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村上春樹『カンガルー日和』を読みました。(再)

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最近、村上氏は既刊の短編小説集から選んだ作品にカット・メンシックのイラストを加えて単行本化する作業を続けています。『ねむり』(2010)や『パン屋を襲う』(2013)、『図書館奇譚』(2014)です。
先月刊行の『図書館奇譚』は短編小説集『カンガルー日和』(1983)から選んだものですが、僕はこういう手法はあまり好きではありません。良く言えば「カット・メンシックとのコラボレーションにより、作品に新たな生命を吹き込む」となるのでしょうが、僕はひねくれているせいでしょうか、「ちょっと色づけして、二番煎じで金を稼ぐ」などと思ってしまいます。

きっかけはどうあれ、久々に『カンガルー日和』を手にしたので、全作品を読んでみました。著者が「あとがき」で「僕としては他人の目をあまり気にせずに、のんびりとした気持ちで楽しんで連載をつづけることができた。」と述べているように、かなり自由にのびのびと書いていると思います。フィリップ・マーロウ風の私立探偵が登場する「サウスベイ・ストラット」なんて、楽しくてにやけながら読んでしまいます。羊男が登場する「図書館奇譚」はまさに著者の真骨頂というべき作品で、前言を撤回して単行本『図書館奇譚』を買いたくなりました。トホホ。

【収録作品】
◆カンガルー日和 ◆4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて ◆眠い ◆タクシーに乗った吸血鬼 ◆彼女の町と、彼女の緬羊 ◆あしか祭り ◆鏡 ◆1963/1982年のイパネマ娘 ◆バート・バカラックはお好き? ◆5月の海岸線 ◆駄目になった王国 ◆32歳のデイトリッパー ◆とんがり焼の盛衰 ◆チーズ・ケーキのような形をした僕の貧乏 ◆スパゲティーの年に ◆かいつぶり ◆サウスベイ・ストラット――ドゥービー・ブラザーズ「サウスベイ・ストラット」のためのBGM ◆図書館奇譚

【参考】(著者による「あとがき」を一部引用)
 ここに集めた23編の短い小説――のようなもの――は81年4月から83年3月にわたって、僕がある小さな雑誌(引用者注:『トレフル』)のために書きつづけたものである。この雑誌は一般書店の店頭には出ない種類のものなので、僕としては他人の目をあまり気にせずに、のんびりとした気持ちで楽しんで連載をつづけることができた。
 それぞれの作品の長さは400字づめにして8枚から14枚くらいである。「図書館奇譚」だけが唯一の例外として6回連続の長いものになった。

永田和宏『現代秀歌』を読みました。

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今日、永田和宏の『現代秀歌』(2014)を読み終えました。内容について、巻頭の「はじめに」の一部を引用します。
 本書は、2013年のはじめに岩波新書として刊行した『近代秀歌』の姉妹篇にあたる。『近代秀歌』では、落合直文(1861年生)から土屋文明(1890年生)や明石海人(1901年生)までの31人の歌人の作品、100首をとりあげた。‥‥‥。
 本書『現代秀歌』は、『近代秀歌』におさめた以降の歌人を対象としている。‥‥‥。
 前著との明確な違いは、まずとりあげた歌人が100人である点である。一人一首だけを対象とし、他にも紹介したい歌がある場合は、本文中に挿入することにした。何首もの歌を紹介したい歌人ももちろん多いのだが、そうすると取り落としてしまう歌人の数があまりにも多くなりすぎる。やむなく、一人一首としたのである。 

◆100首に取り上げられた歌人
 阿木津英/秋葉四郎/池田はるみ/石川不二子/石田比呂志/伊藤一彦/岩田正/上田三四二/梅内美華子/大島史洋/大辻隆弘/大西民子/大野誠夫/岡井隆/岡野弘彦/岡部桂一郎/沖ななも/奥村晃作/尾崎左永子(松田さえこ)/小野茂樹/香川ヒサ/柏崎驍二/春日真木子/春日井健/加藤克巳/加藤治郎/川野里子/河野裕子/岸上大作/来嶋靖生/木俣修/清原日出夫/葛原妙子/窪田章一郎/栗木京子/小池光/皇后美智子/小島ゆかり/小高賢/五島美代子/小中英之/近藤芳美/今野寿美/三枝之/齋藤史/坂井修一/相良宏/佐佐木幸綱/佐藤佐太郎/佐藤通雅/志垣澄幸/篠弘/島田修三/清水房雄/田井安曇(我妻泰)/瀬一誌/高野公彦/高安国世/竹山広/谷岡亜紀/玉井清弘/玉城徹/田谷鋭/俵万智/塚本邦雄/坪野哲久/寺山修司/富小路禎子/内藤明/永井陽子/中城ふみ子/成瀬有/花山多佳子/馬場あき子/浜田到/浜田康敬/東直子/福島泰樹/辺見じゅん/穂村弘/前登志夫/前川佐美雄/前田透/松平盟子/真鍋美恵子/水原紫苑/道浦母都子/宮柊二/宮英子/武川忠一/村木道彦/森岡貞香/安永蕗子/山崎方代/山田あき/山中智恵子/吉川宏志/米川千嘉子/渡辺直己/渡辺松男

◆以下、気になった歌を引用します。

【第一章 恋・愛――ガサッと落葉すくふやうに】
  たちまちに君の姿を霧とざし或る樂章をわれは思ひき(近藤芳美『早春歌』)
  あの夏の數かぎりなきそしてまたたつた一つの表情をせよ(小野茂樹『羊雲離散』)
  たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか(河野裕子『森のやうに獣のやうに』)
  かたはらにおく幻の椅子一つあくがれて待つ夜もなし今は(大西民子『まぼろしの椅子』)
  「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ(俵万智『サラダ記念日』)

  一度だけ「好き」と思った一度だけ「詞ね」と思った 非常階段(東直子『春原さんのリコーダー』)

【第二章 青春――海を知らぬ少女の前に】
  海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手をひろげていたり(寺山修司『空には本』)
  かきくらし雪ふりしきり降りしづみ我は眞實を生きたかりけり(高安国世『Vorfrühling』)
  睡蓮の円錐形の蕾浮く池にざぶざぶと鍬洗ふなり(石川不二子『牧歌』)
  夏の風キリンの首を降りてきて誰からも遠くいたき昼なり(梅内美華子『若月(みかづき)祭』)
  さらば象さらば抹香鯨たち酔いて歌えど日は高きかも(佐佐木幸綱『直立せよ一行の詩』)

【第三章 新しい表現を求めて――父よ父よ世界が見えぬ】
  馬を洗はば馬のたましひ冴ゆるまで人戀はば人あやむるこころ(塚本邦雄『感幻樂』)
  水中より一尾の魚跳ねいでてたちまち水のおもて合はさりき(葛原妙子『葡萄木立』)
    [参考]カレンダーの隅24/31 分母の日に逢う約束がある(吉川宏志)
  さみしさでいっぱいだよとつよくつよく抱きしめあえば空気がぬける(渡辺松男『歩く仏像』)

【第四章 家族・友人――ふるさとに母を叱りてゐたりけり】
  拒みがたきわが少年の愛のしぐさ頤(おとがひ)に手觸り來その父のごと(森岡貞香『白蛾』)
  冬の苺匙に壓(お)しをり別離よりつづきて永きわが孤りの喪(も)(松田さえこ(尾崎左永子)『さるびあ街』)
  夫より呼び捨てらるるは嫌ひなりまして〈おい〉とか〈おまへ〉とかなぞ(松平盟子『シュガー』)
  夫婦は同居すべしまぐわいなすべしといずれの莫迦が掟てたりけむ(阿木津英『白微光』)
  父十三回忌の膳に箸もちてわれはくふ蓮根及び蓮根の穴を(小池光『日々の思い出』)

  ぬばたまの黒羽蜻蛉(あきつ)は水の上母に見えねば告ぐることなし(齋藤史『風に燃す』)
  一枝の櫻見せむと鉄格子へだてて逢ひしはおとうとなりき(辺見じゅん『幻花』)
    [参考]遠桜いのちの距離と思ひけり(角川春樹)

【第五章 日常――大根を探しにゆけば】
  ろくろ屋は轆轤を回し硝子屋は硝子いっしんに切りているなり(石田比呂志『蝉聲集』)
  陶工もかたらずわれも語らざりろくろに壺はたちあがりゆく(玉井清弘『久露』)
  こんなにも湯呑茶碗はあたたかくしどろもどろに吾はおるなり(山崎方代『右左口(うばぐち)』)
  うどん屋の饂飩の文字が混沌の文字になるまでを酔う(瀬一誌『喝采』)
  大根を探しにゆけば大根は夜の電柱に立てかけあり(花山多佳子『木香薔薇』)

  おもむろに階(はし)くだりゆくわが影の幾重にも折れ地上にとどく(来嶋靖生『雷(いかづち)』)
  終バスにふたりは眠る紫の〈降りますランプ〉に取り囲まれて(穂村弘『シンジケート』)
    [参考]サバンナの象のうんこよ聞いてくれだるいせつないこわいさみしい(穂村弘)

【第六章 社会・文化――居合はせし居合はせざりしことつひに】
  ひきよせて寄り添ふごとく刺ししかば聲も立てなくくづをれて伏す(宮柊二『山西省』)
  涙拭ひて逆襲し來る敵兵は髪長き廣西學生軍なりき(渡辺直己『渡辺直己歌集』)
  通訳の少年臆しつつ吾に訊(と)ふ吾が教へたる日本語あはれ(前田透『漂流の季節』)
  兵たりしものさまよへる風の市白きマフラーをまきゐたり哀し(大野誠夫『薔薇祭』)
  血と雨にワイシャツ濡れている無援ひとりへの愛うつくしくする(岸上大作『意思表示』)

  ガス弾の匂い残れる黒髪を洗い梳かして君に逢いゆく(道浦母都子『無援の抒情』)
    [参考]その日からきみみあたらぬ仏文の 二月の花といえヒヤシンス(福島泰樹)
        二日酔いの無念極まるぼくのためもっと電車よ まじめに走れ(  〃  )
  居合はせし居合はせざりしことつひに天運にして居合はせし人よ(竹山広『千日千夜』)
    [参考]一分ときめてぬか俯す黙禱の「終り」といへばみな終るなり(竹山広)
  死ぬ側に選ばれざりし身は立ちてボトルの水を喉に流し込む(佐藤通雅『昔話(むがすこ)』)

【第七章 旅――ひまはりのアンダルシアはとほけれど】
  冬山の青岸渡寺の庭にいでて風にかたむく那智の滝みゆ(佐藤佐太郎『形影』)
    [参考]あぢさゐの藍のつゆけき花ありぬぬばたまの夜あかねさす昼(佐藤佐太郎)
        秋分の日の電車にて床にさす光もともに運ばれて行く(  〃  )
  月と日と二つうかべる山国の道に手触れしコスモスの花(岡部桂一郎『戸塚閑吟集』)
    [参考]岩国の一膳飯屋の扇風器まわりておるかわれは行かぬを(岡部桂一郎)
  彼の日彼が指しし黄河を訪ひ得たり戦(いくさ)なき世のエアコンバスにて(宮英子『幕間―アントラクト』)
    [参考]咽喉より血をば喀きつつ戦ひて指しし黄河ぞ光りつつ下る(宮柊二)
  ひまはりのアンダルシアはとほけれどとほけれどアンダルシアのひまはり(永井陽子『モーツァルトの電話帳』)
    [参考]ここに来てゐることを知る者もなし雨の赤穂ににはとり三羽(永井陽子)
        死ぬまへに留守番電話にするべしとなにゆゑおもふ雨の降る夜は(  〃  )
        父を見送り母を見送りこの世にはだあれもゐないながき夏至の日(  〃  )
  帰りたきいろこのみやの大阪やゆきかふものはみなゑらぐなり(池田はるみ『妣(ハハ)が国 大阪』)
    [参考]死ぬ母に死んだらあかんと言はなんだ氷雨が降ればしんしん思ふ(池田はるみ)

  砂渚あゆみ来たれば波しづけしをなみさなみといふ古語のごと(柏崎驍二『四十雀日記』)
    [参考]この世より滅びてゆかむ蜩(かなかな)が最後の〈かな〉を鳴くときあらむ(柏崎驍二)

【第八章 四季・自然――かなしみは明るさゆゑにきたりけり】
  夜半さめて見れば夜半さえしらじらと桜散りおりとどまらざらん(馬場あき子『雪鬼華麗』)
    [参考]夕闇の桜花の記憶と重なりてはじめて聴きし日の君が血のおと(河野裕子)
        夕光(ゆふかげ)のなかにまぶしく花みちてしだれ桜は輝(かがやき)を垂る(佐藤佐太郎)
  まつぶさに眺めてかなし月こそは全(また)き裸身と思ひいたりぬ(水原紫苑『びあんか』)
  かなしみは明るさゆゑにきたりけり一本の樹の翳らひにけり(前登志夫『子午線の繭』)
  春がすみいよよ濃くなる眞晝間のなにも見えねば大和と思へ(前川佐美雄『大和』)
    [参考]ぞろぞろと鳥けだものを引きつれて秋晴の街にあそび行きたし(前川佐美雄)
  鶏ねむる村の東西南北にぼあーんぼあーんと桃の花見ゆ(小中英之『翼鏡』)

  おさきにというように一樹色づけり池のほとりのしずけき桜(沖ななも『天の穴』)

【第九章 孤の思い――秋のみづ素甕にあふれ】
  秋のみづ素甕(すがめ)にあふれさいはひは孤(ひと)りのわれにきざすかなしも(坪野哲久『桜』)
    [参考]曼珠沙華のするどき象(かたち)夢にみしうちくだかれて秋ゆきぬべき(坪野哲久)
  ゆずらざるわが狭量を吹きてゆく氷湖の風は雪巻き上げて(武川忠一『氷湖』)
  とどまるというひとつにも弩(いしゆみ)のごとき努力をして過ぎむのみ(田井安曇『水のほとり』)
  退くことももはやならざる風のなか鳥ながされて森越えゆけり(志垣澄幸『空壜のある風景』)
    [参考]工事場の高き梁にて憩ひゐる工夫ら煙草の火を移し合ふ(志垣澄幸)
        透明をあまた重ねて積みゆけばガラスは海のごとき色もつ(  〃  )
  サンチョ・パンサ思ひつつ来て何かかなしサンチョ・パンサは降る花見上ぐ(成瀬有『游べ、櫻の園へ』)

