夏石番矢編『山頭火俳句集』(18)を読みました。
この俳句集について、編者による「解説―水になりたかった前衛詩人」の冒頭部分を引用します。
この俳句集について、編者による「解説―水になりたかった前衛詩人」の冒頭部分を引用します。
種田山頭火という俳人はいったいどういう男なのだろうか。自由律俳人、放浪の俳人、酒乱の俳人、自堕落な俳人などと言われている。はたしてそうなのだろうか。
この一見単純で、ほんとうは難しい問いへの答えを考えながら、ここに山頭火29歳の明治44(1911)年から没年の昭和15(1940)年にいたるちょうど30年にわたる山頭火の俳句1,000句を選んでみた。この30年間、山頭火はいったい何をしたのだろうか。
山頭火は大量の日記を残している。山頭火自身による焼却をのがれた日記は、山頭火が友人たちに預けて後の世に残そうとして残ったのであり、日記には数多くの未発表俳句も記されている。実はここに選ばれた俳句1,000句の大半は、句集や雑誌に発表されたものではなく、日記に眠っていた作品。『山頭火全集』(全11巻、春陽堂書店、昭和61-63年)ではまだ不十分だった資料収集をより豊かに進め、句集、雑誌、新聞、日記、書簡などに残された山頭火の俳句を、初めて一冊にまとめたのが、『山頭火全句集』(春陽堂書店、平成14年)。山頭火俳句の全貌は、21世紀になってようやくこの本によって姿を現した。
『山頭火全句集』に年代順に収録されたすべての俳句から、山頭火俳句1,000句は選び出され、この文庫本でも年ごとに区分けして収録されている。各年ごとの山頭火の俳句は『山頭火全句集』が句集、雑誌、新聞、日記、書簡などという記録媒体の種類ごとに並べられているのと違って、山頭火による句作の順序を私が推理して配列した。
この1,000句を読むと、山頭火が実際に生きた時間の流れが伝わり、彼の実際の人生体験をベースにしながらもそこに制約されない、彼の思いの流れも味わうことができるだろう。そこで初めて種田山頭火という俳人の実体をつかめるのではないか。
※引用文の半ばに「ここに選ばれた俳句1,000句の大半は、句集や雑誌に発表されたものではなく、日記に眠っていた作品」とあるように、これまでに読んだ2種類の山頭火句集にはなかった句に多く出会えたのはとても新鮮でした。この一見単純で、ほんとうは難しい問いへの答えを考えながら、ここに山頭火29歳の明治44(1911)年から没年の昭和15(1940)年にいたるちょうど30年にわたる山頭火の俳句1,000句を選んでみた。この30年間、山頭火はいったい何をしたのだろうか。
山頭火は大量の日記を残している。山頭火自身による焼却をのがれた日記は、山頭火が友人たちに預けて後の世に残そうとして残ったのであり、日記には数多くの未発表俳句も記されている。実はここに選ばれた俳句1,000句の大半は、句集や雑誌に発表されたものではなく、日記に眠っていた作品。『山頭火全集』(全11巻、春陽堂書店、昭和61-63年)ではまだ不十分だった資料収集をより豊かに進め、句集、雑誌、新聞、日記、書簡などに残された山頭火の俳句を、初めて一冊にまとめたのが、『山頭火全句集』(春陽堂書店、平成14年)。山頭火俳句の全貌は、21世紀になってようやくこの本によって姿を現した。
『山頭火全句集』に年代順に収録されたすべての俳句から、山頭火俳句1,000句は選び出され、この文庫本でも年ごとに区分けして収録されている。各年ごとの山頭火の俳句は『山頭火全句集』が句集、雑誌、新聞、日記、書簡などという記録媒体の種類ごとに並べられているのと違って、山頭火による句作の順序を私が推理して配列した。
この1,000句を読むと、山頭火が実際に生きた時間の流れが伝わり、彼の実際の人生体験をベースにしながらもそこに制約されない、彼の思いの流れも味わうことができるだろう。そこで初めて種田山頭火という俳人の実体をつかめるのではないか。
