今日、村上春樹の紀行文集『ラオスにいったい何があるというんですか?』(2015)を読み終えました。(再)
この紀行文集のタイトルについて、著者による「あとがき」から引用します。
この紀行文集のタイトルについて、著者による「あとがき」から引用します。
本書のタイトルの「ラオスにいったい何があるというんですか?」は、文中にもあるけれど、僕が「これからラオスに行く」と言ったときに、中継地のハノイで、あるヴェトナム人から僕に向かって発せられた質問です。ヴェトナムにない、いったい何がラオスにあるというんですか、と。
そう訊かれて、僕も一瞬返答に窮しました。言われてみれば、ラオスにいったい何があるというのだろう? でも実際に行ってみると、ラオスにはラオスにしかないものがあります。当たり前のことですね。旅行とはそういうものです。そこに何があるか前もってわかっていたら、誰もわざわざ手間暇かけて旅行になんて出ません。何度か行ったことのある場所だって、行くたびに「へえ、こんなものがあったんだ!」という驚きが必ずあります。それが旅行というものです。
旅っていいものです。疲れることも、がっかりすることもあるけれど、そこには必ず何かがあります。さあ、あなたも腰を上げてどこかに出かけて下さい。
そう訊かれて、僕も一瞬返答に窮しました。言われてみれば、ラオスにいったい何があるというのだろう? でも実際に行ってみると、ラオスにはラオスにしかないものがあります。当たり前のことですね。旅行とはそういうものです。そこに何があるか前もってわかっていたら、誰もわざわざ手間暇かけて旅行になんて出ません。何度か行ったことのある場所だって、行くたびに「へえ、こんなものがあったんだ!」という驚きが必ずあります。それが旅行というものです。
旅っていいものです。疲れることも、がっかりすることもあるけれど、そこには必ず何かがあります。さあ、あなたも腰を上げてどこかに出かけて下さい。
【感想等】
以下、気になった文章を引用し、簡単に感想を添えようと思います。
以下、気になった文章を引用し、簡単に感想を添えようと思います。
チャールズ河畔の小径 ボストン1
緑の苔と温泉のあるところ アイスランド
館長さん(引用者注:ウェストマン諸島のヘイマエイ島の自然博物館の館長)は「東京都葛西の臨海公園にある水族館が開館したとき、ここの島からパフィン(引用者注:エトピリカ)を持っていったんだ。あそこにいるパフィンたちは、この島のパフィンなんだよ。私もそのとき招かれて日本に行った。一週間滞在して、京都にも行った。うん、楽しかったな。人はすごく多かったけど」ということだった。僕も一度、臨海公園水族館に行ったことがあるけど、パフィンのことはよく覚えていない。いたような気もするけど・・・。今度ちゃんと見に行こう。(P45-46)
※ウェストマン諸島というアイスランド南岸にある小さな群島は、パフィンが数多く終結することで知られている。おおよそ600万羽のパフィンがここに巣を作って産卵すると言われている。(P39)※パフィン(エトピリカ)が見たくなりました。今度、葛西臨海公園の水族館に行ってみよう。
アイスランドをレンタカーでドライブ旅行しようとする人に、ひとつだけ現実的なアドバイス。アイスランドの田舎に行くと、ガソリン・スタンドはほぼすべて無人になってしまう。給油作業は自分一人でやらなくちゃいけなくて、機械はクレジット・カードしか受け付けないことが多い。そしてその操作がものすごくわかりにくかったりする。機械のシステムがそれぞれに違って、まったく英語表示のないものもある。まわりにいる誰かに使い方を尋ねようと思っても、通りかかる人がほとんどいない。なにしろ閑散とした国だから。そんなわけで、ガソリンをどうやって入れればいいのか、おおよそのところを予習してから旅行に出かけられた方がいいと思います。そうしないと、車のガソリンタンクがからからになって、無人のガソリン・スタンドのポンプの前でただ途方に暮れる、という情けない羽目になったりもします。僕みたいに。ちなみにアイスランドのガソリンの値段はかなり高いです。(P50)
