今日、現代短歌文庫『阿木津英歌集』(1989、砂子屋書房)を読みました。ただし、エッセイは未読です。
この歌集は概ね以下のような内容になっています。
◆歌集
・第一歌集「紫木蓮まで・風舌」(80)全篇
・第二歌集「天の鴉片」(84)から抄出
・第三歌集「白微光」(87)から抄出
◆エッセイ
・「言語感覚修業レポート」等、全10編
◆解説
・笠原伸夫「エロスへの擾乱」
・岡井隆「阿木津英歌集『天の鴉片』」
この歌集は概ね以下のような内容になっています。
◆歌集
・第一歌集「紫木蓮まで・風舌」(80)全篇
・第二歌集「天の鴉片」(84)から抄出
・第三歌集「白微光」(87)から抄出
◆エッセイ
・「言語感覚修業レポート」等、全10編
◆解説
・笠原伸夫「エロスへの擾乱」
・岡井隆「阿木津英歌集『天の鴉片』」
以下、一読して気になった歌を引用します。
◇「紫木蓮・風舌」(1974-79、24-29歳)
やわらかき芽立ちの枇杷の葉が風に煽らるるとき路傍明るし
いにしえの王(おおきみ)のごと前髪を吹かれてあゆむ紫木蓮まで
風蹴りてスカートの裾広くゆく尊(たつと)ばれたる女はありや
川沿いの空の桜を仰ぎおり重量感なきからだ運びて
感情を捨つと出で来しわたくしの頭の上を鳥が渡れり
喫茶店「プランタン」にて黙しいき昔むかしの君とわれとは
唇をよせて言葉を放てどもわたしとあなたはわたしとあなた
地獄あらば地獄の底を行けという水のほとりの鶏頭の花
桃の木の花咲くかたえちちははとその娘とが笑いて写る
蒼みゆくわれの乳房は菜の花の黄の明るさと相関をせり
われありやわれあらざるや道を行く蹠(あなうら)寒し夕闇のなか ※蹠=足の裏
腐りつつあらむか白き木蓮は風渡らえば白く咲(わら)いて
注文をするとき笑みているわれを肉屋の鏡のなかに見出でつ
茱萸の実は雨露ふふむ緑葉の葉かげに赤く熟れつつあらむ ※茱萸=ぐみ
ほそほそとさやいんげんを?筋みている顎(あぎと)うつれりテーブルの上に
朝顔の蔓にうごかぬ髪切虫その裏側を蟻のくだれり
硝子戸をすこし開きて思わざる外の明るさ覗きておりぬ
唐辛子の葉がいつせいにひるがえり鋭く父の呼ぶ声聞ゆ
くれないの花の開きし昼過ぎをしきりにわれのてのひら乾く
弾力をもつ烏賊の足ことのなきひと日の暮に食みつつおりぬ
てのひらの窪に遊べる月光を掴まむとせりあわあわとして
てのひらの中にかすかに触れて鳴る数珠玉の実の音の愛(かな)しさ
背きたるわれにぞ母の送り来し柿の肌(はだえ)はいまださ青し
如何なればわが在ることの善ならむ眼痛みている夕まぐれ
ぬばたまの鴉に化(な)りて杉群の秀枝秀枝に鳴き立つるなり
眼より涙溢れて口中に赤き花をば咲きつがせいる
汗かきてわれの来しとき金属的笑声(しようせい)をあぐ鸚鵡か何か
あいさつでとりつくろつて皆さんとつきあうなどということはせぬ
電話ボックスの中に見えいて口紅を塗りしくちびる動きてやまず
洗面の水の揺るるを掬いあげすくいあげする夜行列車に
元日にエホバの神の使徒笑みて「あなたはほんとにしあわせですか」
ゆうぐれの小路(こみち)に白き靴下の足のあがりて鞠がくぐりぬ
遮断機をへだつる電車の風圧に青きスカーフしばらく浮きつ
車窓より入りくる風にひやびやとつらぬかれおり後頭部より
雲間よりくだり来りて山裾にまつわる光神の如くに
