今日、穂村弘の第一歌集『シンジケート』(1990)を読み終えました。
高橋源一郎はこの歌集を評し、「俵万智が三百万部売れたのなら、この歌集は三億冊売れてもおかしくないのに」と言ったそうです(Wikipediaより)。三億冊はオーバーだとしても、俵万智の『サラダ記念日』と同等に扱われて然るべき優れた歌集だと思います。
かなり難解ですが、読み進むうちに、彼独特の世界観に心地よさを覚えるようになりました。以下、一読して気になった歌を引用します。
高橋源一郎はこの歌集を評し、「俵万智が三百万部売れたのなら、この歌集は三億冊売れてもおかしくないのに」と言ったそうです(Wikipediaより)。三億冊はオーバーだとしても、俵万智の『サラダ記念日』と同等に扱われて然るべき優れた歌集だと思います。
かなり難解ですが、読み進むうちに、彼独特の世界観に心地よさを覚えるようになりました。以下、一読して気になった歌を引用します。
「シンジケート」より(全首)
風の夜初めて火をみる猫の目の君がかぶりを振る十二月
停止中のエスカレーター降りるたび声たててふたり笑う一月
九官鳥しゃべらぬ朝にダイレクトメール凍って届く二月
フーガさえぎってうしろより抱けば黒鍵に指紋光る三月
郵便配達夫(メイルマン)の髪整えるくし使いドアのレンズにふくらむ四月
「あなたがたの心はとても邪悪です」と牧師の瞳も素敵な五月
泣きながら試験管振れば紫の水透明に変わる六月
限りなく音よ狂えと朝凪の光に音叉投げる七月
プードルの首根っ子押さえてトリミング種痘の痕なき肩よ八月
置き去りにされた眼鏡が砂浜で光の束をみている九月
錆びてゆく廃車の山のミラーたちいっせいに空映せ十月
水薬の表面張力ゆれやまず空に電線鳴る十一月
ゼロックスの光にふたり染まりおり降誕うたうキャロルの楽譜
舞う雪はアスピリンのごと落丁本抱えしままにくちづけ
編んだ服着せられた犬に祝福を 雪の聖夜を転がるふたり
体温計くわえて窓に額つけ「ゆひら」とさわぐ雪のことかよ
子供よりシンジケートをつくろうよ「壁に向かって手をあげなさい」
ウエディングヴェール剥ぐ朝静電気よ一円硬貨色の空に散れ
モーニングコールの中に臆病のひとことありき洗礼の朝
パイプオルガンのキイに身を伏せる朝 空うめる鳩われて曇天
抱き寄せる腕に背きて月光の中に丸まる水銀のごと
「猫投げるくらいがなによ本気だして怒りゃハミガキしぼりきるわよ」
「とりかえしのつかないことがしたいね」と毛糸を玉に巻きつつ笑う
「キバ」「キバ」とふたり八重歯をむき出せば花降りかかる髪に背中に
クロスワードパズルの穴をぶどう酒係(ソムリエ)に尋ねし君は水瓶のB
新品の目覚めふたりで手に入れる ミー ターザン ユー ジェーン
馬鹿な告白のかわりにみずぎわでゴーグルの中の水をはらえり
悪口をいいあう やねにトランクに雲を映した車はさんで
「殺し屋ァ」と声援が降る五つめのファールとられて仰ぐ空から
パーキングメーターに腰かけて夜に髪とき放つ 降れキューティクル
「みえるものが真実なのよ黄緑の鳩を時計が吐きだす夜も」
ケーキ食べ終えたフォークに銀紙を巻きつつ語るクーリエ理論
洗い髪に顔をうずめた夜明け前連続放火告げるサイレン
水滴のしたたる音にくちびるを探れば囓じるおきているのか
乾燥機のドラムの中に共用のシャツ回る音聞きつつ眠る
卵大のムースを俺の髪に塗りながら「分け合うなんてできない」
水滴のひとつひとつが月の檻レインコートの肩を抱けば
「酔ってるの?あたしが誰かわかってる?」「ブーフーウーのウーじゃないかな」
マネキンのポーズ動かすつかのまに姿うしなう昼の三日月
台風の来るを喜ぶ不精髭小便のみが色濃く熱し
夕闇の受話器受け(クレイドル)ふいに歯のごとし人差し指をしずかに置けば
君がまぶたけいれんせりと告げる時谷の紅葉最も深し
許せない自分に気づく手に受けたリキッドソープのうすみどりみて
