この歌集は「一握の砂」及び「悲しき玩具」、「補遺」で構成されています。
石田比呂志
友がみな我より偉く見えぬ日に花を買い来て見する妻なし
石川啄木
友がみなわれよりえらく見ゆる日よ
花を買い来て
妻としたしむ
友がみな我より偉く見えぬ日に花を買い来て見する妻なし
石川啄木
友がみなわれよりえらく見ゆる日よ
花を買い来て
妻としたしむ
石田比呂志の短歌に、石川啄木へのオマージュなのか、それともパロディーなのか、そんな一首がありました。で、久々に啄木に触れてみようと思い、久保田正文編『新編 啄木歌集』を読んでみました。
以下、一読して気になった歌を引用しました。なお、啄木の歌は上述のように「三行書き」が基本ですが、ここでは便宜上一行書きにしました。
以下、一読して気になった歌を引用しました。なお、啄木の歌は上述のように「三行書き」が基本ですが、ここでは便宜上一行書きにしました。
◆「一握の砂」より
東海の小島の磯の白砂(しらすな)に われ泣きぬれて 蟹とたはむる
頬(ほ)につたふ なみだのごはず 一握の砂を示しし人を忘れず
いたく錆びしピストル出でぬ 砂山の 砂を指もて掘りてありしに
いのちなき砂のかなしさよ さらさらと 握れば指のあひだより落つ
大といふ字を百あまり 砂に書き 死ぬことをやめて帰り来(きた)れり
ひと塊(くれ)の土に涎(よだれ)し 泣く母のに肖顔(にがほ) かなしくもあるか
たはむれに母を背負ひて そのあまり軽(かろ)きに泣きて 三歩あゆまず
何処(いづく)やらむかすかに虫のなくごとき こころ細さを 今日もおぼゆる
いと暗き 穴に心を吸はれゆくごとく思ひて つかれて眠る
浅草の夜(よ)のにぎはひに まぎれ入り まぎれ出で来(き)しさびしき心
鏡とり 能(あた)ふかぎりのさまざまの顔をしてみぬ 泣き飽きし時
なみだなみだ 不思議なるかな それをもて洗へば心戯(おど)けたくなれり
草に臥(ね)て おもふことなし わが額(ぬか)に糞(ふん)して鳥は空に遊べり
わが髭の 下向く癖がいきどほろし このごろ憎き男に似たれば
「さばかりの事に死ぬるや」 「さばかりの事に生くるや」 止せ止せ問答
高山(たかやま)のいただきに登り なにがなしに帽子をふりて 下(くだ)り来(き)しかな
怒(いか)る時 かならずひとつ鉢を割り 九百九十九(くひゃくくじゅうく)割りて死なまし
鏡屋の前に来て ふと驚きぬ 見すぼらしげに歩むものかも
やはらかに積もれる雪に 熱(ほ)てる頬(ほ)を埋(うづ)むるごとき 恋してみたし
かなしきは 飽くなき利己の一念を 持てあましたる男にありけり
手も足も 室(へや)いつぱいに投げ出して やがて静かに起きかへるかな
こころよく 人を讃(ほ)めてみたくなりにけり 利己の心に倦(う)めるさびしさ
高きより飛びおりるごとき心もて この一生を 終るすべなきか
へつらひを聞けば 腹立(だ)つわがこころ あまりに我を知るがかなしき
大いなる彼の身体(からだ)が 憎かりき その前にゆきて物を言ふ時
剽軽(へうきん)の性(さが)なりし友の死顔(しにがほ)の 青き疲れが いまも目にあり
こころよき疲れなるかな 息もつかず 仕事をしたる後(のち)のこの疲れ
朝はやく 婚期を過ぎし妹の 恋文めける文を読めりけり
しつとりと 水を吸ひたる海綿の 重さに似たる心地おぼゆる
よく笑ふ若き男の 死にたらば すこしはこの世のさびしくもなれ
浅草の凌雲閣のいただきに 腕組みし日の 長き日記(にき)かな
一度でも我に頭を下げさせし 人みな死ねと いのりてしこと
打明けて語りて 何か損をせしごとく思ひて 友とわかれぬ
はたらけど はたらけど猶わが生活(くらし)楽にならざり ぢつと手を見る