蛇口より水はひかりて迸(ほとばし)るバケツの底のありふれた明日
煮しめたる醤油が路地に匂うときわれの未来の畳まりて見ゆ
顔上げてあかんべいなどしておりぬ事務執る部屋の静かなる故
ジーンズの脚組みながら語らえりすなわちわれは粉飾をして
心地よく生き得る範囲をまたひとつ叩き潰して出でて来にけり
夕焼けの空に架かりし滑り台 一点凝視の滑りゆく果
執着心(しゆうじやくしん)起れるわれに硝子窓(ど)に物干綱のたるめるが見ゆ
羞(やさ)しかることを思いて眼前の白爪草の葉をしだきいる
定点を見失いたる思いにて六月土のおもて光るも
雑駁のものを容れざる感情も清くあらむとのみにはあらず
「父母(ぶも)も我に悟りを与ふべきにあらず」さもあらばあれ無花果青し
親捨てて家出でくればほがらかに親を捨てしと思われていむ
ひと日またひと日のわれの八時間引き換えて五万三千七百三十二円
男性はいささか愚か足裏に人工芝を踏みて思えば
茜さす窓の向こうに煙突と枝払われし青桐の幹
工員らおらなくなりし食堂の椅子おのおのに表情をもつ
「アルチュール・ランボーは美と刺し違えき」かく記(しる)したり小林秀雄は
鬱の日は花を買いきて家妻と親しむなどの発想憎し
われよりは若くあらねど瑞瑞(みずみず)とわらう女の頬骨高し
労働組合も社会主義も要するに男にてあらねばつまらなし
巻貝の殻に宿りて巻貝になりきつた気で生きているのか
人のみな死にたるごとき街角をゆく自転車とわれと濡れつつ
仏像とまぐわう夢を見ておりしときにかたえに何を見たりき
ドストエフスキー先妻マリヤ後妻アンナ愛人二名の写真並べり
H・I氏愛人某として写真一葉残ることなけむ
「白桃」を読み「鵞卵亭」を読む昼のonanismのごとき愉しさ
女をば換うれば性欲兆すという生理学的根拠ありや否や
娶られて姓変うるとう滑稽をいまはなさむとおもう何故
今からにてもよかるべしわがあたま魚の頭に替え給えかし
雲間より洩るるひかりはややしばし島近き海のおもてを照らす
こだわらずなりいるらしき朝けより互(かた)みに平たき声を出しおり
湖の面に風のあるらしく波立つところ波立たぬところ
正確を伝えむとする性癖のために気分を害せしむるらし
女より姓が奪われゆくことを不思議と思わざること不思議
誰にてもありふれしこと耐うるべきことのいちいち肯わずわれは
公園の石のベンチに臀(いさらい)をのせておりけり楽しくはなし
この昼のわけのわからぬ悲しみを木の箸をもて選(え)り分けている
電車より見ゆる交叉路信号を待ちいる顔に表情あらず
何事もあらざるひと日ゆうぐれは赤きズボンをはきて出てゆく
鉄骨の林を渡る月あおくいたく球体という感じなり
茜さす雲の夥しきところいのちの泡のあわ立ちにけり
首たてて葦群のうえ高くゆくああ白鷺であつたらいいに
目覚めむとするきわにして仄仄と男をおもう二三分間
◇「天の鴉片」
男女にて棲むあわれさは共どもに瓢箪に呑み込まるるごとし
われとわが魂恋うるごときかな牛胃(せんまい)の皿ひきよせながら
木木の間を釣り上げられてゆく月は黄色濃ゆき糜(あざ)れ熟む月
花つきて黄を帯ぶる樟かにかくにこころふくるる美は何ならむ
男の美学叙情甲斐性等等を頌えながらに世は励むらし
みどりごの吸いたるあとの乳首のふてぶてしさよ猛猛しさよ
自己完成を第一義とせずなりし伊藤野枝そののち五度(ごたび)孕みき
