今日、伊藤一彦編『若山牧水歌集』を読み終えました。この歌集には、若山牧水(1885-1928)の15歌集約7000首の中から選ばれた約1700首が収録されています。
「幾山河越えさり行かば寂しさの終てなむ国ぞ今日も旅ゆく」は牧水の代表歌ですが、この歌は第一歌集「海の声」に収録されています。最初からこんな素晴らしい歌を詠んじゃうとあとが大変だったんじゃないかと思ってしまいます。
以下、気に入った歌を引用します。なお、第1期~第4期という時期区分は編者の「解説」によります。
「幾山河越えさり行かば寂しさの終てなむ国ぞ今日も旅ゆく」は牧水の代表歌ですが、この歌は第一歌集「海の声」に収録されています。最初からこんな素晴らしい歌を詠んじゃうとあとが大変だったんじゃないかと思ってしまいます。
以下、気に入った歌を引用します。なお、第1期~第4期という時期区分は編者の「解説」によります。
【第1期】:22~27歳
第一歌集「海の声」(1908.7)
白鳥(しらとり)は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ
松透きて海見ゆる窓のまひる日にやすらに睡る人の髪吸ふ
ともすれば君口無しになりたまふ海な眺めそ海にとられむ
秋の夜やこよひは君の薄化粧(うすげはひ)さびしきほどに静かなるかな
なにとなきさびしさ覚え山ざくら花ちるかげに日を仰ぎ見る
さらばとてさと見合せし額髪(ぬかがみ)のかげなる瞳えは忘れめや(秀嬢との別れに)
わだつみのそこひもわかぬわが胸のなやみ知らむと啼くか春の鳥
雲ふたつ合はむとしてはまた遠く分れて消えぬ春の青ぞら
『木の香にや』『いな海ならむ樹間(こま)がくれ見たまへ其処にうす青う見ゆ』
旅人は伏目にすぐる町はづれ白壁ぞひに咲く芙蓉かな
なつかしき春の山かな山すそをわれは旅びと君おもひ行く
けふもまたこころの鉦(かね)をうち鳴(なら)しうち鳴しつつあくがれて行く
海見ても雲あふぎてもあはれわがおもひはかへる同じ樹蔭(こかげ)に
幾山河越えさり行かば寂しさの終(は)てなむ国ぞ今日も旅ゆく
わが胸の奥にか香(かう)のかをるらむこころ静けし古城(ふるしろ)を見る
旅ゆけば瞳痩するかゆきずりの女(をなご)みながら美(よ)からぬはなし
ただ恋しうらみ怒りは影もなし暮れて旅籠(はたご)の欄に倚るとき
潮光る南の夏の海走り日を仰げども愁ひ消(け)やらず
船はてて上(のぼ)れる国は満天の星くづのなかに山匂ひ立つ
津の国は酒の国なり三夜二夜(みよふたよ)飲みて更らなる旅つづけなむ
ちんちろり男ばかりの酒の夜をあれちんちろり鳴きいづるかな
いざこの胸千々に刺し貫き穴(す)だらけのそを玩(もてあそ)べ春の夜の女
髪を焼けその眸(まみ)つぶせ斯くてこの胸に泣き来よさらば許さむ
恋しなばいつかは斯る憂(うき)を見むとおもひし昨(きそ)のはるかなるかな
さらば君いざや別れむわかれてはまたあひは見じいざさらばさらば
第二歌集「独り歌へる」(1910.1)
いざ行かむ行きてまだ見ぬ山を見むこのさびしさに君は耐ふるや
おのづから熟(う)みて木(こ)の実も地に落ちぬ恋のきはみにいつか来にけむ
うらかなしこがれて逢ひに来(こ)しものを驚きもせでひとのほゝゑむ
野のおくの夜の停車場を出でしときつとこそ接吻(きす)をかはしてしかな
小鳥よりさらに身かろくうつくしく哀しく春の木の間ゆく君
狭みどりのうすき衣をうち着せむくちづけはてゝ夢見るひとに
黒髪のそのひとすぢのこひしさの胸にながれて尽きむともせず
あめつちにわが跫音(あおと)のみ満ちわたる夕さまよひに月見草摘む
ほとゝぎす聴きつゝ立てば一滴(ひとたま)のつゆより寂しわれ生きてあり
いと遠く君がうまれし国の山ながめてわれは帆柱に凭る
