5/24(金)、見仏4日目。
この日は、市バス(京都駅→出町柳駅前)と叡山電車(出町柳駅→鞍馬駅)を乗り継ぎ、初めて鞍馬寺を訪れました。
鞍馬寺についての事前学習は殆どしませんでしたが、本殿金堂への行き方については鞍馬寺HPでしっかり確認しました。「安楽の道」(ケーブルカー利用)と「修行の道」(貴船神社に至るハイキングコース)がありますが、僕は見仏が目的なので、もちろん前者を選びました。
この日は、市バス(京都駅→出町柳駅前)と叡山電車(出町柳駅→鞍馬駅)を乗り継ぎ、初めて鞍馬寺を訪れました。
鞍馬寺についての事前学習は殆どしませんでしたが、本殿金堂への行き方については鞍馬寺HPでしっかり確認しました。「安楽の道」(ケーブルカー利用)と「修行の道」(貴船神社に至るハイキングコース)がありますが、僕は見仏が目的なので、もちろん前者を選びました。
2つの道(コース)については、以下の通りです。(鞍馬寺HPより、一部改編)
「安楽の道」(ケーブルコース)
鞍馬駅→徒歩3分→仁王門→徒歩2分→普明殿(ケーブル山門駅)→2分→多宝塔(ケーブル山上駅)→徒歩10分→本殿金堂
修行の道(健脚コース)
鞍馬駅→徒歩3分→仁王門→徒歩5分→由岐神社→徒歩20分(九十九折参道)→本殿金堂→徒歩30分→魔王殿→徒歩20分→貴船神社→徒歩40分(またはバス)→貴船口駅
鞍馬駅→徒歩3分→仁王門→徒歩2分→普明殿(ケーブル山門駅)→2分→多宝塔(ケーブル山上駅)→徒歩10分→本殿金堂
修行の道(健脚コース)
鞍馬駅→徒歩3分→仁王門→徒歩5分→由岐神社→徒歩20分(九十九折参道)→本殿金堂→徒歩30分→魔王殿→徒歩20分→貴船神社→徒歩40分(またはバス)→貴船口駅
なお、鞍馬寺の歴史等について、Wikipediaから引用します。
鞍馬寺(くらまでら)は、京都市左京区鞍馬本町に所在する寺である。1949年までは天台宗に属したが、以降、独立して鞍馬弘教総本山となっている。山号は鞍馬山(くらまやま)。鑑真の高弟・鑑禎(がんてい)によって開山されたという。本尊は、寺では「尊天」と称している。「尊天」とは毘沙門天王、千手観世音菩薩、護法魔王尊の三身一体の本尊であるという。
京都盆地の北に位置し、豊かな自然環境を残す鞍馬山の南斜面に位置する。鞍馬は牛若丸(源義経)が修行をした地として著名であり、能の『鞍馬天狗』でも知られる。新西国三十三箇所第19番札所である。
なお、鞍馬寺への輸送機関としてケーブルカー(鞍馬山鋼索鉄道)を運営しており、宗教法人としては唯一の鉄道事業者ともなっている。
京都盆地の北に位置し、豊かな自然環境を残す鞍馬山の南斜面に位置する。鞍馬は牛若丸(源義経)が修行をした地として著名であり、能の『鞍馬天狗』でも知られる。新西国三十三箇所第19番札所である。
なお、鞍馬寺への輸送機関としてケーブルカー(鞍馬山鋼索鉄道)を運営しており、宗教法人としては唯一の鉄道事業者ともなっている。
鞍馬寺
鞍馬駅を出ると、大きな、そして真っ赤な天狗の像が目に飛び込んできました。鞍馬山という、ちょっと異次元な場所に来たんだなと感じました。少し歩いて仁王門(山門)の前に来ると、いよいよ鞍馬寺に着いたという昂りを意識しましたが、本殿金堂はまだずっと先です。九十九折の参道へ向かう参拝者が多い中、僕は計画通り、迷わずケーブルカーに乗りました。ケーブルカーはあっと言う間に山上駅に着いてしまい、そこから本殿金堂まで歩きました。456mということですが、もっと長く感じました。帰路、九十九折の参道を下りましたが、かなりの急坂で、上りは無理! と思いました。 今回、見仏したかったのは「毘沙門天立像」です。本殿金堂ではなく、霊宝殿(鞍馬山博物館)に安置されていました。で、さらに、奥まで登りました。
