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『若山牧水歌集』を読みました。

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今日、伊藤一彦編『若山牧水歌集』を読み終えました。この歌集には、若山牧水(1885-1928)の15歌集約7000首の中から選ばれた約1700首が収録されています。
「幾山河越えさり行かば寂しさの終てなむ国ぞ今日も旅ゆく」は牧水の代表歌ですが、この歌は第一歌集「海の声」に収録されています。最初からこんな素晴らしい歌を詠んじゃうとあとが大変だったんじゃないかと思ってしまいます。
以下、気に入った歌を引用します。なお、第1期~第4期という時期区分は編者の「解説」によります。


【第1期】:22~27歳
第一歌集「海の声」(1908.7)
  白鳥(しらとり)は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ
  松透きて海見ゆる窓のまひる日にやすらに睡る人の髪吸ふ
  ともすれば君口無しになりたまふ海な眺めそ海にとられむ
  秋の夜やこよひは君の薄化粧(うすげはひ)さびしきほどに静かなるかな
  なにとなきさびしさ覚え山ざくら花ちるかげに日を仰ぎ見る

  さらばとてさと見合せし額髪(ぬかがみ)のかげなる瞳えは忘れめや(秀嬢との別れに)
  わだつみのそこひもわかぬわが胸のなやみ知らむと啼くか春の鳥
  雲ふたつ合はむとしてはまた遠く分れて消えぬ春の青ぞら
  『木の香にや』『いな海ならむ樹間(こま)がくれ見たまへ其処にうす青う見ゆ』
  旅人は伏目にすぐる町はづれ白壁ぞひに咲く芙蓉かな

  なつかしき春の山かな山すそをわれは旅びと君おもひ行く
  けふもまたこころの鉦(かね)をうち鳴(なら)しうち鳴しつつあくがれて行く
  海見ても雲あふぎてもあはれわがおもひはかへる同じ樹蔭(こかげ)に
  幾山河越えさり行かば寂しさの終(は)てなむ国ぞ今日も旅ゆく
  わが胸の奥にか香(かう)のかをるらむこころ静けし古城(ふるしろ)を見る

  旅ゆけば瞳痩するかゆきずりの女(をなご)みながら美(よ)からぬはなし
  ただ恋しうらみ怒りは影もなし暮れて旅籠(はたご)の欄に倚るとき
  潮光る南の夏の海走り日を仰げども愁ひ消(け)やらず
  船はてて上(のぼ)れる国は満天の星くづのなかに山匂ひ立つ
  津の国は酒の国なり三夜二夜(みよふたよ)飲みて更らなる旅つづけなむ

  ちんちろり男ばかりの酒の夜をあれちんちろり鳴きいづるかな
  いざこの胸千々に刺し貫き穴(す)だらけのそを玩(もてあそ)べ春の夜の女
  髪を焼けその眸(まみ)つぶせ斯くてこの胸に泣き来よさらば許さむ
  恋しなばいつかは斯る憂(うき)を見むとおもひし昨(きそ)のはるかなるかな
  さらば君いざや別れむわかれてはまたあひは見じいざさらばさらば

第二歌集「独り歌へる」(1910.1)
  いざ行かむ行きてまだ見ぬ山を見むこのさびしさに君は耐ふるや
  おのづから熟(う)みて木(こ)の実も地に落ちぬ恋のきはみにいつか来にけむ
  うらかなしこがれて逢ひに来(こ)しものを驚きもせでひとのほゝゑむ
  野のおくの夜の停車場を出でしときつとこそ接吻(きす)をかはしてしかな
  小鳥よりさらに身かろくうつくしく哀しく春の木の間ゆく君

  狭みどりのうすき衣をうち着せむくちづけはてゝ夢見るひとに
  黒髪のそのひとすぢのこひしさの胸にながれて尽きむともせず
  あめつちにわが跫音(あおと)のみ満ちわたる夕さまよひに月見草摘む
  ほとゝぎす聴きつゝ立てば一滴(ひとたま)のつゆより寂しわれ生きてあり
  いと遠く君がうまれし国の山ながめてわれは帆柱に凭る

  君がいふ恋のこゝろとわがおもふ恋のさかひの一すぢのの河
  めぐりあひしづかに見守(まも)りなみだしぬわれとわれとのこゝろとこゝろ
  別るゝ日君もかたらずわれ云はず雪ふる午後の停車場にあり
  別れけり残るひとりは停車場の群集(ぐんじゆ)のなかに口笛をふく
  愚かなり阿呆烏の啼くよりもわがかなしみをひとに語るは

  けふ見ればひとがするゆゑわれもせしをかしくもなき恋なりしかな
  海に行かばなぐさむべしとひた思ひこがれし海に来は来つれども
  とこしへにけふのいのちの花やかさかなしさを君忘るゝなかれ
  逃れゆく女を追へる大たはけわれぞと知りて眼眩(くら)むごとし
  山奥にひとり獣の死ぬるよりさびしからずや恋終りゆく

  海のごとく男(を)ごゝろ満たすかなしさを静かに見やり歩み去りし子
  再びは見じとさけびしくちびるの乾(かはか)むとする時のさびしさ
  斯くばかりくるしきものをなにゆゑに泣きて詫びしを許さゞりけむ
  故わかずわれら別れてむきむきにさびしきかたにまよひ入りぬる
  生くといふ否むべからぬちからよりのがれて恋にすがらむとしき

  ありし夜のひとの枕に敷きたりしこのかひなかも斯く痩せにける
  あなさびし白昼(まひる)を酒に酔ひ痴れて皐月大野の麦畑をゆく
  青草によこたはりゐてあめつちにひとりなるものゝ自由をおもふ
  わが顔もあかゞねいろに色づきぬ高原(たかはら)の麦は垂穂(たりほ)しにけり
  わが行けばわがさびしさを吸ふに似る夏のゆふべの地(つち)のなつかし

第三歌集「別離」(1910.4)
  「海の声」「独り歌へる」の中から自選し、新作133首を加えた歌集。

第四歌集「路上」(1911.9)
  白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけれ
  顔ぢゆうを口となしつつ双手(もろて)して赤き林檎を噛めば悲しも
  投げやれ投げやれみな一切を投げ出(いだ)せ旅人の身に前後あらすな
  はつとしてわれに返れば満目の冬草山をわが歩み居り
  かかる時ふところ鏡恋しけれ葉の散る木(こ)の間わが顔を見む

  さびしさのとけてながれてさかづきの酒となるころふりいでし雪
  虚無党の一死刑囚死ぬきはにわれの『別離』を読みゐしときく

【第2期】:27~29歳
第五歌集「死か芸術か」(1912.9)
  しのびかに遊女が飼へるすず虫を殺してひとりかへる朝明け
  あたたかき身のうつり香を悪(にく)みつつ秋の青草噛めば苦かり
  蛍のごとわが感情のふわふわと移るすがたがふつと眼に見ゆ
  いつとなく秋のすがたにうつりゆく野の樹々を見よ、静かなれこころ
  浪、浪、浪、沖に居(を)る浪、岸の浪、やよ待てわれも山降りて行かむ

  おとろへし生命(いのち)の酸味(すみ)のひややかに澄む朝(あした)なり、手にとる林檎
  木に倚れどその木のこころと我がこころと合ふこともなし、さびしき森かな
  ひとすぢにひとを見じとて思ひ立つ旅にしあれば消息もすな
  なにゆゑに旅に出づるや、なにゆゑに旅に出づるや、何故に旅に
  初夏(はつなつ)の曇りの底に桜咲き居りおとろへはてて君死ににけり(石川啄木の死に際して)

  古汽船(ふるぶね)のあぶらの匂ひなつかしく身に浸(にじ)み来て午後の海渡る
  うら若き越後生まれのおいらんの冷たき肌を愛(め)づる朝かな
  頬(ほ)につたふ涙ぬぐはぬくせなりし古恋人(ふるこひびと)をおもふ水上(みなかみ)
  夏の樹にひかりのごとく鳥ぞ啼く呼吸(いき)あるものは死ねよとぞ啼く

第六歌集「みなかみ」(1913.9)
  猫が踊るに大ぐちあけてみな笑ふ父も母も、われも泣き笑ひする
  新たにまた生(うま)るべし、われとわが身に斯く云ふとき、涙ながれき
  懐疑は曇れる日の海のごとし、痛きにほひにいのちもまた曇るなれ
  運命とは云はじ、在るがままのこの一りんの薔薇のごとく悲しきもの
  さうだ、あんまり自分のことばかり考へてゐた、四辺(あたり)は洞(ほらあな)のやうに暗い

  載るかぎり机に林檎をのせ朱欒(ざぼん)を載せ、その匂ひのなかに静まりて居(お)る
  飛ぶ、飛ぶ、とび魚がとぶ、朝日のなかをあはれかなしきこころとなり
  とかくして登りつきたる山のごとき巨岩のうへのわれに海青し
  岩のあひだを這ひて歩く、はだしで、笑ひて、海とわれと
  太陽にあたためられしこの黒きおほいなる岩にいざやねむらむ

  われ知らずうたひいだせるわが声のさびしさよ、春日(はるび)紫紺いろの海
  我がかなしみに火をつけるやうに、地団駄踏みて鳥を逐(お)ふなり

【第3期】:29~34歳
第七歌集「秋風の歌」(1914.4)
  病院に入りたしと思ひ落葉めくわが身のさまにながめいりたる

第八歌集「砂丘」(1915.10)
  愁ふる時閉ぢゆく癖のその眸(まみ)を思ひ痛みて立ちてゐにけり

第九歌集「朝の歌」(1916.6)
  酒飲めばこころは晴れつたちまちにかなしみ来り畏(かしこ)みて飲む
  砂山を吹き越す風を恐ろしみ眼伏せて行けば燃ゆ曼珠沙華
  貧しさを嘆くこころも年年(としどし)に移らふものか枇杷咲きにけり
  籬(かき)越しに街道を行く人馬車(ひとうまくるま)見居つつさびしむらさき木槿(むくげ)
  疲れしと嘆かふ妻の背に額(ぬか)にくれなゐ椿ゆれ光りつつ

  酒の名のあまたはあれど今はこはこの白雪にます酒はなし
  わが庭の竹の林の浅けれど降る雨見れば春は来にけり
  はたはたと倒るる浪の前にうしろに海女(あま)が黒髪縒(よ)れなびきつつ
  伊豆人はけふぞ山焼く十六夜(いざよひ)の月夜の風にその火靡(なび)けり
  朝づく日停車場前の露店(ほしみせ)にうららに射せば林檎買ふなり

  塩釜の入江の氷はりはりと裂きて出づれば松島の見ゆ
  いつか見むいつか来むとてこがれ来しその青森は雪に埋れ居つ
  鈴鳴らす橇にか乗らむいないな先づこの白雪を踏みてか行かむ
  名に高き秋田美人ぞこれ見よと居ならぶ見れば由由しかりけり

第十歌集「白梅集」(1917.8)
  めづらしく妻をいとしく子をいとしくおもはるる日の昼顔の花
  夏草の茂りの上にあらはれて風になびける山百合の花
  だんだんにからだちぢまり大ぞらの星も窓より降り来るごとし
  おひおひに酒を止むべきからだともわれのなりしか飲みつつおもふ
  酒のめばなみだながるるならはしもそれもひとりの時に限れる

  そばかきをかきつつふつとおもひ出し戸棚あくればありし残り酒
  梅の花紙屑めきて枝に見ゆわれのこころのこのごろに似て
  地とわれと離ればなれにある如き今朝のさびしさを何にたとへむ
  なにごとぞ今朝の霞といひすてて庭にいづれば白梅咲けり
  つかれはてて眠り沈めばいつしかにわが身につどふ夢のかずかず

  いつ知らず酔のまはりてへらへらとわれにもあらず笑ふなりけり
  いそいそとよろこぶ妻に従ひて夜半の桜を今日見つるかも
  おほかたはひとの帰りし花見茶屋夜深きに妻と来て酒酌めり
  酔ひぬればさめゆく時のさびしさに追はれ追はれてのめるならじか

第十一歌集「さびしき樹木」(1918.7)
  さやさやにその音(ね)ながれつ窓ごしに見上ぐれば青葉滝とそよげり
  欅青葉さやげる見れば額(ぬか)あげてわれも大きく眸(まみ)張るべかり
  疲れはてて帰り来(きた)れば珍しきもの見るごとくつどふ妻子(つまこ)ら
  麦ばたの垂り穂のうへにかげ見えて電車過ぎゆく池袋村
  湯の町の葉ざくら暗きまがり坂曲り下れば渓川の見ゆ

  幼き日ふるさとの山に睦みたる細渓川の忘られぬかも
  たのしきはわれを忘れて暁の峰はなれゆく雲あふぐ時
  ひさしくも見ざりしごときおもひしてけふあふぐ月の澄めるいろかも
  井戸端にわが浴び浴びる水の音水のたえまに蜩(かなかな)きこゆ
  蚊帳のなかに机持ち入れもの書くと夜を起きて居れば蚊の声さびし

  ゆきゆくに沖に浪なく船に音なしさびしければぞ陸(くが)を見て居る

第十二歌集「渓谷集」(1918.5)
  山の鳥の啼く音にもふと似て聞ゆをりをり起る機織(はたおり)の音
  わが妻の好める花の濃(こ)むらさき竜胆(りんだう)を冬の野に摘めるかな
  飲む湯にも焚火のけむり匂ひたる山家の冬の夕餉なりけり
  晴れよとし祈れど西の山山に立つ雲みれば雨もよしとおもふ
  ありがたやけふ満つる月と知らざりしこの大き月海にのぼれり

  とほく来て寝ぬるこの宿静けくて夜のふけゆけば川の音(と)きこゆ
  よりあひて真すぐに立てる青竹(あおだけ)の藪のふかみに鶯の啼く
  崎山の楢の木がくり芝道に出であひし海女は藻の匂(にほひ)せり

【第4期】:34歳~没年
第十三歌集「くろ土」(1921.3)
  あららかにわが魂を打つごときこの夜の雨を聴けばなほ降る
  聴き入りてただに居りがたくぬばたまの闇夜の雨を窓あけて仰ぐ
  ありし日の若かりしわが心にもしばしはかへれほととぎす啼く
  筧(かけひ)より水をひきつつ火焚きつつみづからわかす風呂のたのしさ
  吾子(あこ)つれて来(く)べかりしものを春日野に鹿の群れ居る見ればくやしき

  とどろとどろ落ち来る滝をあふぎつつこころ寒けくなりにけるかな
  六歳(むつ)の兄四歳(よつ)の妹のならび寝てかたりあふ聞けば癒えて後のこと
  ふるさとに在りしをさな日おもひいでて立ちて見てをる鶏頭の花を
  うまきものこころにならべそれこれとくらべ廻せど酒にしかめや
  人の世にたのしみ多し然れども酒なしにしてなにのたのしみ

  行き行くと冬日の原にたちとまり耳をすませば日の光きこゆ
  あばら屋のおそろしければ提灯をともしてぞ入る夜半(よは)のいで湯に
  さびしさにこころほほけてゐるわれにふと心づき笑ひいだせり
  時として絶え入るごとく大海の浪のひびきのひそまる聞ゆ
  岩かげのわがそばに来てすわりたる犬のひとみに浪のうつれり

  寒鮒のにがきはらわた噛みしめて昼酌む酒の座に日は射せり
  しみじみと地(つち)にひびける雪どけのあまねき雫四方(よも)に起れり
  しみじみとけふ降る雨はきさらぎの春のはじめの雨にあらずや
  わがこころ澄みゆく時に詠む歌か詠みゆくほどに澄める心か
  いつしかに涙ながしてをどりたれ命みじかしと泣きて踊りたれ

  みづうみのかなたの原に啼きすます郭公(くわくこう)の声ゆふぐれ聞ゆ
  から松の今年のおち葉こぞの落葉かきわけてさがすちさき茸(きのこ)を
  わが部屋のはしに居(ゐ)寄れば冬空のふかきに沈み遠き富士見ゆ
  山中の温泉(いでゆ)に来り静けしとこころゆるめば思ふ事おほし
  ひとしきり散りての後(のち)をしづもりてうららけきかも遠き桜は

  静かなる道をあゆむとうしろ手をくみつつおもふ父が癖なりき
  海見ると登る香貫(かぬき)の低山の小松が原ゆ富士のよく見ゆ
  香貫山いただきに来て吾子(あこ)とあそび久しく居れば富士晴れにけり
  静やかに今はなりぬとおもふ時事(こと)起るなりわれの生活(くらし)に
  愛憎のうごきやすまぬ底浅(そこあさ)のこころの濁り澄む時ぞなき

  三日(みか)ばかりに帰らむ旅を思ひたちてこころ燃ゆれどゆく銭のなき
  風の音こもりて深き松原の老木の松は此処に群れ生(お)ふ

第十四歌集「山桜の歌」(1923.5)
  砂丘(すなをか)のなぞへの畑の痩せ麦のほそき畝より啼きたつ雲雀
  海鳥の風にさからふ一ならび一羽くづれてみなくづれたり
  雨過ぎししめりのなかにわが庭の桜しばらく散らであるかな
  散りたまる樋(とひ)の桜のまひ立つや雀たはむれ其処にあそぶに
  庭に出でてみるわが部屋のうす暗く冷たきさまのなつかしきかな

  怠けゐてくるしき時は門(かど)に立ち仰ぎわびしむ富士の高嶺を
  青紫蘇(あおじそ)のいまださかりをいつしかに冷やし豆腐に我が飽きにけり
  紫に澄みぬる富士はみじか夜の暁起きに見るべかりけり
  散りたまる柘榴の花のくれなゐをわけてあそべり子蟹がふたつ
  富士が嶺の裾野の原をうづめ咲く松虫草をひと日見て来ぬ

  またや来むけふこのままにゐてやゆかむわれのいのちのたのみがたきに
  登り来て此処ゆのぞめば汝(なれ)がすむひんがしのかたに富士の嶺見ゆ
  わが立てる足もとにひろき岩原の石のかげより煙湧くなり
  人の来ぬ谷のはたなる野天湯(のてんゆ)のぬるきにひたるいつまでとなく
  湯げむりの立ちおほひたる谷あひの湯宿を照らす春の夜の月

  曼珠沙華いろふかきかも入江ゆくこれの小舟の上よりみれば
  人の来ぬ夜半をよろこびわが浸る温泉(いでゆ)あふれて音たつるかも
  夜のふけをぬるきこの湯にひたりつつ出でかねてをればこほろぎ聞ゆ
  先生のあたまの禿(はげ)もたふとけれ此処に死なむと教ふるならめ
  寂しみて生けるいのちのただひとつの道づれとこそ酒をおもふに

第十五歌集「黒松」(1938.9)
  をとめ子のかなしき心持つ妻を四人子の母とおもふかなしさ
  暁(あけ)近き月の青みを宿したる玻璃戸の蔭の湯には浸れる
  汲み入るる水の水泡(みなわ)のうづまきにうかびて赤きトマトーの実よ
  夜に昼に地震(なゐ)ゆりつづくこの頃のこころすさびのすべなかりけり
  うつくしく清き思ひ出とどめおかむ願ひを持ちて今をすごせよ

  いつまでも子供めきたるわがこころわが行ひのはづかしきかな
  故郷に帰り来りて先づ聞くはかの城山の時告ぐる鐘
  身ひとつにさらばゆかむと行かるべき軽々しき身にあるべかりしを
  をりをりに姿見えつつ老松の梢(うれ)のしげみに啼きあそぶ鳥
  松原の此処は小松のほそき幹はるけくつづきつづくはてなく

  夢ならで逢ひがたき母のおもかげの常におなじき瞳したまふ
  このいで湯ぬるきをかこち浸りをれば折からなれや雪の降り来つ
  しぐれの雨いつしかやみて静かなる宵とおもふに浪の音(おと)起る
  鉄瓶を二つ炉に置き心やすしひとつお茶の湯ひとつ燗の湯
  身に近き友のたれかれを思ひみつ寂しからぬなし人の生きざま

  長安寺の庭の芍薬さかりなり立ちよればきこゆ花の匂ひの
  わが家を囲みて立てる老松よ高く真黒く真直ぐなる松よ
  妻が眼を盗みて飲める酒なれば惶(あわ)て飲み噎(む)せ鼻ゆこぼしつ
  けふ幾度(いくたび)顔を洗ひけむ晴れやらぬ心晴れよと願ふおもひに
  真盛りを過ぐれば花のいたましくダリヤをぞ切るこの大輪を

  酒ほしさまぎらはすとて庭に出でつ庭草をぬくこの庭草を



若山 牧水
 1885年(明治18年)、宮崎県東臼杵郡東郷村(現・日向市)の医師・若山立蔵の長男として生まれる。1899年、宮崎県立延岡中学校に入学。短歌と俳句を始める。18歳のとき、号を牧水とする。
 1904年、早稲田大学文学科に入学。同級生の北原射水(後の白秋)、中林蘇水と親交を厚くし、「早稲田の三水」と呼ばれる。1908年、早稲田大学英文学科卒業。7月に処女歌集『海の声』出版。翌1909年、中央新聞社に入社。5ヶ月後に退社。
 1911年、創作社を興し、詩歌雑誌「創作」を主宰する。この年、歌人・太田水穂を頼って長野より上京していた後に妻となる太田喜志子と水穂宅にて知り合う。1912年、友人であった石川啄木の臨終に立ち合う。同年、喜志子と結婚。1913年、長男・旅人(たびと)誕生。その後、2女1男をもうける。
 1920年、沼津の自然を愛し、特に千本松原の景観に魅せられて、一家をあげて沼津に移住する。1922年10月、御代田駅より岩村田へ向かい、佐久ホテルに逗留し、数々の作品を残す。1926年、詩歌総合雑誌「詩歌時代」を創刊。この年、静岡県が計画した千本松原伐採に対し、新聞に計画反対を寄稿するなど運動の先頭に立ち、計画を断念させる。
 1927年、妻と共に朝鮮揮毫旅行に出発し、約2ヶ月間にわたって珍島や金剛山などを巡るが、体調を崩し帰国する。翌1928年夏頃より病臥し、自宅で死去する。享年43。 

『超高速!参勤交代』を見ました。

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今日、『超高速!参勤交代』を見ました。
主演の佐々木蔵之介がテレビに毎日のように出てこの映画を宣伝していたので、見てみようと思いました。黒澤映画の「痛快娯楽時代劇」のようだったらいいなと思っていましたが、まさにその通りの映画でした。
主人公の佐々木蔵之介をはじめ、藩士役の西村雅彦・寺脇康文・上地雄輔・柄本時生・六角精児や忍者役の伊原剛志、遊女役の深田恭子など、キャスティングがよかったと思います。また、笑わせどころや活劇シーン(佐々木蔵之介演じる殿様が居合の達人という設定はとても痛快です。)がたっぷりあり、期待を裏切りませんでした。舞台として牛久宿や藤代宿、取手宿が出てきましたが、いずれも勤務地に近いのでとても親近感覚えました。

【あらすじ】
 8代将軍・徳川吉宗の治世下、東北の小藩・湯長谷藩は幕府から突然、通常でも8日かかり、さらに莫大な費用を要する参勤交代をわずか5日で行うよう命じられる。それは藩にある金山を狙う老中・松平信祝(陣内孝則)の謀略で、弱小貧乏藩には無茶苦茶な話だった。藩主・内藤政醇(佐々木蔵之介)は困惑しつつも、知恵を絞って参勤交代を完遂させようと作戦を練る。(Yahoo!映画より)

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『長塚節歌集』を読みました。

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今日、斎藤茂吉選『長塚節歌集』を読み終えました。
長塚節は地元の歌人・作家であり、かつて小説『土』を読んだり、短歌をいくつか暗記したりしましたが、彼の歌集をちゃんと読んだのは今回が初めてでした。
で、彼の自然詠がとても好きになりました。とてもわかりやすく、情景が目に浮かびます。また、彼が病床で詠んだ歌は、彼の心情がストレートに伝わってきて悲しくなります。
以下、気になった歌を引用します。


【明治33年(1900)】
  ガラス戸の中にうち臥す君のために草萌え出づる春を喜ぶ
  ガラス戸のそとに飼ひ置く鳥の影のガラス戸透きて畳にうつりぬ
  大きなる菖蒲(あやめ)のつぼみ花になりて萎みし花の上をおほひぬ
  むらさきの菖蒲の花は黒くして白きあやめの目にたつ夕べ

【明治34年(1901)】
  沖つ辺(べ)にい行きかへらふ蜑舟(あまぶね)は若鷺(わかさぎ)捕らし秋たけぬれば
  うぐひすのあかとき告げて来(き)鳴きけむ川門(かはと)の柳いまぞ散りしく

【明治35年(1902)】
  青傘を八つさしひらく棕梠の木の花咲く春になりにたらずや
  くさまくら旅にも行かず木犀の芽立つ春日(はるび)は空しけまくも
  筑波嶺ゆ振りさけ見れば水の狭沼(さぬま)みづの広沼(ひろぬま)霞たなびく
  茨城は狭野(さぬ)にはあれど国見嶺(くにみね)に登りて見れば稲田広国(ひろくに)

【明治36年(1903)】
  筑波嶺にふりける雪は白駒(しろこま)の額毛(ぬかげ)に似たり消えずもあらぬか
  ふくろふの宵々なきし榧(かや)の樹のうつろもさやに照る月夜かも
  あぶら蝉しきなく庭の青芝に散りこぼれたる白萩(しらはぎ)のはな
  耳成(みみなし)の山のくちなし樹(こ)がくりに咲く日の頃は過ぎにけらしも
  たびびとの逝囘(ゆきき)の丘の小畠(をばた)には煙草の花は咲きにけるかも