ある朝のかなしき夢のさめぎはに 鼻に入(い)り来(き)し 味噌を煮る香(か)よ
何がなしに 頭のなかに崖ありて 日毎に土のくづるるごとし
垢(あか)じみし袷(あはせ)の襟よ かなしくも ふるさとの胡桃焼くるにほひす
この次の休日(やすみ)に一日寝てみむと 思ひ過ごしぬ 三年(みとせ)このかた
ある日のこと 室(へや)の障子をはりかへぬ その日はそれにて心なごみき
気ぬけして廊下に立ちぬ あららかに扉(ドア)を推せしに すぐ開きしかば
あたらしき心をもとめて 名も知らぬ 街など今日もさまよひて来(き)ぬ
友がみなわれよりえらく見ゆる日よ 花を買い来て 妻としたしむ
何かひとつ不思議を示し 人みなのおどろくひまに 消えむと思ふ
顔あかめ怒(いか)りしことが あくる日は さほどにもなきをさびしがるかな
いらだてる心よ汝(なれ)はかなしかり いざいざ すこしあくびなどせむ
教室の窓より遁(に)げて ただ一人 かの城址(しろあと)に寝に行きしかな
不来方(こずかた)のお城の草に寝ころびて 空に吸はれし 十五の心
その後(のち)に我を捨てし友も あの頃はともに書(ふみ)読み ともに遊びき
盛岡の中学校の 露台(バルコン)の 欄干(てすり)に最一度(もいちど)我を倚(よ)らしめ
神有りと言ひ張る友を 説きふせし かの路傍(みちばた)の栗の樹の下(もと)
先んじて恋のあまさと かなしさを知りし我なり 先んじて老ゆ
ふるさとの訛(なまり)なつかし 停車場の人ごみの中に そを聴きにゆく
かにかくに渋民村は恋しかり おもひでの山 おもひでの川
ふるさとを出で来(き)し子等の 相会ひて よろこぶにまさるかなしみはなし
石をもて追はるるごとく ふるさとを出でしかなしみ 消ゆる時なし
やはらかに柳あをめる 北上の岸辺目に見ゆ 泣けとごとくに
ふるさとの山に向ひて 言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな
函館の床屋の弟子を おもひ出でぬ 耳剃らせるがこころよかりし
わがあとを追ひ来て 知れる人もなき 辺土に住みし母と妻かな
目を閉ぢて 傷心の句を誦(ず)してゐし 友の手紙のおどけ悲しも
ふるさとの 麦のかをりを懐かしむ 女の眉にこころひかれき
いくたびか死なむとしては 死なざりし わが来(こ)しかたのをかしく悲し
演習のひまにわざわざ 汽車に乗りて 訪(と)ひ来(き)し友とのめる酒かな
こころざし得ぬ人人の あつまりて酒のむ場所が 我が家なりしかな
かなしめば高く笑ひき 酒をもて 悶(もん)を解(げ)すといふ年上の友
札幌に かの秋われの持てゆきし しかして今も持てるかなしみ
かなしきは小樽の町よ 歌ふことなき人人の 声の荒さよ
世わたりの拙きことを ひそかにも 誇りとしたる我にやはあらぬ
汝(な)が痩せしからだはすべて 謀叛気(むほんぎ)のかたまりなりと いはれてしこと
負けたるも我にてありき あらそひの因(もと)も我なりしと 今は思へり
殴らむといふに 殴れとつめよせし 昔の我のいとほしきかな
あらそひて いたく憎みて別れたる 友をなつかしく思ふ日も来(き)ぬ
平手もて 吹雪にぬれし顔を拭く 友共産を主義とせりけり
子を負ひて 雪の吹き入る停車場に われ見送りし妻の眉かな
わかれ来てふと瞬けば ゆくりなく つめたきものの頬をつたへり
今夜こそ思ふ存分泣いてみむと 泊りし宿屋の 茶のぬるさかな
水蒸気 列車の窓に花のごと凍てしを染むる あかつきの色
何事も思ふことなく 日一日 汽車のひびきに心まかせぬ
小奴といひし女の やはらかき 耳朶(みみたぼ)なども忘れがたかり
死にたくはないかと言へば これ見よと 咽喉(のんど)の痍(きず)を見せし女かな