鞦韆に天(あめ)の錘りのごと揺るる小肉塊を子供といえり ※鞦韆(しゅうせん)=ぶらんこ
縮れ咲く紅猿滑(べにさるすべり)われにきて溺るる堕つる男あらずや
杜鵑草(ほととぎす)むらさき濃ゆき草むらや〈わたくし〉がまた逃げてしまえり
ゆきどまりのようなさびしさ砂溜る清涼飲料水販売機前
樹下(こした)には浅き緑の炎立(ほむらだ)ち死ぬるまでわれ男愛さむ
沼岸の枯葦群が吐くひかり葉摺れのおとのかすか乱れて
濃き悲哀もちてうつろう緬羊の雲は東の方(かた)へ群れつつ
復讐心さらに研ぐべし研ぐならば、青天に枇杷花をかかげて
南面の山に重たく垂れこむる雷雲のごと胡床居(あぐらい)をせり
たいらけくひとしきという概念を大笑いせよ遠阿蘇の嶺
西ひくく光乱れている雲よ左太腿(ふともも)のあたりが痒し
男女の社会契約謳いしオランプ・ド・グージュは首刎ねられたりき
暖かき雨に湿れる青野ゆきひとのよろこぶことよろこばむ
木の芽雨降り出しそうな空でして黒きスカーフ巻きて歩める
玄海の春の入江は潮満ちて波ひとつまたひとつもみあぐ
濃淡の山は南につらなりてわれはわれのみの行いをする
ふくらめるゴム手袋の指五つ道のうえにていたくし淫靡
ハンカチーフ白く握りて坐りいる妊婦の腹のいまわしきかな
枇杷の実の点る木したをおんななる魂のややあかるみてゆく
つねに娼婦のこころをもちて生きたしと直截にして噓はなけれど
雲くらく走れる空にいくたびも思い出づ「女は怖しき職業なり」
紅蜀葵蕊(しべ)の高きに触れゆきしよごれはてたる心といわむ ※紅蜀葵(こうしょっき)=モミジアオイの別名
回転をするプロペラが窓に見ゆ連想は埒(らち)もなきことながら
みちのくの花巻は雨 空間を躰移りてきたるかなしみ
彼死なば手に入る三百万円が明滅をしていたるときのま
道端にもの言うごとく燃殻(もえがら)が風にいくたびも立ち上りいる
自らの意識を意識しつつゆくわが足元に水無き窪み
自立する女ふゆるを危ぶみて母性を頌(たた)ういつの時代も
何ゆえにある乳房かや昼寒き町にきたりて楊枝を購(もと)む
みどりごのやわき頭を掌のひらにつつめど母性湧くにもあらず
風出ずる枯葦原はよしきりの群の戻るを吸いこみにけり
手の技(わざ)につむぐ言の葉言の葉が天の鴉片であらばよけむに ※鴉片=阿片
火を入るるスイッチに声咽びつつ火をくぐり来し骨には泣かず ※咽ぶ=むせぶ
もとわれら神人なれば天降(あも)るべく電気洗濯機の渦を見下ろす
◇「白微光」
今日ひと日卵(らん)のごとくにあたたむる「復讐不可能の憎悪」という語
枇杷の木の下に跼まりおりたりし今日のひと日の七八分間 ※跼む=かがむ
さはさあれこの音韻のたのしさはかあるびんそんかあるびんそん
夫婦は同居すべしまぐわいなすべしといずれの莫迦が掟てたりけむ
往来の繁き歩廊は輝きていずこへゆかば心(うら)慰まむ
道端に寄る泥雪を踏みあゆむこころなやみのなきひとのごと
たまほこの道のほとりにあらわれて椿の幹はわれを誘(おび)くよ
きのうより今日おもむろにふくらめるさくらのつぼみ気色の悪し
愛執の糸吐く男あわれなれゴリラの雄のごときこころに
「うらわかきかなしき力(ちから)あが母の・・・」何に汝ら誑(たぶら)かされき
陰微なるにくしみうごくこの夜を咲きてむらがる紅立葵
