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『田辺聖子の小倉百人一首』を買いました。

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先日、村上春樹の新作短編小説「女のいない男たち4 独立器官」(『文藝春秋』三月特別号収録)を読み、この作品中に登場する権中納言敦忠(906-943)の歌がとても気になりました。また僕の和歌に関する教養の無さを痛感したので、この歌をきっかけに和歌について少し勉強してみようと思いました。
この歌の出典を調べたら、小倉百人一首43番の歌だということがわかりました。で、『田辺聖子の小倉百人一首』(角川文庫)を買い、小倉百人一首から勉強することにしました。

以下に引用した43番と38番は、それぞれ権中納言敦忠とその恋人右近の歌です。43番は敦忠が右近に贈った歌かどうかは不明ですが、38番は右近が敦忠の心変わりを怨じて詠んだ歌です。
敦忠や右近の歌を読むと、恋をした男女の心情は千年前も今もたいして変わっていないと思います。

◆43 あひみての のちの心に くらぶれば 昔はものを 思はさりけり(権中納言敦忠)
    やっと きみがぼくのものになった
    ところがどうだ
    よけい苦しみが増し
    物思いが多くなった
    不安、嫉妬、独占欲……
    ぼくは新しい苦しみをさまざま知った
    この苦しさにくらべれば
    きみを得たいとひたすら望んでいた
    昔のぼくの物思いなんて
    実に単純で底が浅かった

◆38 わすらるる 身をば思はず 誓ひてし 人のいのちの 惜しくもあるかな(右近)
    やがては忘れ去られる身だということを思いもせず
    私はあのとき、愛を神に誓った
    なんて愚かな私なのかしら
    でも心がわりしたあなたには、神仏の罰があたるわよ
    ――いい気味といいたいけれど
    でも、それは嘘
    罰が当たって
    あなたが死ぬなんていや
    死んじゃいや
    でも
    あなたが憎くないといったら
    それも嘘になるの

【参考】
 小倉百人一首は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活動した公家・藤原定家(1162-1241)が選んだとされる私撰和歌集である。
 その原型は、鎌倉幕府の御家人で歌人でもある宇都宮蓮生(宇都宮頼綱)の求めに応じて、定家が作成した色紙である。蓮生は、京都嵯峨野に建築した別荘・小倉山荘の襖の装飾のため、定家に色紙の作成を依頼した。定家は、飛鳥時代の天智天皇から鎌倉時代の順徳院まで、100人の歌人の優れた和歌を一首ずつ選び、年代順に色紙にしたためた。
 小倉百人一首が成立した年代は確定されていないが、13世紀の前半と推定される。成立当時には、この百人一首に一定の呼び名はなく、「小倉山荘色紙和歌」「嵯峨山荘色紙和歌」「小倉色紙」などと呼ばれた。後に、定家が小倉山で編纂したという由来から、「小倉百人一首」という通称が定着した。(wikipediaより、一部改編)


 

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