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東京都美術館「ムンク展―共鳴する魂の叫び」(再)

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記念撮影スポット。「叫び」の中の人物が前にせり出しています。

 今日、「ムンク展―共鳴する魂の叫び」(東京都美術館、10/27~1/20)を見に行って来ました。(再)
 前回、午前10時半頃に着いたら入場待ちの行列ができていたので、今回は時間を1時間遅らせて行きました。予想通り、開館時の行列は解消され、スムーズに会場に入れました。でも、中の込み具合は前回以上でした。
 この展覧会の開催概要やムンクの経歴については、前回記事を参照してください。
 https://blogs.yahoo.co.jp/kazukazu560506i/56885983.html

 以下、印象に残った絵を紹介します。(展示順。写真は特設WEBサイトより、あるいは図録をコピー。解説は図録より)

自画像(1882、26.5×19.5cm)
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 ムンクは端整な顔立ちと魅力をそなえた人物として知られていた。この初期の自画像の中で、彼は自らを若く、ハンサムな、自信に満ちた芸術家として表わしている。このとき、ムンクはまさに画家として駆け出しの時期だった。画家になる以前、ムンクはクリスチャニア(現オスロ)の工業専門学校でエンジニアになるために勉強をしていたが、1年で考えを変えた。芸術への情熱に自らを完全に捧げる決心をしたのである。1880年、彼はクリスチャニアの画学校(後の王立美術工芸学校)に入学した。ムンクの家系にはほかにも芸術家が何人かいたが、そうであっても父のクリスチャンは、息子の人生におけるこの新しい方向について案じていた。



病める子 (1896、43.2×57.1cm、リトグラフ)
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 「病める子」は、ムンクのとってはさまざまな意味での突破口を意味していた。画家はこのモティーフで、固有色に囚われない色彩と抽象化によって、人間の感情の深さを、当時浸透していた自然主義的な描写を超えて探求する方法を見いだしたのである。「病める子」を主題とするいくつかのヴァージョンでは構図がより複雑なのに対し、《病める子 機佞任蓮∋爐砲罎少女の顔に焦点が当てられている。ムンクは生涯を通じて、さまざまな技法を用いてこれと同じテーマの作品を繰り返し生み出した。ムンクの姉のソフィエは15歳のときに結核で亡くなった。この作品はその姉を失った経験と結びついている。「病める子」の最初の絵画が1886年にクリスチャニアで展示されたとき、作品は激しい拒絶反応と熱狂的な称賛の声の両方を引き起こした。



ブローチ、エヴァ・ムドッチ(1903、83.5×60.3cm、リトグラフ)
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 このリトグラフに描かれた女性は、「エヴァ・ムドッチ」というイタリア語のような響きをもつ芸名で演奏活動を行っていたイギリスのヴァイオリン奏者である。名高いヴァイオリン製作者アントニオ・ストラディヴァリのつくったヴァイオリンを演奏していたエヴァは、パートナーのピアノ奏者ベラ・エドワーズとともにスカンディナヴィア諸国でしばしばコンサートを開催していた。ムンクはムドッチと親しい友人となり、あるいは恋人同士にすらなっていたのかもしれない。彼女に対するムンクの好意、あるいは愛情は、夢見るような眼差しで神秘的な微笑を浮かべる彼女を描いた本作品にも表われている。豊かな髪は画面の大部分を占め、両肩に届くところで波打っている。だが別の作品でムンクは、彼女を洗礼者ヨハネの処刑を求める聖書の中の悪女、サロメとして表したこともあった。
※豊かな髪、やわらかな顔の輪郭や瞳の描き方には、女性の性的な恍惚感というよりは、慈愛が感じられる。ムンクはこの作品を「リトグラフのマドンナ」とよんだ。
 トゥラ・ラーセンとの破滅的な関係が終わった翌年、ムンクはイギリス人のヴァイオリニスト、エヴァ・ムドッチと出会います。エヴァの豊かな感性と美しさは、ムンクの女性観に新たな光をもたらしました。崇拝にも近い思いを抱き、恋愛関係を解消した後も親しい友として付き合いました。(公式ガイドブック『ムンク展―共鳴する魂の叫び』より)


