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斎藤純『オートバイの旅は、いつもすこし寂しい。』を読みました。

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 今日、斎藤純(盛岡市在住の小説家)のツーリング・エッセイ集『オートバイの旅は、いつもすこし寂しい。』(04)を読み終えました。
 この本は、「走行ルートを明示し、宿や飲食店などを事細かく紹介する」ツーリング・ガイドではなく、「好きなように旅をして、自由に書いた」ツーリング・エッセイです。もちろん、立ち寄った宿や飲食店などにも言及していますが、読者がそこに行きたかったら、自分で調べなさいというスタンスです。
 オートバイって? 旅って? 自分って? 人生って? いろいろな考えるヒントを与えてくれるエッセイ集だと思います。

 以下、「目次」に旅した道府県名を加えました。
パート
第一章 古里の山々(岩手)
第二章 文人気取り(茨城・神奈川・静岡)
第三章 山を眺め、古きを訪ねる(長野)
第四章 雨の大地(北海道)
第五章 冬の旅(青森・秋田・山形)
第六章 古都散歩(京都)
パート
第一章 大台ヶ原は雨だった(奈良・和歌山・神奈川)
第二章 北東北のブナの森 その1(岩手・秋田)
第三章 北東北のブナの森 その2(青森・秋田)
第四章 北限のブナの森(北海道)
第五章 紅葉の森を行く(山形・福島・新潟)

【感想等】
《パート1》
心の「穴ポコ」(「まえがき」より)
 そもそもオートバイ乗りは、程度の差こそあれ、心のどこかに埋めようのない穴ポコを抱えている。この穴ポコを説明するのは難しいし、その正体に朧げながら見当がついても口にすることには抵抗を覚える(これがオートバイ乗りに共通する性質なのだと思うが)。(P7)
※昔、バイク・ツーリングにはまっていたころ、僕は漠然とした何かを求めて走っていたように思います。当時はその何かをどう表現したらいいかわかりませんでしたが、今ならそれは心の「穴ポコ」を埋めるもの、と言うことができます。 


風景に溶けていく(第一章「古里の山々」より)
 文晁は絵の中に、旅をしている自分らしい人物を描きこんでいる。そうすることによって、文晁自身が風景に同化している。私はオートバイで旅をしながら、風景を見るのではなく、風景に溶けていく自分を感じる。これはオートバイの持つ大きな力のひとつだ。(P39)
※少し上空から、バイクと一体になっている自分をもう一人の自分が見つめる。バイク乗りにはそんな感覚ってあるのかもしれません。でも、未舗装の林道やガレ場でそんなことを考えていたら、すぐにコケてしまうでしょう。


筑波山から富士山を望む(第二章「文人気取り」より)
 朝、筑波山の中腹にある宿から富士山が見えた。東京をあいだにはさんで、遠い彼方の霞の上に富士山が頭を出していたのだ。
「こんなにきれいに見える日も珍しいんですよ」
 宿の人もどこか嬉しそうだった。
 青木屋という宿だった。「露天風呂からの眺めがいい」とKさんが教えてくれたとおり、東京の夜景も早朝の富士山も素晴らしかった。(P47)
※筑波山中腹の別の宿には泊まりましたが、青木屋にはまだ泊まっていません。テレビの旅番組を見て「露天風呂からの眺めがいい」ことは知っていましたが、他県の方から改めてそう言われちゃうと、地元の僕としては、早く泊まりに行かなくちゃって思います。


木曽路はすべて山の中(第三章「山を眺め、古きを訪ねる」より)
 その晩は奈良井宿の伊勢屋に泊まった。若干改装はされているものの、江戸時代からの建物だ。そういう建物の前に停めても、(BMW)R1150ロードスターは違和感なく収まる。不思議なものだ。
 アメリカからの観光客の一人がR1150ロードスターをしげしげと眺めて、溜息まじりに呟いた。
「ビューティフル」
「モーターサイクルがお好きですか」
「モーターサイクルに限らず、メカニカルなものが好きなんだ」
 そう答えたおじさん、現代彫刻の作家だった。
 夕方になると宿の前の灯籠に火が入る。観光客の姿がばったりと途絶え、さっきまでの行列が嘘のようだ。のんびりと散策を楽しむ。この空間を独り占めしているようで気分がよかった。
 宿の檜風呂で埃(あか)を落とし、晩飯にした。山菜の天ぷらと蕎麦、それに地酒が旨かった。(P62)
※この章には木曽路や松本、ヴィーナスラインのことが書かれています。懐かしかったので、以下の記事を引用します。
https://blogs.yahoo.co.jp/kazukazu560506i/51915228.html
https://blogs.yahoo.co.jp/kazukazu560506i/56090364.html


