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プジョー208 Roland Garros

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〈オレンジドアミラーカバー〉と〈ロランギャロス ロゴ ステッカー〉

昨日、出勤のために《308CC》のエンジンをかけたら、「自動診断警告」の表示! 職場までは何の問題も無く行けましたが、取扱説明書に「エンジン制御システムに異常が発生した場合に表示されます。プジョーディーラーで点検を受けてください」とあったので、さっそくプジョー柏店に行ってきました。

点検中、ショールームを見ていたら、208の限定車《208 Roland Garros》が目にとまりました。
 全仏オープン(ロランギャロス大会)とのパートナーシップを結んで30年。この特別な年を記念して、ノバク・ジョコビッチ選手をブランドアドバイザーに迎えた、特別な208の登場です。パール塗装の専用ボディカラー「サテン・ホワイト」に、クレーコートをイメージしたオレンジのアクセント、ロゴをあしらった専用レザーシートやステッカーなど、スタイリッシュな装備の数々が、208のダイナミックで軽やかなパフォーマンスを際立たせます。速く、強く、美しく駆け抜けるトッププレーヤーのように。100台だけの208リミテッドエディション、登場。(Peugeot 208 Roland Garrosパンフレットより)

〈オレンジドアミラーカバー〉や〈ロランギャロス ロゴ ステッカー〉、〈オレンジシートベルト〉など、オレンジ色が各所に使われていて、とてもオシャレです。また、〈パノラミックガラスルーフ〉は狭い室内を広く見せ、開放感を感じます。1200ccなので燃費も良さそうです。定年退職するときは、こんな車に乗り換えよう、なんて少し考えました。

相田みつを『にんげんだもの』を買いました。

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今日、電通四季劇場[海](カレッタ汐留内)で、 劇団四季のミュージカル『ウィキッド』を見ました。歌や踊りが素晴らしいのは当たり前なので、僕が語るべきことは何もありません。それより僕には俳優たちの舞台に賭ける情熱のようなものが感じられて、そちらに強く感動を覚えました。

ミュージカルの開演時間前、東京国際フォーラム地下1階にある《相田みつを美術館》に行きました。相田みつをは詩人で書家だそうですが、詩に関しては「う~ん?」って感じです。詩と言うより、処世訓として受け取っていた方が多いんじゃないかと思います。でも、せっかくなので記念に彼の第一詩集『にんげんだもの』を買いました。

詩集『半夏生』を読みました。

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今日、知人からいただいた彼の第一詩集『半夏生』(1994)を読みました。この詩集は、茨城新聞の「茨城詩壇」に投稿し掲載された作品を中心に22編が収録されています。本人は「若かった」と言っていましたが、確かにそう思える部分もあります。でも、そういった部分も含めて心に響く詩が多いなと思いました。
以下、一読していいなと思った作品を引用します。


    林檎


    林檎の季節がきた
    ああこれぞ林檎というやつを
    飽きるほど食べてみたいと思う

    化物のように大きくて
    色が鮮やかならよいとでもいうのか
    まったく歯ごたえがなくて

    洋菓子も顔負けなほど
    ただ甘いきりの そんな
    林檎にうんざりしているのだ

    イングランドの とある果物屋の前
    山と積まれたとりどりの林檎を眺めていたら
    関取みたいなおっさん

    山のなかから ひとつ
    汚れたズボンでちょっと拭いて
    ――さあ試食しな

    おずおず受けとりかぶりつく
    ! 顎をもっていかれそうな固さ
    ? 味は言わずもがな

    虫食いなんて平気のへいざ
    尻のいびつがどうしたというの
    うっと眉をひそめる酸っぱさのあと

    遠慮勝ちに だが確実に甘さがおしよせてくる
    これぞ林檎 というやつに
    もういちどありつきたい





    トキ(二)


    わたしの名前は「ミドリ」と申します
    たった今悠久の大地中国から戻りました

    ご存知のようにトキ繁殖の望みを託され
    はるばる中国まで送られたのが二年前
    けれども期待にそえず帰国しました
    子供を持つには少しく歳をとりすぎて

    生涯見ることはなかっただろう
    中国大陸までゆけたことは
    老い先そう長くはないわたしにとって
    幸せといえば幸せなことでしたが

    このトキ色の翼でではなくて
    同じような羽をもつ飛行機で
    往復しなければならなかったことに
    内心歯がみし無念に思っています

    ともあれこの地でのわたしたちの「種」は
    永遠に絶えることが確実となりました
    それを思うとき深井戸をのぞきこむような
    はてない恐怖感におそわれます

    しかしもっと怖しいことがあります
    愛しいと思うことがあっても
    自分より他につぶやく相手がいないのです
    淋しいと鳴いてもわたしのことばを
    ききわけてくれる者がもう誰もいないのです





    夏―― 一九六〇年 ――


    森のように茂ったトウモロコシ畑の中から 父は這いずるようにし
    て出てきた 背中の籠から収穫したトウモロコシをぼろぼろこぼし
    ながら
    「楽でねえな――」

    夕ご飯のすんだ後 トンネルのように続く蒸し暑い夜の底で 母は
    毎晩盥(たらい)いっぱいの汚れ物の洗濯に追われた
    「楽でねえな――」

    「仕事 手伝え」という父の声と 「宿題すんだの」という母の声
    からかくれるように 少年は裏木戸から湖めざして駆けだした そ
    うして日がないちにち ヨシの間を分け入って鳰(にお)の巣を探
    して歩いた





    


    少年が行方不明になった
    半夏生が咲きはじめた湖で

    少年を呑みこんだ湖は捜索の小舟を浮かべ
    何事もなかったように凪いでいる

    まだ生きている――老人も子供も
    岸辺に佇んで沖の一点を見つめている

    ――早くあがってきて
    渚に座ったまま少年の母が叫ぶ

    しかし彼女は誰より冷静だった
    息子がとうに冷たくなって こと切れているのを知っている

    どれほど少年の臍に泥が積っただろう
    細い脚にどれほど石菖藻が絡まっただろう

    岸辺には半夏生がほの白く
    沖の小舟には灯がともり

    夏はようやく始まったばかりなのに
    村の夏は終ってしまったように沈んでいる

『子規句集』を読みました。

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昨夜、高浜虚子選『子規句集』を読み終えました。
虚子の「序」に曰く、「原句は凡そ二万句足らずある中から見るものの便をはかって、二千三百六句を選んだ。選むところのものは私の見て佳句とするものの外、子規の生活、行動、好尚、その頃の時相を知るに足るもの幷(ならび)に或事によって記念すべき句等であった」。以下、一読して気になった句を引用します。

「寒山落木」巻一(明治18-25年)
    梅雨晴やところどころに蟻の道
    朝顔にわれ恙なきあした哉
    鶯や山をいづれば誕生寺
    山々は萌黄浅黄やほとゝぎす
    岩々のわれめわれめや山つゝじ

    涼しさや馬も海向く淡井阪(あわいざか)
    垣ごしや隣へくばる小鰺鮓(こあじずし)
    五月雨(さみだれ)や漁婦(たた)ぬれて行くかゝえ帯
    蠅憎し打つ気になればよりつかず
    なでしこにざうとこけたり竹釣瓶(たけつるべ)

    名月や彷彿としてつくば山
    我宿の名月芋の露にあり
    大空の真つたゞ中やけふの月
    名月や汐に追はるゝ磯伝ひ
    秋風の一日何を釣る人ぞ

    名月はどこでながめん草枕
    下駄箱の奥になきけりきりぎりす
    桐の木に葉もなき秋の半(なかば)かな
    雨風にますます赤し唐辛子
    さらさらと竹に音あり夜の雪

    炭二俵壁にもたせて冬ごもり
    薄(すすき)とも蘆(あし)ともつかず枯れにけり
    旅籠屋や山見る窓の釣干菜(つりほしな)

「寒山落木」巻二(明治26年)
    我庭に歌なき妹(いも)の茶摘哉
    行く春のもたれ心や床柱
    鶯の下に庭掃く男かな
    白魚や椀の中にも角田川(すみだがわ)
    すり鉢に薄紫の蜆(しじみ)かな

    面白や馬刀(まて)の居る穴居らぬ穴
    初旅や木瓜(ぼけ)もうれしき物の数
    一籠(ひとかご)の蜆にまじる根芹(ねぜり)哉
    春老てたんぽゝの花吹けば散る
    夕まぐれ馬叱る町のあつさ哉

    経の声はるかにすゞし杉木立
    すゞしさやあるじまつ間の肘枕
    蚊の声にらんぷの暗き宿屋哉
    梅の実の落て黄なるあり青きあり
    盆過の村静かなり猿廻し

    壁やれてともし火もるゝ夜寒哉
    滝の音のいろいろになる夜長哉
    暁のしづかに星の別れ哉
    風吹て廻り燈籠の浮世かな
    木の末に遠くの花火開きけり

    宿もなき旅の夜更けぬ天の川
    山の温泉(ゆ)や裸の上の天の川
    橋二つ三つ漕ぎ出でゝ月見哉
    一寸の草に影ありけふの月
    待宵や降ても晴ても面白き

    鯉はねて月のさゞ波つくりけり
    夕陽(せきよう)に馬洗ひけり秋の海
    白萩(しらはぎ)のしきりに露をこぼしけり

「寒山落木」巻三(明治27年)
    栴檀(せんだん)のほろほろ落る二月哉
    宮嶋や春の夕波うねり来る
    春の夜のともし火赤し金屏風
    珠数(じゅず)ひろふ人や彼岸の天王寺
    春風や木の間に赤き寺一つ

    其まゝに花を見た目を瞑(ふさ)がれぬ
    夜桜や大雪洞(ぼんぼり)の空うつり
    大風の俄(にわ)かに起る幟(のぼり)かな
    海原や夕立さわぐ蜑小舟(あまおぶね)
    夏山や雲湧いて石横(よこた)はる

    舟に寝て我にふりかゝる花火哉
    禅寺の門を出づれば星月夜
    赤蜻蛉(あかとんぼ)筑波に雲もなかりけり
    鳥啼いて赤き木の実をこぼしけり
    掛稲に螽(いなご)飛びつく夕日かな

    雞(にわとり)の親子引きあふ落穂かな
    稲舟(いなぶね)や野菊の渚蓼(たで)の岸
    冬の日の刈田のはてに暮れんとす
    冬木立五重の塔の聳えけり

「寒山落木」巻四(明治28年)
    燕(つばくろ)や酒蔵つゞく灘伊丹
    茶畑やところどころに梅の花
    六月を奇麗な風の吹くことよ
    昼中の白雲涼し中禅寺
    涼しさや石燈籠の穴も海

    風呂の隅に菖蒲かたよせる女哉
    蚊帳釣りて書読む人のともし哉
    暁や白帆過ぎ行く蚊帳の外
    清水(きよみず)の阪のぼり行く日傘かな
    御仏(みほとけ)も扉をあけて涼みかな

    夕立や砂に突き立つ青松葉
    夏山や万象青く橋赤し
    説教にけがれた耳を時鳥(ほととぎす)
    古池や翡翠(かわせみ)去って魚浮ぶ
    名も知らぬ大木多し蝉の声

    蝸牛(ででむし)や雨雲さそふ角(つの)のさき
    山越えて城下見おろす若葉哉
    柿の花土塀の上にこぼれけり
    弁天の石橋低し蓮の花
    叢(くさむら)に鬼灯(ほおずき)青き空家(あきや)かな

    秋立てば淋し立たねばあつくるし
    大仏の足もとに寐る夜寒哉
    長き夜の面白きかな水滸伝
    行く秋をしぐれかけたり法隆寺
    行く我にとゞまる汝(なれ)に秋二つ

    人かへる花火のあとの暗さ哉
    音もなし松の梢の遠花火
    名月や寺の二階の瓦頭口(がとうぐち)
    月暗し一筋白き海の上
    読みさして月が出るなり須磨の巻

    月の座や人さまざまの影法師
    般若寺の釣鐘細し秋の風
    社壇百級秋の空へと上る人
    那古寺の椽(えん)の下より秋の海
    道尽きて雲起りけり秋の山

    鹿聞いて淋しき奈良の宿屋哉
    我に落ちて淋しき桐の一葉(ひとは)かな
    木槿(むくげ)咲く塀や昔の武家屋敷
    渋柿やあら壁つゞく奈良の町
    柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺

