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中村文則『掏摸』を読みました。

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今日、中村文則の『掏摸(スリ)』(09)を読み終えました。
ストーリー等は、以下の通りです。
 東京を仕事場にする天才スリ師。ある日、彼は「最悪」の男と再会する。男の名は木崎――かつて仕事をともにした闇社会に生きる男。木崎は彼に、こう囁いた。
 「これから三つの仕事をこなせ。失敗すれば、お前を殺す。逃げれば、あの女と子供を殺す」
 運命とはなにか、他人の人生を支配するとはどういうことなのか。そして、社会から外れた人々の切なる祈りとは…。大江健三郎賞を受賞し、各国で翻訳されたベストセラーが文庫化!(ブックカバー裏表紙より)

◆冒頭のスリの場面をはじめ、謎の男・木崎の指示で行う強盗やスリの場面など、緊迫感に溢れています。文庫本で170ページ程度なので、一気に読んでしまいました。

◆以下、巻末の著者による「文庫解説にかえて――『掏摸』について」の一部を引用します。
 最後、あの絶望的な状況で主人公の投げたコインは、主人公を救えるのか。それは読者の判断に任せていたのだけど、その後『王国』というこの『掏摸』の兄妹編を書いたことで、そのことを結果的に書いてしまったことになるのかもしれない。彼の望んだ「誤差」、辛辣な運命からの「逸脱」によって、『王国』における木崎の計画の構図が変化していく。詳しくは『王国』の文庫版のあとがきで書こうと思っているのだけど、この二篇には、実はそういう関わりもある。
 しかしながら、兄妹編だからといって『王国』を読まなければならないというわけでは当然なく、『掏摸』は『掏摸』として、物語としては完全に完結している。
 『王国』を読まなければならないというわけでは当然なく、なんて言われてもね。近いうちに必ず読むと思います。

中村文則『銃』を読みました。

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今日、中村文則の『銃』(02)を読み終えました。
この本には、長編小説「銃」と短編小説「火」が収録されています。ストーリー等は以下の通りです。
 雨が降りしきる河原で大学生の西川が出会った動かなくなっていた男、その傍らに落ちていた黒い物体。圧倒的な美しさと存在感を持つ「銃」に魅せられた彼はやがて、「私はいつか拳銃を撃つ」という確信を持つようになるのだが……。TVで流れる事件のニュース、突然の刑事の訪問――次第に追いつめられて行く中、西川が下した決断とは? 新潮新人賞を受賞した衝撃のデビュー作! 単行本未収録「火」を併録。(ブックカバー裏表紙より)

◆銃
 主人公は偶然拾った「銃」に取り憑かれ、次第に狂気へと陥っていきます。刑事の訪問やヨシカワユウコの存在も彼を正気に戻すことはできず、彼は最悪の事態へと突き進みます。彼が自分自身の力で正気を取り戻したと思った瞬間、衝撃の結末が訪れます。
 主人公には全く共感を覚えないし、かなり後味の悪い作品です。

◆火
 

又吉直樹『火花』が届きました。

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昨日、注文しておいた又吉直樹の『火花』が届きました。文芸誌『文學界』で既に読んでいましたが、もう一度読もうと思い、単行本を購入しました。この本を注文するついでに又吉直樹が『第2図書係補佐』で紹介していた、野坂昭如『エロ事師たち』と古井由吉『杳子・妻隠』も購入しました。この2冊の帯には「ピース又吉がむさぶり読む20冊」というキャッチフレーズと共に又吉の写真が載っていました。
【参考】『文學界』2015年2月号
http://blogs.yahoo.co.jp/kazukazu560506i/55389711.html]


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野坂昭如『エロ事師たち』(1966)
 お上の目をかいくぐり、世の男どもにあらゆる享楽の手管を提供する、これすなわち「エロ事師」の生業なり――享楽と猥雑の真っ只中で、したたかに棲息する主人公・スブやん。他人を勃たせるのはお手のものだが、彼を取り巻く男たちの性は、どこかいびつで滑稽で苛烈で、そして切ない……正常なる男女の美しきまぐわいやオーガズムなんぞどこ吹く風、ニッポン文学に永遠に屹立する傑作。(ブックカバー裏表紙より)
古井由吉『杳子・妻隠』(1971)
 獵盪劼録爾っ底に一人で坐っていた。畤牲个鯢造狃丗臉検叮盪辧咾箸痢∋鈎罎任琉柩佑塀于颪い忙呂泙襦孤独で斬新な愛の世界……。現代の青春を浮彫りにする芥川賞受賞作「杳子」。都会に住まう若い夫婦の日常の周辺にひろがる深淵を巧緻な筆に描く「妻隠」。卓抜な感性と濃密な筆致で生の深い感覚に分け入り、現代文学の新地平を切り拓いた著者の代表作二編を収録する。(ブックカバー裏表紙より)

庭に椿を植えました。

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今日、自宅の庭に椿を植えました。有楽(太郎冠者とも言う)という品種です。

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中村文則『悪と仮面のルール』を読みました。

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今日、中村文則の『悪と仮面のルール』(10)を読みました。
ストーリー等については、以下の通りです。
 邪の家系を断ちきり、少女を守るために。少年は父の殺害を決意する。大人になった彼は、顔を変え、他人の身分を手に入れて、再び動き出す。すべては彼女の幸せだけを願って。同じ頃街ではテロ組織による連続殺人事件が発生していた。そして彼の前に過去の事件を追う刑事が現れる。本質的な悪、その連鎖とは。(ブックカバー裏表紙より)

◆作者の優れたストーリーテラーぶりが窺える作品です。でも、整形で他人になりすまして愛する女性を守ろうなんて、あり得ない話です。ちょっと、古典過ぎます。エドモン・ロスタンの戯曲『シラノ・ド・ベルジュラック』を思い出しました。

中村文則『土の中の子供』を読みました。

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今日、中村文則の『土の中の子供』を読みました。
この本には、長編小説「土の中の子供」(05)と短編小説「蜘蛛の声」(04)が収録されています。ストーリー等については、以下の通りです。
 27歳のタクシードライバーをいまも脅かすのは、親に捨てられ、孤児として日常的に虐待された日々の記憶。理不尽に引きこまれる被虐体験に、生との健全な距離を見失った「私」は、自身の半生を呪い持てあましながらも、暴力に乱された精神の暗部にかすかな生の核心をさぐる。人間の業と希望を正面から追求し、賞賛を集めた新世代の芥川賞受賞作。著者初の短篇「蜘蛛の声」を併録。(ブックカバー裏表紙より)