  日をへつつ伊勢の宮路に粟の穂の垂れたる見れば秋にしあるらし
  大和嶺(やまとね)に日が隠ろへば真藍なす浪の穂ぬれにとびの飛ぶ見ゆ
  熊野川八十瀬(やそせ)を越えてくだりゆく船の筵(むしろ)にさねて涼しも
  しほさゐの伊良胡(いらご)が崎の萱草(わすれぐさ)なみのしぶきにぬれつつぞさく
  箱根路を汗もしとどに越えくれば肌冷(ひやや)かに雲とびわたる

  杉の樹のしみたつ比叡のたをり路に白くさきたる沙羅双樹の花
  しろたへの衣手(ころもで)さむき秋さめに庭の木犀香(か)にきこえ来(く)も
  秋の田のわせ刈るあとの稲茎(いなぐき)にわびしく残るおもだかの花
  鬼怒川を朝越えくれば桑の葉に降りおける霜の露にしたたる

【明治37年(1904)】
  つくばねに雪積むみれば榛(はり)の木の梢寒けし花は咲けども
  榛の木の花咲く頃を野らの木に鵙(もず)の速贄(はやにへ)はやかかり見ゆ
  桐の木の枝伐(き)りしかばそのえだに折り敷かれある白菊(しらぎく)の花
  此(この)日ごろ庭も掃かねば杉の葉に散りかさなれる山茶花の花
  秋の日の蕎麦を刈る日の暖(あたたか)に蛙(かはづ)が鳴きてまたなき止みぬ

  麦をまく日和よろしみ野を行けば秋の雲雀のたまたまになく
  鬼怒川の蓼(たで)かれがれのみぎはには枸杞(くこ)の実赤く冬さりにけり
  秋の空ほのかに焼くるたそがれに穂芒(ほすすき)白し闇(くら)くしなれども

【明治38年(1905)】
  綿の木の畝間にまきし蚕豆(そらまめ)の三葉四葉(みはよは)ひらき霜おきそめぬ
  鬼怒川の冬のつつみに蒲公英(たんぽぽ)の霜にさやらひくきたたず咲く
  淡雪のあまた降りしかば枇杷の葉の枯れてあり見ゆ木瓜(ぼけ)のさく頃
  さながらに青皿なべし蕗の葉に李(すもの)は散りぬ夜の雨ふり
  山椒の芽をたづね入る竹村(たかむら)にしたごもりさく木苺の花

  木瓜の木のくれなゐうすく茂れれば雨は日毎にふりつづきけり
  豌豆(ゑんどう)の花さくみちのしづけきに松蝉遠く松の樹に鳴く
  あたたかき安房の外浦(とうら)は麦刈ると枇杷もいろづくなべて早けむ
  うきくさの菱の白花(しらはな)白花とささ波立てり海平(たひ)らかに
  炭がまを焚きつけ居れば赤き芽の柘榴(ざくろ)のうれに没日(いりひ)さし来(く)も

  炭がまを這ひ出てひとり水のめば手桶の水に樫の花浮けり
  秋の田のかくめる湖(うみ)の真上には鱗なす雲ながく棚引く
  豇豆(ささげ)干す庭の筵(むしろ)に森の木のかげるゆふべを飛ぶ赤蜻蛉(あかあきつ)
  霧のごと雨ふりくればほのかなる谷の茂りに白き花何
  小雀(こがらめ)の榎(え)の木に騒ぐ朝まだき木綿波雲(ゆふなみぐも)に見ゆる山の秀(ほ)

  をすすきの楉(しもと)に交(まじ)り穂になびく山ふところの秋蕎麦の花
  立石(たていし)の山こえゆけば落葉松(からまつ)の木深(こぶか)き渓(たに)に鵙(もず)の啼く声
  暁のほのかに霧のうすれゆく落葉松山にかし鳥の鳴く
  諸樹木(もろきぎ)をひた掩(おほ)ひのぼる白雲(しらくも)の絶間(たえま)にみゆる谷の秋蕎麦
  木曽人(きそびと)の秋田のくろに刈る芒(すすき)かり干すうへに小雨ふりきぬ

  木曽人の朝の草刈る桑畑(くはばた)にまだ鳴きしきるこほろぎの声
  ゆるやかにすぎゆく雲を見おくれば山の木群(こむら)のさやさやに揺(ゆ)る
  ひややけき流れの水に足(あ)うら浸(ひ)で石を枕(まくら)ぐ旅びとわれは
  まさやかにみゆる長山美濃の山青き山遠し峰かさなりて
  をみなへしみじかくさける赤土の稚松山(わかまつやま)は汗もしとどに

  うろこなす秋の白雲(しらくも)たなびきて犬山の城松の上に見ゆ
  松かげは篠(しの)も芒(すすき)も異草(ことくさ)も皆ことごとくまんじゆさげ赤し
  落葉せるさくらがもとの青芝に一むらさびし白萩(しらはぎ)の花
  近江路の秋田はろかに見はるかす彦根が城に雲の脚(あし)垂れぬ
  蜆(しじみ)とる舟おもしろき勢多川(せたがは)のしづけき水に秋雨ぞふる

  秋雨のしくしくそそぐ竹垣にほうけて白き楤(たら)の木の花
  みちのへに草も莠(はぐさ)も打ち茂る圃(はた)の桔梗は枯れながらさく
  与謝の海なぎさの芒(すすき)吹きなびく秋かぜ寒し旅の衣に
  須磨寺の松の木(こ)の葉の散る庭に飼ふ鹿悲し声ひそみ鳴く
  松陰の草の茂みに群れさきて埃(ほこり)に浴(あ)みしおしろいの花

  淡路のや松尾が崎に白帆捲く船あきらかに松の上に見ゆ
  茅渟(ちぬ)の海うかぶ百船(ももふね)八十船(やそふね)の明石の瀬戸に真帆向ひ来(く)も
  あさなさな仏のために伐(き)りにけむ紫苑は淋し花なしにして
  ひややかに木犀かをる朝庭の木蔭は闇(くら)き椰(なぎ)の落葉や
  ささなみの滋賀の県(あがた)の葱(ねぎ)作り麁朶垣(そだがき)つくるあらき麁朶垣

  冷(ひやや)かに竹藪めぐる樫の木の木(こ)の間に青き秋の空かも
  鵯(ひえどり)の晴(はれ)を鳴く樹のさやさやに葛もすすきも秋の風吹く
  潮ざゐの伊良胡が崎の巌群(いはむら)にいたぶる浪は見れど飽かぬかも
  異郷(ことざと)もあまた見しかど鬼怒川の嫁菜が花はいや珍らしき
  わせ刈ると稲の濡茎(ぬれぐき)ならべ干す堤の草に赤き茨(ばら)の実

  めづらしき蝦夷の唐茄子蔓(つる)ながらとらずとぞおきし母の我がため

【明治39年(1906)】
  薦(こも)かけて桶の深きに入れおける蛸もこほらむ寒きこの夜は
  赤井嶽とざせる雲の深谷(ふかだに)に相呼ぶらしき山どりのこゑ
  ここにして青草の岡に隠ろひし夕日はてれり沖の白帆に
  松越えて浜のからすの来てあさる青田の畦に萱草(くわんざう)赤し
  南瓜(たうなす)の茂りがなかに抽(ぬ)きいでし莠(はぐさ)そよぎて秋立ちぬらし

【明治40年(1907)】
  おのづから満ち来る春は野に出でて我が此の立てる肩にもあるべし
  馬追虫(うまおひ)の髭のそよろに来る秋はまなこを閉ぢて想ひ見るべし
  はらはらと橿(かし)の実ふきこぼし庭の戸に慌(あわただ)しくも秋の風鳴る
  黄昏の霧たちこむる秋の田のくらきが方(かた)へ鴫(しぎ)鳴きわたる

【明治41年(1908)】
  鬼怒川を夜ふけてわたす水棹(みなさを)の遠くきこえて秋たけにけり

【明治44年(1911)】
  うるはしみ見し乗鞍は遠くして一目(ひとめ)といへどながく矜(ほこ)らむ

【明治45年(1912)】
  生きも死にも天(あめ)のまにまにと平(たひ)らけく思ひたりしは常の時なりき
  知らなくてありなむものを一夜(ひとよ)ゆゑ心はいまは昨日にも似ず
  鴨跖草(つゆくさ)を岸に復(ま)た見ば我が思ふ人のあたりゆ持てりとを見む
  いまにして人はすべなし鴨跖草の夕さく花を求むるが如(ごと)
  おほよそは心は嘗(かつ)ていはなくに思ひ堪へねばいひにけるかも

  打ち萎(しな)えわれにも似たる山茶花の凍れる花は見る人もなし
  山茶花のわびしき花よ人われも生きの限りは思ひ嘆かむ
  山茶花は萎(しな)えていまは凍れども命なる間(ま)は豈(あに)散らめやも
  山茶花のはかなき花は雨ゆゑに土には散りて流されにけり
  山茶花はむなしくなりぬ我が病癒えむと告ぐる言(こと)も聞かぬに

  掃かざりし杉の落葉を熊手もて掻かしめしかば心すがしき

【大正3年(1914)】「鍼の如く」
  白埴(しらはに)の瓶こそよけれ霧ながら朝はつめたき水くみにけり
  しめやかに雨過ぎしかば市(いち)の灯はみながら涼し枇杷うづたかし
  芝栗の青きはあましかにかくに一つ二つは口もてぞむく
  草臥(くたびれ)を母とかたれば肩に乗る子猫もおもき春の宵かも
  楢の木の枯木のなかに幹白き辛夷(こぶし)はなさき空蒼く濶(ひろ)し

  落栗(おちぐり)は一つもうれし思はぬにあまたもあれば尚更にうれし
  柿の樹に梯子掛けたれば藪越しに隣の庭の柚子黄(きば)み見ゆ
  雀鳴くあしたの霜の白きうへに静かに落つる山茶花の花
  倒れたる椎の木故(ゆゑ)に庭に射す冬の日広くなりにけるかも
  春雨にぬれてとどけば見すまじき手紙の糊もはげて居にけり

  薬壜さがしもてれば行く春のしどろに草の花活(い)けにけり
  こころぐき鉄砲百合が我が語るかたへに深く耳開き居り
  うつつなき眠り薬の利きごころ百合の薫りにつつまれにけり
  あかしやの花さく陰の草むしろねなむと思ふ疲れごころに
  小夜ふけてあいろもわかず悶ゆれば明日は疲れてまた眠るらむ

  おそろしき鏡の中のわが目などおもひうかべぬ眠られぬ夜(よ)は
  すべもなく髪をさすればさらさらと響きて耳は冴えにけるかも
  やはらかきくくり枕の蕎麦殻も耳にはきしむ身じろぐたびに
  ゆくりなく手もておもてを掩(おほ)へればあな煩(わづら)はし我が手なれども
  ひたすらに病癒えなとおもへども悲しきときは飯(いひ)減りにけり

  咳(せ)き入れば苦しかりけり暫くは襲(かさ)ねて居らむ単衣(ひとへ)欲しけど
  頬の肉(しし)落ちぬと人の驚くに落ちけるかもとさすりても見し
  いぶせきに明日は剃らなと思ひつつ髭の剃杭(そりぐひ)のびにけるかも
  いささかのことなりながら痒きとき身にしみて人の爪ぞうれしき
  すこやかにありける人は心強し病みつつあれば我は泣きけり

  小さなる蚊帳こそよけれしめやかに雨を聴きつつやがて眠らむ
  鬼灯(ほほづき)を口にふくみて鳴らすごと蛙(かはづ)はなくも夏の浅夜(あさよ)を
  なきかはす二つの蛙ひとつ止みひとつまた止みぬ我(あ)も眠くなりぬ
  いささかは花まだみゆる山吹の雨を含みて茂らひにけり
  つくづくと夏の緑はこころよき杉をみあげて雨の脚ながし

  草いちご洗ひもてれば紅解けて皿の底には水たまりけり
  口をもて霧吹くよりもこまかなる雨に薊(あざみ)の花はぬれけり
  鬼怒川の土手の小草(をぐさ)に交(まじ)りたる木賊(とくさ)の上に雨晴れむとす
  くつろぐと足を外(と)に向けころぶせば裾より涼し唯そよそよと
  単衣(ひとへ)きてこころほがらかになりにけり夏は必ずわれ死なざらむ

  うつらうつら髪を刈らせて眠り居(ゐ)る足をつれなく蚊の螫(さ)しにけり
  蚊の螫しし足を足もてさすりつつあらぬことなど思ひつづけし
  悉(ことごと)く縋(すが)りて垂れしベコニヤは散りての花もうつぶしにけり
  小夜ふけて竊(ひそか)に蚊帳にさす月をねむれる人は皆知らざらむ
  かかるとき扁蒲畑(ゆふがほばた)に立ちなばとおもひてもみつ今は外(と)に出でず

  白蚊帳(しろがや)に夾竹桃をおもひ寄せ只こころよくその夜(よ)ねむりき
  牛の乳をのみてほしたる壜(びん)ならで挿すものもなき撫子の花
  なでしこの交れる草は悉(ことごと)くやさしからむと我がおもひみし
  快くめざめて聴けと鳴く蛙(かわず)ねられぬ夜のあけにのみきく
  暁(あかつき)の水にひたりて鳴く蛙すずしからむとおもひ汗拭く

  こころよく汗の肌(はだへ)にすず吹けば蚊帳釣草の髭そよぎけり
  ささやけきかぞの白紙(しらかみ)爪折(つまを)りて桔梗の花は包まれにけり
  白埴(しらはに)の瓶に桔梗を活けしかば冴えたる秋は既にふふめり
  すべもなく汗は衣を透(とほ)せどもききやうの花はみるにすがしき
  抱かばやと没日(いりひ)のあけのゆゆしきに手円(たなまど)ささげ立ちにけるかも

  きりぎりすきこゆる夜の月見草おぼつかなくも只ほのかなり
  月見草けぶるが如くにほへれば松の木(こ)の間に月缼(か)けて低し
  嗽(うが)ひしてすなはちみれば朝顔の藍また殖えて涼しかりけり
  朝顔のかきねに立てばひそやかに睫(まつげ)にほそき雨かかりけり
  手を当てて心もとなき腋草(わきくさ)に冷たき汗はにじみ居にけり

  草深き垣根にけぶる烏瓜(たまづさ)にいささか眠き夜(よ)は明けにけり
  かくしつつ我は痩せむと茶を掛けて硬(こは)き飯(いひ)はむ豈(あに)うまからず
  酢をかけて咽喉(のど)こそばゆき芋殻の乏しき皿に箸つけにけり
  痺(しび)れたる手枕(たまくら)解きて外(と)をみれば雨打ち乱し潮の霧飛ぶ
  木に絡む糸瓜(へちま)の花も此の朝は萎(しな)えてさきぬ痛みたるらむ

  朝まだきすずしくわたる橋の上に霧島ひくく沈みたり見ゆ
  手枕(たまくら)に畳のあとのこちたきに幾ときわれは眠りたるらむ
  松の葉を吹き込むかぜの涼しきに咽(むせ)びてわれはさめにけらしも
  幮(かや)越しに雨のしぶきの冷たきに二たびめざめ明けにけるかも
  横しぶく雨のしげきに戸を立てて今宵は虫はきこえざるらむ

  とこしへに慰もる人もあらなくに枕に潮のおらぶ夜(よ)は憂(う)し
  むらぎもの心はもとな遮莫(さもあらばあれ)をとめのことは暫(しば)し語らず
  こほろぎのしめらに鳴けば鬼灯(ほほづき)の庭のくまみをおもひつつ聴く
  蝕ばみてほほづき赤き草むらに朝は嗽(うが)ひの水すてにけり
  草村にさける南瓜の花共に疲れてたゆきこほろぎの声

  鯛とると舟が帆掛けて乱れれば沖は俄(には)かに闊(ひろ)くなりにけり
  こころよき刺身の皿の紫蘇の実に秋は俄(には)かに冷えいでにけり
  此のごろは浅蜊浅蜊と呼ぶ声もすずしく朝の嗽(うが)ひせりけり
  いささかは肌はひゆとも単衣(ひとへ)きて秋海棠はみるべかるらし
  秋雨のひねもすふりて夕されば朝顔の花しぼまざりけり

  鶏頭は冷たき秋の日にはえていよいよ赤く冴えにけるかも
  はらはらと松葉吹きこぼす狭庭(さには)には皆白菊(しらぎく)の花さきにけり
  山茶花はさけばすなはちこぼれつつ幾ばく久(ひさ)にあらむとすらむ
  手を当てて鐘はたふとき冷たさに爪(つま)叩き聴く其のかそけきを
  うるほへば只うつくしき人参の肌さへ寒くかわきけるかも

  時雨れ来るけはひ遙かなり焚き棄てし落葉の灰はかたまりぬべし
  松の葉を縄に括(くく)りて売りあるく声さへ寒く雨はふりいでぬ
  播磨野は朝(あした)すがしき浅霧の松のうへなる白鷺の城


長塚節 1879-1915
 1779年、石下町国生(現常総市国生)の豪農の長男として生まれる。3歳のころに小倉百人一首をそらんじ、神童といわれた。また、父は県会議員を務めたほどの名士で、恵まれた家庭環境であったが、病弱なため、水戸中学を中退。病を癒すかたわら、すぐれた感受性から短歌に目覚め、正岡子規の門をたたいた。
 子規のところでは、『馬酔木』の編集同人として活躍する一方、伊藤左千夫とともに、『アララギ』を創刊し、頭角をあらわす。一方で、病気療養を兼ね、菅笠、草鞋という軽装で諸国を旅し、旧所、名跡を訪ねて歌を詠んだ。万葉集の歌風を取り入れた節の歌は、自然を限りなく深い眼差しでとらえている。
 歌人として名を成した節は、夏目漱石の推挙で小説『土』を発表し、作家としての名声も手に入れるが、歌同様そこにはやはり厳しい自然への洞察力とともに、人間への深い愛情がいかんなく発揮されている。それは節を育んだ石下の風土と深く結びついているように思われる。
 病魔に冒され、婚約を破棄した節は、諸国を歩き、遠く九州の地で、36歳という短い生涯を閉じた。節の精神は節の小説や歌とともに受け継がれ、現在旧石下地区では、生家近くの県道沿いなどに歌碑が残り、その生家は県の指定文化財となり、現在も多くの人が節をしのんで訪れている。(常総市HPより、一部改編)

『斎藤茂吉歌集』を読みました。

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今日、『斎藤茂吉歌集』を読み終えました。以下、一読して気になった歌を引用します。


「赤光」(明治38年~大正2年)
  蚊帳のなかに放ちし蛍夕さればおのれ光りて飛びそめにけり
  かぎろひの夕べの空に八重なびく朱(あけ)の旗ぐも遠(とほ)にいざよふ
  あかときの畑の土のうるほひに散れる桐の花ふみて来にけり
  もみぢ照りあかるき中に我が心空しくなりてしまし居りけり
  あしびきの山のはざまの西開き遠くれなゐに夕焼くる見ゆ

  蜩蝉(かなかな)のまぢかくに鳴くあかつきを衰へはててひとり臥し居り
  木のもとに梅はめば酸(す)しをさな妻ひとにさにづらふ時たちにけり
  なにか言ひたかりつらむその言(こと)も言へなくなりて汝(なれ)は死にしか
  この世にし生きたかりしか一念も申さず逝きしをあはれとおもふ
  雨にぬるる広葉細葉(ひろはほそは)の若葉森あが言ふこゑのやさしくきこゆ

  おのが身をいとほしみつつ帰り来る夕細道に柿の花落つも
  たまたまに手など触れつつ添ひ歩む枳殻垣(からたちがき)にほこりたまれり
  うちどよむちまたを過ぎてしら露のゆふ凝(こ)る原にわれは来にけり
  寒ざむとゆふぐれて来る山のみち歩めば路は濡れてゐるかな
  しろがねの雪ふる山に人かよふ細ほそとして路見ゆるかな

  かうべ垂れ我がゆく道にぽたりぽたりと橡(とち)の木(こ)の実は落ちにけらずや
  我友(わがとも)は蜜柑むきつつしみじみとはや抱(いだ)きねといひにけらずや
  けだものの暖かさうな寝(いね)すがた思ひうかべて独り寝にけり
  水のべの花の小花の散りどころ盲目(めしひ)になりて抱かれて呉(く)れよ
  さみだれは何に降りくる梅の実は熟(う)みて落つらむこのさみだれに

  秋のかぜ吹きてゐたれば遠(をち)かたの薄(すすき)のなかに曼珠沙華赤し
  あはれなる女(をみな)の瞼(まぶた)恋ひ撫でてその夜(よ)ほとほとわれは死にけり
  この心葬(はふ)り果てんと秀(ほ)の光る錐(きり)を畳に刺しにけるかも
  ひんがしに星いづる時汝(な)が見なばその目ほのぼのとかなしくあれよ
  死に近き母に添寝(そひね)のしんしんと遠田(とほだ)のかはづ天に聞(きこ)ゆる

  いのちある人あつまりて我が母のいのち死行くを見たり死ゆくを
  湯どころに二夜(ふたよ)ねむりて蓴菜(じゆんさい)を食へばさらさらに悲しみにけり
  ひた走るわが道暗ししんしんと怺(こら)へかねたるわが道くらし

「あらたま」(大正2~6年)
  足乳根(たらちね)の母に連れられ川越えし田越えしこともありにけむもの
  ふゆの日の今日も暮れたりゐろりべに胡桃をつぶす独語(ひとりごと)いひて
  ぢりぢりとゐろりに燃ゆる楢の樹の太根(ふとね)はつひにけむり挙げつも
  きのこ汁くひつつおもふ祖母(おほはは)の乳房にすがりて我(あ)はねむりけむ
  街かげの原にこほれる夜の雪ふみゆく我の咳ひびきけり

  まながひに立ちくる君がおもかげのたまゆらにして消ゆる寂しさ
  しらぬひ筑紫を恋ひて行(ゆ)きしかど浜風さむみ咽(のど)に沁みけむ
  しづかなる港のいろや朝飯(あさいひ)のしろく息たつを食ひつつおもふ

「つゆじも」(大正7~10年)
  聖福寺(しやうふくじ)の鐘の音(ね)ちかしかさなれる家の甍(いらか)を越えつつ聞こゆ
  くらやみに向ひてわれは目を開きぬ限(かぎり)もあらぬものの寂(しづ)けさ
  ゆふぐれの泰山木の白花(しろはな)はわれのなげきをおほふがごとし
  曼珠沙華咲くべくなりて石原へおり来(こ)む道のほとりに咲きぬ
  のぼり来し福済禅寺(ふくさいぜんじ)の石だたみそよげる小草(をぐさ)とおのれ一人と

  かかる墓もあはれなりけり「ドミニカ柿本スギ之墓行年九歳」
  ゆふぐれの日に照らされし早稲の香をなつかしみつつくだる山路(やまみち)
  わたつみの空はとほけどかたまれる雲の中より雷(らい)鳴りきこゆ
  空のはてながき余光をたもちつつ今日よりは日がアフリカに落つ
  はるばると砂に照りくる陽に焼けてニルの大河(おほかは)けふぞわたれる

  黒々としたるモツカを飲みにけり明日よりは寒き海をわたらむ

「遠遊」
  落葉樹の木立のなかに水たまりあり折々反射の光をはなつ
  雷(らい)の雨音たてて降りし野のうへに二たび光さすを見て居(ゐ)つ
  ゆたかなる河のうへより見て過ぎむ岸の青野は牛群れにけり
  Beethoven(ベエトウフエン)若かりしときの像の立つここの広場をいそぎてよぎる
  太陽はまばゆきひかり放射してチロールの野に草青く萌ゆ

  サン・ピエトロの円(まる)き柱にわが身寄せ壁画のごとき僧の列見る
  南方を恋ひておもへばイタリアのCampagna(カムパニヤ)の野に罌粟(けし)の花ちる

「遍歴」
  いつしかも時のうつりと街路樹が青きながらに落葉するころ
  実験の為事(しごと)やうやくはかどれば楽しきときありて夜半(よは)に目ざむる
  RÖcken(レツケン)のニイチエの墓にたどりつき遥けくもわれ来たるおもひす
  現身(うつせみ)のはてなき旅の心にてセエヌに雨の降るを見たりし
  もろもろの海魚あつめし市たちて遠き異国のヴエネチアの香(か)よ

  落ちつもりし紅葉(もみじ)を踏みて入り来(きた)るバルビゾンの森鴉(からす)のこゑす

「ともしび」(大正14年~昭和3年)
  うつしみの吾(わ)がなかにあるくるしみは白(しら)ひげとなりてあらはるるなり
  湯をあみてまなこつむればうつしみの人の寂しきや命さびしき
  さ夜なかにめざむるときに物音(ものと)たえわれに涙のいづることあり
  白たへの沙羅の木(こ)の花くもり日のしづかなる庭に散りしきにけり
  さ夜ふけて慈悲心鳥のこゑ聞けば光にむかふこゑならなくに

  のぼりつめ来つる高野の山のへに護摩の火(ほ)むらの音ひびきけり
  いそぎ行く馬の背なかの氷よりしづくは落ちぬ夏の山路に
  朝明(あさけ)より寂しき雨は降り居りて槇の木立に啼く鳥もなし
  うつしみは苦しくもあるかあぶりたる魚(いを)しみじみと食ひつつおもふ
  くれぐれにわれのいそげる砂利みちは三月(やよひ)にちかき雨ふりて居り