    麓から寺まで萩の花五町
    道の辺や荊(いばら)がくれに野菊咲く
    藁葺(わらぶき)の法華の寺や雞頭花
    溝川を埋めて蓼(たで)のさかりかな
    子を負ふて女痩田(やせだ)の稲を刈る

    籾干すや雞(にわとり)遊ぶ門の内
    牛蒡(ごぼう)肥えて鎮守の祭近よりぬ
    谷あひや谷は掛稲(かけいね)山は柿
    漱石が来て虚子が来て大三十日(おおみそか)
    旅籠屋の我につれなき寒さ哉

    月影や外は十夜(じゅうや)の人通り
    煤払(すすはき)や神も仏も草の上
    千年の煤もはらはず仏だち
    冬ごもり金平本(きんぴらぼん)の二三冊
    無精さや蒲団の中で足袋をぬぐ

    うとましや世にながらへて冬の蠅
    我病みて冬の蠅にも劣りけり
    帰り咲く八重の桜や法隆寺
    古寺や大日如来水仙花

「寒山落木」巻五(明治29年)
    人に貸して我に傘なし春の雨
    燕(つばくろ)のうしろも向かぬ別れ哉
    夏毎に痩せ行く老(おい)の思ひかな
    ほろほろと雨吹きこむや青簾(あおすだれ)
    夏嵐机上の白紙飛び尽す

    五月雨やしとゞ濡れたる恋衣
    今日も亦君返さじとさみだるゝ
    いのちありて今年の秋も涙かな
    案山子(かがし)にも劣りし人の行へかな
    酒のあらたならんよりは蕎麦のあらたなれ

    北国の庇(ひさし)は長し天の川
    野分(のわき)の夜(よ)書読む心定まらず
    人にあひて恐しくなりぬ秋の山
    竹竿のさきに夕日の蜻蛉(とんぼ)かな
    渋柿は馬鹿の薬になるまいか

    何ともな芒(すすき)がもとの吾亦紅(われもこう)
    野の道や十夜戻りの小提灯
    年忘橙(だいだい)剝(む)いて酒酌(く)まん
    夕烏一羽おくれてしぐれけり
    棕櫚(しゅろ)の葉のばさりばさりとみぞれけり

    百菊(ももぎく)の同じ色にぞ枯れにける

「俳句稿」巻一(明治30-32年)
    山吹や小鮒入れたる桶に散る
    余命いくばくかある夜短し
    君を送りて思ふことあり蚊帳に泣く
    宵月や黍(きび)の葉がくれ行水す
    虫干やけふは俳書の家集の部

    絵の嶋や薫風(くんぷう)魚の新しき
    人寐(い)ねて蛍飛ぶ也蚊帳の中
    銀屛に燃ゆるが如き牡丹哉
    芋阪の団子屋寐たりけふの月
    書に倦(う)むや蜩(ひぐらし)鳴て飯遅し

    御仏に供へあまりの柿十五
    冬ざれの厨(くりや)に赤き蕪(かぶら)かな
    静かさに雪積りけり三四尺
    めでたさも一茶位や雑煮餅
    うたゝ寐に風引く春の夕哉

    山吹の花くふ馬を叱りけり
    水無月の山吹の花にたとふべし
    つゝじ多き田舎の寺や花御堂(はなみどう)
    祇園会や二階に顔のうづ高き
    滊車の窓に首出す人や瀬田の秋

    野分して片枝折れし松の月
    手に満つる蜆(しじみ)うれしや友を呼ぶ
    かたまりて黄なる花さく夏野哉
    雞頭の皆倒れたる野分哉
    画き習ふ秋海棠(しゆうかいどう)の絵具哉

「俳句稿」巻二・「俳句稿」以後(明治33-35年)
    初芝居見て来て曠著(はれぎ)いまだ脱がず
    湯に入るや湯満ちて菖蒲あふれこす
    鉢植の梅の実黄なり時鳥(ほととぎす)
    菓子赤く茶の花白き忌日(きにち)哉
    大三十日(おおみそか)愚なり元日猶愚也

    何も書かぬ赤短冊や春浅し
    寐牀(ねどこ)から見ゆる小庭の牡丹かな
    痩骨(やせぼね)をさする朝寒夜寒かな
    朝な朝な粥くふ冬となりにけり
    薬のむあとの蜜柑や寒の内

    君を呼ぶ内証話(ないしよばなし)や鮟鱇汁
    枯尽くす糸瓜(へちま)の棚の氷柱(つらら)哉
    下総の国の低さよ春の水
    花の宿くたびれ足を按摩哉
    夏野行く人や天狗の面を負ふ

    痰一斗糸瓜の水も間にあはず

『蕪村句集』を読みました。

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昨夜、『現代語訳付き 蕪村句集』を読み終えました。以下、一読して気になった句を引用します。
なお、次の2句(安永9年=1780年、65歳)が特に気に入ったので、現代語訳も付けておきます。
  花に来て花にいねぶるいとまかな
    (訳)花見に来て、花の陰で居眠りする、やすらぎの時よ。
  掴みとりて心の闇のほたる哉
    (訳)つかみとって、己が心の闇に気がついた。掌のなかの蛍よ。


◆元文5年(1740):25歳
    行年(ゆくとし)や芥流るゝさくら川

◆延享元年(1744):29歳
    古庭に鶯啼きぬ日もすがら

◆宝暦10年(1760):45歳
    秋かぜのうごかして行(ゆく)案山子哉

◆宝暦元年(1751)~宝暦7年(1757)以前:36-42歳以前
    夏河を越すうれしさよ手に草履

◆宝暦13年(1763)以前:48歳以前
    春の海終日(ひねもす)のたりのたりかな

◆明和3年(1766):51歳
    虫干や甥の僧訪(と)ふ東大寺

◆明和5年(1768):53歳
    象の眼の笑ひかけたり山桜
    狩ぎぬの袖の裏這ふほたろ哉
    手すさびの団(うちは)画(ゑがか)ん草の汁
    鮒鮓(ふなずし)の便りも遠き夏野哉
    温泉(ゆ)の底に我足見ゆる今朝の秋

    錦(にしき)する秋の野末の案山子哉
    うき人に手をうたれたるきぬた哉
    かじか煮る宿に泊りつ後の月
    磯ちどり足をぬらして遊びけり
    寒月や門をたゝけば沓(くつ)の音

    宿かさぬ灯影(ほかげ)や雪の家つづき
    極楽のちか道いくつ寒念仏

◆明和6年(1769):54歳
    難波女(なにはめ)や京を寒がる御忌詣(ぎよきまうで)
    苗代や鞍馬のさくら散にけり
    菜の花や和泉河内へ小商(こあきなひ)
    牡丹散て打かさなりぬ二三片
    蚊屋の内にほたるはなしてアヽ楽や

    薬園に雨ふる五月五日かな
    夕顔や行燈(あんど)さげたる君は誰
    凩(こがらし)や碑(いしぶみ)をよむ僧一人
    冬ごもり妻にも子にもかくれん坊(ぼ)

◆明和7年(1770):55歳
    熊谷も夕日まばゆき雲雀哉
    十六夜(いざよひ)の落るところや須磨の波

◆明和8年(1771):56歳
    鶯の麁相(そさう)がましき初音かな
    行雲を見つゝ居直る蛙哉
    喰ふて寝て牛にならばや桃の花
    明やすき夜や稲妻の鞘走り
    暑き日の刀にかゆる扇哉

    貧乏に追つかれけりけさの秋
    みのむしのぶらと世にふる時雨哉

◆安永元年(1772):57歳
    日の光今朝や鰯のかしらより

◆安永2年(1773):58歳
    若竹や夕日の嵯峨と成にけり
    うき草を吹あつめてや花むしろ
    かなしさや釣の糸ふく秋の風
    茸狩(たけがり)や頭(かうべ)を挙(あぐ)れば峰の月
    いざ雪見容(カタチヅクリ)す蓑と笠

◆安永3年(1774):59歳
    花の春誰(た)ソやさくらの春と呼(よぶ)
    我宿のうぐひす聞む野に出て
    なの花や月は東に日は西に
    ゆく春やおもたき琵琶の抱心(だきごころ)
    寂(せき)として客の絶間のぼたん哉

    夕風や水青鷺の脛(はぎ)をうつ
    花いばら故郷の路に似たるかな
    夜水(よみづ)とる里人の声や夏の月
    狐火の燃つく斗(ばかり)枯尾花

◆安永4年(1775):60歳
    御忌(ぎよき)の鐘ひゞくや谷の氷まで
    剛力は徒(ただ)に見過ぬ山ざくら
    海棠や白粉(おしろい)に紅をあやまてる
    猪の露折かけておみなへし
    居眠(いねぶ)りて我にかくれん冬ごもり

◆安永5年(1776):61歳
    みの虫の古巣に添ふて梅二輪
    なつかしき津守の里や田にしあへ
    折釘に烏帽子かけたり春の宿
    さし汐に雨のほそ江のほたる哉
    夏山や通ひなれたる若狭人(わかさびと)

    夕立や草葉をつかむ村雀
    椎の花人もすさめぬ匂かな
    秋風や干魚(ひうを)かけたる浜庇(はまびさし)
    盗人の首領哥(うた)よむけふの月
    中々にひとりあればぞ月を友

    紀の路にもおりず夜を行(ゆく)雁(かり)ひとつ
    起て居てもう寝たと云(いふ)夜寒哉
    黒谷の隣はしろしそばの花
    我を慕ふ女やはある秋のくれ
    さびしさのうれしくも有(あり)秋のくれ    

    暮まだき星のかゝやくかれの哉

◆安永6年(1777):62歳
    梅遠近(をちこち)南すべく北すべく
    やぶ入や浪花を出(いで)て長柄川(ながらがわ)
    春風や堤長うして家遠し
    たんぽゝ花咲り三々五々五々は黄に
    月光西にわたれば花影東に歩むかな

    おちこちに滝の音聞く若葉かな
    こもり居て雨うたがふや蝸牛(かたつぶり)
    渋柿の花ちる里と成にけり
    金屏のかくやくとして牡丹哉
    鮒ずしや彦根の城に雲かゝる

    酒を煮る家の女房ちよとほれた
    芍薬に紙魚(しみ)うち払ふ窓の前
    小田原で合羽(かつぱ)買たり五月雨(さつきあめ)
    涼しさや鐘をはなるゝかねの声
    掛香(かけがう)をきのふわすれぬ妹(いも)がもと

    百日紅(さるすべり)やゝちりがての小町寺
    端居(はしゐ)して妻子を避(さく)る暑(あつさ)かな
    恋さまさま願(ねがひ)の糸も白きより
    八朔もとかく過行(すぎゆく)おどり哉
    松明(まつ)消(きえ)て海少し見(みゆ)る花野かな

    追風に薄(すすき)刈とる翁かな
    花火せよ淀の御茶屋の夕月夜(ゆふづくよ)
    三径(さんけい)の十歩に尽て蓼の花
    瀬田降て志賀の夕日や江鮭(あめのうを)
    十六夜あくじら来(き)そめし熊野浦

    まんじゆさげ蘭に類(たぐ)ひて狐啼(なく)
    手燭して色失へる黄菊かな
    こがらしや鐘に小石を吹当(あて)る
    水仙や寒き都のこゝかしこ

◆安永7年(1778):63歳
    菜の花や鯨もよらず海くれぬ
    ゆく春や白き花見ゆ垣のひま

◆安永8年(1779):64歳
    順礼の宿とる軒や猫の恋
    関守の火鉢小さき余寒哉
    莟(つぼみ)とはなれもしらずよ蕗の薹
    暁のあられ打ゆく椿哉
    大和路の宮もわら屋もつばめ哉

    大津絵に糞(ふん)落しゆく燕かな
    山に添ふて小舟漕行(こぎゆく)若ばかな
    虹を吐(はい)てひらかんとする牡丹哉
    洟(はな)たれて独(ひとり)碁をうつ夜寒かな

◆安永9年(1780):65歳
    妹が垣根さみせん草の花咲ぬ
    春雨やゆるい下駄借(か)す奈良の宿
    花に来て花にいねぶるいとまかな
    傾城(けいせい)はのちの世かけて花見かな
    誰(たが)ための低きまくらぞ春の暮