その膝に枕しつつも 我がこころ 思ひしはみな我のことなり
葡萄色(えびいろ)の 古き手帳にのこりたる かの会合(あひびき)の時と処(ところ)かな
よごれたる足袋穿(は)く時の 気味わるき思ひに似たる 思出もあり
いつなりけむ 夢にふと聴きてうれしかりし その声もあはれ長く聴かざり
さりげなく言ひし言葉は さりげなく君も聴きつらむ それだけのこと
かの時に言ひそびれたる 大切の言葉は今も 胸にのこれど
人がいふ 鬢(びん)のほつれのめでたさを 物書く時の君に見たりし
馬鈴薯の花咲く頃と なれりけり 君もこの花を好きたまふらむ
山の子の 山を思ふがごとくにも かなしき時は君を思へり
忘れをれば ひよつとした事が思ひ出の種にまたなる 忘れかねつも
君に似し姿を街に見る時の こころ躍(をど)りを あはれと思へ
死ぬまでに一度会はむと 言ひやらば 君もかすかにうなづくらむか
時として 君を思へば 安かりし心にはかに騒ぐかなしさ
手套(てぶくろ)を脱ぐ手ふと休(や)む 何やらむ こころかすめし思ひ出のあり
いつしかに 情をいつはること知りぬ 髭を立てしもその頃なりけむ
朝の湯の 湯槽(ゆぶね)のふちにうなじ載せ ゆるく息する物思ひかな
つくづくと手をながめつつ おもひ出でぬ キスが上手の女なりしが
さびしきは 色にしたしまぬ目のゆゑと 赤き花など買はせけるかな
旅七日 かへり来(き)ぬれば わが窓の赤きインクの染(し)みもなつかし
空色の罎(びん)より 山羊の乳をつぐ 手のふるひなどいとしかりけり
やや長きキスを交して別れ来(き)し 深夜の街の 遠き火事かな
ゆゑもなく海が見たくて 海に来(き)ぬ こころ傷(いた)みてたへがたき日に
汽車の旅 とある野中の停車場の 夏草の香(か)のなつかしかりき
思出のかのキスかとも おどろきぬ プラタスの葉の散りて触れしを
真白なる大根の根の肥ゆる頃 うまれて やがて死にし児(こ)のあり
おそ秋の空気を 三尺四方ばかり 吸ひてわが児の死にゆきしかな
底知れぬ謎に対(むか)ひてあるごとし 死児(しじ)のひたひに またも手をやる
かなしみの強くいたらぬ さびしさよ わが児のからだ冷えてゆけども
かなしくも 夜(よ)明くるまでは残りゐぬ 息きれし児の肌のぬくもり
東海の小島の磯の白砂(しらすな)に われ泣きぬれて 蟹とたはむる
頬(ほ)につたふ なみだのごはず 一握の砂を示しし人を忘れず
いたく錆びしピストル出でぬ 砂山の 砂を指もて掘りてありしに
いのちなき砂のかなしさよ さらさらと 握れば指のあひだより落つ
大といふ字を百あまり 砂に書き 死ぬことをやめて帰り来(きた)れり
ひと塊(くれ)の土に涎(よだれ)し 泣く母のに肖顔(にがほ) かなしくもあるか
たはむれに母を背負ひて そのあまり軽(かろ)きに泣きて 三歩あゆまず
何処(いづく)やらむかすかに虫のなくごとき こころ細さを 今日もおぼゆる
いと暗き 穴に心を吸はれゆくごとく思ひて つかれて眠る
浅草の夜(よ)のにぎはひに まぎれ入り まぎれ出で来(き)しさびしき心
鏡とり 能(あた)ふかぎりのさまざまの顔をしてみぬ 泣き飽きし時
なみだなみだ 不思議なるかな それをもて洗へば心戯(おど)けたくなれり
草に臥(ね)て おもふことなし わが額(ぬか)に糞(ふん)して鳥は空に遊べり
わが髭の 下向く癖がいきどほろし このごろ憎き男に似たれば
「さばかりの事に死ぬるや」 「さばかりの事に生くるや」 止せ止せ問答
高山(たかやま)のいただきに登り なにがなしに帽子をふりて 下(くだ)り来(き)しかな
怒(いか)る時 かならずひとつ鉢を割り 九百九十九(くひゃくくじゅうく)割りて死なまし