※アイスランドには行かないと思いますが、北海道も道東に行くとガソリンスタンドが極端に少なくなるそうです。事前の調査が肝心なようです。おいしいものが食べたい オレゴン州ポートランド・メイン州ポートランド
(引用者注:オレゴン州)ポートランドで僕が個人的に気に入ったのは、ダウンタウンにあるヒースマン・ホテルのレストラン。親しくしている作家のポール・セローが、この店を僕に推奨してくれた。ポールは旅行作家だけあって、なにしろいろんな場所に詳しい。「なあ、ハルキ、ポートランドに行くのなら、この店ははずしちゃいけないよ」と彼は強く主張した。そして彼は実に正しかった。食材の新鮮さ、想像力に富み、ひとつ筋の通ったメニュー構成、老舗らしい深みある味つけ、サービスの充実、どれをとってもこのレストランは一級品だった。それでいてぜんぜん偉そうではない。オーナー・シェフのフィリップ・ボーラートさんはフランス、ノルマンディーの出身だが、世界各地の一流レストランをわたり歩いた末、13年前にポートランドにたどり着いた。そして食材の新鮮さと豊かさと、土地の持つ自由な気風が、彼をこの街に落ち着かせることになった。しかし彼の言うところによれば「私がやってきた頃は、この街のレストランの水準はお話にならないくらい低かったんだよ」ということだ。この店がポートランドの「美味革命」のひとつの牽引力になってきたことに間違いはないだろう。(P73-74)
※以前、ポール・セローの短編集『ワールズ・エンド(世界の果て)』(村上春樹訳)を読んだので、この文章が引っかかりました。懐かしいふたつの島で ミコノス島・スペッツェス島
当時は朝から昼間にかけて小説を書き、夕方になると散歩がてら街に出て、バーでワインかビールを軽く飲むことにしていた。詰めて仕事をしたあとでは、何かそういう気分転換が必要だった。だからいろんなバーに行った。「ミコノス・バー」「ソマス・バー」、あといくつか名前の思い出せないバー。そういうバーにはミコノスに住み着いた外人(非ギリシャ人)たちがたむろして、小さな声で会話を交わしていた。そんな季節にミコノスにいる日本人は僕らくらいで、けっこう珍しがられた。「ミコノス・バー」で働いていた女性はとてもチャーミングな皺(しわ)を寄せて笑う人で、僕はこの人を――というかその皺の具合を――イメージとして『ノルウェイの森』のレイコさんという人物を描いた。(P98)
※著者はギリシャの島で『ノルウェイの森』を書いていましたが、「ミコノス・バー」で働いていた女性のチャーミングな皺が、〈レイコさん〉のイメージにつながったというのは初耳でした。 岬の先端の丘に登ってみた。灯台のまわりの風景は記憶の通りだ。白い灯台を囲む、緑の松林。そのあいだを抜ける未舗装道。でも灯台の柵の中に山羊はいない。海からの風が吹いて下草が揺れ、松の枝が頭上でさわさわというソフトな音を立てる。目を凝らすと、沖合を様々なかたちの船が横切っていくのが見える。漁船やヨットやフェリー。そこには遠くに暮らす人々の営みがある。空はうっすらと切れ目なく灰色に曇り、海面にはたくさんの白い波が立っている。レイモンド・チャンドラーはどこかで「灯台のように孤独だ」という文章を書いていたが、この灯台はそれほど孤独には見えない。でも見るからに物静かだ。灯台のように寡黙。(P112)
※「灯台のように孤独だ」という言葉は、『The Little Sister』(1949、清水俊二訳『かわいい女』、村上春樹訳『リトル・シスター』)で、フィリップ・マーロウが言った言葉のようです。もしタイムマシーンがあったなら ニューヨークのジャズ・クラブ