  罪ふかき我にやあらむとおもふなり雪ぐもり空さむくなりつつ
  むなしき空にくれなゐに立ちのぼる火炎(ほのほ)のごとくわれ生きむとす
  ぬばたまの夜にならむとするときに向ひの丘に雷(らい)ちかづきぬ
  音立てて茅(ち)がやなびける山のうへに秋の彼岸のひかり差し居り
  ゆふぐれし机のまへにひとり居りて鰻を食ふは楽しかりけり

「たかはら」(昭和4・5年)
  あたたかき飯(いひ)くふことをたのしみて今しばらくは生きざらめやも
  なべて世のひとの老いゆくときのごと吾(わ)が口ひげも白くなりたり
  高原(たかはら)に光のごとく鶯のむらがり鳴くはたのしかりけり
  沙羅の花ここに散りたり夕ぐれの光ののこる白砂(しろすな)のうへ
  風のおと川わたり来るみやしろに栴檀(せんだん)の実のおつるひととき

「連山」
  旅人は時に感傷の心あり犬ひとつゐて畑を歩く

「石泉」(昭和6・7年)
  試験にて苦しむさまをありありと年老いて夢に見るはかなしも
  時のまのありのままなる楽しみか畳のうへにわれは背のびす
  をりをりにしはぶきながらみちのくを南へくだる汽車にわが居り
  相よりてこよひは酒を飲みしかど泥のごとくに酔ふこともなし
  日は晴れて落葉のうへを照らしたる光寂(しづ)けし北国にして

  うねりつつ水のひびきの聞こえくる北上川を見おろすわれは
  つかれつつ佐久に著(つ)きたり小料理店運送店蹄鉄鍛冶馬橇工場
  つかれつつ汽車の長旅することもわれの一生(ひとよ)のこころとぞおもふ

「白桃」(昭和8・9年)
  わが眠る枕にちかく夜もすがら蛙(かはづ)鳴くなり春ふけむとす
  このゆふべ支那料理苑の木立にて蜩(ひぐらし)がひとつ鳴きそむるなり
  あつき日は心ととのふる術(すべ)もなし心のまにまみだれつつ居り
  暑き山くだりくだりて寂(しづ)かなる安楽律院の水のみにけり
  ただひとつ惜しみて置きし白桃(しろもも)のゆたけきを吾は食ひをはりけり

  たえまなく激(たぎ)ちの越ゆる石ありて生(しやう)なきものをわれはかなしむ
  みちのくの山を蔽(おほ)ひて降りみだる雪に遊ばむと来(こ)しわれならず
  常日ごろ光あたらぬこの部屋におもひまうけぬ西日さしをり

「暁紅」(昭和10・11年)
  下総を朝あけ行けば冬がれし国ひくくして雲たなびきぬ
  冬の日のひくくなりたる光沁(し)む砂丘に幾つか小(ち)さき谿(たに)あり
  いろも無くよこたふ砂の山にして鹿島の海は黒く見えたる
  鷗らが心しづかに居るらしき汀(なぎさ)をわれは乱し来るかな
  いきれする人ごみの中に吾は居り出羽ケ嶽の相撲ひとつ見むとて

  わが体机に押しつくるごとくにしてみだれ心をしづめつつ居り
  もえぎたつ若葉となりて雲のごと散りのこりたる山桜ばな
  うつせみの吾(わが)見つつゐる茱萸(ぐみ)の実はくろきまで紅(あけ)きはまりにけり
  ゆふぐれのかぜ庭土をふきとほり散りし百日紅(ひやくじつこう)の花を動かす
  ぬばたまのくらき夜(よ)すがら空ひくく疾風(はやち)は吹きて春来(き)ぬらしも

  山の雨たちまち晴れてわがにはの杉の根方(ねがた)に入日(いりひ)さしたり
  すくやかに老いつつありとひとりごつ月の落ちたる山のなかの空
  たたずめるわが足もとの虎杖(いたどり)の花あきらかに月照りわたる
  山かげに移ろひゆきし雷(らい)の音心安けくなりて身に沁む
  胸火(むなび)消えて白くなりたる灰のごと悲しきことをかたみに語る

  川の瀬としぐれの雨と交はりて音する夜半(よは)にしばしば目さむ
  いくたびか時雨のあめのかかりたる石蕗(つはぶき)の花もつひに終りぬ

「寒雲」(昭和12~14年)
  枯れ伏しし蕗にまぢかき虎耳草(ゆきのした)ひかりを浴みて冬越えむとす
  たのまれし必要ありて今日一日(ひとひ)性欲の書読む遠き世界の如く
  もろもろの木芽(このめ)ふきいづる山の上にわれは来(きた)りぬ寝(い)ねむと思(も)ひて
  こよひあやしくも自らの掌(たなぞこ)を見るみまかりゆきし父に似たりや
  歓喜天の前に行きつつ脣(くちびる)をのぞきなどしてしづかに帰る

  寒き日に濃きくれなゐの薔薇を愛でしばらくにして昼寝(い)ぬわれは
  吾(わ)をおもふ悲しき友のひとつにて嵐だつ夜(よは)に馬追来居り
  風つよく衢(ちまた)を吹きてゆくころをわれは昼寝(ひるい)すその風のおと
  春の夜(よ)の午前三時に眼をあきてわれの体の和むことあり
  あきらけき月の光に見ゆるもの青き馬追薄(すすき)を歩く

「のぼり路」(昭和14・15年)
  南なる開聞嶽の暮れゆきて暫くわれは寄りどころなし
  慌(あわただ)しく階下におりて来りしが何(なに)のために下りて来しか分からず
  谷ひくく虹が立ちたり定めなき雨とおもひてわれ居りたるに
  朝々に立つ市ありて紫ににほへる木通(あけび)の実さへつらなむ

「霜」(昭和16・17年)
  冴えかへるこのゆふまぐれ白髭(しらひげ)にマスクをかけてわれ一人ゆく
  われつひに老いたりとおもふことありて幾度か畳のうへにはらばふ
  過去になりし左千夫翁(おきな)の小説を読みてしばらく泣きつつゐたり
  山毛欅(ぶな)の樹(き)はふとぶとと枝持ちながらこの山中(やまなか)に年経(ふ)りて居り
  わが心たひらになりて快し落葉をしたる橡(とち)の樹(き)みれば

  わが父のしばしば越えしこのたうげ六十一になりてわが越ゆ
  日にむかふ油ぎりたる青草を目のまへにしてしづ心なき
  山なかにわれは居れども夏の日にひとり衰ふる心かなしも
  かへるでの太樹(ふとき)に凭(よ)りてわれゐたり年老いし樹(き)のこのしづけさよ
  あしひきの山の峡(かひ)なる夜(よ)の道の月のきよきに蛾は飛びわたる

  月かげの隈(くま)なくさすをかうむりぬ畳の上にわれひとりゐて
  九月になれば日の光やはらかし射干(ひあふぎ)の実も青くふくれて
  あまのはら冷(ひ)ゆらむときにおのづから柘榴(ざくろ)は割れてそのくれなゐよ

「小園」(昭和18~21年)
  過去にして円かなる日日もなかりしが六十二歳になりたり吾は
  うつせみのことわり絶えて合歓の花咲き散る山にわれ来(きた)りけり
  しづかなる生(せい)のまにまにゆふぐれのひと時かかり唐辛子煮ぬ
  山のうへの空は余光のごとくなり見る見るうちに月はいでたり
  堪へがたきまでに寂しくなることあり松かさを焚く土のたひらに

  悲しさもかへりみすれば或宵(あるよひ)の蛍のごとき光とぞおもふ
  のがれ来て一時間にもなりたるか壕のなかにて銀杏を食(は)む
  のがれ来てはやも百日(ももか)か下畑(しもはた)に馬鈴薯のはな咲きそむるころ
  くさぐさの実こそこぼるれ岡のへの秋の日ざしはしづかになりて
  あかがねの色になりたるはげあたまかくの如くに生きのこりけり

「白き山」(昭和21・22年)
  雪ふぶく頃より臥してゐたりけり気にかかる事も皆あきらめて
  臥処(ふしど)よりおきいでくればくれなゐの罌粟(けし)の花ちる庭の隈(くま)みに
  五月はじめの夜はみじかく夢二つばかり見てしまへばはやもあかとき
  黒鶫(くろつぐみ)来鳴く春べとなりにけり楽しきかなやこの老い人も
  近よりてわれは目守(まも)らむ白玉(しらたま)の牡丹の花のその自在心

  ながらへてあれば涙のいづるまで最上の川の春ををしまむ
  ひがしよりながれて大き最上川見おろしをれば時は逝くはや
  朝な朝な胡瓜畑を楽しみに見にくるわれの髯(ひげ)のびて白し
  ここにして心しづかになりにけり松山の中に蛙が鳴きて
  はやくより雨戸をしめしこのゆふべひでし黄菊(きぎく)を食へば楽しも

  やうやくにくもりはひくく山中に小鳥さへづりわれは眠りぬ
  あたらしき時代(ときよ)に老いて生きむとす山に落ちたる栗の如くに
  人皆のなげく時代に生きのこりわが眉の毛も白くなりにき
  短距離の汽車に乗れれど吾よりも老いたる人は稀になりたり
  道のべに蓖麻(ひま)の花咲きたりしこと何か罪ふかき感じのごとく

  みまかりし女の夢を見たりなどして冬のねむりはしばしば覚めぬ
  月の夜の川瀬のおとの聞こえくるデルタあたりにさ霧しろしも
  最上川の流のうへに浮びゆけ行方なきわれのこころの貧困
  黒鶫(くろつぐみ)のこゑも聞こえずなりゆきて最上川のうへの八月のあめ

「つきかげ」(昭和23~27年)
  年老いて心たひらかにありなむを能(あた)はぬかなや命いきむため
  わが気息(いぶき)かすかなれどもあかつきに向ふ薄明にひたりゐたりき
  みづからの落度などとはおもふなよわが細胞は刻々死するを
  生活を単純化して生きむとす単純化とは即ち臥床なり
  わが生はかくのごとけむおのがため納豆買ひて帰るゆふぐれ

  黄蝶ひとつ山の空ひくく飜へる長き年月(としつき)かへりみざりしに
  わが生きし嘗(かつ)ての生もくらがりの杉の落葉とおもはざらめや
  われつひに六十九歳の翁(おきな)にて機嫌よき日は納豆など食(は)む
  浅草の観音堂にたどり来てをがむことありわれ自身のため
  永世楽土、永遠童貞女、永遠回帰、而して永世中立、エトセトラ

  円柱の下ゆく僧侶まだ若くこれより先きいろいろの事があるらむ
  山に来(こ)しわれのごとくにひぐらしといふ山蝉は陰気をこのむ
  秋の雨一日降りつぎ寒々となりたる部屋にぼう然とゐる
  わが色欲いまだ微かに残るころ渋谷の駅にさしかかりけり
  いつしかも日がしづみゆきうつせみのわれもおのづからきはまるらしも

「補遺」
  真珠湾にくぐりてゆきし一隊の潜航艇は帰ることなし


斎藤茂吉 1882-1953
 日本の歌人、精神科医である。伊藤左千夫門下であり、大正から昭和前期にかけてのアララギの中心人物。長女は百合子、次女は晶子。長男に斎藤茂太、次男に北杜夫、孫に斎藤由香がいる。(Wikipediaより)

『佐佐木幸綱歌集』を読みました。

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今日、『佐佐木幸綱歌集』を読み終えました。
この歌集には、佐佐木幸綱の第九歌集「アニマ」全篇と、彼の初期作品及び第一~第八歌集、第十~第十四歌集から抄出した300首が収録されています。以下、一読して気になった歌を引用します。


「アニマ」(第九歌集・1999)
  潮の香の濃くなる二階大鯨小鯨煌々と大小の鼾
  死にそびれたるわれわれは人の死に一日かけて集い散るなり
  記号的現実として〈私〉は意味から逃げて蝶を追う鰐
  お前の耳にさわりて居れば山の骨鳴らし降りくる櫟、橿、山毛欅
  鮎おどれる串手(た)づかむと利根川の川辺に停める青きインテグラ

  満月の四十階のバーに飲む酔ってまだ飲むドライマティーニ
  学生に学生時代問われ居りいいちこの瓶倒して立てて
  研究室に酒飲みおればサンシャインビルにしくしく明かりが点る
  平和公園の桜満開、朝のベンチにホームレスフランスパンを分けあう
  大鳥居残して逃げて行く潮のむかしむかしの男と女

  白磁の皿に選ばれてこのほのかなる紫陽花の菓子小さき影おく
  坂の反りあらわに見せて春早きローマの月のぽってりと浮く
  人生は行く川なりや、現身を海にはこぶと川に入りしや
  満開のひとを抱きとめ花を脱ぐからだを蠟燭の灯に浮かしたり
  水族館に入れば耳より溶けはじめきみが見えなくなる蛸の前

  わたくしに滑り込むがにいまわれは脆き関係の橋わたるなり
  行為するからだ海峡に吊られつつ無音の闇に透く潜水艦(サブマリン)
  ペリカンを抱きどこへゆく喜劇的悲劇は愛の海にはじまるか
  地球の音一切消えてオレンジの木星浮けり部屋いっぱいに
  君の内部の青き桜ももろともに抱きしめにけり桜の森に

  鳥発ちて余白となりし水面を見おろして居りわれは裸で
  月わたる夜を思えば袋田の瀧双つ瀧赤くなりたし
  田楽を食いつつ見居り真上から眼をほそめ見る夕日の紅葉
  単線の曲がれる手前あらあらと実を振り揺らす柿の木ひとり
  うちなびく春の美人は欲情す羽ふるわせて雲雀のごとし

  あおい木を透かせば見ゆるあお空をゴッホのいろと子に教えけり
  風吹けばがらんどうの私がらんどうの地球、二千年の短かさよ
  山場なき人生なれど死へつなぐ身体(からだ)と心こころとことば
  退屈の向こうにつづく無意味さえ見えつつ煙草のけむり吐き居き
  トーマス・パー爺さんのウイスキーくちびるあかき君とし飲めり

  人生は嘘かと思う、ライン川水上を来る緋の日傘かな
  アニミズムのこころで仰ぐ大風車まことかも二百歳こえたりときく
  教師をやめて百姓になろう青き蔬菜の毬白楊(ドロ)の木の春の閃きよ
  大いなる柳に夕日、ベンガルのタゴールの詩の風わたる見き
  バングラディシュ・ダッカの町の雑踏にひらひらと月、わたしにも月

  舟を曳く綱引きかつぎ岸を行く生涯があり見つめやまざりき
  満開の桜ずずんと四股を踏み、われは古代の王として立つ
  頭上の森ざわめき、やがて笑殺せよ笑殺せよと声降らすなり
  大言壮語する者なくてさびしさびし燗熱くせよ辛口の酒
  学生時代の牧水書簡、ついの日にさかのぼるごとく君は生きしよ

  目覚めたる白梅(しらうめ)の花かなしまんすぎにし人は来じと思えば
  ニヒリズムの媚薬とわれらいいつのり昨日ひれ酒うまかりしかな
  悪党の顔といわれてわらいしは七十年だったか、雪降り居たり
  ぬばたまの夜霧うすれて塔の上に仏頂面の月が微笑む
  闇に霧巻けるがごとし、青空をかきまぜて花盛りの林檎

  小さき芽を張りそめしナーポリの葡萄の木いまだ眠そうに整列せり
  見下ろせばかすめるサンタ・ルチア港喰いかけのトマト突き出して指す
  つぐみの声聞きつつ行けばポンペイの春の日ざしがつくる濃き影
  黒犬が影つれてきて石柱を過ぎ石門を出でゆきにけり
  見おろせば朝靄に浮く橋の灯よ動くともなしナイルの水は

  オシリスの神走りゆき炎天下大アフリカの砂のしずけさ
  四千年飛ばずうごかず、炎天下大き石の神立ちたまいたり
  デザートの西瓜食いつつ語るらく雪知らざりし王とその王妃

【佐佐木幸綱作品抄】(谷岡亜紀編)
《初期作品》
  サキサキとセロリ噛みいてあどけなき汝(なれ)を愛する理由はいらず
  広い額に落ちる髪かきあげる癖をもつ君いつまでもその癖を持て
  美しい少女一人を好きになり夏の一日の疲労鮮(あたら)し

「群黎」(第一歌集・1970)
  ハイパントあげ走りゆく吾の前青きジャージーの敵いるばかり
  サンド・バッグに力はすべてたたきつけ疲れたり明日のために眠らん

「直立せよ一行の詩」(第二歌集・1972)
  いま言わざれば言えぬ数々口腔に犇(ひしめ)く時し土砂降りの雨
  夏雲の影地を這って移りゆく迅さ見ていてひびきやまざる
  何が終る何が始まる立春の地平照らしていま八雲立つ
  月下独酌一杯一杯復(また)一杯はるけき李白相(あい)期さんかな
  雨荒く降り来し夜更け酔い果てて寝(いね)んとす友よ明日あらば明日

「夏の鏡」(第三歌集・1976)
  俺は帰るぞ俺の明日(あした)へ 黄金の疲れに眠る友よおやすみ
  わが夏の髪に鋼(はがね)の香が立つと指からめつつ女(ひと)は言うなり
  遠天に噴(ふ)ける稲妻あかあかとわれは怒りて野を走るなり
  泣くおまえ抱(いだ)けば髪に降る雪のこんこんとわが腕(かいな)に眠れ

「火を運ぶ」(第四歌集・1979)
  徳利の向こうは夜霧、大いなる闇よしとして秋の酒酌む
  抱き合って動かぬ男女ゆっくりと夕波は立つ立ちて崩るる
  世田谷区瀬田四丁目わが家に帰りて抱かな妻と現実と

「反歌」(第五歌集・1989)
  こころざしとこととはつかにずれそめぬあわれ新宿のガスタンクに雪
  果たせざる約束の束留めんとし予定のごとく切れたるゴム輪
  蓑虫の宙吊りの日々生くるよと果敢無事(はかなしごと)を言いて別れぬ

「金色の獅子」(第六歌集・1989)
  父として幼き者は見上げ居りねがわくは金色(こんじき)の獅子とうつれよ
  祖父・父・我・我・息子・孫、唱うれば「我」という語の思わぬ軽さ
  小綬鶏は呪文続けていたりけり遠けども朝まぎれなき声
  女(ひと)はいま丹念に手を洗うらし洗われて過去は鮮(あたら)しくなる
  風呂場より走り出て来し二童子の二つのちんぽこ端午の節句

「瀧の時間」(第七歌集・1993)
  火も人も時間を抱くとわれはおもう消ゆるまで抱く切なきものを
  ああこんな処に椿 十年を気づかずにこの坂を通いぬ
  前世は鯨 春の日子と並び青空につぎつぎ吹くしゃぼん玉
  でんわまつじかんはあわき縹いろ漂うさかなのこころがわかる
  水時計という不可思議ありき ひとと逢う瀧の時間に濡れては思う

  性格丸出しの顔の悲しさ悲しめばその悲しみがまた顔に出てしまう
  退化せし尾を悲しめば進化して角(つの)生えるよと神様の声

「旅人」(第八歌集・1997)
  朝焼けの空にゴッホの雲浮けり捨てなばすがしからん祖国そのほか

「呑牛」(第十歌集・1998)
  大徳利うれしき酒を飲む夜は百の約束を未来に植える
  ウイスキーは割らずに呷(あお)れ人は抱け月光は八月の裸身のために
  旅びととして雲呑(わんたん)を食って居り (ろうろう)とただ雪を待つ町

「逆旅」(第十一歌集・1999)
  父としての思いきざせば乱れ降る時雨の暗さ暗い暗いなあ
  わたつみの音を聞きつつ今宵また魚となるまでのむ春の酒
  なびきたつなつめやしの木、かいきょうはあれいるらんか半げつのした
  白雲が行く冬空を十五分あおぎ居たれど問う人もなし

「天馬」(第十二歌集・2001)
  青きネオンを後景に鳴き昇りゆくあなたは雲雀 天に呼ばれて
  しみじみと五臓に沁ます宵の酒心の沖へ船を発たせて
  雨の日も考えている、君のこと遠き星のこと近き樹のこと
  冬の雨が濡らせる舗道歩み来てこの世ここよりいくだ歩まむ
  大き筆に墨ふくませて息をとめて育てきたりし「愚」を書かんとす

「はじめての雪」(第十三歌集・2003)
  みちのくを北へのぼればさらさらに早苗をつつむやわらかき雨
  うちなびく春の座敷に酒飲めばゆらりと人のからだはかしぐ
  一太郎に古語を灯して秋の夜の古代の森を酒提げてゆく
  怒りつつ怒りおさえて液晶の画面に(笑)と打ち出す夕べ
  夕舟に鮎を食いつつ酒飲めり思いでのごとく人と並びて

  朝酒の楽しみつづき居るうちに夜が来て夜の酒を楽しむ
  三椏と木蓮と桜咲きそろう不思議の春をきみとよろこぶ
  ドトールに二時間〈われ〉の輪郭を淡くして午後の教室へゆく

「百年の船」(第十四歌集・2005)
  忘られていつもさびしき古墳塚 今日はてっぺんに子が手を振れり
  肝臓に大き障りがあると言い君は見ゆと言う 他界への道
  はまぐりは身を熱くせり 旨酒とはふはふはふの春の夕ぐれ
  モジリアーニの女(ひと)ばかり座れる電車なりわが目の奥に血のにじめれば
  ベッドにて火星の赤き野をおもえば〈われ〉の一生の時間なきごと

  たぶんもう長くは生きまい ぶわーんぬーっと深海ゆ来し不思議見て居り
  入院の妻見舞いきぬ 鶴たりし二十歳のころの首立たせ居き
  わが町のペットショップの灯が消えてイグアナ娘夢を見るころ
  この道は祖父も曾祖父も行きし道ゆえひきかえす息子と〈われ〉は
  人肌の燗とはだれの人肌か こころに立たす一人あるべし

  鶯はまだ来ず目白がやって来て見上げる犬のロッタ見下ろす
  雨中の鴉目つぶり思う 祖先(おおおや)の鴉の見たる江戸の梅雨ぞら
  大阪弁をしゃべるカーナビ 西空に虹でんがなと言いにけらずや


佐佐木幸綱
 1938年生まれ。歌人、国文学者、日本芸術院会員。東京都千代田区出身。「心の花」主宰・編集長。現代歌人協会理事長。早稲田大学名誉教授。本名は佐々木幸綱で、祖父、父に倣って「佐佐木」を称する。祖父の文化勲章受賞者の佐佐木信綱、父の佐佐木治綱も歌人である。(Wikipediaより)

枡野浩一『かんたん短歌の作り方』を読みました。

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昨夜、枡野浩一の『かんたん短歌の作り方』を読み終えました。以下、この本の内容を簡単にまとめてみました。