仁王門
本殿金堂
◆霊宝殿3階・仏像奉安室
![イメージ 3]()
中央に毘沙門天三尊立像、右に聖観音立像(鞍馬寺HPより)
中央に毘沙門天三尊立像、右に聖観音立像(鞍馬寺HPより)
左に3体の毘沙門天立像、右に兜跋毘沙門天立像(鞍馬寺HPより)
◆毘沙門天三尊像
![イメージ 5]()
中央に毘沙門天立像、向かって右に吉祥天立像、左に善膩師童子立像(『週間日本の仏像21 鞍馬寺/毘沙門天と吉祥天』より)
中央に毘沙門天立像、向かって右に吉祥天立像、左に善膩師童子立像(『週間日本の仏像21 鞍馬寺/毘沙門天と吉祥天』より)
毘沙門天立像(木造、像高175.7cm、平安時代)
鞍馬寺の創建は、平安遷都の時期と重なる。新しい都の北に毘沙門天が祀られていることを、都人たちはさぞ心強く思ったであろう。こうして鞍馬寺の毘沙門天は尊崇を集め、王城の守護神という特別な性格を強めていく。
この毘沙門天像は橡(とち)の一木造で、彩色を施さずに素地仕上げとなっている。厳しい表情のなかにも温雅な雰囲気を感じさせ、いかにも平安時代らしい優美な像である。額にかざす左手は後世の補作。造立当初は、通常の毘沙門天のように左手に宝塔を捧げもつ姿だった、など諸説ある。しかし、当初の姿がどうであれ、いまの形となって以降、この毘沙門天像は額に手をかざし平安京を遠望するかのような姿で人々から信仰されてきたことは疑いない。いまも変わらず、京都の町を見守り続けている。
吉祥天立像(木造、像高100cm、平安時代〈1127〉)
善膩師(ぜんにし)童子立像(木造、像高95.4cm、平安時代後期)
善膩師童子は毘沙門天の五太子の一人で、毘沙門天の右脇侍として、后の吉祥天とともに造られる。美豆良(みずら・古代の男子の髪型)を結い、宝篋(ほうきょう・経典を収める箱)を持ち、あどけない顔をみせる。毘沙門天と同時期の作とみられる。(『週間日本の仏像21 鞍馬寺/毘沙門天と吉祥天』より)
※毘沙門天は、四天王の多聞天(北方守護)の別称で、単独像のときに用いられる。密教における十二天でも北方守護の神とされているが、いつしか独立して福徳の神、軍神、鎮護国家の神として尊崇されるようになった。鞍馬寺の創建は、平安遷都の時期と重なる。新しい都の北に毘沙門天が祀られていることを、都人たちはさぞ心強く思ったであろう。こうして鞍馬寺の毘沙門天は尊崇を集め、王城の守護神という特別な性格を強めていく。
この毘沙門天像は橡(とち)の一木造で、彩色を施さずに素地仕上げとなっている。厳しい表情のなかにも温雅な雰囲気を感じさせ、いかにも平安時代らしい優美な像である。額にかざす左手は後世の補作。造立当初は、通常の毘沙門天のように左手に宝塔を捧げもつ姿だった、など諸説ある。しかし、当初の姿がどうであれ、いまの形となって以降、この毘沙門天像は額に手をかざし平安京を遠望するかのような姿で人々から信仰されてきたことは疑いない。いまも変わらず、京都の町を見守り続けている。
吉祥天立像(木造、像高100cm、平安時代〈1127〉)
善膩師(ぜんにし)童子立像(木造、像高95.4cm、平安時代後期)
