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村上護編『山頭火句集』(ちくま文庫)を読みました。(再)

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 今日、村上護編・小川侃画『山頭火句集』(96)を読み終えました。(再)
 種田山頭火の経歴について、文庫本ブックカバー掲載のものを引用します。
種田山頭火(たねだ・さんとうか、1882-1940)
 山口県防府市(現在)生まれ。本名、正一。少年期に母が自殺。早大文学科中退。帰郷して酒造業を営むが、破産、流転。熊本市報恩寺で出家得度し、味取観音堂守となる。1926(大正15)年から行乞流転の旅に出る。1932(昭和7)年、山口県小郡町の其中庵に住し、さらに各地を転々漂白する。1940(昭和15)年、松山市の一草庵で泥酔頓死。

 この句集について、文庫本ブックカバー裏表紙の解説を引用します。
 「最初の不幸は母の自殺。第二の不幸は酒癖。第三の不幸は結婚、そして父になった事」――家を捨て、妻子とも別れ、俗世の一切から放たれて、「行乞流転の旅」の日々を、一行の俳句に託すしかなかった山頭火。うしろすがたのしぐれる放浪の俳人の全容を伝える一巻選集! 自選句集「草木塔」を中心に、作者の境涯を象徴する随筆も精選収録する。

 この句集の構成は、以下のようになっています。
◇『草木塔』
◇『草木塔』以後
◇出家以前
◇随筆
 私を語る/『鉢の子』から『其中庵』まで/私の生活/寝床/漬物の味/水/歩々到着/故郷/独慎/道/草木塔/片隅の幸福/白い花/草と虫とそして・・・/述懐
◇山頭火年譜
◇さくいん
◇解説「山頭火の境涯と俳句」(村上護)

 以下、一読して気になった句を引用します。

◆『草木塔』
分け入つても分け入つても青い山
鴉啼いてわたしも一人
この旅、果もない旅のつくつくぼうし
笠にとんぼをとまらせてあるく
歩きつづける彼岸花咲きつづける

まつすぐな道でさみしい
しぐるるや死なないでゐる
水に影ある旅人である
しぐるるやしぐるる山へ歩み入る
すべつてころんで山がひつそり

雨の山茶花の散るでもなく
捨てきれない荷物のおもさまへうしろ
年とれば故郷こひしいつくつくぼうし
まつたく雲がない笠をぬぎ
酔うてこほろぎと寝てゐたよ

また逢へた山茶花も咲いてゐる
うしろすがたのしぐれてゆくか
鉄鉢の中へも霰
寒い雲がいそぐ
笠へぽつり椿だつた

いただいて足りて一人の箸をおく
しぐるる土をふみしめてゆく
今日の道のたんぽぽ咲いた
うつりきてお彼岸花の花ざかり
朝焼雨ふる大根まかう

月が昇つて何を待つでもなく
あれこれ食べるものはあつて風の一日
水音しんじつおちつきました
いちりん挿の椿いちりん
ぬいてもぬいても草の執着をぬく

けふは蕗をつみ蕗をたべ
もう明けさうな窓あけて青葉
やつぱり一人がよろしい雑草
けふもいちにち風をあるいてきた
いそいでもどるかなかなかなかな

わがままきままな旅の雨にはぬれてゆく
ほととぎすあすはあの山こえて行かう
夕立が洗つていつた茄子をもぐ
なんといふ空がなごやかな柚子の二つ三つ
椿のおちる水のながれる

誰か来さうな雪がちらほら
ふくろうはふくろうでわたしはわたしでねむれない
ひよいと穴からとかげかよ
蜘蛛は網張る私は私を肯定する
いつでも死ねる草が咲いたり実つたり

みんなたつしやでかぼちやの花も
ここで寝るとする草の実のこぼれる
木の葉ふるふる鉢の子へも ※鉢の子=鉄鉢
春寒のをなごやのをなごが一銭持つて出てくれた
さて、どちらへ行かう風がふく

樹が倒れてゐる腰をかける
もう逢へますまい木の芽のくもり
飲みたい水が音たててゐた
あすはかへらうさくらちるちつてくる
なんぼう考へてもおんなじことの落葉ふみあるく

ほつかり覚めてまうへの月を感じてゐる
悔いるこころに日が照り小鳥来て啼くか
枯れゆく草のうつくしさにすわる
住みなれて藪椿いつまでも咲き
あるがまま雑草として芽をふく