    きのふ暮けふ又くれてゆく春や
    掴みとりて心の闇のほたる哉
    家にあらで鶯きかぬひと日哉
    すみずみにのこる寒さやうめの花

◆天明元年(1781):66歳
    春水(しゆんすい)や四条五条の橋の下
    菜の花やみな出はらひし矢走舟(やばせぶね)
    日くるゝに雉子うつ春の山辺哉
    うたゝ寝のさむれば春の日くれたり

◆天明2年(1782):67歳
    今朝きつる鶯と見しに啼かで去(さる)
    春雨やものがたりゆく蓑と傘
    旅人の鼻まだ寒し初ざくら
    ゆく春や逡巡として遅ざくら
    後の月鴫(しぎ)たつあとの水の中

    淋し身に杖わすれたり秋の暮

◆天明3年(1783):68歳
    山吹や井手を流るゝ鉋屑(かんなくず)

◆年次不詳 安政7年~天明3年(1778-1783):63-68歳
    曙のむらさきの幕や春の風

◆年次不詳 年次推定の上限・下限が特定できないもの
    水深く利鎌(ときかま)鳴らす真菰刈(まこもがり)
    秋の燈(ひ)やゆかしき奈良の道具市



与謝蕪村
 1716-83年。江戸時代中期の俳人・画人。摂津国東成郡毛馬村に生まれ、若き日に江戸へ下向、以後関東・東北地方を遊歴して、画と俳諧を修業。36歳で帰阪して、丹後・四国地方を画家として歴訪、京都に定住した。55歳で夜半亭を継いで宗匠立机。俳句と画が映発し合い交響する「はいかい物之草画」(俳画)を創成する。(ブックカバーより)

俵万智『プーさんの鼻』を読みました。

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今日、俵万智の第四歌集『プーさんの鼻』(05)を読みました。『チョコレート革命』(1997)以来、約8年ぶりの歌集で、子どもの歌が多いのが特徴です。
なお、作者は歌作りについて「あとがき」で次のように述べています。印象的な言葉なので引用しておきます。
「子どもの歌、恋の歌、家族の歌……。短歌は、私のなかから生まれるのではない、私と愛しい人とのあいだに生まれるのだ。三十代半ばから四十代はじめの作品を整理しながら、あらためてそう思った。愛しい人との出会いに感謝しつつ、三百四十四首を、本集のために選んだ。」
以下、一読して気になった歌を引用します。


「プーさんの鼻」
  熊のように眠れそうだよ母さんはおまえに会える次の春まで
  吾(あ)のなかに吾でなき我を浮かべおり薄むらさきに過ぎてゆく梅雨
  ぽんと腹をたたけばムニュと蹴りかえす なーに思っているんだか、夏
  読みやすく覚えやすくて感じよく平凡すぎず非凡すぎぬ名
  夕飯はカレイの煮つけ前ぶれを待ちつつ過ごす時のやさしさ

  バンザイの姿勢で眠りいる吾子よ そうだバンザイ生まれてバンザイ
  ふるえつつ天抱くしぐさ育児書はモロー反射と簡単に呼ぶ
  泣くという音楽がある みどりごをギターのように今日も抱えて
  ひざの上に子を眠らせて短篇を一つ読み切る今日のしあわせ
  唯一の存在という危うさを子と分かちあう冬空の下

  生きるとは手をのばすこと幼子(おさなご)の指がプーさんの鼻をつかめり
  いつまでも眠れぬ吾子よ花の咲く瞬間を待つほどの忍耐
  ついてってやれるのはその入り口まであとは一人でおやすみ坊や
  記憶には残らぬ今日を生きている子にふくませる一匙(ひとさじ)の粥
  母なればたくましきかな教え子は子をぶらさげて渋谷まで行く

  クロッカスの固き花芽の萌(きざ)すごとぽちりと吾子の前歯生え初(そ)む
  しがみつきながら体をかたむけて子は犬という生き物を見る

「アボカド」
  アボカドの固さをそっと確かめるように抱きしめられるキッチン
  撮影に「太陽待ち」という時間あり疑わず待つ人は光りを
  居酒屋の一つのハンガーにかけられた我のコートと君のオーバー
  さくら桜そして今日見るこのさくら三たびの春を我ら歩めり
  うしろから抱きしめられて眠る夜 君は翼か荷物か知らぬ

  一分をまとめて進む長針がひた、ひた、ひたと迫るさよなら
  三文小説に三文の値打ちあることを思いて人と別れゆくなり

「父の定年」
  第一も第二もなくて人生は続いてゆくよ昨日今日明日
  根拠なき自信に満ちて花を描く父は父らしく老いてゆくらし

「裸の空」
  笑うとき小さく宿る目の下の皺が好きだよ、笑わせたいよ
  二日酔いの君が苦しく横たわる隣で裸の空を見ていた

「時差」
  遠ざかる君のリュックを見ておりぬサヨナラ三角また来なくても
  六年とう月日の長さ短さを計りて計りきれぬ水際

「卵」
    処女(をとめ)にて身に深く持つ浄き卵(らん)秋の日吾の心熱くす  富小路禎子 
  ヒトでありメスであること「卵」という言葉選びし禎子を思う

「反歌・駅弁ファナティック」 ドリアン・T・助川の詩集『駅弁ファナティック』を長歌として
    青森駅
  もう少し生きてみようか駅弁は「漁師のごちそうたらの味噌焼き」
    上野駅
  きぬさやのこいのさやあてにんじんはたけのここいしいしいたけきらい
    水戸駅
  「印籠は国家権力の象徴だ」君の怒りの三段重ね
    和歌山駅
  愚かさは線を引くこと国と国、男と女、過去と現在
    大阪駅
  知っとるか、たこやきだけやあれへんでナウいヤングはドライカレーじゃ
    京都駅
  メニューには非菜食者のページあり「非」の方へ我は分類される
    吉野口駅
  くるまれる寿しよりもくるむ柿の葉の心いただく柿の葉寿しの

「白い帽子」
  白い帽子かぶって会いに来る人を季節のように受け入れている
  通り雨のような口づけ もっとちゃんと恋をしてからすればよかった
  言葉ではなくて事実を重ねゆくずるさを君と分かちあう春
  御破算で願いたいけどどうしてもゼロにならない男がいます
  比べつつ愛しはじめている我か靖国通りは今日も渋滞

  焼きとり屋で笑いつづけて二人して思い出せない映画の名前
  五分咲きの桜のようなだるさにて恋のはじめはいつも寝不足
  脣を離して「つづきは今度」ってこないかもしれないよ今度は
  不良債権のような男もおりまして時々過去からかかる呼び出し
  辛(から)い顔すっぱい顔が見たかったトム・ヤム・クンのクンはエビだよ

  サヨナラのキスのかわりに触れ合った指先が遠ざかる人ごみ

「鍋」
  吾と君のあいだで鍋が鍋だけがあたたかな湯気たてているなり
  これが最後の晩餐なのに長ネギが嫌いだなんて知らなかったよ
  さかのぼってあなたを否定するわけじゃないけど煮えすぎている白菜
  雑炊を食べきったなら何ごともなかったように終わりにしよう

「夏の子ども」
  みどりごと散歩をすれば人が木が光が話しかけてくるなり
  こんもりと尻あげたまま眠りいる吾子よ疲れた河童のように
  耳の穴こしょこしょ指で搔いてやる猿の母さんのような気持ちで
  夜泣きするおまえを抱けば私しかいないんだよと月に言われる

「つゆ草の青」
  たんぽぽの綿毛を吹いて見せてやるいつかおまえも飛んでゆくから
  祖母と母いさかう夜の食卓に子は近づかず一人遊びす

「もじょもじょぷつり」
  初めてのもじょもじょぷつり今朝吾子はエノコログサの感触を知る
  川べりの道に黄色く笑いおり季節はずれのたんぽぽ王子
  「かーかん」と呼んだ気がする昼下がりコスモスだけが頷いている
  叱られて泣いてわめいてふんばってそれでも母に子はしがみつく

「弟の結婚」
  「生まれたよ」と父親の声はずみつつ五月の朝に弟が来た
  初めてのデートは焼鳥屋と言えりきっと私と行ったあの店
  新郎と呼ばれて顔をあげている弟はずっとずっと弟
  ブーケトスおどけてキャッチする我の中で何かが泣きそうになる
  弟が彼女とタヒチへ旅立つ日読み返してる「月と六ペンス」

「メロン」
  祖父逝けり一人の妻と五人の子、九人の孫と二人のひ孫
  「これもいい思い出になる」という男それは未来の私が決める

「木馬の時間」
  外に出て歩きはじめた君に言う大事なものは手から放すな
  納豆は「なんのう」海苔は「のい」となり言葉の新芽すんすん伸びる
  理論武装してもいいけど理論では育てられないちびくろさんぼ
  悪気なき言葉にふいに刺されおり痛いと思うようじゃまだまだ
  揺れながら前へ進まず子育てはおまえがくれた木馬の時間

「月まで行って」
  着ぶくれて石拾う子よ人類は月まで行って拾ってきたよ
  リセットのできぬ命をはぐくめば確かに我は地球を愛す

『一茶俳句集』を読みました。

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昨夜、『新訂 一茶俳句集』を読み終えました。以下、一読して気になった句を引用します。


◆寛政期
    時鳥(ほととぎす)我身ばかりに降雨か
    外は雪内は煤(すす)ふる栖(すみか)かな
    雲に鳥人間海にあそぶ日ぞ
    更衣(ころもがへ)しばししらみを忘れたり
    秋の夜や旅の男の針仕事

    咬牙(はがみ)する人に目覚て夜寒哉
    思ふ人の側(そば)へ割込む巨燵(こたつ)哉
    初夢に古郷(ふるさと)を見て涙哉
    夏の暁(あけ)や牛に寐てゆく秣刈(まぐさかり)
    蛙(かはづ)鳴き鷄(とり)なき東しらみけり

    衣がへ替ても旅のしらみ哉
    義仲寺(ぎちゆうじ)へいそぎ候はつしぐれ
    忘れ旅をわするゝ夜も哉(がな)
    正月の子供に成(なり)て見たき哉
    もたいなや昼寝して聞(きく)田うへ唄

    満月に隣もかやを出たりけり
    ほたるよぶよこ顔過(よぎ)るほたる哉
    今さらに別(わかれ)ともなし春がすみ
    夏の雲朝からだるう見えにけり

◆享和期
    足元へいつ来りしよ蝸牛(かたつぶり)
    我(わが)星はどこに旅寐(たびね)や天の川
    年已(すで)に暮んとす也旅の空

◆文化前期
    春立(たつ)や見古したれど筑波山
    通り抜(ぬけ)ゆるす寺也春のてふ
    こつこつと人行過(ゆきすぎ)て花のちる
    福蟾(ふくびき=ヒキガエル)ものさばり出たり桃花(もものはな)
    旅人にすれし家鴨(あひる)や杜若(かきつばた)

    淋しさに蠣殻(かきがら)ふみぬ花卯木(うつぎ)
    冷し瓜二日たてども誰も来(こ)ぬ
    我星は上総の空をうろつくか
    うろたへな寒くなる迚(とて)赤蜻蛉(とんぼ)
    寝る外(ほか)に分別はなし花木槿(むくげ)

    わが春やタドン一ツに小菜(こな)一把
    三ケ月や田螺(たにし)をさぐる腕の先
    艸蔭(くさかげ)にぶつくさぬかす蛙哉
    朝やけがよろこばしいか蝸牛(かたつぶり)
    すき腹に風の吹(ふき)けり雲の峰

    舟引(ふなひき)の足にからまる螢哉
    酒冷すちよろちよろ川の槿(むくげ)哉
    木つゝきの死ネトテ敲(たた)く柱哉
    年よりや月を見るにもナムアミダ
    ひやうひやうと瓢(ひさご)の風も九月哉

    宵(よひ)々に見べりもするか炭俵
    人寄せぬ桜咲けり城の山
    陽炎(かげろふ)や寝たい程寝し昼の鐘
    時鳥(ほととぎす)火宅の人を笑(わらふ)らん
    ほちやほちやと藪蕣(やぶあさがほ)の咲にけり