彼女はもう80代後半だけれど、自分の耳を持ち、自分の好みを持っている。誰に対しても――おそらくは客に対しても――譲歩するつもりはない。(P129)
※シベリウスとカウリスマキを訪ねて フィンランド
フィンランドというとあなたはまず何を思い出しますか? 僕の頭に浮かぶのは、浮かぶ順番にならべると
1 アキ・カウリスマキの映画
2 シベリウスの音楽
3 ムーミン
4 ノキアとマリメッコ
ということになる。アキ・カウリスマキの映画は全部残らず見たし、シベリウスの交響曲全集は5種類も持っている(個人的には5番をいちばん愛好している)。ムーミン・マグでときどきコーヒーも飲んでいる。ノキアの携帯もかれこれ5年くらい使っていた。というと、僕はかなりのフィンランド贔屓ということになるかもしれない。(P137)
※アキ・カウリスマキの映画なんて見たことがないし、シベリウスも聴きません。ムーミンのマグカップも持ってないし、ノキアやマリメッコの製品を使ったこともありません。でも、アキ・カウリスマキについて調べたら、彼の作品に興味が湧いてきました。1 アキ・カウリスマキの映画
2 シベリウスの音楽
3 ムーミン
4 ノキアとマリメッコ
ということになる。アキ・カウリスマキの映画は全部残らず見たし、シベリウスの交響曲全集は5種類も持っている(個人的には5番をいちばん愛好している)。ムーミン・マグでときどきコーヒーも飲んでいる。ノキアの携帯もかれこれ5年くらい使っていた。というと、僕はかなりのフィンランド贔屓ということになるかもしれない。(P137)
主に社会の底辺に属する労働者や失業者などを主人公にとり、徹底的に踏みにじられる人間性とその回復を描く。登場人物の突然の死や犯罪、旅、音楽など映画の黄金時代の文法を踏襲しながらも、大仰な仕草やドラマチックな科白回しを一切排した演出と天性のユーモアによって、現代では希有になってしまった心ある人間賛歌を成立させている。
アメリカの映画監督ジム・ジャームッシュとも親交が深く、『レニングラード・カウボーイズ』では中古車のディーラーとして出演もしている。また、『コントラクト・キラー』の作中に登場するジョー・ストラマーをカウリスマキに紹介したのもジャームッシュである。
兄のミカ・カウリスマキと共同で映画制作会社や映画館を経営している。また、兄の勧めで観た小津安二郎の作品から大きな影響を受け、敬愛している。(Wikipediaより)
※これは、アキ・カウリスマキの「人物・作風」について書かれた部分の引用ですが、ジム・ジャームッシュやジョー・ストラマーの名前が気になりました。『レニングラード・カウボーイズ』(1989)と『コントラクト・キラー』(1990)を見たいと思いました。アメリカの映画監督ジム・ジャームッシュとも親交が深く、『レニングラード・カウボーイズ』では中古車のディーラーとして出演もしている。また、『コントラクト・キラー』の作中に登場するジョー・ストラマーをカウリスマキに紹介したのもジャームッシュである。
兄のミカ・カウリスマキと共同で映画制作会社や映画館を経営している。また、兄の勧めで観た小津安二郎の作品から大きな影響を受け、敬愛している。(Wikipediaより)
僕は『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』のフィンランドのシーンをすべて想像で書いてしまってから、このフィンランド取材に行きました。なんだか自分の足跡をひとつひとつたどるみたいに。そういう意味では興味深い旅でした。(P157)
※『色彩を持たない・・・』は、この旅をもとに書かれたと思いましたが、そうじゃなかったんだ!大いなるメコン川の畔で ルアンプラバン(ラオス)
