『石田比呂志全歌集』(01)より、第八歌集『九州の傘』(89)と第九歌集『』(92)について、一読して気になった歌を引用します。
◆九州の傘
なにひとつ遂げざらむひと生(よ)はかなめば拍手おこりて漫才終る
誰かひとりくらいは来てもよさそうなひとり暮しの夕ぐれである
しぐれ傘一輪咲かせむらさきに烟る坂路(さかじ)にさしかかりたり
鼻の穴ほじくりながら思うらく案外楽に死ぬるか知れず
隣り家は山茱萸咲(わら)いわが庭は三月十日桃始笑(はじめてさく) ※山茱萸=やまぐみ
菜の虫の蝶と化(な)りゆく寒暖の今日は四温の雨となりたり
てのひらに載せて豆腐を切りているわれ可笑しからむ客観すれば
春宵(しゆんしよう)の酒場にひとり酒啜る誰か来(こ)んかなあ誰(た)あれも来るな
べろべろに酔いて戻れば玄関にわれ待ちくるる灯りがぽつん
啄木忌 雨の路上にべとべとと何を惜しまむさくら踏みつつ
職業の欄に無職と記すさえペンの滑りの滞るなし
おおかたのこともいつしか過ぎゆけり老猫(ろうびよう)ひとつわが前歩む
橙は熟れきわまりて落ちしかど昼ふけの道ゆく人のなし
あかねさすここは青山墓どころ茂吉探せば百舌が高鳴く
雪ふれる動物園に来てわれは赤き猿(ましら)の尻見て帰る
丈いまだ低きがままに水仙の薫らむとせり雪の夕べを
冬終る昨日また今日花もてるくれない木瓜に歩みは止まる
首振らずなりし扇風機ある日ふと回想の首振りはじめたり
かの夏のはかなかりにし手力の残るてのひら右のてのひら
ここ過ぎていかなる老いに入りゆかむ甃(いしみち)のうえ影先立てて
妻子らに褒められながら定年の友が煮っころがし作りいるとぞ
滑降し来たる鴎が双脚に波の頭(かしら)を掴みて立てり
老眼のメガネの曇り拭うかなひと生(よ)を泡とまでは思わぬ
しみじみと仰げば山をはなれゆく雲あり今日は何の日ならむ
向岸(むかぎし)になびく葦群音のなしここの岸には風の音して
まれまれに栗の実落つる林ゆく行けば音してまた一つ落つ
さびしいとおのれ囀るカナリアよおやめなさいよもうやめなさい
今日まれに心のどこか耀うとおのれさびしむセロリ噛みつつ
人と水ありて成りたる名護の水オリオンビール喉くすぐれり
優しさは憂(うれい)に人を添わしむるかくの如きか文字の簡明
盃のふちを舐めつつ今宵ふと兆す満月のような淋しさ
隣りより伸びて来たりし枝先が今年は赤き椿となりつ
かば焼の鰻を食いて腹満てる土用丑の日西空赤し
悲しみに因りて涙に深浅あり今日の涙は塩分強し
人はみな心の延(はえ)の人相に出づるよ雷(かみなり)さんが鳴るなり
酒飲みのかつ人生の先輩として先に酔う ちょっと失礼
梅の枝切り落しつつ何をして来たりしわれの過去かと思う
静かなる淀みに舟の入りしかば浮く紅萩の動くともなし
向山は公孫樹のもみじ楓(かえるで)のもみじ綴れり頂き照りて
灯籠の裾にひとむら咲き残る白ほととぎす拝(おろが)む如く
店先に並ぶ試食の山の菜(な)を噛めばしみじみ旅の風来(ふうらい)
愁いなき旅とし言わむ青天の甲府発ち来て河口湖は風
湖岸(うみぎし)をゆけば汀に寄るとしもなく浮く鳰か空気冷えつつ ※鳰=にお(カイツブリの古名)
湖の対岸遠く暮れなずみ点りゆく灯に遅早(おそはや)のあり
風出でて靄払われし湖面にはふたたび星の宿りはじめつ
冷蔵の音のするさえはかなけれ旅のひとりの夜の枕に
千振(せんぶり)の錠剤五つとりとめのなき思い連れ心壺(しんこ)に落ちつ