    風吹(ふい)てそれから鴈(かり)の鳴にけり
    又人にかけ抜(ぬか)れけり秋の暮
    うしろから秋風吹(ふく)やもどり足
    梅干と皺(しわ)くらべせんはつ時雨(しぐれ)
    鰒(ふぐ)提(さげ)てむさしの行(ゆく)や赤合羽

    夕燕我には翌(あす)のあてはなき
    たまに来る古郷(こきやう)の月は曇りけり
    そば所と人はいふ也赤蜻蛉(とんぼ)
    行(ゆく)雲やかへらぬ秋を蝉の鳴(なく)
    越(こえ)て来た山の木(こ)がらし聞(きく)夜哉

    梅咲くやあはれことしももらひ餅
    雛祭り娘が桐も伸にけり
    いざゝらば死(しに)ゲイコせん花の陰
    うぐひすもうかれ鳴(なき)する茶つみ哉
    蠅打(はえうち)に敲かれ玉ふ仏哉

    秋立(たつ)や雨ふり花のけろけろと
    畠打(はたうち)の顔から暮るゝつくば山
    宵(よひ)祭大夕立(おほゆふだち)の過(すぎ)にけり

◆文化後期
    門々(かどかど)の下駄の泥より春立(たち)ぬ
    蝶とんで我身も塵(ちり)のたぐひ哉
    雪どけをはやして行や外郎売(うゐろうり)
    雪とけてクリクリしたる月よ哉
    ちる花や已(すで)におのれも下り坂

    花さくや欲のうき世の片隅に
    よるとしや桜のさくも小うるさき
    死支度(しにじたく)致せ致せと桜哉
    空豆の花に追(おは)れて更衣(ころもがへ)
    艸(くさ)そよそよ簾(すだれ)のそよりそより哉

    枯々(かれかれ)の野辺に恋する螽(いなご)哉
    行(ゆく)としや空の名残を守谷迄
    我(わが)春も上々吉(きち)よ梅の花
    初空へさし出す獅子の首(かしら)哉
    象潟(きさがた)や桜を浴(あび)てなく蛙(かはづ)

    春雨に大欠伸(おほあくび)する美人哉
    家根(やね)をはく人の立(たち)けり夕桜
    山吹をさし出し㒵(がほ)の垣ね哉
    蛼(こほろぎ)が㒵こそぐつて通りけり
    石仏(いしぼとけ)誰(たれ)が持たせし艸の花

    うつくしや雲雀の鳴(なき)し迹(あと)の空
    なく蛙溝のなの花咲(さき)にけり
    ついそこの二文(にもん)渡しや春の月
    夕立やけろりと立し女郎花(をみなへし)
    鹿の子の迹(あと)から奈良の烏哉

    よしきりや空の小隅(こすみ)のつくば山
    秋風やのらくら者のうしろ吹(ふく)
    そば時や月のしなのゝ善光寺
    鶏頭のつくねんとして時雨哉
    是(これ)がまあつひの栖(すみか)か雪五尺

    納豆の糸引張(ひつぱつ)て遊びけり
    かくれ家(や)や歯のない口で福は内
    かすむやら目が霞(かすむ)やらことしから
    春雨や喰(くは)れ残りの鴨が鳴(なく)
    手枕や蝶は毎日来てくれる

    泣(なく)な子供赤いかすみがなくなるぞ
    かしましや江戸見た厂(かり)の帰り様(やう)
    柳からもゝんぐわとて出る子哉
    春風に尻を吹(ふか)るゝ屋根屋哉
    寝るてふにかしておくぞよ膝がしら

    赤犬の欠伸(あくび)の先やかきつばた
    大の字に寝て涼しさよ淋しさよ
    旅人や山に腰かけて心太(ところてん)
    とうふ屋が来る昼㒵(ひるがほ)が咲にけり
    うつくしやしやうじの穴の天の川

    あの月をとつてくれろと泣子哉
    人のためしぐれておはす仏哉
    長き夜や心の鬼が身を責(せめ)る
    冬枯や垣にゆひ込(こむ)つくば山
    炭舟や筑波おろしを天窓(あたま)から

    喰(くう)て寝てことしも今(こ)よひ一夜哉
    雪とけて村一ぱいの子ども哉
    正月や辻の仏も赤頭巾
    有様(ありやう)は我も花より団子哉
    我と来て遊ぶや親のない雀

    五月雨にざくざく歩く烏哉
    あら寒(さむ)や大蕣(あさがほ)のとぼけ咲(ざき)
    桐の木やてきぱき散(ちつ)てつんと立(たつ)
    へら鷺や水が冷たい歩き様(やう)
    青空に指で字をかく秋の暮

    独身(ひとりみ)や上野歩行(あるい)てとし忘(わすれ)
    大根引(だいこひき)大根で道を教へけり
    我上(わがうへ)にやがて咲(さく)らん苔(こけ)の花
    笋(たけのこ)のウンプテンプの出所(でどこ)哉
    早乙女の尻につかへる筑波哉

    堂守(だうも)りが茶菓子売(うる)也木下闇(こしたやみ)
    魚どもは桶としらでや夕涼
    留守にするぞ恋して遊べ菴(いほ)の蠅
    蛼(こほろぎ)のふいと乗けり茄子(なすび)馬
    秋風の一もくさんに来る家(や)哉

    夕月や涼(すずみ)がてらの墓参(まゐり)
    夜神楽や焚火(たきび)の中へちる紅葉(もみぢ)
    鴈(かり)よ厂(かり)いくつのとしから旅をした
    凧(たこ)抱(だい)たなりですやすや寝たりけり
    蕗の葉に煮〆(にしめ)配りて山桜

    なの花の中を浅間のけぶり哉
    痩蛙(やせがへる)まけるな一茶是(これ)に有(あり)
    瓜西瓜(うりすいくわ)ねんねんころりころり哉
    スリコ木で蠅を追(おひ)けりとろゝ汁
    夏の虫恋する隙(ひま)はありにけり

    夜咄(ばなし)のあいそにちよいと蚊やり哉
    寝返りをするぞそこのけ蛬(きりぎりす)
    春雨や藪に吹(ふか)るゝ捨(すて)手紙
    寝て起(おき)て大欠伸(おほあくび)して猫の恋
    大の字に寝て見たりけり雲の峰

    さくさくと氷カミツル茶漬哉
    木がらしや木葉(このは)にくるむ塩肴(ざかな)

◆文政前期
    古郷はかすんで雪の降りにけり
    どんど焼どんどゝ雪の降りにけり
    つくばねの下ル際(きは)也三ケの月
    山の湯やだぶりだぶりと日の長き
    梅どこか二月の雪の二三尺

    傘さして箱根越(こす)也春の雨
    人に花大からくりのうき世哉
    山焼の明りに下る夜舟哉
    うす墨を流した空や時鳥(ほととぎす)
    わか葉して男日でりの在所哉

    木曾山に流入(ながれいり)けり天の川
    這へ笑へ二ツになるぞけさからは
    梅咲(さく)やしやうじに猫の影法師
    目出度さもちう位也おらが春
    土蔵からすぢかひにさすはつ日哉

    雀の子そこのけそこのけ御馬が通る
    御仏(みほとけ)や寝てござつても花と銭
    時鳥なけや頭痛の抜(ぬけ)る程
    蟬なくやつくづく赤い風車
    迯(にげ)て来てため息つくかはつ蛍

    松のセミどこ迄鳴(ない)て昼になる
    木啄(きつつき)もやめて聞(きく)かよ夕木魚
    子を負(おう)て川越す旅や一(ひと)しぐれ
    蟷螂(たうらう)や五分の魂見よ見よと
    秋風やむしりたがりし赤い花

    木(こ)がらしや廿四文の遊女小屋
    雪ちるやおどけも云へぬ信濃空
    蛬(きりぎりす)身を売(うら)れても鳴(なき)にけり
    蚊屋つりて喰(くひ)に出る也夕茶漬
    歩(あるき)ながらに傘(からかさ)ほせばほとゝぎす

    山道の案内顔や虻(あぶ)がとぶ
    遠山が目玉にうつるとんぼ哉
    鬼灯(ほほづき)の口つきを姉が指南哉
    猫の子のくるくる舞やちる木のは
    大寒(おほさむ)と云(いふ)顔もあり雛(ひひな)たち

    田楽のみそにくつゝく桜哉
    京辺(みやこべ)や人がひと見て夕すゞみ
    やれ打(うつ)な蠅が手をすり足をする
    家なしがへらず口きく涼み哉
    朝顔や吹(ふき)倒されたなりでさく

    汁の実の足しに咲けりきくの花

◆文政後期
    歩行(あるき)よい程に風吹く日永(ひなが)哉
    ふらんど(=ぶらんこ)や桜の花をもちながら
    暑き日や火の見櫓(やぐら)の人の㒵(かほ)
    来る人が道つける也門(かど)の雪
    朝㒵(あさがほ)に涼しくくふやひとり飯(めし)

    薄壁や月もろともに寒が入(いる)
    木の陰や蝶と休むも他生(たしやう)の縁
    山寺は碁の秋里は麦の秋
    鰹一本に長家(ながや)のさわぎ哉
    朝㒵やうしろは市のやんざ声(=かけ声)

    秋立(たつ)といふばかりでも足かろし
    挑灯(てうちん)の灯(ひ)貰ひに出る夜永(よなが)哉
    送り火や今に我等もあの通り
    青空のきれい過たる夜寒哉
    田から田へ真一文字や十夜道

◆年次不詳

    名月や仏のやうに膝をくみ
    ばせを忌(=芭蕉忌)やことしもまめで旅虱(たびじらみ)
    留主札(るすふだ)もそれなりにして冬籠(ふゆごもり)



小林一茶
 1763(宝暦13)年、長野県の北部、北国街道柏原宿(現信濃町)の農家に生まれ、本名を弥太郎といいました。3歳のとき母がなくなり、8歳で新しい母をむかえました。働き者の義母になじめなった一茶は、15歳の春、江戸に奉公に出されました。奉公先を点々とかえながら、20歳を過ぎたころには、俳句の道をめざすようになりました。
 一茶は、葛飾派三世の溝口素丸、二六庵小林竹阿、今日庵森田元夢らに師事して俳句を学びました。初め、い橋・菊明・亜堂ともなのりましたが、一茶の俳号を用いるようになりました。
 29歳で、14年ぶりにふるさとに帰った一茶は、後に「寛政三年紀行」を書きました。30歳から36歳まで、関西・四国・九州の俳句修行の旅に明け暮れ、ここで知り合った俳人と交流した作品は、句集「たびしうゐ」「さらば笠」として出版しました。 
 一茶は、39歳のときふるさとに帰って父の看病をしました。父は、一茶と弟で田畑・家屋敷を半分ずつ分けるようにと遺言を残して、1か月ほどで亡くなってしまいました。このときの様子が、「父の終焉日記」にまとめられています。この後、一茶がふるさとに永住するまで、10年以上にわたって、継母・弟との財産争いが続きました。
 一茶は、江戸蔵前の札差夏目成美の句会に入って指導をうける一方、房総の知人・門人を訪ねて俳句を指導し、生計をたてました。貧乏と隣り合わせのくらしでしたが、俳人としての一茶の評価は高まっていきました。
 50歳の冬、一茶はふるさとに帰りました。借家住まいをして遺産交渉を重ね、翌年ようやく和解しました。52歳で、28歳のきくを妻に迎え、長男千太郎、長女さと、次男石太郎、三男金三郎と、次々に子どもが生まれましたが、いずれも幼くして亡くなり、妻きくも37歳の若さで亡くなってしまいました。一茶はひとりぽっちになりましたが、再々婚し、一茶の没後、妻やをとの間に次女やたが生まれました。
 家庭的にはめぐまれませんでしたが、北信濃の門人を訪ねて、俳句指導や出版活動を行い、句日記「七番日記」「八番日記」「文政句帖」、句文集「おらが春」などをあらわし、2万句にもおよぶ俳句を残しています。
 1827(文政10)年閏6月1日、柏原宿の大半を焼く大火に遭遇し、母屋を失った一茶は、焼け残りの土蔵に移り住みました。この年の11月19日、65歳の生涯をとじました。(一茶記念館HPより)

『中原中也詩集』を読みました。

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今日、大岡昇平編『中原中也詩集』読み終えました。以下、気に入った詩をいくつか引用します。