さて、いったい何がラオスにあるというのか? 良い質問だ。たぶん。でもそんなことを訊かれても、僕には答えようがない。だって、その何かを探すために、これからラオスまで行こうとしているわけなのだから。それがそもそも、旅行というものではないか。(P161)
※そもそも「旅」って何か、考えさせられます。 そのシャーマン兼ガムラン奏者は、僕がこのホテルを発つときに、まるで歌を歌うように長いまじないを唱えながら、僕の左の手首に白い布紐を、ブレスレットのように巻いてくれた。実際に巻いてくれたのは助手のおばあさん二人だが、彼女たちは音楽を演奏するときは、鐘みたいなものを叩きながら、バック・コーラスをつとめていた(ちょうどエリック・クラプトンのバックで歌う黒人女性コーラスみたいに)。色黒の痩せた小柄なおばあさんたちで、双子みたいによく似ていた。シャーマンは最後に僕に「これは旅路の無事を祈るしるしなので、三日間解いてはならんよ」と言った。紐は解こうにも解けなくて(どんな結び方をしたのだろう?)、その三日後に東京で鋏で切るしかなかった。そして紐を見るたびに、ラオスのことを思い出した。(P174)
※「ちょうどエリック・クラプトンのバックで歌う黒人女性コーラスみたいに」に反応しました。先日、クラプトンの武道館ライブに行ったとき、2人のコーラスの女性が気になりました。 故事来歴について細かい解説をしてくれるガイドのような人が一緒であれば、それは何かと便利だろうとは思うけれど、細かい歴史的事情や宗教的背景がそんなにわからなくても、ガイドブックを頼りに、自分一人でいろいろと想像を巡らせながら歩きまわっているだけで、けっこう楽しめます。というか、その方がむしろ自分のペースで移動できて都合が良いかもしれない。そこでいちばん大事なことは――僕の個人的な意見を言わせていただければ――とにかくゆっくり時間をかけることだ。
(中略)
僕はルアンプラバンの街でいろんなものを目にした。寺院の薄暗い伽藍に無数に並んだ古びた仏像や、羅漢像や、高名な僧侶の像や、その他わけのわからない様々なフィギュアの中から、自分が個人的に気に入ったものを見つけ出すのは、ずいぶん興味深い作業だった。ざっと見て通り過ぎれば、ただ「いっぱい仏像があるもんだな」で終わってしまうところだが、暇にまかせて目をこらしてひとつひとつこまめに眺めていくと、個々の彫像にはそれぞれの表情があり、たたずまいがあることがわかる。(P176-177)
※僕の「見仏」もこうありたいと思います。(中略)
僕はルアンプラバンの街でいろんなものを目にした。寺院の薄暗い伽藍に無数に並んだ古びた仏像や、羅漢像や、高名な僧侶の像や、その他わけのわからない様々なフィギュアの中から、自分が個人的に気に入ったものを見つけ出すのは、ずいぶん興味深い作業だった。ざっと見て通り過ぎれば、ただ「いっぱい仏像があるもんだな」で終わってしまうところだが、暇にまかせて目をこらしてひとつひとつこまめに眺めていくと、個々の彫像にはそれぞれの表情があり、たたずまいがあることがわかる。(P176-177)
野球と鯨とドーナッツ ボストン2
白い道と赤いワイン トスカナ(イタリア)
イタリアで書いた短編小説のひとつに、そんな地方都市旅行のエピソードを入れたことがある。主人公がルッカという、トスカナ北西部にある町で、高校時代の級友にたまたま再会する。ルッカは中世の城壁に囲まれた美しい町だ。そこでプッチーニが生まれ、チェット・ベイカーが麻薬所持で刑務所に入れられた(不思議な組み合わせ)。二人のかつてのクラスメートは思いも寄らぬ場所での再会に驚きつつ、レストランに入り、暖炉の火の前でポルチーニ料理を食べ、1983年のコルティブオーノの赤ワインを飲む。そしてあれこれ昔話をする。主人公が昔交際していた女の子の話題が出てくる。そこでちょっとした事実が明らかになる。たしかそんな話だ(もう20年くらい読み返していないので、細かいところはよく覚えていないのだが)。コルティブオーノという固有名詞を出したのは、ローマに住んでいた頃、僕が実際にこのトスカナのワインを好んでよく飲んでいたからだ。(P203-204)
