『石田比呂志全歌集』(01)より、第六歌集『鶏肋』(83)と第七歌集『滴滴』(86)について、一読して気になった歌を引用します。
◆鶏肋
しろしきぶむらさきしきぶ玉結ぶ「人に好かるる人にはなるな」
宍道湖ゆ来たる鱸をこよい愛づ肥後六調子荒酒据えて
濁りたる心のままに夕ぐれはズボンの裾の濡れて歩めり
憤りいまだかすかに残るころ床屋の鏡のなかに来ている
塀の角曲り来たりて道くさを楽しむごとき歩みとなりつ
葱一把胡瓜六本茄子四本(しほん)さげて感傷なきことのなし
脈絡のなきことながら十六六指(じゆうろくむさし)の雪隠詰というを思えり
あかねさす昼のひかりは木隠(こがく)りの仏の膝の苔を照らしぬ
五十過ぎて結語をもたざれば夜の酒場に来たりて唄う
熱燗の酒くる待ちているあいだ辛子蓮根の穴覗きおり
指さきゆ煙草の烟くゆらせて雲国斉先生厠に跼む
草がくり道に綴れるオオイヌノフグリの花の今日の瑠璃いろ
ばらの花くれない咲(わら)い黄(きな)咲いしろ妙咲う歩み来たれば
やわらかき心を欠きて解すなし人事がことも自然(じねん)がことも
した心いたく汚く夕雨(ゆうさめ)は石の面を洗いはじめつ
幹曲がる椿ひともと見て過ぐる埒もなきこと思いながらに
遠雷におくれて降れる夜のあめ回想を強うる如くに降れり
即席の麺啜る昼つれあいも隣りに音をたてて啜りぬ
幹痩せし鉢のつばきが花もちて咲くは摂理の如くかなしく
浮きてまた沈む金魚を見つつおり口に冷たき酒をふくみて
脛にくる夏の痩蚊を叩きつつわれを過ぎゆく時間の尊(とうと)
鍋の湯の滾る面に浮かびきて湯布院豆腐白はなやげり ※滾る=たぎる
額(ぬか)の汗おさまりゆきてせせらぎの音ぞ聞こゆるきよきこえにて
峨眉山は文殊仙寺ののぼり路につむりにとまる虫を払いぬ
日暮るるにいまだ間のある鶏籠山(けいろうざん)その上空の雲に光あり
生きていることのほどよさゆきずりの茜に染まりいる小半時
熟れ過ぎし香母酢の酸(さん)をしぼるかないち日の些事ひと生の愚昧
夜の明けにひとり死にきと聞くからに何を思いて事切れにけむ
夜半寒く畳の上に起き出でて薬罐の水を口づけに飲む
とくとくと注げば徳利の酒が鳴る心残りの人生でして
われはわれの思いのなかにひとりおり飲むより飲まざるときがさびしき
憂いなどなきがごとくに飯を食うわれを観察しており妻は
うたかたとなりけるものは何と何つづまりは生きてさえおらばよし
ゆくりなく百舌の鋭声(とごえ)を耳福としあしたの草の霜を踏みゆく
かのくにの故事(ふるごと)ひとつゆくりなしうなじを垂れてしゃぶる鶏肋
しろしきぶむらさきしきぶ玉結ぶ「人に好かるる人にはなるな」
宍道湖ゆ来たる鱸をこよい愛づ肥後六調子荒酒据えて
濁りたる心のままに夕ぐれはズボンの裾の濡れて歩めり
憤りいまだかすかに残るころ床屋の鏡のなかに来ている
塀の角曲り来たりて道くさを楽しむごとき歩みとなりつ
葱一把胡瓜六本茄子四本(しほん)さげて感傷なきことのなし
脈絡のなきことながら十六六指(じゆうろくむさし)の雪隠詰というを思えり
あかねさす昼のひかりは木隠(こがく)りの仏の膝の苔を照らしぬ
五十過ぎて結語をもたざれば夜の酒場に来たりて唄う