旅五日酒に泣かせし臓(はらわた)を持ちて帰らむ明日は肥後まで
左岸より右岸へ湖面渡りゆく朝(あした)の靄は速度をもてり
なにひとつ遂げざらむひと生(よ)はかなめば拍手おこりて漫才終る
誰かひとりくらいは来てもよさそうなひとり暮しの夕ぐれである
しぐれ傘一輪咲かせむらさきに烟る坂路(さかじ)にさしかかりたり
鼻の穴ほじくりながら思うらく案外楽に死ぬるか知れず
隣り家は山茱萸咲(わら)いわが庭は三月十日桃始笑(はじめてさく) ※山茱萸=やまぐみ
菜の虫の蝶と化(な)りゆく寒暖の今日は四温の雨となりたり
てのひらに載せて豆腐を切りているわれ可笑しからむ客観すれば
春宵(しゆんしよう)の酒場にひとり酒啜る誰か来(こ)んかなあ誰(た)あれも来るな
べろべろに酔いて戻れば玄関にわれ待ちくるる灯りがぽつん
啄木忌 雨の路上にべとべとと何を惜しまむさくら踏みつつ
職業の欄に無職と記すさえペンの滑りの滞るなし
おおかたのこともいつしか過ぎゆけり老猫(ろうびよう)ひとつわが前歩む
橙は熟れきわまりて落ちしかど昼ふけの道ゆく人のなし
あかねさすここは青山墓どころ茂吉探せば百舌が高鳴く
雪ふれる動物園に来てわれは赤き猿(ましら)の尻見て帰る
丈いまだ低きがままに水仙の薫らむとせり雪の夕べを
冬終る昨日また今日花もてるくれない木瓜に歩みは止まる
首振らずなりし扇風機ある日ふと回想の首振りはじめたり
かの夏のはかなかりにし手力の残るてのひら右のてのひら
ここ過ぎていかなる老いに入りゆかむ甃(いしみち)のうえ影先立てて
妻子らに褒められながら定年の友が煮っころがし作りいるとぞ
滑降し来たる鴎が双脚に波の頭(かしら)を掴みて立てり
老眼のメガネの曇り拭うかなひと生(よ)を泡とまでは思わぬ
しみじみと仰げば山をはなれゆく雲あり今日は何の日ならむ
向岸(むかぎし)になびく葦群音のなしここの岸には風の音して
まれまれに栗の実落つる林ゆく行けば音してまた一つ落つ
さびしいとおのれ囀るカナリアよおやめなさいよもうやめなさい
今日まれに心のどこか耀うとおのれさびしむセロリ噛みつつ
人と水ありて成りたる名護の水オリオンビール喉くすぐれり
優しさは憂(うれい)に人を添わしむるかくの如きか文字の簡明
盃のふちを舐めつつ今宵ふと兆す満月のような淋しさ
隣りより伸びて来たりし枝先が今年は赤き椿となりつ
かば焼の鰻を食いて腹満てる土用丑の日西空赤し
悲しみに因りて涙に深浅あり今日の涙は塩分強し
人はみな心の延(はえ)の人相に出づるよ雷(かみなり)さんが鳴るなり
酒飲みのかつ人生の先輩として先に酔う ちょっと失礼
梅の枝切り落しつつ何をして来たりしわれの過去かと思う
静かなる淀みに舟の入りしかば浮く紅萩の動くともなし
向山は公孫樹のもみじ楓(かえるで)のもみじ綴れり頂き照りて
灯籠の裾にひとむら咲き残る白ほととぎす拝(おろが)む如く
店先に並ぶ試食の山の菜(な)を噛めばしみじみ旅の風来(ふうらい)
愁いなき旅とし言わむ青天の甲府発ち来て河口湖は風
湖岸(うみぎし)をゆけば汀に寄るとしもなく浮く鳰か空気冷えつつ ※鳰=にお(カイツブリの古名)
湖の対岸遠く暮れなずみ点りゆく灯に遅早(おそはや)のあり
風出でて靄払われし湖面にはふたたび星の宿りはじめつ
冷蔵の音のするさえはかなけれ旅のひとりの夜の枕に
千振(せんぶり)の錠剤五つとりとめのなき思い連れ心壺(しんこ)に落ちつ
旅五日酒に泣かせし臓(はらわた)を持ちて帰らむ明日は肥後まで