◆土の中の子供
 「私」は幼い頃に受けた虐待がトラウマになっており、現在もその記憶に苛まれています。「土の中の子供」というタイトルも「私」が受けた虐待に由来しています。
 「私」は虐待の記憶だけではなく、現在も理不尽な暴力にさらされ続けます。暴走族にリンチされたり、タクシー強盗に殺されそうになったり。暴力的なシーンを読むのは緊張を強いられます。
 最後のシーン、「私」は「僕は、土の中から生まれたんですよ」と言って、実の父親との再会を拒否します。僕は「私」のこの言葉に、トラウマから抜け出して、新しい生活が始められそうだと思いました。

◆蜘蛛の声

中村文則『遮光』を読みました。

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今日、中村文則の『遮光』(03)を読み終えました。
ストーリー等については、以下の通りです。
 恋人の美紀の事故死を周囲に隠しながら、彼女は今でも生きていると、その幸福を語り続ける男。彼の手元には、黒いビニールに包まれた謎の瓶があった――。それは純愛か、狂気か。喪失感と行き場のない怒りに覆われた青春を、悲しみに抵抗する「虚言癖」の青年のうちに描き、圧倒的な衝撃と賞賛を集めた野間文芸新人賞受賞作。若き芥川賞・大江健三郎賞受賞作家の初期決定的代表作。(ブックカバー裏表紙より)

◆『遮光』は中村文則の2作目の小説です。彼はデビュー作『銃』とこの作品について、「『何かを持ち歩く』ということも、この二作には共通している。そして二つとも、『読者に広く拡がる、大多数からの共感を呼ぶ小説』が全盛の時代において、極めて異質な作品だと思う」(巻末解説)と述べています。
◆この作品も『銃』と同様、主人公が狂気に取り憑かれ、衝撃のラストを迎えます。大抵の読者は主人公に共感どころか、嫌悪感を持ちながら読むでしょう。文庫本で140ページ程度と短いのが、せめてもの救いです。

又吉直樹『火花』を読みました。(再)

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今日、又吉直樹の『火花』を読みました。今年1月、文芸誌『文學界』2月号掲載時に読んでいたので、今回はストーリー展開を気にせずにじっくり読むことができました。
主人公の幼時のエピソードや東京の街の風景、芸人の世界、……。創作部分も多いとは思いますが、この作品のベースは著者の経験が中心になっているように思います。そう考えると、この作品は彼のこれまでの人生の集大成のようにもみえてきます。となると、次を書くのはたいへんそうですが、彼の才能ならたぶん大丈夫だと思います。

◆気に入った文章がたくさんありました。その中からひとつだけ引用しておきます。スパークスの解散ライブに関するネットニュースへのコメントを読んだ主人公の言葉です。
 僕は小さな頃から漫才師になりたかった。僕が中学時代に相方に出会わなかったとしたら、僕は漫才師になれただろうか。漫才だけで食べていける環境を作れなかったことを、誰かのせいにするつもりはない。ましてや、時代のせいにするつもりなど更々ない。世間からすれば、僕達は二流芸人にすらなれなかったかもしれない。だが、もしも「俺の方が面白い」とのたまう人がいるのなら、一度で良いから舞台に上がってみてほしいと思った。「やってみろ」なんて偉そうな気持など微塵もない。世界の景色が一変することを体感してほしいのだ。自分が考えたことで誰も笑わない恐怖を、自分が考えたことで誰かが笑う喜びを経験してほしいのだ。
 必要がないことを長い時間かけてやり続けることは怖いだろう? 一度しかない人生において、結果が全く出ないかもしれないことに挑戦するのは怖いだろう。無駄なことを排除するということは、危険を回避するということだ。臆病でも、勘違いでも、救いようのない馬鹿でもいい、リスクだらけの舞台に立ち、常識を覆すことに全力で挑める者だけが漫才師になれるのだ。それがわかっただけでもよかった。この長い年月をかけた無謀な挑戦によって、僕は自分の人生を得たのだと思う。
◆前回の感想等は以下を参照してください。
http://blogs.yahoo.co.jp/kazukazu560506i/55389711.html

◆この作品には高円寺や吉祥寺、上石神井、渋谷、下北沢、池尻大橋などの東京の街が登場します。参考に東京の鉄道路線図を添付しておきます。
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又吉直樹『東京百景』を読みました。

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今日、又吉直樹のエッセイ『東京百景』を読み終えました。
文庫化されたら読もうと思っていましたが、『火花』を読み、この小説の舞台となった高円寺や吉祥寺、下北沢などについてどう書いているのか知りたくなり、この単行本を購入しました。

◆太宰治の短編小説「東京八景」や「富嶽百景」(ともに新潮文庫『走れメロス』収録)を連想させるタイトルですが、小説ではなくエッセイ集です。著者の若い頃の苦悩や葛藤が伝わってきます。
◆「百景」って「たくさん」という意味だと思っていたら、言葉通り100の話(風景)がありました。殆どが1~4ページの短文で、5ページを超えるものは7話のみです。
◆著者の読書体験には大いに触発されます。読んだことがなかった作家はもちろん、既読の作品も読んみようと思いました。
◆以下が100のタイトルです。

1 武蔵野の夕陽 2 下北沢駅前の喧噪 3 日比谷野外音楽堂の風景 4 三鷹下連雀二丁目のアパート 5 東郷神社 6 三鷹禅林寺 7 山王日枝神社 8 舞浜の踊り 9 沼袋駅前商店街の向こう 10 芝大門尾崎紅葉生誕の地 11 久我山稲荷神社 12 原宿を歩く表情達 13 国立競技場の熱狂 14 お台場の夜空 15 仰ぎ見る東京都庁 16 田無タワー 17 吉祥寺ハモニカ横丁 18 吉祥寺の古い木造アパート 19 旧テレビ朝日 20 便所 21 新並木橋という入り口 22 一九九九年、立川駅北口の風景 23 そこにある側溝 24 五日市街道の朝焼け 2 5ゴミ箱とゴミ箱の間 26 国立の夜明け


27高円寺の風景 28明治神宮の朝焼け 29勝鬨橋の憂鬱 30下落合の空 31高円寺中通り商店街 32巣鴨とげぬき地蔵尊 33世田谷公園の窒息しそうな風景 34渋谷道玄坂百軒店 35杉並区馬橋公園の薄暮 36堀ノ内妙法寺の雨降る夜 37幡ヶ谷のサッカーグラウンド 38東京のどこかの室外機 39駒場の日本近代文学館 40三宿の住宅街 41豊島園 42荻窪のスーパー銭湯から見た風景 43羽田空港の風景 44高田馬場の夜 45根津権現の影 46夜の歌舞伎町 47武蔵小山の商店街 48四ツ谷駅の黄昏 49秋の夜の仙川 50自意識の捨て場所 51隅田川の夕景 52浜離宮恩賜庭園 53真夏の空中の十貫坂上 54日本橋を起点に観る記憶 55下北沢開かずの踏切 56赤坂・草月ホール 57下北沢CLUB Queの爆音と静寂 58郵便物のある風景 59月夜の富岡八幡宮 60井の頭公園 61阿佐ヶ谷の夜


