今日、穂村弘の短歌エッセイ『僕の短歌ノート』(2015)を読み終えました。
この作品について、講談社BOOK倶楽部の解説を引用します。
この作品について、講談社BOOK倶楽部の解説を引用します。
人気歌人にして名エッセイストの著者が、近現代の短歌の中から意想外のテーマで名作・傑作を選びだし、眼からウロコの講評を加えていく。「コップとパックの歌」、「ゼムクリップの歌」、「賞味期限の歌」、「身も蓋もない歌」、「落ちているものの歌」、「間違いのある歌」、「ハイテンションな歌」「殺意の歌」……などなど著者ならではの鮮やかな視点と鋭い言語感覚で、一つの短歌から新たな世界を発見する、魅力に満ちた傑作短歌案内エッセイ。
以下、取り上げられた歌の中から気に入ったものを引用します。
あのこ紙パックジュースをストローの穴からストローなしで飲み干す(盛田志保子)
四百円の焼鮭弁当この賞味期限の内に死ぬんだ父は(藤原秀憲)
ゆるキャラのコバトンくんに戦(おのの)ける父よ 叩くな 中は人だぞ( 〃 )
※コバトンくん:埼玉の県鳥シラコバトをモチーフにしたマスコットキャラクター
父のなかの小さき父が一人づつ行方不明になる深い秋(小島ゆかり)
パステルカラーのゼムクリップでぼくたちをファイルしてしまえればいいのに(正岡 豊)
海視てもきみを想わず一握のゼムクリップにきみを想えり(大滝和子)
年下も外国人も知らないでこのまま朽ちてゆくのか、からだ(岡崎裕美子)
夕闇の桜花の記憶と重なりてはじめて聴きし日の君が血のおと(河野裕子)
ゆふべぬるき水に唇まで浸りゐて性欲とは夏の黄の花のやうなもの( 〃 )
体などくれてやるから君の持つ愛と名の付く全てをよこせ(岡崎裕美子)
やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君(与謝野晶子)
その子二十櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな( 〃 )
春みじかし何に不滅の命ぞとちからある乳を手にさぐらせぬ( 〃 )
したあとの朝日はだるい 自転車に撤去予告の赤紙は揺れ(岡崎裕美子)
もちあげたりもどされたりするふとものがみえる
せんぷうき
強でまわってる(今橋 愛)
脱がしかた不明な服を着るなってよく言われるよ 私はパズル(古賀たかえ)
銀杏(ぎんなん)が傘にぼとぼと降つてきて夜道なり夜道なりどこまでも夜道(小池 光)
円柱の下ゆく僧侶まだ若くこれより先きいろいろの事があるらむ(斎藤茂吉)
うつくしきをとめの顔がわが顔の十数倍になりて映りぬ( 〃 )
天正十年六月二日けぶれるは信長が薔薇色のくるぶし(塚本邦雄)
売りにゆく柱時計がふいに鳴る横抱きにして枯野ゆくとき(寺山修司)
「紋付の紋が背中を翔(た)ちあがり蝶となりゆく姉の初七日」( 〃 )
オルガスムスに達するきみが数知れぬヴィデオ画面にゆらめける夜夜(大塚寅彦)
たぶんゆめのレプリカだから水滴のいっぱいついた刺草(いらくさ)を抱く(加藤治郎)
とりにくのような せっけん使ってる
わたしのくらしは えいがに ならない(今橋 愛)
「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日(俵 万智)
一千九百八十四年十二月二十四日のよゐのゆきかな(紀野 恵)
二人してかたくつないで歩く手も離さねばならぬ別れる時は(中村清女)
たくさんのおんなのひとがいるなかで
わたしをみつけてくれてありがとう(今橋 愛)
ポストまであゆみきたりて見直せば手紙の宛名いかにも恋し(筏井嘉一)
動きそむる汽車の窓よりわれを見し涙とび出さんばかりの眼なりき( 〃 )