【第十章 病と死――死はそこに抗ひがたく立つゆゑに】
  もゆる限りはひとに與へし乳房なれ癌の組成を何時よりと知らず(中城ふみ子『乳房喪失』)
    [参考]頼りなく母をよぶ聲傳へくる長距離電話は夜のかぜのなか(中城ふみ子)
  微笑して死にたる君とききしときあはれ鋭き嫉妬がわきぬ(相良宏『相良宏歌集』)
    [参考]やみやせて會ふは羞(やさ)しと死の床に囁きしとぞ君は誰がため(相良宏)
  この向きにて 初(うひ)におかれしみどり兒の日もかくのごと子は物言はざりし(五島美代子『新輯 母の歌集』)
  くりかへし手をのべわが手とらしたりひさしく握りゐたまひにけり(窪田章一郎『硝子戸の外』)
  時間をチコに返してやらうといふやうに父は死にたり時間返りぬ(米川千嘉子『たましひに着る服なくて』)

  先に死ぬしあはせなどを語りあひ遊びに似つる去年(こぞ)までの日よ(清水房雄『一去集』)
    [参考]なほつたら歸つたらと言ふ枕べに寂しくわれはパン食ひをはる(清水房雄)
        死ぬまでに指輪が一つ欲しと言ひしそれより長く長く病(やみ)臥す(  〃  )
  死はそこに抗ひがたく立つゆゑに生きてゐる一日(ひとひ)一日はいづみ(上田三四二『湧井』)
    [参考]つひにゆく道とはかねて聞きしかどきのふけふとは思はざりしを(在原業平)
        たすからぬ病と知りしひと夜経てわれより妻の十年(ととせ)老いたり(上田三四二)

【おわりに】
  一日が過ぎれば一日減つてゆくきみとの時間 もうすぐ夏至だ(永田和宏『夏・二〇一〇』)
    [参考]後(のち)の日々再発虞(おそ)れてありし日々合歓が咲くのを知らずに過ぎた(河野裕子)

村上春樹『ふしぎな図書館』『図書館奇譚』を買いました。

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今日、村上春樹の『ふしぎな図書館』(イラスト:佐々木マキ、05)と『図書館奇譚』(イラスト:カット・メンシック、14)を買いました。
先日、講談社文庫『カンガルー日和』収録の「図書館奇譚」を読み、上記2冊を読み比べるのもおもしろそうだと思い、『図書館奇譚』は買わないという当初の考えを捨てました。

【参考】以下、『図書館奇譚』の「あとがき」から「図書館奇譚」の4つのヴァージョンを示しました。なお、、□→い箸い進化形ではなく、↓い修譴召譴魯リジナルの,房蠅鯑譴燭發里任后
◆「図書館奇譚(ふしぎな図書館)」の4つのヴァージョン
 々崔娘卻幻法悒ンガルー日和』収録の「図書館奇譚」(オリジナル)
 ◆愨湿綵媼敢酩1979~1989』収録の「図書館奇譚」
 9崔娘卻幻法悗佞靴な図書館』(イラスト:佐々木マキ)
 ぁ愎渊餞朶驪戞淵ぅ薀好函Дット・メンシック)

【感想】

村上春樹『パン屋を襲う』を買いました。

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今日、村上春樹の『パン屋を襲う』(イラスト:カット・メンシック、13)を買いました。収録作品は「パン屋を襲う」と「再びパン屋を襲う」です。

【参考】
 ◆パン屋を襲う
  ・文芸雑誌『早稲田文学』1981年10月号に「パン屋襲撃」として掲載
  ・村上春樹・糸井重里『夢で会いましょう』に「パン」として収録(1981.11)
  ・『村上春樹全作品1979-1989』第8巻に「パン屋襲撃」として収録(1991.7)
  ・「パン屋襲撃」を改変し、タイトルを「パン屋を襲う」とした。(2013.2)

 ◆再びパン屋を襲う
  ・女性誌『マリ・クレール』1985年8月号に「パン屋再襲撃」として掲載
  ・短編集『パン屋再襲撃』に「パン屋再襲撃」として収録(1986.4)
  ・「パン屋再襲撃」を改変し、タイトルを「再びパン屋を襲う」とした。(2013.2)

【感想】

佐藤賢一『小説フランス革命11 八月の蜂起』を読みました。

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今日、佐藤賢一の『小説フランス革命11 八月の蜂起』を読み終えました。

◆ストーリー
 革命に圧力を加えようとする諸外国に宣戦布告したフランス。しかし戦場の兵士たちの士気は低く、緒戦に敗退。開戦を主張したジロンド派は窮地におちいる。敗戦の責任を王家に転嫁しようと民衆の蜂起を促すも、あえなく失敗。政局が混乱し革命が行き詰まりかけた時、フランスの未来を拓くために、ダントンが、デムーランが、再びパリを起ち上がらせる! 革命が大きく舵を切る、運命の第11巻。(ブックカバー裏表紙より)
 1792年
  7月 6日 デムーランに長男誕生
  7月11日 議会が「祖国は危機にあり」と宣言
  7月25日 ブラウンシュヴァイク宣言。オーストリア・プロイセン両国がフランス王家の解放を求める
  8月10日 パリの民衆が蜂起しテュイルリ宮で戦闘。王権停止(8月10日の蜂起)
  8月11日 臨時執行評議会成立。ダントンが法務大臣、デムーランが国璽尚書に
  8月13日 国王一家がタンプル塔へ幽閉される        (巻末「関連年表」より)

◆感想
 この巻のクライマックスは〈8月10日事件〉(1792)――パリで民衆と軍隊がテュイルリー宮殿を襲撃してルイ16世やマリー・アントワネットら国王一家を捕らえ、タンプル塔に幽閉した事件――です。いよいよ革命が大きく動き出しました。
 この巻ではロラン夫人・デムーラン・ロベスピエール・ルイ16世のそれぞれの視点から物語が語られますが、僕はこの手法を好きになれません。でも、もう少し読み続けようと思います。
 

河野裕子・永田和宏『たとへば君 四十年の恋歌』を読みました。

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今日、河野裕子・永田和宏『たとへば君 四十年の恋歌』を読み終えました。
この本について、川本三郎氏の「解説」から引用します。
 河野裕子さんと永田和宏さんという二人の現代の秀れた歌人は、学生時代に京都で出会い、惹かれ合い、結婚した。二人の子供に恵まれ、家庭を作り、それぞれに歌人としての道を深めていった。
 そして、妻の河野裕子さんは2000年に乳癌が見つかり、一時は小康を得たが、2008年に再発し、二年後に他界した。64歳だった。
 本書は、お二人の短歌と、河野さんの折り折りの随筆で編まれた、ひとつの夫婦の記録である。二人は日本のどこにでもいる良き夫婦であると同時に、夫と妻の両方が歌を詠むという特別な夫婦でもある。

以下、一読して気になった歌を引用します。

【第一章 はじめて聴きし日の君が地のおと 出会いから結婚、出産まで】
◆河野
  たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか
  くすの木の皮はがしつつ君を待つこの羞(やさ)しさも過ぎて思はむ
  わが頬を打ちたるのちにわらわらと泣きたきごとき表情をせり
  「ゆたゆたと血のあふれてる冥い海ね」くちづけのあと母胎のこと語れり
  寝ぐせつきしあなたの髪を風が吹くいちめんにあかるい街をゆくとき

  夕闇の桜花の記憶と重なりてはじめて聴きし日の君が血のおと
  息あらく寄り来しときの瞳(め)の中の火矢のごときを見てしまひたり
  ブラウスの中まで明かるき初夏の日にけぶれるごときわが乳房あり
  おほよその君の範囲を知りしこと安しとも寂しとも冬林檎むく
  今刈りし朝草のやうな匂ひして寄り来しときに乳房とがりゐき

  言ひかけて開きし唇の濡れをれば今しばしわれを娶らずにゐよ
  汝が胸の寂しき影のそのあたりきりん草の影かはみ出してゐる
  しんしんとひとすぢ続く蝉のこゑ産みたる後の薄明に聴こゆ
  まがなしくいのち二つとなりし身を泉のごとき夜の湯に浸す
  子とわれのみの知る胎動の外にして父なる汝れのすでに寂しく

◆永田
  海蛇座南にながきゆうぐれをさびしきことは言わずわかれき
  楡の樹に楡の悲哀よ きみのうちに溶けてゆけない血を思うとき
  あなた・海・くちづけ・海ね うつくしきことばに逢えり夜の踊り場
  あの胸が岬のように遠かった。畜生! いつまでおれの少年
  重心を失えるものうつくしく崩おれてきぬその海の髪

  動こうとしないおまえのずぶ濡れの髪ずぶ濡れの肩 いじっぱり!
  ひとひらのレモンをきみは とおい昼の花火のようにまわしていたが
  きまぐれに抱きあげてみる きみに棲む炎の重さを測るかたちに
  おもむろにひとは髪よりくずおれぬ 水のごときはわが胸のなかに

【第二章 たったこれだけの家族 若き日の父として母として】
◆河野
  君は今小さき水たまりをまたぎしかわが磨く匙のふと暗みたり
  夕暗む部屋にしづかにシヤツ脱ぎて若きキリンのやうな背をせり
  子がわれかわれが子なのかわからぬまで子を抱き湯に入り子を抱き眠る
  妻子なく職なき若き日のごとく未だしなしなと傷みやすく居る
  でまかせの嘘のついでに言ひしことまさしく君を撃ち貫きぬ

  とかげのやうに灼けつく壁に貼りつきてふるへてをりぬひとを憎みて
  男憎し苦(にが)し憎けれどさしあたりざんぶ熱き湯に耳まで浸る
  ほしいまま雨に打たせし髪匂ふ誰のものにもあらざり今は
  つきつめて思へば誰か分らざるあなたに夜毎の戸を開けて待つ
  羞(やさ)しさや 君が視界の中に居て身震ふほどに君が唇欲し

  かの初夏の疎林で嗅ぎし体臭を何のはずみにかまとひて君は
  昨夜(よべ)われを領しゐし手がしらかみにかくも無造作に垂線おおろす
  憎しみに火脹れてゐる夜ぞ迷ひ来し蟻のひとつもわれに触るるな
  昨夜(きぞのよ)の汝がためらひは何故ぞそのおほき手が椅子の背に垂る
  現代版書生気質の伴侶かな長身長髪黒シャツGパン

  逆上してこゑをあぐれどこの家はつらら垂る家誰もひそひそ
  君に凭りバスに揺られて眠りつつ覚めてゐしなり二十歳の頃は
  ことば、否こゑのたゆたひ 惑ひゐる君がこころをわれは味はふ
  たつたこれだけの家族であるよ子を二人あひだにおきて山道のぼる

◆永田
  酔うためにのみ飲むごとき夜幾夜、子あり妻ありゆきずりのごと
  寝息かすか――妻には妻の夜がありて告げねば知るはずもなきさびしさは
  〈差し向かいの寂寥(ツワイ・ザアムカイト〉さもあらばあれ透明の花器に夕日が静かに充つる
  諍(いさか)いの部屋を抜け来し昼ふかく鳥は目蓋を横に閉ざせり
  人を抱くこともなければリゾールの眠るときまでかすかに匂う

  なにげなきことばなりしがよみがえりあかつき暗き吃水を越ゆ
  わが肩にもたれ眠りし汝が髪に海のものなる塩は乾きいつ
  逆上の刹那美しき表情に夕映えは来て汝はわがもの
  土壇場で論理さらりと脱ぎ捨てて女たのしもほろほろと笑む
  あきらめて得(う)る平安と人は言えど、われも思えど、樹々を揉む風

  背後より触るればあわれてのひらの大きさに乳房は創られたりき
  憎しみは妻に発して子におよぶ子なれば妻なればその夫なれば

【第三章 良妻であること何で悪かろか アメリカ、みどりの家の窓から】
◆河野
  なぐられて戻り来し子は黙しをり父には言はむ問はずに置かむ
  かんしやくが夢の中でも爆発し亭主を蹴りし勢ひに覚む
  ぽぽぽぽと秋の雲浮き子供らはどこか遠くへ遊びに行けり
  文献を握りしままに眠りゐるこの人はもう六十のやうに疲れて
  しつかりと飯を食はせて陽にあてしふとんにくるみて寝かす仕合せ

  共に棲みまだ七、八十年はあるやうな君との時間ゆつくり過ぎよ
  眠くて眠くて眠い疲れのこのひとが眠れる今も疲れゐるなり
  おほきな月浮かび出でたり六畳に睡りて君ゐるそれのみで足る

【第四章 あと何万日残っているだろう 多忙な日常の中で】
◆河野
  てのひらに載るほど遠景の夫(つま)子らを紅梅の木ごと掬はむとせり
  自意識に苦しみゐし頃わが歩幅考へず君は足早なりき
  こぞり立つぶ厚き鶏頭に手触れたり君を知り君のみを知り一生(ひとよ)足る
  七月のとある日なりき君に会ひどくだみの表紙の歌誌をもらひき
  育つほどいよいよ父に似てきたるもの言はず傍へに佇つ気配まで

  もうすこしあなたの傍に眠りたい、死ぬまへに螢みたいに私は言はう
  耳の裏見られてゐるか いつも君は背後から来て肩ごしにものを言ふ
  このひとは寿命縮めて書きてゐる私はいやなのだ灰いろの目瞼など
  先に死ねばやはりこの人は困るだらう金ではなくて朝のパン夕べの飯に
  この家で俺らは死ぬさと言ひながら棕櫚の徒長枝伐り始めたり

  一碗には幾つぶの飯があるのだらうつぶりつぶりと嚙みながら泣く
  じやがいもを買ひにゆかねばと買ひに出る この必然が男には分からぬ
  厨にはいつも私しか居らぬゆゑ米櫃(こめびつ)に凭れてごはんを食べる
  疲れたるあなたの横でパンを食ふ感染(うつ)らないやうにぐんぐん食べる
  晩年におそらくは居ない君のこと既視感(デジヤビユ)のごとく復習(さらつ)ておかねば