62汐留の大通りに面したコンビニエンスストア 63池袋西口の地図 64江戸東京たてもの園 65晴海埠頭からの眺め 66代々木片隅の美容室 67上北沢のファミリーレストラン 68恵比寿駅前の人々 69夜明け前の北澤八幡宮 70冬の市ヶ谷釣り堀の風景 71南青山の稲荷神社 72東京で目覚めて最初に見る天井 73青山に連なる品々 74神保町古書店街 75東京タワー 76池尻大橋の小さな部屋 77花園神社 78都立大学駅前の風景 79高尾山薬王院 80雑司ヶ谷の漱石の墓 81祖師ヶ谷大蔵の商店街 82ルミネtheよしもと 83スカイツリー 84六本木通りの交差点 85麻布の地下にある空間 86銀座の老舗バー『ルパン』 87蒲田の文学フリマ 88目黒区碑文谷アピア40 89青山霊園 90六本木ヒルズ展望台からの風景 91車窓から見た淡島通り 92田端芥川龍之介旧居跡 93湯島天神の瓦斯灯 94湾岸スタジオの片隅 95新宿五丁目の文壇バー『風花』 96首都高速から見る風景 97梅ヶ丘『リンキィディンクスタジオ』の密室 98品川ステラボール 99昔のノート 100アパート

◆22「一九九九年、立川駅北口の風景」24「五日市街道の朝焼け」
著者は高校卒業と同時に上京し三鷹に住んだ。そのきっかけを作った友人のことが書かれています。
◆40「三宿の住宅街」
先輩芸人〈烏龍パーク〉の橋本さんとの「コーデュロイパンツのベージュはダサい」という話
→「火花」での、僕と神谷のエピソード
◆45「根津権現の影」
尾崎放哉の「自分をなくしてしまつて探して居る」を取り上げています。今の僕の心にはとても沁みる句です。『尾崎放哉全句集』(ちくま文庫)をもう一度読もうと思います。
◆50「自意識の捨て場所」
著者の自意識の捨て場所は風呂場だった。では、僕のそれはどこ?
◆60「井の頭公園」61「阿佐ヶ谷の夜」
著者は2009年、太宰治の100歳の誕生日に『太宰ナイト』という太宰を偲ぶライブを行いました。このライブにまつわる作家せきしろと西加奈子とのエピソードが語られています
◆76「池尻大橋の小さな部屋」
著者の恋愛の話。最後の一文「あれが僕の東京のハイライト。」が切ない。
◆80「雑司ヶ谷の漱石の墓」
漱石の「夢十夜」は大学時代好きだった由美さんもおもしろいと言っていた。今度ちゃんと読んでみよう。
◆82「ルミネtheよしもと」
先輩芸人〈チャイルドマシーン〉の山本さんは、著者を居酒屋へ連れて行く前、度々消費者金融に寄った。
→「火花」での、僕と神谷のエピソード
◆86「銀座の老舗バー『ルパン」
織田作之助の「競馬」と「青春の逆説」を読もうと思います。
◆97「梅ヶ丘『リンキィディンクスタジオ』の密室」
ぎゅぎゅぎゅぎゅいーん! 自意識。
◆98「品川ステラボール」
後輩芸人〈寿ファンファーレ〉の解散ライブ
→「火花」での、スパークスの解散ライブ

府中誉「渡舟」をいただきました。

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先日、知人から石岡市の造り酒屋〈府中誉〉の代表銘柄「渡舟」の純米大吟醸と純米焼酎吟垂れをいただきました。
今日、ちょっとしたお祝いごとがあったので、純米大吟醸を飲みました。美味しかった。ありがとうございました。

中村文則『王国』を読みました。

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今日、中村文則の『王国』を読み終えました。
ストーリー等については、以下の通りです。
 組織によって選ばれた「社会的要人」の弱みを人工的に作ること、それがユリカの仕事だった。ある日、彼女は見知らぬ男から忠告を受ける。
「あの男に関わらない方がいい……何というか、化物なんだ」
 男の名は木崎。不意に鳴り響く部屋の電話、受話器の中から語りかける男の声――圧倒的に美しく輝く「黒」がユリカを照らした時、彼女の逃亡劇は始まった。世界中で翻訳&絶賛されたベストセラー『掏摸』の兄妹篇が待望の文庫化!(ブックカバー裏表紙より)

◆この作品の構成なり、内容なりについて語るのはとても難しいことなので、巻末の著者による解説「文庫解説にかえて――『王国』について」を抜粋して引用します。
 (この本は)『掏摸』という小説の兄妹篇で、主人公は二人とも、木崎、と呼ばれる男と対峙している。
 『掏摸』のテーマには(物語における構図として)旧約聖書がある。本来ならこの『王国』は、その流れとして新約聖書(作中にもある通り、磔となったキリストが、最後に神の「裏切り」に遭うという「特殊な」解釈での新約聖書)の構図となるはずだったが、『掏摸』において発生したある「誤差」によって、この小説が、木崎(神的なもの)の下で引き続き動き続ける構図(新約聖書)から、木崎の要求や思惑を裏切り、刃向い続けるというグノーシス主義(キリスト教における異端)の構図に変化した、ということになっている。さらにそこから、キリスト教より古いギリシャ・ローマ神話へ接続していく。そして『掏摸』で木崎よりさらに「上位」の存在として塔を置いたのに対し、この小説では読んでいただいた通り月を置いている。
 
◆著者が「何もこんなことを考えながらこの小説を読む必要はなく、これはあくまで裏テーマである」と述べているように、僕としては主人公ユリカが絶体絶命のピンチをいかに切り抜けていくのかという、ハラハラドキドキの展開に面白さを感じながら読みました。

◆『掏摸』の主人公は死んだのか? その答えがありました。

『尾崎放哉句集』を読みました。

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先日、ちくま文庫『尾崎放哉全句集』(村上護編)を読んだので、ついでに岩波文庫『尾崎放哉句集』(池内紀編)も読んでみました。以下、気になった句を引用します。


◆自由律以前(明治33年~大正3年)
    見ゆるかぎり皆若葉なり国境
    鯛味噌に松山時雨きく夜かな
    煮凝や彷彿として物の味
    灌仏や美しと見る僧の袈裟
    舟中に雷を怖れぬ女かな

    寝て聞けば遠き昔を鳴く蚊かな
    象に乗て小さき月に歩りきけり
    焚きつけて妻は何処へ朝寒し
    轡虫籠ふるはして鳴きにけり
    盗まれし菊をいよいよ惜みけり