◆『山羊の歌』より

    サーカス

    幾時代かがありまして
      茶色い戦争ありました

    幾時代かがありまして
      冬は疾風吹きました

    幾時代かがありまして
      今夜此処での一と殷盛り(ひとさかり)
        今夜此処での一と殷盛り

    サーカス小屋は高い梁
      そこに一つのブランコだ
    見えるともないブランコだ

    頭倒(さか)さに手を垂れて
      汚れ木綿の屋蓋(やね)のもと
    ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

    それの近くの白い灯が
      安値(やす)いリボンと息を吐き

    観客様はみな鰯
      咽喉(のんど)が鳴ります牡蠣殻と
    ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

         屋外(やぐわい)は真ッ闇(くら) 闇の闇
         夜は却々(こふこふ)と更けまする
         落下傘奴(らくかがさめ)のノスタルヂアと
         ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん



    汚れつちまつた悲しみに‥‥‥

    汚れつちまつた悲しみに
    今日も小雪の降りかかる
    汚れつちまつた悲しみに
    今日も風さへ吹きすぎる

    汚れつちまつた悲しみは
    たとへば狐の革裘(かはごろも)
    汚れつちまつた悲しみは
    小雪のかかつてちぢこまる

    汚れつちまつた悲しみは
    なにのぞむなくねがふなく
    汚れつちまつた悲しみは
    倦怠(けだい)のうちに死を夢む

    汚れつちまつた悲しみに
    いたいたしくも怖気(おぢけ)づき
    汚れつちまつた悲しみに
    なすところもなく日は暮れる‥‥‥



    いのちの声

          もろもろの業(わざ)、太陽のもとにては蒼ざめたるかな。
                                     ――ソロモン

    僕はもうバッハにもモツアルトにも倦果てた。
    あの幸福な、お調子者のヂャズにもすつかり倦果てた。
    僕は雨上りの曇つた空の下の鉄橋のやうに生きてゐる。
    僕に押寄せてゐるものは、何時でもそれは寂漠だ。

    僕はその寂漠の中にすつかり沈静してゐるわけでもない。
    僕は何かを求めてゐる、絶えず何かを求めてゐる。
    恐ろしく不動の形の中にだが、また恐ろしく憔(じ)れてゐる。
    そのためにははや、食慾も性慾もあつてなきが如くでさへある。

    しかし、それが何かは分らない、つひぞ分つたためしはない。
    それが二つあるとは思へない、ただ一つであるとは思ふ。
    しかしそれが何かは分らない、つひぞ分つたためしはない。
    それに行き著く一か八かの方途さへ、悉皆(すつかり)分つたためしはない。

    時に自分を揶揄(からか)ふやうに、僕は自分に訊(き)いてみるのだ。
    それは女か? 甘(うま)いものか? それは栄誉か?
    すると心は叫ぶのだ、あれでもない、これでもない、あれでもないこれでもない!
    それでは空の歌、朝、高空に、鳴響く空の歌とでもいふのであらうか?

        

    否何(いず)れとさへそれはいふことの出来ぬもの!
    手短かに、時に説明したくなるとはいふものの、
    説明なぞ出来ぬものでこそあれ、我が生は生くるに値ひするものと信ずる
    それよ現実! 汚れなき幸福! あらはるものはあらはるまゝによいといふこと!

    人は皆、知ると知らぬに拘(かかは)らず、そのことを希望してをり、
    勝敗に心覚(さと)き程は知るによしないものであれ、
    それは誰も知る、放心の快感に似て、誰もが望み
    誰もがこの世にある限り、完全には望み得ないもの!

    併し幸福といふものが、このやうに無私の境のものであり、
    かの慧敏(けいびん)なる商人の、称して阿呆といふでもあらう底のものとすれば、
    めしをくはねば生きてゆかれぬ現身(うつしみ)の世は、
    不公平なものであるよといはねばならぬ。

    だが、それが此の世といふものなんで、
    其処(そこ)に我等は生きてをり、それは任意の不公平ではなく、
    それに因(よつ)て我等自身も構成されたる原理であれば、
    然らば、この世に極端はないとて、一先づ休心するもよからう。

        

    されば要は、熱情の問題である。
    汝、心の底より立腹せば
    怒れよ!

    さあれ、怒ることこそ
    汝(な)が最後なる目標の前にであれ、
    この言(こと)ゆめゆめおろそかにする勿(なか)れ。

    そは、熱情はひととき持続し、やがて熄(や)むなるに、
    その社会的効果は存続し、
    汝(な)が次なる行為への転調の障(さまた)げとなるなれば。

        

    ゆふがた、空の下で、身一点に感じられれば、万事に於て文句はないのだ。


◆『在りし日の歌』より

    頑是ない歌

    思へば遠く来たもんだ
    十二の冬のあの夕べ
    港の空に鳴り響いた
    汽笛の湯気は今いづこ

    雲の間に月はゐて
    それな汽笛を耳にすると
    竦然(しようぜん)として身をすくめ
    月はその時空にゐた

    それから何年経つたことか
    汽笛の湯気を茫然と
    眼で追ひかなしくなつてゐた
    あの頃の俺はいまいづこ

    今では女房子供持ち
    思へば遠く来たもんだ
    此の先まだまだ何時までか
    生きてゆくのであらうけど

    生きてゆくのであらうけど
    遠く経て来た日や夜(よる)の
    あんまりこんなにこひしゆては
    なんだか自信が持てないよ

    さりとて生きてゆく限り
    結局我(が)ン張(ば)る僕の性質(さが)
    と思へばなんだか我ながら
    いたはしいよなものですよ

    考へてみればそれはまあ
    結局我ン張るのだとして
    昔恋しい時もあり そして
    どうにかやつてはゆくのでせう

    考へてみれば簡単だ
    畢竟(ひつきやう)意志の問題だ
    なんとかやるより仕方もない
    やりさへすればよいのだと

    思ふけれどもそれもそれ
    十二の冬のあの夕べ
    港の空に鳴り響いた
    汽笛の湯気や今いづこ



    また来ん春‥‥‥

    また来ん春と人は云ふ
    しかし私は辛いのだ
    春が来たつて何になろ
    あの子が返つて来るぢやない

    おもへば今年の五月には
    おまへを抱いて動物園
    象を見せても猫(にやあ)といひ
    鳥を見せても猫(にやあ)だつた

    最後にみせた鹿だけは
    角によつぽど惹かれてか
    何とも云はず 眺めてた

    ほんにおまへもあの時は
    此の世の光のたゞ中に
    立つて眺めてゐたつけが‥‥‥


◆未刊詩篇

    寒い夜の自我像

        2

    恋人よ、その哀しげな歌をやめてよ、
    おまへの魂がいらいらするので、
    そんな歌をうたひだすのだ。
    しかもおまへはわがままに
    親しい人だと歌つてきかせる。

    ああ、それは不可(いけ)ないことだ!
    降りくる悲しみを少しもうけとめないで、
    安易で架空な有頂天を幸福と感じ做(な)し
    自分を売る店を探して走り廻るとは、
    なんと悲しく悲しいことだ‥‥‥

        3

    神よ私をお憐み下さい!

     私は弱いので、
     悲しみに出遇(であ)ふごとに自分が支へきれずに、
     生活を言葉に換へてしまひます。
     そして堅くなりすぎるか
     自堕落になりすぎるかしなければ、
     自分を保つすべがないやうな破目になります。

    神よ私をお憐れみ下さい!
    この私の弱い骨を、暖いトレモロで満たして下さい。
    ああ神よ、私が先づ、自分自身であれるやう
    日光と仕事とをお与へ下さい!



    死別の翌日

    生きのこるものはづうづうしく、
    死にゆくものはその清純さを漂はせ
    物云ひたげな瞳を床にさまよはすだけで、
    親を離れ、兄弟を離れ、
    最初から独りであつたもののやうに死んでゆく。

    さて、今日はよいお天気です。
    街の片側は翳り、片側は日射しをうけて、あつたかい
    けざやかにもわびしい秋の午前です。
    空は昨日までの雨に拭はれて、すがすがしく、
    それは海の方まで続いてゐることが分ります。

    その空をみながら、また街の中をみながら、
    歩いてゆく私はもはや此の世のことを考へず、
    さりとて死んでいつたもののことも考へてはゐないのです。
    みたばかりの死に茫然として、
    卑怯にも似た感情を抱いて私は歩いてゐたと告白せねばなりません。



    咏嘆調

    悲しみは、何処まででもつづく
    蛮土の夜の、お祭りのやうに、その宵のやうに、
    その夜更のやうに何処まででもつづく。

    それは、夜と、湿気と、炬火(たいまつ)と、掻き傷と、
    野と草と、遠いい森の灯のやうに、
    頸(うなじ)をめぐり少しばかりの傷を負はせながら過ぎてゆく、

    それは、まるで時間と同じものでもあるのだらうか?
    胃の疲れ、肩の凝りのやうなものであらうか、
    いかな罪業のゆゑであらうか
    この駱駅(らくえき)とつづく悲しみの小さな小さな無数の群は。

    それはボロ麻や、腓(はぎ)に吹く、夕べの風の族であらうか?
    夕べ野道を急ぎゆく、漂泊の民であらうか?
    何処までもつづく此の悲しみは、
    はや頸を真ッ直ぐにして、ただ諦めてゐるほかはない。‥‥‥

        ※

    「夜は早く寐て、朝は早く起きる!」
    ――やるせない、この生計(なりはひ)の宵々に、
    煙草吹かして茫然と、電燈(でんき)の傘を見てあれば、
    昔、小学校の先生が、よく云つたこの言葉
    不思議に目覚め、あらためて、
    「夜は早く寐て、朝は早く起きる!」と、
    くちずさみ、さてギョッとして、
    やがてただ、溜息を出すばかりなり。

    「夜は早く寐て、朝は早く起きる!」
    「夕空霽(は)れて、鈴虫鳴く」
    「腰湯がすんだら、背戸の縁台にいらつしやい。」
    思ひ出してはがつかりとする、
    これらの言葉の不思議な魅力。
    いかなる故にがつかりするのか、
    はやそれさへ分りはしない。

    「夜は早く寐て、朝は早く起きる!」
    僕は早く起き、朝霧よ、野に君を見なければならないだらうか。
    小学校の先生よ、僕はあなたを思ひ出し、
    あなたの言葉を思ひ出し、あなたの口調を、思ひ出しさへするけれど、
    それら悔恨のやうに、僕の心に浸(し)み渡りはするけれど、
    それはただ一抹の哀愁となるばかり、
    意志とは何の、関係もないのでした‥‥‥



中原中也
 中也は、明治40年(1907)4月29日、山口市湯田温泉に生まれました。彼は30年の短い生涯を詩に捧げましたが、生前は充分な評価を得ることのないまま、志半ばにして異郷の地で没しました。
 彼の優れた詩才は少年のころから現れていましたが、昭和9年(1934)に東京で詩集『山羊の歌』が出版されるに及び、広く詩を愛する人々に認められるに至りました。さらに『ランボオ詩集』を翻訳するなど、フランスの詩人の紹介にもつとめました。
 不幸にも病により、昭和12年(1937)10月22日、鎌倉で亡くなりました。生前郷里に引き揚げようとしてまとめていた詩集『在りし日の歌』は、その翌年、友人小林秀雄によって出版されました。
 中也の名声は、死後になって高まり、各社から出版された詩集や全集は数十冊に及びます。また、多くの詩選に収められ、海外にも紹介されています。彼の作品は年とともに評価を高め、今や近代文学を代表する叙情詩人として揺るぎない地位を得ています。(中原中也記念館HPより、一部改編)

佐世保に行ってきました。

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10月16日から2泊3日の日程で佐世保市に行ってきました。東京・佐世保間は新幹線〈のぞみ〉とJR特急〈みどり〉で約7時間。寝たり、本を読んだりしていたら、意外と早く着きました。
仕事がらみの旅でしたが、初めての佐世保をいろいろ見ることができました。

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ホテルの客室から佐世保市街・佐世保港を望む。

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ホテルのロビーから中庭、そして後方の九十九島を望む。

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《ビッグマン本店》で念願の佐世保バーガーを食べました。注文したのは、この店の看板メニュー〈ベーコンエッグバーガー〉のセット(1150円)でした。出来たての熱々ハンバーガーはあっという間に食べてしまいましたが、ポテトを食べたら満腹になってしまい、もう一個食べることができませんでした。残念。