夏の夜、人魚(1893、93.5×118cm)
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 「夏の夜」というテーマは、ムンクがいくつもの絵画や版画で探求してきたものだ。どの作品においても、女性が浜辺に配され、月光の柱が水面に浮かんでいる。こうした女性たちは、多くの場合、地面にしっかりと立っているが、本作品では例外的に女性が人魚となり、住処とする海の中にいる。女性の生物学的なサイクルと月の満ち欠け、そして、女性性と永遠性の象徴でもある神秘的な海との緊密な関係は、ムンクの作品の中でたびたび取り上げられる題材だ。人魚のモティーフは、ハンス・クリスチャン・アンデルセンの童話『人魚姫』(1837)や、それよりももっと古い神話に登場する水の精オンディーヌに結びつけられる。



星空の下で(1900-05、90.5×120.5cm)
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 二人の人物が抱き合っている。場面は星明かりに照らされている。家が象徴する社会の存在は、絵画の背景に押しやられている。女性の顔はぼんやりとして、うつろに描かれている。赤い唇がなければ、頭蓋骨のように見えるだろう。ムンクはここで、二者の間の愛と欲望という不変の現象を表わした。それは本質的に隔絶され、非社交的かつ非政治的な世界であり、都市生活の喧騒とは無縁の世界である。青と緑の色調は、この情景に神秘的で厳かな雰囲気をもたらしている。



叫び(1910?、83.5×66cm、テンペラ・油彩)
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 ムンクの最も有名なモティーフである「叫び」は、人間が抱える実存的な不安と孤独と絶望の象徴となっている。オスロ・フィヨルド上空の日没時の空が見せる鮮烈な感覚を、ムンクは心の内の混乱を表わす革新的なイメージへと転換させたのだった。この絵画を観る者は、叫びとは、人間の口から放たれ、風景の中へと拡散し、それを揺り動かし、さざ波を立てていくものだと見なすかもしれない。だが、自然が叫び、両耳をふさぐ人物に激しく襲いかかっていると考えることもできるだろう。ムンクの芸術家としての感受性は、都市の匿名性や資本主義における疎外という、近代社会のもたらす副作用に反応した。彼が描いた鋭く叫びたてる(あるいは叫びにさらされている)人物は、自然からも、社会からも、そして内なる彼自身からも孤立しているのである。



不安(1896、45.3×37.8cm、木版・手彩色)
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 「叫び」と同じオスロとその周辺の景色を背景に、ムンクは町の人の群れを描いた。並んで立つ人々は、互いに無関心で、ただ私たちのほうをじっと見つめている。彼らの顔は、黒と白の大まかなシルエットに簡略化されている。彼らに個性を示す特徴は皆無である。この手彩色の木版画は、不安というテーマを特定の物や人物に対する恐怖としてではなく、近代生活における実存主義的な状態あるいは条件として提示している。不安とは、年に生きる人々の生活を駆り立てるものであり、彼らを互いに孤立させるものなのだ。同時に、人物たちの背景に見える夕暮れの燃えるような色彩は、彼らの不安な状態をきわめて劇的に演出している。



マドンナ(1895/1902、80×60cm、リトグラフ)
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 キリスト教の聖像を思わせるこのモティーフによって、ムンクは人体の神聖さと美しさを視覚化するという古来の文化的伝統の中に自身を刻み込んだ。ムンクは聖人の光輪という慣例的な象徴を描くことなく、人物を取り囲む有機的な線とフォルムによってマドンナの聖性を表わし、宇宙的、神秘的な雰囲気を生み出した。同時に、官能的に表わされたこの裸婦は、男性の視線を魅了する性的な存在であり、その対象でもある。聖なる恍惚の瞬間をほのめかす閉じた目と身振りは、受胎の瞬間と見なされ、解説されてきた。マドンナ、すなわち聖母マリアは、性的かつ精神的な恍惚の瞬間に、息子イエスを宿したのであった。



