◆西大寺
見仏2日目の最後は西大寺でした。この日は近鉄西ノ京駅から薬師寺、唐招提寺、そして近鉄尼ヶ辻駅まで歩いたので、だいぶ疲れました。でも、西大寺では拝観者は少なく、優れた仏像をゆっくり拝観できてよかったと思います。
見仏2日目の最後は西大寺でした。この日は近鉄西ノ京駅から薬師寺、唐招提寺、そして近鉄尼ヶ辻駅まで歩いたので、だいぶ疲れました。でも、西大寺では拝観者は少なく、優れた仏像をゆっくり拝観できてよかったと思います。
西大寺は、奈良県奈良市西大寺芝町にある真言律宗総本山の寺院。奈良時代に孝謙上皇(重祚して称徳天皇)の発願により、僧・常騰を開山として建立された。南都七大寺の1つとして奈良時代には壮大な伽藍を誇ったが、平安時代に一時衰退し、鎌倉時代に叡尊によって復興された。山号は勝宝山。現在の本尊は釈迦如来である。(Wikipediaより)
本堂
重要文化財。光明真言堂とも言い、毎年秋の光明真言土砂加持祈祷はここで厳修される。東西14間、南北10間、単層4柱造り、土壁を施さない総板壁によっている特異な建物である。江戸時代宝暦2年(1752)の建立。
《主な仏像》
・本尊釈迦如来立像
・文殊菩薩騎獅像及び四侍者像
・弥勒菩薩坐像
(西大寺リーフレットより)
※中央に本尊の釈迦如来立像、向かって右に丈六の弥勒菩薩坐像、そして左に文殊菩薩騎獅像及び四侍者像が安置されています。拝観者で混みあうこともなく、静謐な雰囲気の中、優れた仏像とじっくり向き合うことのできる空間です。《主な仏像》
・本尊釈迦如来立像
・文殊菩薩騎獅像及び四侍者像
・弥勒菩薩坐像
(西大寺リーフレットより)
文殊菩薩騎獅像及び四侍者像(奈良西大寺展HPより)
重要文化財。興正菩薩の13回忌に当る正安4年(1302)に遺弟たちによって造られた文殊五尊像。文殊菩薩は興正菩薩が生前非常に信仰した特色ある仏の一つであったが、現存するものは少ない。その文殊信仰の結晶ともいえる重要な作例。像内に弟子達の経巻文書類が多く奉籠されていた。(西大寺リーフレットより)
※文殊菩薩と善財童子、最勝老人は、昨年の「奈良西大寺展」以来の拝観でした。展覧会で間近に見られるのは貴重な経験ですが、本来在るべき場所で見るのが第一かなと思いました。また、獅子の表情が愛嬌たっぷりだなと思いました。文殊菩薩坐像(図録「奈良西大寺展」より)
善財童子立像(JR東海「うまし うるわし 奈良」西大寺篇より)
生前の叡尊が特に信仰していた文殊菩薩は、知恵の仏さまとして知られています。その文殊が座る獅子のまわりを囲む仏像が四侍者像。さらに、その中のひとりが文殊を先導する役目をもつ善財童子です。小柄な体型と幼い顔つき、ふっくらとした指を合わせ、うるんだような優しい瞳で空を見上げる姿が印象的なこの仏像は、灰谷健次郎の小説『兎の眼』に登場していることでも有名となりました。叡尊の十三回忌にあたる正安四年(1302)に弟子たちが師匠への思いをこめて造られたものだと伝えられています。文殊菩薩騎獅像及び四侍者像は、重要文化財となっています。(JR東海「うまし うるわし 奈良」西大寺篇より)
愛染堂
もと京都の近衛政所御殿を宝暦12年(1762)に移建した南北11間、東西8間の宸殿造りの仏堂。
《主な仏像》
・本尊(厨子入)愛染明王坐像
・興正菩薩叡尊坐像
(西大寺リーフレットより)
※まだ2回しか伺っていませんが、愛染堂の受付の方は気さくで話好きな方が多いように思います。昨年3月に訪れたときは男性の方でしたが、あちらから話しかけられ、たくさんお話をうかがいました。そして今年、担当は女性の方でしたが、愛染堂の横に植えられている菩提樹の花について説明してくれました。《主な仏像》
・本尊(厨子入)愛染明王坐像
・興正菩薩叡尊坐像
(西大寺リーフレットより)
興正菩薩叡尊坐像(奈良西大寺展HPより)
国宝。弘安3年(1280)、西大寺中興の祖・興正菩薩(叡尊)80歳の寿齢に当り、弟子達が報恩謝徳のために仏師善春に造らせた肖像。さながら生きた菩薩に接するような気魄に満ちた写実的な像で、像内に弟子たちの熱意がうかがえる多くの奉籠物が納められていた。(西大寺リーフレットより、一部改編)
※昨年の「奈良西大寺展」では間近に拝観することが出来たので、その表情がよくわかりました。しかし、今回は安置されている場所が暗いし、もともと像自体が黒いので、表情がよく見えませんでした。次回は双眼鏡持参です。愛染明王坐像(秘仏)(奈良西大寺展HPより)
重要文化財。いつもは秘仏として中央厨子内に安置される。宝治元年(1247)に西大寺中興の祖・興正菩薩(叡尊)の念持仏として仏師善円が造った霊像。鎌倉時代の愛染明王としての代表作。(西大寺リーフレットより、一部改編)
わずか1尺ばかりの小像ではあるが、愛染堂の秘仏本尊として大切に祀られているためか、衣紋の截金や真紅の彩色が鮮やかにのこっている。宝瓶蓮華に坐し、弓と矢を持ち、頭髪を逆立て、両眼をかっと見開く忿怒(ふんぬ)の顔は、みる人の心に鋭くやきつく。手法はなかなか巧みで手堅い。きりりとしまった緻密な彫法は肢体をよく整え、全身に若々しさがみなぎっている。(愛染堂リーフレットより)
※秘仏愛染明王開扉日:1/15~2/4、10/25~11/15わずか1尺ばかりの小像ではあるが、愛染堂の秘仏本尊として大切に祀られているためか、衣紋の截金や真紅の彩色が鮮やかにのこっている。宝瓶蓮華に坐し、弓と矢を持ち、頭髪を逆立て、両眼をかっと見開く忿怒(ふんぬ)の顔は、みる人の心に鋭くやきつく。手法はなかなか巧みで手堅い。きりりとしまった緻密な彫法は肢体をよく整え、全身に若々しさがみなぎっている。(愛染堂リーフレットより)
愛染堂の横には菩提樹が植えられており、たくさんの蕾をつけていました。
四王(しおう)堂
創建期の由緒を伝える唯一の堂。しかし建物は再三焼失し、現堂は延宝2年(1674)の建立。東西9間、南北7間の簡素な重層建築。
《主な仏像》
・本尊十一面観音立像
(西大寺リーフレットより)
《主な仏像》
・本尊十一面観音立像
(西大寺リーフレットより)
十一面観音立像(図録「大和路秀麗 八十八面観音巡礼」より)
重要文化財。丈六以上にも及ぶ大像(約6m)であり、右手に錫杖を執り、左手に花瓶を捧げた姿で長谷寺の本尊に倣ったもので、「長谷寺式」と称される形相である。元々は鳥羽院御願の法勝寺十一面堂の本尊であったが、法勝寺十一面堂が顛倒し、像も顔面を除き破損したのを叡尊によって修復が行われ、正応2年(1289)亀山上皇の院宣によって、西大寺四天堂に移安された。(四天堂リーフレットより、一部改編)