小島なおの第一歌集『乱反射』(07)を読みました。
この歌集について、「あとがき」から一部引用します。
この歌集について、「あとがき」から一部引用します。
わたしの初めての歌集です。
十七歳から二十歳までの作品二七四首を収めました。歌のこともこれからの自分のこともわからなくて、とても不安ですが、十代の自分の心を歌集として残しておきたいと思いました。それは、孤独や不安というよりも、むしろ、自分が生きている世界のぼんやりとしたあたたかさや、同じ時間を生きているものたちの不思議な親しさ、懐かしさといったらいいでしょうか。言葉ではうまくいえませんが、今はそういうものが大切に思われます。
十七歳から二十歳までの作品二七四首を収めました。歌のこともこれからの自分のこともわからなくて、とても不安ですが、十代の自分の心を歌集として残しておきたいと思いました。それは、孤独や不安というよりも、むしろ、自分が生きている世界のぼんやりとしたあたたかさや、同じ時間を生きているものたちの不思議な親しさ、懐かしさといったらいいでしょうか。言葉ではうまくいえませんが、今はそういうものが大切に思われます。
以下、一読して気になった歌を引用します。
東京の空にぎんいろ飛行船 十七歳の夏が近づく
中間試験の自習時間の窓の外流れる雲あり流れぬ雲あり
講堂の渡り廊下に藤棚のこもれび揺れて午後がはじっまる
黒髪を後ろで一つに束ねたるうなじのごとし今日の三日月
霧雨のあたたかく降る夜ふけてわたしの体かぐわしくなる
制服のわれの頭上に白雲は吹きあがりおり渋谷の空を
特急の電車ぐわんとすぎるとき頭の中でワニが口開(あ)く
公園の電灯強き土の上花火のあとを甲虫這う
ベランダに風呂桶置いてめだか飼い知らないうちにいなくなった夏
講堂よりオルガンの音もれるとき秋はゆたかな深呼吸する
黄金虫あきのひかりをつややかな背中にあつめ草にしずみぬ
ぼんやりと季節濃くなり傘がいるようないらないような雨の日
建物の隙間に見える夜の空わたしのからだ垂直に飛ぶ
みずたまりに近づくたびに携帯電話(けいたい)のストラップの鈴ひびいていたり
木の枝をテニスラケットで揺らしては雫を落とす体育のあと
カーテンを通して入る十月の陽は風景を遠くしてゆく
西日強く君の首すじ照らすころ青山通り歩いて帰る
やきそばを二人で食べた十月の上野公園ひるの三日月
飲食店のうらを通れば紺色のセーターに沁みるけむりのにおい
まひるまの熱をゆらりと残しつつ秋のゆうべは水の気配す
木もわれも影ながくながく伸びるとき 細いまつげが映える夕焼け
なつかしい場所のようなる図書館へサマセット・モーム借りにゆく夕
みあげれば空いちめんのうろこ雲 秋は巨大な魚となりぬ
金木犀のにおいを浴びてのぼりゆく坂の上にははるかなる君
鏡には十八歳のわれがいてわれは自分の脚ばかり見る
思い出はいつでも同じ風景でうさぎ小屋にはキャベツの匂い
おはじきをなめる子供は無表情 硝子の味はすごくさびしい
暗闇に椅子置かれあり一脚の椅子であるという自意識もちて
夏空へ黙って階段のぼりゆく逆光まぶしくきみが見えない
つつじの花見ればなつかし 陽のにおい われは重たきカメラとなりぬ
水鳥園閉まった柵からのぞきみる昼より美しい夜の白鳥
パイナップル食べ終えた後のまぶしさよまあるい皿に五月のひかり
書きかけてやめた手紙を想うとき切手の中の砂丘をあるく
ねがえりをうつたび耳は柔らかしとおくに聞こえる合唱の声
観覧車の向こうの夕焼けみつめている君の髪を吹く七月の風
さみしくて貝のような息をして 瞼に君を閉じ込めてしまおう
右足で左足を砂に埋めている。まだ少しさむい海にきている。
夏の曲口ずさみながら思い出す同じ映画を三度見た夏
はち植えの観葉植物かかえつつ深く眠れる地下鉄の人
空色のジーンズはいてとおり過ぐゆきやなぎの花群れ咲くそばを
言いかけたことばやっぱり言わなくていい、どしゃぶりの音がしている
最終の電車は不思議な匂いしてたとえば梅雨どきすぎた紫陽花