左岸より右岸へ湖面渡りゆく朝(あした)の靄は速度をもてり
◆孑孑(ぼうふら)
竹を吹く風と梅吹く風とあり運と不運を吹き分けながら
独りなる暮し反芻していしがふとも寒さが口つきて出づ
何がなし呟きながらゆく歩み雪に汚れし歩道橋の上
差し交わす枝葉(しよう)の間(かん)に覗く空なにか奥深く限りなき青
曇りとも晴ともつかぬ改元の八日の空の暮れむとすなる
きのう雨今日は露滴(ろてき)の春ながら石の仏は孤独が嫌い
れんげ田はれんげ明るく菜畠は菜の黄明るし雲雀は高し
溢れむとしたる泪を瞼(まなぶた)の力に犇と抑えたりしか
ねぶらする鮎のはらわた旨しとぞはた苦(にが)しとぞ舌打ち鳴らし
絵画にても何にてもよし上手より出でたるものの上には詩あり
じゃがいもの花の咲くころ迷い来し施餓鬼供養の葉書ひとひら
おとといと昨日と今日と来て啼ける今年の蝉の諦念(あきらめ)のこえ
古(いにしえ)ゆ石の頭(こうべ)を撫でゆきし晴雨のことも一瞬(ひとつまたたき)
ぼんやりと足投げ出しているわれと机の上の所在なき蠅
雨のやむときの断続の音聞こゆ雨も憩うということのあり
何為(な)せと母生みくれき俎に刻む玉葱眼にし沁みるよ
幸せか何かのように手許より林檎の皮の渦が生まるる
六十年生きて来たりて就中うまく老いしというにもあらず
白菜の束が店頭に積まれいて初心(うぶ)な女のような尻なり
転寝(うたたね)をしているわれの足裏を暖冬の風くすぐりゆけり
もう少し生きたいですよある日ふと釘の頭を打つ音聞こゆ
柑橘が土にずしりと落つる音直接落つるその音ぞよし
鴨はみな流れに向きて浮かびおりわれは生活を単純化せむ
華やかにひらく夜空の遠花火われを距つる彼方の世界
新しき眼鏡をかけて来て跼む赤く点れる酸漿の前 ※酸漿=ほおずき
昨(きぞ)の夜の夢の中にて刻みいし大根ただに白かりしかな
信号を待ちいる犬と信号を待ちいるわれと並びて立てり
珈琲の碗より湯気の立ちのぼる酒気帯ぶるなき今日の小安
物言わぬ石塊ひとつ還暦の足にしみじみ跨ぎて通る
凹凸というもの持てる人間の貌がこの世の陰影刻む
遠(おち)かたの雲は茜にかがよえり吊す下着も夕映のなか
百八つ鐘鳴り終り百八つ煩悩去りしというにもあらず
鱧の身の湯引に塗(まぶ)す梅肉(ばいにく)の擂身の酸(さん)の涼し行夏(ゆくなつ) ※鱧=はも
永劫を風に吹かれむ木片は春荒涼の響きをもてり
一炊の夢より醒めて呆とおり地上は青き雨降りながら
万智ちゃんの歌が流行っているのなら暫時失礼わしゃ昼寝する
ゆきずりの酒場にひとり頬杖をつきおり入梅(ついり)の雨に降られて
冗談じゃねえぜとことん無駄歩きして来ていまさら何をいまさら
動(ゆる)ぎなき存在としてああここに黒牛(こくぎゆう)ひとつ蹲りいる
垂れさがるのれん片手に分けて出て仰ぐ梅雨ぞら星明りせり
お茶かけて食う昼餉(ひるがれい)ひとりたつるひとりの音をひとり楽しみて
蟹の脚ほじくりながら呑むお酒雑念ポイとばかりに捨てて
先客の野良にひと言失礼と言いてしぐれの軒下借れり
どないしようどないしようとて昏れかねて庭に匂いている燕子花 ※燕子花=かきつばた
流れ木はどこの岸辺に着くのやらこの世は幻化(げんけ)閑潰しなり
死に狎るる勿れ生きこじれする勿れお粥もちょうど炊き上がりたり
歯を抜かれ来たりて今宵早寝する諦め難いことばかりなり
太古より立ちているがに鍬の柄を杖に田んぼに人立ちている
