先日尾崎放哉の句集を読んだので、この際種田山頭火(1882-1940)の俳句も読んでみようと思い、『山頭火句集』(村上護編)を買いました。一読していいなと思った句を紹介します。
【参考】種田山頭火について、Wikipediaからの引用です。(一部改編)
自由律俳句の代表として、同じ荻原井泉水門下の尾崎放哉(1885-1926)と並び称される。山頭火、放哉ともに酒癖によって身を持ち崩し、師である井泉水や支持者の援助によって生計を立てていたところは似通っている。しかし、その作風は対照的で、「静」の放哉に対し山頭火の句は「動」である。
なお、「山頭火」とは納音(なっちん)の一つであるが、山頭火の生まれ年の納音は山頭火ではなく「楊柳木」である。「山頭火」は、30種類の納音の中で字面と意味が気に入った物を選んだだけであると『層雲』(井泉水が主宰する新傾向俳句誌)の中で山頭火自身が書いている。
自由律俳句の代表として、同じ荻原井泉水門下の尾崎放哉(1885-1926)と並び称される。山頭火、放哉ともに酒癖によって身を持ち崩し、師である井泉水や支持者の援助によって生計を立てていたところは似通っている。しかし、その作風は対照的で、「静」の放哉に対し山頭火の句は「動」である。
なお、「山頭火」とは納音(なっちん)の一つであるが、山頭火の生まれ年の納音は山頭火ではなく「楊柳木」である。「山頭火」は、30種類の納音の中で字面と意味が気に入った物を選んだだけであると『層雲』(井泉水が主宰する新傾向俳句誌)の中で山頭火自身が書いている。
【自選句集『草木塔』より】
分け入つても分け入つても青い山
炎天をいただいて乞ひ歩く
放哉居士の作に和して 鴉啼いてわたしも一人
踏みわける萩よすすきよ
この旅、果もない旅のつくつくぼうし
ひとりで蚊にくはれてゐる
笠にとんぼをとまらせてあるく
歩きつづける彼岸花咲きつづける
まつすぐな道でさみしい
張りかへた障子のなかの一人
しぐるるやしぐるる山へ歩み入る
また見ることもない山が遠ざかる
どうしようもないわたしが歩いてゐる
すべつてころんで山がひつそり
雨の山茶花の散るでもなく
つかれた脚へとんぼがとまつた
捨てきれない荷物のおもさまへうしろ
年とれば故郷こひしいつくつくぼうし
酔うてこほろぎと寝てゐたよ
逢ひたい、捨炭(ボタ)山が見えだした
安か安か寒か寒か雪雪
うしろすがたのしぐれてゆくか
冬雨の石階をのぼるサンタマリア
寒い雲がいそぐ
笠へぽつりと椿だつた
いただいて足りて一人の箸をおく
今日の道のたんぽぽ咲いた
うつりきてお彼岸花の花ざかり
ひとりの火の燃えさかりゆくを
落葉の、水仙の芽かよ
雪ふる一人一人ゆく
いちりん挿の椿いちりん
けふもいちにち風をあるいてきた
あるけばきんぽうげすわればきんぽうげ
あざみあざやかなあさのあめあがり
うつむいて石ころばかり
ひとりきいてゐてきつつく
いそいでもどるかなかなかなかな
ほととぎすあすはあの山こえて行かう
夕立が洗つていつた茄子をもぐ
やつと郵便が来てそれから熟柿のおちるだけ
人を見送りひとりでかへるぬかるみ
ここにかうしてわたしおいてゐる冬夜
よびかけられてふりかへつたが落葉林
椿のおちる水のながれる
ふくろうはふくろうでわたしはわたしでねむれない
うれしいこともかなしいことも草しげる
炎天のはてもなく蟻の行列
蜘蛛は網張る私は私を肯定する
いつでも死ねる草が咲いたり実つたり
日ざかり落ちる葉のいちまい
ここで寝るとする草の実のこぼれる
さて、どちらへ行かう風がふく
あすはかへらうさくらちるちつてくる
住みなれて藪椿いつまでも咲き
ほろにがさもふるさとの蕗のとう
山から白い花を机に
何を求める風の中ゆく
風鈴の鳴るさへ死のしのびよる
たたずめば風わたる空のとほくとほく
麦の穂のおもひでがないでもない
また一枚ぬぎすてる旅から旅
ほつと月がある東京に来てゐる
行き暮れてなんとここらの水のうまさは
あるけばかつこういそげばかつこう
こころむなしくあらなみのよせてはかへし
山ふところの、ことしもここにりんどうの花