善膩師童子は毘沙門天の五太子の一人で、毘沙門天の右脇侍として、后の吉祥天とともに造られる。美豆良(みずら・古代の男子の髪型)を結い、宝篋(ほうきょう・経典を収める箱)を持ち、あどけない顔をみせる。毘沙門天と同時期の作とみられる。(『週間日本の仏像21 鞍馬寺/毘沙門天と吉祥天』より)
福徳財宝の神として熱烈に支持され、中世後期以降は七福神の一つに数えられた。武家・武将は軍神として毘沙門天を崇め、古くは征夷大将軍・坂上田村麻呂が、戦国時代には上杉謙信が、毘沙門天を信仰したとも伝わる。鎮護国家の神としては、兜跋毘沙門天という特異な姿の毘沙門天が尊崇された。兜跋国(トゥルファンともチベットともいう)に化現(けげん)したという毘沙門天で、平安京の羅城門にその像が安置されていたともいう。
◆聖(しょう)観音菩薩立像
![イメージ 6]()
木造、像高176.7cm、鎌倉時代(1226)(鞍馬寺HPより)
木造、像高176.7cm、鎌倉時代(1226)(鞍馬寺HPより)
銘記によって、鎌倉中期に活躍した大仏師・肥後別当定慶(じょうけい)の作と知られる。細面の顔立ち、高い髻(もとどり)や細かくて装飾的な髪筋、にぎやかな着衣表現などに、中国・宋朝の美術の影響がうかがえる。(『週間日本の仏像21 鞍馬寺/毘沙門天と吉祥天』より)
※参考(東京国立博物館・特別展「京都 大報恩寺 快慶・定慶のみほとけ」)https://blogs.yahoo.co.jp/kazukazu560506i/56850046.html
◆兜跋(とばつ)毘沙門天立像
![イメージ 7]()
木造、像高167.3cm、平安時代後期(『週間日本の仏像21 鞍馬寺/毘沙門天と吉祥天』より)
木造、像高167.3cm、平安時代後期(『週間日本の仏像21 鞍馬寺/毘沙門天と吉祥天』より)
兜跋毘沙門天は、中国・唐の時代にキジル安西城に毘沙門天が現れて、敵を撃退したという伝説に基づく。兜跋とは吐蕃(とばん・チベット)または吐魯番(トゥルファン)ともいうが、諸説ある。その姿は、西域風の甲冑を着け、二鬼を従えた地天女(じてんにょ)の掌の上に立つ。(『週間日本の仏像21 鞍馬寺/毘沙門天と吉祥天』より)
※参考(東寺・兜跋毘沙門天立像)https://blogs.yahoo.co.jp/kazukazu560506i/56969563.html
◆毘沙門天立像(3体)
![イメージ 8]()
木造、像高:左150.4cm/中149.7cm/右164.7cm、鎌倉時代(『週間日本の仏像21 鞍馬寺/毘沙門天と吉祥天』より)
木造、像高:左150.4cm/中149.7cm/右164.7cm、鎌倉時代(『週間日本の仏像21 鞍馬寺/毘沙門天と吉祥天』より)
宝塔を高くかかげる通例の毘沙門天とは異なり、3体とも左手に戟(げき)を持ち、右手を腰に当てる。かつて本尊像も、もとは同じ姿をしていたとされ、本来の「鞍馬様」はこの形であろうか。いずれもバランスが整い、鎌倉時代らしい生き生きとした表情をもち、毘沙門天の「聖地」・鞍馬寺を彩る優れた像である。(『週間日本の仏像21 鞍馬寺/毘沙門天と吉祥天』より)
※これら3体の毘沙門天立像は国宝や重文ではありまませんが、国宝の毘沙門天立像や重文の兜跋毘沙門天立像にひけをとらない、躍動感にあふれた素晴らしい仏像だと思います。※グッズ・土産
・『週間日本の仏像21 鞍馬寺/毘沙門天と吉祥天』
・お守り
・『週間日本の仏像21 鞍馬寺/毘沙門天と吉祥天』
・お守り