鏡屋の前に来て ふと驚きぬ 見すぼらしげに歩むものかも
やはらかに積もれる雪に 熱(ほ)てる頬(ほ)を埋(うづ)むるごとき 恋してみたし
かなしきは 飽くなき利己の一念を 持てあましたる男にありけり
手も足も 室(へや)いつぱいに投げ出して やがて静かに起きかへるかな
こころよく 人を讃(ほ)めてみたくなりにけり 利己の心に倦(う)めるさびしさ
高きより飛びおりるごとき心もて この一生を 終るすべなきか
へつらひを聞けば 腹立(だ)つわがこころ あまりに我を知るがかなしき
大いなる彼の身体(からだ)が 憎かりき その前にゆきて物を言ふ時
剽軽(へうきん)の性(さが)なりし友の死顔(しにがほ)の 青き疲れが いまも目にあり
こころよき疲れなるかな 息もつかず 仕事をしたる後(のち)のこの疲れ
朝はやく 婚期を過ぎし妹の 恋文めける文を読めりけり
しつとりと 水を吸ひたる海綿の 重さに似たる心地おぼゆる
よく笑ふ若き男の 死にたらば すこしはこの世のさびしくもなれ
浅草の凌雲閣のいただきに 腕組みし日の 長き日記(にき)かな
一度でも我に頭を下げさせし 人みな死ねと いのりてしこと
打明けて語りて 何か損をせしごとく思ひて 友とわかれぬ
はたらけど はたらけど猶わが生活(くらし)楽にならざり ぢつと手を見る
ある朝のかなしき夢のさめぎはに 鼻に入(い)り来(き)し 味噌を煮る香(か)よ
何がなしに 頭のなかに崖ありて 日毎に土のくづるるごとし
垢(あか)じみし袷(あはせ)の襟よ かなしくも ふるさとの胡桃焼くるにほひす
この次の休日(やすみ)に一日寝てみむと 思ひ過ごしぬ 三年(みとせ)このかた
ある日のこと 室(へや)の障子をはりかへぬ その日はそれにて心なごみき
気ぬけして廊下に立ちぬ あららかに扉(ドア)を推せしに すぐ開きしかば
あたらしき心をもとめて 名も知らぬ 街など今日もさまよひて来(き)ぬ
友がみなわれよりえらく見ゆる日よ 花を買い来て 妻としたしむ
何かひとつ不思議を示し 人みなのおどろくひまに 消えむと思ふ
顔あかめ怒(いか)りしことが あくる日は さほどにもなきをさびしがるかな
いらだてる心よ汝(なれ)はかなしかり いざいざ すこしあくびなどせむ
教室の窓より遁(に)げて ただ一人 かの城址(しろあと)に寝に行きしかな
不来方(こずかた)のお城の草に寝ころびて 空に吸はれし 十五の心
その後(のち)に我を捨てし友も あの頃はともに書(ふみ)読み ともに遊びき
盛岡の中学校の 露台(バルコン)の 欄干(てすり)に最一度(もいちど)我を倚(よ)らしめ
神有りと言ひ張る友を 説きふせし かの路傍(みちばた)の栗の樹の下(もと)
先んじて恋のあまさと かなしさを知りし我なり 先んじて老ゆ
ふるさとの訛(なまり)なつかし 停車場の人ごみの中に そを聴きにゆく
かにかくに渋民村は恋しかり おもひでの山 おもひでの川
ふるさとを出で来(き)し子等の 相会ひて よろこぶにまさるかなしみはなし
石をもて追はるるごとく ふるさとを出でしかなしみ 消ゆる時なし
やはらかに柳あをめる 北上の岸辺目に見ゆ 泣けとごとくに
ふるさとの山に向ひて 言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな
函館の床屋の弟子を おもひ出でぬ 耳剃らせるがこころよかりし
わがあとを追ひ来て 知れる人もなき 辺土に住みし母と妻かな
目を閉ぢて 傷心の句を誦(ず)してゐし 友の手紙のおどけ悲しも
ふるさとの 麦のかをりを懐かしむ 女の眉にこころひかれき
いくたびか死なむとしては 死なざりし わが来(こ)しかたのをかしく悲し
演習のひまにわざわざ 汽車に乗りて 訪(と)ひ来(き)し友とのめる酒かな
