児―総代―寺族―後詰と続きます。(増上寺パンフレットより)

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徳川将軍家墓所前。桜が満開でした。

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和宮(第14代将軍家茂夫人)の墓。かつて、厳粛かつ壮麗な徳川将軍家の霊廟群が増上寺大殿の南北に立ち並んでいました。しかし、昭和20年(1945)の空襲で大半が消失し、その後現在地に改葬されました。6人の将軍と各公の正室、側室、子女多数が埋葬されています。(増上寺パンフレットより)

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鐘楼堂と枝垂桜

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柴又帝釈天。帰りに高木屋老舗で草だんごを買いました。

金刀比羅宮(こんぴらさん)に行ってきました。

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3月25日(土)26日(日)に香川県善通寺市で開催された「第20回全国高等学校少林寺拳法選抜大会」の応援のため、香川県に行ってきました。
前日の午後、琴平駅に到着すると、荷物をコインロッカーに預け、金刀比羅宮(こんぴらさん)の本宮をめざしました。登り口から本宮までの785段の階段を登りきれるか不安でしたが、なんとかたどり着くことができました。

以下、金刀比羅宮について、wikipediaから引用します。
 金刀比羅宮は、香川県仲多度郡琴平町の象頭山中腹に鎮座する神社。こんぴらさんと呼ばれて親しまれており、金毘羅宮、まれに琴平宮とも書かれる。明治維新の神仏分離・廃仏毀釈が実施される以前は真言宗の象頭山松尾寺金光院であり、神仏習合で象頭山金毘羅大権現と呼ばれた。現在は神社本庁包括に属する別表神社、宗教法人金刀比羅本教の総本部。全国の金刀比羅神社・琴平神社・金比羅神社の総本宮でもある。

 海上交通の守り神として信仰されており、漁師、船員など海事関係者の崇敬を集める。時代を超えた海上武人の信仰も篤く、戦前の大日本帝国海軍の慰霊祭だけではなく、戦後の朝鮮戦争における海上保安庁の掃海殉職者慰霊祭も毎年、金刀比羅宮で開かれる。境内の絵馬殿には航海の安全を祈願した多くの絵馬が見られる。金毘羅講に代表されるように古くから参拝者を広く集め、参道には当時を偲ばせる燈篭などが今も多く残る。
 長く続く参道の石段が有名で、奥社まで登ると1368段にもなる。例大祭に合わせて毎年、これをメインに「こんぴら石段マラソン」が開かれている。

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スタート地点。あと785段。

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階段の両側に連なる土産物店を覗きつつ、休みつつ、登りました。

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意外と平らだと思っていたら、急な階段が待っていました。

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本宮

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本宮の展望台からは讃岐平野が一望できます。写真中央に、讃岐富士(飯野山、標高421.87m)が見えます。

香川県・奈良県・滋賀県に行ってきました。

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3月24日(金)から28日(火)まで、4泊5日の日程で香川県・奈良県・滋賀県に行ってきました。
香川県善通寺市で開催された「第20回全国高等学校少林寺拳法選抜大会」の応援が主な目的でしたが、帰りに奈良県と滋賀県のお寺を訪ね、見仏しました。

◆日程
3/24(金)
・金刀比羅宮(こんぴらさん)
3/25(土)
・善通寺市民体育館(少林寺拳法大会)、善通寺
3/26(日)
・海龍王寺、法華寺、西大寺
3/27(月)
・室生寺、長谷寺、聖林寺、談山神社、東大寺、興福寺
3/28(火)
・渡岸寺観音堂(向源寺)


◆以下、善通寺の写真を何枚かアップしました。せっかく善通寺市に来たのだからと思い、試合の合間に訪ねました。善通寺は四国霊場第75番札所だけあって、お遍路さんの姿を数多く見ることができました。僕も四国霊場巡りをしたいと思いましたが、しっかりした信仰心が無いと徒歩で行くのは無理でしょうね。
なお、金刀比羅宮と奈良県・滋賀県の諸寺については、別に書きました。