ベートーヴェンとゴッホ(第四章「雨の大地」より)
 札幌コンサートホール・キタラ(これがまた素晴らしいホールでした)で、モーツァルトのクラリネット五重奏曲とベートーヴェンの七重奏曲を聴いた。ライナー・キュッヒルらウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の各セクションの首席奏者が集まったウィーン・アンサンブルは、昨今のメッキくさい演奏とは違い、純金の重さと輝きを持っている。ファゴットなどが入る編成の関係で、生演奏の機会が少ないベートーヴェンの七重奏曲を聴けたのは、耳にとってこの上ない栄養になった。(P82)

 北海道立近代美術館では大規模な〈ゴッホ展〉を開催中だった。昨夜はクラシックコンサートの誘いを断ったクマさん(引用者注:同行のカメラマン・小原信好)も、「ゴッホならば」と一緒に観る。
 クマさんが『ローヌ河の星月夜』の前で立ち尽くした。その気持ちはよくわかった。10年近く前、オルセー美術館で初めてこの作品を観たときの私も、クマさんと同じように半ば呆然と立ち尽くしたものだ。
 クマさんと目が合った。
「とんでもない絵ですね」
 クマさんの目がそう語りかけてきた。
「まったく、とんでもない絵だ」
 私も目だけで応じる。二人で声を出さずに笑い合った。(P83)
※この旅は雨に降られっぱなしだったそうですが、素晴らしい出会いがありました。

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フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-90)「ローヌ川の星月夜」(1888、72.5×92cm、オルセー美術館、Wikipediaより)


自己と向き合う(第五章「冬の旅」より)
 (青森県弘前市の)宿で荷を解き、夜の街に出た。
 田中屋のご主人が教えてくださった杏(あんず)という酒場に入る。津軽三味線の生演奏を聴かせる店で、地酒が豊富だ。
 その夜の出演者、小山内薫さんは12歳から三味線を弾いているという。津軽三味線は外に向かっていく音楽という先入観を持っていたが、小山内さんは自己の内面へ奥深く切り込んでいくような演奏をする。ツーリングと同じだな、と思った。オートバイであちこち旅するツーリングは、外へ外へと向かっているように見えるが、旅をしているオートバイ乗りは自己と向き合っている。(P93)

 秋田市の中心街にある千秋美術館で秋田蘭画を観たかったが、今回は時間の関係で平野政吉美術館(引用者注:現在は、「秋田県立美術館 平野政吉コレクション」)にだけ寄った。
 ここには秋田屈指の資産家だった平野政吉が寄贈したコレクションが展示されていて、藤田嗣治(1886-1968)による世界一大きな壁画が有名が。私は画家の自室アトリエを描いた作品や自画像、それに真珠のような白い肌の美しい裸婦像が好きだ。(P99)
※藤田嗣治の大壁画「秋田の行事」はいつか見たいと思います。

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藤田嗣治「秋田の行事」(1937、3.65×20.5m、秋田県立美術館、公益財団法人平野政吉美術財団HPより)


オートバイと体の一体感(第六章「古都散歩」より)
 (龍安寺の)石庭は自然を表現しているとも宇宙を表現しているともいう。観る人の心のありようを反映するという説もあり、いろいろな見方ができる。シンプルなようで、仔細に見ていくと複雑そうに思えてくる。
 果たしてこの庭はいったい何を我々に伝えようとしているのか。あれこれ考えているうちに、いつしか頭の中が空白になっていることに気がついた。なるほど、この瞑想状態を生むのが石庭の目的なのか。
 思索を生む複雑な迷路から、現実の石庭はまたシンプルな世界に引き戻してくれる。この瞑想空間ではそれが幾度となく繰り返される。
 オートバイライディングでも似たようなことが起きる。
 比叡山のような山道でオートバイを右に左に忙しく傾けているとき、我々の体はブレーキング、荷重移動、視線の保持、アクセルのタイミングなどをほぼ反射的に行っている。うまく乗れているときは、その複雑な操作をひとつのシンプルな流れとして捉えていて、何の障害も感じない。
 ところが、オートバイと体の一体感が失われることがある。そんなとき、我々は思考する。ライディングの基本を一からおさらいして、その実行に務める。だが、そんなときはいくらやっても、うまくいかない。カーブをいくつも走りぬけるうちに、やがて勘を取り戻す。
 何も考えないで自然にオートバイをコントロールしている自分に気がつき、さっきまで悩んでいたライディングが嘘のように思える。(P114-15)
※オートバイと体の一体感! 体がオートバイの一部になったような感覚を得られた時、高揚感が体を包みます。