【作り方】(引用歌がそれぞれの作り方を例示しているわけではない。)
1 何かを言いたいとき五七五七七のリズムを活用すると、強引な意見でもモットモらしく見えます。
 ◆好きな人いない時にはドリカムの歌はただただうっとうしいだけ(投稿歌)
   →好きな人できたとたんにカラオケでドリカムばっか歌うなバーカ
2 一度読んだだけで意味がすぐわかり、くり返し読んでも面白い、そんな短歌をめざしてください。
 ◆SHAZNAからイザム取ったら何残る? 残る2人も迷惑顔だが(投稿歌)
   →君なしで過ごす季節は寒すぎてイザムのいないSHAZNA以上に
3 「笑える出来事をそのまんま書けば笑える短歌になる」というのは、よくある誤解です。
 ◆遠くから手を振ったんだ笑ったんだ 涙に色がなくてよかった(投稿歌)
4 これしかない! という決定的な表現にたどりつくまで、迷うのをやめないでください。
 ◆きのうの夜の君があまりにかっこよすぎて私は嫁に行きたくてたまらん(投稿歌)
5 「しらふで口にできる言葉」だけをつかいましょう。
 ◆ユーミンがもう歌ってる 特別な恋をしてると思ってたけど(投稿歌)
6 「真似っこになってしまうのが怖いから、ほかの人の作品は読まない」なんて、まちがってます。
 ◆「また」っていつ?! 直接聞くのはこわいので心の中でつっこんでみる(投稿歌)
7 歳をとることへの恐怖を歌った作品が多いけど、そんなに歳をとることってブルー?
 ◆もっとわかりあおうとしたり顔をしてこれ以上何を奪われるのだろ(投稿歌)
8 短歌以外の形式で表現したほうが面白くなる内容のものは、短歌にしては駄目です。
 ◆幸せな誕生日だった。だってあさってフラれるなんて、知らなかったから。(投稿歌)
9 自分と同じ経験をしていない人にこの表現は通じるか? と、常に自問してください。
 ◆マシュマロのやさしさのまま手を離す私を許してほしい(天野慶)
 ◆幸せな気分があれば幸せはいらない そんな恋をしていた(投稿歌)
 ◆好きな人いたんだ そっか 気づかずに回送のバスに手を上げていた(投稿歌)
10 現代人が古文で短歌をつくることは、日本人が不正確な英語で歌を歌うことと同じです。
 ◆突き刺さるこっこのうたに経験ないのに共感してる(投稿歌)
   →突き刺さるCoccoのうたに似たような経験ないのに共感してる
11 自分の書いた言葉を他人の目になって読み返す力、それが文章を書く力です。
 ◆無理すれば週末デートできるのにもう無理しない自分に気づく(投稿歌、以下同じ作者)
 ◆「仕事だろ?」わたしのことを疑いもしないあなたを疑っている
 ◆もう会えないワケじゃないけどまた会える保証もないよ 人生だもの
 ◆ツケヅメを自分の爪だと思ってていきなり剥がれたような失恋
12 特殊効果をつかうと意味ありげに見えてしまうけど、それは危険なワナです。
13 共感を呼ぶ題材を見つけただけで終わってしまっている、というのが、世間によくある駄目短歌なんです。
 ◆飛び降りるわけではなくてかなしさを見下ろすために屋上へゆく(フーコー短歌賞優秀賞)
 ◆「シタいだけ? それだけなのね」と吐(ぬ)かしてる まったくもっておっしゃる通りで(投稿歌)
   →したいだけ? それだけなのねと怒るなよ 「ハイそうです」と言いそうだから(枡野浩一)
    したいだけ? それだけなのとナジるのは「ちがう」と言ってほしいんだろう
    好きなのはからだだけかと訊く君にそのとおりだと伝えるべきか
    「セックスが目当て」だったらまだマシで今じゃそっちのほうも勘弁
14 短歌も大切だけど、この世にはもっと大切なものもあるんですね!
 ◆信号は暴走直前の私を目の前にしてしばらく赤い(投稿歌)
15 マスノ短歌教の常連信者二人が、フーコー短歌賞の大賞と特別賞を受賞しました!!
16 同じ内容の歌を五通りの言いまわしで考えて、その中で一番しっくりくる歌を選ぶようにしてください。
17 だんだん上達してくると、ベテラン歌手がタメて歌うみたいにリズムをハズしたくなるが、ださいのでやめましょう。
 ◆背中いたいと言ってみる ほんとうにいたいのは胸(投稿歌)
   →背中いたいと言ったらさすってくれるかな でもほんとうにいたいのは胸(枡野浩一)
 ◆「いつでも呼んで」と言うけれど塩酸の雨でも君は迎えにくるかい?(投稿歌)
   →かっこいいこと言うけれど塩酸の雨でも君は迎えにくるかい?(枡野浩一)
18 なるべく助詞を省かず、短歌に見えないように、普通の文章みたいに仕上げるのがポイント。
 ◆気持の夏がまだ来ない 夢の球宴も三戦目だというのに(投稿歌)
   →甲子園球場はもう三戦目 気持の夏がまだ来ていない(枡野浩一)
 ◆ブラウスのジュースこぼしたしみまでは見られずに夏すれちがうだけ(投稿歌)
   →ブラウスのメロンソーダのしみまでは見られずに夏すれちがうだけ(枡野浩一)
   →ブラウスのトマトジュースのしみまでは見られずに夏すれちがうだけ
19 ひとりよがりのセックスもあるし、まわりの人を楽しませるオナニーもあります。
20 自分の顔に似合わない短歌は、つくらないようにしましょう。
21 「面白いことを書く」から面白いのではない、「面白く書く」から面白いのです。
22 こんな短歌なら私にもつくれる・・・・と思ったら、思うだけでなく実際つくってみてください。
 ◆飛べ! 愛と勇気だけしか友達がいないアンパンマンの孤独よ(枡野浩一)
 ◆ワレワレとあなたが言ったそのワレに私のことは含めないでね(枡野浩一)
 ◆ほめているあなたのほうがほめられている私よりえらいのかしら(枡野浩一)


【作品集2000(短歌じゃないかもしれない症候群)】より抄出
◆西尾綾「ペットボトル」
   傷ついて見えないらしい ならいいよ 血も出てないし涙も出ない
   あすこそは あすが必ずくることを慣れ切っているぼくには無理だ
   永遠にここにいるのも悪くない 雨宿りするTOWER RECORDS
   突如鳴る出庫のベルに立ち止まる やさしくないよ弱いだけだよ
   傷はどう癒えるかなんて傷ついた後の知識が最近はじゃま

   夕立ちか濡れて参ろう 傘は時に視野を狭めるものかもしれず
   二ヵ月間はいたジーンズ洗おうかそんなみそぎで生きながらえる
   薄青のペットボトルがタクシーに轢かれる時は目をつむります

◆天野慶「手紙に咲く花」
   約束はやぶっていいよ ゆびきりがただしたかっただけなんだから
   精神が近視 未来はぼやけてて過去はやたらとはっきり見える
   夢だってわかってたならあいそ笑いなんかしないで言えばよかった
   カーテンを閉めても朝は来るように目をそらしてもおんなじだった
   ついさっきあなたがついた収拾のつかない嘘で楽しんでいる

   マシュマロのやさしさのまま手を離す弱い私を許してほしい
   せつなさを聞かせつづけたサボテンに見たことのない花が咲いたよ
   君とした雪合戦のあの雪の白さを超えるものはまだない
   逃げることばかり上手くて気がつけばドッジボールの最後のひとり

 ◆杉山理紀「銀紙」
   悲しいといえば悲しみへらないし悲しくないといえば淋しい
   夕立ちにかくまわれてる二人には話すことなどなくてもよくて
   銀紙に秘密を書いて手の中で小さく丸めて作る銃弾

 ◆加藤千恵「今日は何の日?」
   もう2度と会えないなんて不思議だね 誰かの悪い冗談みたい
   磯野家の棚にはおやつ わたしには悲しみ いつも完備されてる
   自転車をこぐスピードで少しずつ孤独に向かうあたしの心
   ありふれた歌詞が時々痛いほど胸を刺すのはなんでだろうね
   簡単に変われたらいい 欲しいのはアンパンマンの顔的気軽さ

   生きててもできないことはあるけれど死んだらなにもできないからさ
   正論は正論としてそれよりも君の意見を聞かせて欲しい
   ポケットもタイムマシンも興味ない ドラえもんよりあなたが欲しい
   キライでも好きでもどうせ泣いちゃうし やっぱ恋ってくだらないかも
   赤信号ずっと続けと叶わないお願い事を繰り返してた

   さびしいとつぶやく内に本当にさびしくなっている部屋の中
   好きだけど時々すごいむかつくの 殴って蹴ってやりたくなるわ
   気づかれる方じゃなくて気づいちゃう方が悪いの? 知りたくないこと
   この恋が終わるってことわたしたちとっくのとうに知っていたよね
   言葉しか残っていないけれどまだ言葉だけなら残ってはいる

   文学で癒されるような痛みならもともとたいした痛みではない
   あたしたち何にもできないだからこそ何でもできる そんな気がする

 ◆梅本直志「水」
   どこに行くってことはわかんないけど、生きていくってことはわかってる
   ラブ・ソングなんて歌っていられないもっと歌いたいことはあるんだ

 ◆佐藤真由美「脚を切る」
   東口バスターミナルでキスをして別れるために出会ったふたり
   鎌倉で猫と誰かと暮らしたい 誰かでいいしあなたでもいい
   誕生日前だけどこれプレゼント いつまで好きかわからないから
   今すぐにキャラメルコーン買ってきて そうじゃなければ妻と別れて
   この煙草あくまであなたが吸ったのね そのとき口紅つけていたのね

   あの人が困ると満足 怒ったらもっと満足 いつからだろう
   「風邪ひいた」と言っても「なんで」と言うくせに別れる理由は訊かない男
   いいことがあってもいいな なんとなく好きだった人が花くれるとか
   泣くようなことがそろそろ欲しくなる 混んだ電車で立ち上がるとき
   走ってく方向まちがえないコツは目的地なんか作らないこと

   強い意志とかそんなんじゃないでしょう コンクリのひびに咲くタンポポは
   「還りたくない」は帰れる場所のある女のセリフだから言わない

 ◆脇川飛鳥「気がする私」
   みんなが人とちがう人間になりたがっててみんなが人と同じ人間
   毎日毎日地味な生活送っているとコマーシャルでもなぜか泣けてきた
   みんなの話聞いてないわけじゃないけれど変なところでうなずいてスマン
   きのうの夜の君があまりにかっこよすぎて私は嫁に行きたくてたまらん
   飛び箱の試験でぶっつけ本番で飛べたのをなぜか忘れていない

   愛と時間とりそろえてます現品でどうか返品はご遠慮ください
   いったいなんに反応してるか知らないが あーなんだか意味ねー涙

 ◆柳澤真実「君と小指でフォークダンスを」
   タンポポの綿毛けとばせ 来年もっきっとここに来る自分のために
   太陽の光が作る水底はマスクメロンの模様が揺れる
   何もかも終ったあとで一人行く 花火の残影あるわけもなく
   遠くから手を振ったんだ笑ったんだ 涙に色がなくてよかった
   ケータイの普及のおかげで突然に女便所で振られた私
   治りかけの傷のかゆみでまた君に懲りずに逢いに行きそうになる

   うっすらとわかりかけてもなにひとつかわらないからわからなくなる
   いつか見た野良犬と昔盗まれた自転車を探すついでに生きよう
   好きな人いたんだ そっか 気づかずに回送のバスに手を上げていた
   口内炎みたいな感じで君のこと忘れたいけどまた出来ている
   ユーミンがもう歌ってる 特別な恋をしてると思ってたけど

   胃の中にチョコレートだけ詰め込めば涙が甘ったるくなる程に
   止んでいることにも気づかず傘さしたまま君のことを考えている
   触れられた部分が全部心臓になって代わりに返事をしちゃう
   「あきらめた」まだあきらめてはいないからだから何度も口に出して言う
   空腹を通り越したら食欲がなくなるようにいつか笑える

   してもないピアス確かめてばかりいる 今日で君には逢えない気がする
   好きすぎて割れてしまった風船のしぼんだ残骸ひろげて見ている
   友達と大笑いした後とかにあなたのことを思い出します
   大切なものは壊れやすくないと大切なものに相応しくない
   笑っても心はいつもノーパンでスースーするからめくらないでね

   犬みたいなシッポが欲しい あのひとにうれしって伝えられなかった
   たくさんの色を混ぜたら灰色になった絵の具のような終章
   あのひとに嫌われたのも君のせいにしてたごめんね私の脂肪
   かわいけりゃ許されるなんて思ってはいないがブスよりマシだと思う
   あきらめた夢のひとつもある方が誰かに優しくなれる気がする

   言ったからにはやらなくちゃホームラン予告のポーズを笑われたって
   公園で遊んではいられないけれど私達にはセックスがある
   辿り着くべき場所に自分が待ってる 早く未来に追いつかなくちゃ

【作品集2014】より抄出
 ◆天野慶「つぎの物語がはじまるまで」
   馬だった頃のあなたにあこがれてヒトとしてまた逢えてうれしい
   やさしいが頼りにならないあのひとはタオルケットのこころぼそさだ

 ◆加藤千恵「10年以上後」
   傷ついたほうが偉いと思ってる人はあっちへ行ってください

 ◆佐藤真由美「自選十七首」
   三回も食事したからバレてるよ 生春巻とわたしが好きね
   やれそうと思われたのは悔しいが事実やったんだからまあいい
   女の子らしいと思い高2までイチゴが好きなふりをしました
   どん底にタッチしてからまた浮かぶつもりだったのに深い深い
   口にしたとたんにそれじゃ足りなくて嘘になるから好きと言えない

   前もってするとわかっていたときも後悔という名前でしょうか
   世の中に悪意と無関心があり黄色い線の内側に立つ
   雪は降る 人は忘れる 生きていて生きていく 明日も来年も

【枡野浩一の短歌の代表作】より抄出
   こんなにもふざけたきょうがある以上どんなあすでもありうるだろう
   ハッピーじゃないエンドでも面白い映画みたいに よい人生を
   君はそのとても苦しい言いわけで自分自身をだませるのかい?
   色恋の成就しなさにくらべれば 仕事は終わる やりさえすれば
   だれからも愛されないということの自由気ままを誇りつつ咲け

   気づくとは傷つくことだ 刺青のごとく言葉を胸に刻んで
   私には才能がある気がします それは勇気のようなものです

佐藤真由美『プライベート』を読みました。

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佐藤真由美のデビュー歌集『プライベート』を読みました。
先日、枡野浩一の『かんたん短歌の作り方』を読んだら、そこに彼女の投稿歌が取り上げられていました。彼女はこの投稿がきっかけとなり、歌人になったそうです。彼女の他の歌も読んでみたいと思い、この歌集を買いました。以下、気に入った歌を引用します。


  東口バスターミナルでキスをして別れるために出会ったふたり
  鎌倉で猫と誰かと暮らしたい誰かでいいしあなたでもいい
  アルデンテにゆでといたけどそれ以上わたしに期待なんてしないでね
  マスカラがくずれぬように泣いている女を二十五年もやれば
  悲しませないよう何かするたびにこっちが悲しいのはなんでかな

  正しさは振りかざさずに立っているあなたの悲しみによく似合う
  借りた傘返しに行くと雨が降るような感じで二年続いた
  ありがとういつも一緒にいてくれてたまに一緒にいないでくれて
  今すぐにキャラメルコーン買ってきてそうじゃなければ妻と別れて
  この煙草あくまであなたが吸ったのねそのとき口紅つけていたのね

  「だめなひと」いつものセリフでも今日は漢字で言われたような気がして
  強い意志とかそんなんじゃないでしょうコンクリのひびに咲くタンポポは
  走ってく方向間違えないコツは目的地なんて作らないこと
  どうしても欲しいものとかあっていい失くしたものの数より多く
  3回も食事したからバレてるよ生春巻とわたしが好きね

  長い長いエスカレータで目を閉じる自分の嘘が消える気がして
  幸せな頃に聴いてた音楽をポッケに入れて地下鉄に乗る
  手をつなぐ前がいちばん楽しいの東京タワーでデートするとか
  やれそうと思われたのは悔しいが事実やったんだからまあいい
  朝顔のように誰かが巻きついてきたので「おはよう」と言いました

  点滅の青信号にダッシュするくらいにわたしわりと平気だ
  ツケヅメを自分の爪だと思ってていきなり剥がれたような失恋
  桜咲き空が眩しくなってくるいつもの坂を早く過ぎたい
  いろんなことあっても今幸せなのはいろんなことがあったからなの
  いいことがあってもいいななんとなく好きだった人が花くれるとか

佐藤真由美『恋する短歌』を読みました。

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今日、佐藤真由美の短歌+ショートストーリー集『恋する短歌』を読みました。
ショートストーリーの感想は後日にして、短歌だけ引用します。

◆桜
  さくらさくら 去年誰かと見たさくら
  知らんぷりしてまた見るさくら
◆みんないい娘
  ほしいならあげちゃいたくてしょうがない
  けど彼わたしのものじゃないから
◆ハッピーエンド
  人生は続く ふたりが教会で
  ハッピーエンドを迎えたあとも
◆柴ちゃんのこと
  アスファルト温めながら夏が来る
  あなたはどこで何してますか
◆行楽日和
  今すごくハッピーだから
  通り魔にあったらイヤだ 今は絶対
◆爪を噛む
  目の前のわたしを見てよ
  本当に大事にしてるものが何でも
◆仕掛け花火
  形とか指の長さを知ったのに
  何も知らない あなたのことを
◆NOと言えないわたし
  恋のせい 真夜中過ぎに呼び出され
  スナギモなんか食べているのは
◆心変わり
  当然のように一つの食べ物を
  分け合いながら別れ話を
◆午前四時、渋谷で
  飲み会の夜なくなったケータイが
  出てこなければ好きだと言おう
◆すてきな誕生日
  いつのまにか見つけてくれてありがとう
  わたしがあなたにぴったりなこと
◆男がふたり
  ほんの少し勝ってほんの少し負けて
  恋はいつでも少し悲しい
◆かみさまの寝言
  対角線上にベッドで寝る人を
  抱きしめるため三角になる
◆失敬な話
  謝られれば謝られるほど君じゃなく
  わたしが全部悪いみたいだ
◆ただの遊び
  知られたくないことがある
  本当はあなたといると心臓が痛い
◆プライド
  縁あって隣で寝てる人がいて
  わたしのものにならないらしい
◆ニュージーランドに行く前にわたしがしたこと
  地図を見る前に電話が鳴ったので
  まだ赤道の位置を知らない
◆後悔
  弱いとこ見せたくないしあなたのも
  見たくないから愚痴は言わない
◆真冬の白い朝の光
  冷たさに負けない勇気があるように
  祈った 朝の光の中で
◆バレンタイン
  2/14が何の日かなんて忘れてる
  君に思い出させてほしいんだ
◆帰り道
  一匹も猫に会わない帰り道
  わざと遠くのコンビニに行く
◆“44”がクローズする日
  目薬を涙のかわりにさしてみる
  忘れないから忘れないでね

福井県に行ってきました。

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8月21日から23日まで、仕事で福井県に行ってきました。
目的の場所に行くために降りたのが「田原町駅」でした。切符の手配から宿泊先の予約まで、何から何まで同伴者に任せきりだったので、電車を降りてびっくりしました。「田原町」→「たわらまち」→「俵万智」。そう、ここは俵万智が高校時代に利用していた駅でした。以下はWikipediaから引用した俵万智と田原町駅に関するエピソードです。
 福井市の田原町駅の駅名標には平仮名で「たわらまち」と書かれている。俵万智は高校生のときに武生市から福井県立藤島高等学校に通う際、田原町駅を利用していた。そのため駅名にちなんだペンネームではないかと言われることがよくあるが、れっきとした本名である。高校時代は田原町駅のおかげで他人から名前をすぐ覚えられたという。

そこで、一首。
  八月の田原町駅に降りたちぬ初めてなれど懐かしさ覚ゆ

ついでに。帰途につく前、武生駅前の和食と寿司の店「大江戸」で詠んだ一首。
  夏の終わり武生駅前大江戸のソースかつ丼と越前おろしそば

ははははは。

プジョー208 Roland Garros

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〈オレンジドアミラーカバー〉と〈ロランギャロス ロゴ ステッカー〉

昨日、出勤のために《308CC》のエンジンをかけたら、「自動診断警告」の表示! 職場までは何の問題も無く行けましたが、取扱説明書に「エンジン制御システムに異常が発生した場合に表示されます。プジョーディーラーで点検を受けてください」とあったので、さっそくプジョー柏店に行ってきました。

点検中、ショールームを見ていたら、208の限定車《208 Roland Garros》が目にとまりました。
 全仏オープン(ロランギャロス大会)とのパートナーシップを結んで30年。この特別な年を記念して、ノバク・ジョコビッチ選手をブランドアドバイザーに迎えた、特別な208の登場です。パール塗装の専用ボディカラー「サテン・ホワイト」に、クレーコートをイメージしたオレンジのアクセント、ロゴをあしらった専用レザーシートやステッカーなど、スタイリッシュな装備の数々が、208のダイナミックで軽やかなパフォーマンスを際立たせます。速く、強く、美しく駆け抜けるトッププレーヤーのように。100台だけの208リミテッドエディション、登場。(Peugeot 208 Roland Garrosパンフレットより)

〈オレンジドアミラーカバー〉や〈ロランギャロス ロゴ ステッカー〉、〈オレンジシートベルト〉など、オレンジ色が各所に使われていて、とてもオシャレです。また、〈パノラミックガラスルーフ〉は狭い室内を広く見せ、開放感を感じます。1200ccなので燃費も良さそうです。定年退職するときは、こんな車に乗り換えよう、なんて少し考えました。

『窪田空穂歌集』を読みました。

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今日、大岡信編『窪田空穂』を読み終えました。
ソ連によるシベリア抑留で亡くなった次男・茂二郎を悼んで詠んだ長歌「捕虜の死」(歌集「冬木原」収録)がとても印象的です。その後も次男を偲んだ歌を詠んでいますが、子どもを失った親の気持ちが切々と伝わってきます。また、自らの老いや死について詠んだ歌はとてもリアルな感じを受けます。
以下、気になった歌(長歌は除く)を引用します。


「まひる野」(明治38年)
  来ては倚る若葉の蔭や鳥啼きて鳥啼きやみて静寂(しゞま)にかへる
  緑揺する風や洩り来る日の影や林は見する夢遠き国
  冴ゆる笛や聴きつゝ立てば青海(あをうみ)の彼方(あなた)の島に君とあるごと
  さまよひて黎明(しのゝめ)行けば木下闇なほわが路のあるにも似たる
  摘みし草に誰が名負はせむ佐久のゆふべ千曲の川の北に流るゝ

  君を宿せ時には君を追ひやりてわれと寂しむ胸にもあるかな

「明暗」(明治39年)
  大海(おほうみ)の底に沈みて静かにも耳澄ましゐる貝のあるべし

「空穂歌集」(明治45年)
  ふる里を棄てて出でけるかの夏の、青くふるへししののめの空。
  投げやりになるにまかして置くものの一つとなりしわがこの心。
  朽葉の香ただよひ来たる木のもとに、ほのに嗅ぎたる君が髪の香。

「濁れる川」(大正4年)
  麦のくき口にふくみて吹きをればふと鳴りいでし心うれしさ
  わが眼よりとはに消えゆく人として胸にうかべつ友がおもかげ
  啄木の歌よみつぎつほほ笑みてあればいつしか悲しくなりぬ
  わが父の言ひけることを子の我も時の来ぬればまた然(しか)思ふ
  この路をわれ行くべしと思ひ入ればさみしくもはた心強きかな

  新しき生活をわれ始むべしかくも思ひき君によりてぞ
  子の顔を見つつしをればかはゆともかなしとも見ゆわが顔に似て
  生くらくは物棄つることぞそを措(お)きて更にはわれよ何をし能ふ
  野に棄てん棄てて烏につつかせん尊くもあらぬわれの心ぞ
  怠けろと怠けろと空に小鳥啼く怠くればたのしげに怠けうぞ

  ははははと独り机によりてゐて笑ひて見たり春の日うらら
  人形のきもの程なる襦袢など干してある見ればわが子いとほし
  かつとして物言はずをるわが顔にひやひやと夜の風の触れつつ
  くちびるに浮ばんとする冷笑を噛みころしぬればわが胸熱し
  何をさは苦しみてわれのありけるぞ立ちて歩めば事なきものを

「鳥声集」(大正5年)
  いやいやといふことをのみ知れる子のいやいやといひて泣きてやまずも
  一人して声立ててこそ笑ひけれ為事(しごと)することはかくもたのしき
  痛む歯をおさへつつ来れば小石川きたなき町にわが住めるかな
  独をりてさみしくなりぬ然れども誰に逢ひては何語るべき
  呻(うめ)けるはこの子なれかも子が上にのしかかりをるわが身なれかも

  はなたじと子が手は握れ父母の手の中(うち)にして冷えゆくものを
  こころよき笑顔つくりて汝が母によくぞ見せける別れといふに
  その部屋の襖あけてはのぞきこみ驚くものかわが子が居ぬに

「泉のほとり」(大正6年)
  死にませるわが父ながら天地(あめつち)の中(うち)にし坐(ま)すとおもふ恋しさ
  古(ふ)りにしを語りつづけつ声立ててふと笑ふ妻が眼に涙みゆ
  離れなば見失なはむといましむる友が声きこゆ闇のうちより

「土を眺めて」(大正7年)
  俄にも睦み合ふ子を憐みて見つつし居(を)るや母あらぬ子を
  手枕(たまくら)の我れに寄り来て幼きが頭(つむり)や病むとませて問ふかも
  我が瞳直(ひた)に見入りつ其瞳やがて眩(まぶし)げに閉ぢし人はも
  我が心嘆きに尖り子を打つに駈け来て其子隔てし人はも
  其子等に捕へられむと母が魂(たま)蛍と成りて夜を来たるらし

  教会の尖塔の上に月出でて屋根は照らせど心悲しき
  縁(えにし)ありて親とはなれり然れどもかかはり難し子が持つ心
  貧しさに堪へつつ生きて久しけど我が心いまだ痩せしと思(も)はなく

「朴の葉」(大正9年)
  その兄がすくひ来(こ)し泥鰌めづらしみのぞき見つつも指触りぬ妹
  白埴(しらはに)の瓶(かめ)にわが飼ふ鈴虫は暗き廊下に啼き出でにけり
  まごころを持ちては居しが悔ゆることなしと思はずわがなき妻に
  母が上いはぬ日とてはなかりける子らも漸くいはずなりにけり
  われは行き日とは行かざるこの道に行き進みつつ饑ゑむとすなり

「青水沫」(大正10年)
  わが家は貧しかるぞとわがいへば怪しむ如き目する子らかも
  おもちや買ふ銭のありやと問ひし子の問はずなりけり無しと思ふらし
  親の顔見ぬ日はあれど大空を見ぬ日はなかりし青空はもよ
  国なまり妻がいふ聞けば信濃なるふる里の平(たひら)思ほゆらくも
  うつし身の生き悩むからに休み所(ど)を我はもとめき善けくも悪しくも

  おそろしと思ふもの見ば力あつめ突きあたり見よおそれは消えむに
  家主のいでよといふに腹立てど家なし我の出づる方のなき

「鏡葉」(大正15年)
  これの世に我家(わぎへ)の父にまさるもの多しと知りきやわが女(め)の童(わらは)
  その母に生き写しなる女の童今は忘れて母を知らずとふ
  かたはらの人さへ知らぬよろこびを生きがひとして我が疑はず
  弟の破(や)りし障子をその兄の手つきつたなく切りばりはする
  見るものは巌(いはほ)あるのみ夜の露に濡れし巌の朝日に光る

  焼け残り赤き火燃ゆる神保町三崎町ゆけど人ひとり見ず
  路のべの戸板の上に寝たる子の寝顔ほのじろし提灯の灯に
  大雨にしとどに濡れて夜警よりわが子帰りぬしらしら明けを
  妻も子も死ねり死ねりとひとりごち火を吐く橋板踏みて男ゆく
  東京に地平線を見ぬここにして思ひかけねば見つつ驚く

