先日、テレビで市川崑監督、役所広司主演の『どら平太』(2000)を見ました。原作が山本周五郎の短編小説「町奉行日記」だったので、これを契機にこの作品が収録されている短編集『町奉行日記』を読むことにしました。
この短編集について、ブックカバー裏表紙の解説を引用します。
この短編集について、ブックカバー裏表紙の解説を引用します。
着任から解任まで一度も奉行所に出仕せずに、奇抜な方法で藩の汚職政治を摘発してゆく町奉行の活躍ぶりを描いた痛快作「町奉行日記」。藩中での失敗事をなんでも〈わたくし〉のせいにして、自己の人間的成長をはかる「わたくしです物語」。娘婿の過誤をわが身に負ってあの世に逝く父親の愛情を捉えた短編小説の絶品「寒橋」。ほかに「金五十両」「落ち梅記」「法師川八景」など10編収録。
【収録作品】( )内は初出
◆土佐の国柱(『読物文庫』1940年4月号)
土佐藩主山内一豊は死に臨み、寵臣の高閑(こうが)斧兵衛に遺命を残します。いまだ残る旧領主長曾我部長氏の影響力を除き、山内氏の支配を揺るぎないものにして欲しいというものでした。
斧兵衛は主君の遺命を果たすため、あえて逆臣の汚名を着ることで長曾我部の残党を一掃します。これこそ忠義! これこそ武士! なんて思いません。この作品は昭和15年に発表されましたが、この年は日中戦争4年目、太平洋戦争開始の前年にあたります。国民には国家への絶対的な忠誠が求められていた時代です。
◆土佐の国柱(『読物文庫』1940年4月号)
土佐藩主山内一豊は死に臨み、寵臣の高閑(こうが)斧兵衛に遺命を残します。いまだ残る旧領主長曾我部長氏の影響力を除き、山内氏の支配を揺るぎないものにして欲しいというものでした。
斧兵衛は主君の遺命を果たすため、あえて逆臣の汚名を着ることで長曾我部の残党を一掃します。これこそ忠義! これこそ武士! なんて思いません。この作品は昭和15年に発表されましたが、この年は日中戦争4年目、太平洋戦争開始の前年にあたります。国民には国家への絶対的な忠誠が求められていた時代です。
◆晩秋(『講談俱楽部』1945年12月号)
岡崎藩前藩主の側用人だった進藤主計(かずえ)は藩政を専断し、反対派は容赦なく断罪してきました。しかし、前藩主亡き後、彼はその専断を罪に問われることになります。
彼の生活はとても質素で、私利私欲のために藩政を専断してきたのではなく、藩の基礎を確かなものにするためだったと語られます。そして、彼は死をもってその生涯に決着をつけようとします。
お家第一! まさに、武士の鑑! なんて思いません。彼の真意を知らされず、無念のうちに死んでいった者たちが浮かばれません。
岡崎藩前藩主の側用人だった進藤主計(かずえ)は藩政を専断し、反対派は容赦なく断罪してきました。しかし、前藩主亡き後、彼はその専断を罪に問われることになります。
彼の生活はとても質素で、私利私欲のために藩政を専断してきたのではなく、藩の基礎を確かなものにするためだったと語られます。そして、彼は死をもってその生涯に決着をつけようとします。
お家第一! まさに、武士の鑑! なんて思いません。彼の真意を知らされず、無念のうちに死んでいった者たちが浮かばれません。
◆金五十両(『講談雑誌』1947年9月号)
人を信じ、そして裏切られ続けた宗吉は自暴自棄になり、死に場所を求めるように旅に出ます。そこでの二つの偶然の出会いが、彼に「世の中は苦労のしがいがあるぜ」と言わしめるのです。
昭和22年9月号。敗戦から2年経ち、人々も苦しみの末に、宗吉のようになっていたのでしょうか? 作家の、人々へのエールのような作品だと思います。
人を信じ、そして裏切られ続けた宗吉は自暴自棄になり、死に場所を求めるように旅に出ます。そこでの二つの偶然の出会いが、彼に「世の中は苦労のしがいがあるぜ」と言わしめるのです。
昭和22年9月号。敗戦から2年経ち、人々も苦しみの末に、宗吉のようになっていたのでしょうか? 作家の、人々へのエールのような作品だと思います。
◆落ち梅記(『講談俱楽部』1949年7月号)
沢渡(さわたり)家は藩の重役を務める家柄で、金之助の父は次席家老と側用人を務めていました。その父が病気で倒れ、金之助が父の職を継いだ頃、重臣達による汚職事件が明るみに出ます。
金之助の父らが始めた藩の財政再建策がのちの汚職のもとになったため、死んだ父に代わって金之助が裁きを受けることになります。それを潔く受け入れる金之助。武士はこうあらねばならなかったのでしょうか。武士はつらい!
沢渡(さわたり)家は藩の重役を務める家柄で、金之助の父は次席家老と側用人を務めていました。その父が病気で倒れ、金之助が父の職を継いだ頃、重臣達による汚職事件が明るみに出ます。
金之助の父らが始めた藩の財政再建策がのちの汚職のもとになったため、死んだ父に代わって金之助が裁きを受けることになります。それを潔く受け入れる金之助。武士はこうあらねばならなかったのでしょうか。武士はつらい!