なお、この俳句集は、以下のような構成になっています。
【俳句】
・明治44年~昭和15年(年代順)
【日記】
・昭和5年~昭和15年(年代順)
【随筆】
ツルゲーネフ墓前におけるルナンの演説/夜長ノート/生の断片/底から/十字架上より/俳句における象徴的表現/象徴詩論/燃ゆる心/最近の感想/白い路/手記より/私を語る/水/故郷/鉄鉢の句について/再び鉄鉢の句について/無題/履歴書
【解説・略年譜・俳句索引】
・明治44年~昭和15年(年代順)
【日記】
・昭和5年~昭和15年(年代順)
【随筆】
ツルゲーネフ墓前におけるルナンの演説/夜長ノート/生の断片/底から/十字架上より/俳句における象徴的表現/象徴詩論/燃ゆる心/最近の感想/白い路/手記より/私を語る/水/故郷/鉄鉢の句について/再び鉄鉢の句について/無題/履歴書
【解説・略年譜・俳句索引】
以下、一読して気になった句を引用します。(※巻末略年譜より)
【明治44年(1911)】(29歳)
サイダーの泡立ちて消ゆ夏の月
放鳥の嘆くか森に谺(こだま)あり
忘れえぬ面影や秋晴れの宿
【明治45年・大正元年(1912)】(30歳)
酒も絶たん身は凩(こがらし)の吹くままに
【大正2年(1913)】(31歳)
※荻原井泉水に師事。「層雲」3月号に俳句が初入選する。
明日の行程地図に見る夏野草敷いて
【大正3年(1914)】(32歳)
酔へば物皆なつかし街の落花踏む
友や待つらんその島は晴々と横はれり
【大正4年(1915)】(33歳)
沈み行く夜の底へ底へ時雨落つ
濃き煙残して汽車は凩の果てへ吸はれぬ
闇の奥に火が燃えて凸凹(デコボコ)の道を来ぬ
一日物いはず海にむかへば潮満ちて来ぬ
叫ぶ男あり夜潮ゆらめくのみの暗さ
【大正5年(1916)】(34歳)
※種田家の酒造経営が破綻、父は行方不明となる。熊本市に移住。古書店を開業する。
鉄柵の中コスモス咲きみちて揺る
夢深き女に猫が背伸びせり
凩に吹かれつゝ光る星なりし
浪の音聞きつゝ遠く別れ来し
【大正6年(1917)】(35歳)
海よ海よふるさとの海の青さよ
【大正7年(1918)】(36歳)
※弟の二郎が自殺する。
たまさかに飲む酒の音さびしかり
【大正8年(1919)】(37歳)
※単身上京、セメント試験場で働く。
星空の冬木ひそかにならびゐし
【大正9年(1920)】(38歳)
※サキノと離婚。東京市一橋図書館に勤務。
陽ぞ昇る空を支ふる建物の窓窓
【大正10年(1921)】(39歳)
※父竹治郎死去。
ほころび縫う身に沁みて夜の雨
【大正11年(1922)】(40歳)
※一橋図書館を神経衰弱のため退職。
ま夜なかひとり飯あたゝめつ涙をこぼす
※大正12年(1923)9月、関東大震災に遭い避難中、憲兵に拘束され巣鴨刑務所に留置される。熊本に帰る。
※大正13年(1924)12月、泥酔して市電を止める。曹洞宗・報恩寺の望月義庵和尚に預けられる。
【大正14年(1925)】(43歳)
※報恩寺で出家得度。熊本県植木町の観音堂の堂守となる。
松はみな枝垂れて南無観世音
松風に明け暮れの鐘撞いて
【大正15年(1926)】(44歳)
※行乞放浪の旅に出る。
分け入つても分け入つても青い山
炎天をいただいて乞ひ歩く
鴉啼いてわたしも一人
生死の中の雪ふりしきる
【昭和2・3年(1927・28)】(45歳)
※山陽・山陰・四国各地を漂泊する。
この旅、果もない旅のつくつくぼうし
まつすぐな道でさみしい
しぐるるや死なないでゐる
【昭和3年(1928)】(46歳)
※四国八十八箇所を巡礼。小豆島の尾崎放哉の墓参。
墓のしたしさの雨となつた
【昭和4年(1929)】(47歳)
※山陽・九州を廻る。
また見ることもない山が遠ざかる
どうしようもないわたしが歩いてゐる
捨てきれない荷物のおもさまへうしろ
あんなに降つてまだ降つてやがる