  川岸にただよひよれる死骸(しかばね)を手もてかき分け水を飲むひと
  憤り胸におこれば鳥屋(とや)にゆき憎む雌鶏(めとり)をただ追ひまはす
  貧しさに今は馴れたり苦しさのあらざる我ぞ貧しとはいはじ
  働きて猶し餓ゑむとする我によきこころ持てといふは誰ぞも

「青朽葉」(昭和4年)
  今日はわれ関はりぬべき何もあらず眼にうつるものなほざりに見む

「さざれ水」(昭和9年)
  潮(しほ)しみて痛むわが眼をこすりつつ見おくる波の磯に真白き
  老いそめて初めて見ゆる我が道や歩み行くべき程の遙けき

「郷愁」(昭和12年)
  広き世に狭き心を持ちて生き生きの嘆きをしにけり我は
  吾亦香(われもかう)の苗を植うなり秋日さし寂びたる花の咲かむ描きて
  相逢ふも顔見せ合ふに過ぎざれど心安からず逢はで過せば
  物の芽のありやと指をさし入れてほぐす花壇の土あたたかし

「冬日ざし」(昭和16年)
  岡の家に菎蒻つくり八人の口すごす弥一兵に召されぬ
  おほらかに病養ふ人を見てうれへ忘れし如く別れぬ
  追憶は人をまじへずただひとり静かにこそは味ふべきなれ
  興福寺五重の塔をあふぎたり全き物はもの思はせぬ
  産院を出でてわが家(や)に来りたる孫を迎へて子より抱き取る

  秋の来て庭の白萩咲き出でぬ衰へぬれどわれ命あり

「明闇」(昭和20年)
  大き木にただ二つ生(な)る赤き柿落ちむ一つを惜しみつつ捩(も)ぐ
  空襲のサイレン鳴るに白菊のかがよひ奇(く)しく深まりきたる
  動かではあられぬ学徒おのづから列組みて向ふ靖国の宮
  まさしくも敵機なりけり星じるし黒く光りぬと人路にいふ
  盆栽をいたはり過す老びとのそのさかしさを今うべなはむ

  学終ふるすなはち兵となる人ら今宵をつどひその師ねぎらふ
  夜の海ほのほとなれる艦橋に見えて手を振る艦長提督
  つく杖をたのむ心の深み来て坂のぼる我の翁さびぬる
  耳とほくなりぬ我はといふべくは半(なかば)は聞ゆやや高くいへ
  心はやるわが若人に落ちつけよしばしといひて涙ぐましも

  この日頃電車のうちに見る人の表情すべてけはしくなりぬ
  白き米かをれる野菜にはとりの卵もありてここの豊けさ
  甥の子の昼を家にしある時は山羊豚兎蜜蜂がこと
  むだ花はあらざる茄子の皆みのり大き小さきが葉ごもりてあまた
  わが母を親しみ恋ふは我のみと思ふ子さへや余る命なし

  この村の墓どころ来れば近きころ戦ひ死ねる四つの新墓(にひばか)
  教室に集ひ満てるは命(めい)ありてにはかに兵とならむ学徒ら
  金沢の鏡花の跡の見まほしと心残すか兵とならむ子
  生みの子の幼きあまた持てる母おのれ食はずとあはれに痩せぬ
  子の三たり人となれるに離れゆきわが身はもとの一人となりぬ

「茜雲」(昭和21年)
  大君の兵なるわが子幾月をたよりあらねばいづこと知らず

「冬木原」(昭和26年)
  ここに逢ふ人のすべては口結びものにこらふる面持(おももち)をせり
  いささかの残る学徒と老いし師と書に目を凝らし戦(いくさ)に触れず
  寝入りしを抱きうつされし孫どもの壕のうちにて泣く声のあはれ
  咽ばむとする声張りておれも行く後からと云はれ行きし学徒ら
  大君の将校として死にけむも親には子なり泣かずあらめや

  海渡る風のすずしく船にして煮る物の香のうまげに匂ふ
  老いてわれこの世に最(もと)も深くあるは親と子がもつ心とぞ知る
  わたくしの今はあらざる時なれば逢ふ人人にたやすく睦ぶ
  ここに見る初老の人の大方は兵の親かとおもへど問はぬ
  唐黍(もろこし)にまさりたりよと丸麦のぼろぼろ飯(いひ)をうまらに食らふ

  うるはしさ極まる物を口にすとゑめる柘榴(ざくろ)を二つに裂きつ
  生(いき)と死(しに)の境に立てばあやしくも消え去りゆけりその生と死
  一とせを越ゆる幾つき生死(しやうじ)すら分かざりし子が便(びん)の来りぬ
  警報の鳴り出でぬ夜の静けさをいぶかしみてはふと耳澄ます
  生(しやう)あれば死ありと観(くわん)じ身辺を清めつつありと友の告げ来ぬ

  事は終へ家のこるなり東京へいざ帰りてはわが家(や)に住まむ
  冬空のもとにひろごる焼野はら一すぢの路細りてうねる
  七十(しちじふ)のわが生涯を決せるはわかかりし日のいささ事なりき
  うしなへる何のあらむや我が経にし事のすべては今に続ける
  この露地の東の果ての曲りかど茂二郎きてあらはれ来ぬか

  わが写真乞ひ来しからに送りにき身に添へもちて葬(はふ)られにけむ

「卓上の灯」(昭和30年)
  皺のみの姉が手わが手さし並べ似たる形をわらひつつ見る

「丘陵地」(昭和32年)
  酒飲めば酔ひてたのしくなる友にひとり飲ましめ我は飯食ふ
  自己是認はなはだ高きこの人や神と悪魔の境よろめく
  現在のこころの為のものなりと久しかりける過去を思はむ
  性格は択(えら)びて得たるものならねそのもつ苦悩は負はねばならぬ
  若き日の恋にも似るか解(げ)しえざるいささか事の胸を離れぬ

  鬼怒川の淀の砂(まさご)に卵生むと春の雌鮭(めざけ)の海よりのぼる
  生まれ更(かは)る身ならば何をせむとすと問ふ人ありき答えず我は
  忘れにしことのごとくに年は経れ子は愛(かな)しかり親は忘れず
  湯げかをる柚子湯にしづみ萎びたる体撫づれば母のおもほゆ

「老槻の下」(昭和35年)
  平安のをとこをんなの詠める歌をんなはやさしきものにあらず
  平安のをんなが見たる夢の跡散り敷くさくら積もりて深き
  宇宙より己れを観よといにしへの釈迦、キリストもあはれみ教へき
  生来(しやうらい)の孤独に徹しえたるとき大き己れの脈うちきたる
  わが心しづかに張りて思ひなしこのよき時を何に謝すべき

  老の身のなほもわがもつ欲望よ追ふにたのしく果たすにさみし
  わが愛はわれのものなり身もて生める我みづからと一つなる物

「木草と共に」(昭和40年)
  下駄はけば動きたくなり吹く風の冷たきに向かひ歩みを移す
  空青く晴れて風なし好き日今日いづこにもあれ旅にて寝(いね)ん
  わびしきは旅の常かもこころざす興津の町に泊る旅舎得ず
  想はざる病を獲たり旅にして病むは侘びしとしみじみ思ふ
  うまき物食べたしとおもふ素直なる願ひをもちて粥のみすする

  しきりにも苞(はう)脱ぎすてて花となる紫の藤うつくしく忙(せは)し
  生きの力つくしたりけん花過ぎし椿、梅、桃みな静かなり
  物の味よろこぶ齢(よはひ)となりけるがたやすく足りて箸をさし置く
  営むは十六回忌ぞいや細る老の胸をば涙ぐますな
  もの言はぬ木草(きぐさ)と居(を)ればこころ足り老い痴(し)れし身を忘れし如き

  死期(しご)来なば先づ第一に親に謝し我はこの世を立ち去りぬべき
  真紅なる夕焼あらはれたちまちに消えて真暗き夜とはなりぬ
  君が葬儀われこそせめと常言ひし前田先行き我を泣かしむ
  知りたしと思ふ本能老の身に残りて失せずこころたのしき
  しきり散る軒のしら梅うつくしきものの終りは目を逸(そ)らさせぬ

  生命(いのち)とは我にかかはりなきものぞわが物にして我が物ならぬ
  かたはらに母いましける日のごとく心向くれば面かげのあり
  子が遺骨その国の土と化しゆくをソ連にいだく怒りは解けず
  死にし子の年を数ふる愚かさをしばしばもしぬ愚かなり親は
  子がためにわが建てし家古りて朽ち子は建て直すその子らのため

  老いて知る老のはかなさ自身(みづから)を省(かへりみ)ることも忘れたるらし

「去年の雪」(昭和42年)
  老いぬれば心のどかにあり得むと思ひたりけり誤りなりき
  オリンピック我が国にする開会式老の眼そぞろに濡るるものあり
  歌詠みて老の侘びしさ紛らすに紛れて長きわが命かも
  独語(ひとりごと)いふこころもて歌を詠む老いて友なし歌は友かも
  この病つひに我をば死なしむや気管支のなやみ四十年なる

  追憶をたのしむ時も過ぎ去りて老の進みにもの皆忘る
  漂泊(さすらひ)の信濃びとわれ東京のこの地に生きて世を終へむとす
  人口の過密は人を孤独とす独言(ひとりごと)めく年頭の賀詞
  老二人ひそかに生きて笑ふこと少かれども涙はあらず
  子を生まぬ妻にしあれば世の狭く他人(ひと)の上いふことを好まぬ

  人生は愛なりといふは言(こと)足らず愛あるによりて人類は在れ
  かりそめの感と思はず今日を在る我の命の頂点なるを
  老ふたり日々をひそかにする食事食べよ食べよと妻の勧むる
  二十年子に後(おく)れたる逆(さか)しまの長き嘆きも終りなむとす
  疾(はや)く寝るに如かずとおもふ老となり心冴えゆく深夜を忘る

  口と後(しり)世の常ならば何事もなからむものを小事にあらず
  寒つばき深紅に咲ける小(ち)さき花冬木の庭の瞳のごとき

「清明の節」(昭和41年)
  わが腰を支ふる老妻力尽き倒るるにつれてわが身も倒る
  かくて終るわれならずやとおもへども憎み難しもわが足腰は
  過去は忘れ未来は知らず永久の一瞬一瞬生きて息づく
  永久の我と宇宙と相対し二にして一の境にし生く
  命あるままに齢(よはひ)つもり凡愚われ九十を一つ超す身となりぬ

  生を厭ふ身となりたりと呟けば哀しき顔して妻もの言はず
  最終の息する時まで生きむかな生きたしと人は思ふべきなり
  たのしきもはた苦しきも過ぎぬれば夢にことならず無思惟に生きよ
  顔を刺すひかりを感じて目覚むれば枕元の梅みなひらきたり

「初期拾遺」
  とみ坂を南にをれて一本の古き榎や君が住む家
  しろ百合の花さく里を尋ね来て小木曾の谷にわらぢ埋めぬ
  さみしくもいとすがすがしき一つの言葉わが口を今はしり出づ「さらばなり君」
  あやまちて海に落としし珠にかも似て、美しき幻となる君が瞳は
  煩悩のこの醜さのにくむべきかな、あらずこの美しさをばたたふべきかな

  われらみな忘れ去るべしよし忘れずもいかにせんまた逢ふをりのありやあらずや
  明け暗(あけぐれ)の園に咲きたるしら百合に似て春の夜を、寝息しづかに妻は眠れり
  逃げ行かずや。またしてもかかる疑ひをもて、小さき鳥、かあゆき鳥よ、汝(な)れを見まもる

 ?i>'死よ、胸にひそむなる死よ、おそろしき死よ。孕(はら)'みては、うたはぬ歌と汝れは見え来る。


窪田空穂(くぼたうつぼ)
 明治10年(1877)和田村(現・松本市)生まれ。本名・通治。太田水穂に刺激を受け短歌を作り始めました。空穂の歌の特徴は内省的な心情の機微を捉えた作風にあります。早稲田大学の教授になって、歌人・国文学者として後輩の指導にもあたりました。昭和33年(1958)文化功労賞を受賞。昭和42年(1967)東京で数え年91歳の生涯を終えました。(松本市公式ホームページより)

『北原白秋歌集』を読みました。

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昨夜、高野公彦編『北原白秋歌集』を読み終えました。
君かへす朝の舗石さくさくと雪よ林檎の香のごとくふれ」(「桐の花」収録)は、人妻との恋愛を歌ったものですが、白秋はその女性の夫から姦通罪で訴えられます。結果的には免訴になりましたが、この事件の前後に詠んだ作品をみれば、白秋の精神的苦悩がよく分かります。
以下、一読して気になった歌を引用します。


「桐の花」(1913)
  かくまでも黒くかなしき色やあるわが思ふひとの春のまなざし
  美くしき「夜」の横顔を見るごとく遠き街見て心ひかれぬ
  にほやかにトロムボーンの音は鳴りぬ君と歩みしあとの思ひ出
  馬鈴薯の花咲き穂麦あからみぬあひびきのごと岡をのぼれば
  燕、燕、春のセエリーのいと赤きさくらんぼ啣(くは)え飛びさりにけり

  いつしかに春の名残となりにけり昆布干場(ほしば)のたんぽぽの花
  夏よ夏よ鳳仙花ちらし走りゆく人力車夫にしばしかがやけ
  あまつさへキヤベツかがやく畑遠く郵便脚夫疲れくる見ゆ
  夏の日はなつかしきかなこころよく梔子(くちなし)の花の汗もちてちる
  あかしやの花ふり落す月は来ぬ東京の雨わたくしの雨

  食堂の黄なる硝子をさしのぞく山羊の眼のごと秋はなつかし
  武蔵野のだんだん畑の唐辛子いまあかあかと刈り干しにけれ
  いと長き街のはづれの君が住む三丁目より冬は来にけむ
  君かへす朝の舗石(しきいし)さくさくと雪よ林檎の香のごとくふれ
  雪の夜の紅きゐろりにすり寄りつ人妻とわれと何とすべけむ

  沈丁の薄らあかりにたよりなく歯の痛むこそかなしかりけれ
  かりそめにおん身慕ふといふ時もよき俳優(わざをぎ)は涙ながしぬ
  春はもや静こころなし歇私的里(ヒステリー)の人妻の面(かほ)のさみしきがほど
  温かに洋傘(かさ)の尖(さき)もてうち散らす毛莨(きんぽうげ)こそ春はかなしき
  このおもひ人が見たらば蟇(ひき)となれ雨が降つたらへら鷺となれ

  ただひと目君を見しゆゑ三味線の絃(いと)よりほそく顫ひそめにし
  どくだみの花のにほひを思ふとき青みて迫る君がまなざし
  昨日君がありしところにいまは赤く鏡にうつり虞美人草(ひなげし)のさく
  君と見て一期(いちご)の別れする時もダリヤは紅しダリヤは紅し
  鳴きほれて逃ぐるすべさへ知らぬ鳥その鳥のごと捕へられにけり

  日もすがらひと日監獄(ひとや)の鳩ぽつぽぽつぽぽつぽと物おもはする
  監獄(ひとや)いでてじつと顫へて噛む林檎林檎さくさく身に染(し)みわたる
  十一月は冬の初めてきたるとき故国(くに)の朱欒(ザボン)の黄にみのるとき
  春くれば白く小さき足の指かはゆしと君を抱きけるかな

「雲母集(きららしゅう)」(1915)
  大空に何も無ければ入道雲むくりむくりと湧きにけるかも
  朝霧にかぎり知られぬみをつくしかぎりもしらぬ恋もするかな
  おめおめと生きながらへてくれなゐの山の椿に身を凭(よ)せにけり
  生きの身の吾が身いとしくもぎたての青豌豆の飯(いひ)たかせけり
  麫麵(パン)を買ひ紅薔薇の花もらひたり爽やかなるかも両手に持てば

  かき抱けば本望安堵の笑ひごゑ立てて目つぶるわが妻なれば
  明るけどあまり真白きかきつばたひと束にすれば何か暗かり
  海にゆかばこの寂しさも忘られむ海にゆかめとうちいでて来ぬ
  石崖に子ども七人腰かけて河豚を釣り居り夕焼小焼
  櫂おつとり舟に飛び下りむちやくちやに漕ぎまはる赤き赤き夕ぐれ

  日もすがら光り消えたりうねり波思ひ出したりまた忘れたり
  駿河なる不二の高嶺をふり仰ぎ大きなる網をさと拡げたり
  虔(つつ)ましきミレエが画(ゑ)に似る夕あかり種蒔人(たねまき)そろうて身をかがめたり
  ライ麦の畑といはず崖といはず落日(いりひ)いつぱいに滴(したた)る赤さ
  曼珠沙華の花あかあかと咲くところ牛と人とが田を鋤きてゐる

  風はしる目ざめし如くあかあかと椿一時に耀く紅く

「雀の卵」(1921)
  この妻は寂しけれども浅茅生(あさぢふ)の露けき朝は裾かかげけり
  枇杷の葉の葉縁(はべり)にむすぶ雨の玉の一つ一つ揺れて一つ一つ光る
  枇杷の葉の葉縁にゆるる雨の玉のあな落ちんとす光りて落ちたり
  この山はたださうさうと音すなり松に松の風椎に椎の風
  夏浅き月夜の野良の家いくつ洋燈(ランプ)つけたり馬鈴薯(じやがいも)の花

  昼ながら幽かに光る蛍一つ孟宗の藪を出でて消えたり
  太鼓一つとんとろと鳴れり炎天の遠(をち)ひた寂しかも青田見てゐて
  遠雷(とほいかづち)とどろけば白き蝶の鞠の耀きてくづれまた舞ひのぼる
  ながれ来て宙にとどまる赤蜻蛉(あかあきつ)唐黍の花の咲き揃ふうへを
  椰子の実の殻に活けたる茶の花のほのかに白き冬は来にけり

  刈小田に落穂搔き搔く雀いくつうしろ向けるは尻尾(しりを)上げて忙(せは)し
  巣をつくる二羽の雀がうしろ羽根かすかにそよぐ春立つらむか
  我やひとり離れ小嶋の椰子の木の月夜の葉ずれ夜もすがら聴く
  蟹を搗き蕃椒(たうがらし)擂(す)り筑紫びと酒のさかなに噛む夏は来ぬ
  夜祭の万燈の上にいよいよあがり大きなるかも今宵の月は

  何ごとも夢のごとくに過ぎにけり万燈の上の桃色の月
  麗(うら)らかに頭まろめて鳥のこゑきいてゐる、といふ心になりにけるかも
  茶の聖(ひじり)千の利休にあらねども煙のごとく消(け)なむとぞ思ふ

「観相の秋」(1922)※長歌・俳句・詩文のみで、短歌はなし。

「風隠集」(1944、没後刊行)
  みどり児が力こめたる掌(たなひら)に一つ手(た)にぎる小さきかやの実
  山川のみ冬の瀞(とろ)に影ひたす椿は厚し花ごもりつつ
  雪ふかしここの谿間(たにま)の湯の宿の湯気のこもりによくぬくもらむ
  朝ひらく黃のたんぽぽの露けさよ口寄する馬の叱られてゆきぬ
  わが宿の竹の林をのぞく子はつばきのあかき首環かけたり

  山寺の春も闌(た)けたり秋田蕗の大きなる葉に雨は音して
  この大地震(おほなゐ)避くる術なしひれ伏して揺りのまにまに任せてぞ居る
  萩すすき観つつ隣ればうらやすし今さらかはす言のすくなさ
  吾庭の梅雨(つゆ)の雨間の花どころ藜(あかざ)しげりて青がへる啼く

「海阪(うなさか)」(1949、没後刊行)
  月明き半島の夜を歩まむとし汐ふかき風をまづ吸ひにけり
  あれだあれだ城ヶ島のとつぱづれに燈台の灯(ひ)が青う点(つ)いてる
  ざるふりてすくふお前がうれしくておれは鰌になりにけるかも
  ひようとして寒き風来る山はなに上衣(うはぎ)いそぎ着けぬ氷沢かも
  七面鳥おほらかなるかな雌を追ふと広庭をまろく大きくまはる

  燕麦(えんばく)は今刈り了(を)へて真夏なり修道院にいたるいつぽんの道
  真夏日の光に聴けば遠どほし緬羊の声は人に似るなり
  夏、夏、夏、露西亜ざかひの黄の蕋の花じやがいもの大ぶりの雨
  日本のいやはての北の小学校水蝋樹(いぼた)蕾みて夏休みらし
  ワレライマヤコクキヤウニアリ、むらさきの花じやがいもの盛りに打電す

  まさしく津軽海峡に入りにけり早や見る青き草崖(くさがけ)のいろ

「白南風(しらはえ)」(1934)
  水うちて月の門辺(かどべ)となりにけり泡盛の甕に柄杓添へ置く
  秋の夜は前の書棚の素硝子に煙草火赤し我が映るなり
  霜いたり空は濃青(こあを)き夜の明けに筑波の山はくきやかに見つ
  半夏生(はんげしやう)早や近からし桐の葉に今朝ひびく雨を二階にて聴く
  しやしやと来て篠懸(すずかけ)の葉をひるがへす青水無月の雨ぞ此の雨

  日は暑しのぼり険しき坂なかば築石垣(つきいしがき)のこほろぎのこゑ
  硝子窻月に開きて坐りけりつくゑにうつる壺と筆の影
  しらしらと朝行く鷺の影見れば高くは飛ばず寒き水の田
  昼餉(ひるげ)には庭の芝生にぢかに坐りわが眼先(まなさき)のかきつばたの花
  たけ高きヒマラヤ杉の星月夜二階の窻に灯(ひ)のうごく見ゆ

  颱風の逸れつつしげきあふり雨白萩の花のしとど濡れたる
  赤松の木群(こむら)しづけきここの宮椎の若葉の時いたりけり
  白南風(しらはえ)の光葉(てりは)の野薔薇過ぎにけりかはづのこゑも田にしめりつつ
  唐辛子花咲く頃やほのぼのと炎天の畝に歪(ひず)む人かげ
  水の田に薄氷(うすひ)ただよふ春さきはひえびえとよし映る雲行

  この軍鶏の勢(きほ)へる見れば頸毛(くびげ)さへ逆羽(さかば)はららげり風に立つ軍鶏
  よく冷やして冷(ひ)やき麦酒はたたき走る驟雨のあとに一気に飲むべし
  ひらひらと風に吹かるる黄の揚羽蝶(あげは)立秋も今日は二日過ぎたり

「夢殿」(1939)
  母(おや)の国筑紫この土我が踏むと帰るたちまち早や童(わらべ)なり
  葉のとぢてほのくれなゐの合歓(ねむ)の花にほへる見れば幼な夕合歓
  水の街棹さし来れば夕雲や鳰の浮巣のささ啼きのこゑ
  爆竹の花火はぜちる柳かげ水のながれは行きてかへらず
  柳河、柳河、空ゆうち見れば走り出(づ)る子らが騒ぎの手のとるごとし

  風立てて我が家の空を過ぎにけるこのたまゆらよ機は揺れ揺れぬ
  翼のかげ支柱に映りしづかなる飛行はつづく夕火照(ほて)る海
  麦の秋夕かぐはしき山の手に観世音寺の講堂は見ゆ
  春寒き旅順の港見おろしてましぐらに駛(はし)る自動車今あり
  雲かとも山かとも思ふ地の駛朱(うるみ)蒙古は曠(ひろ)し日も落ちはてぬ

  樹の下(もと)に出で立つ女丹(をみなに)の頬(ほ)して陽(ひ)は豊かなる香(かぐ)はしき空
  菫咲く春は夢殿日おもてを石段(いしきだ)の目に乾く埴土(はにつち)
  すれすれに波の面(も)翔(かけ)るひと列(つら)はすべて首伸べぬ羽ばたく青鴨

「渓流唱」(1943、没後刊行)
  行く水の目にとどまらぬ青水沫(あをみなわ)鶺鴒の尾は触れにたりけり
  うすうすに見のほそりつつ落つる影浄蓮の滝もみ冬さびたる
  庭の木々影は幽(かす)けき午(ひる)過ぎて酒恋(こほ)しかも郭公徹る
  仙波沼水もぬるむか春早やも河童の子らは抜手切りそむ
  山川や青の水泡(みなわ)に棲む魚の山女(やまめ)はすがし眼も濡れにけり

  乏しくも足りてこそあれ山人はただにつかへむ山河(やまかは)にのみ
  暁、ただに一色(ひといろ)にましろなる霜の真実に我直面す
  朝山は風しげけれや夏鳥の百鳥(ももどり)のこゑの飛びみだれつつ

「橡(つるばみ)」(1943、没後刊行)
  銃殺の刑了りたりほとほとに言絶えにつつ夕飯(ゆふめし)を我は
  物の葉やあそぶ蜆蝶(しじみ)はすずしくてみなあはれなり風に逸(そ)れゆく
  ほのあかく花はけむりし庭の合歓(ねむ)風そよぐなり現(うつ)し実(み)の莢(さや)
  遅々として遊べる見れば鴨は鴨鷺は鷺としおのづ寄りにけり

「黒檜(くろひ)」(1940)
  照る月の冷(ひえ)さだかなるあかり戸に眼は凝らしつつ盲(し)ひてゆくなり
  目の盲ひて幽かに坐(ま)しし仏像(みすがた)に日なか風ありて触りつつありき
  ニコライ堂この夜(よ)揺りかへり鳴る鐘の大きあり小さきあり小さきあり大きあり
  暖房は後冷(あとびえ)きびし夜にさへや眼帯白くあてて寝むとす
  花かともおどろきて見しよく見ればしろき八つ手のかへし陽(び)にして