◆寒橋(『キング』1950年2月号)
お孝はおくてだったので、結婚するまで男女の恋愛の機微といったものには全く無頓着でした。ところが時三を婿に迎えると、彼に夢中になり、彼がいなければ生きてゆけないと思うほどになってしまいます。
ですから、時三が女中を孕ませたことを知ったときの苦しみはいかばかりだったか。そんなお孝に、父伊兵衛は臨終の床で、あれは自分がしたことで、時三は自分をかばってくれたんだと話します。これでお孝は苦しみから救われますが、やがて父の嘘に気づくでしょう。
お孝はおくてだったので、結婚するまで男女の恋愛の機微といったものには全く無頓着でした。ところが時三を婿に迎えると、彼に夢中になり、彼がいなければ生きてゆけないと思うほどになってしまいます。
ですから、時三が女中を孕ませたことを知ったときの苦しみはいかばかりだったか。そんなお孝に、父伊兵衛は臨終の床で、あれは自分がしたことで、時三は自分をかばってくれたんだと話します。これでお孝は苦しみから救われますが、やがて父の嘘に気づくでしょう。
◆わたくしです物語(『富士』1952年4月号)
他人の過失を何でも「私です」と言って身代りになってしまう、そんな武士が主人公。武士の社会では決してありえない、落語の人情小噺のような話ですが、とってもハートウォーミングです。
他人の過失を何でも「私です」と言って身代りになってしまう、そんな武士が主人公。武士の社会では決してありえない、落語の人情小噺のような話ですが、とってもハートウォーミングです。
◆修行綺譚(『キング』1953年7月号)
河津小弥太は武芸・学問には抜きん出た能力を持っていますが、感情の抑制ができないために、すぐに人を殴ったり、喧嘩をしてしまいます。そのため、その能力を見込んで娘との婚約を進めた上司からはなかなか祝言の許しが得られません。ついには上司からこの婚約は破棄するとまで言われてしまったのです。そんなある日、小弥太は一無斎と名乗る遁世の老人と出会い、彼のもとで修行を始めます。
河津小弥太は武芸・学問には抜きん出た能力を持っていますが、感情の抑制ができないために、すぐに人を殴ったり、喧嘩をしてしまいます。そのため、その能力を見込んで娘との婚約を進めた上司からはなかなか祝言の許しが得られません。ついには上司からこの婚約は破棄するとまで言われてしまったのです。そんなある日、小弥太は一無斎と名乗る遁世の老人と出会い、彼のもとで修行を始めます。
◆法師川八景(『オール読物』1957年3月号)
「井伏鱒二に『川』という優れた小説がある。上流、中流、下流、激流、奔流、緩流をみごとに描写して『川』に『人生』を重ね合わせた秀作である。山本周五郎は早くからこの作品に傾倒していた。『法師川八景』も井伏作品に触発されてのものであった。」(木村久邇典による巻末解説より)
久野豊四郎はつぢとの結婚を親に話すと約束した直後、落馬事故で急死します。豊四郎の子を身ごもっていたつぢは久野家に行き事情を話しますが、受け入れてもらえません。その後のつぢの毅然とした生き方がいいなと思います。
「井伏鱒二に『川』という優れた小説がある。上流、中流、下流、激流、奔流、緩流をみごとに描写して『川』に『人生』を重ね合わせた秀作である。山本周五郎は早くからこの作品に傾倒していた。『法師川八景』も井伏作品に触発されてのものであった。」(木村久邇典による巻末解説より)
久野豊四郎はつぢとの結婚を親に話すと約束した直後、落馬事故で急死します。豊四郎の子を身ごもっていたつぢは久野家に行き事情を話しますが、受け入れてもらえません。その後のつぢの毅然とした生き方がいいなと思います。
◆町奉行日記(『小説新潮』1959年6月号)
まさに、痛快娯楽時代劇! 望月小平太は武術がめっぽう強く、女にはもてるし、藩政の難問もあっという間に解決してしまいます。映画『どら平太』はこの原作に忠実につくられていますが、それはこの原作が優れているからだと思います。
まさに、痛快娯楽時代劇! 望月小平太は武術がめっぽう強く、女にはもてるし、藩政の難問もあっという間に解決してしまいます。映画『どら平太』はこの原作に忠実につくられていますが、それはこの原作が優れているからだと思います。
◆霜柱(『オール読物』1960年3月号)
どんなに激しい憎みでも、憎むことだけでは生きてはゆかれない、愛情だけで生きることができないように、一つ感情だけで生きとおすことはできないようです。――これは作中の人物が不貞をはたらいた妻への思いを語った言葉です。ですから、家老の繁野兵庫とその息子との結末はとても意外でした。
どんなに激しい憎みでも、憎むことだけでは生きてはゆかれない、愛情だけで生きることができないように、一つ感情だけで生きとおすことはできないようです。――これは作中の人物が不貞をはたらいた妻への思いを語った言葉です。ですから、家老の繁野兵庫とその息子との結末はとても意外でした。