    山茶花やいぬころ死んで庭淋し
    あたゝかき炬燵を出る別れ哉
    傾城の魂ぬけし昼寝かな
    椿咲く島へ三里や浪高し
    木犀に人を思ひて徘徊す

    だらだらと要領を得ぬ糸瓜哉
    秋の風我がひげを吹き我を吹く
    秋日和四国の山は皆ひくし
    春寒やそこそこにして銀閣寺

◆自由律以後(大正4~15年)
    葱青々と寒雨つゞくかな
    庭の緑にことごとく風ふれて行く
    蔵戸あけられし海の風いつぱい
    妻を叱りてぞ暑き陽に出で行く
    道細々と山の深きへ続く

    冷たい水となり旅の朝な朝な
    密柑山の路のどこ迄も海とはなれず
    風の中走り来て手の中のあつい銭
    流るる風に押され行き海に出る
    ねそべつて書いて居る手紙を鶏に覗かれる

    あすは雨らしい青葉の中の堂を閉める
    友を送りて雨風に追はれてもどる
    雨の日は御灯ともし一人居る
    なぎさふりかへる我が足跡も無く
    柘榴が口あけたたはけた恋だ

    高浪打ちかへす砂浜に一人を投げ出す
    雨に降りつめられて暮るる外なし御堂
    父子で住んで言葉少なく朝顔が咲いて
    茄子もいできてぎしぎし洗ふ
    いつ迄も忘れられた儘で黒い蝙蝠傘

    友の夏帽が新らしい海に行かうか
    刈田で烏の顔をまぢかに見た
    傘さしかけて心よりそへる
    障子しめきつて淋しさをみたす
    ぶつりと鼻緒が切れた暗の中なる

    マツチの棒で耳かいて暮れてる
    自らをののしり尽きずあふむけに寝る
    何か求むる心海へ放つ
    めつきり朝がつめたいお堂の戸をあける
    小さい火鉢でこの冬を越さうとする

    心をまとめる鉛筆とがらす
    仏にひまをもらつて洗濯してゐる
    ただ風ばかり吹く日の雑念
    うそをついたやうな昼の月がある
    酔のさめかけの星が出てゐる

    考へ事して橋渡りきる
    わがからだ焚火にうらおもてあぶる
    こんなよい月を一人で見て寝る
    かへす傘又かりてかへる夕べの同じ道である
    門をしめる大きな音さしてお寺が寝る

    傘にばりばり雨音さして逢ひに来た
    あるものみな着てしまひ風邪ひいてゐる
    淋しいぞ一人五本のゆびを開いて見る
    島の女のはだしにはだしでよりそふ
    わが顔ぶらさげてあやまりにゆく

    師走の夜のつめたい寝床が一つあるきり
    笑へば泣くやうに見える顔よりほかなかつた
    両手をいれものにして木の実をもらふ
    ひげがのびた顔を火鉢の上にのつける
    にくい顔思ひ出し石ころをける

    考へ事をしてゐる田にしが歩いて居る
    豆を煮つめる自分の一日だつた
    いつしかついて来た犬と浜辺に居る
    すばらしい乳房だ蚊が居る
    海が少し見える小さい窓一つもつ

    わが顔があつた小さい鏡買うてもどる
    壁の新聞の女はいつも泣いて居る
    風邪を引いてお経あげずに居ればしんかん
    ぴつたりしめた穴だらけの障子である
    淋しい寝る本がない

    月夜風ある一人咳して
    咳き入る日輪くらむ
    入れものが無い両手で受ける
    咳をしても一人
    ひどい風だどこ迄も青空

◆句稿より(大正14~15年)
    今日来たばかりの土地の犬となじみになつてゐる
    あかるいうちに風呂をもらいに行く海が光る
    冷え切つた番茶の出がらしで話さう
    言ふ事があまり多くてだまつて居る
    夜がらすに啼かれても一人

    手からこぼれる砂の朝日
    そうめん煮すぎて団子にしても喰へる
    洗濯竿にはわがさるまたが一つ
    叱られた児の眼に螢がとんで見せる
    さゝつたとげを一人でぬかねばならぬ

    天井のふし穴が一日わたしを覗いて居る
    山ふところの風の饒舌
    蚊帳のなか稲妻を感じ死ぬだけが残つてゐる
    欠伸して昼の月見付けた
    初夏の女の足が笑ひかける

    お客さんにこの風を御馳走しよう
    何がたのしみに生きてると問はれて居る
    すきな海を見ながら郵便入れに行く
    今夜も星がふるやうな仏さまと寝ませう
    のびあがつて見る海が広々見える

    星がふるやうな火の見やぐら
    お月さんもたつた一つよ
    縁の下から猫が出て来た夜

中村文則『悪意の手記』を読みました。

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今日、中村文則の『悪意の手記』(04)を読み終えました。
ストーリー等については、以下の通りです。
 死に至る病に冒されたものの、奇跡的に一命を取り留めた男。生きる意味を見出せず全ての生を憎悪し、その悪意に飲み込まれ、ついに親友を殺害してしまう。だが人殺しでありながらもそれを苦悩しない人間の屑として生きることを決意する――。人はなぜ人を殺してはいけないのか。罪を犯した人間に再生は許されるのか。若き芥川賞・大江健三郎賞受賞作家が究極のテーマに向き合った問題作。(ブックカバー裏表紙より)

◆この作品は、『手記1』『手記2』『手記3』という3つの手記で構成されています。
◆主人公(手記の筆者)は親友を殺してしまったことをどう乗り越えるか葛藤を続けています。そんな彼が夢か幻覚の中で、次のような言葉を聞き、さらに苦悩を深めていきます。
君は人を殺した。あんな善良な、しかも君の親友だった少年を殺した。若い命を、その将来の全てを叩き潰したんだ。そのせいで、彼の母親の人生まで終わらせた。彼女は発狂して、入院したんだ。どうだい? そんなことをしでかした人間が、救われていいのかい? 他人にそんな最大の苦痛を味わわせた張本人が、考福になっていいのかい? 君は、救われていく自分を、そのまま受け入れていくのかい? だとしたら、君は本当の悪魔だよ。いや、悪魔以下だよ。悪魔は自分が悪魔であることを少なくとも自覚して、暖かいものなんか望んだりしないのだから。(P105-106)
◆やがて、主人公はリツ子という女性の復讐殺人に荷担しますが、決行の直前に中止します。著者のデビュー作『銃』(02)や第2作『遮光』(03)はとても後味の悪いラストだったので、第3作にあたるこの作品のラストには少しホッとさせられました。

『尾崎放哉全句集』を読みました。(再)