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南大門。後方に五重塔が聳えています。
 総本山善通寺は伽藍(東院)と誕生院(西院)からなっています。
 弘法大師空海(774-835)は、ここ善通寺で御誕生されました。父君・佐伯善通(佐伯善通)卿の名をとって「善通寺(ぜんつうじ)」と号されました。この伽藍にある大楠は、お大師さまの著作に記される「豫樟(よしょう)(クスノキ)」と伝えられ、まさにこの地がお大師さまの生まれ育った場所なのであります。また、誕生院には、お大師さまをおまつりする御影堂を中心に諸堂が建ちならんでいます。
 和歌山・高野山と京都・東寺とともにお大師さまの三大霊跡であり、四国霊場第75番札所でもあります。
(善通寺リーフレットより、以下同じ)

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五重塔
 総高43m。現在の塔は、弘化2年(1845)仁孝天皇の御綸旨により、再建を開始、明治35年(1902)に完成した4代目の塔。

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金堂
 善通寺の本堂。現在の建物は元禄12年(1699)の上棟。本尊は薬師如来坐像。

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仁王門。誕生院(西院)の入口です。

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御影堂
 弘法大師が御誕生された佐伯家の邸宅跡に建ち、大師自作と伝わる弘法大師画像【瞬目(めひき)大師】を安置(秘仏)。現在の建物は天保2年(1831)に建立、昭和11年(1936)修築。
 御影堂地下の「戒壇めぐり」は暗闇のなかで自己を見つめなおし、お大師さまと結縁できる道場です。奥殿真下にあたる《御誕生の聖地》では、お大師さまのお声が、わたしたちをお諭しくださいます。~~ほんとうに真っ暗でした。ひとりだと心細く感じましたが、かえって自分自身を見つめる貴重な体験だったと思います。

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涅槃桜(ねはんざくら)
 品種名をミョウジョウジサクラといいます。ソメイヨシノにくらべ、1ヶ月近く早く咲きはじめ、その時期が釈迦の入滅した2月(旧暦:現在の3月)15日に近いことから涅槃桜と呼ばれています。1965年(昭和40年)、当時愛媛県文化財保護員であった八木繁一氏が愛媛県新居浜市黒島の明正寺(真言宗善通寺派)で発見し、品種名をミョウジョウジサクラと命名したもので、花の香りが一般的な桜より強いのが特徴です。
 1973年(昭和48年)に、明正寺から弘法大師御誕生1200年を記念して総本山善通寺に贈られました。移植をかさね、現在、宝物館周辺や大駐車場付近を中心に約20本(2009年現在)が植えられています。
(善通寺市HPより)

『仏像ワンダーランド奈良』

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昨日、部屋の片付けをしていたら、『仏像ワンダーランド奈良』(JTBパブリッシング、2009)というムック本が出てきました。僕が「見仏」に目覚めるずっと前に購入したものですが、写真といい内容といい、とてもいいです。これを読みながら次の見仏について計画を立てようと思います。

◆「見仏」初心者にとって、とても読みやすい本だと思います。以下、この本の内容です。
写真家の目で見た美仏たち
仏像が100倍好きになる 山下裕二的仏像の見方&好仏BEST12
 【見方 其の壱】「仏像=美女」と思って眺める
 【見方 其の弐】「仏像=イケメン」と見る
 【見方 其の参】「仏像=子ども」と見る
 【見方 其の四】「空間と仏像」を同時に楽しむ
 【見方 其の五】「仏像=生身」として見る
 【見方 其の六】「教科書的必見の美仏」はコレだ!
 【見方 其の七】「自分好みの個性派を探せ!」
仏像巡りの旅
 【コース1】山下裕二先生ドッキリセレクト
 【コース2】ハードですが、がんばって一日でいいとこ取り!
山下教授の仏像教室1~山下裕二流仏像鑑賞の心得10ヵ条

奈良公園周辺(近鉄奈良駅から)
 奈良公園周辺の歩き方/東大寺/興福寺/奈良国立博物館/新薬師寺/円成寺/五劫院/白毫寺/仏像めぐりの合間に一息~よりみちスポットセレクト
山下教授の仏像教室2~一目瞭然!仏像相関図

西ノ京・佐保・佐紀路(近鉄大和西大寺駅から)
 西ノ京・佐保・佐紀路の歩き方/唐招提寺/薬師寺/秋篠寺/大安寺/海龍王寺/法華寺/不退寺/西大寺/平城宮跡と平城遷都1300年祭in2010/仏像めぐりの合間に一息~よりみちスポットセレクト