【昭和5年(1930)】(48歳)
※九州各地を行乞する。熊本市春竹琴平町に三八九居を得る。
こゝで泊らうつくつくほうし
旅はさみしい新聞の匂ひかいでも
吠えつゝ犬が村はづれまで送つてくれた
これが別れのライスカレーです
酔うてこほろぎと寝てゐたよ
このまゝ死んでしまふかも知れない土に寝る
ふりかへらない道をいそぐ
日記焼き捨てる火であたゝまる
風の中声はりあげて南無観世音菩薩
火が何よりの御馳走の旅となつた
憂鬱を湯にとかさう
乞ふことをやめて山を観る
ボタ山のたゞしぐれてゐる
今夜のカルモチンが動く
飛行機飛んで行つた虹が見える
水のんでこの憂鬱のやりどころなし
寝るところが見つからないふるさとの空
【昭和6年(1931)】(49歳)
※個人雑誌「三八九」を創刊。
すさんだ皮膚を雨にうたせる
闇をつらぬいて自動車自動車
星があつて男と女
重荷おもくて唄うたふ
ひとりにはなりきれない空を見あげる
うしろ姿のしぐれてゆくか
【昭和7年(1932)】(50歳)
※第1句集『鉢の子』上梓。山口県小郡町の其中庵(ごちゅうあん)に入る。
鉄鉢の中へも霰(あられ)
父によう似た声が出てくる旅はかなしい
酒やめておだやかな雨
骨(コツ)となつてかへつたかサクラさく
旅もをはりの、酒もにがくなつた
忘れようとするその顔の泣いてゐる
腹底のしくしくいたむ大声で歩く
春へ窓をひらく
風のトンネルぬけてすぐ乞ひはじめる
ひさしぶり話してをります無花果(いちじく)の芽
別れてきて橋を渡るのである
なつかしい頭が禿げてゐた
あるけばきんぽうげすわればきんぽうげ
うつむいて石ころばかり
星も見えない旅をつゞけてゐる
岩へふんどし干してをいて
ふるさとの夢から覚めてふるさとの雨
ふるさとの言葉のなかにすわる
ふるさとはみかんのはなのにほふとき
暗さ匂へば蛍
さみしうて夜のハガキかく
いつまで生きよう庵を結んで
山ふかくきてみだらな話がはづむ
とりきれない虱の旅をかさねてゐる
山の仏には山の花
炎天のポストへ無心状である
ひさびさ雨ふりふるさとの女と寝る
ほうたるこいこいふるさとにきた
ちんぽこにも陽があたる夏草
こばまれて去る石ころみちの暑いこと
三日月よ逢ひたい人がある
わたしがはいればてふてふもはいる庵の昼
ひとりで酔へばこうろぎこうろぎ
酔へばやたらに人のこひしい星がまたゝいてゐる
郵便やさん、手紙と熟柿と代へていつた
ゆふ空から柚子の一つをもぎとる
月も林をさまよふてゐた
おとはしぐれか
こゝにかうしてみほとけのかげわたしのかげ
誰も来ない茶の花がちります
【昭和8年(1933)】(51歳)
※其中庵にいながら、近辺を行乞する。第2句集『草木塔』上梓。
誰かきさうな空がくもつてゐる枇杷の花
お正月のからすかあかあ
雪、雪、雪の一人
けふいちにちはものいふこともなかつたみぞれ
霜をふんでくる音のふとそれた
やつとふきのとう
灯火管制の月夜をさまよふ
南無地蔵尊、こどもらがあげる藪椿
どうすることもできない矛盾を風が吹く
何だか物足らない別れで、どこかの鐘が鳴る
春さむく針の目へ糸がとほらない
ぬいてもぬいても草の執着をぬく
水をへだてゝをなごやの灯がまたゝきだした
橋の下のすゞしさやいつかねむつてゐた
遠雷すふるさとのこひしく
をのれにひそむや藪蚊にくんだりあはれんだりして
風のなかおとしたものをさがしてゐる
子のことは忘れられない雲の峰
ふるさとの水をのみ水をあび
逢ひたいが逢へない伯母の家が青葉がくれ
山頭火には其中庵がよい雑草の花
風がさわがしく蝉はいそがしく
どうやら道をまちがへたらしい牛の糞
こうろぎよあすの米だけはある
何もかも捨てゝしまはう酒杯の酒がこぼれる
鮮人長屋も秋暑い子供がおほぜい
葱も褌も波で洗ふ
晩の極楽飯、朝の地獄飯を食べて立つ
性慾もなくなつた雑草の月かげで
雪に覚めたが食べるものはない
ふと子のことを百舌鳥が啼く
【昭和9年(1934)】(52歳)