鮮やかな黄色日差しを照りかえしそれゆえ孤独 ゆらりひまわり
ひとりみた夕焼けきれいすぎたから今日はメールを見ないで眠る
髪の毛をしきり気にするきみの背の高くて向こうの空が見えない
『ノルウェイの森』読み終えていま家にいるのがわたしだけでよかった
十代にもどることはもうできないがもどらなくていい 濃い夏の影
地下鉄に眠る少女の黒髪に陽のにおいして八月終わる
うつぶせにねむればきみの夢をみる夢でもきみはとおくをみてる
後頭部を午後のひかりに照らされて温水プールにひとり泳げり
もうあまり会わなくなったきみの傘も濡らしてますか今日の夕立
季節すぐ移り変わって冷蔵庫ひらけば深い静寂がある
坂道をのぼる間の沈黙に相手を深く想う夕暮れ
大学の廊下ひとりで歩きつつ自意識が強くなってゆきたり
吐く息が白いかどうか確かめているうちにきみをまた思い出す
椿の葉陽を照りかえし照りかえしあまりに遠し死ぬということ
カン・ビンのごみを抱えてみあげれば今宵の月は船のようです
また爪の半月ほどの後悔をしてゆくだろうきっと明日も
予定のない日曜の朝はけだるくて日差しの溜まるソファーにすわる
ぶらんこのゆれいるような春くれば窓という窓きらきらとする
タクシーの車体をぐんぐん流れてく五月の空と雲とその影
陽炎のようにあじさい揺らめいて今日の夕日はゆっくり沈む
思い出す人あることの幸せは外側だけが減りゆく靴底
まだ知らぬ世界があってただ今はわれのからだに夏満ち満ちる
合唱の声とおくから聞こえつつ百葉箱に降る夏の雨
金木犀雨にぬれいてやわらかし何度も何度も見たこの景色
ほしいものがありすぎて少しあきらめて落ちてる柿の数を数える
樹の影もわたしの影もながくなり小さなことで泣けてくる秋
すっぽりとタートルネックを着たわれはきみに気づかぬふりをしている
たくさんの人がたくさんのお願いをしている真上 大きなる月
この部屋に差しこむ冬陽くらくらといるはずの猫みつからない午後
お互いをまだ少ししか知らなくてきみとわたしを照らす太陽
変わりゆくいまを愛せばブラウスの袖から袖へ抜けるなつかぜ
低音でゆっくり話すきみの声アルペジオのように夏が昏れゆく
ゆらゆらとくらげふえゆくこの夏もビニール傘はなくなっている
関東に台風近づく朝八時友とふたりで黙ってあるく
東京の空にぎんいろ飛行船 十七歳の夏が近づく
中間試験の自習時間の窓の外流れる雲あり流れぬ雲あり
講堂の渡り廊下に藤棚のこもれび揺れて午後がはじっまる
黒髪を後ろで一つに束ねたるうなじのごとし今日の三日月
霧雨のあたたかく降る夜ふけてわたしの体かぐわしくなる
制服のわれの頭上に白雲は吹きあがりおり渋谷の空を
特急の電車ぐわんとすぎるとき頭の中でワニが口開(あ)く
公園の電灯強き土の上花火のあとを甲虫這う
ベランダに風呂桶置いてめだか飼い知らないうちにいなくなった夏
講堂よりオルガンの音もれるとき秋はゆたかな深呼吸する
黄金虫あきのひかりをつややかな背中にあつめ草にしずみぬ
ぼんやりと季節濃くなり傘がいるようないらないような雨の日
建物の隙間に見える夜の空わたしのからだ垂直に飛ぶ
みずたまりに近づくたびに携帯電話(けいたい)のストラップの鈴ひびいていたり
木の枝をテニスラケットで揺らしては雫を落とす体育のあと
カーテンを通して入る十月の陽は風景を遠くしてゆく
西日強く君の首すじ照らすころ青山通り歩いて帰る
やきそばを二人で食べた十月の上野公園ひるの三日月
飲食店のうらを通れば紺色のセーターに沁みるけむりのにおい
まひるまの熱をゆらりと残しつつ秋のゆうべは水の気配す
木もわれも影ながくながく伸びるとき 細いまつげが映える夕焼け
なつかしい場所のようなる図書館へサマセット・モーム借りにゆく夕
みあげれば空いちめんのうろこ雲 秋は巨大な魚となりぬ
金木犀のにおいを浴びてのぼりゆく坂の上にははるかなる君
鏡には十八歳のわれがいてわれは自分の脚ばかり見る
思い出はいつでも同じ風景でうさぎ小屋にはキャベツの匂い
