Quantcast
Channel: my photo diary
Viewing all articles
Browse latest Browse all 681

my 見仏記51~円成寺

$
0
0
円成(えんじょう)寺
 昨年、東京国立博物館の運慶展で円成寺の大日如来坐像を見ました。その時、いつか円成寺へ行こうと思いましたが、JR東海のテレビCM「うまし うるわし 奈良」円成寺篇を見て、今行こうと思いました。
 見仏3日目はレンタカーを利用しました。午前8寺過ぎ、JR奈良駅近くのトヨタレンタカーでビッツをレンタルし、円成寺に向かいました。ちょっとしたワインディングロードを走り、8時40頃に着きました。

 創建については諸説あります。当山に伝わる『和州忍辱山円成寺縁起』(江戸時代)によると、天平勝宝8年(756)聖武上皇・孝謙天皇の勅願で、鑑真和上の弟子、唐僧虚滝和尚の開山であるとされていますが、同書のなかで中興の祖とされている命禅上人が、万寿3年(1026)、この地に十一面観音像を安置したのが始まりのようです。
 天永3年(1112)には、「小田原聖」と呼ばれた経源(迎接上人・京都南山城の随願寺もしくは浄瑠璃寺の僧)が、阿弥陀堂を建て、阿弥陀如来像を安置し、仁平3年(1153)、広隆寺別当、東寺長者、高野山管長、東大寺別当を歴任した京都御室仁和寺の寛遍上人が忍辱山に登り、真言宗の一派忍辱山流を始めるに及び当山の基礎が築かれました。
 平安時代から次の鎌倉時代にかけて多くの堂宇や尊像が造顕されてきましたが、文正元年(1466)、応仁の兵火により、堂宇の大半を失います。しかし、当山子院知恩院院主・栄弘阿闍梨を中心に、直ちに復興造営が開始され、栄弘が没した文明19年(1487)には、14の堂宇が復興されました。
 江戸時代には、将軍の殊遇を受け、当初130石でしたが、応仁の兵火復興の過程で請来された「高麗版大蔵経」(現・東京、増上寺蔵)献上の恩賞として105石が加増、寺領235石、山内23寺をもつ一大霊場となりました。
 幕末の動乱と維新の神仏分離以降は、寺領の返上と社会風潮の一変で衰退の一路をたどり、明治10年(1877)には、本堂、楼門、護摩堂、観音堂、鎮守三社を残すのみとなりました。
 明治15年(1882)、盛雅和尚の晋山以降、楼門、本堂の大修理と本坊、脇門の移建が行われ、県道の整備もあり、ようやく残った伽藍の保持がなされ、次の霊瑞和尚、先代賢住和尚の時代に主要堂宇のほとんどが改修、多宝塔も再建、浄土庭園などの境内地も整備され、今日の姿が整いました。(円成寺HPより)


イメージ 1
本堂(阿弥陀堂)

 重要文化財 室町時代
 応仁の兵火後、ただちに平安後期に建てられた本堂と同じ姿に再建された堂宇です。正面三間、側面四間。左右に一間の孫庇をつけ、これを身舎の屋根から一続きの縋破風屋根で葺いています。身舎は円柱、隅に舟肘木を用い、他は大面取りの角柱としています。前庇は開放の大床張りとし、中央一間に階段を付け、左右各一間は床を一段高くし舞台としています。全国でもまれな、春日造社殿両庇付寝殿造阿弥陀堂です。堂内には本尊阿弥陀如来坐像(重文・平安後期)、その四方に四天王立像(重文・鎌倉)が、また左右庇下の御堂、経蔵、局には開山当初の本尊と伝わる十一面観音立像(平安中~後期)や寺宝が安置されています。
 昭和33年から施工された復元解体修理のとき、今の本堂は、文正元年(1466)に焼かれた天永3年(1112)創建の旧本堂(藤原時代の阿弥陀堂様式)の規模・様式をそのままに再建したものであることがわかりました。(円成寺HPより)

イメージ 2
阿弥陀如来坐像(円成寺HPより)

 重要文化財 像高145.4cm 平安時代後期
 当山の本尊です。穏やかな表情を持ち、円満かつ安定した姿をしたいわゆる定朝様の半丈六坐像です。定印を結び九重の蓮華台座に坐しています。少し目を下げたところは、来迎阿弥陀の意味を含み、宝相華唐草模様の光背を持ち、荘厳な蓮華座に安坐した姿は、平安時代藤原文化の象徴ともいうべき優雅な仏像です。(円成寺HPより)

イメージ 3
南無仏太子立像(円成寺HPより)

 奈良県指定文化財 像高83.6cm 鎌倉時代
 聖徳太子2歳の時に、東方を向いて合掌し、南無仏と唱えると掌中から仏舎利が出現したという伝説に由来しています。鎌倉時代から盛んになった太子信仰のなかで多数造像されてきましたが、本像は胎内に納入されていた複数の経典の奥書の記述から延慶2年(1309)と造立年代がわかる貴重な例です。本堂内陣後方の厨子に安置。(円成寺HPより)


イメージ 4
多宝塔

※多宝塔の本尊は大日如来坐像(国宝・運慶作)ですが、現在は「相應殿」に安置されています。なお、現在多宝塔には運慶作の大日如来坐像を制作当時のままに再現したレプリカが安置されています。


イメージ 5
大日如来坐像(円成寺HPより)

イメージ 6
大日如来坐像(図録「運慶」より)

 運慶作 国宝 像高98.8cm 平安時代末期
 台座内墨書から鎌倉新様式を切り開いた、運慶の最初期の作と知れる記念碑的仏像。若々しい面相と体躯には、新時代の気風と青年運慶の想念が伝わってくるようです。 大日如来は密教における根本仏。サンスクリット語のヴァイローチャナという名は「遍く光を照らす者」の意味をもち、如来でありながら、宝冠、瓔珞、臂釧、腕釧を身に着け、一種の王者の姿をとっています。 運慶の生年は不明ですが、造像は20歳代と推定されています。(円成寺HPより)



イメージ 7
境内にシャクナゲが咲いていました。

イメージ 8
庭園より楼門を望む。

Viewing all articles
Browse latest Browse all 681

Trending Articles