ぬくうてあるけば椿ぽたぽた
ほろにがさもふるさとの蕗のとう
ひつそり咲いて散ります
ころり寝ころべば青空
何を求める風の中ゆく

青葉の奥へなほ径があつて墓
それもよかろう草が咲いてゐる
月がいつしかあかるくなればきりぎりす
木かげは風がある旅人どうし
風鈴の鳴るさへ死のしのびよる

おもひおくことはないゆふべの芋の葉ひらひら
春の雪ふる女はまことにうつくしい
たたずめば風わたる空のとほくとほく
うららかな鐘を撞かうよ
伊豆はあたたかく野宿によろしい波音も

また一枚ぬぎすてる旅から旅
ほつと月がある東京に来てゐる
行き暮れてなんとここらの水のうまさは
あるけばかつこういそげばかつこう
浅間をまともにおべんたうは草の上にて

砂丘にうづくまりけふも佐渡は見えない
荒海へ脚投げだして旅のあとさき
法堂(ハツトウ)あけはなつ明けはなれてゐる
更けると涼しい月がビルの間から
鴉啼いたとて誰も来てはくれない

こころおちつけば水の音
山ふところの、ことしもここにりんだうの花
いつまで生きる曼珠沙華咲きだした
歩くほかない草の実つけてもどるほかない
やつと咲いて白い花だつた

悔いるこころの曼珠沙華燃ゆる
月からひらり柿の葉
何を待つ日に日に落葉ふかうなる
やつぱり一人はさみしい枯草
ぼろ着て着ぶくれておめでたい顔で

いつも出てくる蕗のとう出てきてゐる
ひらくよりしづくする椿まつかな
一つあれば事足る鍋の米をとぐ
ふたたびは踏むまい土を踏みしめて征く
しぐれて雲のちぎれゆく支那をおもふ

ぽろぽろしたたる汗がましろな凾に
その一片はふるさとの土となる秋
みんな出て征く山の青さのいよいよ青く
風の中おのれを責めつつ歩く
 がちやがちやがちやがちや鳴くよりほかない

誰を待つとてゆふべは萩のしきりにこぼれ
雨ふればふるほどに石蕗の花
そこはかとなくそこら木の葉のちるやうに
死のしづけさは晴れて葉のない木
一つあると蕗のとう二つ三つ

うどん供へて、母よ、わたくしもいただきまする
つるりとむげて葱の白さよ
おのれにこもる藪椿咲いては落ち
咳がやまない脊中をたたく手がない
窓あけて窓いつぱいの春

朝焼夕焼食べるものがない
げんのしようこのおのれひそかな花と咲く
草にすわり飯ばかりの飯
葦の穂風の行きたい方へ行く
飯のうまさが青い青い空

ごろりと草に、ふんどしかわいた
秋風、行きたい方へ行けるところまで
ビルとビルとのすきまから見えて山の青さよ
ひつそり蕗のとうここで休まう
このみちをたどるほかない草のふかくも

たまたまたづね来てその泰山木が咲いてゐて
うまれた家はあとかたもないほうたる
寝床まで月を入れ寝るとする
へそが汗ためてゐる
焼いてしまへばこれだけの灰を風吹く

握りしめる手に手のあかぎれ


◆『草木塔』以後(昭和14年9月~15年10月)
ひよいと四国へ晴れきつてゐる
石を枕に雲のゆくへを
あすはおまつりのだんじり組みあげて、雲
南無観世音おん手したたる水の一すぢ
秋風ただよふ雲の一人となる

庵主はお留守の木魚をたたく
暮れると寝て明けるよりあるく山また山
泊めてくれない折からの月が行手に
まどろめばふるさとの夢の葦の葉ずれ
ふたたびはわたらない橋のながいながい風

しぐれてぬれて旅ごろもしぼつてはゆく
泊るところがないどかりと暮れた
ついてくる犬よおまへも宿なしか
ほろほろほろびゆくわたくしの秋
夜の長さ夜どほし犬にほえられて

遠ざかるうしろ姿の夕焼けて
目刺あぶればあたまもしつぽもなつかしや
だんだん似てくる癖の、父はもうゐない
たんぽぽちるやしきりにおもふ母の死のこと
今日のをはりのうつくしや落日

名もない草のいちはやく咲いてむらさき
ずんぶり温泉(ユ)のなかの顔と顔笑ふ
夕焼雲のうつくしければ人の恋しき
朝湯こんこんあふるるまんなかのわたくし
おもひでがそれからそれへ酒のこぼれて


◆出家以前(明治44年~大正11年)
気まぐれの旅暮れて桜月夜なる
ひとりとなれば仰がるゝ空の青さかな
暑さきはまる土に喰ひいるわが影ぞ
闇の奥には火が燃えて凸凹の道
酔ひざめのこころに触れて散る葉なり

またあふまじき弟にわかれ泥濘ありく
雪ふる中をかへりきて妻へ手紙かく
月澄むほどにわれとわが影踏みしめる


 以下、随筆の中から、気になった文章を引用します。







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