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今日、『尾崎放哉全句集』(村上護編)を読み終えました。
先日、又吉直樹のエッセイ集『東京百景』を読んでいたら、尾崎放哉の「自分をなくしてしまつて探して居る」という句が引用されていました。
僕は4月に異動しますが、これまで2年毎の異動を2回繰り返していたので何ら感慨はないと思っていたのに、この句を読んだら急に寂しさを覚えました。
以下、気になった句を引用します。


機‘枩ぐ文紂並臉13年~15年)
   省略 → http://blogs.yahoo.co.jp/kazukazu560506i/54777484.html

供∥世の時代
 ◆定型俳句時代(明治33年~大正3年)
    病いへずうつうつとして春くるゝ
    山茶花やいぬころ死んで庭淋し
    別れ来て淋しさに折る野菊かな
    椿咲く島へ三里や浪高し
 ◆自由律俳句時代(大正4年~12年)
    今日一日の終りの鐘をきゝつゝあるく
    夢さめし眼をひたと闇にみひらけり
    はるばる来にける旅なりし山山
    ぢつと子の手を握る大きなわが手
    たそがれの浪打ぎはをはるかに来けり

掘ゞ膵董並臉14年~15年)
    今日来たばかりの土地の犬となじみになつてゐる
    を世話になる寺をさがして歩くつゝじがまつ盛だ
    いつからか笑つたことの無い顔をもつて居る
    下手な張りやうの儘で障子がかわいてしまつた
    考え事をしてゐる田にしが歩いて居る

    するどい風の中で別れようとする
    雑踏のなかでなんにも用の無い自分であつた
    冷酒の酔のまはるをぢつと待つて居る
    冷え切つた番茶の出がらしで話さう
    椿の墓道を毎朝掃くことがうれしい

    傘をくるくるまはして考え事してゐた
    好きな花の椿に絶えず咲かれて住む
    久々海へ出て見る風吹くばかり
    蛙ころころとなく火の用心をして寝る
    葉桜の下で遊びくたびれて居る

    言ふ事があまり多くてだまつて居る
    母の無い児の父であつたよ
    雨の日は遠くから灯台見て居る
    風がどこに行つてしまつたか海
    ひよいと呑んだ茶碗の茶が冷たかつた

    数えて居るうちに鳩の数がまぎれて来る
    づいぶん強い風であつた柘榴が落ちない
    洗濯竿にはわがさるまたが一つ
    自分をなくしてしまつて探して居る
    とんぼが淋しい机にとまりに来てくれた

    色々思はるゝ蚊帳のなか虫等と居る
    蚤とぶ朝の畳の裸一貫
    松かさも火にして豆が煮えた
    御仏の灯を消して一人の蚊帳にはいる
    さゝつたとげを一人でぬかねばならぬ

    待つて居る手紙が来ぬ炎天がつゞく
    まつくらなわが庵の中に吸はれる
    今ばん芋を煮ようか茄子を煮ようかとのみ
    扇子を大事にし大事にし蠅を叩く
    淋しくなれば木の葉が躍つて見せる

    叱ればすぐ泣く児だと云つて泣かせて居る
    あく迄満月をむさぼり風邪をひきけり
    山ふところの風の饒舌
    投げ出されたやうな西瓜が太つて行く
    此の釘打つた人の力の執念を抜く

    海風に筒抜けられて居るいつも一人
    海風べうべうと町までの夜道
    朝から曇れる日の白木槿に話しかける
    うつかり気が付かずに居た火鉢に模様があつた
    アノ婆さんがまだ生きて居たお盆の墓道

    葡萄喰べあいたとハガキよこした
    藤棚から青空透かして一日居る
    犬の顔つくづく見て居るひまがあつた
    一疋の蚤をさがして居る夜中
    雨の糸瓜見て家にばかり居る

    ぴつたりしめた穴だらけの障子である
    さよならなんべんも云つて別れる
    あけがたとろりとした時の夢であつたよ
    静かなる日の名も知らぬ花咲きたり
    一番遠くへ帰る自分が一人になつてしまつた

    思ひ出せない顔に挨拶して居る
    欠伸して昼の月見付けた
    疲れたこんな重たい足があつた
    腰を下ろした石のまんまで暮れとる
    お客さんにこの風を御馳走しよう

    お祭にあいて海に来て居る女だ
    涼しうなつた蠅取紙に蠅が身を投げに来る
    ころりと横になれば蜘蛛の巣が見える
    秋山海が見えるところへ腰を下ろす
    二階の障子はりかへて海風の家あり

    木槿一日うなづいて居て暮れた
    久しぶりに庵を出かける猫が見て居る
    何がたのしみに生きてると問はれて居る
    たつたひと晩でお別れか
    すきな海を見ながら郵便入れに行く

    すきな海が荒るればわが心痛む
    子供あやす顔で泣かれてしまつた
    久し振りの雨の雨だれの音
    梨子を一つあすの分に残して置かう
    今夜も星がふるやうな仏さまと寝ませう

    お粥ふつふつ煮える音の寐床に居る
    淋しいから寐てしまをう
    縁の下一つ啼く虫ある今宵よ
    大根ぶらさげて立つなんと大きな夕日だ
    眼が覚めた寐床の上に天井が無い

    あごにさわる手にひげがのびて居る
    鍋の底の穴を大空に探す
    針の穴の青空に糸を通す
    入れものが無い両手で受ける
    咳をしても一人

    きつとうまいぞ泥だらけの大根
    冷めたさ握つて居た手のひら
    木の葉まひ上りどんどん暮れる
    章魚をもらつた朝まつ赤に煮あげた
    鰌きゆうきゆうなかせて割いとる

    小さい窓から首突き出して晩秋
    ひどい風だどこ迄も青空
    禿げあたまを蠅に好かれて居る
    恋心四十にして穂芒
    なんと丸い月が出たよ窓

    落葉掃きたくない晩もある
    青空の下で話して別れた
    雪かく朝の小さい手もかりる
    南天うつむかして夜の雪やむ
    しやがめば顔に近きだりやの花

    山茶花が咲いたのでよい庭だ
    少し開きかけた椿をもらつた
    一日歩いて来た山道の残雪もあつた
    水仙が炭俵の上に置いてあつた
    とつくに明けて居る元日起きて来て座る

    ゆつくり暮れて行く籐椅子
    内庭の空見上げては本読む
    空を見る事が好きな妻であつた
    柱の水仙が咲いた咲いた咲いた
    硝子窓に呼吸(イキ)で書いた絵が消えた

    石ころ幾つも海へ投げあきてもどる
    向ふの山に陽のあるうちを急ぐ
    はやり唄うたつて児をそだてる
    寒ン空シヤツポがほしいな
    沈丁花の匂ひ夜中思ひ出してゐる

