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『石田比呂志全歌集』より(6)

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 『石田比呂志全歌集』(01)より、第十歌集『忘八』(95)と第十一歌集『涙壺』(99)について、一読して気になった歌を引用します。

◆忘八

天心をいまおもむろに渡る月木には木の影草に草の影
初七日の席に眼をつむりおり数珠の玉指に数えながらに
法要の席を罷りて来て仰ぐ四月初旬の風のなき空
眠れざる夜々の苦しみさえすらもいつか楽しむ如し齢は
何となく含み笑いをして歩む小倉紺屋町通り雨降る

縄のれん分けて出で来て振り仰ぐ空にまんまる月が出ており
信心のなきわれながら口中に心ばかりの念仏申す
卑劣なることなかりしや夕焼けて胡椒が火傷の如くに赤し
何をして来たりしわれか満天の星が瞬く後生が大事
犬引きているのか犬に人引かれているのかとまれ連れあるはよし

あるだけの酒くみて今は寝ねむとす外(と)は地吹雪の底ごもりつつ
放蕩の父の晩年いかばかり一つ残柿(ざんし)が冬の日に照る
ころころところりころりところがってころがりおちてゆくのでしょうか
徳利の底にわずかの燗ざまし振れば音する雨夜かりがね
湯の街のお湯屋の角に立ちている赤きポストも夕しぐれせり

わが庭に共に老いつつ木はついに生まれし土を出づることなし
つまりそのなどと自分に言い訳をして赤提灯の暖簾をくぐる
男なら愁嘆するな焼鳥も串に刺されておるではないか
胸中に坐る凩どなたにも見せぬ屋台の酒のほろ苦(にが) ※凩=こがらし
酔い深む隙間をびょうと吹き抜ける風の寒さが身に沁みるぞえ

肥後ゆ来て唄う酔余の戯れ歌の節もしどろの浪曲子守唄
鶴首の素焼の瓶の細口が月の雫を呑み込んでいる
かかる夜を花はいずこに散りそめむ誰か電話をかけてくれぬか
はららげる桜の花に去来する鳥は時間の運航知れり ※はららぐ=ばらばらになる。ぼろぼろとくずれ散る。
秋かぜや五百羅漢の御顔に忘八ひとつくらいはあらむ ※忘八=仁義礼智信忠孝悌の8つの徳目を失った者の意~遊女屋。また、その主人。

街角の赤いポストもおのが身の赤き嘆きて立ちているなり
はるばると思えば遠くに来たもんだ肥後の不知火 余生の灯(ともし)
忘れいし物はこれかとてのひらの窪みに秋の日を溜めている


◆涙壺

玄関の敷居にふとも蹴つまずき世に蹴つまずきたるより痛し
諦観という語しきりに浮かぶ日は無性に過去が美しく見ゆ
今日もまた競輪ですか電線の雀が口を揃えて言えり
暖かき御飯に辛子明太子とっくに父の忌など忘れて
残生(のこりよ)といえど行きつく先見えず 空飛びてゆく鳥に迹(あと)無し

望郷(ペペルモコ)古きよき時代(ベル・エポック)よと口つきて出づるよ微醺は感傷を呼ぶ
小生は清く正しく美しく生きて来たとは言うていません
酔えば酔うほどに素面(しらふ)に戻る酒こころ砥面(とめん)に擦(こす)るに似たり
誰もいぬことは分っておるちゅうに「今、帰った」と口より洩るる
駅弁の蓋の飯粒剥がし食う二束三文の心の行方

悔幾つあるにはあるが山茶花の赤がこちらを向きて咲きおり
花舗店の花にまつわりいし蝶がお客の花に止まりてゆきつ
どれどれと立ち来て覗く玄関に思った通り人の影無し
〈美しくそしてころりと死にたいの〉余白を少し残しておいて
ほんとうは淋しくなってひとり食うお茶漬けの味鉄瓶の音

ずるずると妙に長引く流行性感冒(はやりかぜ)心機一転などはもうない
夢失せて手持ち無沙汰の男乗せ地球は回る加速度つけて
人っ子の一人通らぬ裏通り暖簾だらりと一膳めし屋
乱れ散るさくら仰げば整正と秩序正しく散る時のあり
池の面に浮きて漂う花びらの風動くとき花のさざ波

電車より降りて師走のひかり踏む足にちょっぴり埃が立てり
ころころと百円玉が転がっていって畳の縁(ふち)に止まりぬ
臆病の心に沁みる梵鐘(かね)の音ふっと出かけるように死にたし
日が落ちて一杯二杯三、四杯庭にほたりと木槿(もくきん)の花
この坂は何の胸突八丁目路傍の草に入り日が沁みる

曲芸団(サーカス)のぶらんこ乗りの姐(ねえ)ちゃんと駆け落ちしたいような日の暮
臓(はらわた)に落してほっと歳暮(くれ)の酒二(に)で割り切れぬことばかりにて
瓢箪も糸瓜もぶらり帳尻の合わぬお尻をぶら下げている
銀の匙落ちて輝く冬の道無名たるより悪名者たれ
ゆっくりと雲が流れて行ったあと二月の庭に咲く木瓜の莫迦

昼過ぎて愚図つき易き鼻っ風邪人の子だもの風邪くらい引く
肩並べ歩いた人は誰だっけやけに明るい月夜だったが
セピア色したる写真にちょこなんと人生決まったような貌して
肩肘を張って暮らしている裏でひとり吝々(けちけち)するのが寂し
女郎花月(しちがつ)の雨降る巷贔屓目に見ても見映えのせぬ男ゆく

氷いちご皿に溶けつついざさらば〈命があらば他日を期さん〉
熊本に生きて息して二十五年今宵銀婚独り自祝す


【感想】
 『石田比呂志全歌集』には、『無用の歌』(1965、34歳)から『涙壺』(1999、68歳)までの11冊の歌集に、『初期歌篇』564首(18~33歳)を加えた5,522首が収録されています。これらの歌集を年代順に読むことにより、この歌人の人生を追体験したように感じました。
 巻末の「年譜」に、「1975年(45歳)、16年間の結婚生活を解消して肥後熊本に流亡、居を夢違庵と名づけて阿木津英(引用者注:25歳)と同居生活を始める。」とあります。詳細はわかりませんが、かなりの修羅場をくぐり抜けた末の熊本行きだったように思います。そして1985年(55歳)、10年間ともに暮らした阿木津英が彼のもとを去ります。これは相当応えたようで、その後の歌には「老い」と「孤独」を歌ったものが多く見られます。そんな彼の歌を読んでいると、尾崎放哉の句が連想されます。「老い」と「孤独」、他人事ではないと思います。

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