まつちや入りかすていら切り分けようぞ つつぷしてゐるこころを(東 直子)
夕光(ゆふかげ)のなかにまぶしく花みちてしだれ桜は輝(かがやき)を垂る(佐藤佐太郎)
歩くこと歩けることが大切な一日なりし病院より帰る(河野裕子)
すべての今にイエスを告げて水仙の葉のようなその髪のあかるさ(加藤治郎)
荒川の水門に来て見ゆるもの聞こゆるものを吾は楽しむ(斎藤茂吉)
暁(あかつき)の薄明(はくめい)に死をおもふことあり除外例なき死といへるもの( 〃 )
現実を逃避したとて現実を逃避しているという現実(松本 秀)
バスを降りし人ら夜霧のなかを去る一人一人に切りはなされて(大西民子)
美しき断崖として仰ぎゐつ灯をちりばめしビルの側面( 〃 )
妻を得てユトレヒトに今は住むといふユトレヒトにも雨降るらむか( 〃 )
靴靴靴おんなじ靴ってないもんだ今この時間このホーム上に(杉本葉子)
廃品を集めてめぐる軽トラはわたしの前でゆっくり止まる(鈴木美紀子)
眉間に蜂迫りきて背ける目は見たり「蜂に注意」といふ看板を(花山多佳子)
「賞味期限は別途記載」されているはずの別途はついに分からず(東 直子)
最後だし「う」まできちんと発音するね ありがとう さようなら(ゆず)
永遠に忘れてしまう一日にレモン石鹼泡立てている(東 直子)
するだろう ぼくをすてたるものがたりマシュマロくちにほおばりながら(村木道彦)
やまのこのはこぞうというだいめいはひらがなすぎてわからなかった(やすたけまり)
祖父なんばん 祖母トンガラシ 父七味 母鷹の爪 兄辛いやつ(踝踵)
ソフトクリームの上半身が落ちている道 君は今どうしてる?(つきの)
173cm51kgの男憎めば星の匂いよ(山咲キョウコ)
『潮騒』のページナンバーいずれかが我の死の年あらわしており(大滝和子)
きみに逢う以前のぼくに遭いたくて海へのバスに揺られていたり(永田和宏)
通用門いでて岡井隆氏がおもむろにわれにもどる身ぶるひ(岡井 隆)
野口あや子。あだ名「極道」ハンカチを口に咥えて手を洗いたり(野口あや子)
祖父・父・我・我・息子・孫、唱うれば「我」という語の思わぬ軽さ(佐佐木幸綱)
約束を残したまま終わっていくような別れがいいな、月光(杉田菜穂)
鎌倉や御仏なれど釈迦牟尼は美男におはす夏木立かな(与謝野晶子)
※鎌倉大仏は阿弥陀如来で、釈迦牟尼ではない。
間違って降りてしまった駅だから改札できみが待ってる気がする(鈴木美紀子)
たちまちに君の姿を霧とざし或る楽章をわれは思ひき(近藤芳美)
省線の音消え去りて夜のしじまもどりきしときくちづくるかな(岩田 正)
一度だけ本当の恋がありまして南天の実が知っております(山崎方代)
いくさ畢り月の夜にふと還り来し夫を思へばまぼろしのごとし(森岡貞香)
ベツドの上にひとときパラソルを拡げつつ癒ゆる日あれな唯一人の(河野愛子)
わが湯呑ためらはず手に取りのみし或る夜の君を今憎むなり(相良 宏)
灼きつくす口づけさへも目をあけてうけたる我をかなしみ給へ(中城ふみ子)
いま死んでもいいと思える夜ありて異常に白き終電に乗る(錦見映理子)
朧月ほしいままなるくちづけの邪魔をするのはわたしの髪のみ(西澤孝子)
君が肩に堅く出てゐる骨のこと君にしかなき骨と思へり( 〃 )
夏はきぬ相模の海の南風(なんぷう)にわが瞳燃ゆわがこころ燃ゆ(吉井 勇)
接吻(くちづ)くるわれらがまへに涯(はて)もなう海ひらけたり神よいづこに(若山牧水)
桜ばないのち一ぱいに咲くからに生命(いのち)をかけてわが眺めたり(岡本かの子)
おつとせい氷に眠るさいはひを我も今知るおもしろきかな(山川登美子)
どんよりと
くもれる空を見てゐしに
人を殺したくなりにけるかね(石川啄木)
殺すぞ!