  雪降りてしづけかりとふ朝庭に春の時雨か音わたり来る
  つきて見む一二三四五六七八九(ひふみよいむなやここ)の十(とを)手もて数へてこれの手鞠を
  み眼は閉ぢておはししかなや面(おも)もちのなにか湛へて匂へる笑(ゑみ)を
  ひと度は相見まつりき縁(えにし)なり日光菩薩加護あらせたまへ
  端渓の硯の魚眼すがしくて立秋はいま水のごとあり

  ガソリン・コールター・材香(きが)・沈丁と感じ来て春繁しもよ暗夜(やみよ)行くなり
  触りよきは空(くう)にしだるる藤浪の下重(おも)りつつとどめたる房
  成城十九番地月まどかなる春夕(しゅんせき)の暮れつつはありて明(あか)りつつあり

「牡丹の木(ぼく)「黒檜」以後」(1943、没後刊行)
  内隠(うちこも)るふかき牡丹のありやうは花ちり方に観きとつたへよ
  雲くらき暁早くねざめして先声(せんじやう)の蝉に涙とまらず
  腕時計父のウオルサムと合はしゐて燈(ほ)かげ寒きにほつり母を言ふ
  帰らなむ筑紫母国(おやぐに)早や待つと今呼ぶ声の雲にこだます



北原白秋
 1885年、柳川藩御用達の海産物問屋を営む旧家に生まれ、1904年に早稲田大学に入学。学業の傍ら詩作に励み、1909年、処女詩集「邪宗門」を発表。2年後、詩集「思ひ出」を発表。名実ともに詩壇の第一人者となります。その後も、「東京景物詩」「桐の花」などに代表される詩歌集、「とんぼの目玉」、「赤い鳥」などの童謡集などさまざまな分野で次々と作品を発表。
 「雨ふり(雨雨フレフレ)」、「待ちぼうけ」、「からたちの花」・・・。
 聴いたら誰もが知っている、今なお、語り継がれる作品を数多く残しています。
 白秋の故郷柳川への思いは強く、30年ぶりに訪問した際には感激の涙を流し、また晩年に発表した、故郷柳川を舞台にした写真集「水の構図」では「水郷柳川は我詩歌の母体である」と述べています。
 1942年11月2日死去。享年57でした。(北原白秋記念館HPより、一部改編)

相田みつを『にんげんだもの』を買いました。

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今日、電通四季劇場[海](カレッタ汐留内)で、 劇団四季のミュージカル『ウィキッド』を見ました。歌や踊りが素晴らしいのは当たり前なので、僕が語るべきことは何もありません。それより僕には俳優たちの舞台に賭ける情熱のようなものが感じられて、そちらに強く感動を覚えました。

ミュージカルの開演時間前、東京国際フォーラム地下1階にある《相田みつを美術館》に行きました。相田みつをは詩人で書家だそうですが、詩に関しては「う~ん?」って感じです。詩と言うより、処世訓として受け取っていた方が多いんじゃないかと思います。でも、せっかくなので記念に彼の第一詩集『にんげんだもの』を買いました。

詩集『半夏生』を読みました。

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今日、知人からいただいた彼の第一詩集『半夏生』(1994)を読みました。この詩集は、茨城新聞の「茨城詩壇」に投稿し掲載された作品を中心に22編が収録されています。本人は「若かった」と言っていましたが、確かにそう思える部分もあります。でも、そういった部分も含めて心に響く詩が多いなと思いました。
以下、一読していいなと思った作品を引用します。


    林檎


    林檎の季節がきた
    ああこれぞ林檎というやつを
    飽きるほど食べてみたいと思う

    化物のように大きくて
    色が鮮やかならよいとでもいうのか
    まったく歯ごたえがなくて

    洋菓子も顔負けなほど
    ただ甘いきりの そんな
    林檎にうんざりしているのだ

    イングランドの とある果物屋の前
    山と積まれたとりどりの林檎を眺めていたら
    関取みたいなおっさん

    山のなかから ひとつ
    汚れたズボンでちょっと拭いて
    ――さあ試食しな

    おずおず受けとりかぶりつく
    ! 顎をもっていかれそうな固さ
    ? 味は言わずもがな

    虫食いなんて平気のへいざ
    尻のいびつがどうしたというの
    うっと眉をひそめる酸っぱさのあと

    遠慮勝ちに だが確実に甘さがおしよせてくる
    これぞ林檎 というやつに
    もういちどありつきたい





    トキ(二)


    わたしの名前は「ミドリ」と申します
    たった今悠久の大地中国から戻りました

    ご存知のようにトキ繁殖の望みを託され
    はるばる中国まで送られたのが二年前
    けれども期待にそえず帰国しました
    子供を持つには少しく歳をとりすぎて

    生涯見ることはなかっただろう
    中国大陸までゆけたことは
    老い先そう長くはないわたしにとって
    幸せといえば幸せなことでしたが

    このトキ色の翼でではなくて
    同じような羽をもつ飛行機で
    往復しなければならなかったことに
    内心歯がみし無念に思っています

    ともあれこの地でのわたしたちの「種」は
    永遠に絶えることが確実となりました
    それを思うとき深井戸をのぞきこむような
    はてない恐怖感におそわれます

    しかしもっと怖しいことがあります
    愛しいと思うことがあっても
    自分より他につぶやく相手がいないのです
    淋しいと鳴いてもわたしのことばを
    ききわけてくれる者がもう誰もいないのです





    夏―― 一九六〇年 ――


    森のように茂ったトウモロコシ畑の中から 父は這いずるようにし
    て出てきた 背中の籠から収穫したトウモロコシをぼろぼろこぼし
    ながら
    「楽でねえな――」

    夕ご飯のすんだ後 トンネルのように続く蒸し暑い夜の底で 母は
    毎晩盥(たらい)いっぱいの汚れ物の洗濯に追われた
    「楽でねえな――」

    「仕事 手伝え」という父の声と 「宿題すんだの」という母の声
    からかくれるように 少年は裏木戸から湖めざして駆けだした そ
    うして日がないちにち ヨシの間を分け入って鳰(にお)の巣を探
    して歩いた





    


    少年が行方不明になった
    半夏生が咲きはじめた湖で

    少年を呑みこんだ湖は捜索の小舟を浮かべ
    何事もなかったように凪いでいる

    まだ生きている――老人も子供も
    岸辺に佇んで沖の一点を見つめている

    ――早くあがってきて
    渚に座ったまま少年の母が叫ぶ

    しかし彼女は誰より冷静だった
    息子がとうに冷たくなって こと切れているのを知っている

    どれほど少年の臍に泥が積っただろう
    細い脚にどれほど石菖藻が絡まっただろう

    岸辺には半夏生がほの白く
    沖の小舟には灯がともり

    夏はようやく始まったばかりなのに
    村の夏は終ってしまったように沈んでいる

俵万智『プーさんの鼻』を読みました。

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今日、俵万智の第四歌集『プーさんの鼻』(05)を読みました。『チョコレート革命』(1997)以来、約8年ぶりの歌集で、子どもの歌が多いのが特徴です。
なお、作者は歌作りについて「あとがき」で次のように述べています。印象的な言葉なので引用しておきます。
「子どもの歌、恋の歌、家族の歌……。短歌は、私のなかから生まれるのではない、私と愛しい人とのあいだに生まれるのだ。三十代半ばから四十代はじめの作品を整理しながら、あらためてそう思った。愛しい人との出会いに感謝しつつ、三百四十四首を、本集のために選んだ。」
以下、一読して気になった歌を引用します。


「プーさんの鼻」
  熊のように眠れそうだよ母さんはおまえに会える次の春まで
  吾(あ)のなかに吾でなき我を浮かべおり薄むらさきに過ぎてゆく梅雨
  ぽんと腹をたたけばムニュと蹴りかえす なーに思っているんだか、夏
  読みやすく覚えやすくて感じよく平凡すぎず非凡すぎぬ名
  夕飯はカレイの煮つけ前ぶれを待ちつつ過ごす時のやさしさ

  バンザイの姿勢で眠りいる吾子よ そうだバンザイ生まれてバンザイ
  ふるえつつ天抱くしぐさ育児書はモロー反射と簡単に呼ぶ
  泣くという音楽がある みどりごをギターのように今日も抱えて
  ひざの上に子を眠らせて短篇を一つ読み切る今日のしあわせ
  唯一の存在という危うさを子と分かちあう冬空の下

  生きるとは手をのばすこと幼子(おさなご)の指がプーさんの鼻をつかめり
  いつまでも眠れぬ吾子よ花の咲く瞬間を待つほどの忍耐
  ついてってやれるのはその入り口まであとは一人でおやすみ坊や
  記憶には残らぬ今日を生きている子にふくませる一匙(ひとさじ)の粥
  母なればたくましきかな教え子は子をぶらさげて渋谷まで行く

  クロッカスの固き花芽の萌(きざ)すごとぽちりと吾子の前歯生え初(そ)む
  しがみつきながら体をかたむけて子は犬という生き物を見る

「アボカド」
  アボカドの固さをそっと確かめるように抱きしめられるキッチン
  撮影に「太陽待ち」という時間あり疑わず待つ人は光りを
  居酒屋の一つのハンガーにかけられた我のコートと君のオーバー
  さくら桜そして今日見るこのさくら三たびの春を我ら歩めり
  うしろから抱きしめられて眠る夜 君は翼か荷物か知らぬ

  一分をまとめて進む長針がひた、ひた、ひたと迫るさよなら
  三文小説に三文の値打ちあることを思いて人と別れゆくなり

「父の定年」
  第一も第二もなくて人生は続いてゆくよ昨日今日明日
  根拠なき自信に満ちて花を描く父は父らしく老いてゆくらし

「裸の空」
  笑うとき小さく宿る目の下の皺が好きだよ、笑わせたいよ
  二日酔いの君が苦しく横たわる隣で裸の空を見ていた

「時差」
  遠ざかる君のリュックを見ておりぬサヨナラ三角また来なくても
  六年とう月日の長さ短さを計りて計りきれぬ水際

「卵」
    処女(をとめ)にて身に深く持つ浄き卵(らん)秋の日吾の心熱くす  富小路禎子 
  ヒトでありメスであること「卵」という言葉選びし禎子を思う

「反歌・駅弁ファナティック」 ドリアン・T・助川の詩集『駅弁ファナティック』を長歌として
    青森駅
  もう少し生きてみようか駅弁は「漁師のごちそうたらの味噌焼き」
    上野駅
  きぬさやのこいのさやあてにんじんはたけのここいしいしいたけきらい
    水戸駅
  「印籠は国家権力の象徴だ」君の怒りの三段重ね
    和歌山駅
  愚かさは線を引くこと国と国、男と女、過去と現在
    大阪駅
  知っとるか、たこやきだけやあれへんでナウいヤングはドライカレーじゃ
    京都駅
  メニューには非菜食者のページあり「非」の方へ我は分類される
    吉野口駅
  くるまれる寿しよりもくるむ柿の葉の心いただく柿の葉寿しの

「白い帽子」
  白い帽子かぶって会いに来る人を季節のように受け入れている
  通り雨のような口づけ もっとちゃんと恋をしてからすればよかった
  言葉ではなくて事実を重ねゆくずるさを君と分かちあう春
  御破算で願いたいけどどうしてもゼロにならない男がいます
  比べつつ愛しはじめている我か靖国通りは今日も渋滞

  焼きとり屋で笑いつづけて二人して思い出せない映画の名前
  五分咲きの桜のようなだるさにて恋のはじめはいつも寝不足
  脣を離して「つづきは今度」ってこないかもしれないよ今度は
  不良債権のような男もおりまして時々過去からかかる呼び出し
  辛(から)い顔すっぱい顔が見たかったトム・ヤム・クンのクンはエビだよ

  サヨナラのキスのかわりに触れ合った指先が遠ざかる人ごみ

「鍋」
  吾と君のあいだで鍋が鍋だけがあたたかな湯気たてているなり
  これが最後の晩餐なのに長ネギが嫌いだなんて知らなかったよ
  さかのぼってあなたを否定するわけじゃないけど煮えすぎている白菜
  雑炊を食べきったなら何ごともなかったように終わりにしよう

「夏の子ども」
  みどりごと散歩をすれば人が木が光が話しかけてくるなり
  こんもりと尻あげたまま眠りいる吾子よ疲れた河童のように
  耳の穴こしょこしょ指で搔いてやる猿の母さんのような気持ちで
  夜泣きするおまえを抱けば私しかいないんだよと月に言われる

「つゆ草の青」
  たんぽぽの綿毛を吹いて見せてやるいつかおまえも飛んでゆくから
  祖母と母いさかう夜の食卓に子は近づかず一人遊びす

「もじょもじょぷつり」
  初めてのもじょもじょぷつり今朝吾子はエノコログサの感触を知る
  川べりの道に黄色く笑いおり季節はずれのたんぽぽ王子
  「かーかん」と呼んだ気がする昼下がりコスモスだけが頷いている
  叱られて泣いてわめいてふんばってそれでも母に子はしがみつく

「弟の結婚」
  「生まれたよ」と父親の声はずみつつ五月の朝に弟が来た
  初めてのデートは焼鳥屋と言えりきっと私と行ったあの店
  新郎と呼ばれて顔をあげている弟はずっとずっと弟
  ブーケトスおどけてキャッチする我の中で何かが泣きそうになる
  弟が彼女とタヒチへ旅立つ日読み返してる「月と六ペンス」

「メロン」
  祖父逝けり一人の妻と五人の子、九人の孫と二人のひ孫
  「これもいい思い出になる」という男それは未来の私が決める

「木馬の時間」
  外に出て歩きはじめた君に言う大事なものは手から放すな
  納豆は「なんのう」海苔は「のい」となり言葉の新芽すんすん伸びる
  理論武装してもいいけど理論では育てられないちびくろさんぼ
  悪気なき言葉にふいに刺されおり痛いと思うようじゃまだまだ
  揺れながら前へ進まず子育てはおまえがくれた木馬の時間

「月まで行って」
  着ぶくれて石拾う子よ人類は月まで行って拾ってきたよ
  リセットのできぬ命をはぐくめば確かに我は地球を愛す


『子規句集』を読みました。

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昨夜、高浜虚子選『子規句集』を読み終えました。
虚子の「序」に曰く、「原句は凡そ二万句足らずある中から見るものの便をはかって、二千三百六句を選んだ。選むところのものは私の見て佳句とするものの外、子規の生活、行動、好尚、その頃の時相を知るに足るもの幷(ならび)に或事によって記念すべき句等であった」。以下、一読して気になった句を引用します。

「寒山落木」巻一(明治18-25年)
    梅雨晴やところどころに蟻の道
    朝顔にわれ恙なきあした哉
    鶯や山をいづれば誕生寺
    山々は萌黄浅黄やほとゝぎす
    岩々のわれめわれめや山つゝじ

    涼しさや馬も海向く淡井阪(あわいざか)
    垣ごしや隣へくばる小鰺鮓(こあじずし)
    五月雨(さみだれ)や漁婦(たた)ぬれて行くかゝえ帯
    蠅憎し打つ気になればよりつかず
    なでしこにざうとこけたり竹釣瓶(たけつるべ)

    名月や彷彿としてつくば山
    我宿の名月芋の露にあり
    大空の真つたゞ中やけふの月
    名月や汐に追はるゝ磯伝ひ
    秋風の一日何を釣る人ぞ

    名月はどこでながめん草枕
    下駄箱の奥になきけりきりぎりす
    桐の木に葉もなき秋の半(なかば)かな
    雨風にますます赤し唐辛子
    さらさらと竹に音あり夜の雪

    炭二俵壁にもたせて冬ごもり
    薄(すすき)とも蘆(あし)ともつかず枯れにけり
    旅籠屋や山見る窓の釣干菜(つりほしな)

「寒山落木」巻二(明治26年)
    我庭に歌なき妹(いも)の茶摘哉
    行く春のもたれ心や床柱
    鶯の下に庭掃く男かな
    白魚や椀の中にも角田川(すみだがわ)
    すり鉢に薄紫の蜆(しじみ)かな

    面白や馬刀(まて)の居る穴居らぬ穴
    初旅や木瓜(ぼけ)もうれしき物の数
    一籠(ひとかご)の蜆にまじる根芹(ねぜり)哉
    春老てたんぽゝの花吹けば散る
    夕まぐれ馬叱る町のあつさ哉

    経の声はるかにすゞし杉木立
    すゞしさやあるじまつ間の肘枕
    蚊の声にらんぷの暗き宿屋哉
    梅の実の落て黄なるあり青きあり
    盆過の村静かなり猿廻し

    壁やれてともし火もるゝ夜寒哉
    滝の音のいろいろになる夜長哉
    暁のしづかに星の別れ哉
    風吹て廻り燈籠の浮世かな
    木の末に遠くの花火開きけり

    宿もなき旅の夜更けぬ天の川
    山の温泉(ゆ)や裸の上の天の川
    橋二つ三つ漕ぎ出でゝ月見哉
    一寸の草に影ありけふの月
    待宵や降ても晴ても面白き

    鯉はねて月のさゞ波つくりけり
    夕陽(せきよう)に馬洗ひけり秋の海
    白萩(しらはぎ)のしきりに露をこぼしけり

「寒山落木」巻三(明治27年)
    栴檀(せんだん)のほろほろ落る二月哉
    宮嶋や春の夕波うねり来る
    春の夜のともし火赤し金屏風
    珠数(じゅず)ひろふ人や彼岸の天王寺
    春風や木の間に赤き寺一つ

    其まゝに花を見た目を瞑(ふさ)がれぬ
    夜桜や大雪洞(ぼんぼり)の空うつり
    大風の俄(にわ)かに起る幟(のぼり)かな
    海原や夕立さわぐ蜑小舟(あまおぶね)
    夏山や雲湧いて石横(よこた)はる

    舟に寝て我にふりかゝる花火哉
    禅寺の門を出づれば星月夜
    赤蜻蛉(あかとんぼ)筑波に雲もなかりけり
    鳥啼いて赤き木の実をこぼしけり
    掛稲に螽(いなご)飛びつく夕日かな

    雞(にわとり)の親子引きあふ落穂かな
    稲舟(いなぶね)や野菊の渚蓼(たで)の岸
    冬の日の刈田のはてに暮れんとす
    冬木立五重の塔の聳えけり

「寒山落木」巻四(明治28年)
    燕(つばくろ)や酒蔵つゞく灘伊丹
    茶畑やところどころに梅の花
    六月を奇麗な風の吹くことよ
    昼中の白雲涼し中禅寺
    涼しさや石燈籠の穴も海

    風呂の隅に菖蒲かたよせる女哉
    蚊帳釣りて書読む人のともし哉
    暁や白帆過ぎ行く蚊帳の外
    清水(きよみず)の阪のぼり行く日傘かな
    御仏(みほとけ)も扉をあけて涼みかな

    夕立や砂に突き立つ青松葉
    夏山や万象青く橋赤し
    説教にけがれた耳を時鳥(ほととぎす)
    古池や翡翠(かわせみ)去って魚浮ぶ
    名も知らぬ大木多し蝉の声

    蝸牛(ででむし)や雨雲さそふ角(つの)のさき
    山越えて城下見おろす若葉哉
    柿の花土塀の上にこぼれけり
    弁天の石橋低し蓮の花
    叢(くさむら)に鬼灯(ほおずき)青き空家(あきや)かな

    秋立てば淋し立たねばあつくるし
    大仏の足もとに寐る夜寒哉
    長き夜の面白きかな水滸伝
    行く秋をしぐれかけたり法隆寺
    行く我にとゞまる汝(なれ)に秋二つ

    人かへる花火のあとの暗さ哉
    音もなし松の梢の遠花火
    名月や寺の二階の瓦頭口(がとうぐち)
    月暗し一筋白き海の上
    読みさして月が出るなり須磨の巻

    月の座や人さまざまの影法師
    般若寺の釣鐘細し秋の風
    社壇百級秋の空へと上る人
    那古寺の椽(えん)の下より秋の海
    道尽きて雲起りけり秋の山

    鹿聞いて淋しき奈良の宿屋哉
    我に落ちて淋しき桐の一葉(ひとは)かな
    木槿(むくげ)咲く塀や昔の武家屋敷
    渋柿やあら壁つゞく奈良の町
    柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺

    麓から寺まで萩の花五町
    道の辺や荊(いばら)がくれに野菊咲く
    藁葺(わらぶき)の法華の寺や雞頭花
    溝川を埋めて蓼(たで)のさかりかな
    子を負ふて女痩田(やせだ)の稲を刈る

    籾干すや雞(にわとり)遊ぶ門の内
    牛蒡(ごぼう)肥えて鎮守の祭近よりぬ
    谷あひや谷は掛稲(かけいね)山は柿
    漱石が来て虚子が来て大三十日(おおみそか)
    旅籠屋の我につれなき寒さ哉

    月影や外は十夜(じゅうや)の人通り
    煤払(すすはき)や神も仏も草の上
    千年の煤もはらはず仏だち
    冬ごもり金平本(きんぴらぼん)の二三冊
    無精さや蒲団の中で足袋をぬぐ

    うとましや世にながらへて冬の蠅
    我病みて冬の蠅にも劣りけり
    帰り咲く八重の桜や法隆寺
    古寺や大日如来水仙花

「寒山落木」巻五(明治29年)
    人に貸して我に傘なし春の雨
    燕(つばくろ)のうしろも向かぬ別れ哉
    夏毎に痩せ行く老(おい)の思ひかな
    ほろほろと雨吹きこむや青簾(あおすだれ)
    夏嵐机上の白紙飛び尽す

    五月雨やしとゞ濡れたる恋衣
    今日も亦君返さじとさみだるゝ
    いのちありて今年の秋も涙かな
    案山子(かがし)にも劣りし人の行へかな
    酒のあらたならんよりは蕎麦のあらたなれ

    北国の庇(ひさし)は長し天の川
    野分(のわき)の夜(よ)書読む心定まらず
    人にあひて恐しくなりぬ秋の山
    竹竿のさきに夕日の蜻蛉(とんぼ)かな
    渋柿は馬鹿の薬になるまいか

    何ともな芒(すすき)がもとの吾亦紅(われもこう)
    野の道や十夜戻りの小提灯
    年忘橙(だいだい)剝(む)いて酒酌(く)まん
    夕烏一羽おくれてしぐれけり
    棕櫚(しゅろ)の葉のばさりばさりとみぞれけり

    百菊(ももぎく)の同じ色にぞ枯れにける

「俳句稿」巻一(明治30-32年)
    山吹や小鮒入れたる桶に散る
    余命いくばくかある夜短し
    君を送りて思ふことあり蚊帳に泣く
    宵月や黍(きび)の葉がくれ行水す
    虫干やけふは俳書の家集の部

    絵の嶋や薫風(くんぷう)魚の新しき
    人寐(い)ねて蛍飛ぶ也蚊帳の中
    銀屛に燃ゆるが如き牡丹哉
    芋阪の団子屋寐たりけふの月
    書に倦(う)むや蜩(ひぐらし)鳴て飯遅し

    御仏に供へあまりの柿十五
    冬ざれの厨(くりや)に赤き蕪(かぶら)かな
    静かさに雪積りけり三四尺
    めでたさも一茶位や雑煮餅
    うたゝ寐に風引く春の夕哉

    山吹の花くふ馬を叱りけり
    水無月の山吹の花にたとふべし
    つゝじ多き田舎の寺や花御堂(はなみどう)
    祇園会や二階に顔のうづ高き
    滊車の窓に首出す人や瀬田の秋

    野分して片枝折れし松の月
    手に満つる蜆(しじみ)うれしや友を呼ぶ
    かたまりて黄なる花さく夏野哉
    雞頭の皆倒れたる野分哉
    画き習ふ秋海棠(しゆうかいどう)の絵具哉

「俳句稿」巻二・「俳句稿」以後(明治33-35年)
    初芝居見て来て曠著(はれぎ)いまだ脱がず
    湯に入るや湯満ちて菖蒲あふれこす
    鉢植の梅の実黄なり時鳥(ほととぎす)
    菓子赤く茶の花白き忌日(きにち)哉
    大三十日(おおみそか)愚なり元日猶愚也

    何も書かぬ赤短冊や春浅し
    寐牀(ねどこ)から見ゆる小庭の牡丹かな
    痩骨(やせぼね)をさする朝寒夜寒かな
    朝な朝な粥くふ冬となりにけり
    薬のむあとの蜜柑や寒の内

    君を呼ぶ内証話(ないしよばなし)や鮟鱇汁
    枯尽くす糸瓜(へちま)の棚の氷柱(つらら)哉
    下総の国の低さよ春の水
    花の宿くたびれ足を按摩哉
    夏野行く人や天狗の面を負ふ

    痰一斗糸瓜の水も間にあはず

『蕪村句集』を読みました。

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昨夜、『現代語訳付き 蕪村句集』を読み終えました。以下、一読して気になった句を引用します。
なお、次の2句(安永9年=1780年、65歳)が特に気に入ったので、現代語訳も付けておきます。
花に来て花にいねぶるいとまかな
 (訳)花見に来て、花の陰で居眠りする、やすらぎの時よ。
掴みとりて心の闇のほたる哉
 (訳)つかみとって、己が心の闇に気がついた。掌のなかの蛍よ。