熱燗の酒くる待ちているあいだ辛子蓮根の穴覗きおり
指さきゆ煙草の烟くゆらせて雲国斉先生厠に跼む
草がくり道に綴れるオオイヌノフグリの花の今日の瑠璃いろ
ばらの花くれない咲(わら)い黄(きな)咲いしろ妙咲う歩み来たれば
やわらかき心を欠きて解すなし人事がことも自然(じねん)がことも
した心いたく汚く夕雨(ゆうさめ)は石の面を洗いはじめつ
幹曲がる椿ひともと見て過ぐる埒もなきこと思いながらに
遠雷におくれて降れる夜のあめ回想を強うる如くに降れり
即席の麺啜る昼つれあいも隣りに音をたてて啜りぬ
幹痩せし鉢のつばきが花もちて咲くは摂理の如くかなしく
浮きてまた沈む金魚を見つつおり口に冷たき酒をふくみて
脛にくる夏の痩蚊を叩きつつわれを過ぎゆく時間の尊(とうと)
鍋の湯の滾る面に浮かびきて湯布院豆腐白はなやげり ※滾る=たぎる
額(ぬか)の汗おさまりゆきてせせらぎの音ぞ聞こゆるきよきこえにて
峨眉山は文殊仙寺ののぼり路につむりにとまる虫を払いぬ
日暮るるにいまだ間のある鶏籠山(けいろうざん)その上空の雲に光あり
生きていることのほどよさゆきずりの茜に染まりいる小半時
熟れ過ぎし香母酢の酸(さん)をしぼるかないち日の些事ひと生の愚昧
夜の明けにひとり死にきと聞くからに何を思いて事切れにけむ
夜半寒く畳の上に起き出でて薬罐の水を口づけに飲む
とくとくと注げば徳利の酒が鳴る心残りの人生でして
われはわれの思いのなかにひとりおり飲むより飲まざるときがさびしき
憂いなどなきがごとくに飯を食うわれを観察しており妻は
うたかたとなりけるものは何と何つづまりは生きてさえおらばよし
ゆくりなく百舌の鋭声(とごえ)を耳福としあしたの草の霜を踏みゆく
かのくにの故事(ふるごと)ひとつゆくりなしうなじを垂れてしゃぶる鶏肋
◆滴滴
酔を吐く女の背中撫でているわれの右手に感傷のなし
ナルシシズムの涙を墨のごと流し最終バスに帰りゆきたり
よべの酒匂う体を運びゆく人の疎むよりおのれ疎みて
人間がけむりになりてゆくときの煙は冷たかるや暖かかるや
沈丁は雨に打たれて匂いなしここに浅薄の抒情をするな
いちにちのわれの友とし庭前の雨中のさくら千の滴り
底焦げし薬罐がひとつぽつねんとコンロの上に坐りておりぬ
意気地なき夕べとなりてもくれんの匂える白に数歩の歩み
いくらかは禿のすすみているつむり天道虫の来たりてとまる
晴天に布団かかえて出でて来ぬこれからのちはゆっくり生きむ
みずからにけじめとなして消去する日々に濃き日と淡き日とあり
大根をさげて歩めば大根の白の晶(すず)しき夕ぐれのみち
天晴(あまば)れの路上に雀一羽二羽跳ぬるよいのち活?晩にして
七月の笊に溢れている鰯ふとももの憂し人であること ※笊=ざる
うっすらとのびし顎ひげ払わむと思いて歩む風に吹かれて
くれないの椿がひとつまたひとつ笑いて落ちつ雪の日向に
止まり木にとまる男のかたわらに今宵もわれの来たりて止まる
雨の夜のしらしら明けにわが未来(ゆくえ)自問すおのれ恕(ゆる)す如くに
枝と枝打ち合う音す新しき年になりてもなに変るなし
半白の髪刈らせつつさしあたり死なねばならぬということもなし