と云へばどうぞとほゝゑみぬ
其時フツと殺す気になりぬ(夢野久作)
この夫人をくびり殺して
捕はれてみたし
と思ふ応接間かな( 〃 )
殺したいやつがいるのでしばらくは目標のある人生である(枡野浩一)
あのこ紙パックジュースをストローの穴からストローなしで飲み干す(盛田志保子)
四百円の焼鮭弁当この賞味期限の内に死ぬんだ父は(藤原秀憲)
ゆるキャラのコバトンくんに戦(おのの)ける父よ 叩くな 中は人だぞ( 〃 )
※コバトンくん:埼玉の県鳥シラコバトをモチーフにしたマスコットキャラクター
父のなかの小さき父が一人づつ行方不明になる深い秋(小島ゆかり)
パステルカラーのゼムクリップでぼくたちをファイルしてしまえればいいのに(正岡 豊)
海視てもきみを想わず一握のゼムクリップにきみを想えり(大滝和子)
年下も外国人も知らないでこのまま朽ちてゆくのか、からだ(岡崎裕美子)
夕闇の桜花の記憶と重なりてはじめて聴きし日の君が血のおと(河野裕子)
ゆふべぬるき水に唇まで浸りゐて性欲とは夏の黄の花のやうなもの( 〃 )
体などくれてやるから君の持つ愛と名の付く全てをよこせ(岡崎裕美子)
やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君(与謝野晶子)
その子二十櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな( 〃 )
春みじかし何に不滅の命ぞとちからある乳を手にさぐらせぬ( 〃 )
したあとの朝日はだるい 自転車に撤去予告の赤紙は揺れ(岡崎裕美子)
もちあげたりもどされたりするふとものがみえる
せんぷうき
強でまわってる(今橋 愛)
脱がしかた不明な服を着るなってよく言われるよ 私はパズル(古賀たかえ)
銀杏(ぎんなん)が傘にぼとぼと降つてきて夜道なり夜道なりどこまでも夜道(小池 光)
円柱の下ゆく僧侶まだ若くこれより先きいろいろの事があるらむ(斎藤茂吉)
うつくしきをとめの顔がわが顔の十数倍になりて映りぬ( 〃 )
天正十年六月二日けぶれるは信長が薔薇色のくるぶし(塚本邦雄)
売りにゆく柱時計がふいに鳴る横抱きにして枯野ゆくとき(寺山修司)
「紋付の紋が背中を翔(た)ちあがり蝶となりゆく姉の初七日」( 〃 )
オルガスムスに達するきみが数知れぬヴィデオ画面にゆらめける夜夜(大塚寅彦)
たぶんゆめのレプリカだから水滴のいっぱいついた刺草(いらくさ)を抱く(加藤治郎)
とりにくのような せっけん使ってる
わたしのくらしは えいがに ならない(今橋 愛)
「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日(俵 万智)
一千九百八十四年十二月二十四日のよゐのゆきかな(紀野 恵)
二人してかたくつないで歩く手も離さねばならぬ別れる時は(中村清女)
たくさんのおんなのひとがいるなかで
わたしをみつけてくれてありがとう(今橋 愛)
ポストまであゆみきたりて見直せば手紙の宛名いかにも恋し(筏井嘉一)
動きそむる汽車の窓よりわれを見し涙とび出さんばかりの眼なりき( 〃 )
まつちや入りかすていら切り分けようぞ つつぷしてゐるこころを(東 直子)
夕光(ゆふかげ)のなかにまぶしく花みちてしだれ桜は輝(かがやき)を垂る(佐藤佐太郎)
歩くこと歩けることが大切な一日なりし病院より帰る(河野裕子)
すべての今にイエスを告げて水仙の葉のようなその髪のあかるさ(加藤治郎)
荒川の水門に来て見ゆるもの聞こゆるものを吾は楽しむ(斎藤茂吉)