※広島・神戸・京都・名古屋を経て信州飯田で発熱、入院。
捨てきれないものが枯れてゆく草のなか
氷くだいて今日の米をとぐ
どうにかなるだらう雪のふりしきる
ウソをいはないあんたと冬空のした
ひとりへひとりがきていつしよにぬくうねる
夢の女の手を握つたりなどして夢
かうしてこのまゝ死ぬることの、日がさしてきた
壁にかげぼうしの寒いわたくしとして
ふくらうはふくらうでわたしはわたしでねむれない
風をあるいてきて新酒いつぱい
これでも住める橋下の小屋の火が燃える
げそりと暮れて年とつた
遠山の雪のひかるや旅立つとする
ぽかんと山が、おならがすうつと
病んで寝てゐてまこと信濃は山ばかり
死にそこなつたが雑草の真実
けふも雨ふる病みほうけたる爪をきらう
蜘蛛は網張る私は私を肯定する
死ねる薬はふところにある日向ぼつこ
柿の若葉のかがやく空を死なずにゐる
死なうとおもふに、なんとてふてふひらひらする
生きたくもない雑草すずしくそよぐや
炎天、否定したり肯定したり
彼岸花さくふるさとはお墓のあるばかり
ともかくも生かされてはゐる雑草の中
冬夜むきあへるをとことをんなの存在
けふから時計を持たないゆふべがしぐれる
このみちまつすぐな、逢へるよろこびをいそぐ
煤煙、騒音、坑口(マブ)からあがる姿を待つてゐる
あひびきまでは時間があるコリントゲーム
ほつかり覚めてまうへの月を感じてゐる
寒さ、質受けしておのが香をかぐ
うとうとすれば健が見舞うてくれた夢
生きてゐることがうれしい水をくむ
考へるともなく考へてゐたしぐれてゐた
【昭和10年(1935)】(53歳)
※第3句集『山行水行』上梓。自殺を図るが未遂。
おわかれの顔も山もカメラにおさめてしまつた
窓が人がみんなうごいてさようなら
わかれて遠いおもかげが冴えかへる月あかり
雪をたべつつしづかなものが身ぬちをめぐり
雪あかりわれとわが死相をゑがく
水へ石を投げては鮮人のこども一人
若葉に月が、をんなはまことうつくしい
酔ひざめの闇にして蛍さまよふ
木かげは風がある旅人どうし
アルコールがユウウツがわたしがさまよふ
死ねる薬を掌にかゞやく青葉
死のすがたのまざまざ見えて天の川
考へつづけてゐる大きな鳥が下りてきた
風がわたしを竹の葉をやすませない
竹の葉のすなほにそよぐこゝろを見つめる
おのれにこもればまへもうしろもまんぢゆさげ
をさない瞳がぢつと見てゐる虫のうごかない
【昭和11年(1936)】(54歳)
※第4句集『雑草風景』上梓。広島から北九州・門司・東海道を経て、東京・山形・仙台・越後を廻る。
ふるさとはあの山なみの雪のかがやく
春の雪ふる女はまことうつくしい
また一枚ぬぎすてる旅から旅
ほつと月がある東京に来てゐる
花が葉になる東京よさようなら
どうにもならない生きものが夜の底に
あるけばかつこういそげばかつこう
おべんたうをひらくどこから散つてくる花びら
とかく言葉が通じにくい旅路になつた
砂丘にうづくまりけふも佐渡は見えない
ここまで来しを水飲んで去る
こゝろむなしくあらうみのよせてはかへす
さみだるる旅もをはりの足を洗ふ
水をわたる誰にともなくさようなら
私と生れて秋ふかうなる私
けふは凩のはがき一枚
【昭和12年(1937)】(55歳)
※第5句集『柿の葉』上梓。
ぼろ着て着ぶくれておめでたい顔で
てふてふひらひらよいつれあつた
草の青さよはだしでもどる
風の中おのれを責めつつ歩く
がちやがちやがちやがちやなくよりほかない
【昭和13年(1938)】(56歳)
※山口市湯田温泉の風来居へ移る。
焼場水たまり雲をうつして寒く
其中一人いつも一人の草萌ゆる
かなしい旅だ何といふバスのゆれざまだ
みんな出て征く山の青さのいよいよ青く
うどん供へて、母よ、わたくしもいただきまする
咳がやまない脊中をたたく手がない
秋風、行きたい方へ行けるところまで
人に逢はなくなりてより山のてふてふ
ふつとふるさとのことが山椒の芽