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佐世保市内の居酒屋《ささいずみ》でイカの活造りを食べました。胴体部分を刺身で食べた後、他の部分は天ぷらに揚げてもらったり、ボイルしてもらったりして食べました。

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帰路、広島の大学に通っている長男と待ち合わせをして、広島駅ビル内《福ちゃん》でお好み焼きを食べました。

塩野七生『ローマ亡き後の地中海世界 海賊、そして海軍』を読みました。

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昨夜、塩野七生の『ローマ亡き後の地中海世界 海賊、そして海軍』を読み終えました。
彼女がこれまで書いてきたさまざまな作品の総集編といった印象がありますが、西ローマ帝国滅亡(476)後の地中海世界におけるキリスト教徒とイスラム教徒の戦いが分かりやすく描かれています。メインテーマから外れそうなサイドストーリーについては既刊書を読んでくれという書き方ですが、この作品は彼女のこれまでの精力的な創作活動があったからこそ書けたと言っても過言ではないと思います。

◆実は、今年5月に彼女の『皇帝フリードリッヒ二世の生涯』を購入したのですが、途中で投げ出してしまいました。この作品がつまらなかったという訳ではなく、他に興味が移ってしまったからでした。『ローマ亡き後の地中海世界 海賊、そして海軍』を読んでいたら、フリードリッヒ二世に関する以下のような記述があり、もう一度最初から『皇帝フリードリッヒ二世の生涯』を読んでみようと思いました。
 主要な遠征だけでも八回は行われた十字軍の中で、ただ一度、イスラム教徒を殺さないで聖地イェルサレムを手中にした人がいる。ノルマン王朝の王の一人で神聖ローマ帝国皇帝でもあった、フリードリッヒ二世である。
 この人は、ノルマンとドイツの血を引きながら、生れ育ったのはシチリアだった。文明史家ブルクハルトが、キリスト教世界とイスラム世界の境界を超えたと評した人物だが、ここまでに述べてきたシチリアがなければ、イスラムの指導者との平和裡での交渉によるイェルサレム征服を考え実行した、フリードリッヒにはならなかったのである。ちなみに、中世後期の地中海世界に登場してくるイタリア・ルネサンスも、この人が統治していた時代のパレルモで火が点けられたのであった。(第1巻P254)

◆巻末に「関連する既刊書」として以下の作品が挙げられています。未読・既読に関わりなく、何冊か読んでみたいと思います。
  『海の都の物語』(未読)
  『コンスタンティノープルの陥落』(既読)
  『ロードス島攻防記』(既読)
  『レパントの海戦』(既読)
  『ルネサンスの女たち』(未読)
  『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』(既読)
  『神の代理人』(未読)
  『ルネサンスとは何であったのか』(未読)
  『わが友マキアヴェッリ』(未読)
  『愛の年代記』(未読)
  『サイレント・マイノリティ』(未読)
  『イタリア遺聞』(未読)
  『聖マルコ殺人事件』(未読)
  『法王庁殺人事件』(未読)

◆以下、各巻のブックカバー裏表紙にある解説を引用します。
【1】476年、西ローマ帝国が滅亡し、地中海は群雄割拠の時代へと入った。台頭したのは「右手に剣、左手にコーラン」を掲げ、拉致と略奪を繰り返すサラセン人の海賊たち。その蛮行にキリスト教国は震え上がる。イタリア半島の都市国家はどのように対応したのか、地中海に浮かぶ最大の島シチリアは? 『ローマ人の物語』の続編というべき歴史巨編の傑作、全四巻。豪華カラー32頁つき。

【2】北アフリカを拠点とするサラセンの海賊に蹂躙されるイタリアの海洋都市国家。各国は襲撃を防ぎ、拉致された人々を解放すべく対策に乗り出し、次々と海軍が成立。二つの独立した国境なき救助団体も組織された。イスラム勢力下となっていたシチリアにはノルマンディ人が到来し、再征服。フランスとドイツを中心に十字軍も結成され、キリスト教勢力の反撃の狼煙が上がり始めた――。

【3】北アフリカから到来するイスラムの海賊による侵攻が激しさを増すなか、マホメッド二世率いるトルコ軍の猛攻の前に、ビザンチン帝国の首都コンスタンティノープルが陥落。さらにトルコは海賊を自国の海軍として吸収し、攻勢をますます強める。キリスト教連合国はアンドレア・ドーリアを総司令官に擁立。事態は地中海世界全域を巻き込んだパワーゲームの様相を呈することとなった……。

【4】地中海世界を揺るがすパワーゲームにフランス、スペインも参戦し、戦況は混迷をきわめた。トルコを率いるのは陸上ではウィーンにまで迫り、のちに「大帝」と呼ばれたスレイマン一世。迎えるキリスト教連合国軍の最前線に立つのはそのトルコに本拠地を追われた聖ヨハネ騎士団。最終決戦の舞台はマルタ島と決まった――。地中海の命運を決する戦いは、いかなる結末を見たのか!

俵万智『旅の人、島の人』を読みました。

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今日、俵万智のエッセイ集『旅の人、島の人』を読み終えました。
「沖縄の石垣島に、息子と移住して三年あまり。旅の人というにはやや長く、島の人というにはまだ短い時間が流れた。……。住んでみて初めてわかること、慣れてないからこそ驚けること。旅人でも島人でもない宙ぶらりんだから見えるものを、楽しみながら綴ってきた。」(あとがき)という内容です。
軽い読み物が読みたかったので手にした本ですが、これから旅するときの指針のようなものを貰った気がします。一か所に長く滞在し、その土地の人々と多少なりとも触れあえる旅、その土地の人々の生活が垣間見られる旅、そんな旅がしたくなりました。

以下がこのエッセイ集の内容です。

私、運転できません(2011年1月から6月まで、日本経済新聞「日経プロムナード」に連載したもの)
 沖縄へ/モズク採り/昆虫客/生き物がいっぱい/泡盛天国/カヤック体験/私、運転できません/長命草/二十六の瞳/きいやま商店/バンナ公園/石垣島とお肌の関係/美人は性格がいい(と私は思う)/黒島の牛祭り/石垣島の島野菜/フィンガー5/シュノーケリング/釣られて焦るフグ/釣りのレッスン/初めての海釣り/ヤエヤマボタル/アウトドアと私/8番、ピッチャー大越くん/刺し網漁/美ぎ島ミュージックコンベンション/石垣島の竜神祭

ちゅうくらいの言葉(東京・中日新聞に2013年12月まで「木馬の時間」として連載していたもののうち、最終回に至るまでの8編)
 歩く息子/ポケモンカード/ちゅうくらいの言葉/ばっくれベン/ルンバ/育児ことわざ/がんば/オレがマリオ

旅の人、島の人(雑誌「嗜み」の2013年春号から2014年冬号まで連載した「石垣島だより」を改題)
 冬から春へ/島のことば/アンガマの夜/島の披露宴

読書日記から(「週刊現代」の「リレー読書日記」のコーナーに連載していたものからピックアップ)
 『「あの日」からぼくが考えている「正しさ」について』/『神様 2011』/『くじけな』/『トータル・リビング1986-2011』/『ウチナーグチ練習帖』/『シノダ! チビ竜と魔法の実』/『不登校児 再生の島』/『エルマーのぼうけん』/キンダーブック『しぜん12月号 ほし』/『みどりのゆび』/『雪の写真家 ベントレー』/初めての電子書籍

歌なら持って帰れるでしょ――池田卓さんときいやま商店にインタビュー!(JTA機内誌「コーラルウェイ」2014年若夏号に書いたインタビュー記事「歌なら持って帰れるでしょ」を収録)

三浦しをん『舟を編む』を読みました。

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今日、三浦しをんの『舟を編む』(2011)を読み終えました。
文庫化されたら読もうと思っていましたが、4月に松田龍平主演の映画(2013)を見て、衝動買いしてしまいました。でも、読みたいという衝動はすぐに消え、最近になってやっと読み始めました。
一冊の辞書の編纂に15年! この仕事に情熱を傾ける主人公たちの姿がよく伝わってきました。以前、僕も母校(高校)の創立百周年記念誌の編纂に携わったことがあるので、主人公たちの苦労や喜びがよくわかります。この作品を読み終えた時、記念誌が完成した時のことを思い出しました。2冊組1500頁の記念誌の完成には4年かかりましたが、完成した時は記念誌を抱いて寝たいと思いました。

で、この本の感想ですが、映画を見たのなら読む必要はなかったと思いました。映画以上の奥行きはないし、まるでノベライズ本を読んでいるような感じでした。

藤沢周平『霧の果て 神谷玄次郎捕物控』を読みました。

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今夜、藤沢周平の『霧の果て 神谷玄次郎捕物控』を読み終えました。この作品は、「針の光」「虚ろな家」「春の闇」「酔いどれ死体」「青い卵」「日照雨(そばえ)」「出合茶屋」「霧の果て」の8編からなる連作短編集です。

◆主人公は北町奉行所の定町廻り同心の神谷玄次郎。彼は次々に事件を解決していきますが、彼が最も知りたっかったのは14年前に母と妹が斬殺された事件の真相でした。それは最後の「霧の果て」で解明されますが、その時彼が述懐する場面が印象に残ります。
 いずれはああいう姿になる運命だとは思いもしないで、人は権勢に奢り、富貴に奢って人もなげに振舞い、その地位や金を守るためにはひとを殺しもするのだ。
 ――人間、おしなべてあわれということか。

◆この作品の解説は、俳優の故児玉清氏が書いています。彼に敬意を表し、解説の冒頭部分を引用させていただきます。
 ここにまた一人の素敵なキャラクターが、あなたとの出逢いを待っている。僕もぞっこん惚れこんだその人の名は、神谷玄次郎。北町奉行所の定町廻りの同心である彼は、小石川竜慶橋に直心影流の道場をひらく酒井良佐の高弟という一流の剣の遣い手でもある。だから彼を味方にすれば、この上なく頼りになる頼もしい男だが、敵に回せば実に手強い相手となる。従って彼はそんじょそこいらにいるへなちょこ同心とはちがう筋金入りの武士なのだ。しかも、玄次郎の推理力は抜群で、卓越した勘とひらめき、さらには鋭い洞察力によって犯人(ほし)を追い詰めていく点でも、江戸に住む庶民にとってはまことに嬉しくも有り難い味方である優れた捕り方なのだが、問題はその彼の勤務態度だ。それにもうひとつつけ加えれば生活態度だ。

佐藤賢一『小説フランス革命』を読み始めました。

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佐藤賢一の『小説フランス革命 第一部』(全6巻)は、第6巻『フイヤン派の野望』(2010.9)の途中で投げ出してしまいました。冗長過ぎて、つまらなかったからです。
先日、第二部の文庫化が始まっていたこと(2014.9~毎月1冊)を知りました。第二部はフランス革命のクライマックスとも言うべきジャコバン派による恐怖政治が描かれるはずです。第二部は単行本で全6巻、文庫本で全9巻。とりあえず、11月までに発売された文庫本3冊を買いました。僕の読書スピード>文庫本の出版スピードですから、面白かったら単行本にスイッチします。

以下、フランス革命について簡単な年表を作り、第一部の復習と第二部の予習にします。'''


