Quantcast
Channel: my photo diary
Viewing all articles
Browse latest Browse all 681

my 見仏記53~興福寺(再々)

$
0
0
興福寺
 昨年3月に訪れた時、国宝館は耐震補強工事のため休館になっていました。そのため、阿修羅等の諸仏は仮講堂において公開されていました。仮講堂では諸仏が東寺の立体曼荼羅風に安置されていましたが、あまり心惹かれることはありませんでした。
 今回、工事の終わった国宝館で阿修羅をはじめとする諸仏を拝観することができました。仏像は堂内にあって、信仰の対象となっているのが本来の姿というのが私の考えですが、興福寺の国宝館は展示方法が素晴らしいので、そんな思いが吹き飛んでしまいます。

 興福寺は、奈良県奈良市登大路町(のぼりおおじちょう)にある、南都六宗の一つ、法相宗の大本山の寺院である。南都七大寺の一つに数えられる。藤原氏の祖・藤原鎌足とその子息・藤原不比等ゆかりの寺院で、藤原氏の氏寺であり、古代から中世にかけて強大な勢力を誇った。南円堂は西国三十三所第9番札所である。「古都奈良の文化財」の一部として世界遺産に登録されている。(Wikipediaより)


イメージ 1
国宝館

 興福寺国宝館は、食堂(じきどう)が建てられていた場所に、昭和34年(1959)鉄筋コンクリート造りの文化財保存収蔵庫として開館した。
 奈良時代創建の食堂・細殿の外観をイメージして立てられ、地下には旧食堂の奈良時代以降の遺構が保存されている。館内には旧食堂本尊の千手観音菩薩像(国宝)を中心に、興福寺の歴史を伝える仏像、典籍、古文書、絵画、工芸、考古遺物、歴史資料を収蔵・展示し、仏教への関心と文化財への理解を深めていただくことを目的としている。
《主な仏像》
・金剛力士立像(阿形・吽形)(鎌倉時代・国宝)
・天燈鬼立像・龍燈鬼立像(鎌倉時代・国宝)
・千手観音菩薩立像(鎌倉時代・国宝)※520.5cm
・仏頭(白鳳時代・国宝)
・十大弟子立像(奈良時代・国宝)
・八部衆立像(奈良時代・国宝)
(国宝館パンフレットより)

イメージ 2
八部衆のうち、阿修羅立像(絵葉書をコピー)

 脱活乾漆造 像高153.4cm
 阿修羅はインド神話に登場する戦闘の神で、仏教に帰依してその守護神になった。一般的には激しい怒り顔で3つの顔と6本の腕をもつ姿に表されるが、興福寺の像には怒りや激しさが見えず、表情は繊細で内面的であり、腕と体が細い少年の姿で表される。その表情には懺悔という仏教で重要な宗教行為が反映されているとも推定される。(国宝館パンフレットより)

イメージ 3
八部衆のうち、迦楼羅(かるら)立像(絵葉書をコピー)

 脱活乾漆造 像高149cm
 迦楼羅はインド神話にみる蛇を喰う鳥で、伎楽などにも登場する。鶏頭をもつ半獣半人像で、嘴を強く尖らせている。瞳に黒い石(あるいはガラス)をはめ、緊張した面持ちである。いま頭頂部が破損して内部の心木が見える。(国宝館パンフレットより)


イメージ 4
東金堂及び五重塔

東金堂
 興福寺の本堂である中金堂の東にあることから東金堂と呼ばれる。神亀3年(726)に聖武天皇が叔母の元正太上天皇の病気全快を願って造られた薬師如来坐像を本尊とする。創建当初は床に緑色のタイルが敷かれ、薬師如来の浄瑠璃光世界がこの世にあらわされていた。以来5度の被災、再建を繰り返し、今の建物は応永22年(1415)に再建された。前一間を吹き放しとし、三手先斗拱、寄棟造で、奈良時代の雰囲気を伝える。
《主な仏像》
・薬師如来坐像(室町時代・重文)
・日光・月光菩薩立像(白鳳時代・重文)
・十二神将立像(鎌倉時代・国宝)
・維摩居士坐像(鎌倉時代・国宝)
・文殊菩薩坐像(鎌倉時代・国宝)
・四天王立像(平安時代・国宝)
(東金堂リーフレットより)

イメージ 5
日光菩薩立像(絵葉書をコピー)

 日光・月光菩薩は薬師如来の浄瑠璃光世界の代表的二菩薩で、薬師如来が人々のために働いておられるのを補佐する菩薩。向って右脇に日光菩薩立像、左脇に月光菩薩立像を安置する。7世紀末、飛鳥の山田寺に安置するために造られた像で、12世紀末に東金堂に移された。(東金堂リーフレットより)


◆グッズ・土産
・絵葉書「東金堂ポストカード」


Viewing all articles
Browse latest Browse all 681

Trending Articles