君がいふ恋のこゝろとわがおもふ恋のさかひの一すぢのの河
めぐりあひしづかに見守(まも)りなみだしぬわれとわれとのこゝろとこゝろ
別るゝ日君もかたらずわれ云はず雪ふる午後の停車場にあり
別れけり残るひとりは停車場の群集(ぐんじゆ)のなかに口笛をふく
愚かなり阿呆烏の啼くよりもわがかなしみをひとに語るは
けふ見ればひとがするゆゑわれもせしをかしくもなき恋なりしかな
海に行かばなぐさむべしとひた思ひこがれし海に来は来つれども
とこしへにけふのいのちの花やかさかなしさを君忘るゝなかれ
逃れゆく女を追へる大たはけわれぞと知りて眼眩(くら)むごとし
山奥にひとり獣の死ぬるよりさびしからずや恋終りゆく
海のごとく男(を)ごゝろ満たすかなしさを静かに見やり歩み去りし子
再びは見じとさけびしくちびるの乾(かはか)むとする時のさびしさ
斯くばかりくるしきものをなにゆゑに泣きて詫びしを許さゞりけむ
故わかずわれら別れてむきむきにさびしきかたにまよひ入りぬる
生くといふ否むべからぬちからよりのがれて恋にすがらむとしき
ありし夜のひとの枕に敷きたりしこのかひなかも斯く痩せにける
あなさびし白昼(まひる)を酒に酔ひ痴れて皐月大野の麦畑をゆく
青草によこたはりゐてあめつちにひとりなるものゝ自由をおもふ
わが顔もあかゞねいろに色づきぬ高原(たかはら)の麦は垂穂(たりほ)しにけり
わが行けばわがさびしさを吸ふに似る夏のゆふべの地(つち)のなつかし
第三歌集「別離」(1910.4)
「海の声」「独り歌へる」の中から自選し、新作133首を加えた歌集。
第四歌集「路上」(1911.9)
白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけれ
顔ぢゆうを口となしつつ双手(もろて)して赤き林檎を噛めば悲しも
投げやれ投げやれみな一切を投げ出(いだ)せ旅人の身に前後あらすな
はつとしてわれに返れば満目の冬草山をわが歩み居り
かかる時ふところ鏡恋しけれ葉の散る木(こ)の間わが顔を見む
さびしさのとけてながれてさかづきの酒となるころふりいでし雪
虚無党の一死刑囚死ぬきはにわれの『別離』を読みゐしときく
【第2期】:27~29歳
第五歌集「死か芸術か」(1912.9)
しのびかに遊女が飼へるすず虫を殺してひとりかへる朝明け
あたたかき身のうつり香を悪(にく)みつつ秋の青草噛めば苦かり
蛍のごとわが感情のふわふわと移るすがたがふつと眼に見ゆ
いつとなく秋のすがたにうつりゆく野の樹々を見よ、静かなれこころ
浪、浪、浪、沖に居(を)る浪、岸の浪、やよ待てわれも山降りて行かむ
おとろへし生命(いのち)の酸味(すみ)のひややかに澄む朝(あした)なり、手にとる林檎
木に倚れどその木のこころと我がこころと合ふこともなし、さびしき森かな
ひとすぢにひとを見じとて思ひ立つ旅にしあれば消息もすな
なにゆゑに旅に出づるや、なにゆゑに旅に出づるや、何故に旅に
初夏(はつなつ)の曇りの底に桜咲き居りおとろへはてて君死ににけり(石川啄木の死に際して)
古汽船(ふるぶね)のあぶらの匂ひなつかしく身に浸(にじ)み来て午後の海渡る
うら若き越後生まれのおいらんの冷たき肌を愛(め)づる朝かな
頬(ほ)につたふ涙ぬぐはぬくせなりし古恋人(ふるこひびと)をおもふ水上(みなかみ)
夏の樹にひかりのごとく鳥ぞ啼く呼吸(いき)あるものは死ねよとぞ啼く
第六歌集「みなかみ」(1913.9)
猫が踊るに大ぐちあけてみな笑ふ父も母も、われも泣き笑ひする
新たにまた生(うま)るべし、われとわが身に斯く云ふとき、涙ながれき
懐疑は曇れる日の海のごとし、痛きにほひにいのちもまた曇るなれ
運命とは云はじ、在るがままのこの一りんの薔薇のごとく悲しきもの