【1789】
  5 ルイ16世、三部会を召集(1614年以来)
  6 第三身分、国民議会を設立。球戯場の誓いで憲法制定までの議会維持を宣言
  7 パリ市民・民衆によるバスティーユ牢獄襲撃。農村では農民一揆が展開する
  8 封建的特権の廃止(十分の一税・領主裁判権等無償廃止、貢租を有償廃止)。人権宣言採択
  10 パリの女性たちによるヴェルサイユ行進
  11 教会財産の国有化決議
  12 財政赤字対策としてアシニャ紙幣を発行
【1790】
  6 貴族の称号を廃止
【1791】
  4 ミラボー死去
  6 国王一家のヴァレンヌ逃亡事件
  8 オーストリアのレオポルト2世とプロイセン王によるピルニッツ宣言
  9 立憲王政の1791年憲法制定
  10 立法議会が成立、亡命貴族の財産を没収
【1792】
  3 ジロンド派内閣成立
  4 オーストリアに宣戦
  8 8月10日事件で王権停止
  9 ヴァルミーの戦いでフランス軍の初勝利
   立法議会が解散し、国民公会が成立。王政の廃止と共和政の成立が決定
【1793】
  1 ルイ16世の処刑
  2 第1回対仏大同盟結成。徴兵制を採用
  3 革命裁判所設置
  5 最高価格令によって経済統制断行
  6 ジロンド派追放、ジャコバン派独裁
  7 公安委員会にロベスピエールが入り、恐怖政治が本格化。封建的貢租の無償廃止
  8 1793年憲法制定、施行は延期
  10 グレゴリウス暦にかわる革命暦採用。マリ=アントワネットの処刑
【1974】
  4 ダントン派を逮捕・処刑
  7 テルミドールのクーデタでロベスピエールの逮捕・処刑
【1795】
  8 1795年憲法制定
  10 王党派の反乱鎮圧。総裁政府が発足
【1796】
  3 ナポレオンのイタリア遠征
  5 バブーフの陰謀が発覚
【1798】
  5 ナポレオンのエジプト遠征
【1799】
  11 ナポレオンのブリュメール18日のクーデタ
     (東京法令出版株式会社(とうほう)『歴史風景館 世界史のミュージアム』より引用、一部改編)

佐藤賢一『小説フランス革命10 ジロンド派の興亡』を読みました。

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昨夜、佐藤賢一の『小説フランス革命10 ジロンド派の興亡』を読み終えました。
この本の巻頭や巻末には前巻までのあらすじや関連地図、主要登場人物一覧、関連年表があり、読者にとってはたいへんありがたい配慮だと思います。以下、第10巻に該当する部分を関連年表から引用しました。(一部改編)
 1792年
  1月24日 立法議会が全国5万人規模の徴兵を決定
  3月 3日 エタンプで物価高騰の抑制を求めて庶民が市長を殺害(エタンプ事件)
  3月23日 ロランが内務大臣に任命され、ジロンド派内閣成立
  3月25日 フランスがオーストリアに最後通牒を出す
  4月20日 オーストリアに宣戦布告 ――フランス軍、緒戦に敗退――
  6月13日 ジロンド派の閣僚が解任される
  6月20日 パリの民衆がテュイルリ宮へ押しかけ国王に抗議、しかし蜂起は不発に終わる

◆フランス革命をその始まりから終わりまで描こうと考えた時、作家は誰を主人公にするか大いに迷ったことでしょう。この革命には「主役」から「端役」まで数多くの人々が登場しますが、誰の視点でこの壮大なドラマを描くかは大きな課題です。ある時点で革命の「主役」になったとしても、ほとんどの場合その人物は革命の途中で死んでしまいますから。

◆作家は主人公を一人にするのではなく、革命の各段階の「主役」たちの目を通してこの革命を描いています。この手法だと革命に関わる事件を満遍なくカバーすることはできますが、章ごとに「主役」が入れ替わるので、登場人物へのシンパシーが感じにくいように思います。
 以下は第10巻の章ごとの「主役」たちです。
   1~ 6 ロラン夫人    7~ 9 デムーラン   10~11 ルイ16世
  12~13 ロラン夫人   14~17 ロベスピエール
  18~21 ロラン夫人   22~23 ルイ16世
  24~25 ロラン夫人   26~28 デムーラン   29~34 ルイ16世
 ちなみに、この4人の「主役」たちは革命の過程で全員処刑されています。( )内は死亡年月日。
  ルイ16世(1793.1.21) ロラン夫人(1793.11.8) デムーラン(1794.4.5)
  ロベスピエール(1794.7.28)

◆正直に言って、この第10巻は退屈でした。でも、革命もクライマックスに近づいてきたので、続けて読んでみようと思います。

佐藤賢一『フランス革命の肖像』を買いました。

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表紙の肖像画は、(右上から時計回りに)ロベスピエール、ルイ十六世、ナポレオン、マリー・アントワネット。

昨日、佐藤賢一の『フランス革命の肖像』を買いました。『小説フランス革命 第二部』を読むための参考にしようと考えています。内容は以下の通りです。(ブックカバー解説より)
 世界史上、これほど多くの曲者たちが登場した時代はない。マリー・アントワネット、ルイ十六世、ミラボー、ロベスピエール、ダントン、サン・ジュスト、マラ、ナポレオンといった「主役」だけではなく、一般には知られていない「端役」に至るまで、その人生遍歴は大河小説をも超えるドラマである。そして、居並ぶ肖像画の一つ一つに、巨大な歴史の影が何と色濃く刻印されていることか。
 本書は、西洋歴史小説の第一人者が、フランス革命に登場する有名無名の人物たちの肖像画およそ80点を取り上げ、彼ら彼女らの人物評を軽妙な筆致で描いたユニークな一冊である。まさに、人の顔に歴史あり。

村上春樹訳『高い窓』を買いました。

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今日、村上春樹によるレイモンド・チャンドラー『高い窓』の新訳を買いました。
この作品は探偵フィリップ・マーロウを主人公とする長編シリーズの第3作(1942)にあたります。これで村上氏によるこのシリーズの翻訳は5作目(全7作品)になります。


【参考】フィリップ・マーロウを主人公とする長編シリーズ ※村上訳
  1 The Big Sleep(1939) 大いなる眠り
  2 Farewell,My Lovely(1940) さらば愛しき女よ/さよなら、愛しい人
  3 The High Window(1942) 高い窓
  4 The Lady in the Lake(1943) 湖中の女
  5 The Little Sister(1949) かわいい女/聖林殺人事件/リトル・シスター
  6 The Long Goodbye(1953) 長いお別れ/ロング・グッドバイ
  7 Playback(1958) プレイバック

村上春樹訳『高い窓』を読みました。

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今日、レイモンド・チャンドラーの『高い窓』(1942・村上春樹訳)を読み終えました。
この作品は探偵フィリップ・マーロウを主人公とする長編シリーズの第3作です。「訳者あとがき」に「これが僕にとっての五冊目のチャンドラー長篇小説の翻訳になる。チャンドラーは全部で七冊の長篇小説をのこしているから、あと二冊で『完訳』ということになる。せっかくだから、というか、ここまできたら全部やってしまいたい。おつきあいいただけえば嬉しい」とあるので、第4作“The Lady in the Lake”(1943)と第7作“Playback”(1958)のできるだけ早い翻訳を期待したい。

【ストーリー】
私立探偵フィリップ・マーロウは、裕福な老女エリザベス・マードックから、出奔した義理の娘リンダを探してほしいと依頼された。老女は、亡き夫が遺した貴重な金貨をリンダが持ち逃げしたと固く信じていたが、エリザベスの息子レスリー、秘書マールの振る舞いにもどこか裏がありそうな気配だ。マーロウは、リンダの女友だちや金貨の所在を尋ねてきた古銭商に当たるところから調査を始める。が、彼の行く手には脅迫とうそ、そして死体が待ち受けていた。(ブックカバーより)

【感想】
◆正直に言ってイマイチな内容でしたが、久々にフィリップ・マーロウに会えたし、嫌いにはならない作品だと思います。
多くの登場人物の中でこの人物こそ事件のキーパーソンだと思ったのに、全く無関係だったりします。これは僕の推理力不足ではなく、作者が無駄に思わせぶりな書き方をしているからだと思います。
最後のマーロウの謎解き(P313~322)で事件の全体像はわかりますが、それまで全く触れられなかったことまで含めての話なので、「おいおい」って感じです。
◆登場人物の描写がとても細かいのは、探偵フィリップ・マーロウの目を通して描いているからでしょう。以下、リンダの女友だちロイスについての描写を引用します。
 いかにもショーガールっぽいブロンドの髪の、脚の長い物憂いタイプの女が、椅子のひとつにすわって寛いでいた。クッションのついたフットレストに足を載せ、肘のところに曇った丈の高いグラスを置いていた。その近くには銀色のアイス・バケットと、スコッチの瓶があった。我々が芝生を横切って近づいていくと、女は気怠そうにこちらに目を向けた。十メートル手前から見ると、とびっきりの一級品に見えた。三メートル手前から見ると、彼女は十メートル手前から眺めるべくこしらえられていることわかった。口はいささか大きすぎたし、目はあまりにも青すぎた。化粧は濃すぎたし、眉の細いアーチのカーブや広がり方はほとんど現実離れしていた。まつげの上のマスカラは分厚すぎて、鉄製の柵のミニチュアみたいに見えた。
 彼女は白いズック製のスラックスをはき、爪を深紅に塗った素足の上に、爪先の開いた青と白のサンダルを履いていた。白いシルクのブラウスに、緑の石のネックレスをかけていたが、それは四角くカットされたエメラルドではなさそうだった。髪はナイトクラブのロビー顔負けに人工的だった。
 彼女の隣の椅子の上には、ガーデン用の麦わら帽子が置いてあった。つばはスペアタイヤくらいの大きさがあり、白いサテンの顎紐がついていた。つばの上には緑色のサングラスが置かれていたが、そのレンズはドーナッツ並みに大きかった。(P57~58)

永田和宏『近代秀歌』を読みました。

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昨夜、永田和宏の『近代秀歌』(2013)を読み終えました。内容については、巻頭の「はじめに」の一部を引用します。
 本書で私は、近代以降に作られた歌のなかから、100首を選んで解説と鑑賞をつけるという作業を行った。‥‥‥。100首の選びはできるだけ私の個人的な好悪を持ちこまず、誰もが知っているような、あるいは誰もに知っていて欲しいと思う100首を選ぶよう心がけた。ここに選ばれたそれぞれは、おそらくどこかで一度や二度は耳にしたり目にしたりしたことがある歌であろう。
 あらかじめ断っておけば、ここに選ばれた100首は、近代のもっともすぐれた100首という選びとは微妙に異なる。、‥‥‥。ベスト100や、十分条件としての100ではなく、必要条件としての100というつもりである。
 挑戦的な言い方をすれば、あなたが日本人なら、せめてこれくらいの歌は知っておいて欲しい(原文は傍点)というぎりぎりの100首であると思いたい。

◆100首に取り上げられた歌人
 会津八一/明石海人/石川啄木/伊藤左千夫/太田水穂/岡本かの子/落合直文/尾上柴舟/川田順/北原白秋/北見志保子/木下利玄/窪田空穂/古泉千樫/斎藤茂吉/佐佐木信綱/島木赤彦/釈迢空/土屋文明/土岐善麿/長塚節/中村憲吉/原阿佐緒/前田夕暮/正岡子規/松村英一/山川登美子/与謝野晶子/与謝野鉄幹/吉井勇/若山牧水

◆以下、気になった歌を引用します。

【第一章 恋・愛――人恋ふはかなしきものと】
  やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君(与謝野晶子『みだれ髪』)
  それとなく紅き花みな友にゆづりそむきて泣きて忘れ草つむ(山川登美子『恋衣』)
  木に花咲き君わが妻とならむ日の四月なかなか遠くもあるかな(前田夕暮『収穫』)
  君かへす朝の舗石(しきいし)さくさくと雪よ林檎の香のごとくふれ(北原白秋『桐の花』)
  人妻をうばはむほどの強さをば持てる男のあらば奪(と)られむ(岡本かの子『かろきねたみ』)
    [参考]たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか(河野裕子)

  吾がために死なむと云ひし男らのみなながらへぬおもしろきかな(原阿佐緒『涙痕』)
  相触れて帰りきたりし日のまひる天の怒りの春雷ふるふ(川田順『東帰』)

【第二章 青春――その子二十櫛にながるる黒髪の】
  その子二十櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな(与謝野晶子『みだれ髪』)
  不来方のお城の草に寝ころびて/空に吸はれし/十五の心(石川啄木『一握の砂』)
  東海の小島の磯の白砂に/われ泣きぬれて/蟹とたはむる(石川啄木『一握の砂』)

【第三章 命と病い――あかあかと一本の道とほりたり】
  今朝の朝の露ひやびやと秋草やすべて幽(かそ)けき寂滅(ほろび)の光(伊藤左千夫『左千夫歌集』)
  もの忘れまたうち忘れかくしつつ生命をさへや明日は忘れむ(太田水穂『老蘇(おいそ)の森』)
    [参考]こぞの年あたりよりわが性欲は淡くなりつつ無くなるらしも(斎藤茂吉)