こころざし得ぬ人人の あつまりて酒のむ場所が 我が家なりしかな
かなしめば高く笑ひき 酒をもて 悶(もん)を解(げ)すといふ年上の友
札幌に かの秋われの持てゆきし しかして今も持てるかなしみ
かなしきは小樽の町よ 歌ふことなき人人の 声の荒さよ
世わたりの拙きことを ひそかにも 誇りとしたる我にやはあらぬ
汝(な)が痩せしからだはすべて 謀叛気(むほんぎ)のかたまりなりと いはれてしこと
負けたるも我にてありき あらそひの因(もと)も我なりしと 今は思へり
殴らむといふに 殴れとつめよせし 昔の我のいとほしきかな
あらそひて いたく憎みて別れたる 友をなつかしく思ふ日も来(き)ぬ
平手もて 吹雪にぬれし顔を拭く 友共産を主義とせりけり
子を負ひて 雪の吹き入る停車場に われ見送りし妻の眉かな
わかれ来てふと瞬けば ゆくりなく つめたきものの頬をつたへり
今夜こそ思ふ存分泣いてみむと 泊りし宿屋の 茶のぬるさかな
水蒸気 列車の窓に花のごと凍てしを染むる あかつきの色
何事も思ふことなく 日一日 汽車のひびきに心まかせぬ
小奴といひし女の やはらかき 耳朶(みみたぼ)なども忘れがたかり
死にたくはないかと言へば これ見よと 咽喉(のんど)の痍(きず)を見せし女かな
その膝に枕しつつも 我がこころ 思ひしはみな我のことなり
葡萄色(えびいろ)の 古き手帳にのこりたる かの会合(あひびき)の時と処(ところ)かな
よごれたる足袋穿(は)く時の 気味わるき思ひに似たる 思出もあり
いつなりけむ 夢にふと聴きてうれしかりし その声もあはれ長く聴かざり
さりげなく言ひし言葉は さりげなく君も聴きつらむ それだけのこと
かの時に言ひそびれたる 大切の言葉は今も 胸にのこれど
人がいふ 鬢(びん)のほつれのめでたさを 物書く時の君に見たりし
馬鈴薯の花咲く頃と なれりけり 君もこの花を好きたまふらむ
山の子の 山を思ふがごとくにも かなしき時は君を思へり
忘れをれば ひよつとした事が思ひ出の種にまたなる 忘れかねつも
君に似し姿を街に見る時の こころ躍(をど)りを あはれと思へ
死ぬまでに一度会はむと 言ひやらば 君もかすかにうなづくらむか
時として 君を思へば 安かりし心にはかに騒ぐかなしさ
手套(てぶくろ)を脱ぐ手ふと休(や)む 何やらむ こころかすめし思ひ出のあり
いつしかに 情をいつはること知りぬ 髭を立てしもその頃なりけむ
朝の湯の 湯槽(ゆぶね)のふちにうなじ載せ ゆるく息する物思ひかな
つくづくと手をながめつつ おもひ出でぬ キスが上手の女なりしが
さびしきは 色にしたしまぬ目のゆゑと 赤き花など買はせけるかな
旅七日 かへり来(き)ぬれば わが窓の赤きインクの染(し)みもなつかし
空色の罎(びん)より 山羊の乳をつぐ 手のふるひなどいとしかりけり
やや長きキスを交して別れ来(き)し 深夜の街の 遠き火事かな
ゆゑもなく海が見たくて 海に来(き)ぬ こころ傷(いた)みてたへがたき日に
汽車の旅 とある野中の停車場の 夏草の香(か)のなつかしかりき
思出のかのキスかとも おどろきぬ プラタスの葉の散りて触れしを
真白なる大根の根の肥ゆる頃 うまれて やがて死にし児(こ)のあり
おそ秋の空気を 三尺四方ばかり 吸ひてわが児の死にゆきしかな
底知れぬ謎に対(むか)ひてあるごとし 死児(しじ)のひたひに またも手をやる
かなしみの強くいたらぬ さびしさよ わが児のからだ冷えてゆけども
かなしくも 夜(よ)明くるまでは残りゐぬ 息きれし児の肌のぬくもり
◆「悲しき玩具」(一握の砂以後)より
旅を思ふ夫の心! 叱り、泣く、妻子(つまこ)の心! 朝の食卓!
