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芥川龍之介『地獄変・偸盗』を読みました。

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今日、芥川龍之介の短編小説集『地獄変・偸盗』を読み終えました。
この短編集には『羅生門・鼻』と同じく芥川の「王朝物」といわれる、平安時代に材料を得た歴史小説が6編収められています。

【収録作品】( )内は発表年時と発表機関
偸盗(ちゅうとう)(大正6年4・7月、『中央公論』)
 95ページもありますから、短編ではなく、中編小説といったところでしょう。また、作品中に登場する立本寺(りゅうほんじ)は、注解によると「元亨元年(1321)竜華樹院日像が開いた日蓮宗の寺」とあり、さらに都の荒廃ぶりからすると時代は応仁の乱(167-77)以後と考えられます。
 さて、内容ですが、沙金(しゃきん)という偸盗(盗賊)の女頭目をめぐる太郎・次郎兄弟の葛藤が描かれています。場面としては、偸盗一味が藤判官方の侍や狩犬と戦うシーンが圧巻です。ただ、兄弟の葛藤の決着はこれでいいのか? と感じました。

地獄変(大正7年5月、『大阪毎日』『東京日日』)
 以下、Wikipediaより。

 時は平安時代。絵仏師の良秀は高名な天下一の腕前として都で評判だったが、その一方で猿のように醜怪な容貌を持ち、恥知らずで高慢ちきな性格であった。そのうえ似顔絵を描かれると魂を抜かれる、彼の手による美女の絵が恨み言をこぼすなどと、怪しい噂にもこと欠かなかった。この良秀には娘がいた。親に似もつかないかわいらしい容貌とやさしい性格の持ち主で、当時権勢を誇っていた堀川の大殿に見初められ、女御として屋敷に上がった。娘を溺愛していた良秀はこれに不満で、事あるごとに娘を返すよう大殿に言上していたため、彼の才能を買っていた大殿の心象を悪くしていく。一方、良秀の娘も、大殿の心を受け入れない。
 そんなある時、良秀は大殿から「地獄変」の屏風絵を描くよう命じられる。話を受け入れた良秀だが、「実際に見たものしか描けない」彼は、地獄絵図を描くために弟子を鎖で縛り上げ、梟につつかせるなど、狂人さながらの行動をとる。こうして絵は8割がた出来上がったが、どうしても仕上がらない。燃え上がる牛車の中で焼け死ぬ女房の姿を書き加えたいが、どうしても描けない。つまり、実際に車の中で女が焼け死ぬ光景を見たい、と大殿に訴える。話を聞いた大殿は、その申し出を異様な笑みを浮かべつつ受け入れる。
 当日、都から離れた荒れ屋敷に呼び出された良秀は、車に閉じ込められたわが娘の姿を見せつけられる。しかし彼は嘆くでも怒るでもなく、陶酔しつつ事の成り行きを見守る。やがて車に火がかけられ、縛り上げられた娘は身もだえしつつ、纏った豪華な衣装とともに焼け焦がれていく。その姿を父である良秀は、驚きや悲しみを超越した、厳かな表情で眺めていた。娘の火刑を命じた殿すら、その恐ろしさ、絵師良秀の執念に圧倒され、青ざめるばかりであった。やがて良秀は見事な地獄変の屏風を描き終える。日ごろ彼を悪く言う者たちも、絵のできばえには舌を巻くばかりだった。絵を献上した数日後、良秀は部屋で縊死する。


(大正8年5月、『中央公論』)
 宇治の大納言隆国(源隆国、かつて『今昔物語』の編集者とされたが、現在は否定説が有力)の求めに応じ、陶器造の翁が語った話、という設定。
 昔、奈良に蔵人得業恵印という、「途方もなく鼻の大きい」法師がいたという。人々は彼に「鼻蔵(はなくら)」という渾名をつけ、笑いものにしていました。それに業を煮やした恵印は、ある日猿沢の池のほとりに『三月三日この池より竜昇らんずるなり』という嘘の建札を立てます。日頃から何かにつけて自分の鼻を笑いものにしてきた人々を、今度は自分が騙してさんざん笑い返してやろう、という魂胆でした。

往生絵巻(大正10年4月、『国粋』)

藪の中(大正11年1月、『新潮』)
 はじめに4人の証言。木樵りと旅法師、放免、媼の話を総合すると、昨日若狭の国府の侍金沢武弘が妻の真砂(まさご)とともに、多襄丸という盗人に襲われ、夫が殺されたという。
 次に、多襄丸と真砂、死霊となった武弘の証言。多襄丸は自分が殺したと言い、妻も自分が殺したと言います。そして、死霊となった夫は自害したと言います。真相はタイトルと同じ「藪の中」です。
 黒澤明監督の『羅生門』は、芥川龍之介の「藪の中」「羅生門」を原作に、橋本忍と黒澤が脚色し映画化しています。近いうちに、ぜひ見ようと思います。

六の宮の姫君(大正11年8月、『表現』)

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