※「イタリアで書いた短編小説のひとつ」というのは、短編集『TVピープル 』収録の「我らの時代のフォークロア ――高度資本主義前史」です。この作品について、こちらを参照してください。https://blogs.yahoo.co.jp/kazukazu560506i/55836091.html
漱石からくまモンまで 熊本県(日本)1
それはそれとして、お城のまわりを走るのはなかなか楽しかった。熊本城はとても美しく、そして心温かく保存された城だ。市民みんなが城を大事にしているという印象がある。お城は地勢的にも精神的にも、その昔から今に至るまで、熊本という街の中心をなしているし(まるで心臓のように)、人々は日々の生活の中にお城の存在をうまく組み込んでいるように見える。今回は時間がなくて天守閣までのぼらなかったけれど、朝の1時間ばかり、まわりをぐるりと走っただけで、そういう自然で親密な雰囲気が感じ取れた。どこからでもお城が見える生活というのは、素敵なものかもしれない。カフカの『城』みたいに「見えるけど行き着けない」ということもないみたいだし。ちなみに熊本市には「お城の周りでは、石垣より高い建物を建ててはいけない」という条例があるそうで、それは素晴らしいことだと思う。ハワイのカウアイ島には「椰子の木より高い建物を建ててはいけない」という条例があったけど、それに似ているかも。このままいつまでも、「城下町」のゆったりとした時間性みたいなものを失ってほしくないなと、旅行者としては望んでしまうことになる。(P230-231)
※2016年4月、熊本地震の発生により、熊本城は天守閣や石垣などが大きく損壊しました。一日も早い復旧を祈ります。「東京するめクラブ」より、熊本再訪のご報告 熊本県(日本)2
今年(2016年)4月のあの地震を間に挟んで、1年3ヶ月ぶりに目にする熊本市内はずいぶん様変わりしていた。まず最初に感じたのは、ずいぶん建物の数が減っているなということだった。まるで櫛の歯が抜け落ちたように、通りのあちこちに空き地が目につく。隣家を失ってむき出しになった建物の側壁も生々しかった。そしてコイン・パーキングの数がずいぶん増えたみたいだった。たぶん空き地にしておくよりは、ということで駐車場が増えたのだろう。だから街に全体的に「すかすかしている」という雰囲気が漂っている。そしてもちろん、まだ取り壊されていない(あるいは修復されていない)多くの傷ついた家屋があちこちに残されている。ほとんど倒壊寸前のものも少なくない。胸塞ぐ風景だ。
(中略)
でもなにより心が痛んだのは、熊本城の惨状だった。今回とくべつに熊本県庁と熊本市役所のご厚意によって、一般の人は立ち入ることのできない熊本城内のエリアを案内して見せていただいたのだが、その被害のあまりの大きさに一同、まさに言葉を失ってしまった。これまでテレビのニュースで見たり、新聞・雑誌の写真でひととおり見てはいたのだが、自分の目で実際に見るその崩壊のすさまじさは、とてもとてもそんなどころじゃなかった。(P261・266)
※(中略)
でもなにより心が痛んだのは、熊本城の惨状だった。今回とくべつに熊本県庁と熊本市役所のご厚意によって、一般の人は立ち入ることのできない熊本城内のエリアを案内して見せていただいたのだが、その被害のあまりの大きさに一同、まさに言葉を失ってしまった。これまでテレビのニュースで見たり、新聞・雑誌の写真でひととおり見てはいたのだが、自分の目で実際に見るその崩壊のすさまじさは、とてもとてもそんなどころじゃなかった。(P261・266)