  いつぱいに蛇口をあけて水勢つよき柱をぞ作る君の居ぬ夜は
  長くてもあと三十年しか無いよ、ああ、と君は応ふ椋の木の下
  君の場合ブレーキのかけ方がよかりしと真顔で思ふ 朝鵙(あさもず)のこゑ
  灯ともさぬ階段に腰かけ待ちてをり今日は君だけが帰りくる家

◆永田
  たった一度のこの世の家族寄りあいて雨の廂(ひさし)に雨を見ており
  君が歩幅を考えず歩きいたる頃せっぱつまりしように恋いいし
  あのころは歩き疲れるまで歩き崩れるようにともに睡りき
  とげとげともの言う妻よ疲れやすくわれは向日葵の畑に来たり
  用のなき電話は君の鬱のとき雨の夜更けをもう帰るべし

  母を知らぬわれにあるとう致命的欠陥を君はあげつらうばかり
  日に幾度笑いて笑いとまらざる妻と呼び慣らわしているこの女
  吾と猫に声音(こわね)自在に使いわけ今宵いくばく猫にやさしき
  木の名草の名なべては汝に教わりき冬陽明るき榛(はん)の木林
  不機嫌の妻の理由のわからねば子と犬と連れて裏口を出づ

  食えと言い、寝よと急かせてこの日頃妻元気なり吾をよく叱る
  子らの居ぬ日曜なれば君が誘い我はしたがう ふくろうとして
  君がいつか死ぬとうことを思わざりき思わずきたり黄あやめのはな
  風邪熱にはかなく妻が立ち居する雪にまぶしき朝の厨房
  つまらなそうに小さき石を蹴りながら橋を渡りてくる妻が見ゆ

  性愛をめぐりさびしく諍(いさか)えり窓には夜の沼ひろがれる
  あきらめて優しくわれはあるものをやさしくあれば人はやすらう
  小(ち)さき耳に小(ちい)さき穴をあけきたる妻はかなしも厨に立てば
  扉(ドア)の向こうが海だとでもいうように君はもたれおり昔も今も
  家族の犠牲になっているという不満妻にありて薬湯(やくとう)のさみどりに首まで浸る

  雨の日に電話かけくるな雨の日の電話は焚火のようにさびしい
  あるいは泣いているのかもしれぬ向こうむきにいつまでも鍋を洗いつづけて
  蒸留水と息子がわれを批判せしとうれしそうなり妻の口ぶり
  意地のごとく息子とわれを比較する妻のこの頃好きとは言えぬ
  君のおかげでおもしろい人生だったとたぶん言うだろうわたくしがもし先に死ぬことになれば
  ふたりよりやがてふたりにもどるまでの時の短かさそののちの長さ

【第五章 わたしよりわたしの乳房をかなしみて 発病】
◆河野
  あの時の壊れたわたしを抱きしめてあなたは泣いた泣くより無くて
  過労鬱のとばつちりなれど寂しさよ俺の広辞苑を使ふなと怒鳴る
  何といふ顔してわれを見るものか私はここよ吊り橋ぢやない
  わたしよりわたしの乳房をかなしみてかなしみゐる人が二階を歩く
  君のこゑ聞けどふらふらと海月(くらげ)なり陽あたる遠浅をゆき戻りして

  ああ寒いわたしの左側に居てほしい暖かな体、もたれるために
  沈潜しろ仕事断はれと言ひくるる帰りて風呂の湯替へつつ君は
  わが病めば醤油と味醂の割合のわからぬ君が青魚(あをいを)を煮る
  行こ行こと誘へば行く行くとわれは言ふ龍神温泉遠くもあるか
  ちよつとだけ私にくれていい筈の時間があらぬ君が日程表

  猫好きで一生(ひとよ)を通し死ぬときはつれあひよりも猫が心配
  一寸ごとに夕闇濃くなる九月末、寂しさは今始まつたことぢやない
  死ぬときは息子だけが居てほしい 手も握らぬよ彼なら泣かぬ
  今ならばまつすぐに言ふ夫ならば庇つて欲しかつた医学書閉ぢて
  やつとこさ正気の今日の綱渡り早寝をするよ誰からも逃げ

  薬害に正気を無くししわれの傍に白湯つぎくれる家族が居りき
  このひとをあんなに傷つけてしまつた日どの錠剤も白かつたのだけど
  椿咲く家にあなたは帰りきて頬を腫らししわれを哀れむ
  終点まで乗りてゆかうと君が言ふああいいよ他に誰も居ない
  わたしらはもののはづみに出会(でお)うたよあんなに黄色い待宵の花

  鈍感なわたしだつたよひたひたとあなたのこゑを書きつけておく
  兄のやうな父親のやうな夫がゐて時どき頭を撫でてくれるよ
  笑窪がかはいいと言はれてよろこぶ私に私より単純に夫がよろこぶ
  栓抜きがうまく使へずあなたあなたと一人しか居ない家族を呼べり
  このひとはだんだん子供のやうになるパンツ一枚で西瓜食ひゐる

  この五年一日一日を生き延びし思ひに過ぎきあなたの傍に
  よき妻であつたと思ふ扇風機の風量弱の風に髪揺れ
  をんなの人に生まれて来たことは良かつたよ子供やあなたにミルク温める
  病むまへの身体が欲しい 雨あがりの土の匂ひしてゐた女のからだ
  粋(いき)がつて傘もささずに歩いてた若かつたあなた、私は追ひかけて

  後(のち)の日々再発虞(おそ)れてありし日々合歓(ねむ)が咲くのも知らずに過ぎた
  ごはんを炊く 誰かのために死ぬ日までごはんを炊けるわたしでゐたい

◆永田
  「私が死んだらあなたは風呂で溺死する」そうだろうきっと酒に溺れて
  妻おらぬ夜はやさしく電話して娘に食事の用意を頼む
  癌と腫瘍の違いからまず説明すなにも隠さず楽観もせず
  大泣きに泣きたるあとにまだ泣きて泣きつつ包丁を研ぎいたるかな
  あなたにはわからないと言う切り捨てるように切り札のJ(ジヤツク)のように

  ポケットに手を引き入れて歩みいつ嫌なのだ君が先に死ぬなど
  昔から手のつけようのないわがままは君がいちばん寂しかったとき
  白まばら紅(くれない)まばらの梅林(ばいりん)にふたりの時の短きを言う
  ささくれて尖ってそして寂しくて早く寝にけり今宵の妻は
  平然と振る舞うほかはあらざるをその平然をひとは悲しむ

  薯蕷(とろろ)蕎麦啜りつつ言うことならねどもあなたと遭っておもしろかった
  がんばっていたねなんて不意に言うからたまごごはんに落ちているなみだ
  なんにしても許すことをまず覚えよとエノコロの穂をしごいて歩く
  花は野の花を選びて買いもどるこの頃鬱がちの汝が誕生日
  われのひと世にもっとも聡明にありたしと願いし日々を君は責むるも

  かたくなに同情とうを拒みつづけかろうじてわれはわれを支えこし
  あそこにも、ああ、あそこにもとゆびさして山の桜の残れるを言う
  不意に泣き、顔裏返すように泣く ひとりの前にたじたじとわれは
  君が今夜のはしゃぎすぎいるさびしさに取り残されて不機嫌なりわれは
  この数日の君を案じて駆けつけし二人子に母は君ひとりなり

  待ち続け待ちくたびれて病みたりと悲しきことばはまっすぐに来る
  最後まで決してきみをはなれない早くおねむり 薬の効くうちに
  ほつりほつりと茶の花咲ける石垣にあ、雪虫と言いて振り向く
  馬鹿ばなし向うの角まで続けようか君が笑っていたいと言うなら
  不機嫌がすぐ表情にあらわれるそこが青いと妻は批判す

  放っておいてくれればよほど楽なのに心配し心配しまた君が病む

【第六章 君の妻として死ぬ 再発】
◆河野
  一日に何度も笑ふ笑ひ声と笑ひ顔を君に残すため
  まぎれなく転移箇所は三つありいよいよ来ましたかと主治医に言へり
  大泣きをしてゐるところへ帰りきてあなたは黙つて背を撫でくるる
  わたしより不安な不安な君なれど苦しむ体はわたしの体
  俺よりも先に死ぬなと言ひながら疲れて眠れり靴下はいたまま

  乗り継ぎの電車待つ間の時間ほどのこの世の時間にゆき会ひし君
  生きてゆくとことんまでを生き抜いてそれから先は君に任せる
  見苦しくなりゆくわたしの傍に居てあなたで良かつたと君ならば言ふ
  歌人として死にゆくよりもこの子らの母親であり君の妻として死ぬ
  死ぬな 男の友に言ふやうにあなたが言へり白いほうせん花(くわ)

  わたしには七十代の日はあらず在(あ)らぬ日を生きる君を悲しむ
  このひとの寝相の悪きは子供のやう一回ころがして布団かけやる
  死に際に居てくるるとは限らざり庭に出て落ち葉焚きゐる君は
  若狭へと君は行きたり元気ならば共に行きしを花背峠越えて
  大暑すぎし暑さの中を起ちゆけりわたしの頭を二三度なでて

  わが知らぬさびしさの日々を生きゆかむ君を思へどなぐさめがたし
  死なないでとわが膝に来てきみは泣くきみがその頸子供のやうに
  今日夫は三度泣きたり死なないでと三度(みたび)泣き死なないでと言ひて学校へ行けり
  長生きして欲しいと誰彼数へつつつひにはあなたひとりを数ふ

◆永田
  一日が過ぎれば一日減つてゆく君との時間 もうすぐ夏至だ
  言つて欲しい言葉はわかつてゐるけれど言へば溺れてしまふだらうきみは
  あの午後の椅子は静かに泣いてゐた あなたであつたかわたしであつたか
  あつと言ふ間に過ぎた時間と人は言ふそれより短いこれからの時間
  カモミール淹れようかと言ふ 存在のはかなき午後の陽の翳る庭

  きみがゐてわれがまだゐる大切なこの世の時間に降る夏の雨
  遠浅にひとり浮き身をするやうなさびしさはもう嫌なのだ人よ
  点滴を受けつつ眠りゐる人の眠りの午後に雨やはらかし
  この桜あの日の桜どれもどれもきみと見しなり今日とのさくら
  声だけはいつも元気で電話切るまでのことなりわれだけが知る  

  あと五年あればとふきみのつぶやきに相槌を打ち打ち消して、打つ
  原稿はもう引き受けないと約束すきみとの時間わづかな時間
  副作用はもとより承知しかれどももう止めようと言へなどしない
  ともに過ごす時間いくばくさはされどわが晩年にきみはあらずも
  コスモスを踏まないでとまた声が飛ぶ背に聞く声は昔の声だ

  歌は遺り歌に私は泣くだらういつか来る日のいつかを怖る

【終章 絶筆】
◆河野
  あなたらの気持がこんなにわかるのに言ひ残すことの何ぞ少なき
  さみしくてあたたかかりきこの世にて会ひ得しことを幸せと思ふ
  八月に私は死ぬのか朝夕のわかちもわかぬ蝉の声降る
  手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が

◆永田
  あほやなあと笑ひのけぞりまた笑ふあなたの椅子にあなたがゐない
  亡き妻などとどうして言へようてのひらが覚えてゐるよきみのてのひら
  呑まうかと言へば応ふる人がゐて二人だけとふ時間があつた

佐藤賢一『小説フランス革命12 共和政の樹立』を読みました。

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今日、佐藤賢一の『小説フランス革命12 共和政の樹立』を読み終えました。

◆ストーリー
 1792年8月の蜂起で王権が停止され、国王一家はタンプル塔に幽閉された。パリの民衆は反革命の容疑者たちを次々に虐殺。街に暴力の嵐が吹き荒れ、立法議会に代わって国民公会が開幕すると、新人議員サン・ジュストの演説をきっかけに国王裁判が開かれることに。議員たちのさまざまな思惑が交錯する中、ついにルイ16世の死刑が確定し――。フランス王政の最期を描く、血塗られた第12巻。(ブックカバー裏表紙より)
  1792年
   9月 2日 パリ各地の監獄で反革命容疑者を民衆が虐殺(九月虐殺、~6日)
   9月20日 ヴァルミィの戦いでデュムーリエ将軍率いるフランス軍がプロイセン軍に勝利
   9月21日 国民公会開幕、ペティオンが初代議長に。王政廃止を決議
   9月22日 共和政の樹立(フランス共和国第1年1月1日)
   11月 6日 ジェマップの戦いでフランス軍がオーストリア軍に勝利、
        約ひと月でベルギー全域を制圧
   11月13日 国民公会で国王裁判を求めるサン・ジュストの名演説
   11月27日 フランスがサヴォワを併合
   12月11日 ルイ16世の裁判が始まる
  1793年
   1月20日 ルイ16世の死刑が確定
   1月21日 ルイ16世がギロチンで処刑される  (巻末「関連年表」より)

◆感想
 この巻は、章ごとにルイ16世、デムーラン、ロラン夫人、ロベスピエールのそれぞれの視点から描かれています。最後の3章(28~30章)は、1793年1月21日のルイ16世の処刑を彼の視点で描いています。この巻のハイライトです。

又吉直樹「火花」を読みました。

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今日、又吉直樹の中編小説「火花」を読みました。
彼の作品は、これまでに『第2図書係補佐』(エッセイ)と『カキフライが無いなら来なかった』(句集)、『まさかジープで来るとは』(同)の3冊を読んでいました。昨年末だったか、彼の小説デビュー作品が文芸誌『文學界』の平成27年2月号に掲載されると知り、これまで手にしたこともなかった雑誌でしたが、《Amazon》で買うことにしました。ところが、売り切れ。新刊で970円の雑誌が、中古品で2500円以上になっていました。で、単行本が出たら読もうと思っていました。
その後、『文學界』2月号が増刷されたので、《Amazon》に注文、今日やっと届きました。『文學界』の増刷は1933年(昭和8年)の創刊以来初めてだそうで、当初の1万冊が最終的には4万冊になったとか。まさに、「又吉効果」です。