普門山隣政寺庫裏昼の餉(け)に皿に二串盛る板五平(いたごへい)
虎杖の赤珍しみゆく山路こぼれし萩のいろのむらさき ※虎杖=いたどり
ありなしの低かぜ渡る山峡はさざんかの赤南天の赤
わけのわからぬ人生でしてあらここに吊されている赤蕪の赤
秋の果(み)の柑橘青しこの秋にとつぐ女を好きになる
冷蔵の桃をひとりししゃぶるかな桃に飜弄さるる如くに
しろたえの腹を反してさかのぼる鮠に非力という力あり ※鮠=はや
阿とばかりあけし仏の口中に差しこむひかりいかにも温し
倉皇と蟻のよぎりてゆける坂くだるひとりの歩行者として ※倉皇=あわただしいさま
今日の褻(け)の味噌のお汁(つゆ)に滴らす阿波のすだちの香りは鋼(はがね) ※褻=公でないこと。日常
高千穂の赤が来たりて熊本の赤となりたり今年のかえで
街の角まがれば通う風のあり今日吹く風はやや広く吹く
串刺しにされし沢蟹焼かれおり炉辺(ろへん)の幸(さち)というを希うな
甘藍の玉を抱えて八百屋より出づれば空に風が鳴りおり ※甘藍=キャベツ
夕つ日は群をはなれて草を食(は)む乳豊かなる牛を照らしぬ
晒したるオニオンスライス豚肉燻製(ハム)に添え今宵父の忌飲まざらめやも
なに食わぬ顔して今年終らむか痩せたる月を仰ぎて帰る
松の木の下もとおれば松の木に風わたりおり松の音にて
十薬の煮えいる音のいつしらに夜ふる雨の音と混れり 十薬=ドクダミの別称
今日(こんにち)は何を得むとて振り仰ぐ空の一隅(いちぐう)鳥帰るなれ
平明というむごたらしさよ庭の木の枝払われつ年の終りに
万事足る万事足るとぞ慎みの鐘鳴り出づる五十四歳
水桶の底にひとりし呟きて年の夜こゆる豆腐もあらむ
かくばかり齢(よわい)痩せつつ鮭の身を切れば鮭の身くれない深し
顔を脱ぐごとく去年(こぞ)より今年へと渡り来たりて鼻頭(びとう)が寒し
朱(しゆ)に点りながら解(ほど)くる沈丁の花に表情というもののあり
ひと日またひと日ふふめる淡紅の花の荒涼来たりて覗く
門べなる桜若木に晴雨あり今日は明るきひかりにそよぐ
この朝け春は終りの清涼に何の使いの虫か来ている
下痢の腹癒えぬはかなさ庭前はえびねの蘭の花終りつつ
おおここに風をふふみて丈低き阿蘇高はらの秋のりんどう
夕づける春のひかりはしろがねの谷川岳の胸を照らしぬ
あらこれは?追の芽かしら天麩羅を箸にはさめば外(と)は雨の音 ※?追の芽=たらのめ
手首より外せし時計卓上に機械の音を刻みはじめつ
酒呑めば肝(かん)が哭くなりさはさあれ正木君あり正木夫人あり
厠へと廊下を踏みてゆく音をわれの外より聞く人のなし
男ひとり厨に魚の首撥ぬるああ包丁の切れ過ぎるかな
留守居していたりし犬の頭撫で開(あ)くる玄関戸の中の闇
酒のみてひとりしがなく食うししゃも尻から食われて痛いかししゃも
なるようになりてしまいし一経過あしたの飯(まま)に卵を落す
それなりの帳じり合っているひと生(よ)今宵の風呂に首出している
身を醂(さわ)すように生き来てこの上のなにを得むとす掌上(しようじよう)に桃
小さき旅終るひと日や灯の下に首をけだるく振る扇風機
魚市の昼の店さき蝦蛄買うと爺(じじ)がしばらくしゃがみておれり ※蝦蛄=しゃこ