◆元文5年(1740):25歳
    行年(ゆくとし)や芥流るゝさくら川

◆延享元年(1744):29歳
    古庭に鶯啼きぬ日もすがら

◆宝暦10年(1760):45歳
    秋かぜのうごかして行(ゆく)案山子哉

◆宝暦元年(1751)~宝暦7年(1757)以前:36-42歳以前
    夏河を越すうれしさよ手に草履

◆宝暦13年(1763)以前:48歳以前
    春の海終日(ひねもす)のたりのたりかな

◆明和3年(1766):51歳
    虫干や甥の僧訪(と)ふ東大寺

◆明和5年(1768):53歳
    象の眼の笑ひかけたり山桜
    狩ぎぬの袖の裏這ふほたろ哉
    手すさびの団(うちは)画(ゑがか)ん草の汁
    鮒鮓(ふなずし)の便りも遠き夏野哉
    温泉(ゆ)の底に我足見ゆる今朝の秋

    錦(にしき)する秋の野末の案山子哉
    うき人に手をうたれたるきぬた哉
    かじか煮る宿に泊りつ後の月
    磯ちどり足をぬらして遊びけり
    寒月や門をたゝけば沓(くつ)の音

    宿かさぬ灯影(ほかげ)や雪の家つづき
    極楽のちか道いくつ寒念仏

◆明和6年(1769):54歳
    難波女(なにはめ)や京を寒がる御忌詣(ぎよきまうで)
    苗代や鞍馬のさくら散にけり
    菜の花や和泉河内へ小商(こあきなひ)
    牡丹散て打かさなりぬ二三片
    蚊屋の内にほたるはなしてアヽ楽や

    薬園に雨ふる五月五日かな
    夕顔や行燈(あんど)さげたる君は誰
    凩(こがらし)や碑(いしぶみ)をよむ僧一人
    冬ごもり妻にも子にもかくれん坊(ぼ)

◆明和7年(1770):55歳
    熊谷も夕日まばゆき雲雀哉
    十六夜(いざよひ)の落るところや須磨の波

◆明和8年(1771):56歳
    鶯の麁相(そさう)がましき初音かな
    行雲を見つゝ居直る蛙哉
    喰ふて寝て牛にならばや桃の花
    明やすき夜や稲妻の鞘走り
    暑き日の刀にかゆる扇哉

    貧乏に追つかれけりけさの秋
    みのむしのぶらと世にふる時雨哉

◆安永元年(1772):57歳
    日の光今朝や鰯のかしらより

◆安永2年(1773):58歳
    若竹や夕日の嵯峨と成にけり
    うき草を吹あつめてや花むしろ
    かなしさや釣の糸ふく秋の風
    茸狩(たけがり)や頭(かうべ)を挙(あぐ)れば峰の月
    いざ雪見容(カタチヅクリ)す蓑と笠

◆安永3年(1774):59歳
    花の春誰(た)ソやさくらの春と呼(よぶ)
    我宿のうぐひす聞む野に出て
    なの花や月は東に日は西に
    ゆく春やおもたき琵琶の抱心(だきごころ)
    寂(せき)として客の絶間のぼたん哉

    夕風や水青鷺の脛(はぎ)をうつ
    花いばら故郷の路に似たるかな
    夜水(よみづ)とる里人の声や夏の月
    狐火の燃つく斗(ばかり)枯尾花

◆安永4年(1775):60歳
    御忌(ぎよき)の鐘ひゞくや谷の氷まで
    剛力は徒(ただ)に見過ぬ山ざくら
    海棠や白粉(おしろい)に紅をあやまてる
    猪の露折かけておみなへし
    居眠(いねぶ)りて我にかくれん冬ごもり

◆安永5年(1776):61歳
    みの虫の古巣に添ふて梅二輪
    なつかしき津守の里や田にしあへ
    折釘に烏帽子かけたり春の宿
    さし汐に雨のほそ江のほたる哉
    夏山や通ひなれたる若狭人(わかさびと)

    夕立や草葉をつかむ村雀
    椎の花人もすさめぬ匂かな
    秋風や干魚(ひうを)かけたる浜庇(はまびさし)
    盗人の首領哥(うた)よむけふの月
    中々にひとりあればぞ月を友

    紀の路にもおりず夜を行(ゆく)雁(かり)ひとつ
    起て居てもう寝たと云(いふ)夜寒哉
    黒谷の隣はしろしそばの花
    我を慕ふ女やはある秋のくれ
    さびしさのうれしくも有(あり)秋のくれ    

    暮まだき星のかゝやくかれの哉

◆安永6年(1777):62歳
    梅遠近(をちこち)南すべく北すべく
    やぶ入や浪花を出(いで)て長柄川(ながらがわ)
    春風や堤長うして家遠し
    たんぽゝ花咲り三々五々五々は黄に
    月光西にわたれば花影東に歩むかな

    おちこちに滝の音聞く若葉かな
    こもり居て雨うたがふや蝸牛(かたつぶり)
    渋柿の花ちる里と成にけり
    金屏のかくやくとして牡丹哉
    鮒ずしや彦根の城に雲かゝる

    酒を煮る家の女房ちよとほれた
    芍薬に紙魚(しみ)うち払ふ窓の前
    小田原で合羽(かつぱ)買たり五月雨(さつきあめ)
    涼しさや鐘をはなるゝかねの声
    掛香(かけがう)をきのふわすれぬ妹(いも)がもと

    百日紅(さるすべり)やゝちりがての小町寺
    端居(はしゐ)して妻子を避(さく)る暑(あつさ)かな
    恋さまさま願(ねがひ)の糸も白きより
    八朔もとかく過行(すぎゆく)おどり哉
    松明(まつ)消(きえ)て海少し見(みゆ)る花野かな

    追風に薄(すすき)刈とる翁かな
    花火せよ淀の御茶屋の夕月夜(ゆふづくよ)
    三径(さんけい)の十歩に尽て蓼の花
    瀬田降て志賀の夕日や江鮭(あめのうを)
    十六夜あくじら来(き)そめし熊野浦

    まんじゆさげ蘭に類(たぐ)ひて狐啼(なく)
    手燭して色失へる黄菊かな
    こがらしや鐘に小石を吹当(あて)る
    水仙や寒き都のこゝかしこ

◆安永7年(1778):63歳
    菜の花や鯨もよらず海くれぬ
    ゆく春や白き花見ゆ垣のひま

◆安永8年(1779):64歳
    順礼の宿とる軒や猫の恋
    関守の火鉢小さき余寒哉
    莟(つぼみ)とはなれもしらずよ蕗の薹
    暁のあられ打ゆく椿哉
    大和路の宮もわら屋もつばめ哉

    大津絵に糞(ふん)落しゆく燕かな
    山に添ふて小舟漕行(こぎゆく)若ばかな
    虹を吐(はい)てひらかんとする牡丹哉
    洟(はな)たれて独(ひとり)碁をうつ夜寒かな

◆安永9年(1780):65歳
    妹が垣根さみせん草の花咲ぬ
    春雨やゆるい下駄借(か)す奈良の宿
    花に来て花にいねぶるいとまかな
    傾城(けいせい)はのちの世かけて花見かな
    誰(たが)ための低きまくらぞ春の暮

    きのふ暮けふ又くれてゆく春や
    掴みとりて心の闇のほたる哉
    家にあらで鶯きかぬひと日哉
    すみずみにのこる寒さやうめの花

◆天明元年(1781):66歳
    春水(しゆんすい)や四条五条の橋の下
    菜の花やみな出はらひし矢走舟(やばせぶね)
    日くるゝに雉子うつ春の山辺哉
    うたゝ寝のさむれば春の日くれたり

◆天明2年(1782):67歳
    今朝きつる鶯と見しに啼かで去(さる)
    春雨やものがたりゆく蓑と傘
    旅人の鼻まだ寒し初ざくら
    ゆく春や逡巡として遅ざくら
    後の月鴫(しぎ)たつあとの水の中

    淋し身に杖わすれたり秋の暮

◆天明3年(1783):68歳
    山吹や井手を流るゝ鉋屑(かんなくず)

◆年次不詳 安政7年~天明3年(1778-1783):63-68歳
    曙のむらさきの幕や春の風

◆年次不詳 年次推定の上限・下限が特定できないもの
    水深く利鎌(ときかま)鳴らす真菰刈(まこもがり)
    秋の燈(ひ)やゆかしき奈良の道具市



与謝蕪村
 1716-83年。江戸時代中期の俳人・画人。摂津国東成郡毛馬村に生まれ、若き日に江戸へ下向、以後関東・東北地方を遊歴して、画と俳諧を修業。36歳で帰阪して、丹後・四国地方を画家として歴訪、京都に定住した。55歳で夜半亭を継いで宗匠立机。俳句と画が映発し合い交響する「はいかい物之草画」(俳画)を創成する。(ブックカバーより)

『一茶俳句集』を読みました。

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昨夜、『新訂 一茶俳句集』を読み終えました。以下、一読して気になった句を引用します。


◆寛政期
    時鳥(ほととぎす)我身ばかりに降雨か
    外は雪内は煤(すす)ふる栖(すみか)かな
    雲に鳥人間海にあそぶ日ぞ
    更衣(ころもがへ)しばししらみを忘れたり
    秋の夜や旅の男の針仕事

    咬牙(はがみ)する人に目覚て夜寒哉
    思ふ人の側(そば)へ割込む巨燵(こたつ)哉
    初夢に古郷(ふるさと)を見て涙哉
    夏の暁(あけ)や牛に寐てゆく秣刈(まぐさかり)
    蛙(かはづ)鳴き鷄(とり)なき東しらみけり

    衣がへ替ても旅のしらみ哉
    義仲寺(ぎちゆうじ)へいそぎ候はつしぐれ
    忘れ旅をわするゝ夜も哉(がな)
    正月の子供に成(なり)て見たき哉
    もたいなや昼寝して聞(きく)田うへ唄

    満月に隣もかやを出たりけり
    ほたるよぶよこ顔過(よぎ)るほたる哉
    今さらに別(わかれ)ともなし春がすみ
    夏の雲朝からだるう見えにけり

◆享和期
    足元へいつ来りしよ蝸牛(かたつぶり)
    我(わが)星はどこに旅寐(たびね)や天の川
    年已(すで)に暮んとす也旅の空

◆文化前期
    春立(たつ)や見古したれど筑波山
    通り抜(ぬけ)ゆるす寺也春のてふ
    こつこつと人行過(ゆきすぎ)て花のちる
    福蟾(ふくびき=ヒキガエル)ものさばり出たり桃花(もものはな)
    旅人にすれし家鴨(あひる)や杜若(かきつばた)

    淋しさに蠣殻(かきがら)ふみぬ花卯木(うつぎ)
    冷し瓜二日たてども誰も来(こ)ぬ
    我星は上総の空をうろつくか
    うろたへな寒くなる迚(とて)赤蜻蛉(とんぼ)
    寝る外(ほか)に分別はなし花木槿(むくげ)

    わが春やタドン一ツに小菜(こな)一把
    三ケ月や田螺(たにし)をさぐる腕の先
    艸蔭(くさかげ)にぶつくさぬかす蛙哉
    朝やけがよろこばしいか蝸牛(かたつぶり)
    すき腹に風の吹(ふき)けり雲の峰

    舟引(ふなひき)の足にからまる螢哉
    酒冷すちよろちよろ川の槿(むくげ)哉
    木つゝきの死ネトテ敲(たた)く柱哉
    年よりや月を見るにもナムアミダ
    ひやうひやうと瓢(ひさご)の風も九月哉

    宵(よひ)々に見べりもするか炭俵
    人寄せぬ桜咲けり城の山
    陽炎(かげろふ)や寝たい程寝し昼の鐘
    時鳥(ほととぎす)火宅の人を笑(わらふ)らん
    ほちやほちやと藪蕣(やぶあさがほ)の咲にけり

    風吹(ふい)てそれから鴈(かり)の鳴にけり
    又人にかけ抜(ぬか)れけり秋の暮
    うしろから秋風吹(ふく)やもどり足
    梅干と皺(しわ)くらべせんはつ時雨(しぐれ)
    鰒(ふぐ)提(さげ)てむさしの行(ゆく)や赤合羽

    夕燕我には翌(あす)のあてはなき
    たまに来る古郷(こきやう)の月は曇りけり
    そば所と人はいふ也赤蜻蛉(とんぼ)
    行(ゆく)雲やかへらぬ秋を蝉の鳴(なく)
    越(こえ)て来た山の木(こ)がらし聞(きく)夜哉

    梅咲くやあはれことしももらひ餅
    雛祭り娘が桐も伸にけり
    いざゝらば死(しに)ゲイコせん花の陰
    うぐひすもうかれ鳴(なき)する茶つみ哉
    蠅打(はえうち)に敲かれ玉ふ仏哉

    秋立(たつ)や雨ふり花のけろけろと
    畠打(はたうち)の顔から暮るゝつくば山
    宵(よひ)祭大夕立(おほゆふだち)の過(すぎ)にけり

◆文化後期
    門々(かどかど)の下駄の泥より春立(たち)ぬ
    蝶とんで我身も塵(ちり)のたぐひ哉
    雪どけをはやして行や外郎売(うゐろうり)
    雪とけてクリクリしたる月よ哉
    ちる花や已(すで)におのれも下り坂

    花さくや欲のうき世の片隅に
    よるとしや桜のさくも小うるさき
    死支度(しにじたく)致せ致せと桜哉
    空豆の花に追(おは)れて更衣(ころもがへ)
    艸(くさ)そよそよ簾(すだれ)のそよりそより哉

    枯々(かれかれ)の野辺に恋する螽(いなご)哉
    行(ゆく)としや空の名残を守谷迄
    我(わが)春も上々吉(きち)よ梅の花
    初空へさし出す獅子の首(かしら)哉
    象潟(きさがた)や桜を浴(あび)てなく蛙(かはづ)

    春雨に大欠伸(おほあくび)する美人哉
    家根(やね)をはく人の立(たち)けり夕桜
    山吹をさし出し㒵(がほ)の垣ね哉
    蛼(こほろぎ)が㒵こそぐつて通りけり
    石仏(いしぼとけ)誰(たれ)が持たせし艸の花

    うつくしや雲雀の鳴(なき)し迹(あと)の空
    なく蛙溝のなの花咲(さき)にけり
    ついそこの二文(にもん)渡しや春の月
    夕立やけろりと立し女郎花(をみなへし)
    鹿の子の迹(あと)から奈良の烏哉

    よしきりや空の小隅(こすみ)のつくば山
    秋風やのらくら者のうしろ吹(ふく)
    そば時や月のしなのゝ善光寺
    鶏頭のつくねんとして時雨哉
    是(これ)がまあつひの栖(すみか)か雪五尺

    納豆の糸引張(ひつぱつ)て遊びけり
    かくれ家(や)や歯のない口で福は内
    かすむやら目が霞(かすむ)やらことしから
    春雨や喰(くは)れ残りの鴨が鳴(なく)
    手枕や蝶は毎日来てくれる

    泣(なく)な子供赤いかすみがなくなるぞ
    かしましや江戸見た厂(かり)の帰り様(やう)
    柳からもゝんぐわとて出る子哉
    春風に尻を吹(ふか)るゝ屋根屋哉
    寝るてふにかしておくぞよ膝がしら

    赤犬の欠伸(あくび)の先やかきつばた
    大の字に寝て涼しさよ淋しさよ
    旅人や山に腰かけて心太(ところてん)
    とうふ屋が来る昼㒵(ひるがほ)が咲にけり
    うつくしやしやうじの穴の天の川

    あの月をとつてくれろと泣子哉
    人のためしぐれておはす仏哉
    長き夜や心の鬼が身を責(せめ)る
    冬枯や垣にゆひ込(こむ)つくば山
    炭舟や筑波おろしを天窓(あたま)から

    喰(くう)て寝てことしも今(こ)よひ一夜哉
    雪とけて村一ぱいの子ども哉
    正月や辻の仏も赤頭巾
    有様(ありやう)は我も花より団子哉
    我と来て遊ぶや親のない雀

    五月雨にざくざく歩く烏哉
    あら寒(さむ)や大蕣(あさがほ)のとぼけ咲(ざき)
    桐の木やてきぱき散(ちつ)てつんと立(たつ)
    へら鷺や水が冷たい歩き様(やう)
    青空に指で字をかく秋の暮

    独身(ひとりみ)や上野歩行(あるい)てとし忘(わすれ)
    大根引(だいこひき)大根で道を教へけり
    我上(わがうへ)にやがて咲(さく)らん苔(こけ)の花
    笋(たけのこ)のウンプテンプの出所(でどこ)哉
    早乙女の尻につかへる筑波哉

    堂守(だうも)りが茶菓子売(うる)也木下闇(こしたやみ)
    魚どもは桶としらでや夕涼
    留守にするぞ恋して遊べ菴(いほ)の蠅
    蛼(こほろぎ)のふいと乗けり茄子(なすび)馬
    秋風の一もくさんに来る家(や)哉

    夕月や涼(すずみ)がてらの墓参(まゐり)
    夜神楽や焚火(たきび)の中へちる紅葉(もみぢ)
    鴈(かり)よ厂(かり)いくつのとしから旅をした
    凧(たこ)抱(だい)たなりですやすや寝たりけり
    蕗の葉に煮〆(にしめ)配りて山桜

    なの花の中を浅間のけぶり哉
    痩蛙(やせがへる)まけるな一茶是(これ)に有(あり)
    瓜西瓜(うりすいくわ)ねんねんころりころり哉
    スリコ木で蠅を追(おひ)けりとろゝ汁
    夏の虫恋する隙(ひま)はありにけり

    夜咄(ばなし)のあいそにちよいと蚊やり哉
    寝返りをするぞそこのけ蛬(きりぎりす)
    春雨や藪に吹(ふか)るゝ捨(すて)手紙
    寝て起(おき)て大欠伸(おほあくび)して猫の恋
    大の字に寝て見たりけり雲の峰

    さくさくと氷カミツル茶漬哉
    木がらしや木葉(このは)にくるむ塩肴(ざかな)

◆文政前期
    古郷はかすんで雪の降りにけり
    どんど焼どんどゝ雪の降りにけり
    つくばねの下ル際(きは)也三ケの月
    山の湯やだぶりだぶりと日の長き
    梅どこか二月の雪の二三尺

    傘さして箱根越(こす)也春の雨
    人に花大からくりのうき世哉
    山焼の明りに下る夜舟哉
    うす墨を流した空や時鳥(ほととぎす)
    わか葉して男日でりの在所哉

    木曾山に流入(ながれいり)けり天の川
    這へ笑へ二ツになるぞけさからは
    梅咲(さく)やしやうじに猫の影法師
    目出度さもちう位也おらが春
    土蔵からすぢかひにさすはつ日哉

    雀の子そこのけそこのけ御馬が通る
    御仏(みほとけ)や寝てござつても花と銭
    時鳥なけや頭痛の抜(ぬけ)る程
    蟬なくやつくづく赤い風車
    迯(にげ)て来てため息つくかはつ蛍

    松のセミどこ迄鳴(ない)て昼になる
    木啄(きつつき)もやめて聞(きく)かよ夕木魚
    子を負(おう)て川越す旅や一(ひと)しぐれ
    蟷螂(たうらう)や五分の魂見よ見よと
    秋風やむしりたがりし赤い花

    木(こ)がらしや廿四文の遊女小屋
    雪ちるやおどけも云へぬ信濃空
    蛬(きりぎりす)身を売(うら)れても鳴(なき)にけり
    蚊屋つりて喰(くひ)に出る也夕茶漬
    歩(あるき)ながらに傘(からかさ)ほせばほとゝぎす

    山道の案内顔や虻(あぶ)がとぶ
    遠山が目玉にうつるとんぼ哉
    鬼灯(ほほづき)の口つきを姉が指南哉
    猫の子のくるくる舞やちる木のは
    大寒(おほさむ)と云(いふ)顔もあり雛(ひひな)たち

    田楽のみそにくつゝく桜哉
    京辺(みやこべ)や人がひと見て夕すゞみ
    やれ打(うつ)な蠅が手をすり足をする
    家なしがへらず口きく涼み哉
    朝顔や吹(ふき)倒されたなりでさく

    汁の実の足しに咲けりきくの花

◆文政後期
    歩行(あるき)よい程に風吹く日永(ひなが)哉
    ふらんど(=ぶらんこ)や桜の花をもちながら
    暑き日や火の見櫓(やぐら)の人の㒵(かほ)
    来る人が道つける也門(かど)の雪
    朝㒵(あさがほ)に涼しくくふやひとり飯(めし)

    薄壁や月もろともに寒が入(いる)
    木の陰や蝶と休むも他生(たしやう)の縁
    山寺は碁の秋里は麦の秋
    鰹一本に長家(ながや)のさわぎ哉
    朝㒵やうしろは市のやんざ声(=かけ声)

    秋立(たつ)といふばかりでも足かろし
    挑灯(てうちん)の灯(ひ)貰ひに出る夜永(よなが)哉
    送り火や今に我等もあの通り
    青空のきれい過たる夜寒哉
    田から田へ真一文字や十夜道

◆年次不詳

    名月や仏のやうに膝をくみ
    ばせを忌(=芭蕉忌)やことしもまめで旅虱(たびじらみ)
    留主札(るすふだ)もそれなりにして冬籠(ふゆごもり)



小林一茶
 1763(宝暦13)年、長野県の北部、北国街道柏原宿(現信濃町)の農家に生まれ、本名を弥太郎といいました。3歳のとき母がなくなり、8歳で新しい母をむかえました。働き者の義母になじめなった一茶は、15歳の春、江戸に奉公に出されました。奉公先を点々とかえながら、20歳を過ぎたころには、俳句の道をめざすようになりました。
 一茶は、葛飾派三世の溝口素丸、二六庵小林竹阿、今日庵森田元夢らに師事して俳句を学びました。初め、い橋・菊明・亜堂ともなのりましたが、一茶の俳号を用いるようになりました。
 29歳で、14年ぶりにふるさとに帰った一茶は、後に「寛政三年紀行」を書きました。30歳から36歳まで、関西・四国・九州の俳句修行の旅に明け暮れ、ここで知り合った俳人と交流した作品は、句集「たびしうゐ」「さらば笠」として出版しました。 
 一茶は、39歳のときふるさとに帰って父の看病をしました。父は、一茶と弟で田畑・家屋敷を半分ずつ分けるようにと遺言を残して、1か月ほどで亡くなってしまいました。このときの様子が、「父の終焉日記」にまとめられています。この後、一茶がふるさとに永住するまで、10年以上にわたって、継母・弟との財産争いが続きました。
 一茶は、江戸蔵前の札差夏目成美の句会に入って指導をうける一方、房総の知人・門人を訪ねて俳句を指導し、生計をたてました。貧乏と隣り合わせのくらしでしたが、俳人としての一茶の評価は高まっていきました。
 50歳の冬、一茶はふるさとに帰りました。借家住まいをして遺産交渉を重ね、翌年ようやく和解しました。52歳で、28歳のきくを妻に迎え、長男千太郎、長女さと、次男石太郎、三男金三郎と、次々に子どもが生まれましたが、いずれも幼くして亡くなり、妻きくも37歳の若さで亡くなってしまいました。一茶はひとりぽっちになりましたが、再々婚し、一茶の没後、妻やをとの間に次女やたが生まれました。
 家庭的にはめぐまれませんでしたが、北信濃の門人を訪ねて、俳句指導や出版活動を行い、句日記「七番日記」「八番日記」「文政句帖」、句文集「おらが春」などをあらわし、2万句にもおよぶ俳句を残しています。
 1827(文政10)年閏6月1日、柏原宿の大半を焼く大火に遭遇し、母屋を失った一茶は、焼け残りの土蔵に移り住みました。この年の11月19日、65歳の生涯をとじました。(一茶記念館HPより)

『中原中也詩集』を読みました。

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今日、大岡昇平編『中原中也詩集』読み終えました。以下、気に入った詩をいくつか引用します。

◆『山羊の歌』より

    サーカス

    幾時代かがありまして
      茶色い戦争ありました

    幾時代かがありまして
      冬は疾風吹きました

    幾時代かがありまして
      今夜此処での一と殷盛り(ひとさかり)
        今夜此処での一と殷盛り

    サーカス小屋は高い梁
      そこに一つのブランコだ
    見えるともないブランコだ

    頭倒(さか)さに手を垂れて
      汚れ木綿の屋蓋(やね)のもと
    ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

    それの近くの白い灯が
      安値(やす)いリボンと息を吐き

    観客様はみな鰯
      咽喉(のんど)が鳴ります牡蠣殻と
    ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

         屋外(やぐわい)は真ッ闇(くら) 闇の闇
         夜は却々(こふこふ)と更けまする
         落下傘奴(らくかがさめ)のノスタルヂアと
         ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん



    汚れつちまつた悲しみに‥‥‥

    汚れつちまつた悲しみに
    今日も小雪の降りかかる
    汚れつちまつた悲しみに
    今日も風さへ吹きすぎる

    汚れつちまつた悲しみは
    たとへば狐の革裘(かはごろも)
    汚れつちまつた悲しみは
    小雪のかかつてちぢこまる

    汚れつちまつた悲しみは
    なにのぞむなくねがふなく
    汚れつちまつた悲しみは
    倦怠(けだい)のうちに死を夢む

    汚れつちまつた悲しみに
    いたいたしくも怖気(おぢけ)づき
    汚れつちまつた悲しみに
    なすところもなく日は暮れる‥‥‥



    いのちの声

          もろもろの業(わざ)、太陽のもとにては蒼ざめたるかな。
                                     ――ソロモン

    僕はもうバッハにもモツアルトにも倦果てた。
    あの幸福な、お調子者のヂャズにもすつかり倦果てた。
    僕は雨上りの曇つた空の下の鉄橋のやうに生きてゐる。
    僕に押寄せてゐるものは、何時でもそれは寂漠だ。

    僕はその寂漠の中にすつかり沈静してゐるわけでもない。
    僕は何かを求めてゐる、絶えず何かを求めてゐる。
    恐ろしく不動の形の中にだが、また恐ろしく憔(じ)れてゐる。
    そのためにははや、食慾も性慾もあつてなきが如くでさへある。

    しかし、それが何かは分らない、つひぞ分つたためしはない。
    それが二つあるとは思へない、ただ一つであるとは思ふ。
    しかしそれが何かは分らない、つひぞ分つたためしはない。
    それに行き著く一か八かの方途さへ、悉皆(すつかり)分つたためしはない。

    時に自分を揶揄(からか)ふやうに、僕は自分に訊(き)いてみるのだ。
    それは女か? 甘(うま)いものか? それは栄誉か?
    すると心は叫ぶのだ、あれでもない、これでもない、あれでもないこれでもない!
    それでは空の歌、朝、高空に、鳴響く空の歌とでもいふのであらうか?

