今日、熊谷達也の『光降る丘』(2012)を読み終えました。
この作品について、ブックカバー裏表紙の解説を引用します。
この作品について、ブックカバー裏表紙の解説を引用します。
2008年6月、栗駒山中腹の共英地区は凄まじい揺れに呑み込まれた。崩れる山、倒壊する家々。故郷の危機に胸引き裂かれる智志。そんな中、祖父・耕一が行方不明に。耕一は共英地区の開拓一世だった。結婚、仲間の死、起死回生のイチゴ栽培、はじめて電灯が灯った日・・・。祖父の物語は土と汗と涙と、笑いに満ちたものだった。この土地は、俺らが守る! 智志は奮い立った。復興にかけた三世代の物語。
【感想等】
◆東日本大震災の3年前、2008年6月14日に「岩手・宮城内陸地震」が発生しました。この作品は、この地震の被災地、宮城県栗原市耕英地区をモデルにしています。(作品では「共英地区」)
栗駒山の中腹にある共英地区は戦後の開拓村で、物語は大友耕一・耕太・智志の3世代を中心に展開します。そして、地震発生後の物語と、開拓の物語が交互に語られます。(全11章)
(1)(4)(7)(9)(11):地震発生後の物語(2008年6月14日~、主人公:大友智志)
(2)(3)(5)(6)(8)(10):開拓の物語(1944年~、主人公:大友耕一)
◆東日本大震災の3年前、2008年6月14日に「岩手・宮城内陸地震」が発生しました。この作品は、この地震の被災地、宮城県栗原市耕英地区をモデルにしています。(作品では「共英地区」)
栗駒山の中腹にある共英地区は戦後の開拓村で、物語は大友耕一・耕太・智志の3世代を中心に展開します。そして、地震発生後の物語と、開拓の物語が交互に語られます。(全11章)
(1)(4)(7)(9)(11):地震発生後の物語(2008年6月14日~、主人公:大友智志)
(2)(3)(5)(6)(8)(10):開拓の物語(1944年~、主人公:大友耕一)
◆大友耕一の人生は多くの苦難に満ちていました。満州開拓移民団、シベリア抑留、栗駒山中腹の開拓村。彼の苦労や努力がいかばかりだったか想像がつくと思います。そして、彼の苦労と努力は成果となって、息子の耕太、そして孫の智志へと受け継がれていきます。
耕一はどんなに苦労しても悲観的にはなりませんでした。苦労は人間を強くする、ということを地で行った人物です。作家のこういう人生観には共感を覚えます。
耕一はどんなに苦労しても悲観的にはなりませんでした。苦労は人間を強くする、ということを地で行った人物です。作家のこういう人生観には共感を覚えます。
◆主な登場人物
〈開拓一世〉
・大友耕一
・大友克子
・佐々木友喜
〈開拓二世〉
・大友耕太
・大友安子
〈開拓三世〉
・大友智志
・瑞穂
〈開拓一世〉
・大友耕一
・大友克子
・佐々木友喜
〈開拓二世〉
・大友耕太
・大友安子
〈開拓三世〉
・大友智志
・瑞穂
◆気になった文章
・可能性がゼロじゃないのになにもしないでいる、というのが嫌だった。やってみてダメだったら仕方がない。しかし、少しでも可能性があればそれに賭けてみる、というのが、この集落に生まれた自分たちが受け継いでいる、祖父ちゃんの代からのチャレンジ・スピリット、開拓精神ではなかったのか。(P294)
・可能性がゼロじゃないのになにもしないでいる、というのが嫌だった。やってみてダメだったら仕方がない。しかし、少しでも可能性があればそれに賭けてみる、というのが、この集落に生まれた自分たちが受け継いでいる、祖父ちゃんの代からのチャレンジ・スピリット、開拓精神ではなかったのか。(P294)
・この日は、年に一度で唯一の共英地区の全住民が参加する祭り、小学校と中学校合同の大運動会なのである。
歴史の一歩を刻み始めたばかりの開拓村には、残念ながら、先祖代々伝統的に引き継がれてきた祭りというものがない。
とりわけ共英地区の場合、入植者のほとんどが成人直後の若者だったという事情に加え、宮城県南と県北の、違った地域からの入植であったことも、特定の祭りを持たない要因となっている。つまり、祭りという一種の精神文化も、ここにあっては自分たちの手で、一から作っていかなければならないのである。その第一歩が、日々逞しく成長しつつある、共英の子どもたちを求心力とする運動会であるのは、必然であった。
黙々と、そして淡々と移ろう時間の流れに楔を打ち、その日ばかりは喧騒に身を委ねることが許される、特別なハレの日が祭りであるとすれば、かまびすしい喧騒の担い手に最も相応しいのは子どもらである。祭りには、必要不可欠な存在であるとも言える。祭りに興じる大人も、その日だけは子どもに還り、喧騒の渦に身を任せる。共英地区の、最初の祭りらしい祭りが運動会となったのは、だからきわめて自然な流れである。(P350)
~小学校の運動会って、地域によっては人々をつなぐ「祭」の役割も果たしているんですね。
歴史の一歩を刻み始めたばかりの開拓村には、残念ながら、先祖代々伝統的に引き継がれてきた祭りというものがない。
とりわけ共英地区の場合、入植者のほとんどが成人直後の若者だったという事情に加え、宮城県南と県北の、違った地域からの入植であったことも、特定の祭りを持たない要因となっている。つまり、祭りという一種の精神文化も、ここにあっては自分たちの手で、一から作っていかなければならないのである。その第一歩が、日々逞しく成長しつつある、共英の子どもたちを求心力とする運動会であるのは、必然であった。