焼いてしまへばこれだけの灰を風吹く
【昭和14年(1939)】(57歳)
※第6句集『孤寒』上梓。山陽・近畿・東海道・信州を廻る。四国遍路、松山市の一草庵に留まる。
涙ながれて春の夜のかなしくはないけれど
旅もいつしかおたまじやくしが泳いでゐる
ならんでぬかづいて二千五百九十九年の春
ほろりと最後の歯もぬけてうらゝか
やつと一人となり私が旅人らしく
春の夜の寝言ながなが聞かされてゐる
石段のぼりつくしてほつと水をいたゞく
まつたく雲がないピントをあはせる
山はしづけく鳥もうたへば人もうたふ
月あかりして山が山がどつしり
寝ころべば信濃の空のふかいかな
電線はまつすぐにわたしはうねうね峠が長い
ぽろり歯がぬけてくれて大阪の月あかり
ひよいと四国へ晴れきつてゐる
秋晴れの島をばらまいておだやかな
水音しだいにねむれない夜となり
からだぽりぽり掻いて旅人
水をよばれるすこし塩気あるうまし
しぐれて山をまた山を知らない山
南無観世音おん手したたる水の一すぢ
病みて旅人いつもニンニクたべてゐる
いちにち物いはず波音
すすき原まつぱだかになつて虱をとる
海鳴そぞろ別れて遠い人をおもふ
ほろほろほろびゆくわたくしの秋
わが手わが足われにあたたかく寝る
霧の中から霧の中へ人かげ
【昭和15年(1940)】(58歳)
※これまでの折本句集を集成した一代句集『草木塔』を刊行。第7句集『鴉』上梓(『草木塔』に既収)。10月10日、一草庵で句会。酩酊する。参加者が帰った後、11日午前4時(推定)、逝去。
しくしく腹のいたみに堪へて風の夜どほし
をなごまちのどかなつきあたりは山門
ふりかへる枯野ぼうぼううごくものなく
だんだん似てくる癖の、父はもうゐない
たんぽぽちるやしきりにおもふ母の死のこと
おちついて死ねさうな草萌ゆる
つくつくぼうし、わたしをわたしが裁く
あらしのあとのさらに悔いざるこころ
野良猫が来て失望していつた
天の川ま夜中の酔ひどれは踊る
蝿を打ち蚊を打ち我を打つ
ひなたぼこ傷おのづから癒えてくる
かなしいことがある耳掻いてもらう
夕立やお地蔵さんもわたしもずぶぬれ
大地へおのれをたたきつけたる夜のふかさぞ
足音は野良猫がふいとのぞいて去る
もりもり盛りあがる雲へあゆむ
ぼろ売つて酒買うてさみしくもあるか
夕焼うつくし今日一日はつつましく
大根二葉わがまま気ままの旅をおもふ
秋の夜の虫とんできて生きてかへらず
【明治44年(1911)】(29歳)
サイダーの泡立ちて消ゆ夏の月
放鳥の嘆くか森に谺(こだま)あり
忘れえぬ面影や秋晴れの宿
【明治45年・大正元年(1912)】(30歳)
酒も絶たん身は凩(こがらし)の吹くままに
【大正2年(1913)】(31歳)
※荻原井泉水に師事。「層雲」3月号に俳句が初入選する。
明日の行程地図に見る夏野草敷いて
【大正3年(1914)】(32歳)
酔へば物皆なつかし街の落花踏む
友や待つらんその島は晴々と横はれり
【大正4年(1915)】(33歳)
沈み行く夜の底へ底へ時雨落つ
濃き煙残して汽車は凩の果てへ吸はれぬ
闇の奥に火が燃えて凸凹(デコボコ)の道を来ぬ
一日物いはず海にむかへば潮満ちて来ぬ
叫ぶ男あり夜潮ゆらめくのみの暗さ
【大正5年(1916)】(34歳)
※種田家の酒造経営が破綻、父は行方不明となる。熊本市に移住。古書店を開業する。
鉄柵の中コスモス咲きみちて揺る
夢深き女に猫が背伸びせり
凩に吹かれつゝ光る星なりし
浪の音聞きつゝ遠く別れ来し
【大正6年(1917)】(35歳)
海よ海よふるさとの海の青さよ
【大正7年(1918)】(36歳)
※弟の二郎が自殺する。
たまさかに飲む酒の音さびしかり
【大正8年(1919)】(37歳)
※単身上京、セメント試験場で働く。
星空の冬木ひそかにならびゐし
【大正9年(1920)】(38歳)
※サキノと離婚。東京市一橋図書館に勤務。
陽ぞ昇る空を支ふる建物の窓窓