◆ストーリー
 熱海の花火大会の余興に出演した若手漫才師の僕(徳永)は、そこで先輩漫才師の神谷と知り合い、弟子入りを申し込みます。神谷は弟子入りを認めますが、その条件として自らの伝記を書くことを依頼します。この作品では、そんな僕と神谷のその後の10年間が描かれます。

◆読み終えてホッとしました。神谷の生き方がハチャメチャなので、これまでに出会った多くの作品のように、彼には悲劇的な最期が訪れるんじゃないかと思いながら読み進めましたが、その予想は全く裏切られました。ハッピーエンドではないけれど、僕と神谷のその後が知りたくなるエンディングです。僕のその後と、僕が書く神谷の伝記が読みたいと思いました。続編とスピンオフ(神谷が主人公)に期待したいと思います。

◆神谷が作る蠅に関する川柳(P45-46)や漫才コンビ・スパークスの解散ライブの場面(P67-69)は作者の面目躍如って感じです。また、ラストシーンにボブ・マーリーの‘No Woman No Cry’が流れるのもいいです。

佐藤賢一『小説フランス革命13 サン・キュロットの暴走』を読みました。

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今日、佐藤賢一の『小説フランス革命13 サン・キュロットの暴走』を読み終えました。

◆ストーリー
 国王ルイ16世を断頭台に送り込み、共和政の道を歩み始めたフランス。しかし不況はとどまるところを知らず、対外戦争ではフランス包囲網が敷かれ戦況は暗転、国内ではヴァンデ県を発端に内乱が拡大する。国内外の脅威に無為無策ながら、政権を手放さないジロンド派がマラを告発したことで、マラを信奉するサン・キュロットら庶民の怒りが膨れ上がり――。民意が革命を暴走させる、第13巻。(ブックカバー裏表紙より)
  1793年
    1月31日 フランスがニースを併合
        ――急激な物価高騰――
    2月 1日 国民公会がイギリスとオランダに宣戦布告
    2月14日 フランスがモナコを併合
    2月24日 国民公会がフランス全土からの30万徴兵を決議
    2月25日 パリで食糧暴動
    3月10日 革命裁判所の設立。同日、ヴァンデの反乱。これをきっかけに、
        フランス西部が内乱状態に
    4月 6日 公安委員会の発足
    4月 9日 派遣委員制度の発足  (巻末「関連年表」より)

◆感想
 この巻はエベール、ロラン夫人、デムーラン、そしてロベスピエールの4人の視点から描かれています。そのうち、デムーラン(9-17章)とエベール(22-30章)の部分は比較的長いので読み応えがあったように思います。いよいよ・・・・。

穂村弘『短歌の友人』を読みました。

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今日、穂村弘の歌論集『短歌の友人』を読み終えました。
この本の内容については、「はじめに」の一部を引用します。
 二十三歳のときに短歌と出会って以来、私は歌を作りながら、同時に自分以外のひとの作品を読み続けてきた。
 短歌雑誌や歌集やネット上の歌を読みながら、面白いとかつまらないとかわからないとか思っているだけだが、長年続けているうちに、頭の中に面白いなと思う短歌が少しずつたまってゆく。
 (中略)
 自己、他者、コミュニケーション、性別、リアリティ、共同体、時代……、目の前の短歌の「面白さ」を味わっているうちに、自然にそんなことを考える場所に運ばれてゆく。自分にとって直接的な関心事項とはいえないことについても、結果的に考えさせられてしまうところが不思議だ。
 やがて、私は短歌を読むことから生まれた思考の流れを文章にするようになった。本書には、そのようにして書かれたテキストのうちから取捨選択したものが収められている。日常の理を超越した歌から論理的な意味の世界を引き出そうとしたためか、たどたどしかったり、くどかったり、下手な文章が多いけれど、短歌の「面白さ」と同時にその背後にある世界の「面白さ」を感じていただければ幸いである。

以下、作者が本書で取り上げた歌の中から、いいなと思ったものを引用します。

【第1章 短歌の感触】
  ハナムグリになりたく思う 君の耳の産毛が秋の陽に照る午後は(早川志織)
  きのうの夜の君があまりにかっこよすぎて私は嫁に行きたくてたまらん(脇川飛鳥)
  「カルピスが薄い」といつも汗拭きつつ父が怒りし山荘の夏(栗木京子)
  雪だった手と手をあたため合うなんてことむろんなくバスを待ってた(五十嵐きよみ)
  こんなにも風があかるくあるために調子つぱづれのぼくのくちぶえ(山崎郁子)

  電話口でおっ、て言って前みたいにおっ、て言って言って言ってよ(東直子)
  だてめがねの穂村弘は虹だから象のうんこは雪のメタファー?(荻原裕幸)
  覚めてより耳に離れぬ唄のありそがまた実に下らぬ唄にて(西中真二郎)
  八丈のクサヤを肴に飲みゐしが臭気になれたるころを喰ひ了ふ(島田修三)
  「勝ち負けの問題じゃない」と諭されぬ問題じゃないなら勝たせてほしい(俵万智)

【第2章 口語短歌の現在】
  晩冬の東海道は薄明りして海に添ひをらむ かへらな(紀野恵)
  寄せ返す波のしぐさの優しさにいつ言われてもいいさようなら(俵万智)
  大きければいよいよ豊かなる気分東急ハンズの買物袋( 〃 )
  「嫁さんになれよ」だなんてカンチューハイ二本で言ってしまっていいの( 〃 )

【第3章 〈リアル〉の構造】
  馬を洗はば馬のたましひ冱ゆるまで人戀はば人あやむるこころ(塚本邦雄)
  かたむいているような気がする国道をしんしんとひとりひとりで歩く(早坂類)

【第4章 リアリティの変容】
  我が家の犬はいづこにゆきぬらむ今宵も思ひいでて眠れる(島木赤彦)
  死に近き母に添寝のしんしんと遠田(とほだ)のかはづ天に聞(きこ)ゆる(斎藤茂吉)
  「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ(俵万智)

【第5章 前衛短歌から現代短歌へ】
  われに向ひて光る星あれ冬到る街に天文年鑑を買ふ(荻原裕幸)
  ああ闇はここにしかないコンビニのペットボトルの棚の隙間に(松木秀)
  平日の住宅地にて男ひとり散歩をするはそれだけで罪( 〃 )
  カップ焼きそばにてお湯を切るときにへこむ流しのかなしきしらべ( 〃 )

【第6章 短歌と〈私〉】
  富士を蹈みて帰りし人の物語聞きつつ細き足さするわれは(正岡子規)
  かの人も現実(うつつ)に在りて暑き空気押し分けてくる葉書一枚(花山多佳子)
  人間は予感なしに病むことあり癒(なほ)れば楽しなほらねばこまる(斎藤茂吉)
  中年のわれは惰眠を棲む処(すみか)とし長きゴールデンウィーク過ごす(高野公彦)
  ねむる鳥その胃の中に溶けてゆく羽蟻もあらむ雷ひかる夜( 〃 )

  自転車のカゴからわんとはみ出してなにか嬉しいセロリの葉っぱ(俵万智)
  妻という安易ねたまし春の日のたとえば墓参に連れ添うことの( 〃 )
  焼肉とグラタンが好きという少女よ私はあなたのお父さんが好き( 〃 )
  神がゐるならばその神見せよなどと言はず私は生きてゐればよし(高野公彦)
  神はゐてもゐなくても良しみちのくのかやの実せんべい食ひつつ思ふ( 〃 )

【第7章 歌人論】
  一粒の向日葵の種まきしのみに荒野をわれの処女地と呼びき(寺山修司)
  赤き肉吊せし冬のガラス戸に葬列の一人としてわれうつる( 〃 )
  夏蝶の屍をひきてゆく蟻一匹どこまでゆけどわが影を出ず( 〃 )
  星よりも星のかたちに咲く桔梗 花もめしべも五つに裂けて(俵万智)
  捨てるかもしれぬ写真を何枚も真面目に撮っている九十九里( 〃 )

  天竺からみれば第三セクターのやうな大和のほとけほほゑむ(馬場あき子)
  柚子もぎてゆきし人あり冬の夜の道を匂ひてゆきしを思ふ( 〃 )
  われに問ふな思ひ出といふ逃亡路あを空のごとあらはれはじむ( 〃 )
  そんなふうにいはれてもかうして咲くしかないアマリリスの長い長い二ヶ月( 〃 )
  ある日ふと手より枯れゆくわれを見る麦秋の香に覚めしひかりに( 〃 )

  六月のうすむらさきの朝ぼらけ頭はそつとあぢさゐになる(小島ゆかり)

太宰治『斜陽 人間失格 桜桃 走れメロス 外七篇』を買いました。

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今日、太宰治の『斜陽 人間失格 桜桃 走れメロス 外七篇』(文春文庫)を買いました。
僕は太宰作品を主に新潮文庫で読んできましたが、先日この本の存在とその収録作品リストを知り、とてもいいなと思ったので即購入しました。巻末の「太宰治伝」「作品解説」「太宰治年譜」もとても参考になります。今度旅行に行くときは、ぜひこの本を持って行きたいと思います。

◆収録作品(初出掲載誌)
 ・斜陽(『新潮』昭和22年7~10月号)
 ・人間失格(『展望』昭和23年6~8月号)
 ・ダス・ゲマイネ(『文藝春秋』昭和10年10月号)
 ・満願(『文筆』昭和13年9月号)
 ・富嶽百景(『文体』昭和14年2・3月号)
 ・葉桜と魔笛(『若草』昭和14年6月号)
 ・駈込み訴え(『中央公論』昭和15年2月号)
 ・走れメロス(『新潮』昭和15年5月号)
 ・トカトントン(『群像』昭和22年1月号)
 ・ヴィヨンの妻(『展望』昭和22年3月号)
 ・桜桃(『世界』昭和23年5月号)
 ※太宰治伝(臼井吉見)・作品解説(臼井吉見)・太宰治年譜(奥野健男)

太宰治『斜陽』を読みました。

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今日、太宰治の『斜陽』を読み終えました。
この作品は「女性の一人称告白体」というスタイルの最も成熟したものであり、太宰文学の集大成とも言われています。なお、太宰は「女性の一人称告白体」の作品を10数編書いていますが、このスタイルは「燈籠」(昭和12)に始まり、「女生徒」(昭和14)で確立しました。

◆巻末・奥野健男「太宰治 人と文学」より(一部改編)
 「斜陽」は太宰文学の集大成と言える。麻薬中毒で破滅して行く直治に、太宰は「晩年」(昭和11年)の頃の自分を託する。最後の貴族である母は「右大臣実朝」(昭和18年)などにあらわれた中期の太宰の理想像であり、蝮(まむし)を腹に持ちながら猯罰很燭里燭甅畧犬ようとするかず子は苦しい戦争期を生抜いた太宰の生き方が投影されている。そして流行作家上原は、戦後の太宰のカリカチュアである。「斜陽」はその四人四様の滅びの姿の交響楽であり、日本には珍しい本格的ロマンであり、その底にひと筋の祈りが秘められていて、読者の魂を撃ち、芸術性に陶酔させる。

◆感想
 以前、太宰の代表作だからという理由で「斜陽」を読み始めましたが、すぐに投げ出してしまいました。当時はまだ太宰の作品にそれほど慣れていなかったし、「女性の一人称告白体」というスタイルにも違和感を感じたからだと思います。
 今回初めて読みましたが、太宰文学の集大成という評価に納得しました。文体といい、回想の使い方といい、かず子の手紙や直治の遺書の使い方といい、うまいと思いました。また、直治や上原に太宰の姿が重なっているのもリアリティを感じました。ただ、かず子の上原への執着はよく理解できません。
 しばらくしたら、最近買った文春文庫の『斜陽 人間失格 桜桃 走れメロス 外七篇』でこの作品を読んでみようと思います。

芥川龍之介『羅生門・鼻』を読み終えました。

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今日、芥川龍之介の短編小説集『羅生門・鼻』(新潮文庫)を読み終えました。
これまで彼の作品は「蜘蛛の糸」や「鼻」、「杜子春」などを中学校か高校の授業で読んだ程度でした。この短編集を読み、こんなに優れた作家の作品を読まなかったなんて、自分にキック! という後悔と、これから彼の作品をたくさん楽しめるという期待感が高まりました。
なお、この短編集には彼の「王朝物」といわれる、平安時代に材料を得た歴史小説が8編収録されています。

【収録作品】( )内は発表年時と発表機関
羅生門(大正4年11月、『帝国文学』)
 主人に暇を出され、行き所がなくて、羅生門の下で雨宿りをしている下人がいます。彼はこのままでは飢え死にしてしまうし、いっそのこと盗人になるより仕方がないと考えていますが、なかなか決心がつきません。彼は羅生門の楼上で一人の老婆を目にします。そして、彼は老婆の言葉に意を決します。

(大正5年2月、『新思潮』)
 禅智内供の鼻と云えば、池の尾で知らない者はいない。長さは五六寸あって、上唇の上から顋(あご)の下まで下っている。形は元も先も同じように太い。云わば、細長い腸詰めのような物が、ぶらりと顔のまん中からぶら下がっているのである。
 冒頭の一節です。禅智内供はこの鼻ゆえに自尊心を傷つけられ苦しんできましたが、鼻のために苦しんでいるなどと思われるのがいやで、鼻のことなど気にかけていない風を装ってきました。ある時、弟子のすすめで鼻を短くする方法を試し、鼻を短くすることができました。するとどうでしょう、人々は彼の短くなった鼻を見て、これまで以上にあからさまに嘲笑するではありませんか。
 内供は人々の露骨な笑いに苦悶します。その人がその不幸をどうにかして切り抜けることが出来ると、今度は何となく物足りないような心もちになる、いわゆる「傍観者の利己主義」にも気づき、日ごとに不機嫌になってゆきます。ところがある朝、元の長い鼻に戻ります。内供は「こうなれば、もう誰も哂(わら)うものはないにちがいない。」と心の中で囁きます。
 でも、彼への嘲笑は止むことはないでしょう。人々は内供が鼻のために苦しんでいることを確信してしまったから、そのことを笑っているのであって、鼻の長短を笑っているのではないのです。