《パート2》
鳥海山と仁賀保高原(第二章「北東北のブナの森 その1」より)
 標高2,236メートルの鳥海山は、日本海から一挙に立ち上がっている独立峰だ。姿の美しさは日本でも指折りと言っていい。
 その五合目を最高地点とする鳥海ブールラインは、海岸線の雄大な景色を眼下に山岳ワインディングが満喫できる。秋田側にひろがる仁賀保高原周辺と合わせて、私の好きなツーリングエリアだ。
 鳥海山の山麓も、もとは広大なブナの森だった。けれども、拡大造林という国家事業の際に大部分が伐採された。その後、植林事業は破綻した。貴重な原生林が失われ、荒れた植林地ばかりが残されることになった。(P149)
 仁賀保高原の気温は20度。湿度もなく、爽やかだった。
 新しいタイヤが一皮むけたせいか、R1150ロードスターが軽く感じられる。
 高原で巨大なプロペラが回っているのを見た。風力発電の風車だ。これを「景観を壊す」と嫌う人が少なくない。でも、私はそうは思わない。むしろ好きな景色だ。鉄塔や高圧電線は好きになれないが。
 BMWには風力発電の風車がよく似合う――。
 そんなことを思いながら、高原ツーリングを堪能した。(P150-51)
※以前から、鳥海山と仁賀保高原には行きたいと思っていました。この文章をくりかえし読んで、記憶に留めたいと思います。


白神山地(第三章「北東北のブナの森 その2」より)
 山からは大きなドラミング(キツツキが木をつっつく音)の音が響いてくる。こんな麓にまさかクマゲラはいないだろうから、アカゲラがブナの幹をつついているのだろう。
 近くには手軽にブナの森散策を楽しめるコースがあり、たくさんの人が列をつくって歩いていた。俗化の極みだが、しかし、ある意味でここは関所のようなものだ。ここで白神山地の雰囲気を味わってもらい、この先にあまり人を入れないようにしているわけだ(核心部に人は入れないことになっているが)。うまくバリアの役割を果たしている。
 それでも、白神山地の一部は入山者が多すぎるため、自然破壊が見られるという。私が「まだ遅れている」と思うのはその点だ。アメリカやニュージーランドなどでは国立公園を予約制にし、入場者数を制限している。白神山地は世界の遺産なのだから、諸外国の保全方法を見習い、世界水準の規制を敷くべきだろう。
 森林には利用していい森林(二次林、雑木林)と、利用すべき森林(人造林)、そして利用してはならない森林(原生林)がある。これが北東北のブナの森を巡って学んだことのひとつだ。(P166-67)
※このエッセイが書かれたのは2003年です。その後の白神山地がどうなっているのか? 気になります。


自分の内側に目を向ける(第四章「北限のブナの森」より)
 古里の盛岡で私は歴史的建造物の保存と活用にかかわってきた。多くの場合、地元の人がその建物の価値の歴史的な意味を知らなかったり、価値に気づいていないまま取り壊されていく。勉強会などで建物の歴史や価値をひもといていくと、住民の目の輝きが変わる。そこから、修復保存の道がひらける。
 歴史的建造物の保存というのは、単に建物を残すだけではない。そこに暮らす人々の心に誇りを取り戻すことを意味する。それが地域の活性化にもなる。(P174)

 旅の面白みは見聞をひろめることにある。けれども、旅とは決してそれだけのものではない。旅に出たことでいったん外に向かってひらかれた目を、自分の内側に向けてこそ意味を持つ。旅とは結局のところ自分自身をどれだけ見るか、ということに尽きるような気がする。自分の内側に目を向けようとしない限り、どこに出かけようとも、どこにも行っていないに等しい。私にはそんな無駄を許す時間もお金もない。(P175)
※歴史的建造物に対する考え方には「目から鱗」でした。


新しい自分を知る(第五章「紅葉の森を行く」より)
 これからも私はオートバイで旅をつづける。
 旅をつづけていく中で、美しいものと出会っていくだろう。美しいものを美しいと感じることのできる人間でありつづけたいと思う。美しいものをたくさん見つけること、それは新しい自分を知ることでもある。
 美しいものが、どれだけ増えていくか。私にとって旅のテーマはその程度のことでしかない。日本一周や〈一気走り〉などとはまったく縁がない。これは、達成感の伴わない旅である。
 けれども、昨日と違う自分を少しでも見つけることができれば、その旅は大きな収穫を得たと言っていいような気がする。
 大切なことは、マーカーで塗りつぶしたルートマップやトリップカウンターが表示する数値にあるのではなく、心の中にある。(P201)
※オートバイって? 旅って? 自分って? 人生って? いろいろな考えるヒントをいただきました・

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