かたちなき叢雲(むらくも)うごく空のしたあぶらのうける鼻もてあゆむ
滅びつつわれはあるらむ湯上りの臍の窪みにしずく飾りて
道の辺の茅花のわたのくずるるを聴かむとぞしてかがまりにけり
然(しか)り然り然りというか大蒜(にんにく)を食べたる口のにおいて戻る
人類は滅ぶともよし滅ぶともゆびをもて剥ぐ白桃の皮
公園の秋昏れがたの息吸えりわれはたのしく鼻翼を張りて
石もちて額(ぬか)うち砕くあけがたの夢のみなもとさびしさびし
かっぱえびせんのごときわれかも道の上こぼれておれるかっぱえびせん
このうえは大まじめなる悲しみもなくてさぶさぶ梨の実を食ぶ
さてさてもRCサクセションゆえにああしゃをこしゃを畳に跳ねる
青天をあおぎて路地をゆくときを鍋欲し一つ被らむがため
乾きたる砂利道あゆみ来し夜のみぎの目蓋(まなぶた)ひきつりやまず
わたくしという現象がたそがれの楽鳴るあづま通りを過(よぎ)る
出でて来し午前一時の石のうえ泰山木の花蕊落ちて
とどろける環状七号線上の橋をしょんがらしょんがら渡る
あかねさす昼の鴉は洞(ほら)なせるわが室(へや)に来て啼きはじめたり
とてもかくても呪呪(のろのろ)しけれ意趣返しせむとはかりき二晩がほど
足首の弛みておれる靴下をいやがりながら如月三日
街空にぼうと立ちたる煙突を今日のあゆみのわが友として
わが腎(むらと)わがこころはやくれないの塵夢へ泳ぎゆきて戻らず
笛鳴りて扉(とびら)しまりて照ることば糞ころがしは糞に執すと
地下駅の歩廊の黄なる円柱のへに「愛縛(あいばく)」の語はも降り来る
ほほえみは口のほとりに来りけり幹吹くかぜのあまやかにして
◇「紫木蓮・風舌」(1974-79、24-29歳)
やわらかき芽立ちの枇杷の葉が風に煽らるるとき路傍明るし
いにしえの王(おおきみ)のごと前髪を吹かれてあゆむ紫木蓮まで
風蹴りてスカートの裾広くゆく尊(たつと)ばれたる女はありや
川沿いの空の桜を仰ぎおり重量感なきからだ運びて
感情を捨つと出で来しわたくしの頭の上を鳥が渡れり
喫茶店「プランタン」にて黙しいき昔むかしの君とわれとは
唇をよせて言葉を放てどもわたしとあなたはわたしとあなた
地獄あらば地獄の底を行けという水のほとりの鶏頭の花
桃の木の花咲くかたえちちははとその娘とが笑いて写る
蒼みゆくわれの乳房は菜の花の黄の明るさと相関をせり
われありやわれあらざるや道を行く蹠(あなうら)寒し夕闇のなか ※蹠=足の裏
腐りつつあらむか白き木蓮は風渡らえば白く咲(わら)いて
注文をするとき笑みているわれを肉屋の鏡のなかに見出でつ
茱萸の実は雨露ふふむ緑葉の葉かげに赤く熟れつつあらむ ※茱萸=ぐみ
ほそほそとさやいんげんを?筋みている顎(あぎと)うつれりテーブルの上に
朝顔の蔓にうごかぬ髪切虫その裏側を蟻のくだれり
硝子戸をすこし開きて思わざる外の明るさ覗きておりぬ
唐辛子の葉がいつせいにひるがえり鋭く父の呼ぶ声聞ゆ
くれないの花の開きし昼過ぎをしきりにわれのてのひら乾く
弾力をもつ烏賊の足ことのなきひと日の暮に食みつつおりぬ
てのひらの窪に遊べる月光を掴まむとせりあわあわとして
てのひらの中にかすかに触れて鳴る数珠玉の実の音の愛(かな)しさ
背きたるわれにぞ母の送り来し柿の肌(はだえ)はいまださ青し
如何なればわが在ることの善ならむ眼痛みている夕まぐれ