芋粥(大正5年9月、『新小説』)
 この物語の主人公である五位は、元慶か仁和年間の頃、藤原基経に仕える、だらしのない格好をした40歳過ぎの侍階級の下級貴族である。彼は、周囲の人々からも酷い仕打ちを受けていた。しかし、彼は怒りもせず、「いけぬのう、お身たちは」と言うだけであった。そんな彼は、とある夢を抱いていた。それは、芋粥(山芋を甘葛の汁で煮た粥)を飽きるほど食べたい、というものだった。その望みを聞いて、藤原利仁という人物が、その夢を叶えてやることになった。しかし、実際に大量の芋粥を目にして、五位は食欲が失せてしまうのであった。(Wikipediaより)
 以下、末尾の一節です。
 五位は、芋粥を飲んでいる狐を眺めながら、此処へ来ない前の彼自身を、なつかしく、心の中でふり返つた。それは、多くの侍たちに愚弄されている彼である。京童にさえ「何じゃ。この鼻赤めが」と、罵られている彼である。色のさめた水干に、指貫をつけて、飼主のない尨犬のように、朱雀大路をうろついて歩く、憐む可き、孤独な彼である。しかし、同時に又、芋粥に飽きたいと云う慾望を、唯一人大事に守っていた、幸福な彼である。――彼は、この上芋粥を飲まずにすむと云う安心と共に、満面の汗が次第に、鼻の先から、乾いてゆくのを感じた。晴れてはいても、敦賀の朝は、身にしみるように、風が寒い。五位は慌てて、鼻をおさえると同時に銀の提に向って大きな嚔(くさめ)をした。
 芋粥を飽きるほど食べたいという願いがいざ現実のものとなると、五位はその圧倒的な量に尻込みしてしまいました。五位にとってその願いとは自身のみすぼらしさや意気地なさを取り繕うための自己欺瞞に過ぎなかったのでしょう。つまり、彼の願望は叶えるためにあったのではなく、憧れるためにあったのです。

(大正6年1月、『文章世界』)
 清水寺の参道にある陶器師の家で、青侍(身分の低い若侍)が観音様が授ける「運」にまつわる話を陶器師の翁に求めます。すると、翁はある女の運(幸運と不運)の話を始めます。

袈裟と盛遠(大正7年4月、『中央公論』)
 この作品は前半が遠藤盛遠の独白、後半が袈裟御前の独白という構成になっています。『源平盛衰記』に題材を取っていますが、作者独自の解釈によって物語が作られています。
 盛遠はこれから袈裟御前の夫を殺す直前、「己は果して袈裟を愛しているだろうか」と自問します。彼女への思いを遂げたのは征服心のためか、情欲のためか、苦悶します。しかし、結局「己はあの女を蔑んでいる。恐れている。憎んでいる。しかしそれでも猶、それでも猶、己はあの女を愛しているせいかも知れない」と独白します。
 袈裟御前も独白の最後に「昔から私にはたった一人の男しか愛せなかった。そうしてその一人の男が、今夜私を殺しに来るのだ。この燈台の光でさえ、そう云う私には晴れがましい。しかもその恋人に、虐(さいな)まれ果てている私には
 久々に衝撃的な、心にガツンと来るラブストーリーを読んだ気がしました。
【参考】
 遠藤盛遠。鎌倉前期の僧侶文覚上人(もんがくしょうにん)の俗名。上西門院の北面の武士だった。18歳の時、袈裟御前に横恋慕し、袈裟の夫源左衛門尉渡を殺そうとして夫の身代わりとなった袈裟を斬った。その後出家し、高雄山神護寺再興をはかり、平家討伐に尽くしたといわれる。盛遠出家の物語は、多くの浄瑠璃や謡曲となって、袈裟御前の烈婦貞女像を定着させた。(巻末「注解」より)

邪宗門(大正7年10~12月、『東京日日新聞』)
 芥川さん、こりゃないよ。70ページ以上読ませて、(未完)だなんて。これからがクライマックスってところで終わっちゃうなんて。
【参考】
 堀川の大殿様の子である若殿様は、父親とは容姿、性格、好みすべて正反対で、優しく物静かな人物であった。その生涯は平穏無事なものであったが、たった一度だけ、不思議な出来事があった。
 大殿様の御薨去から5、6年後、洛中に摩利信乃法師という名の沙門が現れ、障害や怪我に悩む人々を怪しげな力で治してまわり、信奉者を増やしていた。ある時、建立された阿弥陀堂の供養の折、沙門が乱入し、各地より集まった僧に対し法力対決をけしかけた。大和尚と称されていた横川の僧都でも歯が立たず、沙門がますます威勢を振りまく中、堀川の若殿様が庭へと降り立った。(Wikipediaより)

好色(大正10年10月、『改造』)
 平貞文(平中)は「天が下の色好み」(天下一の好色人)と自他共に認める女たらしです。たまに堅い女性があっても、手紙の2、3通で必ず落ちたと豪語しています。ところが、侍従という女性は60通も手紙を書いたのに会ってさえもくれません。そこで平中は意を決し、ある雨の夜に夜這いを仕掛けますが、うまくかわされてしまいます。
 思いつめた平中は、とうとう侍従の糞(まり)を見れば「百年の恋も一瞬の間に、煙よりもはかなく消えてしまう」と思い込み、彼女の糞の入った筥(はこ)を奪おうとします。
 平中は殆(ほとんど)気違いのように、とうとう筥の蓋を取った。筥には薄い香色の水が、たっぷり半分程はいった中に、これは濃い香色の物が、二つ三つ底へ沈んでいる。と思うと夢のように、丁子じの(におい)が鼻を打った。これが侍従の糞(まり)であろうか? いや、吉祥天女にしても、こんな糞はする筈がない。平中は眉をひそめながら、一番上に浮いていた、二寸程の物をつまみ上げた。そうして髭にも触れる位、何度もを嗅ぎ直して見た。は確かに紛れもない、飛び切りの沈(じん)のである。
「これはどうだ! この水もやはりうようだが、――」
 平中は筥を傾けながら、そっと水を啜って見た。水も丁子を煮返した、上澄みの汁に相違ない。
「するとこいつも香木かな?」
 平中は今つまみ上げた、二寸程の物を噛みしめて見た。すると歯にも透る位、苦味の交った甘さがある。その上彼の口の中には、忽(たちま)ち橘の花よりも涼しい、微妙なが一ぱいになった。侍従は何処から推量したか、平中のたくみを破る為に、香細工の糞をつくったのである。
「侍従! お前は平中を殺したぞ!」
 平中はこう呻(うめ)きながら、ばたりと蒔絵の筥を落した。そうして其処の床の上へ、仏倒しに倒れてしまった。その半死の瞳の中(うち)には、紫摩金(しまごん)の円光にとりまかれたまま、てん然と彼にほほ笑みかけた侍従の姿を浮べながら。……

俊(大正11年1月、『中央公論』)
 物語は俊の召使い有王(ありおう)によって語られます。琵琶法師の語る俊の話は嘘ばかりなので、この私が本当のことをお話ししましょう、という設定です。
 俊と有王の美人についての問答がおもしろい。
 その時又一人御主人に、頭を下げた女がいました。これは丁度榕樹(あこう)の陰に、幼な児を抱いていたのですが、その葉に後を遮られたせいか、紅染めの単衣を着た姿が、夕明りに浮んで見えたものです。すると御主人はこの女に、優やさしい会釈を返されてから、
「あれが少将の北の方じゃぞ」と、小声に教えて下さいました。
 わたしはさすがに驚きました。
「北の方と申しますと、――成経様はあの女と、夫婦になっていらしったのですか?」
 俊寛様は薄笑いと一しょに、ちょいと頷いて御見せになりました。
「抱いていた児も少将の胤じゃよ」
「成程、そう伺って見れば、こう云う辺土にも似合わない、美しい顔をしておりました」
「何、美しい顔をしていた? 美しい顔とはどう云う顔じゃ?」
「まあ、眼の細い、頬のふくらんだ、鼻の余り高くない、おっとりした顔かと思いますが、――」
「それもやはり都の好みじゃ。この島ではまず眼の大きい、頬のどこかほっそりした、鼻も人よりは心もち高い、きりりした顔が尊まれる。その為に今の女なぞも、此処では誰も美しいとは云わぬ。」
 わたしは思わず笑い出しました。
「やはり土人の悲しさには、美しいと云う事を知らないのですね。そうするとこの島の土人たちは、都の上臈を見せてやっても、皆醜いと笑いますかしら?」
「いや、美しいと云う事は、この島の土人も知らぬではない。唯好みが違っているのじゃ。しかし好みと云うものも、万代不変とは請合われぬ。その証拠には御寺御寺の、御仏の御姿を拝むが好よい。三界六道の教主、十方最勝、光明無量、三学無碍、億々衆生引導の能化、南無大慈大悲釈迦牟尼如来も、三十二相八十種好の御姿は、時代毎にいろいろ御変りになった。御仏でももしそうとすれば、如何かこれ美人と云う事も、時代毎にやはり違う筈じゃ。都でもこの後のち五百年か、或は又一千年か、とにかくその好みの変る時には、この島の土人の女どころか、南蛮北狄の女のように、凄まじい顔がはやるかも知れぬ」
「まさかそんな事もありますまい。我国ぶりは何時の世にも、我国ぶりでいる筈ですから」
「ところがその我国ぶりも、時と場合では当てにならぬ。たとえば当世の上臈の顔は、唐朝の御仏に活写しじゃ。これは都人の顔の好みが、唐土になずんでいる証拠ではないか? すると人皇何代かの後には、碧眼の胡人の女の顔にも、うつつをぬかす時がないとは云われぬ」
また、俊は藤原成親の屋敷へ通ったために、鹿ヶ谷事件に連座させられたとして、その理由を以下のように述べています。
「其処が凡夫の浅ましさじゃ。丁度あの頃あの屋形には、鶴の前と云う上童(うえわらわ)があった。これがいかなる天魔の化身か、おれを捉えて離さぬのじゃ。おれの一生の不仕合わせは、皆あの女がいたばかりに、降って湧いたと云うても好よい。女房に横面を打たれたのも、鹿ヶ谷の山荘を仮したのも、しまいにこの島へ流されたのも、――しかし有王、喜んでくれい。おれは鶴の前に夢中になっても、謀叛の宗人にはならなかった。女人に愛楽を生じたためしは、古今の聖者にも稀ではない。大幻術の摩登伽女には、阿難尊者さえ迷わせられた。竜樹菩薩も在俗の時には、王宮の美人を偸む為に、隠形の術を修せられたそうじゃ。しかし謀叛人になった聖者は、天竺震旦本朝を問わず、唯の一人もあった事は聞かぬ。これは聞かぬのも不思議はない。女人に愛楽を生ずるのは、五根の欲を放つだけの事じゃ。が、謀叛を企てるには、貪嗔癡の三毒を具えねばならぬ。聖者は五欲を放たれても、三毒の害は受けられぬのじゃ。して見ればおれの知慧の光も、五欲の為に曇ったと云え、消えはしなかったと云わねばなるまい。――」

俊(?-1179)
 平安末期の僧。法勝寺の執行(しゅぎょう)、後白河院の近臣として活躍。鹿ヶ谷事件で藤原成経、平康頼と共に鬼界ヶ島に配流。成経、康頼が大赦で都に召し返されてのちも、独り白石が島に移され、その地で没した。「平家物語」他、文学、戯曲に脚色されることが多かった人物。
有王
 俊僧都の召使。幼時から仕え、俊が鬼界ヶ島に流されると逢いに行き、俊の死後その遺骨を高野山に納めて出家する。(巻末「注解」より)

芥川龍之介『地獄変・偸盗』を読みました。

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今日、芥川龍之介の短編小説集『地獄変・偸盗』を読み終えました。
この短編集には『羅生門・鼻』と同じく芥川の「王朝物」といわれる、平安時代に材料を得た歴史小説が6編収められています。

【収録作品】( )内は発表年時と発表機関
偸盗(ちゅうとう)(大正6年4・7月、『中央公論』)
 95ページもありますから、短編ではなく、中編小説といったところでしょう。また、作品中に登場する立本寺(りゅうほんじ)は、注解によると「元亨元年(1321)竜華樹院日像が開いた日蓮宗の寺」とあり、さらに都の荒廃ぶりからすると時代は応仁の乱(167-77)以後と考えられます。
 さて、内容ですが、沙金(しゃきん)という偸盗(盗賊)の女頭目をめぐる太郎・次郎兄弟の葛藤が描かれています。場面としては、偸盗一味が藤判官方の侍や狩犬と戦うシーンが圧巻です。ただ、兄弟の葛藤の決着はこれでいいのか? と感じました。

地獄変(大正7年5月、『大阪毎日』『東京日日』)
 以下、Wikipediaより。

 時は平安時代。絵仏師の良秀は高名な天下一の腕前として都で評判だったが、その一方で猿のように醜怪な容貌を持ち、恥知らずで高慢ちきな性格であった。そのうえ似顔絵を描かれると魂を抜かれる、彼の手による美女の絵が恨み言をこぼすなどと、怪しい噂にもこと欠かなかった。この良秀には娘がいた。親に似もつかないかわいらしい容貌とやさしい性格の持ち主で、当時権勢を誇っていた堀川の大殿に見初められ、女御として屋敷に上がった。娘を溺愛していた良秀はこれに不満で、事あるごとに娘を返すよう大殿に言上していたため、彼の才能を買っていた大殿の心象を悪くしていく。一方、良秀の娘も、大殿の心を受け入れない。
 そんなある時、良秀は大殿から「地獄変」の屏風絵を描くよう命じられる。話を受け入れた良秀だが、「実際に見たものしか描けない」彼は、地獄絵図を描くために弟子を鎖で縛り上げ、梟につつかせるなど、狂人さながらの行動をとる。こうして絵は8割がた出来上がったが、どうしても仕上がらない。燃え上がる牛車の中で焼け死ぬ女房の姿を書き加えたいが、どうしても描けない。つまり、実際に車の中で女が焼け死ぬ光景を見たい、と大殿に訴える。話を聞いた大殿は、その申し出を異様な笑みを浮かべつつ受け入れる。
 当日、都から離れた荒れ屋敷に呼び出された良秀は、車に閉じ込められたわが娘の姿を見せつけられる。しかし彼は嘆くでも怒るでもなく、陶酔しつつ事の成り行きを見守る。やがて車に火がかけられ、縛り上げられた娘は身もだえしつつ、纏った豪華な衣装とともに焼け焦がれていく。その姿を父である良秀は、驚きや悲しみを超越した、厳かな表情で眺めていた。娘の火刑を命じた殿すら、その恐ろしさ、絵師良秀の執念に圧倒され、青ざめるばかりであった。やがて良秀は見事な地獄変の屏風を描き終える。日ごろ彼を悪く言う者たちも、絵のできばえには舌を巻くばかりだった。絵を献上した数日後、良秀は部屋で縊死する。