おはじきをなめる子供は無表情 硝子の味はすごくさびしい
暗闇に椅子置かれあり一脚の椅子であるという自意識もちて
夏空へ黙って階段のぼりゆく逆光まぶしくきみが見えない
つつじの花見ればなつかし 陽のにおい われは重たきカメラとなりぬ
水鳥園閉まった柵からのぞきみる昼より美しい夜の白鳥
パイナップル食べ終えた後のまぶしさよまあるい皿に五月のひかり
書きかけてやめた手紙を想うとき切手の中の砂丘をあるく
ねがえりをうつたび耳は柔らかしとおくに聞こえる合唱の声
観覧車の向こうの夕焼けみつめている君の髪を吹く七月の風
さみしくて貝のような息をして 瞼に君を閉じ込めてしまおう
右足で左足を砂に埋めている。まだ少しさむい海にきている。
夏の曲口ずさみながら思い出す同じ映画を三度見た夏
はち植えの観葉植物かかえつつ深く眠れる地下鉄の人
空色のジーンズはいてとおり過ぐゆきやなぎの花群れ咲くそばを
言いかけたことばやっぱり言わなくていい、どしゃぶりの音がしている
最終の電車は不思議な匂いしてたとえば梅雨どきすぎた紫陽花
鮮やかな黄色日差しを照りかえしそれゆえ孤独 ゆらりひまわり
ひとりみた夕焼けきれいすぎたから今日はメールを見ないで眠る
髪の毛をしきり気にするきみの背の高くて向こうの空が見えない
『ノルウェイの森』読み終えていま家にいるのがわたしだけでよかった
十代にもどることはもうできないがもどらなくていい 濃い夏の影
地下鉄に眠る少女の黒髪に陽のにおいして八月終わる
うつぶせにねむればきみの夢をみる夢でもきみはとおくをみてる
後頭部を午後のひかりに照らされて温水プールにひとり泳げり
もうあまり会わなくなったきみの傘も濡らしてますか今日の夕立
季節すぐ移り変わって冷蔵庫ひらけば深い静寂がある
坂道をのぼる間の沈黙に相手を深く想う夕暮れ
大学の廊下ひとりで歩きつつ自意識が強くなってゆきたり
吐く息が白いかどうか確かめているうちにきみをまた思い出す
椿の葉陽を照りかえし照りかえしあまりに遠し死ぬということ
カン・ビンのごみを抱えてみあげれば今宵の月は船のようです
また爪の半月ほどの後悔をしてゆくだろうきっと明日も
予定のない日曜の朝はけだるくて日差しの溜まるソファーにすわる
ぶらんこのゆれいるような春くれば窓という窓きらきらとする
タクシーの車体をぐんぐん流れてく五月の空と雲とその影
陽炎のようにあじさい揺らめいて今日の夕日はゆっくり沈む
思い出す人あることの幸せは外側だけが減りゆく靴底
まだ知らぬ世界があってただ今はわれのからだに夏満ち満ちる
合唱の声とおくから聞こえつつ百葉箱に降る夏の雨
金木犀雨にぬれいてやわらかし何度も何度も見たこの景色
ほしいものがありすぎて少しあきらめて落ちてる柿の数を数える
樹の影もわたしの影もながくなり小さなことで泣けてくる秋
すっぽりとタートルネックを着たわれはきみに気づかぬふりをしている
たくさんの人がたくさんのお願いをしている真上 大きなる月
この部屋に差しこむ冬陽くらくらといるはずの猫みつからない午後
お互いをまだ少ししか知らなくてきみとわたしを照らす太陽
変わりゆくいまを愛せばブラウスの袖から袖へ抜けるなつかぜ
低音でゆっくり話すきみの声アルペジオのように夏が昏れゆく
ゆらゆらとくらげふえゆくこの夏もビニール傘はなくなっている
関東に台風近づく朝八時友とふたりで黙ってあるく
小島なお
1986年東京都生まれ。93年から94年まで父親の仕事の都合でアメリカに住む。歌人である母親(小島ゆかり)の手伝いをしていて、短歌に興味を持ち、日経歌壇に投稿をはじめる。2004年、第50回角川短歌賞を受賞。(後付け「著者略歴」より)
1986年東京都生まれ。93年から94年まで父親の仕事の都合でアメリカに住む。歌人である母親(小島ゆかり)の手伝いをしていて、短歌に興味を持ち、日経歌壇に投稿をはじめる。2004年、第50回角川短歌賞を受賞。(後付け「著者略歴」より)