ぬばたまの鴉に化(な)りて杉群の秀枝秀枝に鳴き立つるなり
眼より涙溢れて口中に赤き花をば咲きつがせいる
汗かきてわれの来しとき金属的笑声(しようせい)をあぐ鸚鵡か何か
あいさつでとりつくろつて皆さんとつきあうなどということはせぬ
電話ボックスの中に見えいて口紅を塗りしくちびる動きてやまず
洗面の水の揺るるを掬いあげすくいあげする夜行列車に
元日にエホバの神の使徒笑みて「あなたはほんとにしあわせですか」
ゆうぐれの小路(こみち)に白き靴下の足のあがりて鞠がくぐりぬ
遮断機をへだつる電車の風圧に青きスカーフしばらく浮きつ
車窓より入りくる風にひやびやとつらぬかれおり後頭部より
雲間よりくだり来りて山裾にまつわる光神の如くに
蛇口より水はひかりて迸(ほとばし)るバケツの底のありふれた明日
煮しめたる醤油が路地に匂うときわれの未来の畳まりて見ゆ
顔上げてあかんべいなどしておりぬ事務執る部屋の静かなる故
ジーンズの脚組みながら語らえりすなわちわれは粉飾をして
心地よく生き得る範囲をまたひとつ叩き潰して出でて来にけり
夕焼けの空に架かりし滑り台 一点凝視の滑りゆく果
執着心(しゆうじやくしん)起れるわれに硝子窓(ど)に物干綱のたるめるが見ゆ
羞(やさ)しかることを思いて眼前の白爪草の葉をしだきいる
定点を見失いたる思いにて六月土のおもて光るも
雑駁のものを容れざる感情も清くあらむとのみにはあらず
「父母(ぶも)も我に悟りを与ふべきにあらず」さもあらばあれ無花果青し
親捨てて家出でくればほがらかに親を捨てしと思われていむ
ひと日またひと日のわれの八時間引き換えて五万三千七百三十二円
男性はいささか愚か足裏に人工芝を踏みて思えば
茜さす窓の向こうに煙突と枝払われし青桐の幹
工員らおらなくなりし食堂の椅子おのおのに表情をもつ
「アルチュール・ランボーは美と刺し違えき」かく記(しる)したり小林秀雄は
鬱の日は花を買いきて家妻と親しむなどの発想憎し
われよりは若くあらねど瑞瑞(みずみず)とわらう女の頬骨高し
労働組合も社会主義も要するに男にてあらねばつまらなし
巻貝の殻に宿りて巻貝になりきつた気で生きているのか
人のみな死にたるごとき街角をゆく自転車とわれと濡れつつ
仏像とまぐわう夢を見ておりしときにかたえに何を見たりき
ドストエフスキー先妻マリヤ後妻アンナ愛人二名の写真並べり
H・I氏愛人某として写真一葉残ることなけむ
「白桃」を読み「鵞卵亭」を読む昼のonanismのごとき愉しさ
女をば換うれば性欲兆すという生理学的根拠ありや否や
娶られて姓変うるとう滑稽をいまはなさむとおもう何故
今からにてもよかるべしわがあたま魚の頭に替え給えかし
雲間より洩るるひかりはややしばし島近き海のおもてを照らす
こだわらずなりいるらしき朝けより互(かた)みに平たき声を出しおり
湖の面に風のあるらしく波立つところ波立たぬところ
正確を伝えむとする性癖のために気分を害せしむるらし
女より姓が奪われゆくことを不思議と思わざること不思議
誰にてもありふれしこと耐うるべきことのいちいち肯わずわれは
公園の石のベンチに臀(いさらい)をのせておりけり楽しくはなし
この昼のわけのわからぬ悲しみを木の箸をもて選(え)り分けている
電車より見ゆる交叉路信号を待ちいる顔に表情あらず
何事もあらざるひと日ゆうぐれは赤きズボンをはきて出てゆく