黙々と、そして淡々と移ろう時間の流れに楔を打ち、その日ばかりは喧騒に身を委ねることが許される、特別なハレの日が祭りであるとすれば、かまびすしい喧騒の担い手に最も相応しいのは子どもらである。祭りには、必要不可欠な存在であるとも言える。祭りに興じる大人も、その日だけは子どもに還り、喧騒の渦に身を任せる。共英地区の、最初の祭りらしい祭りが運動会となったのは、だからきわめて自然な流れである。(P350)
~小学校の運動会って、地域によっては人々をつなぐ「祭」の役割も果たしているんですね。
・実は、仮設住宅への入居説明会があった三日前、四名の開拓三世で集まって、今後のことを話し合った。
いまの段階で、たとえば仙台に仕事を求めてここを離れれば、再び戻ってくるのは無理になるだろうことがわかっていた。智志にしても、高卒で半分物見遊山で仙台へ出たときとは、状況がまるで違う。それがわかっているだけに、ここから離れたいと言う者は、ひとりもいなかった。祖父の代で切り拓き、親父たちの代で根付かせた開拓地を、自分たちの代で終わらせるわけにはいかないと、誰もが考えていた。
(中略)
そう覚悟できてしまうと、なんとかなるような気がしてくるから不思議なものだ。具体的な見通しはなにもなくても、この仲間がいれば必ずやれるという気がしてくる。栗駒山が、自分たちを生かしてくれると素直に信じられる。十日前の大地震のように、ときに牙を剥いて大暴れするのが自然だけれど、人間側が謙虚な気持ちを持ち続ければ、再び恵みを与えてくれるのが自然なのだと、栗駒山で生まれ育った自分たちは知っていて、それを知っていること自体が誇らしい。
(中略)
「山さ戻ったら、花の栽培に本格的に取り組んでみっぺど思ってな。ほれ、山の気候は寒暖の差が大っきいすからな。花の発色が平地よりいいわけだ。やりようによっては、そこそこ儲がると思ってよ。ほんで、入院中にぎっちり研究しておくべと思って忙しいわけだっちゃ。したがら、自分のことで手一杯で、若え者(わげえもん)をかまってやってる暇はねえって語(かだ)ってるの」
そう言って、あははは、と笑う耕一を見て、智志は呆気にとられていた。
開拓一世、恐るべし・・・・。
耕一のあまりの楽天ぶりと逞しさに、正直、呆れてしまう。(P440-443)
~「艱難汝を玉にす」という言葉を思い出しました。作家の、被災者や何かで苦しんでいる人へののエールだと思いました。
いまの段階で、たとえば仙台に仕事を求めてここを離れれば、再び戻ってくるのは無理になるだろうことがわかっていた。智志にしても、高卒で半分物見遊山で仙台へ出たときとは、状況がまるで違う。それがわかっているだけに、ここから離れたいと言う者は、ひとりもいなかった。祖父の代で切り拓き、親父たちの代で根付かせた開拓地を、自分たちの代で終わらせるわけにはいかないと、誰もが考えていた。
(中略)
そう覚悟できてしまうと、なんとかなるような気がしてくるから不思議なものだ。具体的な見通しはなにもなくても、この仲間がいれば必ずやれるという気がしてくる。栗駒山が、自分たちを生かしてくれると素直に信じられる。十日前の大地震のように、ときに牙を剥いて大暴れするのが自然だけれど、人間側が謙虚な気持ちを持ち続ければ、再び恵みを与えてくれるのが自然なのだと、栗駒山で生まれ育った自分たちは知っていて、それを知っていること自体が誇らしい。
(中略)
「山さ戻ったら、花の栽培に本格的に取り組んでみっぺど思ってな。ほれ、山の気候は寒暖の差が大っきいすからな。花の発色が平地よりいいわけだ。やりようによっては、そこそこ儲がると思ってよ。ほんで、入院中にぎっちり研究しておくべと思って忙しいわけだっちゃ。したがら、自分のことで手一杯で、若え者(わげえもん)をかまってやってる暇はねえって語(かだ)ってるの」
そう言って、あははは、と笑う耕一を見て、智志は呆気にとられていた。
開拓一世、恐るべし・・・・。
耕一のあまりの楽天ぶりと逞しさに、正直、呆れてしまう。(P440-443)
~「艱難汝を玉にす」という言葉を思い出しました。作家の、被災者や何かで苦しんでいる人へののエールだと思いました。
【参考】岩手・宮城内陸地震
2008年(平成20)6月14日午前8時43分頃、岩手県内陸南部で発生した、マグニチュード7.2 の大地震。
岩手県奥州市と宮城県栗原市において最大震度6強を観測し、被害もこの2市を中心に発生した。被害の特徴として、同じ規模の地震と比較して、建物被害が少なく土砂災害が多いことが挙げられる。
なお、この地震により17名が死亡、6名が行方不明となり、負傷者は426名にのぼっている。(Wikipediaより)
岩手県奥州市と宮城県栗原市において最大震度6強を観測し、被害もこの2市を中心に発生した。被害の特徴として、同じ規模の地震と比較して、建物被害が少なく土砂災害が多いことが挙げられる。
なお、この地震により17名が死亡、6名が行方不明となり、負傷者は426名にのぼっている。(Wikipediaより)
【参考】栗駒山
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