さうだ、あんまり自分のことばかり考へてゐた、四辺(あたり)は洞(ほらあな)のやうに暗い
載るかぎり机に林檎をのせ朱欒(ざぼん)を載せ、その匂ひのなかに静まりて居(お)る
飛ぶ、飛ぶ、とび魚がとぶ、朝日のなかをあはれかなしきこころとなり
とかくして登りつきたる山のごとき巨岩のうへのわれに海青し
岩のあひだを這ひて歩く、はだしで、笑ひて、海とわれと
太陽にあたためられしこの黒きおほいなる岩にいざやねむらむ
われ知らずうたひいだせるわが声のさびしさよ、春日(はるび)紫紺いろの海
我がかなしみに火をつけるやうに、地団駄踏みて鳥を逐(お)ふなり
【第3期】:29~34歳
第七歌集「秋風の歌」(1914.4)
病院に入りたしと思ひ落葉めくわが身のさまにながめいりたる
第八歌集「砂丘」(1915.10)
愁ふる時閉ぢゆく癖のその眸(まみ)を思ひ痛みて立ちてゐにけり
第九歌集「朝の歌」(1916.6)
酒飲めばこころは晴れつたちまちにかなしみ来り畏(かしこ)みて飲む
砂山を吹き越す風を恐ろしみ眼伏せて行けば燃ゆ曼珠沙華
貧しさを嘆くこころも年年(としどし)に移らふものか枇杷咲きにけり
籬(かき)越しに街道を行く人馬車(ひとうまくるま)見居つつさびしむらさき木槿(むくげ)
疲れしと嘆かふ妻の背に額(ぬか)にくれなゐ椿ゆれ光りつつ
酒の名のあまたはあれど今はこはこの白雪にます酒はなし
わが庭の竹の林の浅けれど降る雨見れば春は来にけり
はたはたと倒るる浪の前にうしろに海女(あま)が黒髪縒(よ)れなびきつつ
伊豆人はけふぞ山焼く十六夜(いざよひ)の月夜の風にその火靡(なび)けり
朝づく日停車場前の露店(ほしみせ)にうららに射せば林檎買ふなり
塩釜の入江の氷はりはりと裂きて出づれば松島の見ゆ
いつか見むいつか来むとてこがれ来しその青森は雪に埋れ居つ
鈴鳴らす橇にか乗らむいないな先づこの白雪を踏みてか行かむ
名に高き秋田美人ぞこれ見よと居ならぶ見れば由由しかりけり
第十歌集「白梅集」(1917.8)
めづらしく妻をいとしく子をいとしくおもはるる日の昼顔の花
夏草の茂りの上にあらはれて風になびける山百合の花
だんだんにからだちぢまり大ぞらの星も窓より降り来るごとし
おひおひに酒を止むべきからだともわれのなりしか飲みつつおもふ
酒のめばなみだながるるならはしもそれもひとりの時に限れる
そばかきをかきつつふつとおもひ出し戸棚あくればありし残り酒
梅の花紙屑めきて枝に見ゆわれのこころのこのごろに似て
地とわれと離ればなれにある如き今朝のさびしさを何にたとへむ
なにごとぞ今朝の霞といひすてて庭にいづれば白梅咲けり
つかれはてて眠り沈めばいつしかにわが身につどふ夢のかずかず
いつ知らず酔のまはりてへらへらとわれにもあらず笑ふなりけり
いそいそとよろこぶ妻に従ひて夜半の桜を今日見つるかも
おほかたはひとの帰りし花見茶屋夜深きに妻と来て酒酌めり
酔ひぬればさめゆく時のさびしさに追はれ追はれてのめるならじか
第十一歌集「さびしき樹木」(1918.7)
さやさやにその音(ね)ながれつ窓ごしに見上ぐれば青葉滝とそよげり
欅青葉さやげる見れば額(ぬか)あげてわれも大きく眸(まみ)張るべかり
疲れはてて帰り来(きた)れば珍しきもの見るごとくつどふ妻子(つまこ)ら
麦ばたの垂り穂のうへにかげ見えて電車過ぎゆく池袋村
湯の町の葉ざくら暗きまがり坂曲り下れば渓川の見ゆ
幼き日ふるさとの山に睦みたる細渓川の忘られぬかも
たのしきはわれを忘れて暁の峰はなれゆく雲あふぐ時
ひさしくも見ざりしごときおもひしてけふあふぐ月の澄めるいろかも
井戸端にわが浴び浴びる水の音水のたえまに蜩(かなかな)きこゆ
蚊帳のなかに机持ち入れもの書くと夜を起きて居れば蚊の声さびし
ゆきゆくに沖に浪なく船に音なしさびしければぞ陸(くが)を見て居る