バラの棘折りつつ告げる偽りの時刻信じて眠り続けろ
ゼラチンの菓子をすくえばいま満ちる雨の匂いに包まれてひとり
その首の細さを憎む離れては黒鍵のみをはしる左手
孵るものなしと知ってもほおずきの混沌(カオス)を揉めば暗き海鳴り
ワイパーをグニュグニュに折り曲げたればグニュグニュのまま動くワイパー
ぶら下がる受話器に向けてぶちまけたげろの内容叫び続ける
ブランコもジャングルジムもシーソーもペンキ塗りたて砂場にお城
雲のかたちをいえないままにきいている球場整備員の口笛
まなざしも言葉も溶けた闇のなかはずれし受話器高く鳴り出す
「こわれもの」より
春雷よ 「自分で脱ぐ」とふりかぶるシャツの内なる腕の十字
飛行機の翼の上で踊ったら目がつぶれそう真夜中の虹
卵産む海亀の背に飛び乗って手榴弾のピン抜けば朝焼け
「瞬間最大宝石」より
抱きしめれば 水の中のガラスの中の気泡の中の熱い風
春雪よ恋の互換性想いつつあがないしばら色の耳栓
フェンシングの面(マスク)抱きて風殺すより美しく「嘘だけど好き」
「犬」より
ほんとうにおれのもんかよ冷蔵庫の卵置き場に落ちる涙は
生まれたてのミルクの膜に祝福の砂糖を 弱い奴は悪い奴
ハーブティーにハーブ煮えつつ春の夜の嘘つきはどらえもんのはじまり
サバンナの象のうんこよ聞いてくれだるいせつないこわいさみしい
「前世は鹿です」なんて嘘をためらわぬおまえと踊ってみたい
愚かなかみなりみたいに愛してやるよジンジャエールに痺れた舌で
「星は朝ねむる」より
彗星をつかんだからさマネキンが左手首を失くした理由は
ばらまいてしまった砂糖は火の匂い 善は急げ 悪はもっと急げ
だけどわかっていたらできないことがある火の揺りかごに目醒める硝子
「馬鹿の証拠」より
花びらに洗われながら泣いている人にはトローチの口移し
ながいこわい夢を洗い流してくれO2ケアより優しい声で
「さかさまに電池を入れられた玩具(おもちゃ)の汽車みたいにおとなしいのね」
春を病み笛で呼びだす金色のマグマ大使に「葛湯つくって」
闇の中でベープマットを替えながら「心が最初にだめになるから」
人はこんなに途方に暮れてよいものだろうか シャンパン色の熊
鳥の雛とべないほどの風の朝 泣くのは馬鹿だからにちがいない
「チェシャ・キャッツ・バトル・ロイヤル」より
「耳で飛ぶ象がほんとにいるのならおそろしいよねそいつのうんこ」
「おじさん人形(カーネル・サンダース)相手にどもっているようじゃパパにはとても会わせられない」
「クローバーが摘まれるように眠りかけたときにどこかがピクッとしない?」
「自転車のサドルを高く上げるのが夏をむかえる準備のすべて」
「積乱」より
罪の定義は任せるよセメダインの香に包まれし模型帆船
恋のいたみの先触れははつなつのバナナ折りとる響きのなかに
自転車の車輪にまわる黄のテニスボール 初恋以前の夏よ
夏の終わりに恐ろしき誓いありキューピーマヨネーズのふたの赤
海にゆく約束ついに破られてミルクで廊下を磨く修道女(シスター)
積乱と呼ばれし雲よ 錆色のくさり離してブランコに立つ
「目をみちゃだめ」より
前夜(イヴ)のための前戯か頬をうちあえばあかあかと唐がらしの花環(リース)
真夜中の大観覧車にめざめればいましも月にせまる頂点
「フルエアロ」より
パレットの穴から出てる親指に触りたいのと風の岸辺で
試合開始のコール忘れて審判は風の匂いにめをとじたまま
噴水に腰かけて語るライオンの世界におけるレディ・ファースト
「天津甘栗」より
秋になれば秋が好きよと爪先でしずかにト音記号を描く
秋の始まりは動物病院の看護婦(ナース)とグレートデンのくちづけ
「メイプルリーフ金貨を嚙んでみたいの」と井辻朱美は瞳を閉じて
ベーカリーのパンばさみ鳴れ真実の恋はすなわち質より量と
空の高さを想うとき恋人よハイル・ヒトラーのハイルって何?