(大正8年5月、『中央公論』)
 宇治の大納言隆国(源隆国、かつて『今昔物語』の編集者とされたが、現在は否定説が有力)の求めに応じ、陶器造の翁が語った話、という設定。
 昔、奈良に蔵人得業恵印という、「途方もなく鼻の大きい」法師がいたという。人々は彼に「鼻蔵(はなくら)」という渾名をつけ、笑いものにしていました。それに業を煮やした恵印は、ある日猿沢の池のほとりに『三月三日この池より竜昇らんずるなり』という嘘の建札を立てます。日頃から何かにつけて自分の鼻を笑いものにしてきた人々を、今度は自分が騙してさんざん笑い返してやろう、という魂胆でした。

往生絵巻(大正10年4月、『国粋』)

藪の中(大正11年1月、『新潮』)
 はじめに4人の証言。木樵りと旅法師、放免、媼の話を総合すると、昨日若狭の国府の侍金沢武弘が妻の真砂(まさご)とともに、多襄丸という盗人に襲われ、夫が殺されたという。
 次に、多襄丸と真砂、死霊となった武弘の証言。多襄丸は自分が殺したと言い、妻も自分が殺したと言います。そして、死霊となった夫は自害したと言います。真相はタイトルと同じ「藪の中」です。
 黒澤明監督の『羅生門』は、芥川龍之介の「藪の中」「羅生門」を原作に、橋本忍と黒澤が脚色し映画化しています。近いうちに、ぜひ見ようと思います。

六の宮の姫君(大正11年8月、『表現』)

西加奈子『炎上する君』を読みました。

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今日、西加奈子の短編集『炎上する君』を読み終えました。
先日、NHKテレビ「SWITCHインタビュー達人達(たち)」で椎名林檎と作家・西加奈子の対談を見ました。初対面だったそうですが、以前からお互いがお互いのファンだったということで、かなり熱いトークになっていました。
西のことは全く知りませんでしたが、椎名の西への傾倒ぶりを見て、僕も何か読んでみたくなりました。番組の中で又吉直樹が西についてコメントしていたので、彼の『第2図書係補佐』(作品紹介を通して、自身を語るエッセイ集)で取り上げていないかチェックしてみました。すると、この短編集を取り上げていたので、即購入しました。で、この本を手にしてビックリ。彼が巻末の解説を書いているではありませんか。
なお、西は第152回直木三十五賞(平成26年下半期)を『サラバ!』で受賞しています。

【収録作品】
太陽の上
 中華料理屋「太陽」の2、3階はアパートになっており、「あなた」はその3階に住んでいます。そして、3年前から外に出るのをやめ、いわゆる「ひきこもり」状態にあります。
 なぜ、ひきこもりになってしまったのか? 語り手は「人生はこういった小さな選択の連続、無意識で行っているように見えることでも、大脳が一瞬にして判断を下しているのであり、その労力ははかりしれない。あなたは、それに疲れたのだ」と述べ、ひきこもりのきっかけを朝着て行く洋服の選択だったとしています。
 部屋は母の胎内で、「あなたは」は胎児(又吉直樹の解説より)。やがて、「あなた」に再び胎内を出て生まれ直すときがやってきます。

空を待つ
 拾った携帯電話に「あっちゃん」からメールが届きます。私は好奇心からそのメールに返信しますが、やがて「あっちゃん」とのメールのやり取りは私の心に大きな変化をもたらします。他者に対して心を閉ざしていた私は、他者とのつながりを求めるようになります。以下、私の心の変化が分かる部分を引用します。
 打ち合わせは、いつも新宿と決めている。人が多いから好きだ。すれ違う人すれ違う人の顔をじっと見続けて、思考に完全に蓋をしてしまう。そうなるとこっちのもので、ぶつかろうが、舌打ちをされようが、相手を木や石のように思えるようになる。
 私は今、完全にひとりで、ひとりぼっちで、世界を泳いでいる。そんな気になる。
 その思いは、部屋にいるときより、ずっと強く、深い(P36)

 編集者と別れて、新宿の街を歩いた。
 人がたくさんいたが、それは私を平穏にさせてくれなかった。いつものように、自分の感情に蓋をすることが、どうしても出来なかった。
 西の空が、息を呑むほど、綺麗だったのだ。
 青、薄い紫、すみれ色、そして、縁取りをするように引かれた橙色の線。
 私はしばらく、歩道橋の上から、西の空を見つめていた。
 深夜の徘徊では、昼間の打ち合わせでは、見つけられないものがある。私は、誰もいない自分の部屋を思って、少し泣いた。こんなところにはいられない、と思った。こんな、知らない人ばかりの、無関心な人たちばかりの場所にはいられない。感情に蓋をして、すれ違う人を木のように眺めて、ひとりぼっちで世界を泳いで。ひとりぼっちで。私は、ひとりでいたくなかった。(P45-46)
 「あっちゃん」とは誰だったのか? 「あっちゃん」は私だったのだと思います。

甘い果実
 作家志望の「私」は、現役の作家として活躍する山崎ナオコーラ(同名の作家が実在します)に対し、愛憎入り交じった感情を抱いています。
 「私」は、帰宅の電車に乗り込みながら自問します。
 ナオコーラは、今の私みたいに、こんな気持ちで、電車に乗ることはあっただろうか。
 自分が、誰からも必要とされてなくて、そればかりか邪魔かもしれなくて、未来が見えなくて、不安で、泣きそうな気持ちで、つり革を?拙んでいたことは、あるのだろうか。
 すると、ナオコーラが閉まりかけた扉の向こうに立って、「あります、よう。」と答えます。しかも、鉄道職員の緑色の制服を着て。
 現実と空想が錯綜する物語は、ラストのサイン会でも読者をアッと言わせます。映像にしたら、さらにおもしろいでしょう。

炎上する君
 浜中と「私」は高校時代からの親友で、ともに独身。二人ともまあまあの大学を卒業し、それぞれ証券会社と銀行に勤務しています。浜中は32歳になった今でも、高校時代と変わらない真ん中分けのお下げ髪をしており、「私」も同様にびっしりと切りそろえたおかっぱ頭です。そんな二人の話題はいつも「足が炎上している男」の話になります。
 やがて、二人は「足が炎上している男」に出会い、二人の足も炎上し始めます。そして、二人ともそれまで嫌っていた「女性的な行為」をするようになります。二人とも「足が炎上している男」に恋してしまったのです。
 「足が炎上している男」は何のメタファーか? なんて考えるべきじゃない。ただ、ウィットに富んだ文章を味わえばいい、と思います。ところで、「私」の髪型といい、二人で結成したバンド名「大東亜戦争」といい、椎名林檎へのオマージュなのでしょうか?

トロフィーワイフ
 「トロフィーワイフ」って何? それは78歳になるひさ江の人生そのものを表す言葉です。その答えはひさ江と24歳の孫・枝里子との会話の中にちりばめられていきます。この作品はそのまま短編映画にすると素敵だと思います。

私のお尻
 私は「お尻」専門のパーツモデル。私は器量が良くなかったが、パーツモデルをすることで、自分に自信を持つことが出来るようになった。しかし、私は「私のお尻が、私という実体を超えて、皆に愛されていることに、嫉妬のような愛憎のような、奇妙な感情」を覚えはじめます。
 そんな時、男がやって来て、私に話しかけます。「あなたご自身の中で、少し、遠くに置いておきたいもの、はないですか。」
 フジテレビ「世にも奇妙な物語」的な作品です。

舟の街
 ある日、あなたは徹底的に参ってしまいます。3年間付き合った彼があなたを捨て、「ふわふわとした栗色の巻髪、背が小さくて唇がぷっくら、大きな目が潤んでいておっぱいの大きい」あなたの親友のもとに去ってしまったからです。
 あなたは思い立って、舟の街に向かいます。ここからは「私のお尻」と同様、「世にも奇妙な物語」の世界です。 

ある風船の落下
 「風船病」は、溜め込んだストレスがガスとなり、体を膨張させる奇病。TERM1は体が膨らむ状態。TERM2は体が浮遊しているが、2センチほどの高さを保っている状態。TERM3は2センチの浮遊をやめ、宙に浮き出す状態。TERM4はSHOOT、空の彼方に消えてしまう。
 私の体が浮き始めたのは、4月の半ば。この作品も「世にも奇妙な物語」的な展開が待っています。


最後に、又吉直樹「解説」の結びの文章を引用しておきます。
 僕らが住む世界は非常に面倒だ。どのような楽しい物語を読んでいても、その裏にあるきな臭い現実は容易に想像できてしまう。しかし、この物語達は現実から逃れず、真っ向から対峙し生きることを肯定してくれる人間賛歌だ。
 現実も常識も審美眼も脳髄も肉体も明日の予定も全て棄てて、この物語達に感情だけで寄り添ってみようと思った。無遠慮な笑い、深い哀愁に支配され、物語の美しい帰結に涙し、温かい気持ちに溺れる自分を束の間許そうと思った。そのように思える本と出会えたのは本当に幸運だ。この本は、僕の苦悩を燃やしてくれた。
 『炎上する君』以降に発表された西作品も全てそうだ。必ず生きることを肯定してくれた。『白いしるし』も『円卓』も『漁港の肉子ちゃん』も『地下の鳩』も『ふくわらい』もそうだ。恐らく次も、次も、次も、ずっとそうだ。
 絶望するな。僕達には西加奈子がいる。

山崎ナオコーラ『人のセックスを笑うな』を読みました。

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昨夜、山崎ナオコーラの『人のセックスを笑うな』を読みました。
先日、西加奈子の短編小説「甘い果実」(『炎上する君』収録)を読みましたが、その登場人物に〈山崎ナオコーラ〉という作家がいました。又吉直樹による巻末解説に「現実に存在する作家山崎ナオコーラさんと全く同じ名前を持つ、作家が登場するユニークで斬新な小説」とあったので、実在する山崎ナオコーラの作品を読んでみようと思いました。

以下、ブックカバー裏表紙の解説です。
 19歳のオレと39歳のユリ。恋とも愛ともつかぬいとしさが、オレを駆り立てた……美術専門学校の講師・ユリと過ごした日々を、みずみずしく描く、せつなさ100%の恋愛小説。「思わず嫉妬したくなる程の才能」など、選考委員に絶賛された第41回文藝賞受賞作/芥川賞候補作。

◆作品のタイトルと著者名にはインパクトがあるのに、物語の設定や登場人物には新しさや深さを感じることができませんでした。読者の対象は中学生か高校生なのでしょう。文藝賞の選考委員が「思わず嫉妬したくなる程の才能」と評したそうですが、言い過ぎです。
◆大学1年の時、僕は体育の授業でたまプラーザに通いましたが、その駅名が出てきたのは懐かしかった。
◆山崎ナオコーラは僕と出身大学が同じだったので、ちょっとしたシンパシーから文庫本を3冊買ってしまいました。近いうちに、エッセイ集『指先からソーダ』と短編集『男と点と線』を読む予定です。

最果タヒ『グッドモーニング』を読みました。

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昨夜、最果タヒの第一詩集『グッドモーニング』(07)を読みました。
彼女の詩を読んだのは初めてだったし、そのスタイルにも慣れていなかったので、「うーん?」という感じです。理解するにはまだまだ時間がかかりそうです。

◆収録作品
  yoake mae 1
    0/夏のくだもの/足の裏/会話切断ノート
  yoake mae 2
    故郷にて死にかける女子/苦行/友達/術語/空走距離
  yoake mae 3
    小牛と朝を/見エないという事/死ぬ間際にいう言葉がそれであればいいのに。/
    非妊/尋常
  yoake mae 4
    暴走車を追いすぎて、/博愛主義者/死なない
  yoake mae 5
    最弱
  good morning
    再会しましょう/きみを呪う/世界

以下、比較的読みやすそうな2編を引用します。
  0  


  支配されていたものに戻ってきて
  いまこれを
  かき始めている
  視界と
  言葉をひきはがして

  裸でいました
  ひきずりながら、赤い土がひろがる砂漠にいました
  遠くで重いいきものの、足音が聞こえ、
  いつもなにかがつぶれる音が次いで聞こえていました

  わたしの口元には食べた
  いきものが三匹、復活をして、
  それがこれからのわたしを操作する
  指の隙間から海があふれ出て、
  それからすべてが溺れるだろう
  わたしの裸で、そこを泳ぐ

  言葉にすることが
  すべてを
  台無しにし
  わたしが
  ここからでていくことを不可能にする

  海は鏡だ
  その日、わたしはわたしの、溺れている体を見る
  わたしの指の隙間
  海があふれ出て、
  わたしはそこに吸い込まれながら、
  やっと
  言う
  これはなんだ

  支配されていたものに戻ってきて
  いまこれを
  かき始めている
  わたしの知っている言葉に
  あの場所を
  とらえることはできない
  気づかれないようにしている
  体が
  わたしになにかを
  見せることを拒否しているが
  わたしをまだ
  殺させはしない



  きみを呪う


  はねる泥
  それを
  のみこむ子供
  ゆるやかな坂道
  ねむそうな目
  蹴り上げて
  それから逃げた午後
  大人の背中でした、あんなことをしたあの人
  赤い斑点のあるスカーフを巻いて
  ひとりぼっちでした

  子供はわたしたちを中心にして放射線状に倒れた
  太陽はぐるぐるとまだ空をまわっていて
  わたしたちの影がぐるぐると駆け巡った
  子供たちは目をまわして
  それからおさまってもおきようとしなかった
  まわる太陽をじっと
  見つめていた