第十二歌集「渓谷集」(1918.5)
山の鳥の啼く音にもふと似て聞ゆをりをり起る機織(はたおり)の音
わが妻の好める花の濃(こ)むらさき竜胆(りんだう)を冬の野に摘めるかな
飲む湯にも焚火のけむり匂ひたる山家の冬の夕餉なりけり
晴れよとし祈れど西の山山に立つ雲みれば雨もよしとおもふ
ありがたやけふ満つる月と知らざりしこの大き月海にのぼれり
とほく来て寝ぬるこの宿静けくて夜のふけゆけば川の音(と)きこゆ
よりあひて真すぐに立てる青竹(あおだけ)の藪のふかみに鶯の啼く
崎山の楢の木がくり芝道に出であひし海女は藻の匂(にほひ)せり
【第4期】:34歳~没年
第十三歌集「くろ土」(1921.3)
あららかにわが魂を打つごときこの夜の雨を聴けばなほ降る
聴き入りてただに居りがたくぬばたまの闇夜の雨を窓あけて仰ぐ
ありし日の若かりしわが心にもしばしはかへれほととぎす啼く
筧(かけひ)より水をひきつつ火焚きつつみづからわかす風呂のたのしさ
吾子(あこ)つれて来(く)べかりしものを春日野に鹿の群れ居る見ればくやしき
とどろとどろ落ち来る滝をあふぎつつこころ寒けくなりにけるかな
六歳(むつ)の兄四歳(よつ)の妹のならび寝てかたりあふ聞けば癒えて後のこと
ふるさとに在りしをさな日おもひいでて立ちて見てをる鶏頭の花を
うまきものこころにならべそれこれとくらべ廻せど酒にしかめや
人の世にたのしみ多し然れども酒なしにしてなにのたのしみ
行き行くと冬日の原にたちとまり耳をすませば日の光きこゆ
あばら屋のおそろしければ提灯をともしてぞ入る夜半(よは)のいで湯に
さびしさにこころほほけてゐるわれにふと心づき笑ひいだせり
時として絶え入るごとく大海の浪のひびきのひそまる聞ゆ
岩かげのわがそばに来てすわりたる犬のひとみに浪のうつれり
寒鮒のにがきはらわた噛みしめて昼酌む酒の座に日は射せり
しみじみと地(つち)にひびける雪どけのあまねき雫四方(よも)に起れり
しみじみとけふ降る雨はきさらぎの春のはじめの雨にあらずや
わがこころ澄みゆく時に詠む歌か詠みゆくほどに澄める心か
いつしかに涙ながしてをどりたれ命みじかしと泣きて踊りたれ
みづうみのかなたの原に啼きすます郭公(くわくこう)の声ゆふぐれ聞ゆ
から松の今年のおち葉こぞの落葉かきわけてさがすちさき茸(きのこ)を
わが部屋のはしに居(ゐ)寄れば冬空のふかきに沈み遠き富士見ゆ
山中の温泉(いでゆ)に来り静けしとこころゆるめば思ふ事おほし
ひとしきり散りての後(のち)をしづもりてうららけきかも遠き桜は
静かなる道をあゆむとうしろ手をくみつつおもふ父が癖なりき
海見ると登る香貫(かぬき)の低山の小松が原ゆ富士のよく見ゆ
香貫山いただきに来て吾子(あこ)とあそび久しく居れば富士晴れにけり
静やかに今はなりぬとおもふ時事(こと)起るなりわれの生活(くらし)に
愛憎のうごきやすまぬ底浅(そこあさ)のこころの濁り澄む時ぞなき
三日(みか)ばかりに帰らむ旅を思ひたちてこころ燃ゆれどゆく銭のなき
風の音こもりて深き松原の老木の松は此処に群れ生(お)ふ
第十四歌集「山桜の歌」(1923.5)
砂丘(すなをか)のなぞへの畑の痩せ麦のほそき畝より啼きたつ雲雀
海鳥の風にさからふ一ならび一羽くづれてみなくづれたり
雨過ぎししめりのなかにわが庭の桜しばらく散らであるかな
散りたまる樋(とひ)の桜のまひ立つや雀たはむれ其処にあそぶに
庭に出でてみるわが部屋のうす暗く冷たきさまのなつかしきかな
怠けゐてくるしき時は門(かど)に立ち仰ぎわびしむ富士の高嶺を
青紫蘇(あおじそ)のいまださかりをいつしかに冷やし豆腐に我が飽きにけり
紫に澄みぬる富士はみじか夜の暁起きに見るべかりけり
散りたまる柘榴の花のくれなゐをわけてあそべり子蟹がふたつ