【第四章 家族・友人――友がみなわれよりえらく見ゆる日よ】
  父君よ今朝はいかにと手をつきて問ふ子を見れば死なれざりけり(落合直文『萩之家歌集』)
  隣室に書(ふみ)よむ子らの声きけば心に沁みて生きたかりけり(島木赤彦『柿蔭集』)
  其子等に捕へられむと母が魂(たま)蛍と成りて夜を来たるらし(窪田空穂『土を眺めて』)
  時代ことなる父と子なれば枯山に腰下ろし向ふ一つ山脈(やまなみ)に(土屋文明『山下水』)

【第五章 日常――酒はしづかに飲むべかりけり】
  かんがへて飲みはじめたる一合の二合の酒の夏のゆふぐれ(若山牧水『死か芸術か』)
  白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけり(若山牧水『路上』)
  柿の実のあまきもありぬ柿の実のしふきもありぬしふきそうまき(正岡子規『竹乃里歌』)
  街をゆき子供の傍を通る時蜜柑の香(か)せり冬がまた来る(木下利玄『紅玉』)
  ふるさとの訛(なまり)なつかし/停車場の人ごみの中に/そを聴きにゆく(石川啄木『一握の砂』)
    [参考]石をもて追はるるごとく/ふるさとを出でしかなしみ/消ゆる時なし(石川啄木)

  にんじんは明日蒔けばよし帰らむよ東一華(あづまいちげ)の花も閉ざしぬ(土屋文明『山下水』)

【第六章 社会と文化――牛飼が歌よむ時に】
  りんてん機、今こそ響け。/うれしくも、/東京版に、雪のふりいづ。(土岐善麿『黄昏に』)
  新しき明日の来(きた)るを信ずといふ/自分の言葉に/嘘はなけれど――(石川啄木『悲しき玩具』)
  ただひとり吾より貧しき友なりき金のことにて交(まじはり)絶てり(土屋文明『往還集』)
    [参考]吾がもてる貧しきものの卑しさを是の友に見て堪へがたかりき(土屋文明)
  遺棄死体数百といひ数千といふいのちをふたつもちしものなし(土岐善麿『六月』)
    [参考]あなたは勝つものとおもつてゐましたかと老いたる妻のさびしげにいふ(土岐善麿)
  垣山(かきやま)にたなびく冬の霞あり我にことばあり何か嘆かむ(土屋文明『山下水』)

  鎌倉や御仏なれど釈迦牟尼は美男におはす夏木立かな(与謝野晶子『恋衣』)
  かにかくに祇園はこひし寐るときも枕の下を水のながるる(吉井勇『酒ほがひ』)

【第七章 旅――ゆく秋の大和の国の】
  幾山河越えさり行かば寂しさの終(は)てなむ国ぞ今日も旅ゆく(若山牧水『海の声』)
  ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なる一ひらの雲(佐佐木信綱『新月』)
  ほととぎす嵯峨へは一里京へ三里水の清滝夜の明けやすき(与謝野晶子『みだれ髪』)
  ああ皐月仏蘭西の野は火の色す君も雛罌粟(コクリコ)われも雛罌粟(与謝野晶子『夏より秋へ』)
  朝あけて船より鳴れる太笛(ふとぶえ)のこだまはながし竝(な)みよろふ山(斎藤茂吉『あらたま』)

  葛の花 踏みしだかれて、色あたらし。この山道を行きし人あり(釈迢空『海やまのあひだ』)

【第八章 四季・自然――馬追虫の髭のそよろに来る秋は】
  くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨のふる(正岡子規『竹乃里歌』)
  瓶にさす藤の花ぶさみじかければたゝみの上にとゞかざりけり(正岡子規『竹乃里歌』)
  池水は濁りににごり藤なみの影もうつらず雨ふりしきる(伊藤左千夫『左千夫歌集』)
  高槻(たかつき)のこずゑにありて頬白のさへづる春となりにけるかも(島木赤彦『太虗集』)
    [参考]いはばしる垂水(たるみ)の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも(志貴皇子)
  うすべにに葉はいちはやく萌えいでて咲かむとすなり山桜花(若山牧水『山桜の歌』)
    [参考]敷しまの倭こゝろを人とはは朝日ににほふ山さくら花(本居宣長)

  牡丹花(ぼたんくわ)は咲き定まりて静かなり花の占めたる位置のたしかさ(木下利玄『一路』)
    [参考]牡丹散(ちり)て打(うち)かさなりぬ二三片(にさんぺん)(与謝蕪村)
  向日葵は金の油を身にあびてゆらりと高し日のちひささよ(前田夕暮『生くる日に』)
  この三朝(みあさ)あさなあさなをよそほひし睡蓮の花今朝はひらかず(土屋文明『ふゆくさ』)
  金色(こんじき)のちひさき鳥のかたちして銀杏ちるなり夕日の岡に(与謝野晶子『恋衣』)
  馬追虫(うまおひ)の髭のそよろに来る秋はまなこを閉ぢて想ひ見るべし(長塚節『長塚節歌集』)

  曼珠沙華一(ひと)むら燃えて秋陽(あきび)つよしそこ過ぎてゐるしづかなる径(みち)(木下利玄『みかんの木』)
  みんなみの嶺岡山の焼くる火のこよひも赤く見えにけるかも(古泉千樫『川のほとり』)
  白埴の瓶こそよけれ霧ながら朝はつめたき水くみにけり(長塚節『長塚節歌集』)
  みづうみの氷は解けてなほ寒し三日月の影波にうつろふ(島木赤彦『太虗集』)

【第九章 孤の思い――沈黙のわれに見よとぞ】
  やはらかに柳あをめる/北上の岸辺目に見ゆ/泣けとごとくに(石川啄木『一握の砂』)
    [参考]石をもて追はるるごとく/ふるさとを出でしかなしみ/消ゆる時なし(石川啄木)
        ふるさとの山に向(むか)ひて/言ふことなし/ふるさとの山はありがたきかな(石川啄木)
  白鳥(しらとり)は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ(若山牧水『海の声』)
  昼ながら幽かに光る螢一つ孟宗の藪を出でて消えたり(北原白秋『雀の卵』)
    [参考]見わたせば花も紅葉もなかりけり浦のとまやの秋の夕暮(藤原定家)
  おりたちて今朝の寒さを驚きぬ露しとしとと柿の落葉深く(伊藤左千夫『左千夫歌集』)
  沈黙のわれに見よとぞ百房の黒き葡萄に雨ふりそそぐ(斎藤茂吉『小園』)

【第十章 死――終りなき時に入らむに】
  死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞ゆる(斎藤茂吉『赤光』)
  やまばとの とよもすやどの しづもりに なれはもゆくか ねむるごとくに(会津八一『寒燈集』)
  たゝかひに果てにし子ゆゑ、身に沁みて ことしの桜 あはれ 散りゆく(釈迢空『倭をぐな』)
  いちはつの花咲きいでゝ我目には今年ばかりの春行かんとす(正岡子規『竹乃里歌』)
  左様ならが言葉の最後耳に留めて心しづかに吾を見給へ(松村英一『樹氷と氷壁以後』)

村上春樹『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を読みました。(再)

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今日、村上春樹の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(85)を読み終えました。
この作品を読むのは4度目でしたが、今回読むきっかけとなったのはインターネットの『村上春樹新聞』の記事「ボブ・ディランがたくさんの唄を唄う『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』に流れていた音楽」でした。この作品にはたくさんの音楽が登場しますが、「ボブ・ディランがたくさんの唄を唄う」という印象は無かったので、それを確かめること。そして、登場するディランの曲をもとにiTunesのプレイリストを作ることを目標に読み進めました。

◆ボブ・ディランの曲が初めて登場するのは529ページ(全618ページ)。以下、登場曲とiTunseプレイリストを示します。
 [P529]ウォッチング・ザ・リヴァー・フロー
 [P530]ポジティヴ・フォース・ストリート
 [P532]メンフィス・ブルーズ・アゲイン
 [P532]ライク・ア・ローリング・ストーン
 [P612]風に吹かれて
 [P613]激しい雨
  1 Watching The River Flow(“Greatest Hits Vol. 2”)
  2 Positively Fourth Street(“Greatest Hits”)
  3 Suck Inside Of Mobile With The Memphis Blues Again(“Blonde On Blonde”)
  4 Like A Rolling Stone(“Highway 61 Revisited”)
  5 Blowin' In The Wind(“The Freewheelin' Bob Dylan”)
  6 A Hard Rain's A-Gonna Fall(“The Freewheelin' Bob Dylan”)
※“激しい雨”(Hard Rain)という1976年リリースのライブ・アルバムはありますが、‘激しい雨’という曲はないと思うので、6曲目は‘はげしい雨が降る’( A Hard Rain's A-Gonna Fall)にしました。

◆「ボブ・ディランがたくさんの唄を唄う」にしては、初登場が残り90ページの場面だし、6曲しかないなんてと思ってたら、前出の記事を読んでびっくり!
 「ハードボイルド・ワンダーランド」の各章の始まりには、線で引いたようなイラストが載っているけれど、そのイラストを時計回りに90度回転させると、そこに「Bob Dylan」の名前を読むことができる。
下の写真を見ると「Bob Dylan ♪」と書いてあります。つまり、「ハードボイルド・ワンダーランド」の各章の始まりにはボブ・ディランの曲が流れてるってこと?!

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◆この作品は、二つの物語がパラレル進行し、やがて一つの物語に統一されるという作者得意の手法で描かれています。『海辺のカフカ』(02)と『1Q84』(09)も同様です。この手法は読み手を飽きさせないし、特にこの作品の場合、二つの物語に静と動といった大きなコントラストがあるのでおもしろいと思います。
ちょっと恥ずかしいのですが、この作品の中で僕が特に心を引かれる人物は「ハードボイルド・ワンダーランド」に登場する図書館のリファレンスの女の子です。女の子といっても実際は29歳に立派な女性ですが。「私」と彼女が別れるシーンをとても切なく感じました。

◆【ストーリー】(加藤典洋編『イエローページ 村上春樹』(1996)より)

 この小説は、よく知られているように「世界の終り」と「ハードボイルド・ワンダーランド」という二つの部分からなっている。「ハードボイルド・ワンダーランド」の舞台は近未来の情報社会。自分の意識の核をブラックボックスとして使い、依頼された情報を管理する計算士という職業の「私」がそこでの主人公である。彼の属する組織は、情報を盗み出すことを仕事とする相手組織との間で激しい情報戦争を展開している。そんなさなか、彼はある依頼者の手でひょんなことから自分の意識の核を焼き切るプログラムをインプットされる。そのプログラムを解除すべく、彼は地上世界、地底世界を駆けめぐるが、プログラム解除の鍵を握る博士の研究室が敵に襲撃され、大切な資料がすべて持ち去られるにいたり、最後の望みも絶たれる。こうして、彼は自殺するか、生きながら意識の消滅を迎えるか、二つに一つの隘路に追い込まれる。
 一方、「世界の終り」は、この「私」の意識の核で展開される話で、そこは「世界の終り」と呼ばれ、閉ざされた街になっている。僕は街のきまりに従い、街の門で自分の影を切り離され、記憶をすべて失い、街の住人となる。最初僕は、これは一時的な措置で、後に影は返ってくると思っている。しかし一度切り離された影は返されず、影は門のそばの廃材でできた粗末な部屋に隔離され、僕と会うこともかなわないまま、徐々に身体を衰えさせていく。また、影を奪われた僕の中でも、影を母体としていた心が少しずつ弱り、死んでいく。
 この「世界の終り」のパートの話は、以後、この世界は弱い獣にさまざまな矛盾を押しつけて完全さを保っている虚偽の世界だから一緒にここから脱出しなければならない。と主張する影と、街に住む図書館の女の子にひかれ、この穏やかな矛盾のない世界に徐々になじんでいく僕との葛藤の形で進む。最後、僕は、やはりここにとどまろうと思うと影に言い、影と別れる。影は街の南のはずれのたまりから「世界の終り」の外へと抜けだし、僕は、心を取り戻しかけた女の子と街の外れにある、心を失いきれない人々の住む森へと向かう。
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