斑鳩・飛鳥(法隆寺駅+橿原神宮前駅から)
 斑鳩・飛鳥の歩き方/法隆寺/中宮寺/法輪寺/法起寺/岡寺/聖林寺/飛鳥寺/仏像めぐりの合間に一息~よりみちスポットセレクト

長谷・室生・吉野(長谷寺駅+室生口大野駅+吉野駅から)
 長谷寺/室生寺/金峯山寺/如意輪寺/桜本坊/仏像めぐりの合間に一息~よりみちスポットセレクト
山下教授の仏像教室3~仏さまの身なり&手ぶり総チェック

◇奈良のおもひでおみやげ/奈良の歴史年表/奈良市内全図


◆表紙の薬師寺金堂の写真、いいでしょう。本文中の写真もいいです。

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金峯山寺の蔵王大権現3体のうち、右側の1体(千手観音が権化した姿)(P98)

 ちょっと気になっていたので、金峯山寺の蔵王大権現の顔の色について書こうと思います。
 JR東海の「うましうるわし奈良」キャンペーン(2012)では、「青が、荒ぶる。」というコピーとともに、蔵王大権現の青い表情が強調されていました。現在では金峯山寺のHPも青い表情になっています。しかし、実際はこの写真のように少し青みがかった墨色だったと思います。
 青い顔の仏像というのはインパクトがあるし、人を呼ぶには大いに役立つと思います。僕もそこに惹かれて吉野に行きました。蔵王大権現を初めて見たとき、写真と違うと思いましたが、すぐにその大きさと威厳に満ちた表情に圧倒され、顔の色なんてどうでもいいと思いました。なお、金峯山寺ではその色を「青黒(しょうこく)」と呼んでいました。

my 見仏記20~法華寺

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 3月26日(日)、秘仏の特別公開日程に合わせ、海龍王寺と法華寺、西大寺を拝観しました。海龍王寺の十一面観音菩薩立像を見せていただいたあと、歩いて法華寺に向かいました。
 法華寺では3月20日から4月7日まで、国宝の十一面観音菩薩立像の春期御開帳が行われていました。こちらの十一面観音については、これまで何度も写真を見ていましたが、あまり心を動かされることがありませんでした。しかし先日、白洲正子の『十一面観音巡礼』(1975)を読み、そうか「写真写りが悪いだけだったんだ」と思い、ぜひ拝観したいと思っていました。
 以下、白洲正子『十一面観音巡礼』から、法華寺の十一面観音菩薩立像について書かれた部分を一部引用します。
 久しぶりにお目にかかる十一面観音は、やはりすばらしい彫刻であった。観光が盛んになって以来、方々で写真に接するが、どれもこれも気に入らない。太りすぎて、寸づまり写るからである。しまいには、それがほんとうのような気がして来て、写真の力というのは恐ろしいものだと思う。
「皆さんそう仰しゃいます。実物をごらんになって、びっくりなさいます」
 と尼さんもいわれるがしょせんレンズは肉眼とは違う。発達すればする程、よけいなものまで写してしまうに違いない。たしかにこの観音は太り肉ではあるが、ほのかな光の元で見る時は、嫋々(じょうじょう)とした感じで、右手の親指でそっと天衣の裾をつまみ、やや腰をひねって歩み出そうとする気配は、水の上を逍遥するといった風情である。
 近江の石道寺(いしどうじ)の十一面さんも、右足の親指をちょっとそらせており、それが大変媚かしく見えると、私は前に書いたことがあるが、気がついてみると、この観音も爪先をそらせている。それだけのことで、全体の調子に動きを与え、遍歴することによって衆生を救うという、観音の本願が表現されている。蓮の巻葉の光背は後補と聞くが、やや凝りすぎのきらいがある。写真にとるとよけいうるさい。肉眼で見たような写真がないかと思って、入江泰吉氏にうかがってみると、この観音さまはお厨子の中に入っている為、撮影するのがむつかしく、ライトを使うとどうしても強く写ってしまうというお話であった。まともに見るのも憚られるように造られたものを、写真にとるのがそもそも無理な注文なので、巧く行かないのは当り前のことかも知れない。(P46-47)

