村上護編『尾崎放哉全句集』(08)を読みました。(再々)
尾崎放哉の経歴について、文庫本ブックカバー掲載のものを引用します。
尾崎放哉の経歴について、文庫本ブックカバー掲載のものを引用します。
尾崎放哉(おざき・ほうさい、1885-1926)
現在の鳥取市に生まれる。本名・秀雄。東京帝国大学法学部卒業後、東洋生命保険株式会社に入社。旧制中学時代から句作を始め、一高俳句会に参加、荻原井泉水の「層雲」に寄稿するなど、自由律の俳人として句作を続けた。流浪遁世ののち小豆島南郷庵にて41歳で病死。
現在の鳥取市に生まれる。本名・秀雄。東京帝国大学法学部卒業後、東洋生命保険株式会社に入社。旧制中学時代から句作を始め、一高俳句会に参加、荻原井泉水の「層雲」に寄稿するなど、自由律の俳人として句作を続けた。流浪遁世ののち小豆島南郷庵にて41歳で病死。
この全句集について、文庫本ブックカバー裏表紙の解説を引用します。
「咳をしても一人」などの句で知られる自由律の俳人・尾崎放哉。前途を嘱望されたエリート社員だったが、家族も仕事も捨て、流浪の果て、孤独と貧窮のうちに小豆島で病死。その破滅型の境涯は、同時代の俳人・種田山頭火と並び、いまなお人々に感銘を与えつづける。本書は、遁世以後の境地を詠んだ絶唱を中心に全句稿を網羅するとともに、小品・日記・書簡を精選収録する。遁世漂泊の俳人の全容を伝える決定版全句集!
この全句集の構成は、以下のようになっています。
《俳句》
‘枩ぐ文紂並臉13年~15年)
俗世の時代
・定型俳句時代(明治33年~大正3年)
・自由律俳句時代(大正4年~12年)
6膵董並臉14年~15年)
ぢ世の時代・拾遺
《小品・随筆・書簡》
・夜汽車
・入庵雑記
・大正13年8月22日 住田蓮車あて書簡
・大正13年12月15日 佐藤呉天子あて書簡
・大正15年3月23日 荻原井泉水・内島北朗あて書簡
《年譜》
《解説》
《索引》
‘枩ぐ文紂並臉13年~15年)
俗世の時代
・定型俳句時代(明治33年~大正3年)
・自由律俳句時代(大正4年~12年)
6膵董並臉14年~15年)
ぢ世の時代・拾遺
《小品・随筆・書簡》
・夜汽車
・入庵雑記
・大正13年8月22日 住田蓮車あて書簡
・大正13年12月15日 佐藤呉天子あて書簡
・大正15年3月23日 荻原井泉水・内島北朗あて書簡
《年譜》
《解説》
《索引》
以下、「遁世以後」「俗世の時代」から、一読して気になった句を引用します。なお、尾崎放哉は大正15年4月、41歳で亡くなっています。
「遁世以後」
【大正13年】(39歳)
牛の眼なつかしく堤の夕の行きずり
流るる風に押され行き海に出る
つくづく淋しい我が影よ動かして見る
ねそべつて書いて居る手紙を鶏に覗かれる
あすは雨らしい青葉の中の堂を閉める
友を送りて雨風に追はれてもどる
なぎさふりかへる我が足跡も無く
井戸の暗さにわが顔を見出す
鐘ついて去る鐘の余韻の中
柘榴が口あけたたはけた恋だ
高浪打ちかへす砂浜に一人を投げ出す
雨に降りつめられて暮るる外なし御堂
何も忘れた気で夏帽をかぶつて
わかれを云ひて幌をろす白いゆびさき
茄子もいできてぎしぎし洗ふ
朝顔の白が咲きつづくわりなし
あらしの闇を見つめるわが眼が灯もる
銅銭ばかりかぞへて夕べ事足りて居る
たばこが消えて居る淋しさをなげすてる
空暗く垂れ大きな蟻が畳をはつてる
雨の幾日がつづき雀と見てゐる
友の夏帽が新らしい海に行かうか
人をそしる心をすて豆の皮むく
傘さしかけて心よりそへる
障子しめきつて淋しさをみたす
ぶつりと鼻緒が切れた暗の中なる
土運ぶ黙々とひかげをつくる
自らをののしり尽きずあふむけに寝る
何か求むる心海へ放つ
【大正14年】(40歳)