諧謔(おどけ)つつおれり人間(ひと)には如何ともしがたき時というものがある
竹を吹く風と梅吹く風とあり運と不運を吹き分けながら
独りなる暮し反芻していしがふとも寒さが口つきて出づ
何がなし呟きながらゆく歩み雪に汚れし歩道橋の上
差し交わす枝葉(しよう)の間(かん)に覗く空なにか奥深く限りなき青
曇りとも晴ともつかぬ改元の八日の空の暮れむとすなる
きのう雨今日は露滴(ろてき)の春ながら石の仏は孤独が嫌い
れんげ田はれんげ明るく菜畠は菜の黄明るし雲雀は高し
溢れむとしたる泪を瞼(まなぶた)の力に犇と抑えたりしか
ねぶらする鮎のはらわた旨しとぞはた苦(にが)しとぞ舌打ち鳴らし
絵画にても何にてもよし上手より出でたるものの上には詩あり
じゃがいもの花の咲くころ迷い来し施餓鬼供養の葉書ひとひら
おとといと昨日と今日と来て啼ける今年の蝉の諦念(あきらめ)のこえ
古(いにしえ)ゆ石の頭(こうべ)を撫でゆきし晴雨のことも一瞬(ひとつまたたき)
ぼんやりと足投げ出しているわれと机の上の所在なき蠅
雨のやむときの断続の音聞こゆ雨も憩うということのあり
何為(な)せと母生みくれき俎に刻む玉葱眼にし沁みるよ
幸せか何かのように手許より林檎の皮の渦が生まるる
六十年生きて来たりて就中うまく老いしというにもあらず
白菜の束が店頭に積まれいて初心(うぶ)な女のような尻なり
転寝(うたたね)をしているわれの足裏を暖冬の風くすぐりゆけり
もう少し生きたいですよある日ふと釘の頭を打つ音聞こゆ
柑橘が土にずしりと落つる音直接落つるその音ぞよし
鴨はみな流れに向きて浮かびおりわれは生活を単純化せむ
華やかにひらく夜空の遠花火われを距つる彼方の世界
新しき眼鏡をかけて来て跼む赤く点れる酸漿の前 ※酸漿=ほおずき
昨(きぞ)の夜の夢の中にて刻みいし大根ただに白かりしかな
信号を待ちいる犬と信号を待ちいるわれと並びて立てり
珈琲の碗より湯気の立ちのぼる酒気帯ぶるなき今日の小安
物言わぬ石塊ひとつ還暦の足にしみじみ跨ぎて通る
凹凸というもの持てる人間の貌がこの世の陰影刻む
遠(おち)かたの雲は茜にかがよえり吊す下着も夕映のなか
百八つ鐘鳴り終り百八つ煩悩去りしというにもあらず
鱧の身の湯引に塗(まぶ)す梅肉(ばいにく)の擂身の酸(さん)の涼し行夏(ゆくなつ) ※鱧=はも
永劫を風に吹かれむ木片は春荒涼の響きをもてり
一炊の夢より醒めて呆とおり地上は青き雨降りながら
万智ちゃんの歌が流行っているのなら暫時失礼わしゃ昼寝する
ゆきずりの酒場にひとり頬杖をつきおり入梅(ついり)の雨に降られて
冗談じゃねえぜとことん無駄歩きして来ていまさら何をいまさら
動(ゆる)ぎなき存在としてああここに黒牛(こくぎゆう)ひとつ蹲りいる
垂れさがるのれん片手に分けて出て仰ぐ梅雨ぞら星明りせり
お茶かけて食う昼餉(ひるがれい)ひとりたつるひとりの音をひとり楽しみて
蟹の脚ほじくりながら呑むお酒雑念ポイとばかりに捨てて
先客の野良にひと言失礼と言いてしぐれの軒下借れり
どないしようどないしようとて昏れかねて庭に匂いている燕子花 ※燕子花=かきつばた
流れ木はどこの岸辺に着くのやらこの世は幻化(げんけ)閑潰しなり
死に狎るる勿れ生きこじれする勿れお粥もちょうど炊き上がりたり
歯を抜かれ来たりて今宵早寝する諦め難いことばかりなり
太古より立ちているがに鍬の柄を杖に田んぼに人立ちている
諧謔(おどけ)つつおれり人間(ひと)には如何ともしがたき時というものがある