笑わなくなりたるわれの来て立てる白咲きのぼる紫蘇の穂の前
即席麺啜れるわれを三和土より犬が頭(つむり)をかしげて見おり
日々太りゆく庭前の柑(かん)の実を小現実としてかしこみつ
孤独などは分ち合えるものでなし鯛の頭に酒注ぎつつ
手を洗うついでに覗きこむ鏡男に素顔というもののあり
極楽の日和となりて日に干せり足の裏側二つ並べて
蓮根の穴の向うに冬の日がおりおり笑う如くに照れり
物干の竿に吹かるるわが軽羅洗いくれしは理香ちゃんならむ
皿の上に露をふふみている葡萄見つつし湧けり何の涙か
火を垂れて飛べる螢の明滅とわれの鼓動としばらく合えり
わが庭に泪ながらに点りける阿蘇のなでしこ含浄(がんじよう)の紅(こう)
〈繊月〉の四合の瓶とくれないの馬肉と今日の涙の因(もとい) ※繊月=せんげつ(細い形の月。三日月などの称)
逆しまに吊されている唐辛子ああ極辛(ごくしん)の夕日を浴びて
酔を吐く女の背中撫でているわれの右手に感傷のなし
ナルシシズムの涙を墨のごと流し最終バスに帰りゆきたり
よべの酒匂う体を運びゆく人の疎むよりおのれ疎みて
人間がけむりになりてゆくときの煙は冷たかるや暖かかるや
沈丁は雨に打たれて匂いなしここに浅薄の抒情をするな
いちにちのわれの友とし庭前の雨中のさくら千の滴り
底焦げし薬罐がひとつぽつねんとコンロの上に坐りておりぬ
意気地なき夕べとなりてもくれんの匂える白に数歩の歩み
いくらかは禿のすすみているつむり天道虫の来たりてとまる
晴天に布団かかえて出でて来ぬこれからのちはゆっくり生きむ
みずからにけじめとなして消去する日々に濃き日と淡き日とあり
大根をさげて歩めば大根の白の晶(すず)しき夕ぐれのみち
天晴(あまば)れの路上に雀一羽二羽跳ぬるよいのち活?晩にして
七月の笊に溢れている鰯ふとももの憂し人であること ※笊=ざる
うっすらとのびし顎ひげ払わむと思いて歩む風に吹かれて
くれないの椿がひとつまたひとつ笑いて落ちつ雪の日向に
止まり木にとまる男のかたわらに今宵もわれの来たりて止まる
雨の夜のしらしら明けにわが未来(ゆくえ)自問すおのれ恕(ゆる)す如くに
枝と枝打ち合う音す新しき年になりてもなに変るなし
半白の髪刈らせつつさしあたり死なねばならぬということもなし
普門山隣政寺庫裏昼の餉(け)に皿に二串盛る板五平(いたごへい)
虎杖の赤珍しみゆく山路こぼれし萩のいろのむらさき ※虎杖=いたどり
ありなしの低かぜ渡る山峡はさざんかの赤南天の赤
わけのわからぬ人生でしてあらここに吊されている赤蕪の赤
秋の果(み)の柑橘青しこの秋にとつぐ女を好きになる
冷蔵の桃をひとりししゃぶるかな桃に飜弄さるる如くに
しろたえの腹を反してさかのぼる鮠に非力という力あり ※鮠=はや
阿とばかりあけし仏の口中に差しこむひかりいかにも温し
倉皇と蟻のよぎりてゆける坂くだるひとりの歩行者として ※倉皇=あわただしいさま
今日の褻(け)の味噌のお汁(つゆ)に滴らす阿波のすだちの香りは鋼(はがね) ※褻=公でないこと。日常
高千穂の赤が来たりて熊本の赤となりたり今年のかえで
街の角まがれば通う風のあり今日吹く風はやや広く吹く
串刺しにされし沢蟹焼かれおり炉辺(ろへん)の幸(さち)というを希うな