小さい火鉢でこの冬を越さうとする
心をまとめる鉛筆とがらす
仏にひまをもらつて洗濯してゐる
ただ風ばかり吹く日の雑念
板じきに夕餉の両ひざをそろへる
こんなよい月を一人で見て寝る
大空のました帽子かぶらず
落葉たく煙の中の顔である
かへす傘又かりてかへる夕べの同じ道である
傘にばりばり雨音さして逢ひに来た
淋しいぞ一人五本のゆびを開いて見る
わが顔ぶらさげてあやまりにゆく
師走の夜のつめたい寝床が一つあるきり
笑へば泣くやうに見える顔よりほかなかつた
がたびし戸をあけてをそい星空に出る
鉢の椿の蕾がかたくて白うなつて
片つ方の耳にないしよ話しに来る
葬式のきものぬぐばたばたと日がくれる
両手をいれものにして木の実をもらふ
水車まはつて居る山路にかかる
ふところの焼芋のあたたかさである
ひげがのびた顔を火鉢の上にのつける
宵祭の提灯ともしてだあれも居らぬ
にくい顔思ひ出し石ころをける
たまたま蟻を見付け冬の庭を歩いて居る
底がぬけた杓で水を呑もうとした
色鉛筆の青い色をひつそりけづつて居る
節分の豆をだまつてたべて居る
人を待つ小さな座敷で海が見える
道いつぱいになつて来る牛と出逢つた
考へ事をしてゐる田にしが歩いて居る
雪の戸をあけてしめた女の顔
どろぼう猫の眼と睨みあつてる自分であつた
海がよく凪いで居る村の呉服屋
淋しいからだから爪がのび出す
ころりと横になる今日が終つて居る
海がまつ青な昼の床屋にはいる
昼寝の足のうらが見えてゐる訪ふ
すばらしい乳房だ蚊が居る
海が少し見える小さい窓一つもつ
わが庵とし鶏頭がたくさん赤うなつて居る
すさまじく蚊がなく夜の痩せたからだが一つ
雨の椿に下駄辷らしてたづねて来た
叱ればすぐ泣く児だと云つて泣かせて居る
ぴつたりしめた穴だらけの障子である
【大正15年】(41歳)
道を教へてくれる煙管から煙が出てゐる
朝靄豚が出て来る人が出て来る
都のはやりうたうたつて島のあめ売り
あらしがすつかり青空にしてしまつた
咳き入る日輪くらむ
入れものが無い両手で受ける
咳をしても一人
ひどい風だどこ迄も青空
寒ン空シヤツポがほしいな
あすは元日が来る仏とわたくし
夕空見てから夜食の箸とる
窓あけた笑ひ顔だ
渚白い足出し
やせたからだを窓に置き船の汽笛
「俗世の時代」
【定型俳句時代】(明治33年~大正3年)
よき人の机によりて昼ねかな
見ゆるかぎり皆若葉なり国境
潮風に赤らむ柿の漁村かな
路傍のはやらぬ神も恵方哉
椿咲く島へ三里や浪高し
【自由律俳句時代】(大正4~12年)
手紙つきし頃ならん宿の灯る見ゆ
漁師の太い声と夕日まんまろ
寝転べる男に夕べの雲の色変る
よく笑ふ女と日まはりのあかるさ
海は黒く眠りをり宿につきたり
今日一日の終りの鐘をきゝつゝあるく
女乞食の大きな乳房かな
仏の灯ぢつとして凍る夜ぞ
夢さめし眼をひたと闇にみひらけり
山深々と来て親しくはなす
ぢつと子の手を握る大きなわが手
青い息つく蛍一つ見つめ居り
冷たい水となり旅の朝な朝な
風の中走り来て手の中のあつい銭
母の日ぬくとくさやえんどう出そめて
夏帽新しく睡蓮に昼の風あり
「遁世以後」
【大正13年】(39歳)
牛の眼なつかしく堤の夕の行きずり
流るる風に押され行き海に出る
つくづく淋しい我が影よ動かして見る
ねそべつて書いて居る手紙を鶏に覗かれる
あすは雨らしい青葉の中の堂を閉める
友を送りて雨風に追はれてもどる
なぎさふりかへる我が足跡も無く
井戸の暗さにわが顔を見出す
鐘ついて去る鐘の余韻の中
柘榴が口あけたたはけた恋だ
高浪打ちかへす砂浜に一人を投げ出す
雨に降りつめられて暮るる外なし御堂
何も忘れた気で夏帽をかぶつて
わかれを云ひて幌をろす白いゆびさき
茄子もいできてぎしぎし洗ふ