鉄骨の林を渡る月あおくいたく球体という感じなり
茜さす雲の夥しきところいのちの泡のあわ立ちにけり
首たてて葦群のうえ高くゆくああ白鷺であつたらいいに
目覚めむとするきわにして仄仄と男をおもう二三分間
◇「天の鴉片」
男女にて棲むあわれさは共どもに瓢箪に呑み込まるるごとし
われとわが魂恋うるごときかな牛胃(せんまい)の皿ひきよせながら
木木の間を釣り上げられてゆく月は黄色濃ゆき糜(あざ)れ熟む月
花つきて黄を帯ぶる樟かにかくにこころふくるる美は何ならむ
男の美学叙情甲斐性等等を頌えながらに世は励むらし
みどりごの吸いたるあとの乳首のふてぶてしさよ猛猛しさよ
自己完成を第一義とせずなりし伊藤野枝そののち五度(ごたび)孕みき
鞦韆に天(あめ)の錘りのごと揺るる小肉塊を子供といえり ※鞦韆(しゅうせん)=ぶらんこ
縮れ咲く紅猿滑(べにさるすべり)われにきて溺るる堕つる男あらずや
杜鵑草(ほととぎす)むらさき濃ゆき草むらや〈わたくし〉がまた逃げてしまえり
ゆきどまりのようなさびしさ砂溜る清涼飲料水販売機前
樹下(こした)には浅き緑の炎立(ほむらだ)ち死ぬるまでわれ男愛さむ
沼岸の枯葦群が吐くひかり葉摺れのおとのかすか乱れて
濃き悲哀もちてうつろう緬羊の雲は東の方(かた)へ群れつつ
復讐心さらに研ぐべし研ぐならば、青天に枇杷花をかかげて
南面の山に重たく垂れこむる雷雲のごと胡床居(あぐらい)をせり
たいらけくひとしきという概念を大笑いせよ遠阿蘇の嶺
西ひくく光乱れている雲よ左太腿(ふともも)のあたりが痒し
男女の社会契約謳いしオランプ・ド・グージュは首刎ねられたりき
暖かき雨に湿れる青野ゆきひとのよろこぶことよろこばむ
木の芽雨降り出しそうな空でして黒きスカーフ巻きて歩める
玄海の春の入江は潮満ちて波ひとつまたひとつもみあぐ
濃淡の山は南につらなりてわれはわれのみの行いをする
ふくらめるゴム手袋の指五つ道のうえにていたくし淫靡
ハンカチーフ白く握りて坐りいる妊婦の腹のいまわしきかな
枇杷の実の点る木したをおんななる魂のややあかるみてゆく
つねに娼婦のこころをもちて生きたしと直截にして噓はなけれど
雲くらく走れる空にいくたびも思い出づ「女は怖しき職業なり」
紅蜀葵蕊(しべ)の高きに触れゆきしよごれはてたる心といわむ ※紅蜀葵(こうしょっき)=モミジアオイの別名
回転をするプロペラが窓に見ゆ連想は埒(らち)もなきことながら
みちのくの花巻は雨 空間を躰移りてきたるかなしみ
彼死なば手に入る三百万円が明滅をしていたるときのま
道端にもの言うごとく燃殻(もえがら)が風にいくたびも立ち上りいる
自らの意識を意識しつつゆくわが足元に水無き窪み
自立する女ふゆるを危ぶみて母性を頌(たた)ういつの時代も
何ゆえにある乳房かや昼寒き町にきたりて楊枝を購(もと)む
みどりごのやわき頭を掌のひらにつつめど母性湧くにもあらず
風出ずる枯葦原はよしきりの群の戻るを吸いこみにけり
手の技(わざ)につむぐ言の葉言の葉が天の鴉片であらばよけむに ※鴉片=阿片
火を入るるスイッチに声咽びつつ火をくぐり来し骨には泣かず ※咽ぶ=むせぶ
もとわれら神人なれば天降(あも)るべく電気洗濯機の渦を見下ろす
◇「白微光」
今日ひと日卵(らん)のごとくにあたたむる「復讐不可能の憎悪」という語