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この門(正式名称は不明)から入ります。

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本堂。ここに十一面観音菩薩立像が安置されています。

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十一面観音菩薩立像(奈良観光サイト『巡る奈良』より引用)
 この写真は実物に近いように思います。しかし、白洲正子さんが言うほどには心惹かれませんでした。残念です。


 以下、法華寺について、法華寺HPから引用します。(一部改編)
◆創建の由来
 創建当初(天平時代)から1,250年以上続くお寺です。
 光明皇后様は藤原不比等公没後、不比等公の屋敷を皇后宮とし、その後、「総国分尼寺 法華滅罪之寺」とされました。その後、略称として法華寺と呼ばれるようになります。
 東大寺が総国分寺、法華寺が総国分尼寺となされ、『続日本記』には光明皇后様の勧めによると記されています。

◆御本尊
 本尊様は国宝の十一面観音様です。光明皇后様が蓮池を歩かれた姿を写したと言い伝えられています。
 蓮の花と葉を交互にされた光背や右足の少し浮いた遊び足は、他の仏様にはあまり見られない特徴にあげられています。

◆光明皇后様
 光明皇后様は藤原不比等公の三女で、皇族以外からの初めての皇后様です。正倉院御物の楽毅論(がっきろん)には、自ら『藤三娘(とうさんじょう)』と記されています。
 正倉院の献物も大部分が光明皇后様によるものです。
 光明皇后様は社会福祉の先駆者としても有名なお方で、施薬院や悲田院などを設置されました。施薬院は今の病院に当たり、悲田院は貧窮者や孤児のための施設に当たります。
 また、浴室(からふろ)を寺内に建立され、千人の衆生の垢を流されたというお話は有名な伝説です。

◆寺の名称について
 法華寺は法華寺門跡とも呼ばれ、その由来は皇族の方や公家の方たちの入寺されたお寺を 『門跡』と呼ぶことに始まります。
 法華寺は創建当時ではありますが、実際に光明皇后様が皇后宮としてお住まいになられ、その後、「総国分尼寺 法華滅罪之寺」とされた後もお住まいとされていましたので、法華寺御所とも呼ばれていました。
 法華寺慶久庵あたりは地下遺構に皇后宮の跡が発掘されています。(現在は埋め戻されています。)

ノラ・ジョーンズの武道館公演に行って来ました。

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 今夜、ノラ・ジョーンズの武道館公演に行って来ました。仙台から始まった「ノラ・ジョーンズ ジャパン・ツアー 2017」の東京公演初日です。彼女は風邪をひいているのでナーバスになっていると言っていましたが(曲が終わるごとに水を飲んでいたのはそのせいでしょうか?)、それを感じさせない素晴らしいパフォーマンスでした。歌声といい、ピアノといい、ライブはやっぱりいいなと思わせてくれました。
 アンコールまで含めると約20曲が演奏されました。最新アルバム“Day Breaks”(16)からの楽曲が中心だったようで、‘Don't Be Denied’や‘Tragedy’、‘Carry On’などが印象に残っています。また、ファーストアルバム“Come Away With Me”(02)から‘Come Away With Me’などが演奏されると会場が盛りあがりました。

以下、久々のライブでしたが、気になったことを少し。
◆今回の公演は2部構成ということで、第1部はノラのバックバンドAloysius 3によるサポートアクト(いわゆる前座)で、第2部がノラのライブでした。午後6時半過ぎから約30分のサポートアクトがあり、約25分の休憩をはさみ、ノラのライブが始まったのは午後7時半。終了は9時5分頃でした。
 で、感想。サポートアクトなんていらない、ノラのライブだけで十分っていうのが正直な気持ちです。バンドの見せ場なんて、ライブ中にいくらでも作れると思います。
◆ライブ中ノラが発した言葉は‘Thank you、ありがとう’くらいで、あとは最初に体調について少し話しただけだったと思います。だから、盛り上がりに欠けたのかなって思います。アンコールのアコースティックな、そして親密な感じの演奏に手拍子が起こり盛り上がったのは、他の観客もそれを求めていたからだったように思います。


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日本武道館のある北の丸公園の桜は盛りを過ぎたようですが、まだまだきれいに咲いている木もありました。

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北の丸公園には吉田茂の銅像がありました。
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