目の中の目(1899-1900、136×110cm)
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 樹の下で向かい合う男女は、ムンクの作品に繰り返し現れるテーマである。この絵画は、中央の知恵の樹を伴うアダムとエヴァの伝統的なイメージに想を得ながら、交差する眼差しが生む感情を探求するものだ。男は黒と白の部分にはっきりと塗り分けられている。彼は口がなく、鼻が平らだ。そのすべての感覚は視覚に集約され、見る対象を捕らえて離さない純粋な視覚を体現しているかのようだ。一方、女性の身体は半分透けたように見え、橙色、黄土色、バラ色、赤色、そして白色で描かれた増殖するような線と形態で満たされている。彼女の髪は触手のように、あるいは空中で固体化した芳香のように、男に向かって伸びている。二人の出会いの舞台は、開かれた野原、気の影、赤い家、そして青い空と、素朴で明快な要素で構成されている。



クピドとプシュケ(1907、120×99.5cm)
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 「クピドとプシュケ」という古代神話は、愛神クピドが美しい王女と恋に落ちる物語である。暗闇のなか、毎夜プシュケのもとを訪れるクピドは、二人の関係を秘密にするために、自分の姿を見ないよう彼女に約束させた。だが、好奇心に抗えぬプシュケは、恋人の顔を見ようとランプに火をともす。素性を知られたクピドは、プシュケのもとを去ることで彼女を罰した。ムンクは神と人間が出会う場面を描き、死と不死という対立する二つの原理を表現した。赤褐色の絵具で著されたプシュケの両目ははっきりせず、彼女の眼差しに絶望という焼印が押されているかのようだ。肌を黄色、緑色、そして赤色で彩られたクピドは、どこか爬虫類のような輝きを放っている。



芸術家とモデル(1919-21、128×152.5cm)
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 歪んだ部屋の壁、色とりどりのカーペット、そして空間の濃密さと量感によって、この部屋はいまにも爆発しそうな印象を受ける。芸術家とモデルは、画中の空間に完全には存在しないように見える。とりわけ女性は画面に貼りつけられたように表わされ、まるでカンヴァスを通りぬけ、こちらに出てこようとしているかのようだ。一方、彼女の化粧着の模様は、カーペットの派手な模様の形と呼応している。女の目は、暗色の丸い穴と化している。描く画家と描かれるモデルの間の関係は、本質的に視覚によって成立する。画家はモデルの本質を捉えるために、彼女を見つめる必要がある。きちんと(複雑な一個の人間として)見られるためには、モデルも画家の注視に応えねばならない。だが、この絵画の中では、そのどちらも行なわれていない。



フリードリヒ・ニーチェ(1906、201×130cm、油彩・テンペラ)
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 ドイツの有名な哲学者を描いたこの肖像画は、妹のエリーザベト・フェルスター=ニーチェ(1846-1935)によって注文された。ムンクは、フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)が亡くなってから6年後に、写真をもとに本作品を描いた。ムンクは、フェルスター=ニーチェが兄の文書類を管理していた東ドイツの都市ヴァイマールも訪ねている。友人であり支援者でもあったエルネスト・ティール宛に書いた手紙で、ムンクは本作品について次のように説明している。「山間の洞窟にこもる『ツァラトゥストラ』の作者として彼を描きました」。この肖像画には、「叫び」の構図の中心的な二つの要素が取り入れられている。それは画面に斜めに配され、線遠近法の強い効果を生み出している小道と、風景や紅色の空に見られる、うねるような有機的フォルムである。



ダニエル・ヤコブソン(1908-09、204×111.5cm)
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 ダニエル・ヤコブソン(1861-1939)は、デンマークのコペンハーゲンで個人の診療所を営んでいた。ムンクは1908年から09年にかけて、数ヶ月にわたりそこで治療を受けた。診療所の他の患者の中には、中流階級の女性や芸術家もいた。医者としての専門知識については異議を唱える声があるものの、ヤコブソンはそのカリスマ性と直感力、そして患者への共感力のおかげで、職業的な成功を収めていたようだ。ヤコブソンから入院中も仕事をするよう助言されたことから、ムンクはこの医者の肖像画を何点か描いている。しかし、本作品はムンクがヤコブソンに対して感じていたにちがいないある種の疑いをも伝えている。というのも、ムンクは医者の足の片方に、キリスト教の神学では伝統的に悪魔の象徴とされる蹄(ひづめ)を描いているからだ。