    すり鉢が無いすりこ木が無い

検∥世の時代・拾遺
 ◆定型俳句時代
    石塔にもたれて月を眺めけり
    波際に霧晴るゝ迄佇みぬ
    暮るゝ日や落葉の上に塔の影
    風邪に居て障子の内の小春かな
    木苺を貪り食へば山淋し

    五六本折れば濃き黄や女郎花
    寺多き谷中の鶏頭鶏頭哉
    秋日和四国の山は皆ひくし
    秋の雨朝より障子しめきりつ
    春寒し、山の青きを見て居れば
 ◆自由律俳句時代
    橋を渡る時星が一斉に光れり
    麦のびたり郵便夫と話しゆく
    とんぼ一つ風にさからふ水面なれ
    虫高々と鳴き出でぬ遅く湯に行く
    物思ひつゝ来たり塔の真下なり

    日暮れ船が皆火をもやし下る
    草鞋はきしめてさゝやかな旅に立つ
    駅の草花が赤い雨の日なり
    児等が植ゑしへうたんの蔓がのびたり
    お城へゆく路蓮の花ま白なり

    松の葉散れり泉水の青き空
    障子いつぱいに山の陽さしたり
    ただにうれしくてぞ子馬とぶらし
    寝ころべる犬に椿の花が落つ

中村文則『最後の命』を読みました。

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今日、中村文則の『最後の命』(07)を読み終えました。
ストーリー等については以下の通りです。
 最後に会ってから七年。ある事件がきっかけで疎遠になっていた幼馴染みの冴木。彼から「お前に会っておきたい」と唐突に連絡が入った。しかしその直後、私の部屋で一人の女が死んでいるのが発見される。疑われる私。部屋から検出される指紋。それは「指名手配中の容疑者」である、冴木のものだと告げられ――。(ブックカバー裏表紙より)

◆3月初めに『何もかも憂鬱な夜に』を読んで以来、中村文則の作品を読むのはこれで9冊目。どこが気に入ったんだろう? 内容はともかくとして、文庫本で200ページ前後と比較的短く、文体や構成も読みやすかったからでしょうか。
 この作品の主な登場人物は「私」と「冴木」。二人は小学校2年生の時にある衝撃的な事件に遭遇しますが、そのことが二人のその後に大きな影を落とします。

中村文則『教団X』を読みました。

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今日、中村文則の『教団X』(2014)を読み終えました。彼の作品の中では最長(約560ページ)です。内容等については、以下の通りです。
 謎のカルト教団と革命の予感。自分の元から去った女性は、公安から身を隠すオカルト教団の中へ消えた。絶対的な悪の教祖と4人の男女の運命が絡まり合い、やがて教団は暴走し、この国を根幹から揺さぶり始める。神とは何か。運命とは何か。絶対的な闇とは、光とは何か。著者最長にして圧倒的最高傑作。(Amazon商品説明より)

◆著者は「あとがき」で「世界と人間を全体から捉えようとしながら、個々の人間の心理の奥の奥まで書こうとする小説。こういう小説を書くことが、ずっと目標の一つだった。これは現時点での、僕の全てです。」と述べていますが、彼の思いとは裏腹に残念な作品になってしまいました。

◆たくさん勉強して書きました、ということが鼻につく作品です。ヒンドゥー教や仏教、脳科学、宇宙などについて登場人物に延々と語らせますが、難解だし、決して作品の質を高める要素にはならなかった思います。

◆ストーリーは最初は惹きつけられますが、途中からはただダラダラと読まされているといった感じです。そして、何と言っても酷いのがセックスの描写です。何でもストレートに書けばいいってもんじゃありません。セックスの場面を映像にしたら、そのまんまアダルトビデオです。この作品にとってセックスは重要な要素ですが、これじゃ映像作品化は無理でしょう。

今日のドライブミュージック~“LOVE PSYCHEDELICO THE BEST I ”

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先日、テレビのチャンネルをNHKにしたら、「SONGS」に《LOVE PSYCHEDELICO》が出演していました。番組の途中だったので、‘Freedom’と‘Good Times, Bad Times’しか聴けませんでしたが、とても懐かしく思いました。
久々に彼らのCDを聴こうと思い、今年2月に発売されたベストアルバム“LOVE PSYCHEDELICO THE BEST I ”と“LOVE PSYCHEDELICO THE BEST II ”をレンタルしました。
で、今日は“機匹諒鯆阿ながらの通勤でした。

◆“LOVE PSYCHEDELICO THE BEST I”の収録曲は以下の通りです。
   1. Freedom
   2. Your Song
   3. Beautiful World
   4. Free World
   5. Shining On
   6. It's You
   7. Standing Bird
   8. All Over Love
   9. This Way
  10. Help!
  11. Happy Birthday
  12. My Last Fight
  13. Life Goes On
  14. Aha!(All We Want)
  15. These Days
  16. 裸の王様

◆感想(後日)

今日のドライブミュージック~“LOVE PSYCHEDELICO THE BESTI II”

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今日は仕事の行き帰りに“LOVE PSYCHEDELICO THE BESTI II”(2015)を聴きました。
4月から通勤距離が片道35kmになり、通勤時間が往復で2時間以上かかるようになりました。これまでで最長の距離と時間です。この時間を無為に過ごすのはもったいないので、以前のようにたくさん音楽を聴こうと思います。

【収録曲】
1. Everybody Needs Somebody
2. Lady Madonna~憂鬱なるスパイダー~
3. Last Smile(extension mix)
4. Good Times, Bad Times
5. Abbot Kinney
6. Shadow Behind
7. Dry Town ~Theme of Zero~
8. No Reason
9. Fantastic World
10. Carnation
11. I Will Be With You
12. I Saw You In The Rainbow
13. Waltz
14. Beautiful Days
15. I Am Waiting For You
16. Happy Xmas(War Is Over)

◆感想(後日)

織田作之助『六白金星・可能性の文学 他十一篇』を読みました。

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今日、織田作之助の短編集『六白金星・可能性の文学 他十一篇』を読み終えました。
たまたまこの短編集を読み、「髪」「競馬」といったお気に入りの作品ができました。この際、彼の代表作「夫婦善哉」をはじめ、他の作品も読んでみようと思います。

【収録作品】( )は初出
道なき道(「週間毎日」昭和20年10月28日)
 父・庄之助は9歳の娘・寿子のヴァイオリンの才能を確信し、「私の生活のすべてを犠牲にして、道なき道を歩みながら、寿子を日本一のヴァイオリン弾きに仕込みます」と生国魂(いくたま)神社に誓います。そして、自らの「津路式教授法」が厳しすぎるとして世間から疎まれたことへ抵抗でもあるかのように、寿子に厳しい稽古を課します。
 寿子が13歳の時、この厳しい稽古は東京日日新聞主催のコンクールで第一位になるという結果をもたらします。しかし、苛め抜くより外に愛情の注ぎようがない父と、決して勘弁してくれとは言わない娘の「道なき道」は続いて行くのです。