【大正10年(1921)】(39歳)
※父竹治郎死去。
ほころび縫う身に沁みて夜の雨
【大正11年(1922)】(40歳)
※一橋図書館を神経衰弱のため退職。
ま夜なかひとり飯あたゝめつ涙をこぼす
※大正12年(1923)9月、関東大震災に遭い避難中、憲兵に拘束され巣鴨刑務所に留置される。熊本に帰る。
※大正13年(1924)12月、泥酔して市電を止める。曹洞宗・報恩寺の望月義庵和尚に預けられる。
【大正14年(1925)】(43歳)
※報恩寺で出家得度。熊本県植木町の観音堂の堂守となる。
松はみな枝垂れて南無観世音
松風に明け暮れの鐘撞いて
【大正15年(1926)】(44歳)
※行乞放浪の旅に出る。
分け入つても分け入つても青い山
炎天をいただいて乞ひ歩く
鴉啼いてわたしも一人
生死の中の雪ふりしきる
【昭和2・3年(1927・28)】(45歳)
※山陽・山陰・四国各地を漂泊する。
この旅、果もない旅のつくつくぼうし
まつすぐな道でさみしい
しぐるるや死なないでゐる
【昭和3年(1928)】(46歳)
※四国八十八箇所を巡礼。小豆島の尾崎放哉の墓参。
墓のしたしさの雨となつた
【昭和4年(1929)】(47歳)
※山陽・九州を廻る。
また見ることもない山が遠ざかる
どうしようもないわたしが歩いてゐる
捨てきれない荷物のおもさまへうしろ
あんなに降つてまだ降つてやがる
【昭和5年(1930)】(48歳)
※九州各地を行乞する。熊本市春竹琴平町に三八九居を得る。
こゝで泊らうつくつくほうし
旅はさみしい新聞の匂ひかいでも
吠えつゝ犬が村はづれまで送つてくれた
これが別れのライスカレーです
酔うてこほろぎと寝てゐたよ
このまゝ死んでしまふかも知れない土に寝る
ふりかへらない道をいそぐ
日記焼き捨てる火であたゝまる
風の中声はりあげて南無観世音菩薩
火が何よりの御馳走の旅となつた
憂鬱を湯にとかさう
乞ふことをやめて山を観る
ボタ山のたゞしぐれてゐる
今夜のカルモチンが動く
飛行機飛んで行つた虹が見える
水のんでこの憂鬱のやりどころなし
寝るところが見つからないふるさとの空
【昭和6年(1931)】(49歳)
※個人雑誌「三八九」を創刊。
すさんだ皮膚を雨にうたせる
闇をつらぬいて自動車自動車
星があつて男と女
重荷おもくて唄うたふ
ひとりにはなりきれない空を見あげる
うしろ姿のしぐれてゆくか
【昭和7年(1932)】(50歳)
※第1句集『鉢の子』上梓。山口県小郡町の其中庵(ごちゅうあん)に入る。
鉄鉢の中へも霰(あられ)
父によう似た声が出てくる旅はかなしい
酒やめておだやかな雨
骨(コツ)となつてかへつたかサクラさく
旅もをはりの、酒もにがくなつた
忘れようとするその顔の泣いてゐる
腹底のしくしくいたむ大声で歩く
春へ窓をひらく
風のトンネルぬけてすぐ乞ひはじめる
ひさしぶり話してをります無花果(いちじく)の芽
別れてきて橋を渡るのである
なつかしい頭が禿げてゐた
あるけばきんぽうげすわればきんぽうげ
うつむいて石ころばかり
星も見えない旅をつゞけてゐる
岩へふんどし干してをいて
ふるさとの夢から覚めてふるさとの雨
ふるさとの言葉のなかにすわる
ふるさとはみかんのはなのにほふとき
暗さ匂へば蛍
さみしうて夜のハガキかく
いつまで生きよう庵を結んで
山ふかくきてみだらな話がはづむ
とりきれない虱の旅をかさねてゐる
山の仏には山の花
炎天のポストへ無心状である
ひさびさ雨ふりふるさとの女と寝る
ほうたるこいこいふるさとにきた
ちんぽこにも陽があたる夏草
こばまれて去る石ころみちの暑いこと
三日月よ逢ひたい人がある
わたしがはいればてふてふもはいる庵の昼
ひとりで酔へばこうろぎこうろぎ
酔へばやたらに人のこひしい星がまたゝいてゐる
郵便やさん、手紙と熟柿と代へていつた
ゆふ空から柚子の一つをもぎとる
月も林をさまよふてゐた
おとはしぐれか