枇杷の木の下に跼まりおりたりし今日のひと日の七八分間 ※跼む=かがむ
さはさあれこの音韻のたのしさはかあるびんそんかあるびんそん
夫婦は同居すべしまぐわいなすべしといずれの莫迦が掟てたりけむ
往来の繁き歩廊は輝きていずこへゆかば心(うら)慰まむ
道端に寄る泥雪を踏みあゆむこころなやみのなきひとのごと
たまほこの道のほとりにあらわれて椿の幹はわれを誘(おび)くよ
きのうより今日おもむろにふくらめるさくらのつぼみ気色の悪し
愛執の糸吐く男あわれなれゴリラの雄のごときこころに
「うらわかきかなしき力(ちから)あが母の・・・」何に汝ら誑(たぶら)かされき
陰微なるにくしみうごくこの夜を咲きてむらがる紅立葵
かたちなき叢雲(むらくも)うごく空のしたあぶらのうける鼻もてあゆむ
滅びつつわれはあるらむ湯上りの臍の窪みにしずく飾りて
道の辺の茅花のわたのくずるるを聴かむとぞしてかがまりにけり
然(しか)り然り然りというか大蒜(にんにく)を食べたる口のにおいて戻る
人類は滅ぶともよし滅ぶともゆびをもて剥ぐ白桃の皮
公園の秋昏れがたの息吸えりわれはたのしく鼻翼を張りて
石もちて額(ぬか)うち砕くあけがたの夢のみなもとさびしさびし
かっぱえびせんのごときわれかも道の上こぼれておれるかっぱえびせん
このうえは大まじめなる悲しみもなくてさぶさぶ梨の実を食ぶ
さてさてもRCサクセションゆえにああしゃをこしゃを畳に跳ねる
青天をあおぎて路地をゆくときを鍋欲し一つ被らむがため
乾きたる砂利道あゆみ来し夜のみぎの目蓋(まなぶた)ひきつりやまず
わたくしという現象がたそがれの楽鳴るあづま通りを過(よぎ)る
出でて来し午前一時の石のうえ泰山木の花蕊落ちて
とどろける環状七号線上の橋をしょんがらしょんがら渡る
あかねさす昼の鴉は洞(ほら)なせるわが室(へや)に来て啼きはじめたり
とてもかくても呪呪(のろのろ)しけれ意趣返しせむとはかりき二晩がほど
足首の弛みておれる靴下をいやがりながら如月三日
街空にぼうと立ちたる煙突を今日のあゆみのわが友として
わが腎(むらと)わがこころはやくれないの塵夢へ泳ぎゆきて戻らず
笛鳴りて扉(とびら)しまりて照ることば糞ころがしは糞に執すと
地下駅の歩廊の黄なる円柱のへに「愛縛(あいばく)」の語はも降り来る
ほほえみは口のほとりに来りけり幹吹くかぜのあまやかにして
阿木津 英(あきつえい)
昭和25年、福岡県行橋市に生まれる。昭和47年、九州大学哲学科卒。昭和49年、石田比呂志に出会い、作歌を始める。昭和50年5月、熊本に移住。昭和54年、「紫木蓮まで」30首によって短歌研究新人賞受賞。昭和55年、歌集『紫木蓮まで・風舌』出版、現代歌人集会賞受賞。昭和59年、『天の鴉片』出版、現代歌人協会賞受賞。昭和60年4月、猫の巴虎をつれて東京に移住。昭和62年、歌集『白微光』出版。
昭和25年、福岡県行橋市に生まれる。昭和47年、九州大学哲学科卒。昭和49年、石田比呂志に出会い、作歌を始める。昭和50年5月、熊本に移住。昭和54年、「紫木蓮まで」30首によって短歌研究新人賞受賞。昭和55年、歌集『紫木蓮まで・風舌』出版、現代歌人集会賞受賞。昭和59年、『天の鴉片』出版、現代歌人協会賞受賞。昭和60年4月、猫の巴虎をつれて東京に移住。昭和62年、歌集『白微光』出版。