疾駆する馬(1910-12、135.5×110.5cm)
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 観る者に向かって疾駆してくる馬を描いた本作品によって、ムンクは絵画という静的な領域の中で最大級のダイナミズムを生み出した。馬が疾駆するスピードは、極端な短縮法や粗い筆遣い、ぼやけた色面、雪のはねかえり、そして道から飛びのく人々の姿によって伝わってくる。こうした絵画的な効果は、写真や映画といった新しいメディアの技術に対するムンクの関心と、そこでの実験に影響を受けた可能性をうかがわせる。1902年には、ムンクはすでにカメラを購入していた。彼は生涯を通じ、およそ200点もの写真を撮影している。後年には映画用のカメラも所有し、映画館に行くことも好きだった。他の作品において、ムンクは半透明の人物や事物を表わすために、二重露光の写真技術を真似て描いている。



真夏(1915、95.5×119.5cm)
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 ムンクの最も重要な作品の多くに描かれたノルウェーの夏の太陽の光は、愛と欲望、悲しみと孤独、あるいはこの絵画のように水浴する男女のいる情景を照らし出してきた。水浴する人々を描いた彼の絵画は、ときに論争を招くものとして受け止められ、とりわけノルウェーにおいてはその傾向があった。だが、人間の身体がむしろ抽象的に表わされたこのイメージには、論争の種となる要素はさほどない。彼の同僚でありライバルでもあったノルウェーの彫刻家グスタヴ・ヴィーゲラン(1869-1943)の作品と同様に、ムンクが描いた水浴する裸体の人物像は、平等主義的な調和と生き生きとした自己表現を兼ね備えた人類を表わすものだ。つまり社会的な格差のない状態を描くことによって、人間の存在を称揚しているのである。


二人、孤独な人たち(1933-35、91×129.5cm)
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 海を眺める人々の姿を描いたイメージによって、ムンクはロマン主義の伝統の系譜に自らを刻みつけた。その代表作ともいえる本作品は、ドイツ・ロマン主義の画家カスパー・ダーヴィと・フリードリヒによる人物を背後から描いた作品ときわめてよく似ている。本作品では、フリードリヒの絵画のように背後から捉えられた男女が、風景の一部を覆い隠している。彼らは描かれた風景と観る者との間を行き来し、絵画を見るという経験に自己を反映する機会を与える。見るという行為が、熟考や冥想を促す題材となっているのである。絵画の中の風景には、二人の人物の孤独と憂鬱が投影されているのかもしれない。男と女は互いに孤立し、無限に広がる海とコントラストをなしている。



浜辺にいる二人の女(1933-35、93.5×118.5cm)
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 ほぼ70歳に達したムンクは、およそ50年にわたり、さまざまなメディアを用いて作品を制作し、自身のトレードマークとも言える数々のモティーフを生み出してきた。本作品は、初期の一連の木版画をもとにしたもので、異なる年代の女性たちや、オースゴールストランの夏の海岸線、そして月と海面に映る月光といった象徴的な表現が見てとれる。ムンクは繰り返し取り組んできた馴染みのあるモティーフに、明るく輝く色彩を用いて活力を与えようとした。それらはほとんど周囲に溶け込んで見えるほど、型どおりのフォルムに単純化されている。風景に用いられた熱帯を思わせる色彩は、二人の女性が表わす重苦しい象徴的意味合いと鋭い対比をなしている。無垢な青春と老いというそれぞれの段階を表象する女性たちは、人の一生涯を暗示しているようである。



◆帰りに、展覧会出口でポケモンカードをいただきました。ピカチュウの「叫び」です。
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◆グッズ・土産
・ジョン・ボールトン・スミス『ムンク』(画集)
・B6ノート(表紙が「叫び」)

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