  赤い絵の具をおとしたところから
  ちいさな花が咲き始めて、
  それがみずたまりを埋め尽くしてしまう
  どこを走ってもくつのうらは濡れず
  ねむりたければすぐ
  倒れればよくなった
  光がときどき顔にさして
  それが
  わたしの顔をあいまいにした

  うみがやってくるまではよかった
  あなたが
  そうしてうみをつれてきて
  ここを沈めようとしている間
  わたしたちは
  たおれた子供たちをまたぎながら
  買い物に出かけていた
  子供たちは空を見ていた
  わたしたちはパンを買った

  風はざざんとふいて
  子供たちの少し上をとおりすぎるだろう
  わたしたちは背中でそれを受け止めて
  また編み物を続けるだろう
  毛糸はずっとたどれば山の奥の
  わきみずにつながっていた
  そばには赤色ときみどりのきのこがあって
  それを恐れて食べることを
  悪態だと教えられていた
  こわくはない
  きみが死ねばまたわたしがきみを産む
  時計がはりついてのみこまれた大きな木の下で
  すずしいなか
  わたしの名前をよんでいた子供が眠りに落ちた

  海がきたら沈む
  それが
  わかっていてきみはそこにいる?
  きみはなにもしらずに
  くだものを持ってくる
  家畜を持ってくる
  水を持ってくる
  玩具を持ってくる
  それでわたしたちの子供は起き上がって
  そちらにいくだろう喜ぶだろうわたしの目をきみは見ることなく喜ぶ目を見るだろう

  なあ
  きみ
  ゆっくりと津波がきて
  沈んでしまったら
  あの
  赤い花はてんてんのまま
  浮かび上がって地面からひきはがされる
  そうして
  わたしはそいつが枯れるのを
  こんな山奥で見ていなければならないのか



最果タヒ(さいはて たひ)
 日本の詩人、小説家。女性。1986年兵庫県神戸市生まれ。
 2005年、『現代詩手帖』2月号の新人作品欄に初投稿、入選した。その後も投稿を続け、2006年に優秀な投稿者に贈られる第44回現代詩手帖賞を受賞。2008年、京都大学在学中に『グッドモーニング』により当時女性では最年少の21歳で第13回中原中也賞を受賞した。
 2009年4月に初の短編小説「スパークした」を『群像』に発表。「スパークした」は2009年の『年刊日本SF傑作選』に収録される。2009年9月から『別冊少年マガジン』で連載詩「空が分裂する」を開始する。毎回漫画家やイラストレーターが詩にイラストを描いている。2011年2月から『現代詩手帖』で連載詩「夜ちゃんと空くんの星をたべる会」を開始する。2011年5月に初の中編小説「宇宙以前」を『NOVA 書き下ろし日本SFコレクション』4巻に発表。また、連載詩「空が分裂する」が『別冊少年マガジン』2011年6月号で最終回を迎える。2012年2月号から別冊少年マガジンで連載小説「魔法少女WEB」を開始。挿絵は紗和。
 森山森子という名義でブログでも活動。ブログ自体の名義も森山森子である。(Wikipediaより)

西加奈子『きいろいゾウ』を読みました。

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今日、西加奈子の『きいろいゾウ』を読み終えました。
ストーリーは、以下の通りです。
 夫の名は武辜歩(むこあゆむ)、妻の名は妻利愛子(つまりあいこ)。お互いを「ムコさん」「ツマ」と呼び合う都会の若夫婦が、田舎にやってきたところから物語は始まる。背中に大きな鳥のタトゥーがある売れない小説家のムコは、周囲の生き物(犬、蜘蛛、鳥、花、木など)の声が聞こえてしまう過剰なエネルギーに溢れた明るいツマをやさしく見守っていた。
 夏から始まった二人の話は、ゆっくりと進んでいくが、ある冬の日、ムコはツマを残して東京へと向かう。それは、背中の大きな鳥に纏わるある出来事に導かれてのものだった――。(ブックカバー裏表紙より)

【感想】
◆各章(全6章)の冒頭に〈きいろいゾウ〉と〈おんなのこ〉の童話。全30節のうち、1-18節は「ツマ」の語り+「ムコ」の日記、19節は「ツマ」の語り+「ムコ」の手紙、20-29節は「ツマ」の語り+「ムコ」の語り、30節は「ツマ」の語り+「ムコ」の日記、という構成になっています。「ツマ」の語りを「ムコ」の話が補完しているので、読み手は先へ先へと読み進んでしまう、そんな巧みな構成になっています。
◆「ムコ」の背中にはたくさんの色―黄色、緑、オレンジ、桃色、赤、朱―を使った刺青(いれずみ)があります。小説家の「ムコ」がなぜ刺青を? と興味をそそられますが、やがてその原因がこの物語を終結へと導いていきます。

最果タヒ『死んでしまう系のぼくらに』を読みました。

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今日、最果タヒの第三歌集『死んでしまう系のぼくらに』(14)を読みました。
第一歌集『グッドモーニング』(07)に比べれば読みやすかったという印象ですが、詩という表現方法に慣れていないせいなのか、それともこの詩人に慣れていないせいなのか、詩人の意図を汲みとれたかというと疑問です。でも、「あとがき」を読んで、「まっ、いいか。」って感じになりました。「バナンボ!」
 言葉は、たいてい、情報を伝える為だけの道具に使われがちで、意味のない言葉の並び、もやもやしたものをもやもやしたまま、伝える言葉の並びに対して、人はとっつきにくさを覚えてしまう。情報としての言葉に慣れてしまえばしまうほど。けれど、たとえば赤い色に触発されて抽象的な絵を描く人がいるように、本当は、「りりらん」とかそんな無意味な言葉に触発されて、ふしぎな文章を書く人がいたっていい。言葉だって、絵の具と変わらない。ただの語感。ただの色彩。リンゴや信号の色を伝える為だけに赤色があるわけではないように、言葉も、情報を伝える為だけに存在するわけじゃない。(「あとがき」より抜粋)

◆収録作品
望遠鏡の詩/夢やうつつ/きみはかわいい/図書館の詩/ライブハウスの詩/ぼくの装置/絆未満の関係性について/まくらの詩/線香の詩/恋文/緑/文庫の詩/マッチの詩/きえて/夜、山茶花梅雨/冷たい牛乳の詩/ブラジャーの詩/2013年生まれ/死者と死者/渋谷/きみへ/ヘッドフォンの詩/電球の詩/香水の詩/LOVE and PEACE/骨の窪地/瞳の穴/花束の詩/マスクの詩/さよなら、若い人。/わたしのこと/時間旅行/スピーカーの詩/線路の詩/教室/孤独ドクドク/70億の心臓/凡庸の恋人/未完小説の詩/レコードの詩/大丈夫、好き。/冬の長い線/お絵かき/カセットテープの詩


以下、気になった詩をいくつか引用します。
  死者は星になる。
  だから、きみが死んだ時ほど、夜空は美しいのだろうし、
  ぼくは、それを少しだけ、期待している。
  きみが好きです。
  死ぬこともあるのだという、その事実がとても好きです。
  いつかただの白い骨に。
  いつかただの白い灰に。白い星に。
  ぼくのことをどうか、恨んでください。

  望遠鏡の詩  


     きみはかわいい


  みんな知らないと思うけれど、なんかある程度高いビルには、屋上に常時つい
  ている赤いランプがあるのね。それは、すべてのひとが残業を終えた時間にな
  っても灯り続けていて、たくさんのビルがどこまでも立ち並ぶ東京でだけは、
  すごい深い時間、赤い光ばかりがぽつぽつと広がる地平線が見られるの。

  東京ではお元気にされていますか。しんだり、くるしんだりするひとは、きみ
  の家の外ではたくさんおきるだろうけれど、きみだけにはそれが起きなければ
  いいと思っています。ゆめとか希望とかそういう、きみが子供の頃テレビから
  もらった概念は、まだだいじにしまっていますか。それよりもっと大事なもの
  があったはずなのにと、貧乏な部屋の中で古いこわれかけのこたつにもぐって、
  雪のニュースを見ながら考えてはいませんか。
  きみが無駄なことをしていること。
  きみがきっと希望を見失うこと。
  そんなことはわかりきっていて、きみは愛を手に入れる為に、故郷に帰るかも
  しれないし、それを、だれも待ち望んですらいないかもしれない。朝日があがっ
  てくることだけが、ある日きみにとって唯一の希望になるかもしれず、死に
  たいと思うのも、当たり前なのかもしれませんね。
  当たり前なのかもしれません。
  しにたくなること、夢を失うこと、希望を失うこと、みんな死ねっておもうこ
  と、好きな子がこっちを向いてくれないことが、彼女の不誠実さゆえだとしか
  思えないこと。当たり前なのかもしれない。
  きみはそれでもかわいい。にんげん。生きていて、テレビの影響だったとして
  も、夢を見つけたり、失ったりしていて。
  きみはそれでもかわいい。
  とうきょうのまちでは赤色がつらなるだけの夜景が見られるそうです。まだ見
  ていないなら夜更かしをして、オフィスの多い港区とかに行ってみてください。
  赤い夜景、それは故郷では見られないもの。それを目に焼き付けること、それ
  が、きみがもしかしたら東京に、引っ越してきた理由なのかもしれない。


     ぼくの装置


  ぼくのことをきらいなひとがたくさんいるきがするし、
  実はそんな人すらいないようなきもする、今日も、撃ち
  殺されなかったと泣きながら眠る夜はただ一人で、夜の
  重さに苦しみながらシーツに溶けられないことをうらみ、
  朝に叩き起こされる。
  あいされたい
  それはべつに深刻ではなく。ころされたい、でもいい。
  ぼくの、結婚式への憧れは葬式の憧れ。だれでもいいか
  らぼくを深く憎み深く愛し、それでいてその感情に焼け
  死んでぼくには無干渉でいてくれたら。
  ひとはぼくのことを認識させる為の装置。それだけだね。
  細い首に糸をかけて、だれでもひけるように路上に垂れ
  ても、あるひとは赤い糸だという、そしてひろいあげ、
  この先に、わたしを愛してくれる人がいるはずだと、嬉々
  として走ってくるのだ。
  しにたい。
  そいつがドアをノックするまでに。
  せめて他殺で。惨殺で。


  わたしの頬は月に寄り添い、彼は静かに溶けていく
  頬につたうその水はいつか海のような夢になり
  わたしを浮かべ沖へと流す
  過去や明日が全て、同じ時間かのように横たわる時
  わたしはすべてを忘れ、すべてを知って、眠るの
  寝顔が可愛いのは少し死んでいるからよ、
  そうだれかが隣で囁いている

  まくらの詩


  私達のこのセンチメンタルな痛みが、疼きが、
  どうかただの性欲だなんて呼ばれませんように。
  昔、本で読んだ憂鬱という文字で、かたどられますように。
  夜のように私達の心は暗く深く、才能豊かであるように。
  くずのようだと友を見ています。
  軽蔑こそが、私達の栄養。

  文庫の詩


  不幸であれば許される気がした
  愚かなのは自分だということを忘れて、他者をにくむこと
  ぼくのマッチ 線香に火をつけるため
  きみが死んだときいたから きみに恋をしたんです
  愛する人を失うショックで
  いい絵を描きたい、詩を書きたい

  マッチの詩


  ぼくに生きてほしいと思ってくれるひとが
  いなくなった夜に 台所で
  冷蔵庫を開けて 牛乳をありったけ飲んだ
  ぼくに生きてほしいと思ってくれるひとがいない世界で
  今も母親の牛が 子どもにお乳を飲ませている
  みんなを愛する博愛なんて信じないけれど
  だれかがだれかに贈った愛を おろかに信じてしまうのは
  ぼくにも母がいたからだろうか

  冷たい牛乳の詩


  音楽がなくても生きていける
  恋をしなくても友達がいなくても
  夢がなくても才能がなくても生きていける
  獣みたいに餌を食べて体育をして生きていける
  私の名前 それをノートに書いて くりかえし自分で読んで
  読んで 読んで はい、と答えて 私

  ヘッドフォンの詩


  女の子の気持ちを代弁する音楽だなんて全部、死んでほしい。
  いろとりどりの花が、腐って香水になっていく。
  私たちが支配したいのは他人の興奮だなんて、
  どうしてみんな知っているの。
  豊かな化粧品・洋服。私たちは誰にもばれないよう、
  獣に戻りたかった。
  うすぎたない匂い。火事にとびこんだらすぐに、
  裸にならなきゃいけない。そう習った夜。
  死ぬな、生きろ、都合のいい愛という言葉を使い果たせ。

  香水の詩


  私は美しいことを言えない
  美しい顔を持たない
  美しい服は似合わず
  あなたに美しい感情を抱かない
  ただ、あなたが二十年ほど前どこかの病院で生まれたこと
  家族や友人に愛されてきたこと
  それを推し量ることが出来る
  私の人らしさはそこにしかないのです

  花束の詩


  しにたいような消えたいような
  水族館に行きたいだけのような心地で、
  街をあるく時間。クリスマス、イルミネーション。
  わたしに関係ない世界ほど、きらびやかで明るい時代。
  いるはずなのに、いない気がする。
  歩いているのに、いない気がする。
  しにたいような消えたいような、
  水族館に行きたいだけのような、チューインガム
  みたいな切なさのために、わたし、死ぬ必要なんてないよ。
  口を隠して、鼻を隠して、
  世界からわたしを見えなくすればいいだけの、
  簡単な自殺をしよう。

  マスクの詩


     わたしのこと


  なにが恋なのかなんて誰もわかってないのに、また誰かが誰かに説教
  している。異常だねって、雨の中できみが笑って、羨ましい気がした
  とき私はそれになにも名前をつけたくなかった。大切。ってなに。き
  みに暴力を振るわないこと、きみを傷つけるウイルスや雨を憎むこと、
  きみにラッキーがくるよう祈ること。私が死んでもきみが不幸になん
  てならないよう、ずっと遠くに旅に出ること。