(「オール読物」昭和20年11月)
 著者の自伝的作品です。彼の長髪は社会や時代への彼なりの反骨の表現なのでしょうが、そんな思いは当時の社会や軍国化の波によって一蹴されてしまいます。でも、そんな時の彼の文章はユーモアや皮肉がたっぷりで、共感を覚えます。以下、おもしろいと思った文章をいくつか引用します。
 この阿呆をはじめとして、私の周囲には佃煮にするくらい阿呆が多かった。なかんずく、法科志望の点取虫の多いのには、げっそりさせられた。彼らは教師の洒落や冗談までノートに取り、しかもその洒落や冗談を記憶して置く必要があるかどうか、即ちそれが試験に出るかどうかと質問したりした。彼らの関心は試験に良い点を取ることであり、東京帝国大学の法科を良い成績で出ることであり、昭和何年組の秀才として有力者の女婿になることであった。そのため彼らはやがて高等文官試験に合格した日、下宿の娘の誘惑に陥らないような克己心を養うことに、不断の努力をはらっていた。もっとも手ぐらいは握っても、それ以上の振舞いに出なければ構わぬだろうという現金な考えを持っていたかも知れない。
 しかし、私は何も自分が彼らにくらべて利巧であると思っているわけではない。周囲に阿呆が大勢いてくれたおかげで、当時の私はいくらか自分が利巧であるように思い込んでいたことは事実だが、しかし果して私は利巧であったかどうか。
 私は生れつき特権というものを毛嫌いしていたので、私の学校が天下の秀才の集るところだという理由で、生徒たちは土地で一番もてる人種であり、それ故生徒たちは銭湯へ行くのにも制服制帽を着用しているのを滑稽だと思ったので、制服制帽は質に入れて、和服無帽で長髪を風に靡かせながら通学した。つまり私は充分風変りであったが、それ以上に利巧でなかったわけである。
 ところが、間もなく変なことになった。既に事変下で、新体制運動が行われていたある日の新聞を見ると、政府は国民の頭髪の型を新体制型と称する何種類かの型に限定しようとしているらしく、全国の理髪店はそれらの型に該当しない頭髪の客を断ることを申し合わせたというのである。
 私はことの意外に呆れてしまったが、果して間もなくあるビルディングの地下室にある理髪店へ行くと、金縁眼鏡をかけたそこの主人はあなたのような髪は時局柄不都合であると言って、あれよあれよと驚いている間に、私の頭を甲型か乙型か翼賛型か知らぬがとにかく呉服屋の番頭のような頭に刈り上げてしまった。私は憤慨して、何が時局的に不都合であるか、むしろ人間の頭を一定の型に限定してしまおうとする精神こそ不都合ではないか、しかし言っておくが、髪の型は変えることが出来ても、頭の型まで変えられぬぞと言ってやろうと思ったが、ふと鏡にうつった呉服屋の番頭のような自分の頭を見ると、何故か意気地がなくなってしまって、はあさよかと不景気な声で呟くよりほかに言葉も出なかった。
 事変が戦争に変ると、私の髪は急激に流行はずれになってしまった。町にも村にも丸刈りが氾濫して、猫も杓子も丸坊主、丸坊主でなければ人にあらずという風景が描き出された。
 このような時に依然として長髪を守って行くことは相当の覚悟を要した。が、私は義憤の髪の毛をかきむしるためにも、長髪でおらねばならないと思った。言いたいことが言えぬ世の中だから、髪の毛をかきむしるより外に手がなかったのである。「物言わねば腹ふくれる」どころではなかった。星と錨と闇と顔が「物を言わねば腹のへる」世の中であった。だから文学精神にも闇取引が行われ、心にもない作品が文学を僣称した。そして人々が漸くこのことの非を悟った時には、もう戦争は終りかけていた。

表彰(「文藝春秋」昭和20年12月)
 伊三郎・お島夫婦と養子の松太郎、それぞれがそれぞれに問題のある生き方をしていますが、ラストシーンにはホッとさせられました。

女の橋(「漫画日本」昭和21年4月)
船場の娘(「新生活」昭和21年1月)
大阪の女(「ロマンス」昭和21年6月)
 「女の橋」「船場の娘」「大阪の女」はそれぞれ独立した作品として読めますが、連作として書かれており、通して読むと小鈴―雪子―葉子という女性三代の恋愛物語になっています。
 3作の中では「大阪の女」が最も小説らしい作品です。雪子は娘・葉子に自分のような人生を歩んでほしくないと思っていますが、最後はあなたはあなたの人生を生きなさいと娘を送り出します。ラストシーンがいいです。
 これら3作では《太左衛門橋》が重要な役割を果たしていますが、雪子はこの橋について「大阪の女」の中で次のように述べています。(「大阪の女」)
 空襲の夜、雪子が太左衛門橋を渡って逃げる気になったのは、その橋が生みの母の死骸を送って行った橋であり、初恋の男と再会した橋であったからだ。
 太左衛門橋は道頓堀と宗右衛門町をつなぐ橋であり、さまざまな人のさまざまな想い出がこもっている橋だったが、誰よりも雪子の想い出は強かった。
 なお、《太左衛門橋》について、大阪市HPからその紹介文を引用します。(太字は引用者)
 橋の名は橋の東南角で歌舞伎の小屋を開いた興行師大坂太左衛門に由来するという。寛永3年(1626)に道頓堀の南側に芝居と遊郭が公許され、大坂太左衛門ら6名が京都から進出した。
 太左衛門橋がいつ架けられたかは明確ではないが、芝居小屋などへの通路として早くから架けられていたに違いない。
 以降道頓堀の芝居町を中心にして周辺の町々の負担で維持されてきた。織田作之助の作品に『女の橋』『船場の娘』『大阪の女』という三部作があるが、ストーリーの節目に太左衛門橋が、一場を構成する重要な役割を与えられている。
 太左衛門橋は昭和になっても狭い木橋のままであったが、大阪大空襲の際に焼失し、地元の人々によって復旧された。
 昭和33年に架け替えられた橋は、規模は江戸時代のものとほとんどかわらないが、3径間連続の合成桁という最新の技術が試された実験的な橋である。
 近年は、道頓堀川の水辺整備に合わせて、本橋の西側と東側に側道橋を整備したが、整備にあたっては、有識者から成る道頓堀川遊歩道・橋梁デザイン検討委員会において、橋のデザイン検討を行った。今回改修した橋は、その名前が、かつてこの地で歌舞伎の興行を行っていた興行師に由来することや、多くの芝居小屋があったことから、木を基調とする歴史的な意匠を取り入れた橋となった。