        

    否何(いず)れとさへそれはいふことの出来ぬもの!
    手短かに、時に説明したくなるとはいふものの、
    説明なぞ出来ぬものでこそあれ、我が生は生くるに値ひするものと信ずる
    それよ現実! 汚れなき幸福! あらはるものはあらはるまゝによいといふこと!

    人は皆、知ると知らぬに拘(かかは)らず、そのことを希望してをり、
    勝敗に心覚(さと)き程は知るによしないものであれ、
    それは誰も知る、放心の快感に似て、誰もが望み
    誰もがこの世にある限り、完全には望み得ないもの!

    併し幸福といふものが、このやうに無私の境のものであり、
    かの慧敏(けいびん)なる商人の、称して阿呆といふでもあらう底のものとすれば、
    めしをくはねば生きてゆかれぬ現身(うつしみ)の世は、
    不公平なものであるよといはねばならぬ。

    だが、それが此の世といふものなんで、
    其処(そこ)に我等は生きてをり、それは任意の不公平ではなく、
    それに因(よつ)て我等自身も構成されたる原理であれば、
    然らば、この世に極端はないとて、一先づ休心するもよからう。

        

    されば要は、熱情の問題である。
    汝、心の底より立腹せば
    怒れよ!

    さあれ、怒ることこそ
    汝(な)が最後なる目標の前にであれ、
    この言(こと)ゆめゆめおろそかにする勿(なか)れ。

    そは、熱情はひととき持続し、やがて熄(や)むなるに、
    その社会的効果は存続し、
    汝(な)が次なる行為への転調の障(さまた)げとなるなれば。

        

    ゆふがた、空の下で、身一点に感じられれば、万事に於て文句はないのだ。


◆『在りし日の歌』より

    頑是ない歌

    思へば遠く来たもんだ
    十二の冬のあの夕べ
    港の空に鳴り響いた
    汽笛の湯気は今いづこ

    雲の間に月はゐて
    それな汽笛を耳にすると
    竦然(しようぜん)として身をすくめ
    月はその時空にゐた

    それから何年経つたことか
    汽笛の湯気を茫然と
    眼で追ひかなしくなつてゐた
    あの頃の俺はいまいづこ

    今では女房子供持ち
    思へば遠く来たもんだ
    此の先まだまだ何時までか
    生きてゆくのであらうけど

    生きてゆくのであらうけど
    遠く経て来た日や夜(よる)の
    あんまりこんなにこひしゆては
    なんだか自信が持てないよ

    さりとて生きてゆく限り
    結局我(が)ン張(ば)る僕の性質(さが)
    と思へばなんだか我ながら
    いたはしいよなものですよ

    考へてみればそれはまあ
    結局我ン張るのだとして
    昔恋しい時もあり そして
    どうにかやつてはゆくのでせう

    考へてみれば簡単だ
    畢竟(ひつきやう)意志の問題だ
    なんとかやるより仕方もない
    やりさへすればよいのだと

    思ふけれどもそれもそれ
    十二の冬のあの夕べ
    港の空に鳴り響いた
    汽笛の湯気や今いづこ



    また来ん春‥‥‥

    また来ん春と人は云ふ
    しかし私は辛いのだ
    春が来たつて何になろ
    あの子が返つて来るぢやない

    おもへば今年の五月には
    おまへを抱いて動物園
    象を見せても猫(にやあ)といひ
    鳥を見せても猫(にやあ)だつた

    最後にみせた鹿だけは
    角によつぽど惹かれてか
    何とも云はず 眺めてた

    ほんにおまへもあの時は
    此の世の光のたゞ中に
    立つて眺めてゐたつけが‥‥‥


◆未刊詩篇

    寒い夜の自我像

        2

    恋人よ、その哀しげな歌をやめてよ、
    おまへの魂がいらいらするので、
    そんな歌をうたひだすのだ。
    しかもおまへはわがままに
    親しい人だと歌つてきかせる。

    ああ、それは不可(いけ)ないことだ!
    降りくる悲しみを少しもうけとめないで、
    安易で架空な有頂天を幸福と感じ做(な)し
    自分を売る店を探して走り廻るとは、
    なんと悲しく悲しいことだ‥‥‥

        3

    神よ私をお憐み下さい!

     私は弱いので、
     悲しみに出遇(であ)ふごとに自分が支へきれずに、
     生活を言葉に換へてしまひます。
     そして堅くなりすぎるか
     自堕落になりすぎるかしなければ、
     自分を保つすべがないやうな破目になります。

    神よ私をお憐れみ下さい!
    この私の弱い骨を、暖いトレモロで満たして下さい。
    ああ神よ、私が先づ、自分自身であれるやう
    日光と仕事とをお与へ下さい!



    死別の翌日

    生きのこるものはづうづうしく、
    死にゆくものはその清純さを漂はせ
    物云ひたげな瞳を床にさまよはすだけで、
    親を離れ、兄弟を離れ、
    最初から独りであつたもののやうに死んでゆく。

    さて、今日はよいお天気です。
    街の片側は翳り、片側は日射しをうけて、あつたかい
    けざやかにもわびしい秋の午前です。
    空は昨日までの雨に拭はれて、すがすがしく、
    それは海の方まで続いてゐることが分ります。

    その空をみながら、また街の中をみながら、
    歩いてゆく私はもはや此の世のことを考へず、
    さりとて死んでいつたもののことも考へてはゐないのです。
    みたばかりの死に茫然として、
    卑怯にも似た感情を抱いて私は歩いてゐたと告白せねばなりません。



    咏嘆調

    悲しみは、何処まででもつづく
    蛮土の夜の、お祭りのやうに、その宵のやうに、
    その夜更のやうに何処まででもつづく。

    それは、夜と、湿気と、炬火(たいまつ)と、掻き傷と、
    野と草と、遠いい森の灯のやうに、
    頸(うなじ)をめぐり少しばかりの傷を負はせながら過ぎてゆく、

    それは、まるで時間と同じものでもあるのだらうか?
    胃の疲れ、肩の凝りのやうなものであらうか、
    いかな罪業のゆゑであらうか
    この駱駅(らくえき)とつづく悲しみの小さな小さな無数の群は。

    それはボロ麻や、腓(はぎ)に吹く、夕べの風の族であらうか?
    夕べ野道を急ぎゆく、漂泊の民であらうか?
    何処までもつづく此の悲しみは、
    はや頸を真ッ直ぐにして、ただ諦めてゐるほかはない。‥‥‥

        ※

    「夜は早く寐て、朝は早く起きる!」
    ――やるせない、この生計(なりはひ)の宵々に、
    煙草吹かして茫然と、電燈(でんき)の傘を見てあれば、
    昔、小学校の先生が、よく云つたこの言葉
    不思議に目覚め、あらためて、
    「夜は早く寐て、朝は早く起きる!」と、
    くちずさみ、さてギョッとして、
    やがてただ、溜息を出すばかりなり。

    「夜は早く寐て、朝は早く起きる!」
    「夕空霽(は)れて、鈴虫鳴く」
    「腰湯がすんだら、背戸の縁台にいらつしやい。」
    思ひ出してはがつかりとする、
    これらの言葉の不思議な魅力。
    いかなる故にがつかりするのか、
    はやそれさへ分りはしない。

    「夜は早く寐て、朝は早く起きる!」
    僕は早く起き、朝霧よ、野に君を見なければならないだらうか。
    小学校の先生よ、僕はあなたを思ひ出し、
    あなたの言葉を思ひ出し、あなたの口調を、思ひ出しさへするけれど、
    それら悔恨のやうに、僕の心に浸(し)み渡りはするけれど、
    それはただ一抹の哀愁となるばかり、
    意志とは何の、関係もないのでした‥‥‥



中原中也
 中也は、明治40年(1907)4月29日、山口市湯田温泉に生まれました。彼は30年の短い生涯を詩に捧げましたが、生前は充分な評価を得ることのないまま、志半ばにして異郷の地で没しました。
 彼の優れた詩才は少年のころから現れていましたが、昭和9年(1934)に東京で詩集『山羊の歌』が出版されるに及び、広く詩を愛する人々に認められるに至りました。さらに『ランボオ詩集』を翻訳するなど、フランスの詩人の紹介にもつとめました。
 不幸にも病により、昭和12年(1937)10月22日、鎌倉で亡くなりました。生前郷里に引き揚げようとしてまとめていた詩集『在りし日の歌』は、その翌年、友人小林秀雄によって出版されました。
 中也の名声は、死後になって高まり、各社から出版された詩集や全集は数十冊に及びます。また、多くの詩選に収められ、海外にも紹介されています。彼の作品は年とともに評価を高め、今や近代文学を代表する叙情詩人として揺るぎない地位を得ています。(中原中也記念館HPより、一部改編)

『北原白秋歌集』を読みました。

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昨夜、高野公彦編『北原白秋歌集』を読み終えました。
君かへす朝の舗石さくさくと雪よ林檎の香のごとくふれ」(「桐の花」収録)は、人妻との恋愛を歌ったものですが、白秋はその女性の夫から姦通罪で訴えられます。結果的には免訴になりましたが、この事件の前後に詠んだ作品をみれば、白秋の精神的苦悩がよく分かります。
以下、一読して気になった歌を引用します。


「桐の花」(1913)
  かくまでも黒くかなしき色やあるわが思ふひとの春のまなざし
  美くしき「夜」の横顔を見るごとく遠き街見て心ひかれぬ
  にほやかにトロムボーンの音は鳴りぬ君と歩みしあとの思ひ出
  馬鈴薯の花咲き穂麦あからみぬあひびきのごと岡をのぼれば
  燕、燕、春のセエリーのいと赤きさくらんぼ啣(くは)え飛びさりにけり

  いつしかに春の名残となりにけり昆布干場(ほしば)のたんぽぽの花
  夏よ夏よ鳳仙花ちらし走りゆく人力車夫にしばしかがやけ
  あまつさへキヤベツかがやく畑遠く郵便脚夫疲れくる見ゆ
  夏の日はなつかしきかなこころよく梔子(くちなし)の花の汗もちてちる
  あかしやの花ふり落す月は来ぬ東京の雨わたくしの雨

  食堂の黄なる硝子をさしのぞく山羊の眼のごと秋はなつかし
  武蔵野のだんだん畑の唐辛子いまあかあかと刈り干しにけれ
  いと長き街のはづれの君が住む三丁目より冬は来にけむ
  君かへす朝の舗石(しきいし)さくさくと雪よ林檎の香のごとくふれ
  雪の夜の紅きゐろりにすり寄りつ人妻とわれと何とすべけむ

  沈丁の薄らあかりにたよりなく歯の痛むこそかなしかりけれ
  かりそめにおん身慕ふといふ時もよき俳優(わざをぎ)は涙ながしぬ
  春はもや静こころなし歇私的里(ヒステリー)の人妻の面(かほ)のさみしきがほど
  温かに洋傘(かさ)の尖(さき)もてうち散らす毛莨(きんぽうげ)こそ春はかなしき
  このおもひ人が見たらば蟇(ひき)となれ雨が降つたらへら鷺となれ

  ただひと目君を見しゆゑ三味線の絃(いと)よりほそく顫ひそめにし
  どくだみの花のにほひを思ふとき青みて迫る君がまなざし
  昨日君がありしところにいまは赤く鏡にうつり虞美人草(ひなげし)のさく
  君と見て一期(いちご)の別れする時もダリヤは紅しダリヤは紅し
  鳴きほれて逃ぐるすべさへ知らぬ鳥その鳥のごと捕へられにけり

  日もすがらひと日監獄(ひとや)の鳩ぽつぽぽつぽぽつぽと物おもはする
  監獄(ひとや)いでてじつと顫へて噛む林檎林檎さくさく身に染(し)みわたる
  十一月は冬の初めてきたるとき故国(くに)の朱欒(ザボン)の黄にみのるとき
  春くれば白く小さき足の指かはゆしと君を抱きけるかな

「雲母集(きららしゅう)」(1915)
  大空に何も無ければ入道雲むくりむくりと湧きにけるかも
  朝霧にかぎり知られぬみをつくしかぎりもしらぬ恋もするかな
  おめおめと生きながらへてくれなゐの山の椿に身を凭(よ)せにけり
  生きの身の吾が身いとしくもぎたての青豌豆の飯(いひ)たかせけり
  麫麵(パン)を買ひ紅薔薇の花もらひたり爽やかなるかも両手に持てば

  かき抱けば本望安堵の笑ひごゑ立てて目つぶるわが妻なれば
  明るけどあまり真白きかきつばたひと束にすれば何か暗かり
  海にゆかばこの寂しさも忘られむ海にゆかめとうちいでて来ぬ
  石崖に子ども七人腰かけて河豚を釣り居り夕焼小焼
  櫂おつとり舟に飛び下りむちやくちやに漕ぎまはる赤き赤き夕ぐれ

  日もすがら光り消えたりうねり波思ひ出したりまた忘れたり
  駿河なる不二の高嶺をふり仰ぎ大きなる網をさと拡げたり
  虔(つつ)ましきミレエが画(ゑ)に似る夕あかり種蒔人(たねまき)そろうて身をかがめたり
  ライ麦の畑といはず崖といはず落日(いりひ)いつぱいに滴(したた)る赤さ
  曼珠沙華の花あかあかと咲くところ牛と人とが田を鋤きてゐる

  風はしる目ざめし如くあかあかと椿一時に耀く紅く

「雀の卵」(1921)
  この妻は寂しけれども浅茅生(あさぢふ)の露けき朝は裾かかげけり
  枇杷の葉の葉縁(はべり)にむすぶ雨の玉の一つ一つ揺れて一つ一つ光る
  枇杷の葉の葉縁にゆるる雨の玉のあな落ちんとす光りて落ちたり
  この山はたださうさうと音すなり松に松の風椎に椎の風
  夏浅き月夜の野良の家いくつ洋燈(ランプ)つけたり馬鈴薯(じやがいも)の花

  昼ながら幽かに光る蛍一つ孟宗の藪を出でて消えたり
  太鼓一つとんとろと鳴れり炎天の遠(をち)ひた寂しかも青田見てゐて
  遠雷(とほいかづち)とどろけば白き蝶の鞠の耀きてくづれまた舞ひのぼる
  ながれ来て宙にとどまる赤蜻蛉(あかあきつ)唐黍の花の咲き揃ふうへを
  椰子の実の殻に活けたる茶の花のほのかに白き冬は来にけり

  刈小田に落穂搔き搔く雀いくつうしろ向けるは尻尾(しりを)上げて忙(せは)し
  巣をつくる二羽の雀がうしろ羽根かすかにそよぐ春立つらむか
  我やひとり離れ小嶋の椰子の木の月夜の葉ずれ夜もすがら聴く
  蟹を搗き蕃椒(たうがらし)擂(す)り筑紫びと酒のさかなに噛む夏は来ぬ
  夜祭の万燈の上にいよいよあがり大きなるかも今宵の月は

  何ごとも夢のごとくに過ぎにけり万燈の上の桃色の月
  麗(うら)らかに頭まろめて鳥のこゑきいてゐる、といふ心になりにけるかも
  茶の聖(ひじり)千の利休にあらねども煙のごとく消(け)なむとぞ思ふ

「観相の秋」(1922)※長歌・俳句・詩文のみで、短歌はなし。

「風隠集」(1944、没後刊行)
  みどり児が力こめたる掌(たなひら)に一つ手(た)にぎる小さきかやの実
  山川のみ冬の瀞(とろ)に影ひたす椿は厚し花ごもりつつ
  雪ふかしここの谿間(たにま)の湯の宿の湯気のこもりによくぬくもらむ
  朝ひらく黃のたんぽぽの露けさよ口寄する馬の叱られてゆきぬ
  わが宿の竹の林をのぞく子はつばきのあかき首環かけたり

  山寺の春も闌(た)けたり秋田蕗の大きなる葉に雨は音して
  この大地震(おほなゐ)避くる術なしひれ伏して揺りのまにまに任せてぞ居る
  萩すすき観つつ隣ればうらやすし今さらかはす言のすくなさ
  吾庭の梅雨(つゆ)の雨間の花どころ藜(あかざ)しげりて青がへる啼く

「海阪(うなさか)」(1949、没後刊行)
  月明き半島の夜を歩まむとし汐ふかき風をまづ吸ひにけり
  あれだあれだ城ヶ島のとつぱづれに燈台の灯(ひ)が青う点(つ)いてる
  ざるふりてすくふお前がうれしくておれは鰌になりにけるかも
  ひようとして寒き風来る山はなに上衣(うはぎ)いそぎ着けぬ氷沢かも
  七面鳥おほらかなるかな雌を追ふと広庭をまろく大きくまはる

  燕麦(えんばく)は今刈り了(を)へて真夏なり修道院にいたるいつぽんの道
  真夏日の光に聴けば遠どほし緬羊の声は人に似るなり
  夏、夏、夏、露西亜ざかひの黄の蕋の花じやがいもの大ぶりの雨
  日本のいやはての北の小学校水蝋樹(いぼた)蕾みて夏休みらし
  ワレライマヤコクキヤウニアリ、むらさきの花じやがいもの盛りに打電す

  まさしく津軽海峡に入りにけり早や見る青き草崖(くさがけ)のいろ

「白南風(しらはえ)」(1934)
  水うちて月の門辺(かどべ)となりにけり泡盛の甕に柄杓添へ置く
  秋の夜は前の書棚の素硝子に煙草火赤し我が映るなり
  霜いたり空は濃青(こあを)き夜の明けに筑波の山はくきやかに見つ
  半夏生(はんげしやう)早や近からし桐の葉に今朝ひびく雨を二階にて聴く
  しやしやと来て篠懸(すずかけ)の葉をひるがへす青水無月の雨ぞ此の雨

  日は暑しのぼり険しき坂なかば築石垣(つきいしがき)のこほろぎのこゑ
  硝子窻月に開きて坐りけりつくゑにうつる壺と筆の影
  しらしらと朝行く鷺の影見れば高くは飛ばず寒き水の田
  昼餉(ひるげ)には庭の芝生にぢかに坐りわが眼先(まなさき)のかきつばたの花
  たけ高きヒマラヤ杉の星月夜二階の窻に灯(ひ)のうごく見ゆ

  颱風の逸れつつしげきあふり雨白萩の花のしとど濡れたる
  赤松の木群(こむら)しづけきここの宮椎の若葉の時いたりけり
  白南風(しらはえ)の光葉(てりは)の野薔薇過ぎにけりかはづのこゑも田にしめりつつ
  唐辛子花咲く頃やほのぼのと炎天の畝に歪(ひず)む人かげ
  水の田に薄氷(うすひ)ただよふ春さきはひえびえとよし映る雲行

  この軍鶏の勢(きほ)へる見れば頸毛(くびげ)さへ逆羽(さかば)はららげり風に立つ軍鶏
  よく冷やして冷(ひ)やき麦酒はたたき走る驟雨のあとに一気に飲むべし
  ひらひらと風に吹かるる黄の揚羽蝶(あげは)立秋も今日は二日過ぎたり

「夢殿」(1939)
  母(おや)の国筑紫この土我が踏むと帰るたちまち早や童(わらべ)なり
  葉のとぢてほのくれなゐの合歓(ねむ)の花にほへる見れば幼な夕合歓
  水の街棹さし来れば夕雲や鳰の浮巣のささ啼きのこゑ
  爆竹の花火はぜちる柳かげ水のながれは行きてかへらず
  柳河、柳河、空ゆうち見れば走り出(づ)る子らが騒ぎの手のとるごとし

  風立てて我が家の空を過ぎにけるこのたまゆらよ機は揺れ揺れぬ
  翼のかげ支柱に映りしづかなる飛行はつづく夕火照(ほて)る海
  麦の秋夕かぐはしき山の手に観世音寺の講堂は見ゆ
  春寒き旅順の港見おろしてましぐらに駛(はし)る自動車今あり
  雲かとも山かとも思ふ地の駛朱(うるみ)蒙古は曠(ひろ)し日も落ちはてぬ

  樹の下(もと)に出で立つ女丹(をみなに)の頬(ほ)して陽(ひ)は豊かなる香(かぐ)はしき空
  菫咲く春は夢殿日おもてを石段(いしきだ)の目に乾く埴土(はにつち)
  すれすれに波の面(も)翔(かけ)るひと列(つら)はすべて首伸べぬ羽ばたく青鴨

「渓流唱」(1943、没後刊行)
  行く水の目にとどまらぬ青水沫(あをみなわ)鶺鴒の尾は触れにたりけり
  うすうすに見のほそりつつ落つる影浄蓮の滝もみ冬さびたる
  庭の木々影は幽(かす)けき午(ひる)過ぎて酒恋(こほ)しかも郭公徹る
  仙波沼水もぬるむか春早やも河童の子らは抜手切りそむ
  山川や青の水泡(みなわ)に棲む魚の山女(やまめ)はすがし眼も濡れにけり

  乏しくも足りてこそあれ山人はただにつかへむ山河(やまかは)にのみ
  暁、ただに一色(ひといろ)にましろなる霜の真実に我直面す
  朝山は風しげけれや夏鳥の百鳥(ももどり)のこゑの飛びみだれつつ

「橡(つるばみ)」(1943、没後刊行)
  銃殺の刑了りたりほとほとに言絶えにつつ夕飯(ゆふめし)を我は
  物の葉やあそぶ蜆蝶(しじみ)はすずしくてみなあはれなり風に逸(そ)れゆく
  ほのあかく花はけむりし庭の合歓(ねむ)風そよぐなり現(うつ)し実(み)の莢(さや)
  遅々として遊べる見れば鴨は鴨鷺は鷺としおのづ寄りにけり

「黒檜(くろひ)」(1940)
  照る月の冷(ひえ)さだかなるあかり戸に眼は凝らしつつ盲(し)ひてゆくなり
  目の盲ひて幽かに坐(ま)しし仏像(みすがた)に日なか風ありて触りつつありき
  ニコライ堂この夜(よ)揺りかへり鳴る鐘の大きあり小さきあり小さきあり大きあり
  暖房は後冷(あとびえ)きびし夜にさへや眼帯白くあてて寝むとす
  花かともおどろきて見しよく見ればしろき八つ手のかへし陽(び)にして

  雪降りてしづけかりとふ朝庭に春の時雨か音わたり来る
  つきて見む一二三四五六七八九(ひふみよいむなやここ)の十(とを)手もて数へてこれの手鞠を
  み眼は閉ぢておはししかなや面(おも)もちのなにか湛へて匂へる笑(ゑみ)を
  ひと度は相見まつりき縁(えにし)なり日光菩薩加護あらせたまへ
  端渓の硯の魚眼すがしくて立秋はいま水のごとあり

  ガソリン・コールター・材香(きが)・沈丁と感じ来て春繁しもよ暗夜(やみよ)行くなり
  触りよきは空(くう)にしだるる藤浪の下重(おも)りつつとどめたる房
  成城十九番地月まどかなる春夕(しゅんせき)の暮れつつはありて明(あか)りつつあり

「牡丹の木(ぼく)「黒檜」以後」(1943、没後刊行)
  内隠(うちこも)るふかき牡丹のありやうは花ちり方に観きとつたへよ
  雲くらき暁早くねざめして先声(せんじやう)の蝉に涙とまらず
  腕時計父のウオルサムと合はしゐて燈(ほ)かげ寒きにほつり母を言ふ
  帰らなむ筑紫母国(おやぐに)早や待つと今呼ぶ声の雲にこだます



北原白秋
 1885年、柳川藩御用達の海産物問屋を営む旧家に生まれ、1904年に早稲田大学に入学。学業の傍ら詩作に励み、1909年、処女詩集「邪宗門」を発表。2年後、詩集「思ひ出」を発表。名実ともに詩壇の第一人者となります。その後も、「東京景物詩」「桐の花」などに代表される詩歌集、「とんぼの目玉」、「赤い鳥」などの童謡集などさまざまな分野で次々と作品を発表。
 「雨ふり(雨雨フレフレ)」、「待ちぼうけ」、「からたちの花」・・・。
 聴いたら誰もが知っている、今なお、語り継がれる作品を数多く残しています。
 白秋の故郷柳川への思いは強く、30年ぶりに訪問した際には感激の涙を流し、また晩年に発表した、故郷柳川を舞台にした写真集「水の構図」では「水郷柳川は我詩歌の母体である」と述べています。
 1942年11月2日死去。享年57でした。(北原白秋記念館HPより、一部改編)
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