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村上春樹の最新短編3作を読みました。

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『文學界』を読むのは、又吉直樹の『花火』が掲載された2015年(平成27年)2月号以来です。

 今日、村上春樹の最新短編3作を読みました。文芸雑誌『文學界』7月号の巻頭に「三つの短い話」として掲載された「石のまくらに」「クリーム」「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」の3作です。
 この短編3作が呼び水になったようで、文庫化されたら再読しようと思っていた『騎士団長殺し』(17)を近いうちに読むことにしました。

【感想等】
石のまくらに
 「僕」はその変色した歌集をときおり抽斗(ひきだし)から出して読み返します。その歌集というのは、「僕」が大学2年の時、ふとした成り行きで一夜を共にした女性が詠んだもので、『石のまくらに』というタイトルがついています。42首が収められ、そのほとんどは男女の愛と人の死に関するものでした。
 以下、歌集からとして掲載された8首を引用します。
あなたと/わたしって遠いの/でしたっけ?/木星乗り継ぎ/でよかったかしら?

石のまくら/に耳をあてて/聞こえるは/流される血の/音のなさ、なさ

今のとき/ときが今なら/この今を/ぬきさしならぬ/今とするしか

やまかぜに/首刎(は)ねられて/ことばなく/あじさいの根もとに/六月の水

また二度と/逢うことはないと/おもいつつ/逢えないわけは/ないともおもい

会えるのか/ただこのままに/おわるのか/光にさそわれ/影に踏まれ

午後をとおし/この降りしきる/雨にまぎれ/名もなき斧が/たそがれを斬首

たち切るも/たち切られるも/石のまくら/うなじつければ/ほら、塵となる

クリーム
 大学浪人中だった「ぼく」に、ある女の子からピアノ・リサイタルの招待状が届きます。かつて彼女と同じピアノ教室に通っていましたが、なぜ招待されたのかわかりませんでした。
 リサイタル当日、「ぼく」は小さな赤い花束を持って神戸の山の上の会場に向かいます。会場に着くと、その建物の両開きの鉄扉には太い鉄の鎖がぐるぐると巻かれ、巨大な南京錠がはめられていました。
 会場を離れ、近くの公園の四阿(あずまや)のベンチに腰を下ろした「ぼく」は、ここで初めて彼女にかつがれたかもしれないと考えます。しかし、彼女に憎まれたり、不快な思いをさせた覚えはありません。あれこれ考えているうちに、「ぼく」は過呼吸のような呼吸がうまくできない発作に襲われます。
 しばらくして発作がおさまり、目の前を見ると、ひとりの老人が座ってこちらを見ていました。そして、「中心がいくつもあり、しかも外周を持たない円を想像してみなさい」と言います。
 「ぼく」の「むずかしそうですね」という反応に、老人は「この世の中、なにかしら価値のあることで、手に入れるのがむずかしうないことなんかひとつもあるかい」「けどな、時間をかけて手間を掛けて、そのむずかしいことを成し遂げたときにな、それがそのまま人生のクリームになるんや」と言います。クリームというのは、フランス語の『クレム・ド・ラ・クレム』からとったもので、「クリームの中のクリーム、とびっきり最良のもの。人生のいちばん大事なエッセンス」という意味だそうです。
 女の子と老人は無関係だと思いますが、女の子は「ぼく」を不思議な老人のもとへ導くという重要な役割を担っていました。「ぼく」はあの特別な円についての完全な解答はまだ得ていないと思います。しかし、あの老人に出会ったことは、その後の人生を生きるうえで大きな糧になったようです。

チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ
 「僕」は大学生の頃、チャーリー・パーカーが1960年代まで生きのび、ボサノヴァ音楽を演奏していたら・・・・という想定のもとに架空のレコード批評を書きました。その後日談が二つ描かれています。この作品に登場するチャーリー・パーカーの「コルコヴァド」が聴きたくなりました。なお、チャーリー・パーカーは、1955年3月12日に亡くなっています。

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