こゝにかうしてみほとけのかげわたしのかげ
誰も来ない茶の花がちります
【昭和8年(1933)】(51歳)
※其中庵にいながら、近辺を行乞する。第2句集『草木塔』上梓。
誰かきさうな空がくもつてゐる枇杷の花
お正月のからすかあかあ
雪、雪、雪の一人
けふいちにちはものいふこともなかつたみぞれ
霜をふんでくる音のふとそれた
やつとふきのとう
灯火管制の月夜をさまよふ
南無地蔵尊、こどもらがあげる藪椿
どうすることもできない矛盾を風が吹く
何だか物足らない別れで、どこかの鐘が鳴る
春さむく針の目へ糸がとほらない
ぬいてもぬいても草の執着をぬく
水をへだてゝをなごやの灯がまたゝきだした
橋の下のすゞしさやいつかねむつてゐた
遠雷すふるさとのこひしく
をのれにひそむや藪蚊にくんだりあはれんだりして
風のなかおとしたものをさがしてゐる
子のことは忘れられない雲の峰
ふるさとの水をのみ水をあび
逢ひたいが逢へない伯母の家が青葉がくれ
山頭火には其中庵がよい雑草の花
風がさわがしく蝉はいそがしく
どうやら道をまちがへたらしい牛の糞
こうろぎよあすの米だけはある
何もかも捨てゝしまはう酒杯の酒がこぼれる
鮮人長屋も秋暑い子供がおほぜい
葱も褌も波で洗ふ
晩の極楽飯、朝の地獄飯を食べて立つ
性慾もなくなつた雑草の月かげで
雪に覚めたが食べるものはない
ふと子のことを百舌鳥が啼く
【昭和9年(1934)】(52歳)
※広島・神戸・京都・名古屋を経て信州飯田で発熱、入院。
捨てきれないものが枯れてゆく草のなか
氷くだいて今日の米をとぐ
どうにかなるだらう雪のふりしきる
ウソをいはないあんたと冬空のした
ひとりへひとりがきていつしよにぬくうねる
夢の女の手を握つたりなどして夢
かうしてこのまゝ死ぬることの、日がさしてきた
壁にかげぼうしの寒いわたくしとして
ふくらうはふくらうでわたしはわたしでねむれない
風をあるいてきて新酒いつぱい
これでも住める橋下の小屋の火が燃える
げそりと暮れて年とつた
遠山の雪のひかるや旅立つとする
ぽかんと山が、おならがすうつと
病んで寝てゐてまこと信濃は山ばかり
死にそこなつたが雑草の真実
けふも雨ふる病みほうけたる爪をきらう
蜘蛛は網張る私は私を肯定する
死ねる薬はふところにある日向ぼつこ
柿の若葉のかがやく空を死なずにゐる
死なうとおもふに、なんとてふてふひらひらする
生きたくもない雑草すずしくそよぐや
炎天、否定したり肯定したり
彼岸花さくふるさとはお墓のあるばかり
ともかくも生かされてはゐる雑草の中
冬夜むきあへるをとことをんなの存在
けふから時計を持たないゆふべがしぐれる
このみちまつすぐな、逢へるよろこびをいそぐ
煤煙、騒音、坑口(マブ)からあがる姿を待つてゐる
あひびきまでは時間があるコリントゲーム
ほつかり覚めてまうへの月を感じてゐる
寒さ、質受けしておのが香をかぐ
うとうとすれば健が見舞うてくれた夢
生きてゐることがうれしい水をくむ
考へるともなく考へてゐたしぐれてゐた
【昭和10年(1935)】(53歳)
※第3句集『山行水行』上梓。自殺を図るが未遂。
おわかれの顔も山もカメラにおさめてしまつた
窓が人がみんなうごいてさようなら
わかれて遠いおもかげが冴えかへる月あかり
雪をたべつつしづかなものが身ぬちをめぐり
雪あかりわれとわが死相をゑがく
水へ石を投げては鮮人のこども一人
若葉に月が、をんなはまことうつくしい
酔ひざめの闇にして蛍さまよふ
木かげは風がある旅人どうし
アルコールがユウウツがわたしがさまよふ
死ねる薬を掌にかゞやく青葉
死のすがたのまざまざ見えて天の川
考へつづけてゐる大きな鳥が下りてきた
風がわたしを竹の葉をやすませない
竹の葉のすなほにそよぐこゝろを見つめる
おのれにこもればまへもうしろもまんぢゆさげ
をさない瞳がぢつと見てゐる虫のうごかない
【昭和11年(1936)】(54歳)