甘藍の玉を抱えて八百屋より出づれば空に風が鳴りおり ※甘藍=キャベツ
夕つ日は群をはなれて草を食(は)む乳豊かなる牛を照らしぬ
晒したるオニオンスライス豚肉燻製(ハム)に添え今宵父の忌飲まざらめやも
なに食わぬ顔して今年終らむか痩せたる月を仰ぎて帰る
松の木の下もとおれば松の木に風わたりおり松の音にて
十薬の煮えいる音のいつしらに夜ふる雨の音と混れり 十薬=ドクダミの別称
今日(こんにち)は何を得むとて振り仰ぐ空の一隅(いちぐう)鳥帰るなれ
平明というむごたらしさよ庭の木の枝払われつ年の終りに
万事足る万事足るとぞ慎みの鐘鳴り出づる五十四歳
水桶の底にひとりし呟きて年の夜こゆる豆腐もあらむ
かくばかり齢(よわい)痩せつつ鮭の身を切れば鮭の身くれない深し
顔を脱ぐごとく去年(こぞ)より今年へと渡り来たりて鼻頭(びとう)が寒し
朱(しゆ)に点りながら解(ほど)くる沈丁の花に表情というもののあり
ひと日またひと日ふふめる淡紅の花の荒涼来たりて覗く
門べなる桜若木に晴雨あり今日は明るきひかりにそよぐ
この朝け春は終りの清涼に何の使いの虫か来ている
下痢の腹癒えぬはかなさ庭前はえびねの蘭の花終りつつ
おおここに風をふふみて丈低き阿蘇高はらの秋のりんどう
夕づける春のひかりはしろがねの谷川岳の胸を照らしぬ
あらこれは?追の芽かしら天麩羅を箸にはさめば外(と)は雨の音 ※?追の芽=たらのめ
手首より外せし時計卓上に機械の音を刻みはじめつ
酒呑めば肝(かん)が哭くなりさはさあれ正木君あり正木夫人あり
厠へと廊下を踏みてゆく音をわれの外より聞く人のなし
男ひとり厨に魚の首撥ぬるああ包丁の切れ過ぎるかな
留守居していたりし犬の頭撫で開(あ)くる玄関戸の中の闇
酒のみてひとりしがなく食うししゃも尻から食われて痛いかししゃも
なるようになりてしまいし一経過あしたの飯(まま)に卵を落す
それなりの帳じり合っているひと生(よ)今宵の風呂に首出している
身を醂(さわ)すように生き来てこの上のなにを得むとす掌上(しようじよう)に桃
小さき旅終るひと日や灯の下に首をけだるく振る扇風機
魚市の昼の店さき蝦蛄買うと爺(じじ)がしばらくしゃがみておれり ※蝦蛄=しゃこ
笑わなくなりたるわれの来て立てる白咲きのぼる紫蘇の穂の前
即席麺啜れるわれを三和土より犬が頭(つむり)をかしげて見おり
日々太りゆく庭前の柑(かん)の実を小現実としてかしこみつ
孤独などは分ち合えるものでなし鯛の頭に酒注ぎつつ
手を洗うついでに覗きこむ鏡男に素顔というもののあり
極楽の日和となりて日に干せり足の裏側二つ並べて
蓮根の穴の向うに冬の日がおりおり笑う如くに照れり
物干の竿に吹かるるわが軽羅洗いくれしは理香ちゃんならむ
皿の上に露をふふみている葡萄見つつし湧けり何の涙か
火を垂れて飛べる螢の明滅とわれの鼓動としばらく合えり
わが庭に泪ながらに点りける阿蘇のなでしこ含浄(がんじよう)の紅(こう)
〈繊月〉の四合の瓶とくれないの馬肉と今日の涙の因(もとい) ※繊月=せんげつ(細い形の月。三日月などの称)
逆しまに吊されている唐辛子ああ極辛(ごくしん)の夕日を浴びて