桟橋で愛し合ってもかまわないがんこな汚れにザブがあるから
回るオルゴールの棘に触れながら笑うおまえの躰がめあて
甘栗の匂いにふたり包まれてゆく場外馬券売場まで
くちうつしのホールズ光る地下鉄の十色使いの路線図の前
眠れない夜はバケツ持ってオレンジのブルドーザーを洗いにゆこう
何ひとつ、何ひとつ学ばなかったおまえに遙かな象のシャワーを
手をつなぎ眠る風の夜卓上に十徳ナイフの刃はひらかれて
雨の中でシーソーに乗ろう把手まであおく塗られたあのシーソーに
嘘をつきとおしたままでねむる夜は鳥のかたちのろうそくに火を
「まだ好き?」とふいに尋ねる滑り台につもった雪の色をみつめて
ジョン・ライドンに敬礼を 小便小僧のひたいに角(つの)生れし朝
「冬の歌」より
朝の陽にまみれてみえなくなりそうなおまえを足で起こす日曜
「許さない」と瞳(め)が笑ってるその前にゆれながら運ばれてくるゼリー
シャボン玉鼻でこわして俺以外みんな馬鹿だと思う水曜
雨の最初のひとつぶを贈る起きぬけは声が全然でないおまえに
終バスにふたりは眠る紫の<降りますランプ>に取り囲まれて
かぶりを振ってただ泣くばかり船よりも海をみたがる子供のように
薬指くわえて手袋脱ぎ捨てん傷つくことも愚かさのうち
「芸をしない熊にもあげる」と手の甲に静かにのせられた角砂糖
受話器とってそのまま落とす髪の毛もインクボトルも凍る夜明け前
翔び去りし者は忘れよぼたん雪ふりつむなかに睡れる孔雀
あかるくてさみしい朝の鳥かごにガラス細工のぶらんこ吊す
「たぶんエリーゼのために」より
手はつながずにみるはるのゆきのなか今日で最後のアシカの芸を
声がでないおまえのためにミニチュアの救急車が運ぶ浅田あめ
花の名の気象衛星めぐる夜のきれいで恥知らずな獣たち
エイプリルフールには許されるものありき セロリで組みたてし馬
「鮫はオルガンの音が好きなの知っていた?」五時間泣いた後におまえは
曇天の朝のくちづけ ナフタリンで走る玩具のボートの行方
イースターの卵をみせるニットから頭がでないともがくおまえに
雨上がりチンチン電車に巣をかけたつばめが僕らの空を横切る
新緑のなかで抱きあう覆面の馬が圧勝した草競馬
「靴ひもの結び方まで嫌いよ」と大きな熊の星座の下で
オリオンの上半身が沈む頃パジャマの帽子で拭く写真立て
「スイマー」より
頭から袋かぶせてきめちまえ オイルサーディンとモンキーレンチ
査定0の車に乗って海へゆく誘拐犯と少女のように
飛びすぎたウインドウォッシャーやねに降る季節すべては心のままに
夏みかん賭けた競泳(レース)は放射状にひびの入ったゴーグルかけて
抱きたいといえば笑うかはつなつの光に洗われるラムネ玉
「海にでも沈めなさいよそんなもの魚がお家にすればいいのよ」
まっ青な蛸が欲しくてシュノーケル咬めば泡・泡・泡に抱かれる
ゴムボートの空気を抜けばオレンジを手にしたままの君の潜水
砂の城なみうちぎわにたてられてさらわれてゆく門番ふたり