朝顔の白が咲きつづくわりなし
あらしの闇を見つめるわが眼が灯もる
銅銭ばかりかぞへて夕べ事足りて居る
たばこが消えて居る淋しさをなげすてる
空暗く垂れ大きな蟻が畳をはつてる
雨の幾日がつづき雀と見てゐる
友の夏帽が新らしい海に行かうか
人をそしる心をすて豆の皮むく
傘さしかけて心よりそへる
障子しめきつて淋しさをみたす
ぶつりと鼻緒が切れた暗の中なる
土運ぶ黙々とひかげをつくる
自らをののしり尽きずあふむけに寝る
何か求むる心海へ放つ
【大正14年】(40歳)
小さい火鉢でこの冬を越さうとする
心をまとめる鉛筆とがらす
仏にひまをもらつて洗濯してゐる
ただ風ばかり吹く日の雑念
板じきに夕餉の両ひざをそろへる
こんなよい月を一人で見て寝る
大空のました帽子かぶらず
落葉たく煙の中の顔である
かへす傘又かりてかへる夕べの同じ道である
傘にばりばり雨音さして逢ひに来た
淋しいぞ一人五本のゆびを開いて見る
わが顔ぶらさげてあやまりにゆく
師走の夜のつめたい寝床が一つあるきり
笑へば泣くやうに見える顔よりほかなかつた
がたびし戸をあけてをそい星空に出る
鉢の椿の蕾がかたくて白うなつて
片つ方の耳にないしよ話しに来る
葬式のきものぬぐばたばたと日がくれる
両手をいれものにして木の実をもらふ
水車まはつて居る山路にかかる
ふところの焼芋のあたたかさである
ひげがのびた顔を火鉢の上にのつける
宵祭の提灯ともしてだあれも居らぬ
にくい顔思ひ出し石ころをける
たまたま蟻を見付け冬の庭を歩いて居る
底がぬけた杓で水を呑もうとした
色鉛筆の青い色をひつそりけづつて居る
節分の豆をだまつてたべて居る
人を待つ小さな座敷で海が見える
道いつぱいになつて来る牛と出逢つた
考へ事をしてゐる田にしが歩いて居る
雪の戸をあけてしめた女の顔
どろぼう猫の眼と睨みあつてる自分であつた
海がよく凪いで居る村の呉服屋
淋しいからだから爪がのび出す
ころりと横になる今日が終つて居る
海がまつ青な昼の床屋にはいる
昼寝の足のうらが見えてゐる訪ふ
すばらしい乳房だ蚊が居る
海が少し見える小さい窓一つもつ
わが庵とし鶏頭がたくさん赤うなつて居る
すさまじく蚊がなく夜の痩せたからだが一つ
雨の椿に下駄辷らしてたづねて来た
叱ればすぐ泣く児だと云つて泣かせて居る
ぴつたりしめた穴だらけの障子である
【大正15年】(41歳)
道を教へてくれる煙管から煙が出てゐる
朝靄豚が出て来る人が出て来る
都のはやりうたうたつて島のあめ売り
あらしがすつかり青空にしてしまつた
咳き入る日輪くらむ
入れものが無い両手で受ける
咳をしても一人
ひどい風だどこ迄も青空
寒ン空シヤツポがほしいな
あすは元日が来る仏とわたくし
夕空見てから夜食の箸とる
窓あけた笑ひ顔だ
渚白い足出し
やせたからだを窓に置き船の汽笛
「俗世の時代」
【定型俳句時代】(明治33年~大正3年)
よき人の机によりて昼ねかな
見ゆるかぎり皆若葉なり国境
潮風に赤らむ柿の漁村かな
路傍のはやらぬ神も恵方哉
椿咲く島へ三里や浪高し
【自由律俳句時代】(大正4~12年)
手紙つきし頃ならん宿の灯る見ゆ
漁師の太い声と夕日まんまろ
寝転べる男に夕べの雲の色変る
よく笑ふ女と日まはりのあかるさ
海は黒く眠りをり宿につきたり
今日一日の終りの鐘をきゝつゝあるく
女乞食の大きな乳房かな
仏の灯ぢつとして凍る夜ぞ
夢さめし眼をひたと闇にみひらけり
山深々と来て親しくはなす
ぢつと子の手を握る大きなわが手
青い息つく蛍一つ見つめ居り
冷たい水となり旅の朝な朝な
風の中走り来て手の中のあつい銭
母の日ぬくとくさやえんどう出そめて
夏帽新しく睡蓮に昼の風あり
以下、「入庵雑記」から、気になった文章を引用します。