人がみな 同じ方角に向いて行く。 それを横より見てゐる心。
古手紙よ! あの男とも、五年前は、 かほど親しく交はりしかな。
「石川はふびんな奴だ。」 ときにかう自分で言ひて かなしみてみる。
思ふこと盗みきかるる如くにて、 つと胸を引きぬ―― 聴診器より。
もう噓をいはじと思ひき―― それは今朝―― 今また一つ噓を言へるかな。
氷嚢のとけて温めば、 おのづから目がさめ来(きた)り、 からだ痛める。
ふるさとを出でて五年(いつとせ)、 病をえて、 かの閑古鳥を夢にきけるかな。
ふるさとの寺の畔(ほとり)の ひばの木の いただきに来て啼きし閑古鳥!
起きてみて、 また直ぐ寝たくなる時の 力なき眼に愛(め)でしチユリツプ!
今日もまた胸に痛みあり。 死ぬならば ふるさとに行きて死なむと思ふ。
病みて四月―― その間(ま)にも、猶、眼に見えて、 わが子の脊丈のびしかなしみ。
何思ひけむ―― 玩具(おもちや)をすてて、おとなしく、 わが側に来て子の坐りたる。
薬のむことを忘れて、 ひさしぶりに、 母に叱られしをうれしと思へる。
枕辺の障子あけさせて、 空を見る癖もつけるかな―― 長き病に。
あてのなき金などを待つ思ひかな。 寝つ、起きつして、 今日も暮したり。
ひる寝せし児(こ)の枕辺に 人形を賈ひ来てかざり、 ひとり楽しむ。
旅を思ふ夫の心! 叱り、泣く、妻子(つまこ)の心! 朝の食卓!
人がみな 同じ方角に向いて行く。 それを横より見てゐる心。
古手紙よ! あの男とも、五年前は、 かほど親しく交はりしかな。
「石川はふびんな奴だ。」 ときにかう自分で言ひて かなしみてみる。
思ふこと盗みきかるる如くにて、 つと胸を引きぬ―― 聴診器より。
もう噓をいはじと思ひき―― それは今朝―― 今また一つ噓を言へるかな。
氷嚢のとけて温めば、 おのづから目がさめ来(きた)り、 からだ痛める。
ふるさとを出でて五年(いつとせ)、 病をえて、 かの閑古鳥を夢にきけるかな。
ふるさとの寺の畔(ほとり)の ひばの木の いただきに来て啼きし閑古鳥!
起きてみて、 また直ぐ寝たくなる時の 力なき眼に愛(め)でしチユリツプ!
今日もまた胸に痛みあり。 死ぬならば ふるさとに行きて死なむと思ふ。
病みて四月―― その間(ま)にも、猶、眼に見えて、 わが子の脊丈のびしかなしみ。
何思ひけむ―― 玩具(おもちや)をすてて、おとなしく、 わが側に来て子の坐りたる。
薬のむことを忘れて、 ひさしぶりに、 母に叱られしをうれしと思へる。
枕辺の障子あけさせて、 空を見る癖もつけるかな―― 長き病に。
あてのなき金などを待つ思ひかな。 寝つ、起きつして、 今日も暮したり。
ひる寝せし児(こ)の枕辺に 人形を賈ひ来てかざり、 ひとり楽しむ。