暁(あかつき)の薄明(はくめい)に死をおもふことあり除外例なき死といへるもの( 〃 )
現実を逃避したとて現実を逃避しているという現実(松本 秀)
バスを降りし人ら夜霧のなかを去る一人一人に切りはなされて(大西民子)
美しき断崖として仰ぎゐつ灯をちりばめしビルの側面( 〃 )
妻を得てユトレヒトに今は住むといふユトレヒトにも雨降るらむか( 〃 )
靴靴靴おんなじ靴ってないもんだ今この時間このホーム上に(杉本葉子)
廃品を集めてめぐる軽トラはわたしの前でゆっくり止まる(鈴木美紀子)
眉間に蜂迫りきて背ける目は見たり「蜂に注意」といふ看板を(花山多佳子)
「賞味期限は別途記載」されているはずの別途はついに分からず(東 直子)
最後だし「う」まできちんと発音するね ありがとう さようなら(ゆず)
永遠に忘れてしまう一日にレモン石鹼泡立てている(東 直子)
するだろう ぼくをすてたるものがたりマシュマロくちにほおばりながら(村木道彦)
やまのこのはこぞうというだいめいはひらがなすぎてわからなかった(やすたけまり)
祖父なんばん 祖母トンガラシ 父七味 母鷹の爪 兄辛いやつ(踝踵)
ソフトクリームの上半身が落ちている道 君は今どうしてる?(つきの)
173cm51kgの男憎めば星の匂いよ(山咲キョウコ)
『潮騒』のページナンバーいずれかが我の死の年あらわしており(大滝和子)
きみに逢う以前のぼくに遭いたくて海へのバスに揺られていたり(永田和宏)
通用門いでて岡井隆氏がおもむろにわれにもどる身ぶるひ(岡井 隆)
野口あや子。あだ名「極道」ハンカチを口に咥えて手を洗いたり(野口あや子)
祖父・父・我・我・息子・孫、唱うれば「我」という語の思わぬ軽さ(佐佐木幸綱)
約束を残したまま終わっていくような別れがいいな、月光(杉田菜穂)
鎌倉や御仏なれど釈迦牟尼は美男におはす夏木立かな(与謝野晶子)
※鎌倉大仏は阿弥陀如来で、釈迦牟尼ではない。
間違って降りてしまった駅だから改札できみが待ってる気がする(鈴木美紀子)
たちまちに君の姿を霧とざし或る楽章をわれは思ひき(近藤芳美)
省線の音消え去りて夜のしじまもどりきしときくちづくるかな(岩田 正)
一度だけ本当の恋がありまして南天の実が知っております(山崎方代)
いくさ畢り月の夜にふと還り来し夫を思へばまぼろしのごとし(森岡貞香)
ベツドの上にひとときパラソルを拡げつつ癒ゆる日あれな唯一人の(河野愛子)
わが湯呑ためらはず手に取りのみし或る夜の君を今憎むなり(相良 宏)
灼きつくす口づけさへも目をあけてうけたる我をかなしみ給へ(中城ふみ子)
いま死んでもいいと思える夜ありて異常に白き終電に乗る(錦見映理子)
朧月ほしいままなるくちづけの邪魔をするのはわたしの髪のみ(西澤孝子)
君が肩に堅く出てゐる骨のこと君にしかなき骨と思へり( 〃 )
夏はきぬ相模の海の南風(なんぷう)にわが瞳燃ゆわがこころ燃ゆ(吉井 勇)
接吻(くちづ)くるわれらがまへに涯(はて)もなう海ひらけたり神よいづこに(若山牧水)
桜ばないのち一ぱいに咲くからに生命(いのち)をかけてわが眺めたり(岡本かの子)
おつとせい氷に眠るさいはひを我も今知るおもしろきかな(山川登美子)
どんよりと
くもれる空を見てゐしに
人を殺したくなりにけるかね(石川啄木)
殺すぞ!
と云へばどうぞとほゝゑみぬ
其時フツと殺す気になりぬ(夢野久作)
この夫人をくびり殺して
捕はれてみたし
と思ふ応接間かな( 〃 )
殺したいやつがいるのでしばらくは目標のある人生である(枡野浩一)