いつまで生きる曼珠沙華咲きだした
わたしと生れたことが秋ふかうなるわたし
悔いるこころの曼珠沙華燃ゆる
月からひらり柿の葉
洗へば大根いよいよ白し
やつぱり一人はさみしい枯草
ふたたび踏むまい土を踏みしめて征く
ひつそりとして八ツ手花咲く
みんな出て征く山の青さのいよいよ青く
風の中おのれを責めつつ歩く
雨ふればふるほどに石蕗(つわぶき)の花
死のしづけさは晴れて葉のない木
枯すすき枯れつくしたる雪のふりつもる
蕗のとうことしもここに蕗のとう
咳がやまない脊中をたたく手がない
窓あけて窓いつぱいの春
げんのしようこのおのれひそかな花と咲く
ビルとビルとのすきまから見えて山の青さよ
ひつそり蕗のとうここで休まう
どこでも死ねるからだで春風
たまたまたづね来てその泰山木が咲いてゐて
分け入つても分け入つても青い山
炎天をいただいて乞ひ歩く
放哉居士の作に和して 鴉啼いてわたしも一人
踏みわける萩よすすきよ
この旅、果もない旅のつくつくぼうし
ひとりで蚊にくはれてゐる
笠にとんぼをとまらせてあるく
歩きつづける彼岸花咲きつづける
まつすぐな道でさみしい
張りかへた障子のなかの一人
しぐるるやしぐるる山へ歩み入る
また見ることもない山が遠ざかる
どうしようもないわたしが歩いてゐる
すべつてころんで山がひつそり
雨の山茶花の散るでもなく
つかれた脚へとんぼがとまつた
捨てきれない荷物のおもさまへうしろ
年とれば故郷こひしいつくつくぼうし
酔うてこほろぎと寝てゐたよ
逢ひたい、捨炭(ボタ)山が見えだした
安か安か寒か寒か雪雪
うしろすがたのしぐれてゆくか
冬雨の石階をのぼるサンタマリア
寒い雲がいそぐ
笠へぽつりと椿だつた
いただいて足りて一人の箸をおく
今日の道のたんぽぽ咲いた
うつりきてお彼岸花の花ざかり
ひとりの火の燃えさかりゆくを
落葉の、水仙の芽かよ
雪ふる一人一人ゆく
いちりん挿の椿いちりん
けふもいちにち風をあるいてきた
あるけばきんぽうげすわればきんぽうげ
あざみあざやかなあさのあめあがり
うつむいて石ころばかり
ひとりきいてゐてきつつく
いそいでもどるかなかなかなかな
ほととぎすあすはあの山こえて行かう
夕立が洗つていつた茄子をもぐ
やつと郵便が来てそれから熟柿のおちるだけ
人を見送りひとりでかへるぬかるみ
ここにかうしてわたしおいてゐる冬夜
よびかけられてふりかへつたが落葉林
椿のおちる水のながれる
ふくろうはふくろうでわたしはわたしでねむれない
うれしいこともかなしいことも草しげる
炎天のはてもなく蟻の行列
蜘蛛は網張る私は私を肯定する
いつでも死ねる草が咲いたり実つたり
日ざかり落ちる葉のいちまい
ここで寝るとする草の実のこぼれる
さて、どちらへ行かう風がふく
あすはかへらうさくらちるちつてくる
住みなれて藪椿いつまでも咲き
ほろにがさもふるさとの蕗のとう
山から白い花を机に
何を求める風の中ゆく
風鈴の鳴るさへ死のしのびよる
たたずめば風わたる空のとほくとほく
麦の穂のおもひでがないでもない
また一枚ぬぎすてる旅から旅
ほつと月がある東京に来てゐる
行き暮れてなんとここらの水のうまさは
あるけばかつこういそげばかつこう
こころむなしくあらなみのよせてはかへし
山ふところの、ことしもここにりんどうの花
いつまで生きる曼珠沙華咲きだした
わたしと生れたことが秋ふかうなるわたし
悔いるこころの曼珠沙華燃ゆる
月からひらり柿の葉
洗へば大根いよいよ白し
やつぱり一人はさみしい枯草
ふたたび踏むまい土を踏みしめて征く
ひつそりとして八ツ手花咲く
みんな出て征く山の青さのいよいよ青く
風の中おのれを責めつつ歩く
雨ふればふるほどに石蕗(つわぶき)の花
死のしづけさは晴れて葉のない木
枯すすき枯れつくしたる雪のふりつもる
蕗のとうことしもここに蕗のとう
咳がやまない脊中をたたく手がない
窓あけて窓いつぱいの春
げんのしようこのおのれひそかな花と咲く
ビルとビルとのすきまから見えて山の青さよ
ひつそり蕗のとうここで休まう
どこでも死ねるからだで春風
たまたまたづね来てその泰山木が咲いてゐて