六白金星(「新生」昭和21年3月)
 次男の楢雄は「運勢早見書」を開き、自分の星「六白金星」の運気を確かめます。すると、そこには「この年生れの人は、表面は気永のように見えて、その実至って短気にて些細なことにも腹立ちやすく、何かと口小言多い故、交際上円満を欠くことがある。親兄弟との縁薄く、早くより他人の中にて苦労する者が多い。また因循の質にてテキパキ物言いの捗らぬ所があるが、生来忍耐力に富み、辛抱強く、一旦こうと思い込んだことはどこまでもやり通し、大器晩成するものなり……。」と書かれており、一字一句が思い当たるのでした。これにより、楢雄は自分の性格や行動の問題点を省みることなく、自らを全く肯定的にとらえるようになってしまいます。
 近所の神社でいただいた今年の「九星本暦」があったので、僕の星「八白土星」の今年の運勢について調べてみました。で、今年は全体として「停滞運」だそうです。「気を引き締めねば」なんて思ったりして、次男と同じになってしまいました。
 本年あなたの本命星は北(壬・子・癸)の坎宮(かんきゅう)に回座し、坎宮を定位とする一白水星とは「土剋水」と相剋する関係にあります。従って本年の運勢概要は、思いは通じてもなかなか意のままにならず、手慣れたことでも不注意ミスの暗示。タイミングがずれて試行錯誤の繰り返しも。意地を張って力量以上を狙えば亀裂が生じ、生活面へのしわ寄せも発生しがちです。案外苦しい時は楽な方向へ流れやすいので、うかつに行動すると思わぬ伏兵に遭遇したり厄介な問題に巻き込まれます。軽はずみな口約束や安請け合いにも注意。何事も人情に流されることの無いように理性的に立ち回ること。また、周囲との摩擦を避け和合を心掛けることで大事は小事に、小事は無難にやり過ごすことが出来ます。困難な時ほど人物の真価が問われるので軽薄な言動は禁物。足下の安全を第一として行動すること。半面、将来へ向けた取り組みや根回し、レベルアップの為の教育プログラムは好調です。苦手な世界や分野、不足する技術があるならこの一年は貴重な時間です。詐欺、遅延、忘れ物、健康管理に注意。建築建墓は凶。

アド・バルーン(「新文学」昭和21年3月)
 私が語る半生記。生まれてすぐに里子に出されたこと。継母に育てられたこと。丁稚奉公したこと。文子という女性に恋して、ほとんど無一文で大阪から東京まで歩いて会いに行ったこと。……。冗長に過ぎると思います。ただ、「今日も空には軽気球(アドバルン)……」という歌声が流れるラストシーンは良かった。

世相(「人間」昭和21年4月)
 終戦後の大阪。作家の私(オダサク)は小説の題材を求め、現在(昭和21年)と過去を行き来します。昭和16年のスタンド酒場(バー)「ダイス」、昭和11年のカフェ「美人座」、昭和18年のてんぷら屋「天辰」、……。

競馬(「改造」昭和21年4月)
 京都帝大を出て、京都の中学校で歴史の教師をしていた寺田は、真面目だけが取り柄のような男でした。ある夜、彼は同僚に無理矢理連れて行かれた酒場で、ナンバーワン女給の一代を見初めます。彼は通いつめて彼女との結婚にまで漕ぎつけますが、それもつかの間、一代を癌で失います。その後、彼はふとしたことから競馬にのめり込み、九州の小倉にまで遠征します。そして、「これを外してしまえば、もう帰りの旅費もない」という賭けに自らを追い込みます。最後の競馬シーンがたまらない、優れた作品です。

郷愁(「真日本」昭和21年6月)
 この作品は、「世相」を書き上げたあとの心境を書いたもの。
 新吉は思わず足を停めて、いつまでもその子供を眺めていた。その子供と同じきょとんとした眼で……。そして、あの女と同じきょとんとした眼で……。
 それはもう世相とか、暗いとか、絶望とかいうようなものではなかった。虚脱とか放心とかいうようなものでもなかった。
 それは、いつどんな時代にも、どんな世相の時でも、大人にも子供にも男にも女にも、ふと覆いかぶさって来る得体の知れぬ異様な感覚であった。
 人間というものが生きている限り、何の理由も原因もなく持たねばならぬ憂愁の感覚ではないだろうか。その子供の坐りかたはもう人間が坐っているとは思えず、一個の鉛が置かれているという感じであったが、しかし新吉はこの子供を見た時ほど人間が坐っているという感じを受けたことはかつて一度もなかった。
 再び階段を登って行ったとき、新吉は人間への郷愁にしびれるようになっていた。そして、「世相」などという言葉は、人間が人間を忘れるために作られた便利な言葉に過ぎないと思った。なぜ人間を書こうとせずに、「世相」を書こうとしたのか、新吉ははげしい悔いを感じながら、しかしふと道が開けた明るい想いをゆすぶりながら、やがて帰りの電車に揺られていた。

二流文楽論(「改造」昭和21年10月)
可能性の文学(「改造」昭和21年12月)

中村文則『迷宮』を読みました。

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昨夜、中村文則の『迷宮』(2012)を読み終えました。
ストーリー等については、以下の通りです。
 胎児のように手足を丸め横たわる全裸の女。周囲には赤、白、黄、色鮮やかな無数の折鶴が螺旋を描く――。都内で発生した一家惨殺事件。現場は密室。唯一生き残った少女は、睡眠薬で昏睡状態だった。事件は迷宮入りし「折鶴事件」と呼ばれるようになる。時を経て成長した遺児が深層を口にするとき、深く沈められていたはずの狂気が人を闇に引き摺り込む。善悪が混濁する衝撃の長編。(ブックカバー裏表紙より)

◆弁護士事務所に勤める「僕」は、昔同じ中学校に通っていた紗奈江という女性と偶然出会います。そして、彼女の恋人である会社の不正経理に関わっていた男を追う探偵から、彼女が日置事件という一家惨殺事件の唯一の生き残りだと聞かされます。
 こうして「僕」は迷宮入りした日置事件の真相を探るべく、かつてこの事件に関わった弁護士やフリーライター、精神科医を訪ねることになります。ある意味、探偵物のような謎解きに興味が湧き、先へ先へと読み進めていきました。やがて、事件の真相は意外な形で知ることになります。でも、「僕」には新たな疑問が生まれ、真相ははっきりしないまま終わります。
◆「僕」は内面に「R」という架空の人格を創り出すことで、心のバランスを保ってきた過去があります。同じように、この作品の登場人物達も心に葛藤や暗部を抱えており、著者はそれらを描くことで人間の本質に迫ろうとしているのでしょう。
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