富士が嶺の裾野の原をうづめ咲く松虫草をひと日見て来ぬ
またや来むけふこのままにゐてやゆかむわれのいのちのたのみがたきに
登り来て此処ゆのぞめば汝(なれ)がすむひんがしのかたに富士の嶺見ゆ
わが立てる足もとにひろき岩原の石のかげより煙湧くなり
人の来ぬ谷のはたなる野天湯(のてんゆ)のぬるきにひたるいつまでとなく
湯げむりの立ちおほひたる谷あひの湯宿を照らす春の夜の月
曼珠沙華いろふかきかも入江ゆくこれの小舟の上よりみれば
人の来ぬ夜半をよろこびわが浸る温泉(いでゆ)あふれて音たつるかも
夜のふけをぬるきこの湯にひたりつつ出でかねてをればこほろぎ聞ゆ
先生のあたまの禿(はげ)もたふとけれ此処に死なむと教ふるならめ
寂しみて生けるいのちのただひとつの道づれとこそ酒をおもふに
第十五歌集「黒松」(1938.9)
をとめ子のかなしき心持つ妻を四人子の母とおもふかなしさ
暁(あけ)近き月の青みを宿したる玻璃戸の蔭の湯には浸れる
汲み入るる水の水泡(みなわ)のうづまきにうかびて赤きトマトーの実よ
夜に昼に地震(なゐ)ゆりつづくこの頃のこころすさびのすべなかりけり
うつくしく清き思ひ出とどめおかむ願ひを持ちて今をすごせよ
いつまでも子供めきたるわがこころわが行ひのはづかしきかな
故郷に帰り来りて先づ聞くはかの城山の時告ぐる鐘
身ひとつにさらばゆかむと行かるべき軽々しき身にあるべかりしを
をりをりに姿見えつつ老松の梢(うれ)のしげみに啼きあそぶ鳥
松原の此処は小松のほそき幹はるけくつづきつづくはてなく
夢ならで逢ひがたき母のおもかげの常におなじき瞳したまふ
このいで湯ぬるきをかこち浸りをれば折からなれや雪の降り来つ
しぐれの雨いつしかやみて静かなる宵とおもふに浪の音(おと)起る
鉄瓶を二つ炉に置き心やすしひとつお茶の湯ひとつ燗の湯
身に近き友のたれかれを思ひみつ寂しからぬなし人の生きざま
長安寺の庭の芍薬さかりなり立ちよればきこゆ花の匂ひの
わが家を囲みて立てる老松よ高く真黒く真直ぐなる松よ
妻が眼を盗みて飲める酒なれば惶(あわ)て飲み噎(む)せ鼻ゆこぼしつ
けふ幾度(いくたび)顔を洗ひけむ晴れやらぬ心晴れよと願ふおもひに
真盛りを過ぐれば花のいたましくダリヤをぞ切るこの大輪を
酒ほしさまぎらはすとて庭に出でつ庭草をぬくこの庭草を
若山 牧水 1885年(明治18年)、宮崎県東臼杵郡東郷村(現・日向市)の医師・若山立蔵の長男として生まれる。1899年、宮崎県立延岡中学校に入学。短歌と俳句を始める。18歳のとき、号を牧水とする。 1904年、早稲田大学文学科に入学。同級生の北原射水(後の白秋)、中林蘇水と親交を厚くし、「早稲田の三水」と呼ばれる。1908年、早稲田大学英文学科卒業。7月に処女歌集『海の声』出版。翌1909年、中央新聞社に入社。5ヶ月後に退社。 1911年、創作社を興し、詩歌雑誌「創作」を主宰する。この年、歌人・太田水穂を頼って長野より上京していた後に妻となる太田喜志子と水穂宅にて知り合う。1912年、友人であった石川啄木の臨終に立ち合う。同年、喜志子と結婚。1913年、長男・旅人(たびと)誕生。その後、2女1男をもうける。 1920年、沼津の自然を愛し、特に千本松原の景観に魅せられて、一家をあげて沼津に移住する。1922年10月、御代田駅より岩村田へ向かい、佐久ホテルに逗留し、数々の作品を残す。1926年、詩歌総合雑誌「詩歌時代」を創刊。この年、静岡県が計画した千本松原伐採に対し、新聞に計画反対を寄稿するなど運動の先頭に立ち、計画を断念させる。 1927年、妻と共に朝鮮揮毫旅行に出発し、約2ヶ月間にわたって珍島や金剛山などを巡るが、体調を崩し帰国する。翌1928年夏頃より病臥し、自宅で死去する。享年43。