※第4句集『雑草風景』上梓。広島から北九州・門司・東海道を経て、東京・山形・仙台・越後を廻る。
ふるさとはあの山なみの雪のかがやく
春の雪ふる女はまことうつくしい
また一枚ぬぎすてる旅から旅
ほつと月がある東京に来てゐる
花が葉になる東京よさようなら
どうにもならない生きものが夜の底に
あるけばかつこういそげばかつこう
おべんたうをひらくどこから散つてくる花びら
とかく言葉が通じにくい旅路になつた
砂丘にうづくまりけふも佐渡は見えない
ここまで来しを水飲んで去る
こゝろむなしくあらうみのよせてはかへす
さみだるる旅もをはりの足を洗ふ
水をわたる誰にともなくさようなら
私と生れて秋ふかうなる私
けふは凩のはがき一枚
【昭和12年(1937)】(55歳)
※第5句集『柿の葉』上梓。
ぼろ着て着ぶくれておめでたい顔で
てふてふひらひらよいつれあつた
草の青さよはだしでもどる
風の中おのれを責めつつ歩く
がちやがちやがちやがちやなくよりほかない
【昭和13年(1938)】(56歳)
※山口市湯田温泉の風来居へ移る。
焼場水たまり雲をうつして寒く
其中一人いつも一人の草萌ゆる
かなしい旅だ何といふバスのゆれざまだ
みんな出て征く山の青さのいよいよ青く
うどん供へて、母よ、わたくしもいただきまする
咳がやまない脊中をたたく手がない
秋風、行きたい方へ行けるところまで
人に逢はなくなりてより山のてふてふ
ふつとふるさとのことが山椒の芽
焼いてしまへばこれだけの灰を風吹く
【昭和14年(1939)】(57歳)
※第6句集『孤寒』上梓。山陽・近畿・東海道・信州を廻る。四国遍路、松山市の一草庵に留まる。
涙ながれて春の夜のかなしくはないけれど
旅もいつしかおたまじやくしが泳いでゐる
ならんでぬかづいて二千五百九十九年の春
ほろりと最後の歯もぬけてうらゝか
やつと一人となり私が旅人らしく
春の夜の寝言ながなが聞かされてゐる
石段のぼりつくしてほつと水をいたゞく
まつたく雲がないピントをあはせる
山はしづけく鳥もうたへば人もうたふ
月あかりして山が山がどつしり
寝ころべば信濃の空のふかいかな
電線はまつすぐにわたしはうねうね峠が長い
ぽろり歯がぬけてくれて大阪の月あかり
ひよいと四国へ晴れきつてゐる
秋晴れの島をばらまいておだやかな
水音しだいにねむれない夜となり
からだぽりぽり掻いて旅人
水をよばれるすこし塩気あるうまし
しぐれて山をまた山を知らない山
南無観世音おん手したたる水の一すぢ
病みて旅人いつもニンニクたべてゐる
いちにち物いはず波音
すすき原まつぱだかになつて虱をとる
海鳴そぞろ別れて遠い人をおもふ
ほろほろほろびゆくわたくしの秋
わが手わが足われにあたたかく寝る
霧の中から霧の中へ人かげ
【昭和15年(1940)】(58歳)
※これまでの折本句集を集成した一代句集『草木塔』を刊行。第7句集『鴉』上梓(『草木塔』に既収)。10月10日、一草庵で句会。酩酊する。参加者が帰った後、11日午前4時(推定)、逝去。
しくしく腹のいたみに堪へて風の夜どほし
をなごまちのどかなつきあたりは山門
ふりかへる枯野ぼうぼううごくものなく
だんだん似てくる癖の、父はもうゐない
たんぽぽちるやしきりにおもふ母の死のこと
おちついて死ねさうな草萌ゆる
つくつくぼうし、わたしをわたしが裁く
あらしのあとのさらに悔いざるこころ
野良猫が来て失望していつた
天の川ま夜中の酔ひどれは踊る
蝿を打ち蚊を打ち我を打つ
ひなたぼこ傷おのづから癒えてくる
かなしいことがある耳掻いてもらう
夕立やお地蔵さんもわたしもずぶぬれ
大地へおのれをたたきつけたる夜のふかさぞ
足音は野良猫がふいとのぞいて去る
もりもり盛りあがる雲へあゆむ
ぼろ売つて酒買うてさみしくもあるか
夕焼うつくし今日一日はつつましく
大根二葉わがまま気ままの旅をおもふ
秋の夜の虫とんできて生きてかへらず
以下、日記や随筆の中から、気になった文章を引用します。