  しあわせそうな犬と、しあわせそうでない犬なんていうのはいるけれ
  ど、私達もきっと他人から見るとそうなんだろうね。北極星が見える
  のは、いつの季節もかわらない空だって、誰かが言っている。なにが
  おきようがどうせ冬はくるから、空洞になったような気分になるねっ
  て、季節の変わり目にきみは絶対、いちどは言う。
  だれもきみのことが好きだよ。
  だれかが死んでもだれかが最低でも、他のだれかがきみを愛してくれ
  るよ。その確信が私をどんどん不幸にする。ウイルスだけ気にして生
  きてほしい。きみを幸福にするのはけっきょく、私ではなくて幸運と
  健康だ。愛なんてない。力なんてない。きみはかわいいよ。最高だ。
  私がもっと、ばけものみたいにきみを愛せていたら、かわいい、大好
  き、愛している、だけの生物になれていたら、きみに、不幸になろう
  って言ってもらえる夢なんて、きっと見ない。
 

     時間旅行


  きみをしあわせにする人が、世界にいる。そのことをぼくは知っています。
  言い出せない悪いこと、見つからない小銭、ぼくたちがやり残した、たく
  さんのいびつな過去が、しわ寄せをして、未来の模型を作っていく。
  なにもせず死んでいくきみが好きだ。つなひき、なわとび、考えることを
  やめて、宇宙の写真ばかり集める。きみに、名前なんてきっといらない。
  いつかきみに価値が出ること、
  いつかきみを愛する人があらわれること。
  きみは犬みたいに信じて待つけれど
  こない 未来に、約束されたさみしさが美しさというものです。

  幸福やほほえみはいつだって地続きだ。
  劣情や焦りに、逆転などありえない。
  ぼくはきみになれないし、きみは永遠にぼくにならない。
  美しい世界だ。
  きみに愛を約束などしない。
  きみを愛する人はどこにもいない、そんな予感が透明な色を空に塗って、
  きみは今日もぼくのすばらしい友達。
  恋に、最後の希望をかけるような、くだらない少女にならないで。


  死ぬことで証明できる愛なんて、一瞬です。
  きみは泣いて、葬列した翌日、別の人と恋をする。
  石鹸 泡 飛べるぐらいならという、ぼくの衝動。
  生きていて、と願われることがどれほど幸福だったか、
  知らなかった。
  母さん、遠くで、小田急線が
  ぼくではない誰かをあなたの町へ運びます。
  ぼくもあなたも、今日も、孤独です。

  線路の詩


     教室


  私の価値がきみの欲望でさだめられるぐらいなら、私は価値などい
  らないし、愛や希望という言葉の保護もいらない。死んだ魚が、ラ
  ブレターで作られた、服を着ている教室。みんな、という言葉に、
  まぜてもらえなきゃ死ぬんだって。怖いね。
  さみしさが、私を、きみに売ろうとする。
  愛してほしいというのは暴力だ、だから抱きしめたいと言ってみる。
  欲情でかたったほうがむしろ、信じられるって、言っていたのはど
  の子だっけ。だれも好きにならないで、そのまま結婚して子どもを
  産んで、死ぬ人生は、おだやかで幸福感に満ちていた。

  きみ以上にきみを愛する人がいるなら、きみが生きる意味なんてな
  くなってしまうような、そんな肌をまとって、きみは生きている。
  好きだよ。心臓を差し出す覚悟で、伝えたかった。今日もクラスメ
  イトが、死ねば話題になれるだろうと機会を狙っている。
  好きなひとに好きと言えたら、あとは死んでもいいような、
  暴力的な感情 夜、さみしいから、きっと、死んでもさみしい、
  だれかに愛され、そのひとを置きざりにして、
  死んでみたい 夜、昼、朝、


     孤独ドクドク


  「きみのいっていることがなにひとつわからない」と言われることに、
  さみしさは感じても恥ずかしさを感じる必要はなくて、あおい星がぜ
  んぶ、わたしのことを毎日、理解してくれない。食べたいもの、見た
  いもの、すべて裏切られて浮かぶ、白い雲のことを思う。愛されたい
  と叫ぶことで無意味になるたくさんの本当の欲求、お金が欲しい、認
  められたい、あたたかいおふとんのなかで飽きるまで眠りたい。

  教えてくれなくていい、恋の素晴らしさについて、花の美しさについ
  て。歌ってくれなくていい、きみがたとえ天才であろうとも。わたし
  の名前、それだけをすべてのひとが、知っていてくれるなら。じゅう
  ぶんだったの、それだけがないから、いつも誰かが殴り合っているの
  を見て泣くしかないの。

  人殺しがあった、殴り合い、盗み、窃盗があった。許されないことだ
  とわたしは怒り狂って泣いて、正義をふりかざしてストレスを発散。
  ほんとうはそんなことしたいわけじゃない。だれが殺されようが、ど
  うだってよかった。関係がなかった。正しいことを言えば、だれか、
  わたしをおもいだして、手を差し出し拍手をして、ここから連れ出し
  てくれる予感がしていた。正しさの話をしよう。ここで、なのも得ら
  れなかった欲求にとりつかれたぼくらは。死ぬまで。


     70億の心臓


  恋人が死んでしまったことに泣いている朝日の下
  わたしたちの心臓が70億個、地面にとても近い高さでさまよっている、あした
  から、なにをたべてなにを歌って、もしくはなにも歌わないで、生きていけば
  いいのか、わからないと泣いている、明るい星がほんとうは、昼間も頭上に
  でているのだということ、義務教育をおえたひとはみんな、知っているのに、
  みんな忘れちゃった。
            泣いているのはそのせい。

  心の底から好きと言いたい、もう一度、誰かに言いたい、言いたい相手が死ん
  でしまって、わたしの言葉はちゅうぶらりん、死んでしまったひと以外をみつ
  けて、言えた告白を、だれか愛だとみとめてくれるのかしら。わたしは、あの
  ひとがすきで、あのひとはしんで、あのひとはとっくにしんで、でもしななか
  ったらしぬまであのひとをすきで、でもしんでしまったからあなたをすきにな
  りましたと、言って、しんじてくれるかしら。細い糸があるし、わたしは自殺
  なんて、しちゃだめだよ、と思うし、それはわたしのため。わたしのひとつの
  言葉のため。
  パンを食べ、水を飲み、やさいをとらなくちゃと外に出て買物に行く、とおり
  すがりに見た海の表面にただよう白い光の、生き物みたいな脈、わたしは手の
  ひらに書いたあなたの名前を、海水に溶かしに、空腹のままでかけていく。


     凡庸の恋人


  凡庸さは死にあたいするね、ほそい白いくびの、まわりにある青いマ
  フラーが、ある日空につりあげられてしまうかもね。わたしたちの持
  つたくさんの音楽が、すべて才能によってつくられたものであること
  を、奥歯でかみしめて、凡庸を殺そう、といっているプレイリストを
  眺めて笑う。
  ほどよい生活。すばらしい音楽やマンガやことばたちに、かこまれて
  わたしは、愛やゆめなどといわなくても、微笑みを忘れずにいられる。
  わたしが愛すること、それは凡庸が殺されてきたその城のなか。血が
  しみこんだ真っ赤なじゅうたん。凡庸たちが死んでいった、その場所。
  ダンスを、おしえて。わたしには才能がないけれど、手を取って、そ
  してそこでうつくしく、踊るためのこつをおしえて。あなたに、教え
  てもらいたかった。
  死んだほうがいいときみは、自らを否定して、かわいいことを書いた
  日記を消したり、おいしくつくれるホットケーキをもう最後だと言っ
  て焼いている。凡庸は死ね。
               きみは凡庸。
               好き。

  たいせつな夢を見た。星がおちてきて、村を焼いている。そのすがた
  は都会から見ると美しくてたくさんのひとが、絵にかいたらしい。そ
  れはすばらしい作品だったらしい。きみはおびえた。光の落下に。わ
  たしは撫でた。きみの頬を。きみは凡庸。凡庸は死ね。とても大切な
  ゆめを、きみだけに話すよ。明日、遠い町にひっこしをしよう。


  きみが信じていた本を、書いた人が自殺していなかったこと。
  それが夜の星みたいに、きみの瞳を照らす。
  死にたいとか、消えたいとか、
  いうなら生まれなければよかったのに。
  きみはもう失敗したんだよ。忘れたふりをして、
  憂鬱をうたいたがっているだけ。

  未完小説の詩


     大丈夫、好き。


  戦争の映画を見ていたひとが泣きながらかえってきて、私はおいしい
  パンをやいて、食べさしたりしながら、今日のことを話していたら、
  昔のことがずっと話にでてきて、まるできみがここにいないみたい
  だったよ。
  私たちが今度ひとをころしに、外にでたとき、たくさんの沈丁花がさ
  いて、月のふりをしている。それでも、走って風になって、ひとを否
  定してしまえる、そんな私たちが鋭くて好きだよ。だれも正義だなん
  ていってくれないし、だれも愛してくれないけれど、私はきみが好き
  で、きみは私が好き。愛のことを語らないで。愛にあこがれないで。
  きみはその概念でいつかころされてしまうからね。不要な愛をあたえ
  られて、不要な嫌悪をあたえられて、求めてもいない感情ばかりにう
  もれて、本当にほしいひとから、まるい声はきけないんだってことを
  思い知るんだ、
  だから。愛にあこがれないで。しらないで。きみはおとなしく、無垢
  な目で、たくさんころして、

  大丈夫、好き。


     お絵かき


  いろんな人が消えて、ふっと私のほうを見るとき、あなたはもうだれ
  もいないつもりでいるような、目をしている。そのころ背景では鐘が
  鳴っていて、たぶんだれかとだれかが結婚している。空間として私と
  あなただけが、だれともかかわりのない場所にいて、他の場所はすべ
  て幸福だった。

  愛情といえばなにもかもが許されるのは、愛情がうつくしいという前
  提があるから。絵の具をふんだんに使って、てんてんで光を表現した
  その表面と、ゆらゆらと不規則に、動くその愛の定義はただの虫みた
  いだったけれど、ふみつぶされることはない。殺虫剤で死ぬのに。

  100年たてば、どうせみんなだれも愛さなくなる。友達がみんなしん
  でしまう。自分を知っている人が消えてしまう。それにもっと早く気
  づいておけば、よかったのにって君は思うだろう。人類なんてさっさ
  とやめて、絵画にでもなっておけばよかった。でも私は君が絵なら、
  冬の寒い日に薪代わりに燃やしていたと思うよ。


  美しい人がいると、ぼくが汚く見えるから、
  きみにも汚れてほしいと思う感情が、恋だとききました
  人が死んだニュース 飛んでいく蚊
  愛について語る人間は、
  なにか言い訳がしたくて仕方がないだけ。
  死ねっていう声を、録音させてください

  カセットテープの詩

中村文則『何もかも憂鬱な夜に』を読みました。

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今日、中村文則の『何もかも憂鬱な夜に』(08)を読み終えました。
彼の作品を読むのは初めてでしたが、彼の作品をもっと読もうと思いました。
ストーリー等は以下の通りです。
 施設で育った刑務官の「僕」は、夫婦を刺殺した二十歳の未決囚・山井を担当している。一週間後に迫る控訴期限が切れれば死刑が確定するが、山井はまだ語らない何かを隠している――。どこか自分と似た山井と接する中で、「僕」が抱える、自殺した友人の記憶、大切な恩師とのやりとり、自分の中の混沌が描き出される。芥川賞作家が重大犯罪と死刑制度、生と死、そして希望と真摯に向き合った長編小説。(ブックカバー裏表紙より)

◆もうすぐ30になる刑務官の「僕」は、彼が育った養護施設の施設長や高校時代の友人達、拘置所の主任、拘置所の収容者達と交流する中で、人間として、刑務官として成長していきます。現在と過去が行きつ戻りつしながらストーリーが展開します。主任が死刑制度について語る場面や自殺した友人・真下のノート、拘置所の収容者・佐久間の告白、殺人犯・山井の手紙など、とても読み応えがあります。

◆以下、気になった文章をいくつか引用します。
◇拘置所の主任の言葉から(P57-58)
「世間が騒げば死刑、騒がなければ死刑じゃない、というか……。何であれが死刑じゃないのに、こいつが死刑なんだ、という事件が色々あっただろ? 遺族感情は、大事にしなきゃ駄目だ。それは当然だ。だけど、遺族感情を考えてそいつに厳しい判決を出すようになると、結果的に、殺しても遺族がいない、たった一人で生きてきた人間を殺した時と、量刑が変わってくる……。それは、やっぱりおかしいだろ? 一人で生きてきた人間は、浮かばれないってことになる。同じ命なのに。俺が言いたいのは、死刑を、死刑を、もっと確かなものにして欲しいということだよ。マスコミや世間が騒ぐか騒がないかで、影響されるようじゃたまらない。……年齢だってそうだ。被害者からすれば、それが十七歳だろうが十八歳だろうが、関係ない。なのに、十八歳を一日でも過ぎれば死刑で、一日でも達してなければ死刑にできない。大体、十八歳ってなんだ」
◇友人・真下のノートから(P110-111)
 ……、僕はつらくなる。眠れない夜。どうしようもなくなる夜。自殺は、早朝に多いそうだ。それは理解できるような気がする。その夜をやり過ごしたら、また続いていけるのだろうか。
 眠れなくて、つらい夜。そういう人たちが集まり、焚き火を囲み、同じ場所にいればいい。深夜から早朝にかけて、社会が眠っている中で、焚き火の明かりの元に、無数の影が集まればいい。そうやって、時間をやり過ごす。話したい人は話し、聞きたい人は聞き、話したくも聞きたくもない人は、黙ってそこにいればいい。焚き火は、いつまでも燃えるだろう。なにもかも、憂鬱な夜でも。
◇拘置所の収容者・佐久間の言葉から(P137-138)
「気がついたんですよ。四十の時、大きな病気をして、助かった時。……もう人生は、半分もないだろうと。自分の身体も衰えてくる。身体の衰えを考慮すれば、もう半分もないかもしれない……。元を取らなければ。虐げられてるばかりでなく、この世界に生まれてきたのなら、元を取らなければ」
◇「あの人」(養護施設の施設長)の言葉(P158)
「自分の好みや狭い了見で、作品を簡単に判断するな」「自分の判断で物語をくくるのではなく、自分の了見を、物語を使って広げる努力をした方がいい。そうでないと、お前の枠が広がらない」

◆恵子の次の言葉にホッとします。
「あなたは……あの人になりたかったんだよ」(P164)
「あなたのそういうめちゃくちゃなところは、施設長に似てるよ」(P182)
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