◆聖林寺
見仏2日目。JR桜井駅からタクシーに乗り、聖林寺(しょうりんじ)に向かいました。午前8時40分に着いてしまったので、北方の三輪山などを眺めながら、拝観開始の9時を待ちました。
受付後、本尊の子安延命地蔵菩薩像にお参りし、その後収蔵庫(観音堂)の十一面観音菩薩立像を拝観しました。
見仏2日目。JR桜井駅からタクシーに乗り、聖林寺(しょうりんじ)に向かいました。午前8時40分に着いてしまったので、北方の三輪山などを眺めながら、拝観開始の9時を待ちました。
受付後、本尊の子安延命地蔵菩薩像にお参りし、その後収蔵庫(観音堂)の十一面観音菩薩立像を拝観しました。
聖林寺の創建は古く、奈良時代(和銅5年・712年)に談山妙楽寺(現談山神社)の別院として、藤原定慧(鎌足の長子)が建てたとされています。次第に、戒律と祈祷の寺として知られるようになり、安産・子授け祈祷は大要を真言密教に拠りながら独自のものがあり、その霊験は広く知られるところです。
国宝で有名な十一面観音菩薩は、慶応4年(1868年)に大御輪寺(大神神社の神宮寺)より移され、フェノロサ、岡倉天心らによって開扉されて以降、その美しいお姿は多くの人々を魅了してきました。
門前からの眺めは卑弥呼の墓とも言われる箸墓などの大和盆地の古墳群、山辺の道、三輪山を一望のもとに見渡すことができます。(聖林寺リーフレットより)
国宝で有名な十一面観音菩薩は、慶応4年(1868年)に大御輪寺(大神神社の神宮寺)より移され、フェノロサ、岡倉天心らによって開扉されて以降、その美しいお姿は多くの人々を魅了してきました。
門前からの眺めは卑弥呼の墓とも言われる箸墓などの大和盆地の古墳群、山辺の道、三輪山を一望のもとに見渡すことができます。(聖林寺リーフレットより)
山門横から北方を望む。中央に三輪山(標高467m)がやや霞んで見える。
十一面観音菩薩立像
国宝 木心乾漆像 天平時代の作
760年代に東大寺の造仏所で造られ、その願主は智努王(天武天皇の孫)とする説が有力です。かつては四天王に守られ、前立観音の他、左右に多くの仏像が並び立ち、背面には薬師如来一万体が描かれた板絵がある荘厳の中にまつられてきました。宝相華唐草の光背(奈良国立博物館に寄託中)は、長い年月により大破していますが、華やかで見事なものであったと想像されます。
均整のとれた仏身、豊満な顔立ち、量感のある上半身、優婉な纏衣の美しさ、微妙な変化をみせる指先等、ミロのヴィーナスとも比較される仏像彫刻の優作です。(聖林寺リーフレットより)
760年代に東大寺の造仏所で造られ、その願主は智努王(天武天皇の孫)とする説が有力です。かつては四天王に守られ、前立観音の他、左右に多くの仏像が並び立ち、背面には薬師如来一万体が描かれた板絵がある荘厳の中にまつられてきました。宝相華唐草の光背(奈良国立博物館に寄託中)は、長い年月により大破していますが、華やかで見事なものであったと想像されます。
均整のとれた仏身、豊満な顔立ち、量感のある上半身、優婉な纏衣の美しさ、微妙な変化をみせる指先等、ミロのヴィーナスとも比較される仏像彫刻の優作です。(聖林寺リーフレットより)
十一面観音は、よく知られているように、かつては三輪山・大御輪寺の本尊であった。大御輪寺は奈良時代の中頃、大神々社の最も古い神宮寺として設けられ、十一面観音はその本尊として祀られてきたという。明治になると神仏分離・廃仏毀釈の嵐が吹き荒れるが、既に幕末はその前触れがあったのであろう。十一面観音はじめの三体の仏像は慶応4年5月16日、大八車で三輪からこの地に避難された。果たして、廃仏の波は三輪の神宮寺を呑んで、凡ての仏教関係の物は破壊し尽くされた。本尊の観音様がどのようにして、何のために祀られてきたか、今となっては知る由もない。観音さまに関した書類凡てが灰燼に帰したからである。当時聖林寺の住持は大心和尚であった。和尚は三輪流の十一面観音法(この観音さまの拝み方)の伝授を受けた唯一の人であり、観音さまは三輪流神道の正嫡が住む寺に移られたのである。(聖林寺HPより)
※受付には私のほかに数名のグループがいましたが、住職から本堂の説明を受けていたようで、収蔵庫(観音堂)にはなかなか来ませんでした。おかげで、私は一人で10数分間も十一面観音と向き合うことが出来ました。
※グループ客に混じり、住職から十一面観音の説明をうかがいました。聖林寺の十一面観音は、もとは大神(おおみわ)神社の神宮寺・旧大御輪寺(だいごりんじ、おおみわてら)の本尊だったそうですが、明治政府による神仏分離令、及びそれに伴う廃仏毀釈の動きの中で、1868年5月16日、聖林寺へ移されたそうです。なお、住職は十一面観音が聖林寺に移されてちょうど100年後の1968年5月16日に生まれたそうです。住職は今年50歳になるそうです。ちなみに、住職は女性です。
※「現在、聖林寺国宝十一面観音菩薩をお祀りしている収蔵庫は、昭和35年(1960年)に造られた我が国初めてのコンクリートによる国宝のための収蔵庫です。しかし当時は、地震などの対策はなされておらず、自然災害への対策は不十分なものです。昨今、大型の地震が日本列島を襲っていることを考慮しても、早急に免震機能を持った耐震性のある収蔵庫建立が望まれます。」(聖林寺HPより)
2018年3月8日付「毎日新聞」地方版には、新たな収蔵庫建設のための寄進のこと、そして工事が2019年度から始まる予定だということが書かれていました。住職も収蔵庫(観音堂)での説明の中で、工事になったら十一面観音をどこかに寄託することになるだろうと言っていました。
2018年3月8日付「毎日新聞」地方版には、新たな収蔵庫建設のための寄進のこと、そして工事が2019年度から始まる予定だということが書かれていました。住職も収蔵庫(観音堂)での説明の中で、工事になったら十一面観音をどこかに寄託することになるだろうと言っていました。
◆グッズ・土産
・御守り
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